2019-11-24

【週俳10月の俳句を読む】ツッパリ 田中目八

【週俳10月の俳句を読む】
ツッパリ

田中目八



始めに私自身の話で恐縮ですが、普段俳句を読んでいるとき、その句の意味を考えたりして読むことは無いんですね。

なので何となく良い!とかグッとくる!という、言うなればキン肉マンにおける「屁のツッパリはいらんぜよ」とそれに対する「言葉の意味はわからんがとにかくすごい自信だ」のレスポンスのようなものが興るかどうか。

ということでこう改めてそれらを言葉にして書き表すことができるのだろうかと、まず「鑑賞」の意味を調べるところから始めたのですが、結局力量不足否めなく「鑑賞文」は今回諦めて、潔く?メモ書きのような体のままでゆくことにしました。読み難いことご容赦ください。

◆ありえない音楽が聞こえる 青本瑞季

タイトルゆえに全句に音楽の要素を見出そうと思ったのだけれど残念ながら読み取れず。また、タイトルが14音だったので各句の前や後に付けて読んでみたりもしました。個人的に、最近特に連作について考えていたのもあり、季語の三旬の並びなど興味深く読ませていただきました。また、偶然かもしれませんがご姉妹であるということの先入観ゆえか、荻と萩の句を一句ずつ、眼の奥をと目に奥を、棗、舟、芒、菊、(もしかしたら鹿も?)と青本柚紀さんの作品と共通する季語、言葉を遣っているのも興味深かったです。

夜ゆゑに文月は草木はれやかに  青本瑞季

文月は秋、七夕に因むということでやはり夜と月に親しい。はれやかといえば太陽の照る昼を思うが、文月だけは違うのだろう。草木萎れる秋、草木も眠る夜であるけれど月の光ります文月となれば歌いだすのかもしれない。

澄む秋はあばらのこゑで軋みつつ  同

激しい運動であばらが軋んだような、それが声に聴こえるというのならわかるのだけれどあばらのこゑで軋む、という。澄む秋は音もよく聴こえる、ということなので普段は聴こえぬあばらの声も聴こえる、寧ろあばらがもっと、もっとと身体を軋むほどに動くことを要求するのだろう。また、軋めば軋むほどに秋は澄んでゆくのかもしれない。

荻の袖眼の奥を歌たちのぼる  同

間違って検索したら浄瑠璃「袖萩」を知った。要注意、袖萩ではなく荻の袖。歌たちのぼるということで荻の声を連想する。袖は花穂のことかしら。恐らく風にそよぐ荻の音に眼を閉じて耳をすませた、するとその音がふっと消え、歌がたちのぼる。それは人ならぬものの歌ゆえに耳では聴こえない。しかし「眼の奥に」ではなくて「眼の奥を」だ。歌が立ち上るのではなく歌達が上る、なのかしら。恐らく前者だろうけれど後者も楽しい。

てのーるてのーる小鳥来るくちびるは熱  同

平がなでてのーるてのーると繰り返されるとカタカナよりも軽く感じる。また、秋になってむっくりとしてきた愛らしい姿にも見えてくる。小鳥だし、きっと手に乗った!と思ったら次々と手に乗り始めて、手に乗る手に乗る手乗る手乗るてのーるてのーる…違うか。るが4度続くのも快く、繰り返してるうちに熱が帯びてくる。

萩に衣服を歌ふ手つきでこぼれだす 仲秋の季語小鳥来るのあとに初秋の季語である萩の句。は、ともかく、萩に服をかけたらこぼれ出した、のでなくて、こぼれだす萩を見て思わず羽織っていた服を一枚脱いだ、その爽やかな風を感じるために、ということか。

孔雀から梵字あふれて秋の風 孔雀、梵字とくれば孔雀明王を連想してしまう。古代インド文字である梵字がインドの国鳥でもある孔雀からあふれて梵語またはマントラが聴こえる、秋の風に乗って、ということだろうか。因みに孔雀明王は明王というものの菩薩の姿の優しい明王らしく、きっと秋の風の冷たさも和らげてくれたに違いない

菊日和まばたくたびに褪せて背は 満開の菊とその香に心奪われ前を行く人の存在が薄れてゆくということか。それともその菊日和さえ瞬きの度に新鮮さを失ってゆくということか。

パラフィン紙ひよの盛りを入日して ひよどりがうるさいぐらい鳴いている、その中を日が沈む。パラフィン紙でカバーされた本を読んでいたのだろうか。それともカバーがけをしていたのだろうか。どちらにせよ(どちらとも違うにせよ)ふと、した瞬間。ひよどりは南天や梅もどきなど赤い実を食べる。夕日もあっという間に食べられそうだ。秋のはっきりとした夕日にすりガラスのような蝋引きのパラフィン紙の取り合わせがよい。

焦がれては舟が芒となる夜か 焦がれて、は漕がれて、と掛けてあるのかしら。誰かに(月?)どうかどうかと焦がれ引き止められ舟行を止めて停泊する、岸一面の芒原に舟(=私ともう一人)が溶け込む。真赭の芒かもしれない。

燃えるたび鹿は麓をかきくらす 恋に燃える牡鹿、きっと失恋続きなのだろう、新しい恋に燃えるたびに麓に下りてきては畑を荒らすので町の人びとは暗い気持ちになる。或いは恋に燃えた鹿自身の火灯りで麓が陰り暗くなる、ということか。後者のほうが面白い。

泪声ほやほやと野の鶉なる  同

日本では雨音をざーざーと表現するが中国語ではほわほわ(ほあほあ)と表現するそうで音の鳴り所の着耳点?の違いが面白い。ほやほやとは炎や湯気などの立ち昇るさま。柔らかく温かそうなさま。をいうらしくニュアンスも似ている。泣き声でなく泪声としたところからも恐らく悲しさや辛さによるものではなく嬉しさなどに因るもので、蹲って泣いている、それが鶉のようなのだろう。

来る鶴に糸巻きなほすぬるい部屋  同

鶴と糸といえば鶴の恩返し。一度去った鶴がまたやって来るのだろうか、その前にほつれたままの糸を巻きなおしておこうというのか。それとも二人の関係を修復しようということなのか。慌てて暖房を着けたのか部屋はまだ暖まりきらずにぬるい。いや、関係をやり直すなんてぬるい、ということかも。糸は五線譜、糸巻きはト音記号か。

秋虚ろ祝祭の首重くのべ  同

秋の祝祭といえばハロウィンかミカエル祭か。それとも単に豊年の秋祭りだろうか。単に秋の寂しさに心が虚ろだということではないだろう。虚ろであるからこそ、そこに実る余地があり、また、収穫が終われば再び虚ろに戻る。脱穀された籾殻なども虚ろだといえる。刈られた麦の穂は誰かの首であるのかもしれない。落穂ひろいの重労働を思うか。祭りには音楽が付き物だろう。落穂ひろいの様子にヘ音記号を思い浮かべた。

初秋 ぱれーどよ棗が舌に痩せてゆき  同

前句の祝祭でのパレードだろうか。平がなでぱれーどと書かれると何となく物憂く、どうでもいい、投げやりな感じを受ける。よ、は詠嘆ではなく呼びかけだろう。口に入れた棗も味わうというよりぼんやり飴玉を舐めるような。前々句鶴来るが晩秋の季語なのでここで初秋の季語である棗というのも気になる。やはりパレードにも音楽が付き物だろう。
感光の渦の鰯よさやうなら

感光といえばまず写真を思い浮かべるのだけれど、光電池や、退色、着色も感光に寄る作用らしい。鰯がマグロなどから身を守るために群れなして渦巻く、あれのことをイワシタイフーンというが、そのイワシタイフーンに光りが当たり輝いてる光景なのだろうけれど、それが外敵の為ではなく、光の作用で鰯が渦為しているとして、更にその鰯からの感光で別れを決意したのだろう。群よ、さらば。ということか。もしかしたら渦はト音記号か。


◆水の回遊記 青本柚紀

原稿を書いている途中、調べ物をしていたら偶然からこの連作に源氏物語が絡んでいるということに気付いたときは興奮しました。第一句に浮舟とは、逆説的に身を沈めたことかもと読んだのですが、後になって源氏物語の浮舟が入水すると知ったときの驚き。しかし残念なのは私が未だ源氏物語を読んだことが無く、もし読んでいたらもっと発見があったかもしれないということ。普通に鑑賞文を書いてる途中で源氏物語に気付いてメモのように片言のように記していったのを、敢えて、というか情報量などに力尽きたのもあり、整理して書き直すことは諦めそのままにしておくことにしました。読み難い点などご容赦頂ければ。

浮舟よ口に棗の緋を交はし  青本柚紀

源氏物語の浮舟だろうか。棗を口移しに交わすとも緋色の唇を口付けるとも読める。官能に、沈んでいた感情が浮き上がる。若しくは浮かべた舟から身を沈めたか。

仮枕手を流れ出て色は葛  同

河原でか舟の上での仮寝か。前句からの流れを思えば抱かれた手から、或いはこの世の外へ流れ出たか。この色とは色恋の色とすれば前句浮舟も浮世に浮かぶ身を、仮枕も所詮この世は仮初の宿りとも取れる。

また枕浮くも連想。色は葛は紫の上か。手は手習か。

忌の薄い鐘をとほして木槿にゐ  同

忌の薄い、というのは忌み言葉としての薄い、ということか。縁が薄い。この世とは縁が薄かった。棗の緋、葛の赤紫から白く儚い、しかしまだ少し色のある木槿へ。

浮舟の詠んだ「鐘の音~」か。また木槿(槿)は朝顔の古称とも。忌の薄い=薄雲(藤壺宮)の崩御か。

くだる身のあなたを波になる菊が  同

川を下り流れる向こうに一面の菊菊菊が押し寄せる波のようだ。菊の黄色は黄泉の色か。

波はやがて近づいてくる。くだる=流されるのは浮舟か。波は青海波。菊を頭挿にしているのが源氏。くだる身、とは女二の宮の降嫁、菊は二の宮のこと。または菊=源氏も挿すから降嫁した三の宮も含むか。

秋蛍食べては砂の弧をうつし  同

蛍は成虫すると何も食べないそうな。蛍の発光体には猛毒がある。誰が何を食べるのか。川が蛍を飲み込み、その度に川底の砂が映るのか。それとも空の、砂子を刷いたような弦月か。調べると蛍は卵も幼虫も発光するらしい。となれば、水中の幼虫がカワニナなどを捕食してその度に光る、ということか。うつし、は現し身か。

源氏の放った蛍か蛍兵部卿宮か。 源氏蛍の由来に光源氏説もあるらしい。「恋はせで~」玉鬘の詠む歌。うつす、うつるのは玉鬘の姿か。玉鬘は美髪の美称であれば、砂子を刷いたように美しく光る天使の輪のことか。

藻に代へてとどまる鮎を藤の香  同

歳時記に前田普羅の「落ちて鮎の木の葉となりにけり」という句が載っていた。鮎に藻の代りに身をついばむ。赤味を帯びた、やがて子を産み力尽きて死にゆく鮎。秋なので藤の花は咲いていない筈だが香魚とも呼ばれる鮎に対して我が身は藤の香ぞということか。藻に喪を読むのはゆき過ぎか。

海士のたく藻、海士の刈る藻か。鮎は瓜科の香がするという、源氏の母桐壺の宮と藤壺の宮が瓜二つという意味を含むと取るのはゆきすぎか。いや、死んだ桐壺(やはり藻=喪であろう)に代えて藤壺を慕ったのだろうからあながちそうとは限らないと思われる。

明け暮れの散らかる川を骨は葉に  同

ここで謂う明け暮れとは生死のことでもあるか。絶え間なく続く朝の光りと夕の光りがちらちらと川面を照らす、その一つ一つが様々なものの生死。川底には魂たる石もある。前句を考慮に入れると落ち鮎についばまれた身は骨だけとなり木の葉のように川を流れてゆく。桐一葉。

桐壺の宮。「明け暮れの慰めに……」

萩は目に奥をひづめの澄みながら  同

土手の景だろうか。萩は目に映るものの、その奥をゆくものの姿は見えず。ただひづめの音だけが聴こえる。萩とくれば和歌では鹿らしい。また別名鹿鳴草、鹿妻草ともいうらしい。目には萩、耳には鹿、ということか。

萩の上露。源氏の乗る馬、或いは牛車の音か。雌鹿を求めて鳴く牡鹿の光源氏か。

わたくしを傾け壺に棲む獏は  同

悪夢を食べてくれるという獏が壺中天ならぬ壺中獏。寝ているわたくしを優しく傾けて…つまり後頭部から悪夢を食べるのでしょうね。

わたくしは光源氏、壺は夢に現れた藤壺の更衣だろうか。獏が喰らうのはその悪夢なのか浅き夢なのか。藤壺に住む女御=藤壺の更衣であるから壺に住む獏は藤壺の更衣その人か。

いろは坂昏くてとどく雁の呼気  同

いろは坂といえば日光が有名だけれど映画『耳をすませば』のモデルになったという多摩市のものもある。中禅寺湖へと続く前者か。夕方の観光客も絶えた坂に湖へと向かう雁の音、その呼気さえ聴こえるというのだろう。また雁は鹿同様和歌では萩と詠まれることが多いらしい。

しかし此れは実在のいろは坂ではなくこの連作世界のものと思いたい。蛇行する川のような実在のいろは坂と色は匂へど……のいろは歌とを含むもの。いろは歌の中に「あさきゆめみし」の一節。雲居の雁。「うらやましきは帰るかりがね」

まばたきをうすももいろの鵙の木々  同

鵙落の眼を縫われた囮鵙だろうか。まばたきの瞬間、目蓋の裏の薄桃色が見える。
光源氏の「ほてった薄桃色の顔」か。鵙は光源氏、木々に刺されるは贄は女達か。「まばたき」玉鬘。夕顔。

見えてゐる痣に芒がかかり笑む  同

見えている痣とは何処にある痣なのか。芒がかかる高さならば一メートルから二メートル。自身の痣なのか、側にいる誰かの痣なのか。芒がかかって痣が隠れた、ことに笑ったのか。

芒=薄=薄雲か。女の薄絹のぬくもりか。痣とは瑕なき玉=冷泉帝か。

満ちて野の花さいごの水の輪を鳥が  同

野の花が満ちている。満ちているからこそ野の花なのだ。その野の花の中、池だろうか舞い降りた最後の一羽が作る最後の水の輪、それが拡がり野の花が満ちてゆく。

水の輪を作るのは入水した浮舟か。鳥は貌鳥か。野の花は源氏物語の女達か。

ここは月の間千の夜がどしや降りで来る  同

月、千夜とくるとどうしても千夜一夜物語、アラビアンナイトを思い浮かべてしまう。月の間は地球と月の間ということだろうか。その境界では千の夜もあっという間に、どしゃ降りのように来て過ぎるのだろう。

須磨の月。千夜が過ぐさむ心地、か。月には桂、ならば月の間は源氏住む桂殿か。源氏は月に喩えられるという。源氏物語から千年。

木犀をはなれて舟の野に覚める  同

木犀を離れて、その香が薄れてゆく。香に酔っていたものか、はっと目覚めてみるとあたり一面は野原。打ち上げられた半ば朽ちた舟の上で夜を明かしたのだろう。あの千の夜は一夜の夢、或いは浅き夢だったのだろうか。

木犀の別名に桂の花とある。源氏住む桂殿を暗に含むのか。また木犀といえば香、つまり薫、匂宮も含むか。入水に失敗した浮舟。出家することは浮世の外に出ること、つまり浮舟からただの舟となる。野とは浮世の外のことであり、浮舟の出家した場所、小野も含むか。浮世の極たる桂殿の物語から覚める。

最後に鑑賞の対象とさせて頂いた二作品の作者である青本瑞季さん、青本柚紀さんのお二人、お誘いくださった西原天気さん、有難うございました。とても愉しませていただきました。


田中惣一郎 はつ恋考 10句 ≫読む
島田牙城  10句 ≫読む
651号 20191013
青本瑞季 ありえない音楽が聞こえる 15句 ≫読む
青本柚紀 水の回遊記 15句 ≫読む

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