【週俳9月の俳句を読む】
雑読雑考10
瀬戸正洋
西瓜置く畑で隣だつたかしら 相馬京菜
西瓜の置かれている場所のことを考えました。畑でも並んで育っていたのかも知れないと疑ってみたことが、この作品のはじまりです。縁というものは不思議なものだと思いました。
産直の暑さ暗さも西瓜玉 相馬京菜
暗さという言葉に立ち止まりました。何故、作者はその言葉が浮かんできたのか、そこに興味を覚えました。
通常の流通経路を通さずに、生産者から消費者へ直接供給することを産直といいます。
西瓜丸く手籠の布をよろこばす 相馬京菜
西瓜の丸いことによろこんでいるのは、手籠の布だけではありません。誰もがよろこんでいるのです。誰もが、納得していることなのです。これは、調和なのです。これは、秩序なのです。故に、安心することができるのだと思います。
仏壇に安寧ばかり西瓜かな 相馬京菜
仏壇の前に座るひとびとが安寧であるということは、ご先祖さまのおかげなのです。丸い西瓜は、お盆に乗せられて仏壇の前に置かれています。西瓜のまるいということが、その家族が安寧であるということを象徴しているのかも知れません。
地球の日落ちて西瓜に日の当たる 相馬京菜
地球環境について考える日のことを「地球の日」といいます。「地球の日」とは、四月二十二日です。この場合は、「落ちて」について考えることが、西瓜に日の当たることを理解するための方法なのだと思います。
黒鉛の海のひかりよ西瓜の絵 相馬京菜
黒鉛とは、炭素の同素体のひとつであり鉛筆の芯にも使われています。世の中の秩序も調和も、とどのつまりは鉛筆の芯なのです。西瓜の絵とは、黒鉛の海のひかりなのだと思いました。
叩かれて西瓜の縞のにじみけり 相馬京菜
西瓜割りという遊びを考えたひとに興味を覚えました。割ることも食べることも同じことだととらえたのでしょう。自己破壊衝動は誰もが持っています。それと西瓜を割ることと混同してしまったのだとしたら複雑な話なのかも知れません。
吾の孤独西瓜の上に生きるやも 相馬京菜
孤独とは時間の余裕ができたときなどに襲ってくるものです。生活に追われ、時間に追われているときは、それどころではありません。そのかわり、家族や友人に囲まれて幸せに暮らしているときに孤独を感じることはいくらでもあります。
半玉の西瓜となれば撫ではせぬ 相馬京菜
芸者遊びについては詳しくありませんので、どう書いていけばいいのかわかりません。ハンギョクとハンタマについて考えればいいのかも知れません。
軽くふれた手のひらをやさしく動かす場合は、完全なものでなくてはならないのかも知れません。
なつかしき風を通せり西瓜の鬆 相馬京菜
七月に雨が多かったせいか、今年は鬆が入っている西瓜が多く見られます。もしかしたら、風が鬆を連れてきたのかも知れません。鬆は、切ってみるまでわからない。このことが何かを象徴しているのかも知れません。
すいかの「す」ではじまり、すいかの「か」で終わるのかと思いましたが、すいかの「鬆」で終わりました。
「泣けよ」とふ本屋のポップ夏の月 吉川わる
「泣けよ」ということばを発したのは、やさしさにつつまれているからなのです。本屋を出で、ふりかえったとき、夏の月を見つけました。本屋のポップは、夏の月が描いたのだということに気づきました。
天牛のがりがら滑る洗面器 吉川わる
洗面器であることの面白さを感じました。滑りたくて滑ったわけでもありません。うまく滑るのは至難の業だと思います。天牛とは、かみきりむしの漢名だそうですが、いい名をつけてもらったものだと思います。
膨らみの足らぬパン生地沙羅の花 吉川わる
パン生地にも膨らみがあるのです。どんなものにも膨らみがあります。ものごと、やり尽くしたと思っても足らないと感じることは日常茶飯事です。
沙羅の花から「平家物語」を思い浮かべたりしています。
ぽつりぽつり背中に話すカヌーかな 吉川わる
ふたり乗りのカヌーからも、カヌーが進んでいくまわりの風景からも、ゆったりとしたのどかさを感じます。せせらぎ、ことりのさえずり、あらゆるものが、五臓六腑をしみわたっていきます。
七夕や盗み見てゐる物理の書 吉川わる
物理の書をよむひとを尊敬しています。物理に対して堂々と接することのできない文系の理系に対する複雑な感情といったところなのかも知れません。
七夕とは、五節句のひとつに数えられています。七夕は願いごとを書いた短冊を飾ります。調べてみると、七夕には、いろいろな文化が結びついていることを知りました。
月代の濠は四角く流れけり 吉川わる
四角い濠だったのでしょう。確かに、水は四角く流れています。東の空が白んで明るく見えるころ、濠が濠のまま流れだしたのです。何かがはじまろうとするとき、自然は、ひとを驚かせたりするものなのだと思います。
廃校の白きカーテン鳥渡る 吉川わる
白いカーテンが取り外されることなくそのまま残っています。それは、廃校が、それを望んでいたからなのです。鳥渡るとは、日本で冬を過ごすために渡ってくる鳥のことです。廃校の気持ちもわかるような気がします。
蟷螂の棚田背負ひて威嚇せり 吉川わる
蟷螂は棚田を背負って威嚇したのです。棚田を代表して威嚇したのです。蟷螂は、そんなことはしたくはありませんでした。のんびりと生きていきたかったのだと思います。ひとは、棚田を背負った蟷螂に、間違いなく威嚇されています。
何となく寄つて来る鯉秋半ば 吉川わる
「何となく寄つて来」ているような経験は誰にもあると思います。それは、鯉に限ったことではありません。もしかしたら「恋」であるのなのかも知れません。秋半ばとは、陰暦八月の異名です。もうすこし先にある寒さを感じてしまう季節なのかも知れません。
秋霖や車内流るる文字の列 吉川わる
車内を流れる文字の列が見えたのだと思います。視覚によって「音」を感じたということです。そういわれても違和感がないのは、日常、誰もが、それを経験しているからなのだと思います。
秋に降る長い雨のことを秋霖だと思っていましたが、調べますと「三日以上降り続く雨」とありました。二日では、秋霖ではないといわれれば、そんな気にもなります。
近づくに木に秋雨の音おほし 淺津大雅
雨の降る音に不快さを感じているのかも知れません。雨が止むことを願っているのかも知れまません。木に向かって歩いているのではありません。木は、木の意志で近づいてきているのです。
葡萄みな食べてはだかの房あをあを 淺津大雅
苗木を植え、育て、花が咲き、実を収穫するまでには歴史があります。食べ終わったはだかの房を見て、何かを感じたのだと思います。その何かから「あをあを」という言葉がうかんできたのです。口の中に残るのは、みずみずしさだけではないことに気づかされたのだと思います。
曼殊沙華鉄扉のまへに人のゐず 淺津大雅
鉄扉とありますので、大きな倉庫の裏手をイメージしました。そこには、曼珠沙華が咲き乱れていたのでしょう。鉄扉のまえに人が居なかったのは偶然だったのかも知れません。あるいは、必然であったのかも知れません。ひとは、自分が理解できることを必然といいます。とすれば、世の中は、偶然ばかりで成りたっているのかも知れません。
玄関の秋の蜂巣を如何にせむ 淺津大雅
そのままにしておくことが最良の方法です。あえて言うのなら、そのままにしておくべきなのです。何故ならば、秋まで気がつかなかったのですから。気がつかなければ、共存できていたのですから。それでも、周囲の無言の圧力に負けて、殺虫剤を吹きかけました。しかたのないことだと思います。
萩やウエイターいつでも客のはうを見て 淺津大雅
気にかけてもらえることはうれしい限りです。ウエイターに気にかけてもらえる。そのうえ、萩にまで気にかけてもらえるのです。「ほっておいてもらいたい」などと嘯くのは、強がり以外の何物でもないと思います。
懐におやつの卵秋祭 淺津大雅
秋祭りの日の着物すがたの少年の懐に生卵がひとつありました。それが、その日のその少年にとってのおやつでありました。と、シンプルに考えるべきなのかも知れません。昭和の時代の、異様な少年の「精神」のようなものを感じました。
三日月に水草すぢかふ水面かな 淺津大雅
三日月と水草が斜めに向かい合っています。すこし、ずれて向かい合っています。「水面」あこがれます。「水面」になりたいと思っています。
台風の夜の痩犬をかはいがる 淺津大雅
痩せていることには理由があります。かわいがっていることには理由があります。その日が、たまたま台風の夜であったからなのかも知れません。
犬が痩せているのは台風のせいなのです。痩犬をかわいがるのは台風のせいなのです。
秋の虹おくれて夜灯のつきにけり 淺津大雅
あたりまえのことなのですが、夜灯にしてみれば何らかの意思があったのだと思います。そのことに気づくことは怖いことなのです。意志は隠して、夜になったから灯はついたのだと思わせることが肝要なのです。
秋の海に入りゆく二本の棒を見よ 淺津大雅
要するに、疲れなければいいのです。見るにしても、見ないにしても、二本の棒があるにしても、ないにしても、どうでもいいことなのです。生きるということは疲れることです。秋の海は、ゆったりと、目の前にあらわれています。
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