柳俳合同誌上句会〔2020年9月〕選句結果
10名様参加。5句選(特選1句・並選4句)。≫投句一覧
参加者
〔柳人〕
樋口由紀子
竹井紫乙
瀧村小奈生
川合大祐
柳本々々
〔俳人〕
岡野泰輔
こしのゆみこ
竹内宗一郎
生駒大祐
岡嶋真紀
※選外の句にも随意にてコメントいただいています。
【紙】
脱色してヤンキーになってる紙 竹井紫乙
◯竹内宗一郎
■感光して色の変った紙だろうか、ヤンキーの喩えが面白い。(竹内宗一郎)
■ヤンキーは金髪になるが、この紙は何色?日晒しで反りかえった紙か?(岡野泰輔)
■脱色するとヤンキーになるのか…よくわからないけれどそうかもしれないと思わせられてしまう。(瀧村小奈生)
■「なってる」と句自体がヤンキー化しているところが興味深いです。(川合大祐)
猪に勝つて紙面の小見出しに 竹内宗一郎
■じゃあ、大見出しは何だったのか。「猪突猛進にうっちゃり!」が大見出しで、「イノシシから金星の田中さん」が小見出し・写真付きみたいな妄想をしてしまった。(瀧村小奈生)
〈 〉を〈紙にプリントするように〉 川合大祐
◎岡嶋真紀
■私は『〈 〉』を「空白」と読み取りました。何もない全くの空白を印刷機で出力してしまったとき、印刷機から出てきた白紙は何かプリントされているような、特別な何かに感じられます。それに加えて「〈紙にプリントするように〉」の柔らかくも念押しのようなフレーズが続いていて、どこか神託のような雰囲気があって面白いと思いました。(岡嶋真紀)
■何か面白そうなのに、手にとりきれないもどかしさを感じる。(瀧村小奈生)
鏡台のうしろに落ちた秋の紙 樋口由紀子
◯生駒大祐
■なんでもない内容なんですが、「秋の紙」という静かなふざけかたがいいですね。(生駒大祐)
■「秋の紙」は何なのだろう、鏡台の後ろに落ちたら拾うのだろうか、そのままになってしまうのだろうかなどと彷徨っている。(瀧村小奈生)
ユニコーンの匂いは紙に似ている 柳本々々
◎竹井紫乙◯岡野泰輔◯瀧村小奈生◯樋口由紀子◯こしのゆみこ
■誰も嗅いだことのないユニコーンの匂いについて勝手に断定しているわけですが、このパターンは川柳ではよくあります。この句は取り合わせが美しい。ユニコーンは白馬のような姿だったり、白っぽい薄い水色で描かれた姿がポピュラーです。そこに「紙」の取り合わせがとてもクール。ユニコーンは実在しない。紙に書かれたことも本当のこととは限らない。幻の匂いは紙の匂いかもしれない。(竹井紫乙)
■一角獣だし、獣の匂い、性的、宗教的な暗喩も呼びやすいが紙の匂いはそのすべての問を外している。穿った解釈を寄せつけないとりつく島のなさがおしゃれ。長編詩や小説の語り出しみたい。(岡野泰輔)
■ユニコーンはその姿に目を奪われ、匂いまで思いが及ばなかった。紙のような匂いがするのか。その断定に納得。(樋口由紀子)
■本当は紙じゃなくてもいい気がする。紙よりもっといい匂いというわけでもない、もっと特別なものがいいです。でもこの措辞はとても素敵でした。(こしのゆみこ)
■ユニコーンの匂いと言われてもよくわからないのだが、匂いがなさそうなところが紙と似ているのかもしれない。「匂い」という言葉で、ユニコーンも紙もなまめかしく感じられておもしろい。(瀧村小奈生)
■紙がユニコーンの匂いに似ている、ではないところが凄いです。ユニコーンの匂いが確かに存在すると、疑わないことが前提の世界観。(川合大祐)
■どことなく粉っぽくて、ほんのり甘い匂いなんでしょうか。存在しない生物のユニコーンを、紙にぶつけたことによって変な説得力をもたせたのが面白いと思いました。(岡嶋真紀)
紙でつくる東京のうへ鰯雲 岡野泰輔
◯川合大祐
■「東京」を紙でつくっているのか、更にはその「うへ」の「鰯雲」をつくっているのか、広がりを持つ句でした。(川合大祐)
■紙をしわくちゃにしてちぎってばらまけば、うまく出来上がるかな。深読みすれば政治的な句ともとれるけれど、そういう読み方はむしろつまらないような気がしました。(竹井紫乙)
■「鰯雲」とか「紙でつくる東京」の頼りなさとか素材が魅力的。(瀧村小奈生)
紙蓋のサイズの違う秋夕焼 こしのゆみこ
◯瀧村小奈生
■紙蓋は紙の落し蓋のことでよいのだろうか。落し蓋のサイズの合わないのは、まあいいんだけれども哀しさと違和感が残る。秋夕焼けは、そういう心の屈託を帳消しにしてくれる美しさを持っていると納得した。(瀧村小奈生)
■紙蓋にも硬いものと柔らかいものがありますが、サイズが違う気持ち悪さがあまりぐずぐず感じられないのは秋夕焼のせいなのでしょう。(竹井紫乙)
■何に蓋をするのか、そもそも何を入れようとしたのか、「秋夕焼」と言う季語の無限星が勉強になります。(川合大祐)
筆洗や月へ及べる紙の冷 生駒大祐
◯瀧村小奈生◯樋口由紀子
■「月へ及べる」とはなんと素敵な言葉だろうか。紙のひんやりした感触が伝わってきそうだ。ていねいに表現している。(樋口由紀子)
■書道にはまったく無縁なので、この句はどこをとってもかっこよく思える。月の光と紙の冷、しんとした秋の夜が気持ちよく感じられた。(瀧村小奈生)
鞄には他人になる紙星月夜 岡嶋真紀
■一読、離婚の句なのかと思ったのですけど。でも鞄の中に紙はいつまでも入ったままなのかもしれないし、自分の鞄ではないのかもしれない。自分が別人になる紙なのかもしれず、どうとでも読もうとすれば読める。鞄はブラックホールですね。(竹井紫乙)
■鞄の中に入っている紙に意識をとられながら星月夜を歩いている感覚に共感する。「他人になる紙」の不思議さに惹かれながら、離婚届だったらどうしようと躊躇してしまった。何でもないただの紙だったらいいのになあ。(瀧村小奈生)
■普通に考えれば離婚届なんですが、偽造身分証明書ととらえても「星月夜」のシステム感の前の無力さが出ていると思いました。(川合大祐)
紙コップ立つ秋の日のコカ・コーラ 瀧村小奈生
◎柳本々々
■紙コップが立つしゅんかんってたしかにきもちいいんだよなあと思う。そうそうあれあれ、と思った。とくにそれが秋の日でコカ・コーラならさわやかの嵐でいい。(柳本々々)
■あの赤い蓋を回した時に鳴る音が高らかに響いてくるような。秋の痛快な気持ちいい日に、痛快な飲み物を飲むワクワクを「紙コップ立つ」から伝わってきました。(岡嶋真紀)
【魚】
たなびきし楽市楽座魚座どち こしのゆみこ
■たなびいていたのは楽市楽座の幟旗?そんなお店もあったような。「座」だけでつながる魚座も楽しい。(瀧村小奈生)
てのひらの魚の熱をどうしよう 樋口由紀子
◎岡野泰輔◯竹井紫乙◯柳本々々◯岡嶋真紀◯生駒大祐
■どうしよう! 変温動物らしいから死んじゃうよ。手のひらに載る小さな魚の熱を気にして戸惑っているのが、ばかばかしくも、すごくいい。小さなもの、柔らかなもの、弱いものへの無垢で残酷な視線がスタイリッシュ。(岡野泰輔)
■魚の熱は作者自身の熱なのだと読んだ。どうしようもないよね。どうしようもないことをどうしようもなく書いているところが良いと思いました。(竹井紫乙)
■マジでどうしてくれようか。この魚は生きてるんでしょうか。だからここまで取り乱したのかな。低いはずの魚の体温を、たしかな熱として感じ取れるところが凄いと思いました。生き物に慣れていない不器用さ、優しさ、そして怯えとが詰まっていて、そこが魅力だと思います。(岡嶋真紀)
■どうしようと迷い始めているのがよかった。とくに終わりに。迷って終わる。これからどうなるかわからない。魚の熱とての熱がゆきかっている。すこし命もすれちがってる。でも短詩だからそこで終わる。それがよかった。(柳本々々)
■「魚の熱」という意味領域でのわかりにくさからの「どうしよう」の不安な感じに繋げる感じ、いいですね。(生駒大祐)
■てのひらにある魚のとりつく島のなさ…まさに「どうしよう」かと。てのひらの熱のどうしようもなさでもあると思う。(瀧村小奈生)
■「死」って言うことを、直接には言ってないのですが、死/生を一番感じた句です。(川合大祐)
よく晴れて広場に魚の降る時間 岡野泰輔
◎竹内宗一郎◎瀧村小奈生◯竹井紫乙◯樋口由紀子◯生駒大祐
■「魚の降る時間」なんでないのですが、あってもいいような気がして不思議。よく晴れた日の広場なら、まるで祝祭のようだ。(瀧村小奈生)
■空から魚が降ってくる、そんなニュースがあった。鳥の仕業かなどと。晴れた日の広場という設定もよい。(竹内宗一郎)
■水族館で魚の群れを眺めていると、スピードが速くてきらきらしていて眠たくなります。ぼんやり眠い、いい時間。それを晴れた広場に持ってくるとさらに幸福感が増す感じ。(竹井紫乙)
■「『空から何かが降る』ということには、歌人をそそるなんらかの要素があるらしい」(『青じゃ青じゃ』(高柳蕗子著)。俳句でも川柳でもそうかもしれない。映画のラストシーンのようで、降ってくる魚はきっとぴちぴちと跳ねている。(樋口由紀子)
■最初に明るさを見せることで降ってくる魚のきらめきが見えてきます。陽気な句。(生駒大祐)
■「広場」にせよ「時間」にせよ、区切られていて、だからこそ「降る」と言う言葉に説得力があるのかもしれません。(川合大祐)
雑木紅葉水の育ちを魚に問ふ 生駒大祐
■美しい紅葉をもたらす水の氏素性を魚に尋ねてみたくなったのだろうか。きっと育ちのよい水だと思う。(瀧村小奈生)
秋澄みてシーラカンスの魚拓かな 岡嶋真紀
■枯れている。そして澄んでいる。魚拓とか化石とかドライなものが恋しくなる不思議。(竹井紫乙)
■秋の清澄な空気の中でシーラカンスの魚拓を見る。どこまでも潔く気持ちのよい句だ。(瀧村小奈生)
■季語のことはよくわからないのですが、せっかくの秋が澄んだ日に、わざわざシーラカンスの魚拓を取るところが無意味でよかったです。もしかしたら、魚拓は過去に取ったもので、ずっとそこにあったものかもしれませんね。「澄み」=「墨」なのかとも思ったり。(川合大祐)
太刀魚のひかりをするするとしまう 瀧村小奈生
◎樋口由紀子◎生駒大祐◎こしのゆみこ◯川合大祐◯岡嶋真紀
■太刀だから光はつきものなのだけれど、そして太刀だからしまうものだけれど、しまうときの「するする」がぞくぞくするほど魚ぽい。太刀魚っぽい。やさしいことばの腑に落ち具合がここちよい。(こしのゆみこ)
■新鮮な太刀魚は銀色に光っていて、まばゆいくらいだ。その光を仕舞うという。するすると瞬間にだろう。そのさまがいい。「太刀魚」の漢字が映える。光と影の絶妙のコントラスト。(樋口由紀子)
■「太刀魚のひかり」までは常套なんですが、するすると仕舞われてしまって光を失ってゆく太刀魚を想像するとコクがあります。中七下五の句またがりも効いていると思います。(生駒大祐)
■ひかりをしまう、だけじゃなくて「するすると」が入っているところが凄いです。doの「する」と読むのは読みすぎでしょうか。(川合大祐)
■魚に慣れている人の句。「太刀魚のひかり」にこだわりを感じました。あんなに長くて平たくて銀色の綺麗な魚を、手妻のように鮮やかに簡単にしまってみせたんでしょうね。(岡嶋真紀)
■太刀魚のベールとかショールがあれば便利だろうなあ。するする。(竹井紫乙)
■太刀魚自身の動きをこう言ったのか? 海中で見たことないが、きれいかも。(岡野泰輔)
痛風やじつとしてゐる熱帯魚 竹内宗一郎
◯川合大祐
■熱帯魚の静止、と「痛風」という病気の「動き」が対比されていて、面白かったです。(川合大祐)
■痛風は作者とみるのが妥当だが、熱帯魚だとすると餌を変えた方がよい。(岡野泰輔)
■痛風と熱帯魚がこんなふうに結びつくとは!痛風を患っているのは作中主体なのだろうが、熱帯魚との境界線が曖昧になる感じがおもしろい。(瀧村小奈生)
肺の辺に付ける魚卵製造機 竹井紫乙
■なぜ肺の辺りに? なぜ魚卵製造機? ちょっと怖い感じも。(瀧村小奈生)
■肺の辺りってところが面白いです。この魚卵、孵ったら肺呼吸するのでしょうか。(川合大祐)
父親は痩せていたのか魚竜釣り 川合大祐
■魚竜の存在を始めて知った。「父親は痩せていたのか」という問いとの距離感がおもしろい。(瀧村小奈生)
■「魚竜釣り」のインパクトが凄い。父親が実は痩せていたことに気づくのが、魚竜釣りの時という不条理なおかしさと衝撃。ドリフのコントみたいなセンスですね。(岡嶋真紀)
問100で魚と星とまぜられている 柳本々々
◯岡野泰輔◯川合大祐
■では問99まではどうだったのか、101問目からはどんな試験が展開されるのか、そもそもこれは試験なのか、いろいろと妄想できる句です。(川合大祐)
■問100まで真面目につき合ってきたのにひどい出題者だ。出題者側組織の悪意を感じるカフカ的世界。魚と星がまぜられた問題が中空にきらきらしてそれは壮観だろう。(岡野泰輔)
■根性のない私は問100まで持ちこたえられそうにもない。もう魚と星がまぜられていても気づかないにちがいない。(瀧村小奈生)
【聴覚関連】
うどん屋で振り向いたのはオペラ歌手 樋口由紀子
◯柳本々々
■うどんとオペラが一緒の場にいられたことを発見できたらもうこれはこれとしてなにもいうことなくいいんじゃないか。(柳本々々)
■オペラ歌手は振り向いたときに揺れる空気がもうすでにオペラなのかも。それがたとえうどん屋であっても。大胆な力技に脱帽。(瀧村小奈生)
コアラ以前のキャーッコアラ以後のキャーッ 柳本々々
◯竹井紫乙
■有袋類のコアラなので親離れの句と読みました。コアラのマーチを初めて食べる前の幼児と、食べてみた後の幼児、と読んでもいいのかもしれない。コアラの鳴き声ってわりとびっくりする。幼児のキャーッも、どきどきする。(竹井紫乙)
■分かってしまうことにいたたまれないけれど、以前と以降にはたしかに大きな違いがありますね。(岡嶋真紀)
■何かの以前と以後では「キャーッ」という叫び声すらまったく違ったものに聞こえるのだろう。時節柄、「コアラ」はコロナの聞き間違いかと思ってしまう。キャーッ(瀧村小奈生)
ツクツクツクボーシと下り電車ゆく 瀧村小奈生
◯竹内宗一郎◯こしのゆみこ
■字数をそろえたのか「ツク」が多いのも楽しい。簡単そうだけど、こんな感じに自然に書き切るのは案外難しい。もうちょっとなにか情報を入れてリズムを狂わせるのがオチである。「上り」でも「下り」でも同じ感じがするけれど、「下り」の方が断然いい。「上り」はおつとめ、下りはレジャーなのである。最初、洋服かなんかに掴まったツクツクボーシと電車に乗ったのかと思ったが、「ツクツクボーシ」とのどかに伸ばしているのは外だ。などといろいろな風景を想像できるのもうれしい。(こしのゆみこ)
■下り電車だから都心から離れてゆく、ツクツクツクがそんな感じを佳く表出している。(竹内宗一郎)
■ツク=着くかもしれませんね。「下り」にしたところが見事だと思いました。(川合大祐)
稲妻やまださけびなきNASA動画 川合大祐
◯岡嶋真紀
■宇宙のBS特番に出るNASAのあの映像に、音がつくようになったらきっと「さけび」がつくだろうという確信に驚きました。稲妻程度の大きさでは済まないんでしょうね。とてつもないエネルギーから、いったいどんなものが聞こえるんでしょう。NASAの動画にいつか「さけび」がついたとき、果たして我々は正気を保てるんでしょうかね。(岡嶋真紀)
■「稲妻」は「さけび」を導き出す修辞なのだろうか。序詞的なおもしろさを感じた。(瀧村小奈生)
空耳をたよりに島の月もがな 岡野泰輔
◯こしのゆみこ
■辞書には「もがな」はあればいいなあ、という意味とあるから空耳をたよりに島の月を探しているのだろうか。私は「もがな」は捥ごうとしている? 月を捥ぐ? 空耳の鳴る方にみちびかれて月を捥ぎに行くとよみたい。空耳も島の月も非現実的で実に美しい。どちらにしてもわくわくする。(こしのゆみこ)
■空耳アワー。を思い出すのはもはや少数派なのでしょうか。「もがな」は雅なような、ふざけているような、なぜか藤原道長を連想してしまうのでした。空耳をたよりにするのは危険ですね。(竹井紫乙)
■島の月があったらなあというつぶやきに好奇心をそそられて、空耳で何を聞いたのか知りたくなる。(瀧村小奈生)
山縦に伸びて鹿鳴くこと二日 生駒大祐
◯竹内宗一郎◯岡野泰輔◯樋口由紀子◯こしのゆみこ
■山はたしかに縦に伸びていく、その冗語法が鹿の鳴き声にも掛って哀切。古典的な深山と妻恋の鹿の構図を借りている。作者は家にいて聴いている「今宵は鳴かず寝ねにけらしも」みたいに、鳴くこと二日がその構図にはまる。(岡野泰輔)
■山が縦に伸びていくという感覚が新鮮。鹿が鳴いたのはほんの二日なのか、たっぷり二日なのか。二日間の心情も気になる。(樋口由紀子)
■「山縦に伸びて」は鹿の鳴き声の比喩なのだろうか、山が縦に伸びるなど地殻変動が起こったとしか思えない。いずれにしても鹿の哀切な声が二日続いているのである。胸が締め付けられるような句だ。こんな風に哀しみを描写出来ることがすごい。(こしのゆみこ)
■山が空へ伸びてゆく感じ、これは錯覚だろう。鹿の鳴き声はその錯覚を起こさせたトリガーか。(竹内宗一郎)
■山は折れ線グラフの山だろうかと思ったら基礎体温表になってしまった。それは困る。こんなゆかしい言葉が並んでいるのにそんな簡単な話では困る。(瀧村小奈生)
■時間と空間の「伸び」が「鹿鳴く」で結節されていて、なるほどと思いました。(川合大祐)
住宅街歩く房事やと思う 竹井紫乙
◯岡嶋真紀
■人気のない住宅街を歩くとき、気まずさやいたたまれなさを感じます。それを「房事」と表現したのが凄いと思いました。自転車・おもちゃ・洗濯物などと、住宅街の至る所で目に入るものから、住んでいる人々の情報が分かりますよね。どことなくその乱暴さには、房事と共通するどぎまぎする何かがあることに強く共感しました。(岡嶋真紀)
■歩くで切れて、聞こえてしまったという状況か。房事やのやは切字ではないよね。とすると関西弁か?昼間と思った方がおもしろい。(岡野泰輔)
■静まり返った住宅街を歩く。静かだが息づくものの気配のある人の世の夜なのだと了解する。(瀧村小奈生)
新しい歯ブラシの音鰯雲 岡嶋真紀
◯竹内宗一郎◯瀧村小奈生
■自分が歯ブラシをつかう音なら「新しい歯ブラシの音」は外からではなくて中から聞こえる音。それは聴覚だけではなくて、いろいろな感覚の総合として聞こえてくる音だ。だから「新しい」こともちゃんとわかるし、白くて美しい鰯雲にもつながっていく。(瀧村小奈生)
■自分にしかわからない新しい歯ブラシの満足感が巧く表現できていると思う。(竹内宗一郎)
■「新しい歯ブラシの音」と「鰯雲」のぶつけ方が、とても面白かったです。鰯雲と歯垢の視覚イメージを結びつける、以上のことがなされている気がします。(川合大祐)
夜の秋ことば少ないあそびせり こしのゆみこ
◯岡野泰輔◯柳本々々
■聴覚が消えたなかでものこってゆく遊びの感覚。秋で、夜で、だれかがめのまえやとなりにいて、まだあそびができるじぶんもいて、ことばはいらなくて。いいんじゃないか。(柳本々々)
■「ことば少ないあそび」がひとつのことしか思い浮かばない頭になっています。房事でおしゃべりという方は少数でしょう。それにあれは言葉以前の声?夜の秋は実に適切、涼しくなってきたし、そろそろ。(岡野泰輔)
■「ことば少ないあそび」をする人の耳に何が聞こえているのかが気になる句である。(瀧村小奈生)
■「秋の夜」ではないところが面白いです。「ことば少ない」のは17音字の宿命ですが、「あそび」の限りを尽くしているところが、「夜の秋」に集約されているようで、考えされられました。(川合大祐)
肛門や祭太鼓に共鳴す 竹内宗一郎
◎川合大祐◯竹井紫乙◯柳本々々◯生駒大祐
■強烈な共鳴。体内からこの句自体が響いてくるようです。(川合大祐)
■耳から離れた肛門で音をうけるのがいい。しかも「肛門や」と肛門に切れ字がついて、肛門からくうかんがひろがってゆく。芭蕉の「閑さや」はもしかしたら肛門からも読み直せるんじゃないか。(柳本々々)
■あまり現実の身体感覚と直接的に結びつけずにナンセンスな句として読んだ方が面白いように感じます。良いバカバカしさ。(生駒大祐)
■なんといっても聴覚関連の句というのがお題ですから、この句が一番「音」を感じました。音は体全体で受けるものだと思うので。共鳴しました。(竹井紫乙)
■確かに祭り太鼓はびんびんとからだじゅうを震わせる。私はまだ自分の句に「肛門」という言葉を使ったことがない。(瀧村小奈生)
■太鼓のそばにいるときの、腹の下がムズムズする感覚をは確かに「共鳴」ですね。「肛門」としたところに思わず笑ってしまいました。(岡嶋真紀)
以上30句。
3 comments:
この度はお世話になり、ありがとうございました。楽しませていただきました。すべての句にコメントがついているのがよかったです。(竹井紫乙)
みなさま、ありがとうございます。緊張して妙なところにまで力が入って筋肉痛になりました!頭も言葉ももっと柔軟になりたいなあと改めて実感しました。
この度はありがとうございました。
コメントがついていて非常に嬉しかったです。
鑑賞を見てから、見逃していたポイントに気付くことが多々あったのでこれからも精進していきたいです。
ありがとうございました。
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