2026-07-05

「週刊俳句」1000号 西原天気×上田信治 対談 1000号をふりかえって〔後編〕

 週刊俳句1000号 対談

1000号をふりかえって〔後篇〕

西原天気 × 上田信治

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■ 「落選展」あれこれ

信治●「角川俳句賞落選展」も、ありました。

天気●話題になりましたね。人によって捉え方は違うだろうし、いろいろな意義も見いだせるでしょうけど、私が思ったのは、一次予選というブラックスボックスにちょっと穴をあけたという点。落選展には、一次予選を落ちた作品が多数並ぶ。『俳句』誌には通過した作品が並ぶ。比較できるわけです。

信治●たしかに。以前は、受賞作以外は掲載されなかったですからね。

天気●考えてみれば、落選作は、闇から闇へ、ですね、きほん。

信治●いまのような、候補作がいっぱい載るかたちになったのは、飯田さんの編集長の時代で「上田さんには悪いけど、今年から候補作を載せるよ」的なことを言われた記憶があります。

天気●「悪いけど」って(笑。いい人ですね。飯田さん。

信治●ただ、賞に対するアンチという意図はまったくなくて、それよりは、せっかくの50句作品なんで、人目に触れさせようよ、と。れおなさんが、『俳句』の時評的な欄で、田島風亜さんという方の50句をとりあげてくださったこととかはよかった。あと、クズウジュンイチさんがどういう書き手かとかって、落選展がなかったらみんな知らなかったと思うので、作品発表の場として、機能していたとおもいます。

天気●落選展って、たしか週刊俳句が最初ではなくて、ハイクマシーン、佐藤文香さんと谷雄介さんと信治さんの3人ユニットがまず落選展をやったんですよね?

信治●はい。はじめは、ハイクマシーンの二人にあおられて、ハイクマ全員、「角川俳句賞」と「俳句研究賞」合わせて100句で応募しよう、というアクションでした。賞に、よってたかって応募しようぜ、という。俳壇に入れてほしくて応募するというよりは、そこに我々が参加することで、勝手に自分たちのお祭りにしてしまおうと。はい、落ちましたー、こんな作品でしたー、来年はもっとみんなで応募して「落選展」で騒ごうぜという。なんていうんだろう、バカだったのかな(笑)全体として、この試み、編集部からしたら、ご迷惑でしかない。角川はよく見逃してくれていたと思います。

天気●想像するに、あくまで想像ですが、苦々しく思ってたんじゃないですか。落選展だけが理由じゃないでしょうけど、「あの週刊俳句ってやつ。なんなんだ? あれは」みたいな感じ。と、そのほうがおもしろいんですが、実際は、それどころじゃないと思います。月刊誌の大変さは、いちおう経験して知っています。『俳句』誌にとっての「外部」は、原稿依頼する(有力)俳人諸氏までで、その外側、週刊俳句も含まれますが、「大気圏外」だと想像します。

信治●「角川俳句賞」という名称は、使ってましたし、応募要項にも、その賞の応募作を、こっちに送ってくれと書いてる。正面から「やめてくれ」と言われたら、やめざるをえない。

天気●角川の対応如何、ということですね。この場合、一般的に、本家としては鷹揚が一番。狭量という印象を避けるべきですから。その意味では正しい対応。それでも落選展主催者の信治さんとしては、不安を抱えながらだったのですね。いま知りました。

信治●や、まあ、いざとなったら「ごーめーん、あやまったら、しまいや」くらいのスタンスで。

天気●それ、だいじ。

信治●依光陽子さんや仲寒蝉さん、岡田一実さん、対中いづみさん、佐藤文香さん、藤田哲史さん、谷雄介さん、生駒大祐さん、三島ゆかりさん、堀下翔さん、山田露結さんと、そうそうたる方たちに「落選展を読む」を書いていただいた。週刊俳句は俳句を読むことを大事にしてきたという自負はあります。

天気●はい、読む運動、でした、週刊俳句のそもそもが。ただ、この「落選展を読む」というのは、ほんとうに大変な作業です。50句を10作品、20作品と読んでいくわけですから。

■ 俳句の風景/やりきったみたいな言い方

信治●でね、二つの池の水位を測るの話に戻るんですが、落選展はじめたころは、「俳句」が、風土詠にすごく力を入れていたじゃないですか。天気さんが、一回だけ応募して次点になったとき受賞した方も、そうでしたよね。

天気●ああ、そうでした。調べると2006年。バリバリの風土詠でした。漁村だったかに舞台設定したような連作。次点というのは角川賞にはないので、私のが最後まで俎上に載ったということですね。ただ、あの一連の出来事は私にとって、俗に言う黒歴史。あと、それから、あのときかぎり「1回だけ」と、私も記憶していましたが、週刊俳句に落選展を見ると、その後、2回かな、応募していますね。予選を通過しなかった。

信治●天気さんは、一回目の応募で、しかもいつもの天気さんの俳句で、最終候補に残ったんで、実力見せたなという印象でした。

天気●んんん、どうでしょうか。実力はない。信治さんたちが盛り上がっていたので、それじゃあ、ちょっと付き合うか、という感じで、覚悟もなかった。自分ではあまり気に入っていない50句でしたしね。それを言うのなら、村田篠さんは、俳句研究賞の最初の応募で、いいところまで行った。黒田杏子さんに激賞されてましたし、信治さんも、角川俳句賞の選考座談会、この流れだと信治さんの50句だろう、なんで、最終的に違う作品? という回がありました。まあ、それはともかく、風土詠の話。

信治●あのころの「風土詠」推しは、自分からするとピンと来ない。内容とか素材の、俳句かくあるべしから入る方法は、ぜったい俳句の本筋じゃないのだが、ぶつぶつ……という本音はあった。

天気●本筋がどこかにあるかはともかく、メインストリームが評価してたんですよね、風土詠的なものを。いわば民謡みたいな世界、むかしのNHK「新日本紀行」みたいな世界には、私はまったく興味はないですが、俳句の主流・俳句の主成分はそうなんだろうなといった諦めはありました。

信治●で、週刊俳句をやりつつ、自分の見てる俳句の風景はこんなかんじなんですけど、ということを、10年やってるうちにですね、角川俳句賞は、予選通過作の傾向がガラッと変わったじゃないですか。そして、受賞するのが、自分たちと俳句をやってた人ばっかりになってきた。

天気●それはまさしくそうかもしれません。2007年の津川絵理子さん、2009年の相子智恵さんと、ふだんから目にする名前が受賞、2010年にはなんと山口優夢さん(望月周と同時)。少し紹介を飛ばして、2017年は月野ぽぽなさん、2018年は鈴木牛後さん、2019年は西村麒麟さん(抜井諒一さんと同時)。週刊俳句に書いていただいていた人たちが続々入賞するようになった。そして2021年には岡田由季さん。あきらかに風景が違ってきた。

信治●賞というのは応募作から選ばれるものなんで、いま、あの賞に集まって来ている作品は、かつての落選展的な、もっといえば、すごく「豆の木」っぽいものになってきてるはず。繁華街が、だんだん西に移動するっていう話がありますが、いまね、俳句のもっとも盛(さか)ってるゾーンが、ずるずる移動して「豆の木」のところまで来てる(笑)。二つの水源がやっぱりつながってたんだあということが証明されたような気がして。

天気●「豆の木」に近づいていったという把握がどうかはさておき、豆の木の人たちは、現代俳句協会系の賞は、わんさか受賞してるんですよ、こしのゆみこさん(現代俳句新人賞、作品賞)以来。

信治●「週刊俳句」を始めたころ、自分のまわりに見えていた俳句の風景って、非マジメな、言ってしまえばサブカル的なものとして、俳句をやってみようとしている一群の人たちで。でも、ポップであることが、ハイカルチャーを志向する経由地となるような俳句の事情について、書いたか話したかした記憶もあるんですが、「週刊俳句」での見聞、知見をベースに『俳コレ』を編集したのも、それで。

自分にとって、俳句は、面白とハイカルチャーを直結して、自分のバックボーンであるサブカル的なものにけりをつけるという運動でもあった。で、ネットというか、たまたま自分のまわりにあった面白い俳句と、総合誌+結社の正統な俳句、それを一つの物として扱うことは、虚子、素十、爽波、白泉、耕衣、池田澄子をすでに知っていた自分にとっては、ごく自然なことだった。それが、あっちの俳句とこっちの俳句をぜんぶつなげて扱うというのはそういうことで、だから、池をつなげて水位を測るということはやったし、週刊俳句でできたらいいな、と思っていたことは、じゅうぶんに目的を果たしたとも言えます。

天気●あれれ? もうやりきった、終わったみたいな言い方じゃないですか。フェイズ2のほうがおもしろいかもしれませんよ。例えば、若い人のこぢんまりとした同人誌や個人誌がかつてないほどたくさん出てきているように思います。いわゆる俳句ミニコミが盛大に。

信治●それって、新しいエコールが生まれているってことでもあって。たとえば「ねじまわし」の人たちが志向するところって、自分が考えていた遊びの俳句の延長線上にはない。「群青」の若い人たち、ていうか、俳句甲子園のあの世代が、いろんな場所でやっていることも面白い。「オルガン」も面白いし、結社としては小規模の「秋草」も充実してる。寺澤一雄さんの「鏡」に、佐藤文香さんと岡田一実さんがいることも、面白い。

天気●そこで、ミディコミ(中規模のメディア)としての週刊俳句は、かつてマス(=俳壇/総合誌)に向けていた注意や関心を、ミニコミに向ける。それがフェイズ2、第1001号以降の「身のふりかた」だと考えることもできる。まあ、それこそ、いまの当番のカラダとアタマとココロがどこまでもつかという話にはなるんですが。

(次回「対談余滴」につづく)

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