2022-02-06

柘植史子【週俳11月・12月・1月の俳句を読む】 くっきりとした輪郭

 【週俳11月・12月・1月の俳句を読む】

くっきりとした輪郭

柘植史子


流れ星左右の耳に音 いまも     花島照子
ゆうぐれの焚火へ溜息のやわらか   

十句のなかにタイトルの「フェルマータ」という言葉を含む句はない。が、「音符や休符を程よく伸ばすこと」を意味するこの音楽記号が連想させるゆったりとした雰囲気は、身の回りへ静かな眼差しを向けて詠まれた全句にわたり煙のように漂っている。

一句目に注目したのは、流れ星を目にした一瞬の視覚的感動が音として感受され詠み留められている点である。夜空を走った星の「音」はまだいまも作者の両耳に留まっている。「音」の後ろに置かれたポーズはその音自体の余韻であると同時に、時空の広がりも感じさせる。

二句目の「やわらか」にはゆっくりと流れる時間の手触りがある。溜息は失望や心配を背景にすることが多いが、ここには深い充足感がうかがえる。身近に焚火を見ることは今ほとんどなくなったが、あの炎には人を惹き付ける不思議な力がある。日が落ちてからの焚火は人を内省的にさせる。


麦の芽を何度も風のやりなほす    田邊大学
がくがくと冬蝶の飛ぶ日暮かな

「やりなほす」という表現に何やらひたむきな実直さを思う。しかも「何度も」である。一方、冬の寒さの中、土を破って出てくる麦の芽の青さには、目にするだけで気分の浮き立つような逞しさがある。芽は伸びていくのが仕事であるのに対し、風は吹き当てるのが仕事。寒風に耐える健気な麦の芽を風の視点から捉え直して詠んだところが出色。読んだあとにどことなく充実感が残る句である。

二句目の冬蝶の飛び方は「がくがくと」という不穏な擬音が独自であり的確だ。もう死が近いのだろうか、ちょうど止まりそうな独楽が跛行気味に回転するように、断末魔の印象がある。日暮のもの淋しさとも相俟って哀れさを催すと同時に、蝶の最後の誇りというものをも感じさせる。生き物の矜持のこもった「がくがく」である。


冬の月旅に少しの化粧品       岡田由季
茶の咲いて文学館の混む日なし

言葉にすることでものごとにくっきりとした輪郭が生まれ、何でもない情景や今まで自覚されずにいたことが急に鮮明に見え始めることがある。それは私の場合、俳句を詠むときよりもむしろ読むときに多く自覚されるようだ。十句を読み、しみじみとした肯定感が滲み出してくるのを感じた。

一句目。ここを詠むか、とまず着眼の斬新さに驚く。これまで何回となく旅支度をしてきたがここを詠めずにいた迂闊さを思う。確かにそうなのだ。化粧グッズのコンパクト化は旅の必須条件である。生活実感であるのに俗からは遠い。化粧品という具体性が詩を呼び起こしているからだ。

二句目に登場する文学館はこれまで訪うたびに混みあった経験のない場所なのだろう。特別なことのない日の、これまたどうということもない地味な茶の花。けれどこの花はいったん知ってしまうと見かけるたびにそのなにげなさゆえにはっとさせられる。あの白い花弁と金色の蘂、そして葉の濃い緑を思いがけず目にすると、今日はもうこれでいいかな、と思えてくる。


無理やりにNEW蒲鉾の背はピンク      佐藤智子
淑気とは乾燥 ワイシャツ白すぎる

捉えどころのない切迫感、漠然とした焦燥感が投げ出すような言葉のリズムや寒々しさを醸し出す語彙から立ち上がってくる。真実を見極めようとする時に派生する身も蓋もなさが痛々しくも心に響く。

タイトル句である一句目にはNEWと蒲鉾から新年の雰囲気がある。だが作者は無邪気に新年を言祝ぐのではなく、新しい年のあたらしさに噓くさい不自然さを察知する。祝い膳の紅白蒲鉾は実はピンクと白であることはその茶番の証拠である。ピンクのチープさが際立っている。

新年のめでたさ、荘厳さを表す「淑気」も、冷徹な目には単なる乾燥のことと思える。この淑気=乾燥という把握には、しかし説得力がありはしないか。じめじめ感がまったくないということをめでたいとする感覚には共感を覚える。世間のおおかたを敵に回しても自分の感性を信じる一途さがザックリとした文体と相俟ってかもしだす切実さに胸を打たれた。


眠らむとして動くはらわた霜の声       大室ゆらぎ
冬の日を集め眉間を燃え立たす

体感する寒さだけでなく心理的な寒さをも含めたあらゆる寒さを集めた十句に心底寒くなった。なかでも一句目の臓器を介しての極度の寒さに実感がある。起きている間、長時間にわたり直立していた腸は寝る段になってようやく横に伸べられる。自分の大腸を意識するのは案外布団に横になったときかもしれない。眠りにつく自分と自分のはらわたはまさに一心同体。しんしんと音のしそうな寒い霜の夜にはことさらそんな一体感が胸に迫る。
二句目には習字で書いた墨の文字に虫眼鏡で日を集めて燃やした子どものころの思い出がよみがえった。この句では燃えるのは眉間なのであるが、じっと凝視しているうちに、視線の先にある物と眉間とがいつの間にか同一化していくような錯覚に陥ることがある。集めて燃え立たす、という行為がなにか象徴的な意味を持つようで、作者の強い意志のようなものを感じさせる印象的な句である。


ポインセチア付箋はづして本戻す      野崎海芋
待春やマリンバに打つ三連符

用済みとなった付箋を本から外すとき、たしかに心が動くように感じる。時を遡って、その付箋を貼った時点での自分を思い起し、なおかつその時の想いもろとも付箋を残らず剥がすのだ。一連の何気ない動作であるが、過去を消去することには微かな淋しさがある。ポインセチアの赤はそんな心の動きを照らす赤。初期化することにより、その同じ本とまた新しく出会うことも可能になるのである。
二句目では待春という季語が所を得て生き生きしている。二分音符、四分音符など二等分をした場合にくらべて三等分された音は印象をがらりと変える。三連符の突破力には格別のものがあって曲の様相が大きく変わるのだ。マリンバの妙なる余韻が三連符の快活な音色に加わり、春を待つ心がますます浮き立ってくる。




第761号 2021年11月21日 花島照子 フェルマータ 10句 ≫読む

第764号 2021年12月12日 田邉大学 優しい人 10句  ≫読む 

第765号 2021年12月19日 岡田由季 宴 10句 ≫読む

第769号 2022年1月16日 佐藤智子 背はピンク 10句 ≫読む 

第770号 2022年1月23日 大室ゆらぎ 霜 10句 ≫読む 

第771号 2022年1月30日 野崎海芋 三連符 10句 ≫読む 

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