【週俳11月の俳句を読む】
それぞれの指向で
鈴木牛後
今回は三人の方の俳句を読ませてもらったが、それぞれの指向で俳句に向かっているという印象を受けた。どれが良いとか悪いとかいうことではなく、多様性こそが現代俳句なので、これからも読者を楽しませていただきたいということ。
冬の灯を消して冬の灯のほうへ 鈴木春菜
8音+8音の対句表現。同じ字数というのはきれいなようでいて、安定しすぎることでかえって気持ち良くないというのが、一般的に言われることだろう。この句ではどうだろうか。
この句には、自室の照明を消してから家族のいる居間へと向かうということか、あるいは外出時、自宅から駅へ向かうのか、いろいろな景が考えられる。いずれにしてもその間は寒く、暗いところを通らねばならない。「冬の灯へ向かう」ではなく「冬の灯のほうへ」としているところから、行為よりも感情が先へ行っているようにも思える。行き先の「冬の灯」を渇望するような心持だ。一字足りないことから、また、安定しすぎていることの不安定さから、そのような心の動きを受け取ることができるだろう。
錐状体捨てて寒林かがやきぬ 田中目八
錐状体とは、目の網膜にあって色を認識する細胞。網膜には他に、明暗を感知する桿状体という細胞がある。錐状体と桿状体の数を比較すると、圧倒的に桿状体が多いらしい。それは色よりも明暗によってものの形を知ることの方が動物にとって重要だからという理由だそうだ。
掲句では錐状体は捨てるという。錐状体を捨てた目には寒林はどのように見えるのだろうか。色がなく明暗ばかりがある寒林。もともと寒林には色は少ないが、だからこそ幹や枯葉のささやかな色が際立っているはずだ。それさえも捨て、寒林そのものを見るとはどういうことか。もし寒林の一本一本の木が俳句だとすれば、錐状体で見えるのは句にまつわる既成の情緒なのかもしれない。錐状体を捨てて桿状体で俳句を見れば、たちまちそれは光を得て輝き出すと言いたいのではないかと、作者の十句を読んで思った。
白息やよく燃えさうな小屋の中 大塚凱
木造の古い小屋。離農した農家の納屋のようなところか。中はがらんとしていて、内壁の木はささくれ立っている。ちょっと火をつければ、逃げる暇もないほど一気に燃え広がることだろう。そんな小屋に忍び込んだ少年たちを想像する。「探検」などと称してそんな無人の小屋に行くのは、いかにも彼らの好きそうなことだからだ。冬の寒い折、何かしゃべるたびに、口からは白息が放たれる。もしかしたら、煙草なども持ち込んでいるかもしれない。今なら百円のライターだろうが、ここはマッチが似合う。マッチを擦って煙草に火をつけ、マッチの火は吹き消して捨てる。一歩間違えば火事になるということに、彼らはまだ気づかない。少年の白息、煙草の煙、そしてマッチの火の交錯する緊張感。そんな情景をこの一句から想像した。
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