2016-04-17

【週俳3月の俳句を読む】聴覚の逆襲 笠井亞子

【週俳3月の俳句を読む】

聴覚の逆襲

笠井亞子


デモテープ  西川火尖

レコードの空転が始まる彼岸
花種に黒使はるる眩しさよ
漬物の張り付く小皿涅槃西風
凧手応へだけになつてをり
陽炎へるまで試聴機を再生す
クレソンをしつかり食べて壊しけり
端折りつつ話してみても蝶狂ふ
囀や鼻血ふつふつ湧く心地
春月の余熱のやうに口ずさむ
蒲公英や記憶正しいかも知れず


聴覚的な何かがコトバの契機になっているような句群である。
音的季語は多くなく、これらの句から感じる音は、行為の結果としての、クレソンを噛みくだく音だったり、端折りつつ話す声だったり、口ずさむ声だったりするのだが、それにとどまらない。レコード盤が空回る音や花種が掌の上で鳴らすだろうかすかな音、小皿から漬物を剥がす音や、鼻血となって溢れ出ようとする身体内部の血液の音、そして蒲公英がたてていた音の記憶は正しかったのだと誤読したくなるほど、なにやら全体からひたひたとせまってくるのだ。

すべての情報を「見る」ことで得ていると錯覚するくらい、われわれの日常は視覚偏重になってしまった。そのことに身体はそうとういらだっているのではないか。聴覚が身体を媒介にして逆襲したがっているような、うねりを感じさせる十句だと思う。

陽炎へるまで試聴機を再生す

試聴機とはCDショップなどに置いてあるプレーヤーのこと。ここにあるいらだちは切実だ。せきたてられるように何度も何度も再生ボタンを押してしまう。視覚をあいまいにしてしまいたいというはげしい衝動!

先日ジョルジョ・モランディという、ほとんど静物画しか描かなかったイタリア人画家の展覧会へ行った。
「実際に見ているもの以上に、抽象的で非現実的なものはない」
哲学者や思想家ではなく、同じような瓶やコップを、日々少しずつ配置換えしながら生涯描き続けた画家のこの言葉に、頬をピシャリと張られたような気がしている。


渡部有紀子 あがりやう 10句 ≫読む
永山智郎 硝子へ 10句 ≫読む
西川火尖 デモテープ 10句 ≫読む

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