2024-06-16

守屋明俊【週俳5月の俳句を読む】青蛙

【週俳5月の俳句を読む】
青蛙

守屋明俊


夕食前に台所から「キャー!」の声が聞こえてきた。茶碗を割ったのか、油虫が出たのか、悲鳴はいつもそのどちらかであるが、直ぐに駆けつければ何と青蛙が跳びはねている。冷蔵庫のサニーレタスから跳び出し、流し台の砂糖壺に昇るは、ハンドソープに上がるは、5日間も閉じ込められていたわりには元気で、すばしっこい。それもその筈、瑞々しいサニーレタスに包まれていたのだから。

青蛙は、芥川龍之介の句さながらペンキ塗り立てで美しかった。できれば殺めたくない。ここは私の出番だ。手で摑めないので新聞紙とチラシの間に柔らかく包みベランダに逃してやった。正直、ほっとした。

ところが、5階のベランダに放したまではよかったが、青蛙は突然ベランダから宙へ向かって威勢よく跳んだ。1階のベランダだと勘違いしたのだろうか。結果として5階から身を投げた青蛙。それは想定外のジャンプだった。私は驚き、たじろいだ。地上の植込みに着地していれば、柔らかな身のこなしで助かっているかもしれない。あの艶やかな青蛙が死ぬ訳がない。死なせてたまるか。然う思う一方で、別のことを妄想した。5階より遥かに高い摩天楼の天辺からでも青蛙は跳んだことだろうと。その跳躍は青蛙の志を示したものだったと。未来という故郷へ旅立ったのだと。そんな感傷にひたった夕食前の一つの出来事。


彼岸過ぎたり鉛筆の円くなり  加藤右馬


彼岸が過ぎていくうちに鉛筆が円くなったという内容であるのなら「鉛筆の丸くなりたり彼岸過」という常道的な作り方が一応出来るだろう。だが、作者は然うは作っていない。彼岸が過ぎたのと、鉛筆が円くなったのと、それを並列に置いている。彼岸と鉛筆の間には上下関係がなく、因果関係もなく、各々平等に時間が経過している。その辺りが面白い。ゆったりした作風だ。


父の余白みたいな白髪抜く梅雨入  楠本奇蹄


いよいよ白髪の生える齢になってきたのか、その白髪を抜いている場面。下五を「抜く梅雨入」と置き、生活していく鬱陶しさをも感じさせる。「父の余白みたいな白髪」から、父君もおそらく白髪頭だったことが解かる。この「余白」を私は桜でいう「残花」のようなイメージで捉えたが、どうなのだろう。父君から受け継いだ命を白髪から実感しているとも思った。作者が抜いたのは、父君の白髪である。


とほくより風鈴売と分かりけり  鈴木総史


映画のエンディングで風鈴売が画面の下手から上手へ流れていく、そんな映画を観たことがある。もう一つは映画の『深夜食堂』。深夜の路地の突き当りで風鈴売が屋台を留め風鈴を売っているシーン。風鈴はとても懐かしい夏の風物詩である。この句の遠くからやってくる風鈴売もまた懐かしい。作者の目にはそれが風鈴売だと確かに分かった。それを正直に「分かりけり」と詠んでいるが読者に風鈴売を想像させる余地を残していて巧み。先ずは風鈴の音色、風鈴の揺れ、そして風鈴売の足取り。熱い日を浴びながら「とほく」より近づき途中の木蔭で一服する風鈴売の姿も見える。何とも贅沢な一句。


けふの服のハンガー揺れて夏旺ん  野城知里


今朝出掛ける時に着る服を、ああでもないこうでもないと、取っ換え引っ換え着ている作者が目に浮かぶ。「ハンガー揺れて」の具象からそのように想像でき、「けふの服」からは今日一日を生きる意気込み、「夏旺ん」からは若さが感じられる。このバタバタ感が何ともいい。


待人が日傘ぐらぐらさせてをり  野城知里


相当待たされているのだろう。日傘を差していたとしても、この真夏の炎天下、じっと立ってはいられまい。そのイライラした待人の気持ちが「日傘ぐらぐらさせて」で巧く表現されている。かの吉行淳之介はエッセイの中で、女性に待たされたときの限界は30分で、30分過ぎたら帰ると言っている。自尊心を傷つけまいとする行動なのだろう。果して、この句の作者が見た待人はその後どうされたか。


白瓜のしろの平気の平左かな  上田信治


「平気の平左」は広辞苑には「平気であることを人名らしく言った語。平気の平左衛門」とある。面白い言葉を拾って一句に仕立てている。白瓜は甜瓜の変種で、主に奈良漬などの漬物用として使われる。その瓜の白色が放つ、何とも言えぬふてぶてしさ。俺は俺だという平気の平左の気分がこの白瓜にはある。作者にはとても近しい存在なのだろう。ところで「平気の平左」に似た慣用語に「合点承知の助」がある。「季語+合点承知の助かな」の形でいろいろ作ってみたことがあるが、これがなかなか難しい。そこへいくと、掲出句の「白瓜のしろ」は出色である。


加藤右馬 アラベスク 10句 ≫読む  第889号

楠本奇蹄 白髪 10句 ≫読む  第890号

鈴木総史 汀と呼ぶ 10句 ≫読む   第891号
野城知里 槌の跡 10句 ≫読む

上田信治 平気 10句 ≫読む  第892号


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