【週俳6月の俳句を読む】
語り手はその背後から
鈴木茂雄
こんな文章と出会った。「書くこと。それはこころを込めてなにかを拾いとどめようとすることだ。ひろがりゆく空虚からくっきりとした断片を救いだし、どこかに、わだち、なごり、あかし、あるいはしるしをいくつか残すこと。」これはフランスの作家ジョルジュ・ペレックの作品『さまざまな空間』の中の言葉だが、この「書くこと。」というのは断るまでもなく小説やエッセイのことを言っている。が、まるで俳句の創作過程にかかわる言葉のように、わたしには聞こえる。次に引くパウル・クレーの芸術論などもまた、俳句論にも通底する示唆に富んだ言葉を含んでいる。「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、目に見えないものを見えるようにするものである。」このような言葉を念頭において、わたしは俳句を読もうとしている。はたしてこれから読む作品は「くっきりとした断片を救いだし」ているだろうか。「見えるものをそのまま再現するのではなく、目に見えないものを見えるように」しているだろうか。そういうことを検証することが、たぶん「俳句を読む」ということなのだろう、と。
蘭鋳の欲深さうな瞼かな 桐山太志
この句の焦点は「瞼」にある。「目は口ほどに物をいう」というが、瞼はどうだろう。たとえば強欲な高利貸しの役には、ぼってりとした瞼の俳優はぴったりのはまり役といえるだろう。なぜなら演技の良し悪しもさることながら、ぼってりしたその瞼の容姿だけで「欲深さうな」性格を内奥まで曝け出すことができそうに思えるからである。作者は蘭鋳の頭部の瘤を見ているうちに、ふとそれに似た人物のことを思い出したのかも知れない。欲の深さには底がないというから救いようもないが、当の蘭鋳はクーラーのよく効いた金魚鉢で、欲も得もなく優雅に泳いでいることだろう。
捨て所なく左手にラムネ瓶 犬星星人
「ラムネ」はちびちびと飲むものではない。一気にぐっと飲み干すものだ。それが清涼飲料水というものだろう。だが、今日の作者にとっていっときの清涼感のあとの所在のなさは、手に持っている空瓶そのものだったのである。「捨て所なく」にその心の表れが見てとれる。その日の天気まで曇っていたに違いない。そういえばビー玉で栓をしたラムネはサイダーほど炭酸が強くなかったように思う。子供の飲み物だったからだろうか。
ピンセット冷たく眉を抜く西日 牧野冴
物語はたった一行の描写からはじまる。古いアパートの狭い部屋。西日が容赦なくその部屋の奥まで差し込んでいる。扇風機が音を立てて回っている。これから出かけるところなのだろうか。鏡台にむかっている。若い女だ。(この状況から主人公が女だと判断するのはフェミニズムの観点からいうと、いかがなものかと思わないでもないが)ピンセット自体の冷たさと西日の窓が対比をなして、窓から射す西日の鏡の前でピンセットで眉毛を抜くシーンは、なぜかどこかで見たことがある昭和の映像と重なる。「冷たく」という形容はピンセットだけではなく,その眉毛を抜く女の表情をクローズアップして、語り手はその背後からゆっくりと多弁になってゆく。
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