2024-05-26

渡部有紀子【週俳4月の俳句を読む】世界を知るために

【週俳4月の俳句を読む】
世界を知るために

渡部有紀子


私たちのいる世界は言葉で出来ている。母語以外の言語を学ぶと、また新たな目で世界を眺め始めることができるのだろう。


아이 우유 오이 なぞつてゆけば文字となり  原麻理子

それまではただの記号のように思えていたものが、声に出しながらなぞっていくことで、一定のきまりを持つ文字として作者の中に立ち上がってゆく驚き。
上五のハングルは「アイウユオイ」と読むらしい。敢えて日本語のルビも付さずに冒頭から提示することにより、読者に「これ、何て読むの?」と面喰わせ、調べさせる。読者がこの文字一つ一つを声に出して読めた時、もやはこれは文字であるという認識は作者だけのものでなく、読者とも共有させられる。そんな仕掛けのある句。

教はつて呼ぶその花を개나리(ケナリ)として  原麻理子

「개나리」は、和名では「連翹」。日本にも咲く花ではあるが、とりわけ韓国では春を代表する花として愛され詩歌にも詠まれてきたという。冬の寒さが日本よりも厳しい韓国では、その花によって感じられる春の訪れに対する喜びもひとしおである。「ケナリ(개나리)」と呼べば、そこには人々の生活実感や文芸・芸術の歴史によって形作られてきた重層的なイメージが出現する。植物学上は同じでも、日本語の「連翹」とは全く違う世界を構成するものなのだ。今、作者はその世界の入口に立っている。


よき岩に足跡あまた磯遊び  田中木江

何らかの岩を「よき」と捉えるのは何故か?足場に丁度よい位置にあるから?形が足を掛けやすいから?いずれにせよ、何らかの目的をもって人間が自然世界と対峙した際に発せられるのが、「よき」という言葉なのだろう。


たんぽぽの花びら数え始めけり  うっかり

作者は「数」で世界を把握しようとしている。文語文法に基づきながら現代仮名遣いの使用という表現方法を選択している作者である。そこに、今の自分が息をしている言葉で、世界を見つめようという決意を感じる。


つちふるや八坂の塔を鳥かすめ  千鳥由貴

黄砂によってどんよりと曇った空を見上げても、飛び去るものの色や形を視覚で捉えるのは難しいのが現実だろう。だが、作者は塔を掠めたのは鳥である確信している。その理由は飛び去る速さであったり、影の大きさであったり、もしくは鳴き声であるのだろう。「鳥」という動物を、我々は単にその形状のみで捉えている訳ではないと、いうことを改めて教えてくれる句である。


千鳥由貴 船便 10句 読む 第885号

田中木江 さくらえび 10句 読む 第887号
原麻理子 おぼえる 10句 読む

うっかり たんぽぽ 10句 読む 第888号


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