【週俳11月の俳句を読む】
冷たき影に
小林すみれ
旅夢想布団に初時雨の音に 田中八目
一日一日と冬が深まって行く。いつものように気軽にどこかへ行くことが難しい昨今。だからこそ温もりに、ささやかな窓外の音に、旅を感じているのだろう。かつて行った思い出も重なって、より旅を恋しくさせる。リフレインが温かくやさしい。
知ることや愛する事や朽葉微光 田中八目
知ることも、愛することもどれも大切なことだ。生きてゆくことの支えになり勇気にもなる。よく言われる「前向きに」という言葉は便利だけれど、人生の道のりはなかなか平坦に、とはいかない。そんな時に道案内のようにそれらはすっと光りを届けてくれるのだと思う。
錘状体捨てて寒林かがやきぬ 田中八目
錘状体はいらないもの、無駄なもの。きっぱりと捨ててしまえば、すっきりとした寒林が別のものに見えてくる。頬に当たる風の冷たさや、今まで隠れていた星々など。どれも真直ぐに身の内に飛び込んで来る。ささやかなものとは何故こんなにも美しいのだろう。
橋に鳩マフラー貸してそれつきり 大塚凱
雪の降りそうな寒い夕暮れ。思いのほか薄着の相手に、別れの間際そっとマフラーを渡した。貸したきりになっても後悔のない大切な相手。けれどいつも隣にはいてくれず、マフラーとともに自分の前から消え去ってしまった。いつものように。昔のように。
冬しんしん隣は何味のシーシャ 大塚凱
シーシャとはイスラム圏の水タバコのこと。フレーバーがつけられた煙草の葉を加熱し、水を通したものを吸う。シーシャ屋と呼ばれる店の水パイプという器具で吸うらしい。フレーバーはミントやフルーツや花など多岐にわたる。映像でしか見たことはないが、とても神秘的でエキゾチックに感じられる。作者もお隣もその時の気分に合わせてフレーバーを選んでいるのだろう。こんな毎日だが気持ちに余裕があってなんだか羨ましい。外は「冬しんしん」だが、フレーバーを味わってイスラムの世界へ瞬間移動してみたくなる。
駅に立つみんなだんまりみな木の葉 大塚凱
今駅に立っている人は、もれなくマスクをして目許は少し疲れが滲んでいるだろう。世界中の人達はたぶん、いつもより口の周りの筋肉も落ちているのではないだろうか。仲間と会って話すことと、オンラインとでは熱量がちがう。話しているのだけれど、何かが足りない、届かない、そんな歯がゆさがある。本当に少しの風でも吹かれてしまう木の葉になったように心許ないのだ。心に封じ込めていた哀しみが何故かふっと湧いてくる一句。
月一度会う人のいて炉のまわり 鈴木春菜
作者は茶道を嗜んでいるようだ。月一度のお稽古を楽しみにしている様子がわかる。作法の厳しい茶道ではあるが、今年はいつものように滞りなく行われていたのだろうか。炉のまわりに人がいて、炉の暖かさではない温もりがある。途中で茶道を脱落した者としては、亭主の厳しくもあたたかい一期一会のもてなしが懐かしい。
冬の夕指につながる水の音 鈴木春菜
微かな音を感じとる繊細な把握。日中は穏やかな日差しを感じるが、今ごろは日が落ちると途端に冷え込んで来る。ひと段落ついた夕暮れ、水に入れた指にさざ波のように冷たさがやってくる。
冬の灯を消して冬の灯のほうへ 鈴木春菜
温もりを求めるように灯を消しては明るい方へ。「冬の灯」って少し淋しいあたたかさがある。とても惹かれる景だ。白色系より暖色系の方が冬らしい。冬灯下には人がいて、笑ったり、泣いたり、話したり、叫んだりしているのだと思うと心安らぐ。道々それぞれの家の灯りに思いを馳せ、いつもよりほっとさせるものが確かに冬の灯にはある。
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