【週俳4月の俳句を読む】
かすかな濁りを伴った白
内野義悠
4月が来るといつも、「白」という色があたまの中に浮かんで広がってゆきます。日本に於いては新年度のはじまりであり、新しい生活や仕事をスタートする人も多い月だからかも知れません。
ただ、浮かんでくるのは「白」とは言っても純白ではなく、かすかな濁りを伴った白なのです。いわば再生紙みたいな。
その濁りは何に由来するのかを毎年考えるのですが、未だにふわっとしていて掴めていません。或いはその濁りそのものこそが、「春」という季節の空気なのかも、と思ったりもします。
そしてそんなことを考えていた記憶ごとリサイクルされて、きっとまた来年も少しだけ春に濁った「白」が浮かぶのかなとも思います。
ぐるぐる春を繰り返すことの、ほのかな愉しさ。
そんな気分の中で読んだ、『週間俳句』4月の佳句でした。
書く前の言葉つぶやくシクラメン 千鳥由貴
自分の中のやわらかな感情であるかも知れない「言葉」。
それを文字という眼に見えるかたちに変換する前の小さなつぶやき。
その行為はつまり、言葉を発する自らとそれを受け取る読み手、それぞれを守るために作者の必要としている崇高な儀式のようにも感じられます。
「言葉」をぽとぽととやさしく溶かし込んでゆくような時間は、シクラメンの内包するしっとりとした質感にどこか通底するものがあるように思えました。
みやこ鳥春からのこと話し合ひ 田中木江
みやこ鳥の飛来する「冬」という現在地から見た、「春からのこと」という措辞に透ける、一見未来志向のあかるさ。
しかし句群を読み進めてゆくと、冒頭に置かれたこの句は距離的・物理的な「別れ」を前提とした感傷を孕んだ句であるらしいことが分かります。(その感傷はラスト二句に象徴されています。)
北方からの遥かな距離を渡り来て、やがてまた去ってゆくみやこ鳥に、ごく近い将来「この町」を離れることが決まっている自分(もしくは話し相手)の姿がゆっくり重なる。その余韻が静かに心地良い一句でした。
目(눈)と雪(눈)が同じでまぶしさの仲間 原麻理子
個人的にハングルの文字の法則性(?)に疎いこともあり、「눈」の一字に重なるふたつの意味を知った、その瞬間そのものが眩く感じられました。目と雪、それぞれがどこか光を帯びたものであることも、一句に祝祭性を纏わせている気がします。
なによりその共通項を、「まぶしさの仲間」という言葉に置き換えて表現できる作者の感性がとても好きな作品でした。
着信の明滅のみの部屋朧 うっかり
「のみの」という状況に、そこに至るまでのいろいろな物語的文脈を想像することができます。
照明の消された部屋におそらくは一人で佇む作中主体の心理のゆらぎが、明滅するかすかな光と「朧」という季語に仮託されています。
それでも着信がある以上、誰かが作中主体を求めているわけで完全な「独り」にはなれない。
たとえ灯を消して暗闇のなかに沈んだとしても、部屋の外界との繋がりを断たせてはくれない着信だけが一句の中で限りなくリアルに感じられます。
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