【週俳4月の俳句を読む】
健康的で、今日的な
佐藤りえ
しばらくを地にくつついて石鹸玉 姫子松一樹
人間が地にくっついている、のでもいいのかもしれないが、「地にくつついて」いるのは石鹸玉そのものだと読んだ。
「○○老人会」というミームがある。たとえばインターネットについて、現在は大容量通信が常時接続可能だが、20年前はダイヤルアップでテレホタイムに…などと言い出すのは「インターネット老人会」なんだそうだ。
石鹸玉についてこどもあそび老人会として思うのは、石鹸玉、丈夫になったよな、である。昭和のママレモンを薄めた液でできた石鹸玉はすぐ割れた。大きくつくるのも難しかった。だからこの「地にくつついて」ちょっとの間割れない石鹸玉は、きわめて今日的なものの感じがした。
諸子釣る婚姻色のひかりかな 姫子松一樹
モロコのおおもとは琵琶湖の固有種らしいが、歳時記的にはそうでもなく、野川や田溝にもいるとされている(合本俳句歳時記新版/角川書店)。釣り上げたモロコが婚姻色のものだった。婚姻色とは繁殖期にのみ変化する体色のことだが、モロコの場合は雄の全身が金色に変化する。なんだかめでたい色、聖なる色といってもいい。モロコそのものが本来地味ないでたちのちいさな魚だから、その驚きはささやかでありながら、妙なるものとして仰ぎ見ることになったのだろう。
眠りかたを毎夜忘れてしまふよ菫 横井来季
不眠のころは本当にきつかった。眠ろうとする思惟が邪魔で眠れず、しかし「眠ろう」以外のことを考えたひには心中穏やかならざるのでかえって眠れず、精神衛生にもよくない。野比のび太のように枕に頭をつけて3秒で眠れたらどんなにいいか、と、わりと真剣にそう思った(最近はそれはそれで医学的には「昏倒」の部類に入ると言われているようですが)。
考えなくてもできること、は考えるとできないこと、である可能性がある。毎夜眠りかたを忘れては思い出し、なんとか生きつないでいるのだろう。それは毎夜生き直している、と言い換えてもいいんじゃないか。かような悩み(愚痴?)の打ち明け先として、菫は至極まっとうな斡旋先と思われる。
火酒叩くなづきの部屋を一つづつ 横井来季
中島らも「今夜、すべてのバーで」は日本のアル中小説の嚆矢(中堅かな)であるが、文中で主人公・小島容は絶てない酒を求め、アル中治療のための入院中だというのに、いきがかり上とはいえ、ついに霊安室の清拭用メチルアルコールにまで手を出してしまう。そこまでして酒を恋う者の飲酒の表現は詩的でさえある。「電熱コイルにスイッチがはいった感じで、胃の腑と食道に、ぽっと灯が点る」(中島らも「今夜、すべてのバーで」)
掲句のほうはウォッカやテキーラなどの火酒(蒸留酒)が脳内の部屋をご丁寧に一室づつ叩いてまわる、というもの。「酔い」とは何か、前述の陶酔めいた惹句などよりきわめて健康的に描写されている。二日酔いの念の入った容赦ない衝撃が、レスラーが繰り返すストンピングのように執拗に続くのがよくわかる。
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