【週俳3月の俳句を読む】
すぐれて現代のもの
森澤 程
コロナ禍で開催が危ぶまれている東京オリンピックだが、本日(4月11日)の聖火リレーが、奈良県の大神神社、明日香村の石舞台古墳、橿原公苑などを巡った。いずれも、わたくしに馴染みの深いスポットだ。聖火は、遠路ギリシアから来たもの、見に行こうと少し思ったのだが、結局行かなかった。
対岸の飛び地へ続くいぬふぐり 篠崎央子
「対岸の飛び地へ」により、不思議な広がりが生まれている。「対岸」は川を挟んだ自然の形、「飛び地」は人間のつくりだした土地、この対照がおもしろい。地を這う「いぬふぐり」の青い花は、何も知らずに足元に満ち、川で途切れ、飛び地へと続く。
山葵摺る夜や探査機の着陸す 篠原央子
一句の探査機を「はやぶさ2」として鑑賞してみたい。探査機の出発と帰還は、科学における綿密な計算の賜物に違いない。が同時に探査機の動きには、人の心に連動するところがあった。科学の上での成果や興味とは別に、小惑星リュウグウに着陸し、採取した砂のカプセル載せて6年後に帰還した快挙に、大勢の人が感動した。掲出の句の「着陸す」は、「山葵摺る」という季語から、リュウグウへのものかもしれない。地球へ帰還したのは冬だった。いずれにしても「山葵摺る夜や」という日常の一コマと探査機の出合いは、すぐれて現代のものである。因みに最近火星にも探査機が着陸した。
布物のまとめ置きある畑打 中西亮太
「布物」とは、織ってあるものの総称。一句の「布物」は、畑打の光景なので、吸水性のよい木綿の上着やシャツなどだろう。朝、家を出る時は、気温が低く重ね着をして出たが、畑で仕事をしている内、身体が温まり、少しずつ脱ぎ、まとめて畑の端においたのだろう。早春の景として、昭和生まれの私などには、親しみがある。現代の化学繊維とは違う「布物」の風合いが要となり、貴重な光景を覗かせている作だ。
片足の潦水に触れ垣繕ふ 中西亮太
「垣繕ふ」は最近あまり目にしない季語だ。冬の間、風雪に傷められた垣根を繕うことをさすこの季語は、主に雪国の風景とも言われているようだ。
一句では、春になり融けた潦水に触れている片足への身体感覚がリアルだ。まだ冷たい潦水を感じさせることにより、「垣繕ふ」という季語に命が吹きこまれたと思う。
雨恋し恋しと落椿腐る 近 恵
長い間、雨が降っていないのだ。この間、椿は散り、地に美しい姿を保っていたが、ついに腐り始めた。しかし、雨を待ち焦がれていたこの落椿にはどこか謎が残る。落椿はその姿を晒すことなく早く消えてしまいたかったのだろうか。雨に遭えば腐敗は早まる。「腐る」には、心理的なニュアンスもあり、諧謔性を秘めた一句だ。
木蓮が光って海をひとが来る 近 恵
海という大景に木蓮とひとが、リアリティを超えて調和している。「海をひとが来る」には、たとえば遣唐使などが思い浮かぶ。大きな艦船ではなく、海に人影が揺曳するような小舟に乗った人、魚舟、あるいは、水の上を歩くことの出来たというキリストのような存在を思うこともできる。
木蓮の花の形や量感、その高さを介して、海とひとの間にいろんな像が生まれる一句だ。
雪下ろす黄色の屋根は我が家のみ 須藤 光
白い雪と黄色の屋根がまぶしい。雪国の暮らしをふと思う。どこかメルヘンチックな一句だ。しかし、雪下ろしは危険な作業でもある。雪を除けてゆくたびに見えてくる黄色の屋根…。黄色という色のもつ明るさ、そしてやや神経質な味わいにより、複雑な世界をも垣間見せてくれるような一句でもある。
夕燕雑木林に鳴るラジオ 須藤 光
スマートフォンなどとは無縁な時空間が感じられる。夕燕の伸びやかな姿とともに雑木林にひびくラジオの音。「鳴る」とあるので、音楽が聞こえているのかもしれない。雑木林の夕暮が、ラジオの音により、その深さを増幅させられている。ラジオの主は、雑木林で何か仕事でもしているのだろうか。
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