2020-09-13

【週俳8月の俳句を読む】雑読雑考9 瀬戸正洋

【週俳8月の俳句を読む】
雑読雑考9

瀬戸正洋


牛乳に苺潰せり旭日旗  堀田季何

旭日旗と日章旗では、日章旗の方が美しいと思いました。単純であるということ、簡素であるということ、省略されていることが、その理由です。牛乳と苺を、いっしょに食べることは結構だと思いますが、潰して食べることには違和感を覚えました。

青梅雨や皆愚かなる脳を載せ  堀田季何

永井龍男に「青梅雨」という短篇があります。一家心中することには理由がありますし、決して愚かなことだとは思いません。半世紀以上もまえに、新潮文庫で読んだ記憶があります。その頃は、クリーム色のカバーだったような気がします。愚かなる脳であると自覚することが、物ごとを解決するための、はじめの一歩なのかも知れません。

ヨーグルトに蠅溺死する未来都市  堀田季何

肺に水が入り窒息死することを溺死といいます。未来とは、これから先に来るものです。未来都市といいますと、何か「明るく希望に満ちた」都市というイメージを持ちますが、現実には、ヨーグルトに蠅が溺死するような世界であるということなのでしょう。

吾よりも高きに蠅や五六億七千万年(ころな)後も  堀田季何

ヨーグルトに溺死した蠅の方が偉いのです。それは、今に、はじまったことではありません。五六億七千万年(ころな)後も、変わらないことだと思います。自分を知ることは生きていくためには必要なことです。ひとには欲があります。ひとは何を考えているのかわかりません。蠅の方がよっぽど、まともなのです。蠅は、永遠にひとの頭のうえを飛んでいるのです。

淫楽となるまで蠅の逃ぐる音  堀田季何

楽しいことはみだらなものと、相場が決まっています。ひとは、誰もが、淫楽なのです。これは、蠅のことでもありません。ひとのことでもありません。要するに、逃げる音を聞いていること事態が淫楽であるということなのかも知れません。

法案可決蠅追つてゐるあひだ  堀田季何

他に、こころを奪われている間に、肝心なことが終わってしまっていたということなのかも知れません。あるいは、肝心なことに、関心を持つことができなかったということなのかも知れません。さらにいえば、法案など、好きなように決めてかまわないと思っているのかも知れません。もしかしたら、蠅を追っている程度のことが自分にふさわしいことなのだと思っているのかも知れません。

息吸ふに全身捩る棄民われ  堀田季何

誰もが、好き勝手なことを書き、好き勝手なことをいっています。仕事だからなのだと思えば仕方のないことなのかも知れません。ときどき、気持ちが悪くなることもあります。所詮は、他人事なのです。ひとは、全身を捩じらなくては息を吸うこともできないのです。そうなると、必然的に棄民について考えざるを得なくなるということなのだと思います。

ぐらぐらになつた詩人が生えてゐる  堀田季何

内なるものが、外に向かって伸びて育つことを生えるといいます。詩人が詩を創作する状況を象徴しているのかも知れません。身も心も、ぐらぐらになってしまったとき、詩人に限らず、ひとは、何かをはじめるのだと思います。

向日葵や人撃つときは後ろから  堀田季何

ひとを撃ってはいけません。それでも、撃たなくてはならないときはあります。そんなときは、こっそりとうしろから撃ち、誰にも分らぬように逃げ去ることが肝要です。当然、誰が撃ったのかなどということは、撃たれた本人はもとより、誰であっても知られてはならないのです。犯人を、向日葵に押しつけてもかまないとも思います。

右手過去左手未来熱帯夜  堀田季何

右手が過去であり、左手が未来であるといっているので、その通りなのだと思います。したがって、脳髄は現在です。過去も未来も、脳髄にあるものです。過去とは、思い出のことです。未来とは、思い出から想像するもののことです。右手も、左手も、脳髄も、肉体であるということが肝心なことなのだと思います。寝苦しい熱帯夜だからこそ、余計なことばかり考えるのかも知れません。余計なことを考えるということは罪悪です。脳髄は、眠らなくてはならないのだと思います。

頸椎カラー解きて噴水見上げをり  佐藤友望

治療するためには、何らかの犠牲が必要なのです。頸椎カラーを解いたので首の動きが自由になり、噴水を見上げることもできるようになりました。生きていくうえで、束縛を受けることは日常なのかも知れません。束縛のなかでもがき苦しむことこそ、生きていくうえでの醍醐味なのかも知れません。

白南風や表紙の派手なガイド本  佐藤友望

旅や食事処のガイド本は、派手でなくてはなりません。非日常を思い、非日常にあこがれることが地味で暗かったら楽しさは半減してしまいます。白南風とは、梅雨が明けるころから吹く南風のことをいいます。

水飲めば汗のはみ出す無人駅  佐藤友望

水分とは、からだのことなのです。ひとくち、水を飲めば、その分が汗となります。無人駅とは、駅員の不在の駅です。乗降客がいない駅のことではありません。電車が到着すると、数名の乗客はホームに降りました。駅舎にある水道の蛇口からは、水が流れ続けています。

大夕焼け寝るためだけのホテルかな  佐藤友望

仕事は終わりました。ホテルの窓に夕日が差し込んでいるのを眺めています。旅先、仕事先で、休息、睡眠をとるための役割がホテルです。大夕焼けとは、今日の仕事のあり様を表現しているのかも知れません。

助手席にモカの空き缶夏の月  佐藤友望

モカというコーヒー豆から抽出されたコーヒーのことをモカコーヒーといいます。車を使って仕事をする場合、助手席は便利なものです。鞄や書類、ゴミまでも置くことができます。帰宅する途中に助手席にモカコーヒーの空き缶があることに気づきました。夏の月は、何もかもを覆いかぶしてしまうような存在なのだと思います。

破れたる靴の重さやすべりひゆ  佐藤友望 

すべりひゆを踏みました。その重さは、すべりひゆが、しっかりと受け止めました。それと同じように、作者自身も、その重さを受け止めたのだと思います。それは、ただの靴の重さではありません。破れたる靴の重さなのです。買い換えようと思いながら履いている靴の重さなのです。

旅程表の空白サルビアの町  佐藤友望

仕事も、ひと段落ついて、さて、何をしようかと、ふらふらと歩いているうちに、サルビアの咲いている町に出くわしました。空白とは、不明確なこと。つまり、何をしてもかまわないのです。サルビアの町に来てしまったことは、一生の不覚であったのかも知れません。

秋近し米有り余る海鮮丼  佐藤友望

海鮮丼のために、ご飯を炊いたのですが余ってしまいました。足りなくなることよりは、よかったのでしょうが、何か、もやもやしたものが残ってしまいました。このまま、秋が来てしまってもいいのかなどと思っています。

宇宙より静寂来るや山の小屋  佐藤友望

山の小屋の静寂は、山だからという理由からではありません。この静寂は、満天の星から来たものなのです。何もしなければ、静寂など味わうことはできません。山の小屋まで、歩いてきたからこその静寂であるのだと思います。

揚花火引力の形に消ゆ  佐藤友望

引力の可視化ということなのでしょう。引力には、いろいろなかたちがあるということです。花火の美しさに感動することよりも、いろいろの引力のかたちを見ることができたことの方が、感動の度合いは大きいのだと思います。

秋の岳常の車窓の流れ済む  中矢 温

車窓から、美しく見えたということなのかも知れません。乗客全員が、その美しさに、歓声を上げたということなのかも知れません。その目的地に向かって電車は走っているのかも知れません。

文通に遅筆許せよ草の花  中矢 温

電子メールやSNSというよりも直筆の手紙をイメージします。遅筆ということは、相手のことを大切に思っているということなのかも知れません。しみじみとした内容であったのかも知れません。下五を「草の花」としたことで、はかなさ、しぶとさのようなものを感じたりもします。

正しさの耳飾りけり律の風  中矢 温

律の風とは、記憶のことなのかも知れません。記憶に、耳飾りは余計で邪魔なものだと考えます。何故に「正しさの」と書いたのかを考えてみますと、本当は、正しくないと思っているのかも知れません。

桃買へば鏡ににこり昇降機  中矢 温

昇降機とありますが、降りるより昇っていくようなイメージがあります。鏡に向い「笑」っているひと、「怒」っているひと、「すまし」ているひとがいます。桃の入った紙袋を抱えたひとを乗せて、昇降機は昇っていきます。建物を突き破って昇降機は昇っていきます。いったいどこまで行こうとしているのでしょうか。

かのししの闇より暗き鼻の穴  中矢 温

私の住んでいる神奈川県西部の山村では、ハクビシンは、もとより猪、鹿、狸、猿などを見かけることがあります。害獣駆除は、切実な問題です。「闇より暗き」とありますので、不安を感じているのかも知れません。よくわからないことには、ひとは、恐怖やストレスを感じたりするものです。

背に名を書き合ふ遊び盆の月  中矢 温

盆踊りの会場で子供たちがあそんでいる。そんな風景なのかも知れません。背なかに、名まえを書いてもらう。それを当てる。難しくもなく、単純なあそびです。すぐに、わかるので面白く、それでいて、背なかが、くすぐったく気持ちよかったという記憶があります。

夢の汝は水棲にして秋の雨  中矢 温

汝とは、文語の第二人称代名詞ですが異性であるような気がします。「秋の雨」が効いていると思います。夢とは、睡眠中にあたかも現実のできごとのように感じる心象風景です。汝とは、自分とは異なる世界に棲むひとです。そう思うことは、恋愛のはじめの一歩だと思います。

鰯雲けふの天気と検温と  中矢 温

鰯雲をながめていて、天気のいいことは理解しました。さて、次は、検温です。現在ほど検温を指示されることはないと思います。句会場へ入るときも、検温して記入しなくてはなりません。PCR検査の結果、陰性であるということは、奇跡であるのかも知れないと思っています。

鵙鳴くや吉報の二つはいらず  中矢 温

秋のはじめ、鵙は、一羽だけで縄張りを確保します。高鳴きからは、孤高さを感じます。当然、吉報は、二つもいりません。一つあれば十分です。鵙もひとも何を望むというのでしょうか。

汝に似し誰と文月の喫茶かな  中矢 温

「喫茶店に彼女と二人で入って珈琲を注文すること」。これは、西暦1970年に、よしだたくろうがリリースした、オリジナル、ファースト、アルバムの、一曲目、「青春の詩」のはじめの部分です。この年に、高校へ入学したのですが、私が、はじめてこの曲を聴いたのは数年後のことです。文月の喫茶店ではありませんでしたが、喫茶店とは、「彼女を誘って珈琲を注文する」ところであると確信を持ち続けています。

「汝に似し誰と」とは、確かに青春であるということなのかも知れません。

萩の咲く港のみえる映画館  衛藤夏子

喫茶店で珈琲を飲み、映画に誘い、星空の下を散歩する。半世紀以上も前のデートの定番です。映画館を出ると、港が見えます。萩も咲いています。観てきた映画のはなしを語り合うのです。遠くで、汽笛が鳴っているのかも知れません。

月涼し白ブラウスのもぎりさん  衛藤夏子

もぎりは自分でするのだそうです。変な感染症が流行りだしてから、何もかもが味気なくなりました。風情がなくなりました。白いブラウスのご婦人が半券をもぎ取ります。これでなくてはなりません。月が涼しく感じられることは当然のことなのです。

蜻蛉舞う海の匂いのテラス席  衛藤夏子

蜻蛉は、直線に飛ぶ、あるいは、動かずに、空中に止まっているというイメージがありました。確かに、よく見てみると、舞っているようにも見えることに気づきました。単数と複数の違いなのかも知れません。

作者は、海の匂いのするテラス席で、夏の終わりを感じながらビールでも飲んでいるのかも知れません。

蝉時雨音響試験継続中  衛藤夏子

研究室での音響試験ではなく、夏祭り、盆踊りのための、町の電気屋さんによる音の調整のような気がします。炎天下での作業です。蝉のことなど誰もが気にもとめていないのですが、蝉時雨は、バックミュージックとしてなくてはならないものだと思います。

戦争を語るキネマの秋祭  衛藤夏子

複数の国家、集団の間での物理的暴力の行使をともなう紛争を「戦争」というのだそうです。戦時中は、戦争を鼓舞し、戦後は、戦争の悲惨さを語る。何も、批判する必要はありません。ひととは、そのようなものなのです。秋祭とは、収穫を感謝するものですが、確かに、キネマの作品も、ひとつの収穫といえなくもないと思います。「キネマ」という言葉からは、戦前を思いうかべます。間違っているかも知れませんが、懐かしさを感じたりもします。

星飛んでエンドロールの故人の名  衛藤夏子

関係者でなければ、なかなか、気づかないことだと思います。その作品に歴史があるのだとすれば、エンドロールに、故人の名が増えていくことは当然のことなのだと考えます。

「流星」とは、宇宙の塵が大気中に入り込んで摩擦熱で発光するものです。

座席横置いてけぼりの秋日傘  衛藤夏子

座席の横に、立てかけてあったのだと思います。使い古した老婦人のものだったのかも知れません。映画好きの老婦人。観た映画に感動して、忘れてしまったのかも知れません。秋の日は、ゆっくりと暮れていきます。

消印は海辺シアター秋の虹  衛藤夏子

海辺にあるシアター街の郵便局の消印だったのかも知れません。その手紙は、秋の虹が運んで来てくれたのです。そう思ったとき、何気ない発見に、作者の心はときめいたに違いありません。

映写技師ちいさな街を去る燕  衛藤夏子

燕の飛んでいるちいさな街を、映写技師は去っていきました。思い出をかみしめるために、いつも、時間をつぶしていた駅前の喫茶店で珈琲を飲みます。扉を開けると、空は曇っていて、目の前を、燕が低く飛んでいきます。今年の夏は暑くなるような気がしています。

鰯雲映画館から広がって  衛藤夏子

映画館から広がっていくものは、いったい何なのでしょうか。映画は、人生そのものだといったひとがいました。苦しみなのでしょうか。悲しみなのでしょうか。それとも、喜びなのでしょうか。空を見上げると鰯雲。もう、すっかり風は
秋になっています。

どの部屋の扉も開きし盆用意  柏柳明子

年齢を重ねていくと、気分的に、子供や孫の暮らしのことよりも、ご先祖様の世界に、近くなっていくような気がします。死んだも同然であるということなのかも知れません。出かけることも少なくなり、ひとりでいることが多くなるからなのかも知れません。盆用意をしたのですから、扉だけではなく、どの部屋の窓も開け放しておきたいと思います。もちろん、子や孫が帰ってきたとしても歓迎はします。

掃除機の鳴りては止みぬ茄子の馬  柏柳明子 

掃除機も待ちわびているのかもしれません。「鳴りては止みぬ」としたことで、感情を抑えていることがわかります。スーパーマーケットには、何もかもが揃っています。それはそれとして、精霊馬ぐらいは、茄子で、作ったほうがいいのかも知れません。

甘き指近づけてきし盆の月  柏柳明子

陰暦七月十五日の満月です。甘き指とは、何なんでしょうか。下世話で品もありませんので、碌なことしか思い浮かびません。半面、碌でもないことのほうが、生きていくうえで大切なことが多いような気もします。盆の月とありますので、何となく、せわしなさも感じてしまいます。

残暑かな駅から次の駅見えて  柏柳明子

都会の駅なのでしょう。複雑な理由があったのだと思います。それでも、ふたつの駅は必要だったのです。田舎では、そんな無駄なことは許されません。秋まで残る暑さのことを残暑といいます。

呼ぶほどに離れる猫よ花木槿  柏柳明子

思い通りに動いてくれないのは猫だけではありません。風も、雨も、空も、同様なのです。たとえば、思い通りに動いてくれたと感じたとき、私たちは、何かがおかしいと思わなくてはなりません。木槿の花を見てといると、舌を出しているような気にもなります。

新涼の美貌の石に出会ひけり  柏柳明子

ホンモノは美しいと思います。美しいものはホンモノであるということです。たとえば、目の前の料理を美しいと感じたら、その料理は旨いに決まっています。目の前にある石を美貌だと思いました。この石はホンモノです。秋の涼しさが、それを気づかせてくれました。

かなかなの木より戻つてこない母  柏柳明子

不安であるということです。不安に対処する方法は、覚悟を決めるということです。母は戻ってこないのですから、ここで待つのか、ひとりで、先に帰るか、あらかじめ決めておけばいいのです。かなかなは、闇の底からうなるように鳴いています。

秋の蝶時間の遅れはじめけり  柏柳明子

時間の速度は、好きなことをしているか、嫌なことをしているのかによって異なります。決して、同じ速度ではありません。好きなことをしているときは、あっという間に過ぎていきます。反対に、嫌なことをしているときは、なかなか、過ぎていってくれません。もしかしたら、遅れた理由は、秋の蝶にも関係あるのかも知れません。

虫すだくヨックモックのあをき箱  柏柳明子

この「あをき箱」とは、ヨックモックの詰まっている箱なのでしょうか。それとも、食べ終えてしまった空の箱なのでしょうか。ヨックモックの「あをき箱」が置いてあります。窓の外では、そのことには無関係である秋の虫がにぎやかに鳴いています。

鳥居より海の広がる九月かな  柏柳明子

「鳥居」とは、神域と俗界とを区画するものです。要するに、神域への入口ということになります。この場合は、神域から俗界を眺めています。神様は、氏子だけを守ってくれます。故に、氏子は、その神様を氏子だけで祭ります。氏子のためだけの神様であることを、氏子は自覚しなければなりません。九月の海は、おだやかに広がっていきます。

693号 2020年8月2日
堀田季何 生えてゐる 10句 ≫読む
佐藤友望 旅程表 10句 ≫読む
696号 2020年8月23日
中矢 温 にこり 10句 ≫読む
697号 2020年8月30日
衛藤夏子 海辺の映画館 10句 ≫読む
柏柳明子 あをき箱 10句 ≫読む

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