【週俳12月の俳句を読む】
観賞で俳句の種蒔 おもしろ珍観賞
河本かおり
俳句って面白いよ! 始めてみない? 句集読むだけでもいいよ。友人に俳句の良さを伝えようとするけど、俳句って難しいとか意味が解らないという返事ばかり。俳句歴五年の筆者もいまだによく解らないのだから未経験者はさもありなん。
そこで一読してよくわからなかった句について読み下していく様をありのままに書いていこうと思う。ありきたりな観賞になりそう句は秀作であっても省いた。無知と無教養で恥を晒すことになるかもしれないが、句会で数多の珍回答と失言を繰り返してきたのだから今さら失うものはないのだ! うん、たぶん…。
つめたさにチューブ引き絞って余る 井口可奈
正月太りでダイエットに余念がない筆者の脳裏に浮かんだのはゴムチューブを使ったダイエット方法。スカートのウエストが余るようになりたい!でもこれ、引き絞っているのはチューブだよね。これでいいのか?このトレーニング方法はチューブを伸ばすんだし。それに冷たさがどう響くのだ?この読みは違うみたい。
他の読みを思案する。冷たいチューブってあるのかな?そうだ!歯磨きのチューブ!朝の洗面所の冷えきった空気でかちかちになったチューブ。歯磨きは残り少なく力を入れて引き絞らねば。悴んだ手は思うに任せず思いのほか出てしまった歯磨き。わずかに残った歯磨きを根こそぎ絞り出して余ってしまった。あーあ、歯磨き買ってこなくちゃ。
里神楽手懐けられてしまう犬 同
「付かず離れず」とよく言うが、この句の場合はどうだろう?間違いなく近くはない。でも里神楽と犬がどう響くのだ?
里神楽でイメージするのは田舎とか鄙びたとか閉鎖的なコミュニティ。そこに犬。手懐けられてしまうというマイナスイメージ。しまうは過去形ではないからまだ手懐けられてはいない。犬に自己投影した葛藤と反抗心か?穏やかな生活に飼い慣らされるな!手懐けられてなるものか!
十二月八日朝餉に味海苔が 松本てふこ
下五の「が」をどう読もうか? 味海苔があって嬉しいのか? 味海苔がないと続くのか? 家族旅行に出発する朝の慌ただしい光景を「が」で終わることで生き生きと浮かびあがらせる。
冬浜にゆるやかに散り一家かな 同
各々が自分の行きたい場所へ行く。されど一家。家族なのだ。
レノン忌や貝殻砂に埋めなほし 同
ジョンレノンは青春の一ページ。貝殻を拾ってみたものの持って帰ってもゴミになるだけ。ひとしきり眺めて砂に埋めなおす。埋めなおす行為と埋葬のイメージがリンクして青春の墓標となるのだ。
神様がゐないみなとみらいライン 浅沼 璞
神と対義するものは科学。関東圏の地理に不慣れな筆者であるが、未来都市の景色が思い浮かぶ。
つぶらなる丘の小春の子供たち 同
つぶらなるの位置の是非。筆者は丘、小春、子供たち、全てにかかると読んで是。
数の子に似ているもののあたりまで 樋口由紀子
似ているもの? 人工の数の子なのだろうか。数の子が比喩なのだろうか。その答は後にある棒鱈の句で。
棒鱈はにせものらしいそうらしい 同
そうなのか?数の子に続き棒鱈も。おせちの材料は偽物ばかりではないか。
雑炊と雑煮のあいだ間違えて 同
どんなふうに間違ったんだ。気になる! 気になる!
重箱の底は開かなくなっている 同
開いたら落とすよね。おせちバラバラ事件発生!
太き咳して幼年は少年に 相子智恵
幼年期の終わりって何歳ぐらいかな? 高音のか弱いコンコンいう咳から太い低音のゴホゴホいう咳に変わる頃。
果汁一パーセントのジュース冬の星 同
果汁一パーセントって食品表示法ではジュースって呼んだらダメよ。100パーセントだけがジュース。話はそれたが体に良くはなさそう。綺麗な色の栄養のない甘い水。冴えた冬の星と響いてせつない。
寂しみは鯛焼きの鰓その陰り 福田若之
鯛焼きをかくも詩情豊かに描けるとは。福田さんの目には特殊フィルターが装備されているのか。筆者もそのフィルターがほしい。
曰く座の文芸だとかなべこわし 同
俳人はとかく俳句談義が好き。宴会の席でも例外ではない。
なべこわし? 乱闘か? いくら意見が違っても鍋で殴ってはいかん。まて、落ち着け。
季語らしきものは他にないから「なべこわし」は季語かな?検索すると三冬の季語で鍋を壊して取り合うほど美味しい魚だそうだ。
「こわす」はブレイクスルー、座の文芸とよく響く。
綿虫の印刷すこしずれてゐる 岡田由季
初学のころから今も筆者を悩ませる「の」の使い方。軽い切れとして「の」を使う場合があるらしい。切れがあるとすると掲句は取り合わせの句ということになる。切れがないとすると綿虫の印刷なのだから綿虫の実物は存在しないことになる。ならば解りやすく切れ字の「や」を使えばよいのだが、そうとも限らないからややこしい。
切れ字やを使うとずれた印刷は何が書かれていてもよい。しかし、作者はずれた綿虫の文字に実物の綿虫を重ねたのではなかろうか。ふわふわと飛ぶだぶって見える綿虫の様をずれた印刷の文字の綿虫と呼応させる。切れて切れない「の」なのだ。
●
拙文を最後まで読んでいただきありがとうございます。
観賞は自由、読みは読者に委ねられています。初心者の読みは時にベテランに刺激を与え、ベテランの読みは初心者に俳句の妙味を教える。
俳句ってほんとにいいものですね。
ではまた、どこかの句会で会いましょう。
2020-01-19
【週俳12月の俳句を読む】観賞で俳句の種蒔 おもしろ珍観賞 河本かおり
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿