2020-12-20

【週俳11月の俳句を読む】冬のあかるさ 浅川芳直

【週俳11月の俳句を読む】
冬のあかるさ

浅川芳直


遠くより木の折れる音冬の山  鈴木春菜

雪山の情景、しずれる雪の音を一瞬想像したが、全体を通してみると冬日のやわらかな日差しのなかに、ふいに乾いた音が聴こえてきたものと読み直した。「遠くより木の折れる音」のこの流れは美しい。よどみのない表現である。下五が「冬の山」としっかり留めてあるので、流れがここで締まって素敵な句になっている。自然界の奥行を思わせ、読者に想起させる情報量がなかなかに多い「冬の山」の季題であるだけに、上の流れを柔らかく包んでくれているのに役立っていると思う。

短日の浮かんで消える今日のこと  鈴木春菜

この句もまた、よどみなく流れている一句である。「浮かんで消える今日のこと」という感慨は誰しも経験すること、その意味で平凡とも見える。私の師の師にあたる阿部みどり女は、「人生はなべて平凡」を折々に書いているが、平凡な暮らしでも作者の感性と技術によって非凡に表現するのが詩人の詩人たる由縁であろう。この句の決め所は「短日の」の助詞「の」ではないかと思う。型としては「や」で切ってもよいはずだが、そこをこらえて季題を中七以下に連絡させている。この叙法によって、短日という鋭さのある語のもとで、その日起こったことがぐるぐると脳裏に繰り返される時間が演出されているように思われる。

「月一度」と題する一連であったが、作者の静かな呼吸を感じる十句であった。


水を轢くまぶしい車輪だが寒い  大塚凱

雨上がりの水を車輪が轢くという措辞にまず目を奪われた。だがよく考えてみると、そのような光景というのは一年通して見られる。ただ、変化するのは気候である。これがあるために生活にうるおいがもたらされるのであって、いつも暖かであったら何も刺激がなくつまらない生活になろう。二度三度と口ずさんでみながら、この句の本当の眼目は下五にあるように感じられ、そのようなことを考えた。

「だが寒い」。新鮮なものは季節であり、それを受け止める心ではないかと思った。このように言えば、作者は一笑に付されるだろうか。

橋に鳩マフラー貸してそれつきり〉の句も面白いと思った。「それつきり」の間の抜けた感じが、「橋に鳩」の間の抜けた感じと呼応しているようだ。プレテキストの参照を作句の手法として言われる作者だけに、読者としては「元ネタは何かな」などと考えるのも楽しいだろう。ただ、そのような読み方をしなくても楽しめる句である。そこにこの作者の強みがあろうか。


旅夢想布団に初時雨の音に  田中目八

「旅夢想」は旅を夢想しているものと拝見した。「に」の使い方が心憎く、布団の中から広い世界を眺め、旅を夢見ている作者の、その世界観の一端を想像させてくれる。芭蕉の〈旅に病んで夢は枯野をかけ廻る〉〈旅人と我名よばれん初しぐれ〉の句を彷彿とさせる。掲句における「初時雨」の鑑賞は筆者には深読みをしないと案外に難しく、多言は控えて静かに味わいたい気持ちがする。強いて言えば、初時雨に対する喜びと、布団のなかでじっとしているギャップが心情的に対比されているようで、そこはかとない屈折が、布団がひかれた部屋の畳や、窓辺の光や、そこにほのかに舞っている塵まで浮き立たせているようにも思う。


ところで、今回拝見した三作品のうち、大塚凱氏、田中目八氏の作品には表題句というものがない。考えてみれば誓子の「蟲界變」にせよ、表題句がない先例はたくさんあるので、取り立てて指摘する事柄でもないかもしれない。ただ、俳句の中のフレーズからタイトルを取ることが現実として多いので、印象的であった。これからは表題句のない群作・連作もどんどん増えてゆくのだろうか。作中のフレーズからタイトルを取るより一層、作者の詩的手腕が問われる。

一句を推敲するうえでは、情報量が多くなり過ぎないようにといったハウツーがあるが、このようなタイトルの取り方のメソッドというのはまだまだ確立されていないように思われる。タイトルが強すぎて肝心の俳句の鑑賞の邪魔になっては元も子もないが、俳句の作風に応じてあっさりさせたり、押しを強くしたり、開拓の余地が大いにありそうである。


田中目八 青へ、或は岸辺から 10句 ≫読む
大塚凱 或る 10句 ≫読む
鈴木春菜 月一度 10句 ≫読む

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