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2008-12-21

『俳句年鑑2009年版』を読む 上田信治×さいばら天気

〔俳誌を読むスペシャル〕

『俳句年鑑2009年版』を読む ……上田信治×さいばら天気


季語ってバチカン市国みたいな


天気●ぼちぼち行きましょう。まず片山由美子氏の「巻頭提言:歳時記を考える」(p30-)です。

信治●はい。テーマは「歳時記」なんですね、季語ではなく。

天気●歳時記の刊行が相次いだという2008年の事情を絡めたのでしょう。内容をかいつまむと、実感や体験より歳時記の従来的な秩序を優先すべきということ。実感主義・体験主義を排して、季語は「ことば」である、さらにいえば「参照」であると宣言されています。

信治●「生活実感は歳時記の季節に優先しない」という片山さんの意見は、おもしろい。妥当な意見だと思います。ぼくは、季語は「俳句というゲームのルール」だと思ってるんで、ルールブックとしての歳時記、と考えると分かりやすい。ただ、歳時記はそれでよくても、季語は逆に、実感や日常語としての認識やらによって「ゆさぶられて、なんぼ」ということも忘ちゃいけない。当り前すぎる話ですが。

天気●「ゆさぶられる」とは?

信治●仁平勝さんがあげていた例でいえば〈帚木に影といふものありにけり 虚子〉。「歴史的な象徴性を背負った帚木が、目の前に生々しい影を持った現物として現れていることに、虚子は「感動」しているのである」(『虚子の近代』)と書いています。

岸本尚毅さんがあげていた例では〈掛稲のすぐそこにある湯呑かな 爽波〉。岸本さんは、写生の力で「掛稲」の既成の情趣を殺し「その句限りの「掛稲」風景を再構築した」というふうに書いています(「写生と季題のダイナミズム」)。

天気●新しい現実、新しい読み手によって、季語の或る側面が更新されるということ? いや、それより、「その句限りの」という部分が重要か。そこが「ゆさぶり」に繋がるわけですね。

信治●そうです、そうです。つねに新しい一句ということですね。季語より、一句がだいじ。歳時記は、俳句のしんがりにいるもので、ひっぱるものじゃないと思うんですよ。

天気●「歳時記は、しんがり」。含蓄です。

信治●俳句の中の「季語」って、ローマの中のバチカン市国みたいな、そこだけ別ルールで読まれる言葉になっていますよね。そこに生まれる複層的な構造に注目して、それを徹底的に使うか、それとも、季語からなめらかに展開して、断層やでこぼこのないようにするか、という書き方の違いがある。季語を中心にして俳句の叙法を考えた場合ですが。

片山さんは、それこそ、季語についての認識だけでなめらかに一句を成立させてしまうのが得意技で、やはりそういう「順接すべきもの」としての季語感を持たれているような気がします。季語の本意としての季節感を排した言葉は、季語とは言えないと、書かれている点などに。

天気●生活実感は歳時記に優先しないとする片山氏の提言は、作句に幅を与えるものと解していいのでしょうか。

つまり、俳句世間には、「現場主義」「体験主義」ともいうべき思想が根強い。記事中にも「季語の現場」という言い方が引かれていますが、俳句の作者が、それをどこで見たのか、どんな体験のなかで詠んだのか。「現場」を確認したがる習癖があります。そこに対して、体験・実感じゃなくていいよ、「ことば」としての季語を優先していいよ、となれば、足枷がひとつ取れることにもなります。

信治●どうなんでしょう。片山さんには、「歳時記」的秩序を再構築し徹底すべし、というモチーフがあるのではないか、という気がします。季語の秩序と規範としての歳時記ですね。

天気●なるほど。むしろ、歳時記を足枷とせよ、ということですか。私の比喩でいえば。

信治●どっちかというと、片山さんは季語について厳格主義に近いのではないか、と。先程引いた「生活実感は歳時記の季節に優先しない」という文につづけて「それを前提としないかぎり有季俳句は成り立たないのである」と書かれていて、そこまで、言い切っちゃえるのかな、と思いました。


こんなに退屈な風景のはずはないんですが…

天気●では「年代別2008年の収穫」(p36-)を見ていきましょう。

全体にタイトルがおとなしいです。昨年はずいぶん笑わせていただきましたが、執筆者が変わって、さびしくなりました。正常になったとも言えますが。

信治●多少、人選がなされたということではw

天気●年代・性別ごとの記事から、基本的に一句ずつ、好きな句をいただくというスタイルにしましょう。というか、今年は、いただく句がなかなか見つけられなくて、「どうしたんでしょう? 私」という感じで、自分が不安になりました。

信治●ここまで、ってはずは、ないですけど。退屈な風景でした・・・。

天気●元気を出して行きましょう。「80代以上」。執筆者は佐怒賀正美さんです。

きつねいてきつねこわれていたりけり  阿部完市

をいただきました。素敵な壊れ方です。句も、阿部完市も。うれしくなってきます。

信治●ぼくは、

船虫の顔がうごいてゐてあはれ 今井杏太郎

みなさん、ご健勝でとしか言いようがないです。

天気●次の「70代男性」(執筆者:中西夕紀)では、

蘭鋳の尾鰭の後姿かな 齋藤夏風

信治●

朝顔の家にまさかの忘れもの 山上樹実雄

並べてみると、この世代の男性は、ひじょうに理知的な人ばっかり。理知的が、粋になったり、鈍重になったりは、作家それぞれですが。

天気●70代女性」(小島健)。ここが困りました。昨年はどれをいただくか迷うくらいだったのですが。

箱庭と空を同じくしてゐたり  岩淵喜代子

信治●同じく岩淵さんで、

盆踊り人に生まれて手をたたく 岩淵喜代子

グラビアの長谷川櫂選の100句のほうの「夜が来て蝙蝠はみな楽しさう」(同)も。

天気●それと、ちょっと。「誰にでも気軽に抱かれ竹婦人」(檜紀代)という句なんですが、「人形のだれにも抱かれ草の花」(大木あまり)がすでにあるので、どうしてだろう、と。たまたま、この類似が目にとまったのですが。

信治●目につきましたね。ちょっと選があやうい…ということになってしまうのでしょうか。

天気●私はふだんから許容派です。「どっちもアリでいいんじゃないの?」というスタンスですが、2008年の「収穫」としては、どうなんでしょう?という気がしました。句を引かれたご本人の檜さんも、ちょっと居心地が悪いのではないかと想像します。

信治●60代男性」(小林貴子)も、むずかしかった…。これは、いろいろ相性の問題かもと思うのですが、こんなはずは、と。

天気●同感です。

信治●一句、

仏頭をころがし木の芽吹く工房 坪内稔典

をいただきました。

天気●作者がまた一致しましたね。

緑立つコントラバスになりたい日 坪内稔典

それと、タイトルの「期待の蕾ふくらむ」には、ちょっと立ち止まらせていただきました。60代男性に「蕾」かあ、と。どういう意味か、考えてみても、よくわからないんですが。

信治●(笑)もう一句。

窓拭きのゴンドラふたつ日短 七田谷まりうす 

次は「60代女性」(水田光雄)です。

太刀魚をくるりと巻いて持つて来る 原雅子

天気●私は、

猫の子のふにやふにやにしてよく走る 大木あまり

信治●その句もいいですね。

天気●50代男性」(原雅子)。この年代はたくさん句があって迷うのだろうと思って読みましたが、そうでもなかった。

信治●なんか、今年、選者に艶消しを志向するバイアスがかかってる? 平凡ですよね、全体に。

夢も見ずなりし蒲団を干しにけり 市堀玉宗

天気●私がいただいたのは、

双六の京にのぼりて何せむか 小澤實

信治●高橋睦郎の句への、軽い返答ですよね。〈双六を 降りふりて上れば京や雪ならん〉。


筏で陸から遠く流されてしまったのでしょうか?

天気●50代女性」。ここに来て、楽しくなりました。

陽炎のにほひなりけりボール紙 奥坂まや

この句のほか、

金柑のひとつぶづつに汽笛かな 鳥居真里子

バナナ剥く春を惜しみてゐるごとく 石田郷子

信治●ぼくは、

金柑のひとつぶづつに汽笛かな 鳥居真里子

ですが、同じ3句をいただいていました。

天気●奇遇w で、「40代」が、なぜか、すごく困ったんですよ。なんなんだろう、これは。

信治●ぼくたちの俳句観が、何かから、大きくずれつつあるとか。

天気●あはは。筏で、沖に流されて、陸がどんどん遠くなっていくような?

信治●あるいは、筏はとまってるのに、陸のほうがどんどん流されていくw

ざりがにの静かに流れ花菖蒲 日原傳

天気●あ、その句、いいですよね。

日当たりて家より古き夏蜜柑 岩田由美

次は「30代」です。ここは、すこし目移りする楽しみがありました。

眠られぬ夜の背中にゐる鯨 山下つばさ

信治●一句はむずかしかった。

失格を告ぐる小旗や鰯雲 藤井智恵子

笑いました。(作者は笑わせようとしてないか)

天気●加藤かな文さんのおっしゃるとおり、健やかですね。

信治●たまたま女性ばかりですが、

昼顔をまるまる喰うて虫ひとつ 如月真菜

紅梅と白梅の間ぬつと棕櫚   相子智恵

かな文さんの鴇田智哉評も読ませました。鴇田さんの句をジェンガにたとえている。

天気●積み上げた木片を抜いていく、という言い方ですね。「その古い言葉の塔の重心を測りつつ、言葉の木片を次々と抜いていく。向こうの景色は透いて見えるのに、それでも塔は崩れない」。

信治●最後です。「20代・10代」。執筆者は池田澄子さん。

天気●その導入部分を引きます。

ここに記すのは私が偶々知りえた俳句である。選ばれるべき作品や作者を見落としていないとは言い切れない。だから、単なる現象を気にしないこと。偶々の俳句界での評価は絶対ではないのだから、それを目標にしないこと。自分を恃み、自分に恥じない覚悟を持つこと。

俳句総合誌だけでなく、この「週刊俳句」まで採取場所を広げ、それでも「偶々知りえた」とおっしゃる点、このこと自体は、誰もすべての俳句を詠めない以上、当たり前の事実なんですが、あえてきちんと言っておくという毅然に注目しました。

それと、偶々の俳句界での評価を目標にするな、というアドバイスにも。

信治●そして、個々の作品については、いちばん厳しい。

扇風機まで月光の及びけり 谷雄介

谷君に澄子さんがおくった言葉が「読者は諦めない」。これは、ね、ちょっと震えましたね。

優夢君の「台風や薬缶に頭蓋ほどの闇」文香さんの「明易や吊れば滴るネガフィルム」と、週俳掲載作の、コレという句を抜いていただいてるのもありがたい。

天気●信治さんの引いた句は、どれもいいですね。

ネガフィルムの句は、ウラハイ(当時「あかるい俳句」)での龍吉さんの記事と猫髭さんのコメントが印象的でした。

私がいただいたのは、

冬の金魚家は安全だと思う 越智友亮

山口優夢さんの「台風や薬缶に頭蓋ほどの闇」「ゆく夏のシンクに水の伸びゆける」もいいけど、自分のブログと週俳で書いたので除きます。

信治●あ、あと、

初雪やリボン逃げ出すかたちして 野口る理

なんだろ、この初雪w

天気●では、きょうはこのへんで。残りは後日。

信治●ちょっと疲れる作業でした。去年と今年で潮目が変わったという気もしないんですけどねえ。

天気●はい。お疲れさまでした。


2007-12-30

『俳句年鑑2008年版』を読む(3)

【俳誌を読む】
『俳句年鑑2008年版』を読む(3) 「合評鼎談」ほかを読む

上田信治×さいばら天気




■俳壇動向(p254-)

天気●取り上げるような内容は、ほとんどないですよね。会議に提出する報告書みたいです。執筆者も、誰に向かって書けばいいのかわからない、といった感じなのだと思います。

信治●これは、スルーでしょうか。

天気●ひとつ笑った箇所があります。「日本伝統俳句協会の一年」(p258-)の初心者のための俳句教室のところで「初心者が右往左往することのないように」

右往左往って、すごい言い方だなあとw

信治●右顧左眄? そういう意味じゃないか。

天気●もうひとつチェック箇所。「現代俳句協会の一年」(p256-)の「五十周年記念事業として刊行した『現代俳句歳時記』を、キヤノンの電子辞書に組み込むべく作業中」だそうです。

「キヤノンの電子辞書は、買ってはいけない」。

この『現代俳句歳時記』、私が知るなかでもトップクラスのトンデモ歳時記。お笑い例句集といってもいいくらいです。

信治●気の毒に、キヤノン…。


■合評鼎談…総集編(p211-)

信治●まず「ホトトギス」が話題になってました。

筑紫さんは、もともと、内容的にも文体的にも無に近いものから、もっとも強く「俳句とは何か」を問う作品が生まれる、ということを書かれてましたから、合評鼎談で、日々月々に生まれる「ホトトギス」的俳句を閲するうちに、理論的確信を深められたのではないかと。

天気●稲畑汀子の「お降の音とはならず光りけり」を、3人ともベスト30に選んだという奇遇というか事件に端を発する話題ですね。「本当に衝撃的な結果でありました」(櫂)とありました。

私自身は、句作としての「ホトトギス性」を、結社ホトトギスを超えて偏在的なものと捉えているので(つまり、そこらじゅうにある)、こういう話題、正直言って、あまりピンと来ないんです。

ただ、もちろん、実感レベルではなく思念的なレベルでは、納得します。俳句って、ある意味、痴呆的に「無」みたいな感触をもったもので、またそれだからこそ美味しい、とも言えると思うので。

信治●つづいて総合誌の休刊の話題から、大輪さんが、定年後の団塊の世代の人は、結社になじめないことが多いようだ、そういう人の活動場所としても、総合誌の投句欄の役割はある、あるいはサークルでもグループでも、なにか受け皿があれは、70、80で大成する人が出てくるかもしれない、と。

天気●世代別のところで、ちょっと出た部分ですね。団塊の世代が初心者として、「俳句世間」に大量に参入してくるという…。んんん、話して楽しい話題じゃない(笑。

「そんなもん、知らん」と言いたいところですが、まあ、そういう方々には、あんまりエラそうなことを言わずに、行儀よく俳句を遊んでいただければ、と。

信治●まだ、そんなにお見受けしないですよね。200×年問題というのは、たいがい、あやしいところがあって。

天気●ええ。実際に、そんなに余暇需要が急増するのかなあ、という感じではあります。

信治●儲かりまっせ、みたいな話は、いいですね、別に、どうでも。

天気●はい。でも、俳句業界は、世間がそう言うんだから、そうなんだろうなあと、特需に期待しているわけで。

ただね、実際、定年を直前にした人たちが、新宿あたりの小さな句会で俳句をはじめて、という話は最近聞いたことはあるんです。その句会に「先生」みたいな立場で参加している人から。

櫂さんがこの鼎談で「くいさがってくる」うんぬんとおっしゃってますが、それと似たようなことをを聞きました。自分の句を、ダメと言われて、なかなか承服なさらないらしいです。出版社アガリの人とかが、特にタチが悪いらしいw。

信治●あ、そういう人たちが、いっせいにブログをはじめる、というのは…すでに?

天気●あるかも。

私もブロガーwですから、あまり言えませんが、中高年(と思しき)初心者が、痛々しい句をブログに載せて得意満面でいる、という光景は、近未来ではなく、すでに到来している現実かもしれません。

そういう言い方は誤解を招きそうですが、初心者が悪いわけではまったくない。ヘタクソな俳句が悪いわけでもまったくない。自作のイタラナサに気づかないことが痛々しいわけです。

そこはやはり、半世紀以上の「人生経験」のプライドみたいなものが、自分を客観視できなくするのかもしれません。自分の作ったもののダメさに気づかない、というよりも気づきたくない。さきほどの新宿の句会でいえば、「ダメ」と指摘されても、「それは先生個人の意見、自分ではダメな句だと思わない、いい句なんじゃないか」と信じきる。

ただ、こういうのはね、世代じゃないわけで…。

いまは、「団塊世代を貶しておけば間違いない」という風潮もあるので、その尻馬に乗るのもイヤなので…。

信治●同意。まったくです。

天気●俳句はすべて個人の資質、ということで。

信治●鼎談では、そのあと、結社の話、主宰の話、俳人の長生きの話などが、続きます。要するに、いまの俳句の「ゆるさ」についての問題意識が、ぼやっと提示されているような話です。

天気●俳句やってるお年寄りは、たしかにお元気ですね。

信治●筑紫さんが「俳句で殉職したような人たちはある時期以前はたくさんいたような気がします」と言っている。「俳人は長生きしちゃいけないんです」と。

よく作曲家は短命、画家は長生き、というようなことを言うんですが、ルノワールの晩年みたいに、自分の好きなあたりを、なでまわしてるみたいな創作活動は健康にいいのかも。

天気●なるほど画家ですか。老成して、熊谷守一みたいな句を詠んでいただけると、嬉しいんですが。

信治●熊谷守一、いいですね。ある種の洗練の極み。

天気●句会とか出てくるんじゃなくて、その人の俳句が読みたいんなら、自宅の縁側で五七五をつぶやくのを、横でずうっと待つしかない、とかね。熊谷守一が日がな蟻を観察しているみたいな…。俳句もそこまで行ってほしい。

でもね、見ていると、「ああ、いい感じに老成!」という感じより、むしろ、まだまだ娑婆っ気たっぷりで、「人間、なかなか通俗から脱却できなんだなあ」と実感させられるケースも多いように思います。その意味で、元気、という…。

信治●年齢別を読んでいて、70代後半から、そうとう「抜けてきてる」かんじ、いろんなものが「脱落してきてる」かんじがありました。

俳句には、ボケとかダメに対する「趣味」、つまり審美眼の蓄積というものが、ありますよね。

天気●はい。80代、90代は注目させていただいてるんです。

信治●じゃ、もうちょっと、俳人は短命でいいんじゃないの、という意見に、天気さんは与しないですか?

天気●与しないですね。もちろん、いろんな人がいていいんですが。

寿命はともかく、俳句で自分をすり減らして、というスタイルが、どうも、ね。それって俳句的じゃない、と思ってしまう。

これは単に趣味の問題ですが、ちょこちょこっと俳句を捻って遊ぶ、ほかのたくさんの愉しみと同じに、というのが、私の好きなスタイル。職業俳人に、なんの魅力も感じませんし。

信治●なるほど。

でも、ものすごくヘンな書き方を発明して、すぐ死んじゃう、あるいは消えちゃうみたいな人にも、いてほしいです。それは「週刊俳句」で顕彰したいw

天気●週刊俳句で、線香花火のようなキャリアにも目が届けば、それは楽しいですね。

俳句って、特に作句は、やめてもいいわけですよね。ところが、関わり続けないとダメ、みたいなところがあるようです。例えば「賞はとったけど、近頃見ない」とか、それがまるで「敗退」みたいに言われてしまう。

信治●鼎談は終り近く「読者」の話になって。

大輪さんが「文学の一つである以上、読者が、残すものを決めていくというようなことが、俳句の場合、出来たらいいなあと思うのです」と言っている。

結社というものが先生中心であることが、作者たちを「読者」として自立させることを阻んでいる、という話が、興味深かった。

天気●本質論ですね。

純粋読者になろうとしていた時期があって、と大輪さんがおっしゃっています。信治さんは、純粋読者である期間があったわけでしょう? そのあたり、どうですか?

信治●いや、いまだに、自分は、純粋読者でもあると思うんですが。「読む」ということは、自分が作ることとは関わりなく、自立した行為ですから。「純粋読者」という言葉があること自体が、俳句の残念なところだと思います。

天気●じゃあ、話題をちょっと変えて、読者が残すか残さないかを決める、というのは、俳句の場合、ある程度、成立できると思うんです。短いから。

小説だと、絶版になれば忘れ去られてしまう。でも、俳句は、人の頭のなかに残っていくことも可能だし、あるいは、ネットに戻りますが、例えば、週刊俳句で、「この句はいいよねえ」と10年間、言い続ければ、残るかもしれない。

制度の背景がなくても、「自然残存」みたいなことが可能かもしれない、なんて思います。

信治●「自然残存」、いいですね。

ただ、いま残っている俳句も、これまでずっと読者が残してきたと思うんですよ。

天気●なるほど。昭和の俳句のいくつかを、怠惰な読者の私までが何句かソラでいえるのは、そういうことなんですね。

信治●大輪さんの言っているのは、たとえば、何を残すかは読者が決める、というような、享受する側の力が、すごく弱くなっているように見える、ということだと思うんです。

享受する側が弱くなっているというのは、制度のほうが強く見える、ということかもしれない。

天気●ただ、制度というのが、ありていにいえば、ナントカ賞とか、結社内で有力な作家であるとか、総合誌に載るとか、そういうことだとしたら、その威力は、もうあまりないとも言える。

信治●ある一句に、あるいは、ある新人の登場に、俳句愛好家たちが騒然となり、こぞって話題とする、みたいなことが、まあ、ありそうになくて……それが、シーンの衰えということなんでしょうけど。

天気●そういわれれば、そうだ。評判が句を残す「自然残存」という捉え方は、空想的すぎたかもしれません。

信治●それは、もう、芸術運動とかどこにもないから、でもあろうし。ジャーナリズムが機能してないということでもある。目利き待望論にもつながりますが、やっぱり、それはどこかの部門が弱いと言うより、全体的な衰えですよね。

天気●「残る文学」という捉え方は、すでにちょっと純朴すぎるかもしれません。

信治●いえいえ、「文学」という概念を棄却するのは、いつでも、できますから。人類の希望として、「残る」俳句、というイマージュも、残しておきたい。

天気●大輪さんの発想、ひとりひとりがアンソロジーを、というあたり、インターネット的ですね。はからずも、かな?

これはすこし興味深い。すこしまえの「インターネット民主主義」的発想ではありますが。

信治●「ひとりひとりがアンソロジーを」という発想には、俳句の短さからきているんですね。丸ごと引用できますし、何度も読むのが苦にならないですから。

俳句コレクターの楽しみですね、柴田宵曲か加藤郁乎かという。

天気●個人アンソロジーが情報として集積されるのは、ネットをおいて他にない。そして、短いって、大きな意味がある。

「週刊小説」とか、絶対にできないでしょ? 信治さんと私で、もしやろうとしたって。

信治●できない。「週刊小説」ありましたけど、実業之日本社。

個人アンソロジーが情報として集積される、しかも俳句だからそれが可能、なんて、なかなか斜め下から出てきた希望というかんじでいいですね。

天気●その集積が、制度的な評価や淘汰とはまた別の、もうひとつの軸になる可能性がないとはいえない。

信治●文芸を制度としてみると、「作者」「読者」「出版もしくはジャーナリズム」の三極構造だと思います。そして、俳句を支える制度は、三極それぞれ、縮小、あるいは力を弱めている。つまり、いま俳句という文芸「制度」がひじょうに力を弱めている。これは、だれでも知ってることですよね。

そこで、メディアの変化が、プラスのインパクトあるいはフィードバックを「読者」あるいは「ジャーナリズム」に引き起こさないか。そんな希望があって、今年の「年鑑」は、巻頭提言にインターネットの話題が出てきたのでしょう。

個々の作品は、その制度あるいは構造の「上」に生まれるものですから、インターネットが作品に直接与える影響をうんぬんするのは、やはり、ちょっとピントがずれている。

天気●同感です。

ただ、インターネットの浸透が、「読む」という部分に好影響を与えるかどうかについて、半分は楽観的ですが、もう半分は、どうなのかなあ、と。

「どうなのかなあ」というのは、悲観というのではなく、つまり、よく見えない。

話はちょっと飛躍するかもしれませんが、私の場合、印刷物から俳句に入っていない。何も知らずに句会からスタートして、長らく、その遊び方を続けていた。だから、出版やジャーナリズムという視点を、奇形的に欠いているのかもしれません。

信治●ぼくは出版された俳句を読むことから入ってるし、なんか「表現」てのは、不特定多数相手にするものだろ、という先入観があって。

「出版あるいはジャーナリズム」が、俳句という文芸に果たす役割は、表現を不特定多数に媒介することですから(一般の文芸のように、お金を媒介する役割ははたしていない)、ジャーナリズムふくめて俳句が盛り上がってくれると、嬉しいです。

ともかく未知の作者に会えるチャンスが、重要。

天気●私は、盛り上がってもらわなくても、いっこうにかまわない(笑。

信治さんのおっしゃる「不特定多数を相手にした(カギ括弧付きの)表現」というものに、いまだにアレルギーがあるのかもしれません。

信治さんと私は、スタート地点が対照的ということなんだと思います。どちらが稀少で価値が高いかといえば、もちろん信治さん型。

信治●いやいやいや。むしろ、おたがい、珍獣かもしれませんw

天気●われわれは対照的なのでバランスがいい、ということにしておきましょう。

こんなとこですか。なんか、こちらの話題で勝手に展開して、「鼎談を読む」になってないw

信治●はい、こんなところで。おつかれさまでした。



(了)

2007-12-23

『俳句年鑑2008年版』を読む(2)

【俳誌を読む】
『俳句年鑑2008年版』を読む(2) 「年代別2007年の収穫」を読む

上田信治×さいばら天気



信治●今夜は「年代別2007年の収穫」(p34-)です。 

ページ数を数えてみると…

80代以上 5+1/3p
70代男性 5+1/3p
70代女性 5+1/3p
60代男性 5+1/3p
60代女性 5+1/3p
50代男性 3+2/3p
50代女性 3+2/3p
40代   5+1/3p
30代   5+1/3p
20代・10代 3+2/3p

天気●70代、60代に多くのページが割かれているわけですね。「70代」が現在の「俳壇」の主力であるという感じでしょうか。

合評鼎談(大輪靖宏・筑紫磐井・櫂未知子)は今夜ではなく、日をあらためて話す部分ですが、ここで、お三方がそれぞれ選んだ30句の作者の年代を見てみると、「70代が大好き」(筑紫氏)という結果になったという事態と呼応しますね。

信治●はい、70代女性「この年代の女性の作品が今の俳壇を引っぱっているといっても過言ではない」(橋本榮治)そうですから。

天気●『俳句年鑑』のこの年代別収穫という部分、毎年毎年、世代で括るってのはどーなの?という人もいますね。

信治●序列の中に小序列があると「燃える」ということなんじゃないでしょうか、官僚や商社の人たちが、同期間の競争にあけくれるようなもので。

地位や名誉が、年代別に配分されることも、官僚や、商社の仕組みと、だいたい同じなのかも。

天気●あのね、2年前の俳句年鑑だったと思うのですが、20代・10代の作家のところで、谷雄介君と佐藤文香さんの名前を見たわけです。ネットではすでに少しやりとりがあった頃です。

で、年鑑で名前を見つけて、「へえ、俳壇で主要な作家と位置づけられてるんだー」と、これは別に皮肉でもなんでもなくて、驚いたことを憶えてます。

この年代別の記事に名前が挙がるのは、「俳壇の一員」という意味合いがあると、昔も今も思っています。 

信治●「年鑑」は、住所録・名簿として需要があるようですが、その中での扱いの大小ということですね。まさに、序列。俳人が序列に敏感であることは、メディア(または俳壇)の利益であるというか、存在理由であるというか。 

  無能無害の僕らはみんな年鑑に 高山れおな

天気●いずれにせよ、このコーナーの執筆者は、たいへんですね。「ほんとうにお疲れ様です」という、これは素直な気持ちです。誰を落として、誰を入れる、というのも、あるんでしょうし。

信治●ある20代俳人が、ある年の年代別執筆者から「今年の代表句を書いて送れ」という郵便をもらったそうです。彼は、自分の句とあわせて「こんな作家が、自分の周囲にはいます」という資料を作って送ったそうですが、それが反映されたかどうかは聞き漏らしました。

また、ある年の執筆者から聞いたのは、自分は、ともかく、目をつけていた作家の句を、結社誌まで全部読むことにしているので、たいへんだ、と。

天気●人によって、だいぶ書き方は違うのでしょうね。

信治●では、世代別、ページ順に、話を進めましょう。

天気●見出しを書き出してみました。

80代以上 言葉の光
70代男性 牽引する力
70代女性 不堪なき年代
60代男性 豊潤なる時
60代女性 六十の散財
50代男性 綺羅星のごとく
50代女性 花なら満開
40代   多様性の開花へ
30代   自分を超える世界へ
20代・10代 栴檀は双葉より

信治●毎年、わりと、このノリで、恐ろしいですね。

去年の「年鑑」の、20・10代「これら皆一騎当千の強者にて」、30代「駿馬のゲートイン」というのも、あいたたたた、というかんじでしたがw

天気●こう並べてみると、どうも、編集部というより、各執筆者がタイトルも付けているような気がしますね。

信治●だと思います。

天気●こうした見出しは、技術的にたいへん難しい。一年ごとに世代の傾向が変わるわけではないし、もともとひとことで表現できるようなものではない。それと一般的に、この手の「賞揚型」の見出しは、どうしても紋切り型で、空疎にもなる。

しかし、それにしても、なあ…という感じはあります。

まあ、開き直って、「トンデモ見出し」で笑わす、というサービス精神も歓迎なのですが。

信治●ちなみに、去年「駿馬のゲートイン」という題をつけた方は、今年、50代女性を担当されていてですね…

天気●…「花なら満開」。

ふきました。

信治●ひっくりかえりましたね。

天気●福永法弘さんです。確信犯? 天然?


■では年代別に好きな句を

信治●では、年代別に、一句ずつ、選ばせていただくということで、よろしくお願いします。

まず八十代以上から。

  やどかりの子のただよへる冬の潮  林徹

を、いただきました。

天気●やどかりの子。いいですね。

信治●やどかりの子供は、エビやカニと同じくゾエアという、4~6ミリほどのミジンコのようなものだそうです。

天気●私は、

  春ふかし鰥といふはさかなへん  八田木枯

信治●鰥は「やもめ」なんですね。初めて知りました。

天気●鰥は、春がいいです。季節に置くなら。「ふかし」がなんともいえず、いいです。

信治●七十代男性からは

  廃船の中も満潮春の星  今瀬剛一

天気●海つながりですねw。この句もいいですね。でも「春の星」をちょっと不満に思ってしまいました。

私は、

  雑巾を踏んでしまひし花吹雪  鈴木鷹夫

信治●花吹雪、おかしい。ほとんど、おもしろがってるといって、いいくらい。鈴木鷹夫さんは、

  豪華客船菠薐草も積みをらむ

も、おもしろかったです。

天気●そうそう。こっちと迷った。

信治●七十代女性。天気さんは、どの句を?

天気●一句なら、

  次の間へ噫ところがる青りんご  柿本多映

迷ったのが、

  春はあけぼのするするすると七十五  山口都茂女

信治●ぼくは

  キャラメルの網目永久なれ百千鳥  池田澄子

天気●70代女性、充実かなあ、実際。ティーンエイジャーとして終戦を迎えた世代?

信治●ということは、サザエさんと、ワカメちゃんの間くらいですか。

天気●そうですね。たしか、サザエさんは、終戦直後、東京に出てきて、新聞社に勤めるんでしたよね。だから、80代のはじめか。

信治●そう思って読むと、上の3句が、なんとも趣深いです。

では、六十代男性。ちょっと、選者の方と趣味が合わなかったのか、いただきにくかったのですが、

  にはとりに遠き渚や風光る  寺島ただし

天気●はい、私も困りました。選者の選んだ句が…というのは大きいかもしれません。この世代の記事が、というのではなく、趣味の合う合わないが、やはり大きいようですね。

私がいただいたのは、

  剪定の枝の落ちたる水の上  鳥居三朗

信治●諸家自選五句(p98-)まで、手をひろげれば、

  上下に抽斗左右に抽斗ナイアガラ  竹中宏

天気●おもしろいですね。でも、諸家自選五句まではカバーしてませんわw

この句は、ふだんの身のまわりの俳句世間や俳句総合誌だけ眺めていても見えてこないような句ですね。

信治●六十代女性。

  あぶらにはあぶらの甘み柿若葉  大木孝子

天気●私は、

  春の水貝を鳴かせてしまひけり  松本ヤチヨ

信治●「春の水」の句は、つかみどころがなくて、おもしろかった。

他にも、

  いつも空に触れてゐるなりかたつむり 宮崎夕美

  八月の正午ふたりの咀嚼音      村上喜代子

  散会のあとの座布団雪来るか     山尾玉藻

など、いろいろ。

天気●〈散会のあとの座布団雪来るか〉(山尾玉藻)。いいですね。〈あぶらにはあぶらの甘み柿若葉〉の季語、「柿若葉」が、最近、よくわからなくて。

信治●「柿若葉」は、光線の質感の呈示で、その、てらてら、つるつる動くかんじと、「あぶら」は肉の脂身ととりたいんですけど、その味、質感。その二者の相似とズレ(さわやかさの有無)ですね。

さらには、初夏ということで、健康な食欲を感じさせるということでしょうか。

天気●脂身と柿若葉の質感。納得しました。

信治●あの、ついでに、ちょっと。貝を鳴かせるは、春の水「が」と、とりますよねえ。

天気●はい。「春の水が」。神秘はない句です。

信治●じつは、天気さんぽい句だと思っていました。

天気●光栄。というか、松本さんに失礼かも。

ところで、この世代の執筆者、加藤かな文さんの書き出しの部分、「60代の女性は日本最強、時間があって、体力もある」という捉え方には、笑いました。笑うというのは、もちろん楽しんだという意味。ついでに言えば「カネもある」(笑。

信治●加藤さんの文は、だから、これからは、人生の全てを俳句に使ってくれ、という主旨でしたね。あれ、違いましたっけ。

天気●そう、散財しろと。これまでの蓄積を。

信治●はい。むしろ、降参させてくれ、というかんじで。

天気●これは、いいエールですね。

信治●五十代男性。これは、好き句。

  家中の箸静かなり夕焼けて   鈴木章和

天気●ここはおもしろく対照的なセレクションになりますね。

  桜が招く五十人の空飛ぶ法王  夏石番矢

信治●あの、民也さんの「レッドスネーク」にも似た…。

これは、例の連作の一句としての評価ということですか。

天気●いえ、評価なんて、おこがましい。ゴージャスということで。

信治●〈桜が招く五十人の空飛ぶ法王〉連作は忘れて、この一句だけというきもちで見ていたら、なんだか、良くなってきました。さすがなのかもしれない。

天気●好きな作家はたくさんいるんです、この世代の男性には。でも、なんかこう、句を選ぶとなると、ううん…となってしまいました。

執筆者(石田郷子さん)の記事に「編集部から五十代の男性作家のリストをもらって心底途方に暮れた。綺羅星の如く実力俳人が並んでいたのである」とあるように、セレクトの苦心は理解できますが、コメントつけてメインに取り上げた作家と、句だけ挙げた作家の振り分けにも、すこし首をかしげました。

まあ、これは、どう選んでも、万人が納得するラインナップにはならないので、ちょっとした疑問という程度ですが。

信治●50代女性。

  風船の色が気に入らないらしく  藤本美和子

天気●この句、軽くて、いいですね。吾子俳句だけど。私は、

  朝焼はホルンになりたがっている 夏井いつき

信治●ホルンの、好きでした。鳴りそうで鳴らない句。そうとうめずらしい。

40代は、取り放題でした。どうぞ、お先に。

天気●お先に、って、ずるいw。ええっと、取り放題なんですけど、私が「身内」と思っている人、近しく思っている人、あえてはずします(突然ですが)。

  籐椅子のまだ張つてゐる夜空かな  野中亮介

次もいただきたかった。

  石ふたつ入つてゐたる蝉の穴  高田正子

信治●じゃ、ぼくも、ここからそのルールで。

  底抜けに島晴れてゐるお年玉  櫛部天思

「お年玉」!

天気●はい、お年玉、いいですね。

信治●ほかに、

  慟哭はなべて腹這ひ春の雪    谷口智行

  ハモニカの吸つて鳴る音霧深し  小川軽舟

  夕焼のわけても移動遊園地    黛まどか

なども。

天気●今年のこのコーナーは40代がおもしろかった。実際、いい作家がたくさんいそうです。

信治●40代、選者は、山下知津子さんでした。

天気さんの選ばれた〈籐椅子の〉〈蝉の穴〉の句。ぼくは、ここまで具体的に書かれると、その「まだ」や「ふたつ」に実感がない、と見えて、そこが物足りなくなります。

天気●おっしゃりたいことはわかる気がしますが。

信治●30代。

  とんぶりをすくふ金色の柄杓  五十嵐義知

もう一句いただけたら

  胡桃割るプエルトリコがいま朝に 塩見恵介 

天気●ここも同じ基準で、近しい人は除くと、

  胡桃割るプエルトリコがいま朝に 塩見恵介 

あっ、はじめて同じ句があがりましたね。

信治●外国の地名というのは、ほぼ「人名俳句」、とは思いますがw

天気●人名のほうが「邪道度」が強いですが、まあ、近いところはある。この句、おもしろい感触。

むかし『週刊俳句』で、俳句研究の若手作家特集についてしゃべったときの句も、いくつもありましたね。

信治●はい、お名前を見ると、あ、あのとき、パスした人だ、とか。

天気●パスは憶えていませんが、おもしろいと思った句は、いくつか憶えていました。

30代、40代の作家群は、おもしろそうです。暴れていただきたい。俳句世間が文芸カルチャークラブのノリにならないよう、譬えて言えば、リングにあがるプロレスラーくらいのサービス精神と芸と気概をもって。

信治●20代・10代。

  ファーブル氏きっと腹這う冬の原  内田麻衣子

天気●ああ、こういう句は、私、まるっきりダメなんです。

信治●「ファーブル氏」、日常語がちょっと壊れただけ、というところが、好みなんですけど。ま、オシャレ系であることは、否めません。

ほかに、

  遠くからつぎつぎと咲き著莪のはな  岡田佳奈

  江の島の星の暗さよ猫の恋  斎藤慶一

天気●迷ったすえ私がいただいたのは、

  文旦が家族のだれからも見ゆる  高柳克弘

20代のところは、なんか微妙でした。うまく言えませんが、俳句世間の流れに、迎合とまでは言いませんが、寄り添おうとしている句が、数として目立つように感じてしまいました。選が、そういうふうになっているのか、この世代の作者たちがそうなのか、よくわかりません。

信治●平明、と、よく言いますが、今、俳句は内容がわからなければいけない、という抑圧がありますよね。内なる、なのか、上からなのか。

天気●「わかりやすさの無様さ」への意識が希薄なことから来るものかもしれません。これは、この世代がというより、むしろ全体的な大きな流れともいえますが。

信治●むずかしいところです。

天気●俳句からすこし離れ、また、こまかいことのようですが、20代・10代の見出し、「栴檀は双葉より」。これを若い人に使うのは初めて見ました。若い頃を振り返ってみて、使うでしょ。栴檀になるかどうかなんてわからない双葉に向かって、これを言うのは、かなりめずらしい。

信治●ま、筆者は「この格言は別の意味から言えば、若いときが肝要であるという意味にも受け取れる」というふうに、いちおうフォローをされて……いや、フォローというか、上塗りというか。

天気●この格言に、そんな意味は、ないw

信治●高柳克弘さんについて「嘱望の人である」とか……これじゃ、高柳さんが待つ人だということになる。いろいろ日本語がヘンですね。

天気●執筆者は山本洋子さんという方ですが、いたるところに、ヘンな作文が出てきます。まあ、それはいいとして、栴檀うんぬんを補足説明した締めの部分。「二十代、三十代、それは修練に一番適った時代といえる。ここを逃すと良い枝もあらぬ方向へ曲がったりする。わたしの、不器用ながらの経験から、そのことを思う」

経験から、とおっしゃるんだから、御本人が「あらぬ方向」へ曲がっちゃった、と読めてしまいますが、きっとそうではないんでしょう。気にかかるのは、なにか、こう、教条主義的な香りがすることです。

こういう視点、こういう作文で捉えられた「20代10代作家」の景色を信じていいものかどうか。とても不安になってきます。たとえば、洩らしてはならない作家を、この執筆者の教条・原則にそぐわないからという理由で洩らしている、ということがおおいにありそうで不安です。


■「年代別2007年の収穫」を読みおえて

信治●全体について、どうでしょう?

天気●ここに挙がっていない作家におもしろい人が少なからずいる、それが確信できる記事でした。これはどの世代にも。

信治●天気さんの言われる「確信」は、ぼくも同じことを感じました。「年鑑」に、同時代の俳句の全てがある、なんてことはあるわけがないのですが、それにしても。

「年鑑」がエスタブリッシュとして、なにかを排除しようとしている、というかんじもしなくて。それぞれ、筆者の方は、感じてらっしゃる「現在」に忠実なんだと思いますが、逆に、今年の俯瞰図を作ろうと思ったら、そうとう未来予測をふくめて描くのでなければ、見えてくるものはないんじゃないか、と感じました。

天気●俳壇(エスタブリッシュメント)が、評価の濾過機能を果たすものであることは周知ですが、「私」が愉しめる句を探すには、濾過後の水を眺めていてはダメだと、あらためて思いました。おもしろいものを読みたいなら、自分で探して、自分で読め、ということなのかな、と。

しかしながら、そう言ってしまうと、俳壇という秩序や媒体の意義・使い道がまったくなくなってしまう。信治さんのおっしゃるように、こうした「まとめ記事」には、なんらかの方策(未来予測)が必要なのかもしれません。

信治●では、そんなところで。次回は、合評鼎談その他についてお話ししましょう。



(つづく)




2007-12-16

『俳句年鑑2008年版』を読む(1)

【俳誌を読む】
『俳句年鑑2008年版』を読む(1) 
巻頭提言「インターネットと俳句の『場』」小川軽舟(p30-)を読む

上田信治×さいばら天気



天気●小川軽舟さんの巻頭提言「インターネットと俳句の『場』」から行きましょうか。

俳句におけるネットの存在について、姿勢がニュートラルです。まず、そのことを思いました。推進派でも擁護派でもなく、かといって忌避でも嫌悪でもない。その姿勢は、結び近くの「私たちはインターネットに怯む必要もないし、また媚びる必要もない。紙の文化がすぐになくなるわけでもない。」の部分に端的です。

信治●ニュートラルという点は、たとえば2006年の『俳句』誌の時評(2006年2月号「現代俳句時評:インターネットの功罪①」)に、福永法弘さんが、インターネット上の横書きによって、飯田龍太の「一月の川」の句の字面のシンメトリーが失われることを、大問題として書かれていたのと、対照的ですね。

天気●そうでした。「一月の谷」=縦書き賞賛については、日を改めて書くつもりです。そうじゃないだろ、と。ただし、私、個人的には、だんぜん「縦書き」派です。

信治●ぼくは、横書きOKです。むしろ縦書きにして、天地そろえにしたりすると、みょうに句が良く見えるから、警戒しなきゃいけない。

天気●そういう錯覚は、私の場合、必須(笑)。そうじゃないと、続けていられない。まあ、それはどうでもいいとして、縦書き・横書きは、ここで話のはやめましょう。

「怯まず媚びず」という態度は、私も、同じです。つまり、賛成か反対かといった対立の図式には、うんざりしています。たとえば、『週刊俳句』なんてものに深く関わっているから、「インターネット派」(笑)と思われる危険性をいつも抱えているわけですが、それは心外です。怯まず媚びず、じょうずに便利に使いたい、というのがすべて。

信治●インターネットに対して、わりと、ラッダイト的(*1)な立場をとる人が多い、俳句の世界は。

天気●はい。怯む。

というのは、俳句は「文系」なんです。実際にはそうじゃないんだけど…。だから、縦とか横とか、匿名性とか、そういう枝葉に向かってしまい、拒否感を表明する。

信治●小川さんの提言、グーグルで、自分の名前を検索してみたら、656件ヒットした、そのいくつかに自分の句や評論の感想が書かれていた。「インターネットの検索サービスがなければ、私はこの読者には会えなかったのである」というところから、はじまっていて、そこが、とてもよかったですね。

天気●そう、ネットで自分の読者に巡り会うところから、論が出発している点がおもしろいと思いました。紙媒体(俳句総合誌や結社誌)にたくさんの発表の場をもっている有力作家が、こんなふうに、思いがけなく読者を見出すんだな、と。

信治●それは、得難いものなんですね。

ほんとうに大多数の人が、インターネット上に生活圏を持つようになったら、俳句の読者というものが、いままでなかった形で、見えてくるかもしれない。そんな可能性を感じました。日本のインターネットは、まだ、参加者数が閾値を超えていないといいますが、近い将来の話。

天気●そこで、匿名性・顕名性の問題がクローズアップされるとも思うのですが、それは置いておきましょう。

俳句でネットを語るとき、コミュニケーション機能にばかり目が行きがちです。例えばBBSでのネット句会、ブログもそうかな。でも、検索ということが大きい。そのまえにデジタルデータという基盤があるわけですが…。その意味でも、この「巻頭提言」がグーグルから論を始めている点、おもしろいと思いました。

信治●検索があるから、どんな小さな発信も、それを必要としている人の耳に届く可能性がある。

天気●現実には起こりえないことですね。何年間も図書館に通って見つからない情報が、インターネット検索で一瞬に立ち現れるということが起こり得る。

信治●いっとき、豆の木周辺で言われてた「俳句2.0」(*2)じゃないですけど、俳句なんて、母体の人数が少ないんだから、もともとインターネット向きかもしれない。みんなで、なるべく、俳句について、ぶつぶつつぶやくように、発信することが、いいんじゃないでしょうか(笑。

天気●ただ、人数が少ないと「ウェブ2.0」の乗りで言われるようなロングテール(*3)の効果は、あまり大きくないと思ってるんです。尻尾のほうに埋もれている俳句は、なにもネットが登場しなくても、見つける気があれば見つかったんじゃないか。狭い世界ですから。ただ、周縁に目を向ける気がなかっただけなんじゃないか、と。

信治●でも、天気さんのおかげで、知った句はたくさんあります。

天気●それは、みんなお互いさまなんですね。

信治●見つけた人が、ちょっと書いてくれる、というのが、ありがたいんです。

天気●それはそうですね。

信治●だから、俳句をめぐる言説の場として、インターネットは機能しますよ。

無償で、熱心に書かれるネット上のマンガ感想が、同時代のマンガをめぐる言説の水準をつくっているように思うんですが、そんなようなことが、俳句にも起こりうるんじゃないでしょうか。

天気●その点は、私のこの数年の思いでもあります。句作ではない、俳句の「読み」「言説」が活性化する可能性。一般に言われているように、ブログの活発化というだけではなく、やはり検索機能と深く関わる。

それと、やはり「場」でしょう。とりわけ流動的というか動的な「場」。それこそ『週刊俳句』がめざすところ、と言っちゃっていいのかどうか。静的な「場」は、俳壇や既成雑誌や結社向きかもしれません。

さて、そこでわれわれに引き寄せた話題(笑。この「巻頭提言」で、『週刊俳句』を「場」の一例として話題にしてもらったことには、正直びっくりしました。かつ素直に嬉しい。

とくに、次の一文。「俳句において出来上がった秩序とその外に生まれた新しい動きとの交差点のような「場」を指向しているのだろう」

なるほど、そうだったのかと(笑。まあ、これは、私自身がスタートするとき考えていたことをぴたりと言い当てている。みょうに感心してしまいました。

信治●ぼくも、ずっと、自分が思う俳句のおもしろさと、俳句世間の人が言う俳句のつまらなさを、つなぎたいというか、止揚したいというふうに、思っていたことを、思い出しました。

天気●「離れた山と山のあいだを水道でつないでみる」という例の比喩ですね?

信治●はい。つないでみないと、それぞれの水位が測れない。

天気●インターネットにありながら、従来のリアルの俳句の秩序とケンカせず、というスタンスは、それほど表立てて押し出しているわけではないんですが、そこのところをみごとに見抜かれている。

ついでにもっと褒めると(笑、インターネットにまつわる紋切り型が回避されている。たとえば「ネットの功罪」とかいった議論は、よく目にします。この「10年もの」の紋切り型がいまだに繰り返されるわけです。

最初にお話しした話題に戻るようですが、この「巻頭提言」は、そうした不毛の紋切り型の議論からは、きれいに逃れています。さきほど信治さんのおっしゃった「ラッダイト的」ではない。

ほとんど当たり前のことが書かれているに過ぎないともいえますが、別の言い方をすれば、当たり前のことがきちんと書いてあるとも言える。

信治●ふつうに、世の中の動きを見て、それが俳句という「辺境」におよぼす影響について、予測されている。そして、ところどころ、非常にするどい。

子規の俳句革新、虚子による俳壇の主導は、それぞれ「新聞」と「雑誌」という、新しいメディアを用いたからではなかったか、という視点が提示されていて、それ自体は、すでに言われていることかもしれませんが、インターネットの浸透という文脈に置かれると、含意が生まれてきます。

天気●それは「ネット+俳句」にとってネガティブな含意でもあるような気もします。ちょっと飛躍すれば、数は、質を保証しない。手軽さは、メリットでもあるが、デメリットもある。

信治●その「数」は、発表される句の数ですか。

天気●それも含まれる。ネットの大きな特徴は、データの集積が容易かつ膨大かつ迅速、ということですが、俳句の場合、どうなんだろうと。よく言われる言い方ですが、ゴミの山に、またもう一句ゴミを加えて、どうする?といった…。

信治●んー、確かに。淘汰圧がはたらくところまで増えればいいんですけど。

天気●作句の場としてだけネットを捉えると、よく指摘されることですが、「集合知」ではなく、「集合愚」に傾く力も無視できない。

信治●ぼくは、結社誌や総合誌が、編集部システムを残した上で、ネットに出てくるということかなーと思っていました。

天気●あ、そう読むと、別の意味の説得力がありますね。「怯まず、媚びず」というのは、ある種エスタブリッシュメント(小川軽舟さんや俳壇)からの一方的な視点になる。これは私とはまったく、遠い(笑。

三越や高島屋が「ネット販売も無視できない」と捉えるのと、怪しげな雑貨を輸入してネットで売るのと、それくらいの違い、というか格差がある(笑。

でも、立ち位置が遠く離れても、「怯まず、媚びず」という使い方のコツは共通するという皮肉な結果です(笑。

信治●そこで、みなさん、ようやく、道具なのか!と気づくわけです(笑。

天気●そうそう。自分でも不自然なくらい執拗に「道具」と言ってますねえ。『俳句界』の記事にも、そう書きました。

実際には、インターネットは「道具」を超えて、いろいろな効果や局面がある。でも、そこは意固地に、あくまで道具としてハンドリングするんだ、という強い意志がないと、うまく行かないような気がしているんです。まあ、これは話が逸れるので、またの機会にしましょう。きょうはこんなところで終わっておきましょうか。

信治●はい。次回は「年代別2007年の収穫」(p34-)です。


(つづく)


(*1)ラッダイトについては、ウィキペディア(→こちら)を参照。
(*2)「俳句2.0」については例えば本誌(→こちら)を参照。
(*3)ロングテールについてはウィキペディア(→こちら)を参照。