2019-12-01

【週俳10月の俳句を読む】水の気配 三宅桃子

【週俳10月の俳句を読む】
水の気配

三宅桃子



もし、句会で「『水』に関する句」という席題がでたら、私は深く考えずに、「川」「海」「湖」「雨」などの名詞を使って、情景に水を「みえる」形で登場させて詠むだろう。

ところが、青本柚紀氏の「水の回遊記」は、タイトルを水としつつも、水を示す言葉はほとんど出てこない。

一読、雨の気配や潮の香りに近い作品と感じた。

見えないけど、湿り気を帯びた空気が鼻先まで迫ってくる。

目にみえない、でも確かにそこに存在している気配というものは、心象的により一層、その存在を強調するようだ。

浮舟よ口に棗の緋を交はし  青本柚紀

この句で交わされているのは、唇と棗の「緋」であろうか。「移し」や「映し」といった一方的な言い回しを用いない点に、作者の工夫がある。

唇と棗が緋を双方向に「交換」しているのだ。交換には終わりがない。

この句には、半永久的に続く川のせせらぎをのような雰囲気がある。

仮枕手を流れ出て色は葛  同

この句において、「何が」手を流れ出たのかは語られていない。流れ出たものの色のみが語られ、それはそっと葛となり漂着する。「葛の色」ではなく、「色は葛」とすることで、因果関係の構造からうまく逃れている。

仮寝を意味する仮枕が効いている。

くだる身のあなたを波になる菊が  同

「くだる身のあなた/波になる菊」の、2つの景の対比が美しい。一輪の菊が流れていくのか、菊が波のようにそよいでいるのかはわからないが。

ここでも水は詠まれていない。

秋蛍食べては砂の弧をうつし  同

秋蛍のすぐあとに「食べる」と続き、瞬間の野性味にドキリとする。意味をとろうとすると難解であるが、言葉のひびきが耳に心地よい。

藻に代へてとどまる鮎を藤の香  同

藻→鮎という意味でとるなら、「代えて」という言い回しが少し苦しい気もするが、響きは気持ちよい。

藤の香が高貴な雰囲気を漂わせている。

明け暮れの散らかる川を骨は葉に  同

ようやく「川」という単語が出てきたと思ったら、そこには明け暮れが散らかっているんだという。

実在の川というよりは、三途の川のような趣がある。

萩は目に奥をひづめの澄みながら  同

ひづめの音に水の透明度をみた句である。

萩は目に/奥をひづめの澄みながらと、切って鑑賞した。

目「の」奥「に」でない点に、不思議さがある。

また、奥「に」ではなく、奥「を」であることに注目したい。

この助詞の用法は本作品で頻出しているため、作者は意図して使っているのだろう。

奥「に」ひづめの澄みながらとした場合、どこかしらに場所が限定され、本作品の根を持たない、波紋のような広がりが、若干失われるように思う。

場所や方向を断定する言葉を避け、作品の浮遊感を保とうとする、作者の意図が感じられる。

わたくしを傾け壺に棲む獏は  同

たとえば「壺を傾けわたくしに棲む獏は」とすれば、少し意味が通るように感じるところを、あえて言葉をシャッフルして難解にしたような趣がある。

いろは坂昏くてとどく雁の呼気  同

暮れの頃のなだらかな(ねむい)坂道と、雁のはばたきと、夜に向かって穏やかであろう呼気との波長の重なりが心地よい。

まばたきをうすももいろの鵙の木々  同

ここでも、まばたき「は」とすると、「まばたき」と、「うすももいろの鵙の木々」がイコールになり、ややピントが合った句になる。本作品において、それは作者の意図するところではないのだろう。ここでも「を」の使用。さすがに多すぎる気もしてくるが、作者の決意のようなものも伝わる。また、「まなうら」でなく、敢えて動作を示す「まばたき」とした点に挑戦をみた。

中間に配置された「うすももいろ」が、まばたきという肉体動作と、猛禽である鵙のイメージとをつないでいる。

見えてゐる痣に芒がかかり笑む  同

ここでも誰が笑むのかは明かされておらず、主体がはっきりしないが、見えている痣に芒が触るといったセンシティブさにドキリとする。

満ちて野の花さいごの水の輪を鳥が  同

ようやくここで「水」が出てきた。これまで浮遊した感じが続いて、はっと目が覚めたような感覚に。暖房の効いた部屋から、寒い屋外に出たみたいに。内容も平易でわかりやすい。

ここは月の間千の夜がどしや降りで来る  同

どしゃ降りで来るのは、あくまで「夜」、「千の夜」。月の光がどしゃ降り。どれほどの月光を浴びているのか。

終盤にきて、ここまで劇的であると痛快。破調も効いている。

木犀をはなれて舟の野に覚める  同

今まで夢を見ていたかのようなラストである。これまで夢の中で川くだりをしていたような気持ちになった。

本作品は、句を一つ取ってみれば、因果関係や主体が周到にぼかされ、ややピントが合わない印象を受けるが、作品全体としては、序盤から終盤にかけて起承転結があり、ところどころに緩急がつけられている。その流れにのって繰り返し読むうち、自分が回遊魚になったような快感がわいた。

作者の意図するところであるかはわからないが、こうした構成は、作品全体を水面に浮かぶ一艘の舟のように仕立てることに成功している。



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