2024-04-21

ゴリラ読書会〔16号~20号〕最終回

ゴリラ読書会〔16号~20号〕最終回

実施日:2023年2月11日 13時~17時
参加者:小川楓子 川嶋ぱんだ 黒岩徳将 外山一機 中矢温 中山奈々 三世川浩司 横井来季

十句選と選評をあらかじめ作成し、当日は主に評論について話し合う会とした。

 ≫評論要約 小川楓子 黒岩徳将



16号から20号感想及び総評

小川楓子

Ⅰ とくに気になった俳論

01久保田古丹俳論「奇形個室ー崎原風子に寄せてー」(16号)

崎原風子についての理解が深まる評論であった。未読の方はぜひ崎原風子読書会をご覧頂きたい。



02原満三寿「パチン考」(16号)

02-1 大石雄介の俳句(記事内の小見出し)

「海程」の全盛時代を創り上げた代表的な俳人で主宰誌となるに伴い退会した大石雄介について述べている。「海程」所属時代の作品として、

〈青柿打ちつづければかがやく放蕩〉
〈口吸えば産卵期のひかりの漁港だ〉 『大石雄介句祐』(海程新社)より

などを上げ、退会後の作品として

〈天体の騒ぎを鼬の子と見ていた〉
〈毛も見えたりする向日葵に空気ぞ〉

等を上げ、海程時代は言葉がいつも緊張関係にあって一行詩として立っていたが、それがなくなって、表現する主体そのものへののっぴきならなさに集中していると、原は述べている。「するといよいよ自分の生き方即存在そのものということになり、それでなくても厳しい生き方をする人だからどこまでいくんでしょうね。」と書かれた大石雄介の今については、今後別の機会に紐解いてゆく予定である。

02-2 偶然ということ(記事内の小見出し)

本稿は、対談形式となっているが登場人物はいずれも原自身であると思われる。本物の偶然について「この大自然界を賭場とし、五七五という定型の壷を振ってみる。そこから飛び出す宙にほうりだされた言葉が偶然という力を借りて、われわれの前に現出する。そのときはじめてわれわれはある言葉と遭遇することになり、はじめて新しい意味の関係を持つことになるのだ。亀甲占いのようなものだ。天に祈って亀の甲羅を焼くといろいろなヒビが入る。それによって神意を読むのが亀甲占いだ。まさに偶然の亀裂としての遭遇をとうしてか、新しい意味は現出しないんだね。」と述べる。「偶然の亀裂としての遭遇」のみによって出会うことのできる意味について考えさせられる。

03原満三寿「詩人が俳人になる時ー阪口涯子俳句逍遥ー」(18号)

「詳しいことは今は書かないが、大会では、金子兜太さんと大石雄介さんの確執が表面化しはじめてきたところで、兜太さんがしきりに大石さんにいらだった。また、ベテランのО氏が「海程」新人賞の選考のことにつき、不明朗がある、というふうなことを発言したものだから、若い選考委員達が怒りだし、会がしらけだした。そのとき隅で静かに聴きいって座っていた痩身の老人が、座をとりなすような発言をした。坂口さんであった。」と原は同人大会の様子から涯子との出会いを記している。涯子については、今後取り上げたいと思うので、原の引用句のみ記す。

〈蒼穹に人はしずかに撃たれたる〉
〈草原に人獣はすなおに爆撃され〉『北風列車』
〈れんぎょう雪やなぎあんたんとして髪だ〉
〈からすはキリスト青の彼方に煙る〉『阪口涯子句集』
〈灯の海冴えて遠いそこからまだ遠い〉『雲づくり』

Ⅱ「ゴリラ」読書会を通して

谷はなぜ前衛俳句時代の作品を「もう過去のことだ」と私に教えたがらなかったのだろうという問いを解くために『ゴリラ』を読むことにした。当時の俳句や文章は「海程」に所属していた私でもしばしば頭を抱えてしまう読みづらさだった。みなさんのご協力で共に乗り越えることが出来そうです。私の問いは実はまだ解けていないので、これからも他の資料を読み進めて行きたいと思います。毛呂篤の晩年の作を読めたのは私にとって収穫でした。

谷佳紀という作家がどのような活動をしていたのか知りたいと始めた読書会であった。「海程」の主宰誌移行に伴い退会したにも関わらず、後になぜ「海程」に復帰したのか。それは「ゴリラ」を読み金子兜太周辺を知るほどに金子兜太の存在がどんどん巨大に感じられたことでなんとなくではあるが理解できたような気がする。退会した同人は多いが戻って来たという同人は私が知る限り谷のみなので、やはり金子兜太という作家を骨の髄まで知っていたからだろう。当時の勢力図などわからないままに読書会を始めたが、やはり金子兜太は同人誌時代から頭一つ抜き出ていたようだ。読書会では、便宜上、金子派と阿部派という言い方をして、少し気になっていたので大石雄介氏に尋ねたところ、阿部完市は「海程」内部でも理解しない人も多く傍流であったとのことであった。当時のことを知るのはまだまだ読書会を重ねていかなくてはと思っている。17号の編集後記にあった谷の言葉を引用して終わりとしたい。

「所与のものとしての定型はどこにもない。一句を書くたびにその定型は自立し消滅する」


黒岩徳将

Ⅰ 要約を行なった評論の感想

■多賀芳子「ゴリラ圏股覗き その三」(ゴリラ16号)について

多賀の山口蛙鬼・在氣呂・妹尾健太郎評は私の「読者としての「ゴリラの句にどう相対すればよいのか?」という疑問に一つのヒントを与えてくれたように思われる。

三人、特に山口句に顕著であるのだが、俳句のために取材する対象・素材そのものは生活実感を備えた身辺的なものである。しかし構造・韻律、言葉と言葉の微妙な距離感などは「ゴリラ」ならではの姿を見せてくれる。

あせてゆく葉っぱのこゝまでひびき洗濯機 山口蛙鬼

梅雨の家洗濯機放し飼いのごと走る 同多賀は「”ここまで”に、こう詠わずにいられない思い入れのふかさ、上っ面の知ではかれない一途な人間性」を認め、「“洗濯機”くんのご機嫌なさまが彷彿としてくる。」とシンパシーを隠さない。「彼の体内から無辜的(可笑しな言い方だが)に湧出される生活のリズム」を認めつつも「一方で、この人の「修羅」を垣間見たくなる」と対極の方向性を夢想することにオリジナリティの読みを期待させる。

感受性を前面に出した句には評者の感受性をもっと迎えうつべしと言わんばかりの多賀評を楽しく読んだ。一方で妹尾健太郎句の「あした咲く白木蓮の息吹き好き」について、「素直な抒情に充たされている」と後押しつつも「俳句の本道ともいいたい日本的美意識に忠実な軌道を歩いていったら楽々と”正道”を闊歩出来ると思う。」と欲を出すのだが、この欲の出し方については「そもそも”正道”を意識していたら「息吹き好き」とは書かないのではなと疑問が残った。多賀の立場からすると妹尾の「素地に伝統的な俳句理念がゆたかに在るらしいことは想像出来る」と感じられるのかもしれないが、曖昧な「伝統」という象徴一つとっても立脚する足場によって見えるものが違うのではと思わされた。このバイアスを一人一人の評者の評言からつぶさに見ることもまた「ゴリラ」を読む楽しみなのではと再認識した。

総じて多賀評は逐語的な精読分析ではないためにどのような思考プロセスでその評に至ったのかの道筋が時に見えないのだが、それでも「ゴリラ」に掲載された句評の中では一句読解から受けた印象をわかりやすく示しており読みやすい評言であった。

■原満三寿評論「詩人が俳人になる時―阪口涯子俳句逍遥―」(ゴリラ18号)

『阪口涯子句集』「LONGS之章」の次のような句を、阪口自身は最終的にどのように位置づけたのだろうか。

門松の青さの兵のズボンの折目の垂直線のかなしい街
海峡はいちまいのハンカチ君の遺髪ぼくの遺髪をつつむ 

上記二句を読んだだけの印象であるが、私には、最終成果物である句は、阪口自身の身体から出力することで得られる経験値のようなものを活かして作っていたようには思えず、成功していないと感じる。「門松」と「垂直線」は形状イメージとして繋がるが、言葉の持つサイズ感の伸び縮みに読者としてなかなか整理がつかない。

原の論の中で、阪口の代表句として挙げられている句について。

れんぎょう雪やなぎあんたんとして髪だ
生きづくり激浪その他すべては散り
アフリカのこぶ牛などもみてしまいぬ
海辺にてあしたのことも解りますの

「LONGS之章」と比較すると確かに、阪口が自分のスタイルを定めたような書き方をしているように感じられる。

正直なところ連翹や雪柳の連なるイメージから「髪」へ帰着する比喩にはさほど飛躍はないのではないか。そうすると一句の眼目は「暗澹」ではなく「あんたん」であることとリズム感である。表記が作るバランス感覚が内容にとどまらずリズムに影響を及ぼしている点が興味深い。この句は明るいのか暗いのか、口誦性により撹乱される。

「海辺にてあしたのことも解りますの」についての原「おどけたユーモアばかりが目について、もっともらしいことを、いかにもなにかありそうに見せたまでのことで、とるにたらない」は、必要な議論ではあると思うのだが、正直なところ「の」に気を取られすぎな気がする、もしくは一句に具体物が見えづらい描き方のため”の“に全体の負荷がかかりすぎていることの方を議題にするべきではないだろうか。

からすはキリスト青の彼方に煙る
空に鳥たち茗荷はうすく礼装して
凍空に太陽三個死は一個
胸にラッセル逃亡の一群獣写り
老ゲリラ無神の海をすべてみたり

原が「口語俳句に決別すると、次のような句が立ち現れる」として挙げているこれらの句は、何を象徴しているのかはわからないものの、一句の中での目指している世界観や方向性は空中分解せずに結晶化されているように思われた。一方で、原は上記の句よりも、「哀のアフリカ海に落葉がふりしきり」「うめさざんかの快楽はあり海辺」の方を評価しているのだが、筆者にはこれらの句の放埒さを魅力的に感じる部分があるものの、原の比較軸が曖昧なのではと感じる。

若夏(うりずん)という居酒屋のこの白花
灯の海冴えて遠いそこからまだ遠い

原が言う「いわんとすることの前に」ある「心地よさ」をびしびしとは個人的には感じられなかったが、特に「灯の海冴えて」の句には、対象物があってそれを表そうとする書き方ではなく以前に、ある対象に立ち止まることで自分の中に無意識に立ち現れる感覚を素手でつかみとるような感覚を句から得た。力の抜き加減や、原が評論内で否定する「客観写生などという、いいかげんな手法」とは一線を画していることは納得できる。

原の評にも丸ごと納得することはできないのだが、自分の感受の仕方にも強い芯を持てないことが悔しい。

■阿部鬼九男「トゲの刺さった俳句あるいは戦後俳句の一断面〈多賀芳子掌論〉」(ゴリラ19号)

90年生まれの筆者にリアルな時代の空気感を掴むのは難しい。しかし、たとえば次のような句に、阿部が「多賀芳子が戦中・戦後をくぐり抜けてきたゆえに、その興味が現在につながるのだ」「その(=多賀、筆者補記)の里程を、あるいは傷跡の方になるかもしれないが、見届けたいと思ったのだ。」と言いたくなるようなムードが漂っていることはわからないでもない。

鳥ら地を産みまっすぐにくる車椅子(『餐』、1959〜1975年の作を収録した第二句集)

締めくくりとして、阿部は多賀の傷のある俳句を「世間にざらにある晴朗俳句や健康俳句」よりずっとましだと断じるが、これはたとえば川名大が言うような「俳句のホビー化」と≒な現象に警鐘を鳴らしているのだろう。

半旗かかげる河馬一丁目のほてり
赤ん坊のまんかなくらし(※ママ)夏の月
車椅子地球をころげ落ちむか麦秋

全体には素直さ→混迷と喧騒→安定への多賀の句の性質の移行が語られたが、作家論としては割合挙がっている句の数は少なく、さらなる資料収集が望まれる。


Ⅱ ゴリラ全体感想

16-20号を読み終えても、何の能力を鍛えたらこれらの作品を噛み締めて深く読むことだができるのだろう、という思いに囚われていた。創刊号を読みはじめてから浮上したこの疑問は拭えない。おそらく「学習」や「習熟」という発想自体がよりよい句の鑑賞に直結しない。

最初は、A「主述の関係をある程度類推できるが、物理法則や通念からの飛躍がある句」とB「主述の関係が明らかでない句」では手触りがまるで違う。たとえばAの例として「ほうれん草になりそう石に耳が湧く/谷佳紀」、Bの例として「あ・い・うインク壺から独逸/早瀬恵子」が挙げられる。〜」などと考えてしたのだが、構造的に捉えすぎることも馬鹿馬鹿しくなってきてやめた。

16号にはゴリラ参加者の一句評が書かれている。「朝はじまる海へ突っ込む鷗の死/金子兜太」「しんしんと肺碧きまで海のたび/篠原鳳作」など、ある程度俳句の界隈で評価の定まっている句であり、「ゴリラ」諸氏の句の方が全体に難解であると思う。しかし萩原久美子が「しんしんと」の句に付している評「束の間、形而上的な清らかさの中に〈自己を〉凍結させてみようではないかー過去・現在・未来を繋(つな)ぐ水の上に…」は美しく、こういった美意識の上の延長線上に萩原句「うとうとと母が目を欲る十三夜」などがあるのかもしれないと考えることは実に楽しい。


外山一機

Ⅰ 評論について

01「パチン考」(16号)

90年前後の大石雄介の作家的なありかたがうかがえたのがおもしろかったです。
 
02「行動の時期がずれた草城」(17号)

概ね賛同しました。草城の句の革新性と限界、また新興俳句運動における立ち位置が過不足なく論じられているように感じました。ただ、これを谷さんが書く意味が谷さん自身にどれだけあったのかという点がわかりませんでした。
 
03「編集室酔言」(17号)※谷さんの文章

ささやかな文章ですが、谷さんの定型詩との向き合いかたがよくわかる文章だと思いました。季語・定型を自明のこととして書くということへの疑問や、定型を疑う者がなぜ定型詩を書き続けているのかという問い自体はこれまで何度も繰り返されてきたものであり、その意味ではこの問いそのものには新しさはありません。しかしその時代時代によってその問いを書き手のうちに醸成せしめる状況が異なっていたように思います。したがって谷さんたちと現在の書き手とでは、たとえ問いそのものは同じであっても、その問いを持つ動機が異なっているような気がします。その違いも含めて、検討の意味があるように思いました。
 
04「詩人が俳人になるとき」(18号)

阪口涯子概論として明快な文章だと思います。末尾の、晩年の涯子の作品に対する肯定的な評価は、当時の原・谷両氏の目指していた俳句表現の方向をうかがわせます。

Ⅱ 全体の感想

「海程」を外から見ている僕にとっては、とくに「海程」が兜太主宰になって以降の「海程」の作家たちの動きが見えにくく、その一方で兜太論が数多く流通しているために、ともすれば「海程」という場の持っていたポテンシャルと兜太や数名の書き手から推測できる作品の振り幅とを安易に重ね合わせていたように思います。いま思えば、ずいぶん目の粗い見方をしていたような気がします。今回「ゴリラ」を全号通読して、海程がその変質とともに失っていったように思われるものが、良くも悪くも多分に変質的な形で飛び出していって「ゴリラ」というかたちになったのではないかと感じました。それだけに熱量が大きく、また危うさもありますが、それは、たとえば同時期の「俳句空間」が体現していた危うさとも違い、これもまたおもしろいところだと思います。こうした、小さくとも熱い表現の場というものは当時他にもあったのではないかと思います。だから、安易に「平成無風」などと言う前に、せめてこうした場を一つ一つ拾い出して、当時何が起きていたのかという同時代的な状況を洗い直していく必要があると思いました。とはいえ、こうした検証作業は当時活動していた方々でないとわからないことが多いと思うので、なかなか厄介だとも感じます。


中矢温

Ⅰ 評論

説明不足で難解だったという点で印象的だったのは19号の阿部鬼九男の「トゲの刺さった俳句あるいは戦後俳句の一断面―<多賀芳子掌編>―」である。抒情に流されて書いているように思った。阿部が多賀の俳句をどのように取り上げて論じているかについて一部引用する。中矢の思う疑問点〔*n〕はコメントで付した。
振り返れば、第一句集『赤い菊』(一九三七―一九四七年)はもっと素直だった。その身のほてり〔*1〕を抑えるようにしながら、つまりは俳句形式に身を添うようにして

  烈日のしんしん昏き桔梗かな
  あなうらのあつきに佇てり霧の海

と詠った。自分の熱き身〔*2〕を予定調和風な季語〔*3〕に包んでいくような詠いぶりだった。第二句集は晩年の北原白秋から「あつき」より「ぬくき」の方がよいと言われた句だろうだが、ここは多賀に加担する。青春の身は「あなうら」でさえあついのだ〔*4〕。多賀芳子はそういう〔*5〕人だったと思う。

一九六七年以降の未完句集「双日抄」(仮題)からは次の句を抜く。

  ゴリラほどしずかに紅葉の山下る
  半旗かかげる河馬一丁目のほてり
  赤ん坊のまんかなくらし夏の月
  車椅子地球をころげ落ちむか麦秋

ようやく〔*6〕喧騒さ〔*7〕がひそまり、彼女はここでは呼吸を整えて来た〔*8〕ようだ。ただし、これは抽出だからそういえるのであって、まだまだ世間に未練がある〔*9〕。依然俳句定型をゆすって考えている〔*10〕のもそのひとつ。五七五などにはぼくも拘っていないが、定型をどこで差焦るかは、評者よりもむしろ実作者の最も重要な課題なのである。早い話が、ここでの初句では下五にこだわらず、「山を下る」とした方が呼吸を整える〔*11〕には適していると思う。

他の評論にも説明不足論の飛躍や、比喩表現故の難解さ(かつ魅力)を感じることはあった。しかし大体においてそれは評する作家の作品を肯定する文章であったために、それらのある種の傷(と魅力)は気にならなかった。
〔*1〕何の比喩?
〔*2〕作中主体という発想はなく、作者=作中主体?何の比喩?
〔*3〕「烈日」の激しい太陽に、秋の涼しげな「桔梗」を合わせるのは意外性があるのでは?
〔*4〕理由は本当にこれか?
〔*5〕どういう?
〔*6〕ネガティブな評価を感じる
〔*7〕「俳句形式に身を添」わせていたのでは?
〔*8〕どういうこと?
〔*9〕この句を挙げていないので、実証性に欠ける。
〔*10〕「ゆする」とはどういうこと? 定型に捕らわれているということ?
〔*11〕どういうこと?

Ⅱ ゴリラ読書会全体を通しての所感

俳句

定型や季語という装置に無批判に依存するのではなく、毎回再検討して句作しているという印象を受けた。それぞれ作風は異なるのだろうが、全体としてそういった句作における問題意識を共有している緩やかな共同体だったのでは。

評論

力や気持ちの乗った文章で読み応えが凄いと思った。ただ、私の現在の読解能力や俳句の知識の不足のため、谷佳紀や原満三寿の評論を十分に理解はできなかったと思う。

移民俳句に興味のある人間として、アルゼンチン移民の久保田古丹の作品を読むことができ、かつ久保田の語る崎原風子論を読めたのはとても貴重な機会だった。なお、井㞍香代子先生の『アルゼンチンに渡った俳句』の第一章「日本人移民の俳句普及活動」に久保田古丹と崎原風子の二名が立項されているが、参考文献として『ゴリラ』は挙げられていない。久保田古丹の主宰誌ではなく、普通に検索するのでは見つけづらいだろう資料だろうと思うが、惜しまれることかもしれない。両者が互いに評したという点で、特に6号の崎原による「久保田古丹さんのこと」と、16号の久保田による「奇形個室―崎原風子に寄せて―」が必読だろうか。本文中での崎原の俳句開始の契機についての説明にもより厚みが増すと思うし、久保田と崎原が日本との繋がりのなかで俳句を書いていたことがより見えると思うし、両者の代表句の紹介句も変化したかもしれない。久保田と崎原の両者の、師弟でもなく、親子でもなく、友人というか同士というか名状こそしがたいが、よい関係であることが見えると思う。

■ゴリラを読んで良かったこと、気になったこと

良かったことは、『ゴリラ』を読まなければ、一生名前も作品も知らないままの作家と作品に出会えたこと。気になったことは、終刊の経緯。

■新たな課題としてやってみたいこと

・『海程』を読む

・ゴリラの人々の句集の読書会
→谷佳紀、原満三寿、毛呂篤、早瀬恵子、大石雄介は見つかったが、他の例えば鶴巻直子や多賀芳子(19号の阿部鬼九男によると第一句集『赤い菊』があるらしい。多賀よし子の名義かも。)、山口蛙鬼、久保田古丹、猪鼻治男は句集を出していない?(リサーチ不足かも)


中山奈々

これは全体的感想でもあるのだが、「ゴリラ」は、

①定型を疑うこと
②日常を疑うこと
③季語が絶対的友達であるかを疑うこと
④そもそも俳句というジャンルを疑うこと

のスタンスが、各人の作品や評論を面白くしている。しているというか、わたしたちが、なんだこれは!! と面白がれる。わたしたちのなかからも出てきてもいいはずの発想(ニンゲンはまあまあ疑り深いじゃないですか)だが、それを糧に実践、つまり作品にしたり評論にしてこなかった。うーん、主語が大きいか。とにかくわたし個人でいうと、そういう目線はあったはずで、いくらでも出来たはずだ。と、後だしじゃんけんをする。

で、こんな後出しじゃんけんをするようなニンゲンにも、ああいいよ、やってごらんよ、ぼくらもやっていたんだしと明るく言ってくれている。気がする。

さて、定型を疑うこととは、定型をやめることではない。まして、定型を否定することでもない。生まれ来て、何故自分は生まれたのか。何故生きているのか。どこに向かうのか(死とはなんだ)と考えるのに似ている。決定的な結論は出ないのだけれど、それをするかしないかの差は大きい。なんとなく生きているのと、探り探り生きているとが違うように。しかも探り探りを面白そうにやっている。

定型を疑うなかで、本当に中七や下五がオーバー字数、音数したらダサいのかというのが出てくる。わたしはダサくないと思う。むしろ定型に収めるためにもぎ取られた言葉が痛々しく見えるときがある。オーバーを余裕といいたい。余裕のある句といいたい。「ゴリラ」の句にはそれが多い。必要な長さ。と少し異なるのだが、

 ひょっとしたら来るかもしれない秋雲 久保田古丹 
 青空をたべて消化しきれない木馬   久保田古丹 
 解体されてもしようのない死体は冬だ 久保田古丹 

「秋雲」「木馬」「死体(は冬だ)」に向けてしずかにゆっくり語っているのに、それぞれが末にぽんと置かれたことにより急に引き締まる。というより縮みあがる。ひとによっては余裕とは反対に窮屈ではないかと捉えるだろう。これは微妙な緩急の取り方なのだ。定型のリズムを残しつつ、その上で緩急をつける。セッションだ。

古丹さんの句に惹かれるのは「ない」という否定の形が多いからだろうか。否定といったが、「ない」の対は「ある」である。存在するものを認識して、「ない」という。つまりこの世には「ある」のだ。しかもおそらく「ある」世界のほうが圧倒的前提なのである。これに「ない」世界を見る。前提のマテリアルはいつだってみんなと同じように見えるわけではない。十一面観音が十一面かどうか、そして面がきちんと面として見えるのか、わざわざ確かめることなんてしないが、それが必要なのだ。本当にそうなのか。見すぎて変になるなら、本望である。

 精液薄いぞ馬とも石ともつかぬ 谷佳紀 
 服はほとんど刃物で精液のこのまぬけ

〈途上はすでに〉と題された作品は十句中八句「精液」であり、最後の二句も「精液」は出てこないが、それに関連した句である。精液をとことん見つめたといえるかどうかわからない。ただマテリアルの精液が、モチーフにまで昇華していることはわかる。ときに新しい句を、ひととは違うものを求めるとき、素材を奇抜にしてしまうことがある。「精液」はどちらかといえば奇抜かもしれない。が、精液を要する性の生き物にとれば、日常の範囲内なのだろう。何が日常か。日常という素材の、何が句を誘因してくるか。意欲を掻き立てるか。掻き立てられて思考は駆けて、広野を掴んでくる。

その広野において、わたしたちは季語を杖としている。確かにぬかるみにいても、季語はしっかりして頼れる。季語に頼りすぎてぬかるみで安堵している句がいいとは限らないが。俳句人口の大半が季語といる。俳句の絶対的友達という認識である。季語を疑うというと、季語が必要か否かと思われがちがだが違う。友達が友達として居心地良くできているか、友達としてあまりにも一方的に利用していないか、信用しすぎていないかと考えることである。あるいは友達なんだからもっとラフに出てきてもいい。

 鯨撃ちの放尿さんたる燈台 原満三寿 

そして「ゴリラ」17号に詩や小説を載せることに、さて俳句とは、と思わされる。それは評論や座談会を読んでいてもそうなのだけど、俳句の話をして、例えでパチンコが出て来たり、連句に触れざるを得なかったり。わたしたちは本当に怠ければどれだけでも怠けられて、ひたすら句を作ることだけをしていてもそんなに咎められることはない。自ら荊の道を行く必要はない。まして、元の所属誌「海程」(という兜太さん)に言及せずとも違う論考はいくつも出来る。しかし触れてこそ進める。俳句そのもの、その俳句を作るひとたちの集団、それを取り巻く状況は一瞬にしてクリアには出来ないが、もがいてもがいてじっくり見つめ直す。優しくも厳しい視点で。それはまさにひかりをたくさん含んだゴリラの瞳のようである。
 

三世川浩司

Ⅰ 今回の号の感想

16〜20号を通じての感想を手短に言うと「掲載された多様なジャンルの文芸作品や論との無意識な相対化により、俳句詩型における韻律・一語の強度・季語の存在理由を考察する良い機会を与えられた」になります。さらに自分にとっての俳句詩型は、なぜ生理的距離感が近いのかということも。反面、詩型や論の多様性が、『ゴリラ』の志向や理念の一貫性ある把握に、混乱をまねいた向きも少なからずありました。

そんななかで個別には、特に19号の「詩人が俳人になる時ー阪口涯子俳句逍遥ー」に多く得るものがありました。以前から阪口作品には、燭に浮かびあがる聖堂伽藍のような精神性により惹かれていたのですが、ときに垣間見せる知的な佶屈さや重さに疑問を懐いていました。これについて、阪口の人間性や詩性など表現行為の背景の提示があり、理解が進んだ次第です。

Ⅱ 全体を通しての感想

主に同人誌時代の『海程』で作られ、一般的に前衛俳句と称された作品の鑑賞において、どんな魅力が価値があるのか、言語化できないこと度々です。そうした状況で『ゴリラ』全20号を通じての作品評に限らず俳論や作家論から、言語化のテキストと指針を得られたことは大でした。これに関連して、主に谷と原の論評にはポスト前衛への志向が読み取れました。ですのでそのコンセプトの具現化として、『ゴリラ』という場での両名その他たとえば崎原風子や前田圭衛子による、さらに叶うなら大石雄介による作品をもっと鑑賞したかったです。

個別には、敬愛する毛呂篤や崎原風子他の作品と俳句シーンやムーブメントに対する、読書会参加のみなさんの多角的な評と考察に多くを教えられました。総じて上記作家等の『ゴリラ』に掲載された数々のーおおよそ前衛俳句と称されるー作品の存在理由を再認識・再確認できてうれしく思っています。

追記として。前回、自分がたまたま口にしたことを記憶されていた中矢さんにその刊行を教えられ、外山さんご尽力の『宮崎大地全句集』を入手できたのは僥倖でした。


横井来季

Ⅰ 16号~20号

普段通りの印象だった。なんというか、「ゴリラ」らしい句が多いと。だから、20号で、「ゴリラでやれることはほぼやり終えたのではないか、これ以上続けてもマンネリズムのだらだらした物になりかねないということ」と書かれているのは、その通りだと思う。というのも、前衛的な句が、「ゴリラ」には多く並んでいるが、その方向性がある程度定まってきたようが気がするからだ。そのため、句はいつも通りといえば、いつも通りだったと思う。評論については、19号にある、多賀芳子論の、「多賀は現実の生活のなかに入り込む社会の混乱を受け止めながら、政治体制の変革だけでは問題の解決にはならないことを体験的実証的に知っていたのだろう」と書かれているのが、どうにも気に掛かった。私は、多賀のことをよく知っているわけではないが、作品を見る限りでは、そうとも言えるし、そうとも言えない程度の指摘な気がした。むしろ、多賀の句は、政治体制の変革だけでは問題解決できない「だから」……と続くような感じがするが、むしろ私は、どちらかというと、多賀は俳句好きなおばあちゃんのような感覚がする。

Ⅱ 全体の感想

「ゴリラ」の俳句は、従来の俳句から、俳句性を取り除く試みが行われているものが多かった。だけれど、それが何か特定の方向に偏っていった結果、マンネリに陥ったような気がしなくもない。俳句は、俳句になった瞬間から、(たとえそれが日常のものを描いていても)日常と非日常のハイブリットとして、作品としては現れる性質がある。そのため、その俳句性を取り除こうと思ったら、そのどちらかだけを抽出する方向になる。だから、「看護婦が襁褓を床にたたきつけ 猪鼻治男」(18号、p8)のような、率直にすぎるものができ、逆の方向では「傷だらけの魚すくわれて廊下をはしる 猪鼻治男」(18号、p8)になる。だけれども、そうすると、句作上の武器が、他には韻律ぐらいしかなくなってしまう。だから、最終的にはマンネリになってしまったのかなという感じがした。

それと、多分「ゴリラ」の句は、評論がセットの方がいいのではと思う。それは、「ゴリラ」の句が、一句独立で成り立っていないというわけではなくて、その良さを理解し、言語化してくれる良き読者がいてくれると、こちらとしても勉強になるところが増えるからだ。実際、最初の読書会では、「これは、何を選べばいいんだろうか」と酷く迷った記憶があるし、毎号掲載されている評論・俳論も、本質論よりはどちらかというと、作品論の方が面白かったように感じる。全体として、とても面白かったのだけれども、欲を言えば、最後、マンネリを理由に終刊するのなら、そのマンネリの理由について、もう少し深く掘り下げて欲しかったとも思います。

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