2011-02-20

〔週俳1月の俳句を読む〕松野苑子

〔週俳1月の俳句を読む〕
鏡は光り笑っている
松野苑子


見聞きし分かりそして忘れて結び昆布  池田澄子

子供の頃から見て聞いてやっと理解して、それでも忘れてしまうことは、なんと多いことだろう。忘れていることさえ忘れている。お雑煮に入っている結び昆布を見て、そんなことを思った。忘れてしまえば、それは存在しなかったことと同じ。字余りのリズムが忘れてしまうことの哀しさを思わせる。



我を見て笑ふ我あり初鏡  
岸本尚毅  

有体にいえば、自分の笑っている顔が鏡に映っているということ。けれど鏡の我が、笑って我を見ていると思うと、急に変な気持になる。己が己を笑っている。本当の我が嘘つきの我を笑っているのかもしれない、心の底を見透かされているようで恐ろしい。



門松やどの服からも顔がでて  
山田耕司

どの服からもでてくる言葉は同じ「おめでとうございます」。服からでている顔はそれぞれ違うけれど、顔が違うのが不思議なくらい。お正月だからだ。「門松や」とめでたい季語を最初に打ち出したので、この句の気分が決まったのだ。



初夢の光りしものを数へをり  
齋藤朝比古

初夢の中で光るものを数えているのだろうか。それとも初夢から目覚めて、思い出して、光るものを数えているのだろうか。いずれにしても、初夢に見る光るものは嬉しい。だから数える。希望を数えるように。



薄氷の底に丸太のやうな鯉  
菊田一平

「丸太のような」という措辞に実感がこもる。太りすぎて美しくない鯉。薄氷の下で動きもしないのだろう。狭い池などに囲いこまれ、餌だけは与えられている。どこかグロテスクで不健康な現代の象徴のようでもある。



礫くゆみ沈に海の走師  
Dhugal Lindsay 
(「師走の海」の6句を読む)

最初の句「礫くゆみ沈に海の走師」を読み頭が混乱した。英語の句まで読み、やっと納得。つまり下から読めばいいのだ「師走の海に沈みゆく礫」。一番面白かったのはカタカナの句。字がひっくり返っていたり、行が曲がっていたりするので、小さな礫が揺れつつ沈んでゆく途中のようだ。「しわすのうみにしづみゆく礫」は、だんだん字の間隔が広くなっている。そして最後の礫だけが漢字。「礫」の字に重さを感じる。礫が海の中を真っ直ぐに深く深く沈んでゆくのだろう。ローマ字の句はどうして「nishi」「kutsu」などという字の纏め方をするのか。けれど、句をじっと見ていると、礫が沈んでゆくときの泡のイメージが浮かんできた。「師走の海によ 沈みゆく礫」これは「よ」が何故いるのだろうか。いらないと思う。この句だけは趣向が空回りしているのでは。英語の句。俳句は五七五なのだから三行にしたらいいのにと思ったが、師走の海に・沈みゆく礫 と意味で二行になっている。礫は the skipping stone となっているので、水面を跳ねて行く礫が見えてきた。そして海に沈むのだから、礫は横から縦の動きをする。 
定形のプロポーズを受けて、こんなにいろいろな答えを出すなんて、ドゥーグルさん、楽しませていただきました。




池田澄子 感謝 ≫読む
岸本尚毅 窓広く ≫読む
清水かおり 片肺 ≫読む
山田耕司 素うどん ≫読む
杉山久子 新年 ≫読む
新年詠68人集 ≫読む
齋藤朝比古 大叔母 ≫読む
新年詠63人集 ≫読む
須藤徹 理髪灯 10句 ≫読む
ドゥーグル・J・リンズィー 師走の海 ≫読む
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菊田一平 紀文 ≫読む
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