俳句甲子園で(再現性をもって)勝つ方法
岩田奎
0 導入
第26回俳句甲子園が終了した。優勝は史上初の4連覇となった開成高校。最優秀句は〈月涼し伽藍に蟹の道のある 名古屋高校A・小田健太〉。
▼第26回俳句甲子園 全国大会 結果
私は開成高校から第19・20回大会に出場したのち、第21~24回は大学生コーチとして母校にかかわった者である。そして今回大会では、山形県立山形東高校が全国大会への出場を決めた直後からコーチについていた。山形東は去年に続き2回目の出場で、予選リーグで敗退したのち敗者復活戦を1位で通過、決勝リーグで開成と立教池袋Aに敗れ総合3位という結果になった。
これは本番で披露しなかったかれらの句。
皿に一つトマトの影のやはらかし 須藤臣人
トマト捥ぐ手に音楽のありにけり 渡辺悠月
髪二本くくり損ねて秋桜 鈴木沙都
人間のこゑは届かず秋桜 三浦温人
背泳ぎの鳥の道へと手をのばす 木村幸人
開成戦で〈星月夜猫のうんこが待つてゐる 木村幸人〉が出てきて会場がざわついたのは痛快だった。
さて、台風の目をなす開成という学校、参加歴の浅い山形東という学校の両方から大会を見てはじめて、わりあいこのイベントに対する解像度が上がったのではないかと思い筆を執った。
本稿で議論したいのは、山形東を一例にとった、今後の俳句甲子園参加校に対する提言である。
1 王者をめぐる趨勢
かつて開成の戦績には明確なバイオリズムがあった。第10回(2007)から第20回(2017)まで、開成は2連覇しては準決勝もしくは決勝で敗れ、翌年に優勝旗を取り戻すという3年周期の結果を呈している。その後2年連続で優勝を逃し、このたびの4連覇という結果に至るのだが、これほどすんなりと近頃の俳句甲子園が開成を「勝たせてくれる」というのにはやや驚かされた。
負ける年は大体、開成が勝ちすぎているということに対するなんとはなしの抵抗感が会場に漂っている。審査員は句の並びや全体の雰囲気から、この試合/この句だったら落としてもいいのではないかということを嗅ぎとりはじめる。
加えて、華々しい連覇の翌年は大きな世代交代が起り、選手の層としても経験の浅い下級生の多い年になることが多い。主将周辺の実力は例年と遜色なくとも、5句が並んだ中に弱点となるような句が並んでいると、試合の相手や流れによってはあっさりと負けうる。
それでいうと、今年の開成は決して強い方ではなかったと思う。提出句のほか、1年生が1名、2年生が1名というチーム構成にも明らかであるし、しかもかれらはその下級生たちに相当割合の発言を担当させていた(おそらく今年自分たちが勝てない可能性を見越して、それでも下級生に経験を積ませるために)。主力選手がもっと喋っていれば、より危なげなく勝てたはずだ。
史上初の3連覇をすでに達成しているのだし、今年は「雌伏」の年ということにしても違和感はそれほどない。それでも松山は、かれらを負かさなかった。少し迫るという程度では対戦校に旗を上げないという傾向は新鮮である。来年の開成は5連覇を達成するかもしれないし、序盤であっさり負けるかもしれない。しかしどちらにせよ今回大会こそ、俳句甲子園の持つある一定の態度が長い時間をかけて氷解した節目であるように思った。
これまでの俳句甲子園で、他の学校が開成に勝つ事例は無論あった。ただ問題なのは、むしろそれらがたびたび先述の時流と偶然の果実として中途半端にもたらされてしまったせいで、勝因の分析があったとしても過剰なパフォーマンスや弁論術というようなものに回収されてしまい、より実質的なこと、勝利の再現性というものが研究・開発されてこなかったのではないかということだ。それで優勝しても、経験則が次代に受けつがれることはない。極論すれば、開成の3連覇を阻みたいという全体の雰囲気こそが長期的に有効な対抗勢力の形成を阻み、このほどの3連覇、4連覇という結果をもたらしているのである。
本稿が目指すのは(対開成に限らない)再現性のある勝利というものである。加えてそれがなにか特殊な前提条件に依存しない、できるだけ各校に可能な方法となるように記述する。
2 格差をめぐる趨勢
本家の甲子園もそうだが、成立から年数を経た中高生の大会に本当の夢というものはなかなか存在しない。分厚い層の選手を獲得し、充実した指導陣と練習内容を提供できる学校が強いのは当然のことである。特に俳句甲子園の場合、選手層を準備しておける中高一貫校が強いとか、顧問の異動のない私立校が強いとか、そういう話も大きな問題として加わってくる。それから、若いOBOGのことを考えるとどうだろう。卒業先の進路が近場の大学であれば、なにかの折にちょくちょく指導に訪れることが可能になる。これは高校生とは関係のない問題だが、大学生が俳句を続けられる環境の整っている地域やコミュニティは限られている。そういうことも相俟って、投句審査の通過校とか本戦の上位校はほとんど三大都市圏ということになるのが現実である。というか、コロナ禍による地方大会の中断を経て、そのような現実がとうとう隠しきれなくなり、いまもそのままになっている。
というわけで「関係ない学校の俳句の指導をしたら面白いのでは」ということになって、三大都市圏を離れた山形を選んだとき、これは私自身の取組を超えて先行事例になりうると思った。
私が山形東の生徒たちと初めて対面で会ったのは松山でのことである。それまでの2ヶ月間、私たちはひたすらオンラインでやりとりしていた。そもそも平日は仕事があるので隙間時間や休日でのコミットになる。よくそれでいちおうの関係が築けたものだと思うがそこはデジタルネイティブ世代である。ともかくこの方法で指導が可能であることが証明できれば、さまざまな人が俳句甲子園にかかわることが可能になる。
たとえば、俳句甲子園に出場したのち、地元を離れた大学に進学した場合。あるいは離れた都市に住む俳人に選句をお願いする場合。対面でなくても、時間が合わなくてもできることは大きいというのを示しておきたいと思う。
3 俳句甲子園で(再現性をもって)勝つ方法
企業秘密に触れない程度に私たちのやり方を説明するとこのようなものになる。zoomを繋ぎ、句ができた端からGoogleフォームに打ち込んでいってもらう。そうすると自動的にスプレッドシートに句が連なっていくのでこれを見て、良いもの、推敲すれば目があるものに印をつける(佐藤文香さんも灘ABをほぼ同様のシステムで指導していたらしい)。とにかく多作を旨として、字題やテーマ題を与えて生徒の初期段階の発想を逸脱できるような呼水を設計する。
その後私は質疑応答の面倒も(勝手に)見たが、これは一回観客目線で聞いて意見してあげるとかで良いと思う。
「私に務まるのだろうか」という疑問を覚えた大学生などもいるだろうから、私の考える指導者の仕事について説明を加えたい。
指導者の仕事は、というか俳句甲子園で勝つ方法は、8点以上を得るような「いい句を残す」ことではない。6点がつくような「ダメな句を残さない」ことである(賛否が分れることを承知で冒険句を出すのとは意味が違う)。多くの高校が、練れていない句、そもそもアプローチに無理がある句を出してしまって敗れる。そのオーダーの中に他にかなり優れた句があってもである。
じつは、いい句を一句生み出せるか否かの能力について、常勝校とそれ以外の高校に大差はないと思う。それは入賞句のラインナップが各校にわりと満遍ないのを見ても明らかである。逆に開成が100%生徒の互選でやったらあんなに勝てていないだろう。顧問やコーチなど複数の選を経ることで、かれらは冒険はしても大外しはしない安定感を得ているのである。
指導者は必ずしも、いい句へ導くということをできなくていい。ダメな句を出してしまうことを防ぐためのブレーキ役として、俳句をやっているふつうの大学生は十分に機能すると思う。そしてその機能があるだけで、高校生の装備はぐんと戦えるものになる。
畢竟、俳句甲子園が、というか俳句が先達の選によるものだということは今更疑うべくもない。今大会の特徴として、安里琉太(首里→興南)、永山智郎(開成→洛南)、柳元佑太(旭川東→洗足学園)の各氏など、教職に就いた若い俳句甲子園卒業生の指導者たちが目立っていたことも挙げられよう。それってどうなのという向きもあるだろうが、「資本ゲー」または「指導者ゲー」になるんだったら後者の方がずっとマシである。
句や語りにものすごくスター性のある生徒がいたり、指導者の誰かがものすごく頑張ったり、なにか特殊な一年かぎりの奇策に走ったりというようなことには再現性がない。再現性のないドラマを観客側がもてはやすのは勝手だが、私が追求したいのはそれとは異なる、ふつうの学校がふつうに勝ちつづけるというモデルである。持続可能な戦い方というものが滲透していってはじめて、優勝も入賞もしなかった卒業生たちという分厚い層がある程度そのまま俳句界に流入するようになり、俳句甲子園と俳壇が当初の理想通りの幸福な関係を築けるのではないかと思う。
今年の質疑応答(ディベート)には膝を打つようなものも多く、各校の鑑賞力の向上を実感したが、質疑(攻め)にはもう少し改善の余地があると感じた。なにか悪い箇所が明確にあるというのではなく単純に類想的で見覚えのあるもの、破綻がなさすぎて詩的な飛躍に欠けるものに対し、その旨に触れるようなシビアな鑑賞を望みたい。このセンサーの有無もまた、提出句を絞る段階で自分たち自身の発想の独自性を厳しくチェックしてきているかどうかと無関係ではないように思う。
応答(守り)で言えば季語の理解度に不安を覚えるやり取りも散見され、こちらは単純な記号としてではなく実感と奥行きをもった言葉としてふだんの選評などから注意して取り扱う癖をつけてゆけばよいだろう。
4 結語
ところで私が週刊俳句に投稿したのには理由がある。記事の想定読者である高校生がこれをきっかけにこのサイトを知ってくれればという思いである。末尾に私が高校時代に読んでいた週俳の名記事をいくつか載せておこう。俳句甲子園関連とか、審査員の登場するものもちょっと混ぜておいた。
先週俳句ってオモロイなとなった高校生がいきなり読んでオモロイかは謎ですが・・・こういうものが奥に控えているというのを見せられずに何が入口かとも思うので。大人たちはこれまでにさまざまなことを考えてきたようです。特に依光陽子さんの「前置き」は必読。
■テン年代の俳句はこうなる──私家版「ゼロ年代の俳句100句」解説篇 上田信治
■「新撰」「超新撰」世代ほぼ150人150句(上田信治選)
■《悠久》の介入と惑乱 田中裕明「夜の形式」について私がツイッターでつぶやいたこと 関悦史
■"石田郷子ライン"……? 上田信治
前編
後編
■俳壇と「悪魔界のうわさ」、加えて「石田郷子ライン」という語について 福田若之
■愛と幻の俳句甲子園【特集・俳句甲子園】 青木亮人
(1)
(2)
■抒情なき世代 私は世界とどう向き合うか 山口優夢
■岸本尚毅インタビュー
(1)「感覚」から「観念」へ
(2)最適化された「単純」さ
(3)俳句はどこまで「馬鹿になれるか」の競争です(笑)
■依光陽子「2014角川俳句賞 落選展を読む」
0. 書かずにはいられなかった長すぎる前置き
1. ノーベル賞の裏側で
2. 何を書きたいか
3.みんなおなじで、みんないい?
4.ゆるがされない勁さ
5.書き続けるしかない
( 了 )
1 comments:
>開成戦で〈星月夜猫のうんこが待つてゐる 木村幸人〉が出てきて会場がざわついたのは痛快だった。
「痛快だった」に驚きました
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