【週俳3月4月5月の俳句を読む】
サングラスと珈琲Ⅸ
瀬戸正洋
◆巣箱
甘海老を殻より抜きて春の山 松田晴貴
殻は剥くものか抜くものか知らない。殻がついているのだから新鮮な甘海老なのだと思う。あたたかな春の日を浴びて山も海も生気に満ちている。
鞦韆をかけて昔の木となりぬ 同
木の枝にロープを二本垂らす。台座を置く。そこに座り前後に漕ぐ。昔のことがよみがえる。何もかもが幼い日の風景となる。
狛犬の筋目あかるし春落葉 同
獅子に似た想像上の動物である。一対の神獣両方を指して狛犬と呼ばれる。狛犬は寺社だけを守るものではない。春落葉とは晩春、常緑樹から落ちた葉のことである。
浮くやうな凭れるやうな巣箱かな 同
巣箱は不安定なものである。巣箱は頼りないものである。ひとの目線で置かれたからである。世のなか、このようなことが多すぎる気がする。他人のことを思いやる。
足跡とサーフィン摺つてゆく跡と 同
足跡は砂浜に残る。サーフボードを摺った跡は砂浜に残る。サーフィンとはサーフボードで波のうえを滑る動きのことである。跡とはものごとが行われたことを思い出すためのものである。
気兼ねなく水打つてゐる男かな 同
無心に水を打っている。不愉快なことだらけの世の中である。こんな日がたまにあってもいい。
藻の花や日影日向とくりかへし 同
揺れ動いている。くり返すことが人生である。日影と日向は伸びたり縮んだりしている。太陽にまかせておけばいいのである。
雪の下午前いつぱい手紙書き 同
しっくりといかない。文字が汚い。誤字を見つける。破り捨てる。便箋一冊を使い切ってしまう。手紙とは、そのようにして仕上げるものである。雪の下とはちいさく白く群がって咲く花である。
腕の毛のかがやいてゐる砧かな 同
細かいところまでは見ない。老眼になることは幸いである。砧を打つひと。砧を打つ腕。そこまで見ることができれば十分なのだと思う。
鳰のまたあつまつてきし浮御堂 同
集ったり離れたりしている。鳰に浮御堂はにあう。離合集散、ひとに限らず鳰に限らず。万物にとっての日常なのである。
◆ゆらめくようにだめなとこ
ふちゅーいゆーいゆーえい禁止のゆめみる湖 おおにしなお
ゆらめくとはゆらゆらとゆれることである。だめなことをすることは精神衛生に有益である。自己破壊衝動は誰にでもある。
ゆがみちらほらかえって痛々しい春の連取 同
歪みとは外圧時に生じる変形である。結果はどうであっても無理をしてはいけない。歪むことは悪いことではない。
空き地でかたるねねどこ再び翅まみれ 同
翅まみれは御免である。身のまわりは清潔にしておきたい。空き地とは利用目的がなく放置された土地のことである。
しっぱい、でした◦・*:かたくりの花籠にゆれ 同
「◦・*:」とある。理由は。反省している。照れている。日常である。非日常である。「しっぱい、でした」という。かたくりの花が籠にゆれている。
もっと来ないでね王子 五月のびる群送りながら 同
「もっと」「来ないでね」「王子」「五月の」「びる群」。送るもの。送られるもの。もっととは量や程度を増す際に用いる。特別なことなどどこにもない。
しかしぼろいな梅雨にはびこる言葉の塵 同
楽をした。もうけた。ふるくなった。傷んでいる。梅雨である。けがれている。煩わしい。こんな世の中で生きている。
抉れてえんちゅういつかこころになれるかなあ 同
抉るには比喩的な心理的な物理的な意がある。炎昼、円柱、宴中、園中等々。よくわからない。何も望んではいけない。
だいぶ難あり銀河こそこそ描写して 同
かなり難がある。隠れてする必要はない。銀河とは、星やガスや塵などが重力であつまった天体である。描写とは、あるがままのすがたを描きだすことである。
つゆしぐれ 鋒ずっとかりものの 同
思い入れはない。興味があったのではない。買えばよかった。鋒のまわりはしぐれている。鋒とは刃物の先端のことである。不要であるが必要なときは突然にやってくる。
あのねはつゆき あ、初雪の なんでもない 同
ためらっている。言ってみてもしかたがない。初雪を見ている。あのねとは、話しかけるとき相手の注意をひくことばである。またはつなぎ言葉として使われたりもする。
◆ハプスブルク家の春
ふるえるか。書けば春夜の水面あり 超文学宣言
吹きさらしである。軽薄である。文字をしるすと春の夜の水面があらわれる。水面にはさざなみが立っている。
劇のまなかをしろい灯火ら萌えてゆく 同
何かがはじまる予兆がある。それを劇という。劇とは激しくはなはだしいものである。しろい灯火らしきものを確認する。
ステンドグラスを割りうみを漏らすな 同
色硝子を組み合わせて描く。割るのである。割ったあとうみを漏らしてはならない。
ゆるやかに回転しつつ庭が咲く 同
回転しているのは時間である。庭に咲いているのは時代である。庭とは領土のことである。
チューリップ持ち雑踏のトラムぬけ 同
チューリップを持つひとがいる。日常ではない。非日常でもない。雑踏のなかをトラムがぬけていく。
遠くよばれて離宮の門が灼ける 同
離宮とは、皇居や王宮とは別に造られた宮殿や別荘のことをいう。居住、避暑、避寒、静養、接待会合等のために使われる。主従関係がある。敵味方が入り乱れる。離宮の門が灼けたのである。血なまぐささを感じる。
うつむけばペルソナに木の洞うかぶ 同
ペルソナとは仮面のことである。ペルソナとは外的側面、内側に潜む自分とある。木の洞とは隠れる場所である。弱いから強いふりをする。自信なさげにうつむく。そのくり返しである。仮面をつけ微妙なバランスのなかを生きる。
宙に吊るひとつの逆説の運河(だ) 同
逆説の反対は、整合性、順接、直説とある。整合性とはものごとに矛盾がなく調和のとれていることとあった。運河とは、人工的な水路のことである。目的はかたちにしておかなくてはならない。世のなかは矛盾に満ちあふれている。
エジプトがくらがりを来てさえずっている 同
やかましくしゃべることを蔑んでいる。ひかりがとどかない場所から来たのである。しかたがないと思っている。純潔には意義がある。ないなどとも思ったりしている。
回転扉よりおもむろに日浴びする 同
静かにゆっくりと日浴びする。静かにゆっくりと回転扉を通り抜ける。日浴びをしなくてはならないということではない。
臉をうつ硬水育ちらしく風 同
瞼をうつとは瞼を閉じるということである。硬水育ちがあれば軟水育ちもある。何を育てるのかということだ。風が立ったりしている。
炉の影が雫の中をたぶらかす 同
巧みな言葉や行動がある。影とは光が当たることによってできる形である。影はたぶらかすことができる。無形や非形がたぶらかすのである。炉とは燃えつづけさせるための道具である。
Grüß Gott, Grüß Gottひたき堕ち 同
堕ちるとは、落下する、失敗する、上から下へ移動する、とある。そんな時でも「Grüß Gott, Grüß Gott」という。ひたきは堕ちたのである。
高木の口語に風の拍がする
拍とは、手のひらを打ち合わせる、うちたたく、ひょうしをとるとある。手は風を立たせる。風の拍がするのは高木の口語だからなのである。
みず巡る接吻もみずあさくあり 同
巡るとは、回ってもとにもどる、取り囲むとある。みづとは水素と酸素の化合物である。無味、無臭、無色、透明である。いわゆるひとにとって必要なみづは、地球全体の0.01%程度でしかないとあった。
接吻とは愛情、尊敬、挨拶などを表す行為である。ふかいよりもあさい方がいい。身の安全を守るためにはその方がいいのである。
合図なくたおれて鹿は孕んでいた 同
合図などろくなものではない。くらしに合図など不要なものである。ながれるままでいいのである。どこでたおれるのかわからない。鹿が孕んでいたことなど誰も知らない。
玉ねぎ焦がしてきっととりのゆめだ 同
フライパンに油をひいて玉ねぎをおく。玉ねぎはしなり尻に焦げ目がつく。とりのゆめとはしなった玉ねぎのことなのである。
天球を腹に匿い泳ぎだす 同
海を匿うことは不可能である。それでも匿っているような錯覚におちいることはある。波は静かである。一面の青空とひとつの太陽。天球を腹に匿い泳ぎはじめる。
ふらん、せ、得、ずに野を遊ぶ有神論 同
「ふらん、せ、得、ず」とは、物質のことである。あまくしたにとろける物質である。有神論とは、あまくしたにとろけるものなのかも知れない。神の存在を肯定する立場である。無神論の対義語である。
造形を馬二匹駆け微風あり 同
様々なものを媒介とする。形あるものを作りだす。「馬二匹駆け」「微風あり」とは、目の前のできごとをことばにしたものである。
◆夏の詰合せ
炊飯器壊れて朝食は氷菓 竹岡佐緒理
同じカロリーのもので調整する。炊飯器が壊れたこととは関係がない。体重の維持は難しい。過食はいけない。拒食もいけない。
あぢさゐや子を通訳に保護者会 同
通訳は必要である。世代や国が同じでも必要である。たいした案件でなくても必要である。保護者会には雨が似合う。あぢさゐにも雨が似合う。
白鷺を中心点に風立ちぬ 同
風が立つとは風が吹くことである。白鷺は飛び立ったのである。白鷺をまんなかとして風が吹きはじめたのである。
カルピスの薄めの実家青田波 同
微妙な加減が必要である。濃すぎるといけない。薄すぎるとさびしい。庭の先には青田がひろがっている。青々と育った稲の葉が風になびいている。
掛軸を退かせば穴や蚊遣香 同
蚊遣香の役割はひとつである。掛け軸にはもうひとつの役割があった。掛け軸を入れ替える度に思い出す。
月涼し言葉を文字にして記す 同
ことばを文字にしてみる。話した内容のうすっぺらさを感じる。文字にしても変わらないことばを発したい。夜更けの月のひかりには涼しさを感じる。
いい距離の同居でゐたし黄薔薇咲く 同
老妻と暮らしている。この暮らしが最良だと思う。子どもが孫をつれて遊びに来る。憂鬱になる。不快になる。何もしない静かな一日が続くことを願う。
健康であることに感謝している。このバランスが崩れると「いい距離の」同居について考えることになる。
成長曲線を飛び出す跣の子 同
成長曲線、飛び出す、跣の子、なんと逞しい言葉だ。幸せな気持ちになる。幸せな気持ちになることが不安になる。それほど年老いてしまったのだと思う。
夏の詰合せ余つたのを貰ふ 同
詰合せには、箱、かご、包装紙、余計なものばかりである。
誰もが不要と思うものでいい。余ったと思うものでいい。判断を信用してはいけない。自分の判断ほどあてにならないものはない。余ったと思うもので十分だと思う。
何者か閉ぢ込められてゐるゼリー 同
部屋に閉じ込められる。容器にゼリーを流しこむ。身動きがとれなくなる。ゼリーも同じ運命である。何者とは自分自身のことなのである。
◆とは
日の色の春のふすまや目の当り 上田信治
当るには、対象があてはまる、ぶっかる、影響を受ける、あるいは、触れたときの感じ、強い力が及ぶとあった。目の前に日の色の春のふすまがある。
タッパーの蕗味噌四角くて天地 同
畦に蕗はいくらでもあった。最近はほとんど見かけない。刈払機で雑草もろとも刈ってしまったからなのかも知れない。四角いタッパーに蕗味噌をたっぷりと入れる。天地とは、全世界ということである。
流連の命預けて雲丹の鮨 同
流連の命とは大げさである。雲丹がかすんでしまう。新鮮な雲丹は美しい。新鮮な鮨は美しい。遊興にふけっているひとは美しい。もとの場所、もとの状態にもどることは難しい。
濡れてゐて考へ顔のあざらしよ 同
考えている自分がいる。あざらしがいる。あざらしも考えているような顔に見える。濡れているとなおさらである。
干し網のむかう三月晴れてゐる 同
干し網の向うは三月である。干し網のこちらも三月である。干し網の向うは晴れている。干し網のこちらも晴れている。不思議なことだと思う。
散る花のパジャマの下が干してある 同
上が干してない理由を考える。男ものなのか女ものなのか。そんなことも考えてみる。来年の花は見ることができるのかなどと考えてみる。
花烏賊のみなとに雲の多かりし 同
桜の咲くころの烏賊を花烏賊という。ひとの身勝手である。烏賊にとっては迷惑なはなしである。みなとに雲が多い。それは雲の抗いなのかも知れない。
花かつお人生は春ひらひらと 同
時間が若者と同じように残っている。春になると老人はそう錯覚する。季節がそうさせるのである。人生の春とは戻ることである。
薄く削れば万能である。ひらひらとはかるくひるがえるように動くさまのことをいう。ひらひらと生きていきたいと思っている。
はまぐりや夜開いてゐる喫茶店 同
怪しい喫茶店である。はまぐりやとしたことで、さらに怪しさがました。はまぐりのにおいがする。醤油のにおいがする。油のにおいがする。不気味な喫茶店である。
パン工場消えてもぬけの春の空 同
春の空にパン工場はある。パン工場は存在している。ただ、パンを焼く道具がない。小麦粉、酵母、塩などもない。
富士山もいそぎんちやくも穴開いて 同
穴とは開けたり掘ったりしたくぼみのことである。開くとは場所や物事が通り抜けられる状態のことをいう。心や時間に余裕があることもいう。富士山もいそぎんちやくも穴が開いている。困ったことだと思っている。不安なことだと思っている。
海苔の海だれも見てゐない昼の 同
見ていないのは海苔の海だけではない。だれもが何も見ていないのである。もちろん昼に限ったことではない。四六時中、だれもが何も見ていないのである。
雨のあと菠薐草を食べにけり 同
晴れた日には菠薐草を食べてはいけない。曇りの日にも菠薐草を食べてはいけない。菠薐草を食べていいのは雨のあとだけなのである。菠薐草のソティー、菠薐草のお浸し。だれもが雨のあとに菠薐草を食べている。
会館に昔の松や雲に鳥 同
抗っている松である。故に「昔の」なのである。抗うことは無駄な努力ではない。それでも、そんな努力は疲れる。そう思うと悲しくなる。
春になると鳥は北方に帰っていく。自然なことである。不自然なことである。会館とは松のある建物のことである。
日永とは鯉一つゐる町の川 同
日永とは「鯉のゐない」町の川。日永とは「鯉一つゐる」町の川。日永とは「鯉二つゐる」町の川。日永とは「鯉・・・・」町の川。鯉がゐなければ何もはじまらない。「とは」とは連語である。着目する事物を提示するために使われる。
■松田晴貴 巣箱 10句 ≫読む 第936号 2025年3月30日
■ おおにしなお ゆらめくようにだめなとこ 10句 ≫読む 第939号 2025年4月20日
■ 超文学宣言 ハプスブルク家の春 ≫読む 第940号 2025年4月27日
■ 竹岡佐緒理 夏の詰合せ 10句 ≫読む 第942号 2025年5月11日
■ 上田信治 とは 15句 ≫読む 第944号 2025年5月25日
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