【句集を読む】
数多なる忌を遥かに
竹岡一郎『ふるさとのはつこひ』を読む
福田若之
小津夜景「草笛を手放して」は、竹岡一郎『ふるさとのはつこひ』(ふらんす堂、2015年)、とりわけその中の「比良坂戀」における「少年」と「少女」についてのテーマ批評的な検討を含んでいる。そして、とりわけこのテーマに関しては、作品に「弱点」があると主張している。とりわけ、『ふるさとのはつこひ』に登場する男性の「〈異形の私→欠如を根拠としたナルシシズム→エゴの聖化〉といった主体モデル」を問題視するその主張が最も明解に示されているのは、次の一文だろう。
だってこの少女ときたら貧弱な反応しかプログラムされていない人形みたいで、宜しくない文脈でのポルノグラフィックな香りがするし、少年は自分の力を顕示するためだけに少女を必要としているし、またその欲望の現れ方は神経症的で唖然とするほどワン・パターンだ。
なるほど、ありうる読みのひとつであるには違いない。だが、数ある読みのひとつに過ぎないともいえる。だから、この文章では、これから、さらに別の仕方で読みうることを確認することにしたい。
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「草笛を手放して」には、「比良坂戀」から、「少年」と「少女」の両方が含まれる次の句群が引用されている。
少年が冱てし少女を抱き起こす
少年の氷柱に少女赫へり
少年が鱶討てば泣く少女かな
少年が少女の臍に霰置く
少年の髪を少女が梳く焼野
少年が少女に東風をけしかける
少年が亀鳴かせれば少女笑む
少女怒れば少年の朧なる
少年の黴びて少女に拭はるる
少年は少女に触れず滴れる
少女には少年の雷よく見える
少年が少女に請はれ灼きつくす
少年が少女飛び越え喜雨降らす
少年に滝と聳ゆる少女あり
少年が少女へ銀河起こしけり
少年ヒルコ少女ヒルメに花野明く
この引用からは次の二句がこぼれ落ちているので、ここで確認しておこう(ただし、「草笛を手放して」には、上記の句群ですべてであるとは書かれていないので、その点では問題はない)。
少年が少女と遁れ祭絶ゆ
夏痩の少年少女月を研ぐ
重要なのは、「夏痩」の句で、この句は唯一、少女が人間らしからぬ幻想的な動作――月を研ぐこと――をしている句なのである。これを抜かすと、少年はしばしば超人的であるのに対して、少年といる少女はことごとく常人的である、という図式ができあがってしまう(その名が「ヒルコ」や「ヒルメ」であるとしても。少年は東風をけしかけたり、雷や喜雨や銀河を発生させるが、少女は泣き、笑い、少年の髪を梳き、黴をぬぐい、請い、聳え立つくらいであって、赫うといっても氷柱に照らされてのことであるから、たしかに、月を研ぐことさえなければおおむね常人的だ)。
だが、これだけでは、少女が「貧弱な反応しかプログラムされていない人形みたい」だという批判に応えたことにはならない。ここで少女が月を研ぐのは、あくまでも少年と共にであり、この動作を可能にしているのは一緒にいる少年の超人的な力かもしれないからだ。この点を確認する必要がある。すなわち、少女は単独で超人的な力を発現しうる存在なのかどうか。連作中で、少女が単独行動している句には、次の二句がある。
虹吸つて毒瓦斯と化す少女かな
鹿に乗り少女還るは蝕の夜
したがって、少なくとも、少女は虹を吸うということができるし、それによって毒瓦斯と化すことがありうる。そして、彼女は鹿に乗る。鹿に乗る少女というこの形象は、万城目学の『鹿男あをによし』を参照したものだろうか。いずれにせよ、鹿といえば神の使いであって、鹿に乗る少女というモチーフは、この場合は彼女が神であることの暗示として読むことができる。それは、彼女もまた、虹を吸い、月を研ぐという超人的な力を発現しているからだ。
したがって、少女は少年と同程度に神的であると考えられるし、自律的に行動してもいる。では、なぜ少女は少年といるとき、「貧弱な反応」しか返さず、少年が「自分の力を顕示するためだけに必要としている」存在であるように見えるのか。
それはおそらく、少女が超人的な力を用いて実現することができるのは、ただ削除だけだからである。虹を吸うこと、月を研ぐこと。それらは対象を縮減させることであり、多かれ少なかれ、削除である。毒瓦斯となることによって、彼女は生きているものを殺すことしかできない。削除する少女のモチーフはさらに、少年の髪を梳き、黴を拭う少女としても現れている。
少年と少女の非対称性はいまや明らかである。というのも、少年は東風や雷や喜雨などを作り出す一方で、鱶を討ったり、灼きつくすという破壊的な行動をとることもできるのだから。それに対して、少女はひたすら削除しつづける。少年が灼きつくすのが、少女に請われてのことであるのは重要である。それは、削除する者としての少女の意志が少年の力を間接的に行使した結果なのである。おそらく、祭が絶えたのは、たんに少年が遁れたからではない。少年が「少女と遁れ」たからなのだ。
少年と少女のこの非対称性は、少年少女がそれぞれ創造する者と削除する者として造型されているとすれば、必然的なものである。というのも、創造という行為のうちには、削り出すことが含まれるのだ。それゆえにこそ、創造する者としての少年は削除する能力を兼ね備えている。少年と少女の超人的な力が、月を研ぐことにおいて重なり合うのは象徴的である。ここに見られるような彫刻の行為こそ、削除が創造に含みこまれること、つまり、削除と創造が対称的に見えて対称的ではないことを示すのに何よりふさわしいだろう。
したがって、この連作において、少年と少女は、日本神話における人を創造する者としてのイザナギと削除する者としてのイザナミの対称性をなぞりながら、同時に、その二項対立をぐらつかせていると読める。奥坂まや「征きて還らず」にあるように、少女がイザナミの俤をもつとしても、彼女はイザナミそのものではない。彼女はヒルメという名を与えられている。少年もまた、イザナギではなく、ヒルコという名を与えられている。
――ところで、少年はなぜ鱶を討ったのか?
――鱶が海の殺戮者だからだ。創造は削除を削除する。
――いや、その考えは短絡的だ。殺す者を殺すことによって、彼は創造的に振舞っているとはいえないだろう。イザナミが永遠に人を殺しつづけると決めたとき、イザナギはイザナミを殺しただろうか。そうではない。イザナギは、イザナミによる削除をそれを上回る創造によって補うことに決めたのだ。創造する者が殺しに対抗するときの振る舞いは、そのようなものであるはずだ。
――たしかにそうかもしれない。だが、この場合、短絡的なのは作品ではなくて批評に違いない。少年と少女を創造と削除という役割に還元したのは、作品そのものではなく、批評なのだから。言い換えれば、ここがまさしく、このテーマ批評のひとまずの限界ということになるのだろう(テーマ批評の限界については、これまでに何度も言われてきたし、そのたびにその可能性も確認されてきたことであるが)。結局のところ、僕らはまたしても、テーマ批評の手法によって、「比良坂戀」を摑み損ねたということだ。
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「少年」という言葉はつねにたった一人の「少年」すなわち「ヒルコ」を指し、「少女」という言葉はつねにたった一人の「少女」すなわち「ヒルメ」を指すということを前提とした読みはこうしてひとまずの臨界点に達してしまう。それは、少年と少女に対して一貫したアイデンティティ、個性を求めた結果として生じる、作品それ自体との齟齬によるものだ。
では、なぜ、アイデンティティを求めることになったのか。それは、「少年」や「少女」を個として認識させるものがあるとすれば、それこそはアイデンティティにほかならないからだ。「少年」の同一性、「少女」の同一性を前提とする読みは、必然的に、これらの言葉によって指し示されると批評がみなす登場人物に対してアイデンティティを要求するに至るのである。そして、結果的に作品が魅力的で統一されたアイデンティティを提供してくれない場合、批評は作品を批難せざるをえなくなる。
だが、そもそも、この前提は恣意的なものに過ぎない。この連作は、また別の仕方で読むことができるのだ。すなわち、そのたびごとにただ一人ずつの少年が、そして、そのたびごとにただ一人ずつの少女が、そこに書かれようとしているのだと読むこともできるのである――そう、ここでは「比良坂戀」を書くという営みに立ち返ることが重要なのだ。とりわけ、これらの少年と少女を書くという営みへと立ち返ることが。
あらゆる物語と同じように、「比良坂戀」にも、少年と少女の物語と同時にその書き手の物語がある。たとえば、『ドン・キホーテ』がドン・キホーテの物語であると同時に(あるいはむしろそれ以上に)、その書き手の物語でもあるのと同様に。そして、「比良坂戀」から立ちあがる書き手の物語は、『ドン・キホーテ』の場合と同様、必ずしも作者の伝記と一致するものではなく、そこに書きこまれている限りでの書き手の物語である。
ただし、「比良坂戀」の場合――そこには「俺」にはじまり、「わが」ないし「われ」、「あたし」、「僕」と様々な一人称が登場するが――そのうちのどれが書き手を自ら指し示すものであるのかを明確にすることは、さしあたり恣意的な読みによってしか可能ではないように思われる。したがって、ひとまず、ここでの書き手とは、それらの様々な人称の担い手を書くことによって立ち上がらせる、より高次の何者かであるとしておこう。
そして、こうした意味での書き手が、次の一句をこの連作の冒頭に置いているのだ。
数多なる忌を継ぎ重ね秘めはじめ
仮に辞書に従うならば、この「秘めはじめ」という表記は誤りであるか、あるいはそれとは別に文字通り何かを秘める行為の開始を意味しているとしか読むことができない。だが、ここでの「秘めはじめ」という表記は、充分に検討された上での当て字であると考えられる。ここで、「秘めはじめ」は、語源的な由来からもはや切り離されて(そもそも、「姫始め」がもともと何の行事だったのか、今となっては定かではないのだ)ただ新年最初の「秘め事」のことだけを指す言葉、すなわち、「姫始め」という言葉から近代以降の「姫始め」という言葉の用法だけを取り出してきた、新しい言葉なのである。「数多なる忌」、したがって、無数の死の連なりのあとで、新しい命をはぐくむこと。それを無数の死の連なりに代えること。すなわち、忘れるのではなく秘めること。数々の死に対して、それを乗り越えるために、新しい命として、少年少女をあらしめること。
それゆえ、ここでは書き手こそがイザナギと重なり合う(したがって、この書き手を指すのに「彼」という人称代名詞を用いることが許されるだろう)。書き手である彼は、少年と少女を書く。まるで、イザナミによってもたらされた死にたいして、イザナギがより多くの新たな命をその代わりとし、死者の分を補おうとするように。すなわち、死者を代補しようとするように。少年と少女は、名を忘れられた死者たちの代わりに生きるべく書かれるのである。したがって、彼ら彼女らにあるべき生とあるべき名をもう一度与え直すことが、ここでの書き手の最終的な目標となるだろう。少年と少女は名を授からなければならない。そうでなければ救いはない。だが、十七音節ごとに死が追いかけてくるので、少年も少女も、名付けられるまえに息絶えてしまう。彼ら彼女らに、いかなるアイデンティティが期待できるだろう? アイデンティティの発露さえ許されず、彼ら彼女らは物語が展開されるより遥か以前に消え去ってしまい、その後二度と帰ってくることはない。このとき、それぞれの少年と少女の生は、それがいかに類型的に見えようとも、そのつど、かけがえのないものとして現れる。
こうして、いつか、これらの儚い生を書き、継ぎ重ねたその果てに、彼ら彼女らの代補が必要となるときがやってくるだろう。この代補は、無数の死者を少年少女を介して間接的に救うために必要とされるのであって、いうなれば代補の代補である。書き手は、無数の死者の直接的な代補であった少年少女たちを生き延びさせることに幾度となく失敗したその果てにのみ、ようやく、さらなる代補として書かれるこの特別な少年少女に対してふさわしい名を授けることが可能になるだろう――それこそが、「ヒルコ」と「ヒルメ」という名なのである。
名付けられることによって代補の代補となる少年ヒルコと少女ヒルメは、その代わり、もはや何の感情ももたず、いっさい行動することはない。二人が誰かの代わりに生きることはない。というのも、生は、もうすでに、書かれては死んでいったあれらの少年少女が、かろうじてではあるが、たしかに代補したのだから。それに、生きる者は必ず死ぬのであるから、仮にヒルコとヒルメが生きてしまったとしたら、死者の記憶を永遠のものにするという役目を果たさないだろう。だから、ヒルコとヒルメは、先行した少年少女たちの代わりに、ただ名を授かるためだけに書かれる。ほとんど死者のようにして。あるいは、ほとんど神のようにして。
つまり、この読みにおいては、「比良坂戀」における少年と少女は最初からヒルコとヒルメの二人だったわけではなく、最後にようやくそれらがヒルコとヒルメに置き換えられることで、ついに救われるに至るのである。
そして、そこに花野が拓かれる。太陽の化身であることを示す二人の名が、名を忘れられたそれらの草花をついに照らし出すのだ。数多なる忌の遥かにおいて。数多なる忌を遥かにして。
最後に、こうしてイザナギとしての役目をいくらか果たした書き手は、人の皮を脱ぎながら、「僕」という一人称を立ち上げることになるだろう。
人の皮脱いだ僕へと流星群
瞬間に燃え尽きる名もない流星たちの群れが、この句においてはすでに救われているように感じられる。それは、あの無数の少年少女の短すぎた生がヒルコとヒルメの到来によって救われたあとのことだからに違いない。
2 comments:
福田若之様
誠に畏るべき評を有難うございました。
これほど誠実に、かつ跳躍力に満ちた評をして頂いて、以て瞑すべしです。
「少年と少女は、名を忘れられた死者たちの代わりに生きるべく書かれるのである。」に、思わず胸衝かれたのでありました。
どうも万感迫る思いで、上手く言えません。
私はいつも五感で感じるものしか思考に出来ず、従って句にも出来ないのです。数学を赤点以外取ったことがない理由であります。
誠に有難うございました。深く御礼申し上げます。
ここで福田さんの評とは関係ありませんが、拙句集について、「なぜこれを俳句で書かなければならないか。俳句形式を使う必要があるのか」という質問を受けること度々あり、その疑問は俳句という形式の必然性を考えるに当たり、重要な事と思われますので、記しておきます。
そういう質問をした俳人は、俳句で書いても良い事と、俳句で書いてはいけない事を分けているようでした。つまり、「こういうことを書きたいなら、小説とか詩とか短歌とかで書けばよいのだ」という意味だったのです。
私はかつて「俳句とは捕虫網で天を捉えようとするようなものだ」と書いたことがあります。今もその思いは変わっておらず、しかしそれだからこそ、そういう不可能な奇跡にしか言語の可能性を見いだせないという事があります。散文で幾ら書いて行っても、どうしても書けない事がある。散文とは積み重ねてゆく思考だからです。
連作は積み重ねてゆく思考なのではないのかと問われましたら、それは各人が連作を作る過程にも依るでしょうが、私にとっては、連作は積み重ねてゆく思考ではありません。なぜなら、その制作過程が先ず一句ありき、次に一句一句が自発的に欲する結合という順になるからです。
どういう事かというと、私は連作を作る時、テーマを決めたりはしません。一句作っただけでは収まらないエネルギーが生じた時、それを形にしない事にはエネルギーが内攻して、私がのたうちまわる結果となりますので、早い話が楽になりたくて、大量に作る。それから、次に一句一句を磨いてゆく。「鷹」で20年間叩き込まれたごとく、「俳句は立句である」が一句成立の最低条件です。全部立句に成ったら、パソコンに打ち込んで、それから印刷して、一句づつ鋏で切って、短冊にして、連作になるかどうか並べてみる。
(「比良坂變」に関しては、「週刊俳句」に発表時の形態を、句集に入れる時にもう一度バラバラにして、立句として弱い句を40句あまり落としました。順序もかなり変わっている筈です。)
並べている段階では、構造は未だ霧の彼方です。「牛乳パズル」という、完成しても真っ白なジグゾーパズルが有りますが、あのようなものです。手掛かりになるのは、句の意味というよりはむしろリズムで、私は句を並べている最中は、音楽を掛けています。大体はモーツァルトかアイアン・メイデンです。
(モーツァルトとアイアン・メイデンの共通項は展開の凄まじさで、時折、呆然とするような、自我が揺すぶられてはじけ飛ぶような展開をします。)
つまり、連作とは、一本づつの単結晶が音叉の性質も持つような、水晶のクラスター(群晶)のようなもので、一本一本は独立した結晶になっているが(そして塩酸に漬ければバラバラになって、一本づつの独立した単結晶の世界を形成するが)、全体としてまとまると、一つの大きな世界を形成するようなものです。
話を元に戻しますと、散文よりも詩の方が、詩よりも短歌の方が、形式が短くなればなるほど生じる跳躍力がある。それは短さゆえに、或る跳躍が必要になって来るからで、俳句レベルまで短くすると、人間の思考を超える跳躍力を持つことがある。
人間の思考を超えるとはどういう事か、を語るよりも(それは具体的には二元対立の超克であり、球に等しい無限多面体のあらゆる面から同時に球の中核に突き進むという事であり、一にして多であり、多にして一であるということですが、これは時折、垣間見られる或る感覚、としかまだ私には言えませんから)、むしろ何の為に人間の思考を超えねばならないか、私にとっての必然性について語る方が良いかと思います。
俳句というのは、象徴詩であって、一つの言葉がさまざまな読まれ方をします。季語はその最たるもので、季語による連想により多くの意味を導入することが出来る。季語は意味の増幅装置であるともいえましょうが、他の言葉だって使い方によっては増幅装置たり得ます。また、助詞はたった一文字で意味の方向性をずらしたり、多方向に派生させることが出来ます。そういう技術は、俳句の短さの中で磨かれてきた訳ですが、結果的に一句に対する解釈が重層して同時発生するがゆえに、多次元宇宙のように、また並行世界のように複数の時空、情景、意味を同時多発させることが出来るようになりました。
これは数学的な物言いが出来ない者にとっては恩恵であります。或る体験が存在するとして、その体験を語ろうとすると、思考が分断され、情景がフラッシュバックするしかない、そういう体験を(意味不明のオノマトペ以外で)精確に語ろうとすれば、全体を或る暗喩として示す他はない。そして、フラッシュバックという特徴を客観写生しようとすれば、同時多発する時空あるいは意味を立ち上がらせるしかない。
そこまでして言わねばならない訳は、体験は如何なる体験であっても、この短い生の間に消化されるべきであり、体験を未消化の内に、体験に未だ隷属したままに一生を終える事は耐え難いからです。
(そこで私はいつもパウル・ツェランのことを考えます。短い詩句の内に複数の意味と情景を同時存在させた彼は、果たしてアウシュビッツの経験を消化できたのか。即ち、死者達を復活させることが出来たのか。もし出来たなら、セーヌ川に入水して果てる訳はない。つまり、戦争とは消化できないものである。それは暴力が消化できないものだからです。だが、人類にとっての世界が大筋において、暴力から出来上がっていなかった事など、かつて無かった。その地獄を、物書きという最も無力な者は、如何に凌駕すればよいのか。)
私は昔、大恩ある人に尋ねた事があります。
「破地獄とは何ですか」
「跳躍力です」
地獄から六道を一気に跳び超えて、枠の外に出るような跳躍力無くして、地獄は破れない。その跳躍力を得られないのならば、この生は遂に虚しく終わるだろうか。思考とは言語です。言語の跳躍力とは、思考の、いや、思考を超える跳躍力になり得るでしょうか。
たとえば特攻のような死に際して言える言葉数は限られている。地獄の亡者が苦痛のあまり叫ぶ言葉数は、もっと限られているでしょう。或いは膨大な悲惨さの前に立った時、その現実に圧倒されつつ言える言葉は限られている。そのような場において跳躍を志そうとするなら、もしかしたら俳句のような基本十七音の塊なら、志を果たせるでしょうか。パウル・ツェランの詩が極めて短いのは、そのような理由に依るのかもしれない。特攻した者が、確実に待ち受ける死を、皮肉にも特攻への姿勢によって超えようとしたように、この極めて短い俳句という形式によってのみ可能な跳躍があるのかもしれない。ならば、私にとって、俳句形式とは必然であります。
どうも上手く言えません。しかし、私が俳句に命懸けなのは、こういう心情からです。作句の動機とは、極めて個人的な使命感であると言えるかもしれません。
貴評に応えるべく、思いを綴ってみましたが、何だか支離滅裂ですね。
なので、最後に、谷口慎也さんが「連衆」71号(2015年6月)の「受贈書籍評」に書いて下さった拙句集評の一部を引用する事にします。
『攝津幸彦作品に「驚愕した」とあるが、攝津作品が多分に戦略的であったのに対して、この人の言葉は殆ど「地声(じごえ)」として読者に伝わって来る。すなわちその「声」を生み出す詩的風土が直截に伝わって来るということだ。思わず詩的風土などと言ってしまったが、それは勿論「なつかしい山河」でも社会的なイデオロギーを産み出す場所でもない。それらを筒抜けた処にあるものと言うしかないが、そこから出てくる言葉は、作者と等身大の言葉である。』
谷口さんの評を拝読して、私が一番有難かったのは、作句の動機として、先ず抑え難い心情ありき、ということを理解して頂いた事でした。
福田さんの評にも、それが感じられました。死者は救われねばならぬ。地獄は破られねばならぬ。
例えば、ある空間に立つとき、私は空間の地層とでもいうべきものを感じます。空間は記憶を持ち、そこにかつて起こった事、或いは未だ形成されていないが、未来に起こるであろうことの予感(即ち潜在的形成力)に満ちています。一番大きく強烈なものは死の記憶であって、恐らく地上において、かつて人の死んでいない場所を探す方が難しいでしょう。私は、空間に有る死の記憶によって、その空間における重層性を感じ取るのではないか。
ならば、その空間に満ちる層に、言葉しか術を持たぬ私は、如何にして応えれば良いのか。
今ひとたび、御礼申し上げます。誠に有難うございました。
竹岡一郎拝
コメントありがとうございます。
僕のほうでも考えることがいろいろあったのですが、なかなかうまくまとまらず、遅くなりました。
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まず、連作の創作過程について、非常に興味深く読みました。ものを書く工程というのは本当に人それぞれで、これはとても興味深いテーマです。
つづいて、一句の創作についての記述は、次の箇所がとても興味深く思われました。
>或る体験が存在するとして、その体験を語ろうとすると、思考が分断され、情景がフラッシュバックするしかない、そういう体験を(意味不明のオノマトペ以外で)精確に語ろうとすれば、全体を或る暗喩として示す他はない。
この一文は、僕にとって、体験を跡付けること一般について考えるための、ひとつの手がかりになりそうです。
コメント全体のなかで、いちばん考えるところが多かったのは次の箇所でした。
>死者は救われねばならぬ。地獄は破られねばならぬ。
結果として、そういうことになるのかもしれません。書かれたものについて書く行為として批評を考えるなら、それは、まずもって、書くという行為自体を肯定することを前提としているように思います。言い換えれば、書かれたものが現に書かれてあるということを受け入れることなしに、批評は成り立たないだろうということであって、それはまた、批評が、そのシステムの中に、不可避の肯定を含んでいるということでもあります。批評は、書かれたものを拾わずにはいられないということです。そして、書かれたものを拾わずにいられないというこのことが、明示的にであれ暗示的にであれ、そのまま「死者は救われねばならぬ」ということと分かちがたく結びついているように思われます。書くことがすなわち生きながら書くことである限りにおいて、書かれたものを拾うことは、間接的にではあるとしても、生を拾うこと、生の痕跡を拾うことになるはずです。僕には、これは批評の使命というよりはむしろ原理であるように思われます。これは実は竹岡さんの次の言及とも関っています。
>空間は記憶を持ち、そこにかつて起こった事、或いは未だ形成されていないが、未来に起こるであろうことの予感(即ち潜在的形成力)に満ちています。一番大きく強烈なものは死の記憶であって、恐らく地上において、かつて人の死んでいない場所を探す方が難しいでしょう。
同じように、言葉にも生の記憶が伴っているように思うのです(竹岡さんが「死の記憶」と書くところを僕は「生の記憶」と書きますが、さしあたり、ここでは言葉についての個人的な感覚に従ってそうするにすぎません。「死」を前面に押し出す語彙と「生」を前面に押し出す語彙のどちらを使っても話が通じるように思えるときには、僕はなるべく「生」を前面に押し出すほうを採りたいと思います。実質的には重なり合うものとお考えください)。あるいは、もしかすると、たとえば本のページの上の広がりというのも、竹岡さんの言う意味での空間の一つといえるということなのかもしれません。いずれにせよ、言葉を拾うということには、こうした記憶と向き合う可能性が、さしあたり可能性でしかないとしても、常に伴っているはずです。
>ならば、その空間に満ちる層に、言葉しか術を持たぬ私は、如何にして応えれば良いのか。
それゆえ、ここにおいて、俳句の課題と批評の課題が重なり合うように思われます。言葉はいつも記憶と向き合う可能性を持っていて、しかしながらいつも可能性しか持っていないので、僕らの側に困難があるのではないでしょうか。
コメントを拝読して、そんなことを考えた次第です。
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