【週俳11月の俳句を読む】
見えない島を見る
柴田千晶
神無月眩暈こそが証なり 田中目八
空想を繰返せよと枯葉かな 同
旅夢想布団に初時雨の音に 同
眩暈、空想、夢想、という言葉から、体から意識だけが浮上するような感覚が伝わってくる。目眩が何の証なのか、なぜ空想を繰り返せと命じられるのかはわからない。布団の中で、旅を夢想し、初時雨を聴いている体は眠っているのか、死んでいるのか。「青へ、或いは岸辺から」という表題から、〈彼方〉を描こうとしている感じが伝わってくる。
連禱の如く冬星座をわたる 同
冬の星座まで祈りの声が響き渡ってゆく。渡っていったのは祈りの声だけなのか。魂、あるいは眠る人の意識のようなものも渡っていったのかもしれない。
氷瀑は異なる知性を記しけり 同
〈彼方〉に掛かる氷瀑に記された知性とはなにか。人類とは違う、別の生命体の存在の証なのだろうか。そこに記されているものが、怖いくらいに美しい一編の詩であったらと思う。
襖開けまた手をかえて襖閉め 鈴木春菜
冬の夕指につながる水の音 同
袂より手の美しく炭をつぐ 同
静かに開閉される襖、微かな水の音、炭の火の明るさ。そして、美しい手の動きだけが見えている。手の先にある体も顔もぼんやりしている。だからなのか、この手は少し怖い。手の先にあるのは幽界、あの世の軀なのかもしれない。
白息やよく燃えさうな小屋の中 大塚凱
小屋の中にいて、よく燃えそうだと思っている。外からではなく、中にいて思っているところが興味深い。小屋と一緒に自分も燃やされるイメージを抱いているのだ。日常の中で、瞬間的に死を意識するシーンがある。例えば、建設現場で、クレーンが鉄筋を吊り上げている時、その側を通過する瞬間など。
この句にも瞬間的な死が見える。それは少し心地良い。
鯛焼や晴れただけでは見えない島 同
鯛焼を食べながら海を見ている。遠くに島が見えるはずなのだが、晴れているのに今日は見えない。見えない島は、ほんとうに存在しているのだろうか。鯛焼の温もりだけがじんわりと手に伝わってくる。
冬蜂めりこむ泥のみるみる乾く 同
駅に立つみんなだんまりみな木の葉 同
日常が早送りされて、泥はみるみる乾いてゆく。めりこんだ冬蜂もあっというまに化石になってゆく。駅のホームに立つ人はみんな黙りこんで電車の到着を待っている。やがて人は、カサカサと木の葉のように崩れて消えてゆく。
その時、ホームの〈彼方〉に、見えない島が現れるだろうか。
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