2018-11-25

「第64回角川俳句賞」候補作品 雑誌掲載作6作品を読む 藤田哲史

「第64回角川俳句賞」候補作品
雑誌掲載作6作品を読む

藤田哲史


毎年注目を集める角川俳句賞。

第64回となる今年の受賞作は、鈴木牛後さんの『牛の朱夏』に決まった。

選考の様子や受賞者のことばなどはが「俳句」11月号に詳しく掲載されていて、受賞作はもちろん、選考の俎上に上がった候補作品50句も併せて読むことができる。

候補作品6つのタイトルと作者を示すと、

『お菓子』上田信治(生年昭和36年 所属結社「里」「週刊俳句」)
『闇を探す』 抜井諒一(生年昭和57年 所属結社「群青」)
『星を撫づ』 日隈恵里(生年昭和46年 所属結社「南風」)
『花烏賊』 大西朋(生年昭和47年 所属結社「鷹」「晨」)
『てまひま』 羽根木椋(生年昭和29年 所属結社「いつき組」「街」)
『零』 大塚凱(生年平成7年)

となる。これらは週刊俳句の「落選展」と「2018落選展を読む」の対象から外れてしまうので、この記事で各作品などについて少しずつ紹介してみたい。

『闇を探す』 抜井諒一

平成23年第3回石田波郷新人賞奨励賞。
平成24年第23回日本伝統俳句協会新人賞。
平成25年第1回星野立子新人賞。
平成28年第6回北斗賞。

という数々の受賞歴を持っている作者で、角川俳句賞も十分にその射程圏にあるといった印象だ。

風船を子分のやうに連れ回す

「子分」の見立てが見せ所。
風船が「子分」とすると、その風船の持ち主は「親分」で。

緑陰の中の空気の濃かりけり

標高が高くなると「空気が薄い」というけれど、ここでの「濃い」はそれと異なり、直感的な空気の感じを指している。

夏の木の匂いとか、湿り気というものを「濃い」の一語に託している。

並べられている言葉に読者の想像力が入ることで詩情が立ち上がる、そういうことを逆算している巧みさが感じられる。

遥か見るやうに暖炉の炎見る
雪よりも先に気配の降つて来し


即物的ではなく虚構の表現に抒情を織り込んで行くタイプの表現。平成俳句のいちばんおいしい表現をいちばんおいしいかたちで成立させることができる作家なのだろう。


『星を撫づ』 日隈恵里

こがらしや離陸するとき灯の消ゆる

夜間飛行をイメージすればいい。離陸準備のときに灯が落とされて、聴覚がやや敏くなるつかのま。凩と飛行機の主翼が空気を切る音がまじりあう。音で描かれる「凩」だ。

火の爆ぜる音ひとつきり山眠る

焚火かそれとも冬のキャンプか。時間の軸を数直線で表せば、1点以外は全て静寂なのだ。音以前も、音以降も。

『花烏賊』 大西朋

家の奥に更に一軒フリージア

下町と呼ばれる地域には木造の家が立ち並んでいて、そういう家はたいがい狭い路の奥にあり、法律上立て直しができなかったりする。

そしてまた、たとえば、そんな家には音符記号のついたボタン式の呼鈴が付いていて、押すと音が出なかったりする。

『てまひま』 羽根木椋

チューリップ首(かうべ)なくして終はりけり

50句のうち1句と言われればこれだろうか。

作者は、花びらを含む花の部分ではなく、花びらのなかの、蘂のある芯の部分を「首」と見立てたのかもしれない。

つまり、ここでの花びらは、頭を包む”布”であって、このチューリップは、いわば頭を包む布ごと、鋏でもって首を切られた者としての比喩ともいえる。

『零』 大塚凱

秋から夏までの都市を一貫してテーマにした作品。座談会でも「屈折」感のある詩情を評価されている。

この作品は、淡々と作品を列挙するに限る。

逃れても月ありあまる都心かな
すこし咳してあなたではない手を握る
晴れていて初夢のなかひとりになる
どこに置いても献血の肘冷た
来たことのない梅林とだんだん思ふ
三月終はる空き缶のなかの雨
寝静まるあなたが丘ならば涼しい


『君に目があり見開かれ(佐藤文香)』『自生地(福田若之)』に比肩するような自在さと、意味やモチーフで押し切らない巧みさがある。

というのも「ありあまる」とか「ではない」とか「だんだん」とか、含みのある語彙を適切に配置できる冷静さがこの作者にあるから。

『お菓子』上田信治

瓜漬のなつうぐひすの緑かな

これには比較するとおもしろい句があって、

捨て菜畑うぐひすいろに氷りけり 飴山實

がある。この「うぐひすいろ」は、薔薇色とか、空色といった色の表現と同じように、
薔薇っぽい色であったり、空っぽい色を意味していて、実際に「捨て菜畑」が「うぐいす」と完全に同じであることを保証していない。

ところが「なつうぐひす」の句は、こう書かれてしまうと、瓜の漬け物の緑が鶯の緑だという断定となる。

質感という点でいえば、つるつるとした瓜と羽毛を蓄えている鶯にはかなりの隔たりがあって、だからこそこの緑の同一性への断定が異様なものとして感じられてくるのだ。

サングラス海に沈んでゆく早い

この措辞もまったく不思議なもので、ふつう(というかセオリー通りだと)「サングラス海に沈んでゆく早さ」とでもしておけばかっこうが付くのに、あえて「早い」としてあたかも発話されたもののように演出を仕掛けている。

このようなセオリーを外した語法はいくつもある。

はんこ屋に自転車止めてクリスマス
フラミンゴ首8の字に桜散る

はんこ屋の前で自転車を止めてはじめてクリスマスになる。ではそれまでのクリスマスは一体どこに。 そして、このフラミンゴの嘴は8の字の一体どこにあるのか―――というような描写の不完全さをあえて残し、言葉の世界を愉しませる仕掛けがそこここに散りばめられている。

水槽や鱧が長さを見せてゐる

この句では、長さだけが強調されることにより、鱧の生き物らしさがすっかり捨象され、何か紐のようなものに思えてくる。



以上のとおり候補作品6つについて少しずつ紹介をしてみた。

選考座談会記事を読めばわかるけれど、なかでも最後に取り上げた「お菓子」は、受賞作と最後まで競った50句で、昨年末に第1句集『リボン』(http://youshorinshop.com/?pid=125115125)を刊行した話題の作者のもの。

選考座談会では、表題句の「お菓子」の「お」付けなどについて審査員から厳しく指摘されているけれど、タブーを犯すなど攻めの作品が受賞を逃すのは優勝みたいなもので、これは角川短歌賞の穂村弘や、角川俳句賞で言えば榮猿丸しかり、前例に事欠かない。

角川俳句賞が時代を映す鏡とするなら、時代を先取る才能はこの賞にはそぐわない、ということなのか。

”次”の俳句は、むしろ落選作のなかにあると思えてならない。

(終わり)

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