【週俳500号に寄せて】
週刊俳句の最初期号を読んでみた
生駒大祐
週刊俳句の創刊準備号が出たのは、僕が大学2年、20歳になるかならないかの頃です。
おお、もうそんなに経ったか、と思い、週刊俳句を読み返してみることにします。
改めて最初期の週刊俳句を読んでみると、以下のような記事が並んでいます。
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創刊準備号 2007年4月22日
■野川行 中嶋憲武 ⇒読む
【俳誌を読む】
■「俳句界」2007年4月号を読む……五十嵐秀彦 ⇒読む
■「俳句」2007年4月号を読む……上田信治 ⇒読む
■「俳壇」2007年5月号を読む……さいばら天気 ⇒読む
■後記 ⇒読む
■野川行 中嶋憲武 ⇒読む
【俳誌を読む】
■「俳句界」2007年4月号を読む……五十嵐秀彦 ⇒読む
■「俳句」2007年4月号を読む……上田信治 ⇒読む
■「俳壇」2007年5月号を読む……さいばら天気 ⇒読む
■後記 ⇒読む
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その頃運営のお二人(西原天気さんと上田信治さん)がおっしゃっていたのは、「もっと俳句誌をちゃんと読んで意見を言った方が良い」というようなことだったなと思い出し、それが誌面に反映されていて、当たり前かもしれませんが納得。また、トータルとして「恐る恐る読んでみました」感が少しくあり、ちょっと面白い。中嶋さんのmixi日記からの転載も、気持ちの良い記事。この「初見読者も手の届く、ほど良い内輪感」とでもいうような、仲間内だけでない、しかし他人行儀でない暖かみのある俳句との関わり方は、最初期からのものだったようです。
その後最初の数号は、俳誌関連が半分近くを占め、他には今にも続く「成分表」の転載だったり「数えてみました」シリーズだったりが載っていて興味深いのですが、何より3号にて、
という僕にとっては非常に懐かしい記事が掲載されていて、ああ、この記事から10年近く経っているのか、と少々感慨深くなります。
また、これまで多くの方々の作品を掲載した週刊俳句ですが、俳句作品の掲載が最初に行われたのは6号と意外(?)に遅く、かつ
と、川柳と俳句の競詠企画からでした。今の形式の10句作品が初めて掲載されるのは次の7号で、
と一挙にお三方の掲載でした。
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改めて最初期の号を読み返してみて、週刊俳句は「俳句や俳句にまつわる文章を読むこと」に力点を置いてきたウェブマガジンなのだと再確認しました。読み手のほとんどが作り手である俳句の世界において、読んだよ、だけを提供してくれる存在、読んだよ、と報告できる存在(週刊俳句は記事を募集しています)があることは、ある一定の人々にとってはとても大きなことなんですよ。
と、書いて、「成分表」の「夢」の回を思い出したので、その引用で記事を終わらせていただきます。
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自分が、インターネットで、文章とも何ともつかないものを書き始めたのは、この連載と同じく、およそ五年前のことだ。
ネットでものを書くことは、知らない場所で一人っきりで「誰かいませんかあああ?」という声を上げることに、似ている。
そこは、平べったく人影のおぼろな、靄っぽい埋立て地のような、それこそ夢のなかの景色のようなところで、誰の許可も得ずに書き始めることができる代わり、自分が書く物を読む人が、この世に一人でもいるかどうか分からない。
人生のコツは「自分と似た人のいる場所」へ行くこと。
それが、これまで生きて得た、自分のなけなしの人生訓だ。そしてそれは自分にとって、書くことや読むことの、大きな部分を占める意味でもあり、自分の根本的な願望でもあるのだろう。
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