【週俳6月7月の俳句を読む】
ふたりの幻術師
小津夜景
●高橋洋子「ビー玉はすてる」
これ、10句をばらして読むのが惜しい作品です。全体の雰囲気の調整が絶妙。単に全句のデイストが揃っているといったレベルを超えていて、ちょっとシュールな絵本のページを最初から最後までめくりきったような充実感があります。
変身とかしたしぼうたんころがる 高橋洋子
この句は最初「変身とかした/死亡譚ころがる」と読んで、わあ、と興奮したんですが、落ちついて考えると「変身とかしたし/牡丹ころがる」の可能性の方がどうやら濃厚ですね。ただこれだとひとつ違和感があって、それは何かといいますと、この連作、季語を春できれいに揃えてあるんですよ。それでふと思いついたのが、この「ぼうたん」は多肉植物の方の牡丹なんじゃないかなってこと。さいきんはおしゃれ園芸界隈でも有名ですし。また多肉植物は極小の鉢に植えるのがコツのひとつで、それだから簡単に横転する。で、掲句ですが〈メタモルフォーゼの願望〉とおよそ想像を絶する奇態ぞろいの〈転がる多肉植物〉というのは、腰のすわった、かつ色気のある取り合わせです。
●竹岡一郎「バチあたり兄さん」
今回の連作は、全句の光景をヒエロニムス・ボスからレメディオス・バロに至る超現実絵画の系譜で絵画化できそうです(個人的には「遠浅や水母と赤子なであへる」を壁に飾りたく)。もちろん文字で読む味わいというのは、絵画とは全く別のもの(とくにこの人の韻律の引っ張りはすごくいい)ですが、風変わりなイメージ、緻密な光景、悪夢的深淵、宗教・神話からの引用といった特徴を基本的土台としている点は、上述の画家と完全に一致していますし、空気も似通っていますし。そういえば『ふるさとの初恋』の装画を描いた逆柱いみりのイラストもプリティ・ボスないしポストモダン・アレゴリーといった画風でした。あとは、そうですね、かくもわけのわからないことばかりする「兄さん」を「バチあたり」と呼ぶあたり、とても良い意味でガロ系のセンスを感じます。
怖づ怖づと征きひまはりに振り向かれ 竹岡一郎
望まぬ出征に怯える背中を丸めた人物と、彼を見つめるひまわりの組み合わせが、シュルレアリスム絵画を思わせる一句。熟れた太陽のごときひまわりの花が首を回すという俗説を巧みに利用して、心の深淵にねむる他界への郷愁と恐怖、あるいは愛と憎しみといったアンビバレンスを描いた構図には、この作者ならではの安定感が感じられます。また「征き」と「振り向かれ」といった風に、動詞を連用形で流したのも効果的だと思いました。
第535号
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