【週俳10月の俳句を読む】
すっと入る
柘植史子
そのひとは自転車で来る豊の秋 なつはづき
「そのひと」というちょっと思わせぶりな表現にもかかわらず、自転車のカジュアル感のせいだろうか、そのひとが誰でもいいような気がしてきて、いつの間にか、そのひとを待つ気持ちを共有している私がいる。
そのひとが自転車に乗ってやってくる場面が映像として鮮明に脳裏に浮かんでくるのだ。日差しを受けて煌めく稲穂と銀輪の眩しさが増幅しあい、その映像は燦然と明るい。
待つ人も待たれる人も、そして自転車も、実りの秋に祝福されている。
鵙の贄希望ヶ丘の駅は谷 市川綿帽子
そのむかし、土地の名前はその土地の歴史を表すものであった。たとえば「蛇谷」という地名のリアリティはそのことを雄弁に物語る。
日本に「希望ヶ丘」という地名はいったいいくつあるだろうか。山を切り拓き開発されたニュータウンの、土地の来歴などとは無関係な名前の代表格のひとつが「希望ヶ丘」であろう。
タイトルから連想すれば、これは横浜の希望ヶ丘。横浜の地形は起伏に富んでいるが、なかでもここは帷子川の源流域で、川沿いの低地と丘陵部との高低差が顕著である。希望ヶ丘は丘ばかりではない。
すっかり干からびてしまった鵙の贄の存在感が、この句のブラックな味わいを確かなものにしている。
秋冷の闇どつぷりと一フラン 今井 豊
「いぶかしき秋」というタイトルが訝しい。実景を芯に詠まれた句のなかで、この一句に呼び止められた気がした。この句はタイトルと密やかに通じているのではないだろうか。
「どつぷりと」は「闇」に掛かると考えるのが普通だろう。となれば、一フランはどう読めばいいのだろう。ユーロの登場により、もう使われなくなったフランスの通貨のことであれば、もう価値のなくなった物の比喩としての一フランだろうか。いや、一という具体的な数詞は比喩にはなじまないだろう。この一フランには確かな物質感がある。
液体のような冷やかな闇のなか、一フランコインが鈍く光っている。
いぶかしきこの一句にどっぷりと浸かってしまった。
蓑虫にひびいてきたるハーモニカ 中岡毅雄
宙にぶらさがっている蓑虫には周囲に音を遮る障壁がないので、いろいろな音が届くのかもしれない。なかでも蓑虫を響かせたのはハーモニカの音色。今ではハーモニカにもいろいろな種類があるだろうし、奏法も多様だろうが、ハーモニカと言えば、まっすぐ心の中に入ってくる澄んだ音色が何といっても印象的だ。ハーモニカは郷愁を誘う楽器である。
「ひびく」という表現が、宙吊りの蓑虫のからだが実際に震える様子を連想させ、蓑虫がひとつの命を持った物として迫ってくる。発声器を持たぬこの虫が「鳴く」と詠まれる背景なども、ちらと頭をかすめた。
念力の角の欠けたる新豆腐 馬場龍吉
「豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」というセリフがあるように、昔から豆腐は角のあるものと相場が決まっていた。今でこそ丸いのや楕円のものなど、形はいろいろだが、豆腐たるもの、きりっとした角があってほしい。
初物は縁起が良く、長寿を呼ぶと言われてきた。収穫されたばかりの新大豆で作った新豆腐も同様。豆腐好きにはたまらないだろう。
だがせっかくの新豆腐も角が欠けていると有難みも殺がれてしまう。「念力」という措辞が初物パワーを信ずる機微に触れている。
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