2020-12-13

【週俳11月の俳句を読む】ほっとする 柘植史子

【週俳11月の俳句を読む】
ほっとする

柘植史子


連禱の如く冬星座をわたる  田中目八

冴え冴えとした冬の夜空に光る星は大気が澄んでいる分、輝きが鋭い。張り詰めた空気のなか、星の瞬きから祈りを連想した「連の如く」という直喩は胸にすとんと落ちる。星々が瞬き合う様子は人々が交互に祈りを交わす連禱の情景を確かに連想させる。主語の明示されていない「わたる」が時空の広がりを現出させ、天空の大聖堂から寒気を貫く祈りの声も聞こえてきそうだ。


氷瀑は異なる知性を記しけり  同上

凍滝に知性を感得するというのだ。想像を超えた文脈から突然飛んできたような言葉が読み手に説明を拒みつつ、毅然と立っている。だが、氷結することで厳冬をやり過ごそうとする滝、と考えてみればそこには確かに「滝の知性」があるのかもしれない。「記す」という措辞も凍滝の硬質な肌触りを鮮明に想像させ、氷瀑へ憑依した詠みには納得がいく。
それにしても、タイトルの「青」とは何だろう。作者の希求するものの象徴であって、「岸辺」とは反対のベクトルを持つイメージなのだろうか。或いはもっとシンプルに、「私」から「青」への呼びかけであるかもしれない。強いメッセージ性を感じさせる句群である。

吟味された言葉同士がぶつかり合い醸し出される独自な世界に作者の実験工房の一端を見たように思う。


冬蜂めりこむ泥のみるみる乾く  大塚 凱

もう刺す力もなく、ぬかるんだ地べたを力なくさまよう蜂。作者はそれを踏んだのだ。異物を埋め込まれた泥は急激に乾き始めたのだ(と作者は感じたのだ)。

屈み込み、現場検証でもするように冬蜂のめり込んだ泥を凝視する作者の姿が見える。死にそうな蜂に止めを刺した負い目はあったとしても一瞬のこと。だがそれは「乾く」という言葉の発見に多少なりとも寄与しただろう。確かな言葉の選択だと思う。ガクガクとした不器用なリズムが弱肉強食の自然界が孕む底なしのエネルギーを想起させ、奏功している。

水を轢くまぶしい車輪だが寒い  同上

夜、部屋にいると、通りを車が通過する音がはっきりと聞こえることがある。とりわけ寒くて静かな雨の夜には音が際立ち、あぁ、雨が降りだしたんだな、と気付く。雨を轢くタイヤの音はどこか寒々しい。

掲句は雨でなく「水を轢く」。情趣を一切切り捨てた即物的な把握が寒々しさに拍車をかける。「まぶしい車輪」の省略も鮮やかだ。まぶしい、だけど寒い。いや、まぶしい、だから寒いのかもしれない。

日常のワンシーンを切り取った句群には低く静かに語りかけられるような味わいがある。タイトルの「或る」の無名性がどの句にも通底している。不特定のなかにある確かなもの。そこへ向けられる俳人の冷徹な眼差しを感じた。


冬の夕指につながる水の音  鈴木春奈

月一でお茶の稽古に通っているのだろう。炉点前の様子とその日いちにちが過不足なく詠まれている。

掲句の「水の音」は柄杓から茶碗へ注ぐ水の音と読んだ。手指から柄杓へ、そして水へと続く一連の動きを表現した「つながる」に実感がある。割箸を使って毛虫を捕る時、その割箸がどんなに長くても、何も介さず直に毛虫を摘んでいるような嫌悪感を感じることがある。突飛な連想であるが、その場に漲る緊張感が恐らく両者に共通しているのではないだろうか。毛虫のことは頭から振り払い、掲句に戻ろう。程よい緊張のなか、お点前の所作もきっと自然で無駄がなく、流れるように進んだのであろう。「冬の夕」という暮れ方のしみじみとした情感にもどこか通じる「つながる」である。

冬の灯を消して冬の灯のほうへ  同上

句の構成のシンメトリーが季語の反復と相乗効果をあげ、口誦性を齎している。姿のよい句である。

一連の句の配置から想像するに、稽古から帰った一人の部屋の灯から、団欒の部屋の灯へ移ろうとしているところだろうか。或いは、もう休むために自分の部屋へ戻るところかも知れない。いずれにしても、人の気配のする暖かな灯が人懐かしさを感じさせる。穏やかで幸せな光景にほっとした。


田中目八 青へ、或は岸辺から 10句 ≫読む
大塚凱 或る 10句 ≫読む
鈴木春菜 月一度 10句 ≫読む

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