【週俳5月の俳句を読む】
心のままにことば匂ひゆく
穂積一平
俳句を読むというのは、どういうことなのかと思う。物語や小説のように、なにかの虚構に分け入って楽しむというわけではない。ドキュメンタリーのように新しい知見を尋ねるというわけでもない。言って見れば言葉の断片の詰め合わせのなかに、その作者の生活と読者の生活との一瞬の閃光を見つけて、驚いたり、また面白がったりするだけのこと。だがその閃光が、ひとつの亀裂となって、ある種の共感を呼び起こす。
ひとには、それぞれに好きな句というものがあって、好きな句と一般に秀句などと呼ばれるものとは微妙に異なっていることに気づくことがある。むしろ秀句だ、秀句だなどと喧伝されてしまうと興ざめがして共感以前に気持ちが失せてしまうこともある。「おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉」という芭蕉の句が、わたしはずっと好きで、なにか事があるたびに思い出すのだが、これば芭蕉の典型的な代表句というわけではない。
この句は人生のようなものか、いやいや、人生は鵜なのかそれとも鵜匠なのか、はたまた鵜舟か川か水か、あるいは、句作という行為もこのようなものか、ひとの出会いも別れもこんなものではないか等々……いろいろに想念してみる。だがどれも違うような気がする。この句がなにかの喩えだというなら、「鵜舟」を「人生」だとか「人の世」だとかに着せ替えてみればいいということになる。
だが、決定的なのはこの「鵜舟」のイメージなのだ。そうでなければ例えば「猿回し」でもいい。鵜や鵜匠、川や水のきらめき、ときには篝火。そして幸いなことに、この国では、大昔からつづく鵜飼をいまも見ることができる。対岸の山々、あるいは家々、人々のざわめきと波のかがやき。有名な長良川、あるいは京都の嵐山や宇治。当然ながら歴史の堆積もある。そこに心を通わせるとき、はじめて「おもしろうてやがてかなしき」なにかが、おのずから現れでてくる。
鎌倉時代の歌人京極為兼は歌について、こう主張している。「ことばにて心を詠まんとすると、心のままにことばの匂ひゆくとは、変れるところあるにこそ」(『為兼卿和歌抄』)。
この主張こそ、京極派と呼ばれる何百年も続いた和歌という文芸のひとつの頂点を形成するものだった。つまり、言葉で心を詠むのではなく、心のままに言葉が匂うように歌わなければならない。言葉で心を詠むというのは、ようするに心を言葉の論理で解釈してみせるということだ。心を言葉に従わせるということになる。そうではなく、心は言葉よりも大きいのだ。だから、心があるままに、言葉を探し、ときには作って(それゆえ京極派には「特異語」といわれるものが登場する)、言葉をこそ心に従わせなければならない、ということである。
これを読む側に援用してみるとどうなるのだろうか。前述のように「鵜舟」をなにかの喩えに限定して解釈してしまう(心を言葉に従わせる)のではなく、その言葉が匂う、つまり言葉がもたらす無数のイメージの自由な連鎖のなかにこそ「心」なるものが現れる、その「心」をすこしでも見届けようすること、こういえばいいだろうか。
***
麗らかや器の底のアラベスク 加藤右馬
アラベスクはアラビア風という意味。端的にはあのアラビア模様であり、イスラム美術を彩る幾何学的でありながら、不思議にエロティックな図像だ。サマルカンドの青。だが、わが国ではモスクなどめったに見かけないから、このアラベスクも「器の底」(あるいはこれは空の底の意味か)に沈んでいる。この図像をエロティックと感じるのはすこし冒涜的かもしれないが、それでも花々や空行く雲の形象にはたらく幾何学的な力とでもいうべきものが、文様の規則性を自然の根源的な力の発現のように感じさせる。そう、細胞たちは規則にしたがって分裂し、木々も花々も動物もその規則によって成長する。ならば器の底に「麗らか」に輝いている、反復するアラベスクは、変化するもの、流動するものの、それは流れゆく「心」の姿ではないか。
そしてもうひとつの要約がこの「アラベスク」にはまとまりつく。「アラベスク」とはまさに流動そのもの、つまり音楽なのだ。とりあえずは三つの楽曲が思い浮かぶ。一八三九年のシューマンの「アラベスク」。一八五二年のブルグミュラー「二十五の練習曲」のなかの「アラベスク」、そして一八九一年ドビュッシーの「二つのアラベスク」。なぜ作曲家たちはアラベスク模様に音楽を見たのだろうか。動くはずのない模様が反復する幾何学的な力によって流動するもの、変化するものを感じさせるからにちがいない。シューマンの特徴的な付点音符、ブルグミュラーはピアノの練習者ならだれもが通るはじめての技巧的な表現、ドビュッシーのピアノ曲も初期の作品とはいえ、そのきらびやかな流動性は、崩れては結ばれる三連符の「アラベスク模様」によって綴られていく。こうして不動のアラベスクは音楽によってほんとうに流動するものとなる。器の底にとどめられた「麗らかさ」は、その動きによってこそわきあがるだろう。
***
花樗くちに口笛透けるまで 楠本奇蹄
樗、「楝」とも書き、栴檀のこと。初夏紫色の花をつける。「新古今和歌集」の夏の部に印象的な歌がある。
樗咲くとのものこかげ露落ちて五月雨晴るる風わたるなり 前大納言忠良
折口信夫は「歌の話」のなかで、名人を輩出した新古今時代の歌のなかでもとくに「よいもの」としてこの「樗咲く」の歌をあげている。折口の現代語訳にしたがえば、
「樗の咲いている家の外側の木立ちの下蔭に、ぽたぽた露が落ちる程に、風が吹きとおる。それは、幾日か降り続いておった梅雨が上がる風である」
密集して咲く樗の花は、遠くからみれば白い雲のようにも見えるし、近づけば肌に薄い紅をそえたようにも見える。折口が指摘するのは、おそらく下の句に凝縮された梅雨の晴れ間に渡る風が、この樗の花と共鳴するところにあろう。露も風も降りやんだ雨によってあらわれでる花のすがたに凝縮される。察すれば、作者はこの木を見あげ花を見あげ、さらに雨の晴れた空を見あげて、露をおとす風を感じている。この感じ方のなかに「叙景」が孕まれる。風や露や樗という言葉は、いっそう親密に「物自体」に近くあって、いわば風は真の風であり樗もまた真の樗なのだ。この「真の」というところに、梅雨の晴れ間(五月雨晴るる)がある。しかし「晴れる」というは、どういうことなのか。それはじつは存在するものがすべて引き上げてしまったということではないのか。
いっぽう「くちに口笛透ける」という凝った表現は、花樗の遠景というよりも近景。全体を見渡すのはすこし難しいが、「花樗」のイメージがあれば木のすがたは想像されるだろう。そこでは、いっそう表現は凝縮されながら、風の音(口笛)もあれば、晴れる(透ける)空間も集められている。「くちに口笛透けるまで」となんどか繰り返してみる。口笛のかたちのなかに生れる音とその口のかたちが「透けるまで」。くちから出る音がまさに透けて口笛となるまでに。音は時間を孕む。そのプロセスとともに樗の花は色付いて見せる。やはりどことなくエロティックな風情をただよわせながら、触覚がほのかに機能しはじめる。晴れ間は透けることによって、つまりそこにあったものが透明になって消えてしまうことによって、なにか触れえる「物自体」に近づくかのようだ。くちは口笛となって唇に近づいていく。その透き通った唇こそが樗の真の花であろうか。
最後に樗にまつわるもうひとつのイメージも喚起しておこう。「平家物語」巻十一「大臣被斬(おおいどのきられ)」の場面。元暦二年六月二十三日、壇ノ浦で捕えられて後斬首された大臣父子(平宗盛、清宗)の首は樗の木に吊るされる。
「検非違使ども、三条河原に出で向ッて、これをうけとり、大路をわたして、左の獄門の樗の木にぞかけたりける」
なお、南方熊楠が死の直前に天井に「紫の花が見える」と言ったのは栴檀、この樗の花のことだったと言われている。
***
銀山を銀色に鳴く時鳥 鈴木総史
家の近くの森から、夜中に唐突に時鳥の鳴き声が聞こえることがある。まだ明けやらぬ暗闇のなかで、なにを鳴いているのか。
ほととぎす鳴きつるかたを眺むればただ有明の月ぞのこれる 千載集・後徳大寺左大臣
百人一首にもとられた有名な歌があるくらいだから、昔もやはり夜中から明け方にかけて時鳥は鳴いていたわけだ。また、
「うぐいすは聞き、ほととぎすは待ち侘びる」
と鬼貫は書いている。出版された歳時記にはこの本情(鬼貫「独りごと」)に触れていない場合もあるけれど、いにしへ人たちは、うっとおしい梅雨から夏への変化の知らせを、このぎこちない鳥の声に見出した。もちろん、夜中だけでなく明け方にも、昼間にも時鳥は鳴く。だが、あいにく姿を見たことがない。姿なき鳥なのだ。
さて、銀山とは、どこの山だろうか。特定は避けるにしても銀山は銀色ではない。また時鳥も銀色ではないし、鳴き声が銀色であるわけでもない。声に色を見る、こうした感覚の転移表現を「共感覚的表現」というようだが、ランボーの母音に色があるように、「声に色ある」歌というものがわが国にも古来からある。
花の上の暮れゆく空にひびき来て声に色ある入相の鐘 風雅集・伏見院
言葉が自由に感覚のうえを飛翔するとき、実際にはなににわたしたちは触れているのだろうか。銀色、声、時鳥の連携はじつは色彩でもなく、音でもなく、形態でもない、真っ暗闇のマッス(塊)にひたされた事象に残された痕跡のようなものが綴る「心」ではないか。事実、句そのものはただの言葉の羅列であって色も匂いもない。時鳥の声がどことなくカタカタと聞こえると思ったとたん、なにもない暗闇に落ちていく裂け目がひろがる。銀山の深い洞窟のなかに銀は眠っている。
***
五月闇釘のまはりに槌の跡 野城知里
闇のマッスが世界を覆いつくす。電気が隅々までゆきわたった近代の生活では、ほんとうの闇を体験するほうがむずかしくなってしまった。ビルの狭間にある狭い路地の奥の奥とか、電灯を消したベッドの隅の隅とか、そういった小さな領域にしか闇は存在しない。しかしかつては「源氏物語」で末摘花の容姿を源氏は一夜明けたあとになってようやく気付くという、いまでは考えられないような事態も起こっていた。あるいは玉鬘と蛍のエピソードを想い起してもいいかもしれない。闇の深さは尋常ではない。もっとも現代でも夜の森や山に行くと、あたり一面の闇に圧倒されることがある。そんなときは月がつくづく明るいものだと気づくのだが、曇り空に月はない。
五月闇。自分の指先すら見えない闇というものが、ときにはあるのだ。そんな闇のなかでも生き物たちはふつうに動き回っている。人間は動物のように何キロも先の匂いを嗅ぎ分けたりできないから、おのずから触覚にたよらざるをえない。どこかに打ち付けた釘のまわりのでこぼことした感触が、ようやく昼の生活の名残を知らせる痕跡のように立ち現れる。「槌の跡」。それにしても、と思う。カンブリア紀の生態系の頂点に立ったといわれるアロマノカリスが最初の目を獲得する以前の世界。生き物たちが匂いと触手だけをたよりに生きていた世界。光のない世界。この世界こそがある意味では全き平等の世界ではないだろうか。闇のなかから釘を打つ槌の音が聞こえてくる。
***
紫蘇の葉や宇宙のやうな晴の空 上田信治
わが家の入り口の石階段の隙間にも紫蘇が生えている。ちかづいて嗅いでみると紫蘇が匂い立つ。さわやかで、なつかしい匂いがして、食欲を誘う。米の飯が食べたくなる。口の中にひろがる米粒の感じが匂いとともにある種の幸福感をもたらす。紫蘇の匂いもまたマドレーヌとおなじように記憶を喚起するだろう。情景はひとそれぞれであっても、匂いにまつわる至福感とデジャヴのような食卓風景が一瞬世界を覆いつくす。そこに誰がいたのかと考えるとまるで小説の出だしのように、暗く曇りがちの記憶の底から晴れ間が立ち上がる、というわけだ。
「声に色を見る」という表現について前述したが、この匂いというのは、はるかに根底的にわたしたちの感覚のすべてに横たわる、原=感覚とでもいうべきもののようにも思われる。それは音や色や肌合いのすべてに横滑りして、至福と嫌気をより分ける機能をもつかのようだ。実際この「におい」という表現は単純ではない。古語辞典で調べてみると、色合い、色つや。輝くような美しさ。気品、魅力。四番目にようやく香り、におい。さらに栄華、威光。気分、余情と続く。どの辞書も同じというわけには行くまいが、現代語でも匂うような美しさといえば、どこかエロティックな肌合いを含意しつつ見ることの至福感を嗅覚というよりも触覚と視覚の交わりのなかに展開して見せる。
紫蘇の葉がもたらす匂いのイメージもまた、事象の根底にひろがる宇宙の感覚的な晴れ間を喚起する。天文学では宇宙マイクロ波背景放射というものが観測されていて、わが宇宙はビッグバンから三十八万年後、絶対温度で三千度まで冷えた時、突然、霧が晴れたように透明になったことがわかるそうだ。これを「宇宙の晴れ上がり」という。
了。
0 comments:
コメントを投稿