【俳人インタビュー】
阪西敦子さんへの10の質問
金魚揺れべつの金魚の現れし
松分けて来たる光は秋の海
『金魚』加へて十六句
金魚玉見ながら水を飲んでゐる
毎週日曜日更新のウェブマガジン。
俳句にまつわる諸々の事柄。
photo by Tenki SAIBARA
【俳人インタビュー】
阪西敦子さんへの10の質問
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Labels: 「ブラジル俳句留学記」振り返り, インタビュー, 郡司和斗, 対談, 中矢温
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「読み書き」ここ二年ほど、実作活動があまりできておらず、代わって先人の俳句作品や評論を(本当に少しだが)読むようになった。読書を通じて感じたのは、俳句を書くこと自体の尊さや効能に目を向けたいということだ。加えて、俳句の持つアマチュアリズムのようなものを、卑屈ではないかたちで肯定し、実作に救われていたあの頃に戻れたらと思う。
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【インタビュー】
「西川火尖に、中山奈々から20の質問」【俳人インタビュー】
高柳克弘さんへの10の質問
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津川絵理子インタビュー
虫の機嫌
聞き手:岡田由季
昨年12月に第三句集『夜の水平線』を上梓された津川絵理子さんに、虫の話をお聞きしました。なぜ虫なのかと言うと、『夜の水平線』の中に、精緻な虫の句がいくつも収められています。また、あとがきでも、少し虫のことに触れられています。どうやらご自宅でも飼われている。ということから、是非お話を伺ってみようと思い立ちました。
由季●
吟行ををご一緒した際にも、絵理子さんはよく虫に目を留められていたように思います。子供の頃から虫好きだったのでしょうか。
絵理子●
特に虫好きの子供ではなかったですが、周りの子と同じように蝉取りをしたり、バッタを捕まえたりして遊んでいました。苦手なのがひとつだけ、アシダカグモが今でも嫌いです。でもそれ以外ならだいたい大丈夫。
虫に限らず、鳥、犬猫、魚類、生きて動いているものに興味を引かれます。
由季●
ご自宅でも飼われているとのこと。どんな虫をどういう風に飼っているのですか。
絵理子●
一昨年以降、ベランダで弱っていたハナムグリを拾ったり、ピーマンを切ったら出てきたタバコガの幼虫を育てたり、アオツヅラフジを花入れに活けたら、それにヒメエグリバ(蛾です)の幼虫がついていて、そのまま羽化したり、などといった出来事がありました。
飼ってみて初めて知る彼らの生態に非常に興味を持ちました。何も知らない状態から飼うわけですから、ネットや本で調べたり、昆虫館に電話やメールをして教えてもらったりしているのですが、彼らはそんな付け焼刃の知識を上回る行動をするのです。
それがいちいち新鮮で、驚くことばかりでした。例えば、ハナムグリは冬の間昆虫マットに入ったまま出てきません。うっかりマットを湿らせるのを忘れてしまって、カラカラに乾いた状態になって、もうだめだ、死んでしまっただろう、と思っていたら、ちゃんと生きていて啓蟄の頃に這い出してきました。何か月も飲まず食わず、でも春になれば何ごともなかったかのように出てきて元気に這いまわるのを見て、生命力の強さに打たれました。
ちょうどコロナで家に籠る時期と重なり、重苦しい気持ちになることも多かったのですが、虫たちの世界の広がりを知ることで、人間の世界だけに生きるのは、何か限界を感じるというか、そんなことも考えるようになりました。
今家にいるのは、セスジスズメの成虫1匹、オンブバッタ雄雌各1匹、蟻(クロオオアリ5、クロヤマアリ10匹くらい)、黄金虫かカナブンぽい幼虫5、それより小さい幼虫5(1匹は早くも羽化してしまいました。セマダラコガネか。)割と若いハサミムシ1匹、ヒゲブトハムシダマシ成虫2匹です。ほとんど家族が持ち帰って来ました。私は外で観察するのが好きなので、飼うのは気が進まなかったのですが、既に自然に帰せなくなっていたりして結局世話をすることになりました。
由季●
予想以上にたくさんの虫たちです!以前、迷い込んできた十姉妹も飼われていましたね。絵理子さんは、飛び込んでくる生き物を放っておけないんですね。それだけたくさんの種類がいると、餌や世話の仕方も様々でしょう。飼う上で、大変なのはどんなことですか?
絵理子●
餌やりですね。
昆虫の餌やりはだいたい2、3日に一度で良いのですが、食べるものがそれぞれ違うのです。それに今いるセスジスズメ(蛾)の成虫は日に一回砂糖水を飲ませてやらなければなりません。自分では飲めないようです。つまようじで口吻を伸ばして砂糖水につけてやります。口吻の先がふるふる動いて、飲んでいるのが分かるようになりました。手に乗せても大人しくしていますが、口吻を引き出されるのは嫌がって暴れるので困ります。暴れると翅が傷むし、鱗粉が落ちて、背中なんかふわふわだったのに禿げになりました。翅を保護するために、飼育ケースではなく、立体的になるように支えを入れた大型洗濯ネットの中で飼っています。
セスジは幼虫のときも餌探しに苦労しました。芋虫だから芋の葉っぱをやっておけば良いと思っても、まず芋の葉っぱが身近に無い。ネットで調べると、藪枯しの葉を食べるらしいことが分かって、近所を探し回りました。ところが、住宅地では藪枯しが生えているところが意外と少ないのです。街路樹などの除草が徹底されているのでしょうか。運良く見つけたら、見付けた場所を覚えておいて、日替わりで摘みに行きました。芋虫の食欲はすさまじく、たっぷり葉っぱを入れておいても、次の日の朝には太い葉脈だけしか残っていない状態です。残暑の中歩き回って探しました。でもお蔭でどこに藪枯しが生えているか、いざとなれば電車に乗って採りに行ける場所も見付けました。もちろん全部がそうではないでしょうが、藪枯しって、私が観察したところでは、アベリアの木の下によく生えています。スズメガの成虫がアベリアの花の蜜を吸っているところもよく見かけますから、幼虫はアベリアの下に生えている藪枯しを食べ、その土の中で蛹になり、アベリアの花が咲くころに羽化して蜜を吸う、という循環が出来ているのではないかと思いました。もしそうだとしたら、非常に上手く出来たシステムですね。
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セスジスズメに砂糖水を飲ませているところ |
しかしこんな風にセスジスズメだけに集中して世話することはできません。他の虫も毎日ではなくても餌を変えたり掃除をしたりしなくてはいけませんから。オンブバッタの餌(キャベツ)はすぐしなびるし、土はすぐに乾きます。昨秋雌のバッタ三匹がそれぞれに卵を産んだので、土が乾ききらないよう、霧吹きで水をやります。もう少し暖かくなったら、うじゃうじゃ小さいバッタが出てくるでしょう。
蟻は結構集団で主張する虫だなあ、と感じます。世話を怠ると、餌入れ(メープルシロップが入っている)にゴミや仲間の死骸を放り込んできます。餌を新しくして、ちゃんと掃除して、と言っているようです。
由季●
飼ってみて、生態への興味が増して・・ということですが、世話をしていれば愛着もわいてくると思います。例えば、小鳥を飼うときのような愛情を感じることはありますか?飼っている中で特に思い入れのある虫はいるんでしょうか。
絵理子●
世話をしているとどんな虫にも愛着が湧いてくるのですが、特に最初に飼ったハナムグリが印象深いです。ちょうど一年生きました。虫といえど世話をしているうちに愛情が深まりますよ。あまり触ったりするのは良くないので、必要最小限しか触れませんが。可愛いものです。
触れないけれど、機嫌がなんとなく分かったり、虫にも心があるのかも、と思います。だから死んだときは悲しかったです。天寿を全うしたんだと思っても、もう会えないのは辛い。
去年ショウリョウバッタの雄と雌を飼ったのですが、何度も脱皮するうちに、雌が最終の脱皮を失敗してしまった。脚や翅が曲がって、一週間ほどして死にました。原因は飼育ケースが小さかったからです。ショウリョウバッタの雌は日本で一番大きなバッタなんだそうです。だから脱皮のたびに飼育ケースを大きくして、スペースを広く取ってやるべきだったのです。これも昆虫館の人に相談したら、特大飼育ケースを縦に使って、イネ科の植物を立ててそこで脱皮させてやるとスムーズに出来たかも、と言われました。この雌には「ミョウガちゃん」(脱皮後茗荷色になったから)と名付けて最後を看取ったのですが、私の無知から死なせてしまったので、辛い思い出です。そうした失敗をした虫たちは、特に思い入れが、というか苦い思いと共に思い出します。
由季●
飼育方法をずいぶん調べて、細やかに気を遣って世話をしているんですね。虫の中でも、蝶やカブトムシなどは飼う人が多いと思いますが、蛾などの、嫌われがちな虫も大切にしているのが素晴らしいと思いました。飼っていて楽しいこと、嬉しい瞬間についても教えてください。
絵理子●
無事に羽化したとき、無事に冬を越せたときが嬉しいです。長生きしてくれるのも嬉しいです。餌をたくさん食べてくれるのも。見ているだけで楽しい。子供の頃に虫を飼ったことはありますが、こんなに虫たちと濃密な時間を過ごす機会は無かったように思います。子供は世話を親に任せたりしますから、生きものを飼うことの難しさや楽しさって、案外大人にならないと分からないものかもしれません。蛾を幼虫から育ててみて、こんなに可愛いものなんだなと思う自分が不思議です。
由季●
いろいろお話ありがとうございました。最後に、言い足りないことなどありましたら、なんでもお願いします。
絵理子●
一番びっくりしたことは、ヒメエグリバという蛾の幼虫を育てていて、無事蛹化し、いよいよ羽化したと思ったら、出てきたのがアメバチの一種だったことです。アメバチは寄生蜂で、芋虫の体内に寄生してその身体を食べ羽化します。出てきたのが想像と違っていたので、本当に驚きました。大事に育てていたヒメエグリバがアメバチに食べられて、でもアメバチは元気に生きていて、こんな命の循環もある・・・・この感情をどこへ持って行ったらいいのか、複雑な気分でした。結局アメバチは元気に飛び去りましたが。
生き物を飼うことは、死と多く出会うことですよね。それと自分がエゴイストだという事実と向き合うことでもある。蚊を打ったり、ゴキブリを平気で踏みつぶしたりしますから。
虫たちにはいろいろなことを教わったと思います。
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早春はてふこさんとカレーを〔後篇〕
小川楓子
≫承前
それでは怒涛の一問一答開始。
Q1
てふこさんの作品は、寡黙で朴訥とした魅力があるように感じました。ご本人としてはいかがですか。
A1
キレイに出来ていることに興味はないんですよね。「ごろん」とした作品を作りたい。「ごろん」の影響は、たぶん聴いてきた音楽が大きいと思います。宅録と呼ばれる、自宅などのラフな録音環境で録られた音楽が国内外問わず好きだったんです。歌詞もあけすけだったり、内向的だったり。俳句を始めたちょっと後からずっと聴いている「キセル」という京都出身の兄弟二人組がいて、彼らの曲のくぐもった音や、やるせない歌詞には非常に影響を受けているように思います。彼らの「ごろん」は、柔らかい「ごろん」。小説家では津村記久子に「ごろん」を感じるかなあ。正義とか倫理観にあんなに真っ正面から取り組んでる作家は珍しいなあ、かっこいいなあと。美しさなんて知るか、と言わんばかりの石ころのような文体も大好きです。津村さんのどの小説にも必ずと言っていいほどサッカーの小ネタが盛り込まれていて、サッカー、面白いのかな?ってぼんやり思っていたら乾貴士が好きになってセレッソサポになってしまったという。津村さんのサポーター小説、最高ですよ。津村さんの「ごろん」は石のような「ごろん」。俳人では辻桃子と波多野爽波の影響が若干ずつ。ふたりとももともと感性がオシャレな人なので、オシャレな人があえてやる「ごろん」と私の「ごろん」は違うぞ、と言い聞かせつつ、という注釈はつけておきたいですが。
Q2
「だんじりのてつぺんにゐて勃つてゐる」が『汗の果実』の帯にあり、よく話題にもなりますが、どのような気持ちで作りましたか。
A2
だんじりは大阪文フリに遊びに行ったついでに、会場近くでやっていたのでひとりで観に行ったのですが楽しかったです。だんじりの句は、祭に参加している男たちとそれを見ている自分が対にならない構成にするように気を付けました。例えば、多佳子の〈雄鹿の前吾もあらあらしき息す〉がなまめかしいのって、雄鹿に詠み手が雌として応えてしまうのでは……という可能性をチラ見せさせているところなのかなと思うのですが、私はそういう風に読みうる句には絶対にしたくなかったので。
Q3
女性としての自分についてどう感じていますか。
A3
同じ女性だからわかり合えるという発言とか聞くとほんと「はー無理無理」ってなっちゃいますね。でも、女性が多い職場で働くことが多くて、仕事環境としては女性に囲まれていた方が安心するなーと。女子高や女子大に憧れたときもあるのですが、母が女子大で苦労したようで気がつくと共学を選んでいました。学生時代はずっと共学で特になにも思わなかったのですが、うまく放っておいてくれる女性上司の下につくと「楽だなー!」って思いますね。趣味が分かればそれに合ったものを提示していけば好きにさせてくれるタイプ。最初の職場の上司がそんな感じでした。いまのチームリーダーも去年からの付き合いなのですがそういう感じの人なので、あ、これは楽できる!という気楽さでかえってやる気が出ます。
Q4
「女性俳句」についてどう思いますか。
A4
大学時代に平塚らいてうとか『青鞜』に興味があって、『青鞜』に載っていた俳句を調べてみたら全然よくなくて、ガーン……ってなって。同時期に杉田久女の評論を読んだらお茶の水女子大出身で当時の最高の女子教育を受けた、とあって。ああそうか、久女は新しい女になる可能性が十分にあった人だったのか(でも俳人としての道行きは俳壇の封建的な空気に阻まれるようなものになってしまった)という点、あと細見綾子も好きなのですが、彼女はらいてうなどと同じ日本女子大出身だったことが心に引っ掛かっていたり。そういう経歴は彼女の俳句にどういう影響を及ぼしているのかな?って気になるんです。たぶん、俳句でフェミニズムを論じてみたい気持ちが当時からあったのですが、糸口がわからなくて。俳句自体わからないのに、もっとわからないことと結びつけて書くなんて、無理な話で。宇多喜代子さんの文章とか、藤木清子を発掘したり女性のマイナーポエットへの目配りがすごいところに憧れますね。短期目標として、自分なりの俳句とフェミニズムの結び付け方を見つけるというのがあります。秋頃に久女が長く住んだ小倉に行くので、そこでヒントが得られたらいいなと思います
Q5
就職氷河期世代〔*〕、いわゆるロストジェネレーションにあたりますが、世代感はありますか。また、もしあるとしたら俳句に影響していますか。
〔*〕就職氷河期世代は1970(昭和 45)年4月2日から 1985(昭和 60)年4月1日まで生まれ。(2019(令和元)年度厚生労働省本省就職氷河期世代採用 選考案内)
A5
ロスジェネ。うーん。世代論って本質的なことをつけることももちろんあるけど結構的外れというか、知らない人とわざわざ同窓会をするような何がしたいんだろう…と思うような方向にいっちゃう例もよく見かけるので読む時に妙に注意深くなります。
就職活動を終わらせたいのに終わらない…と焦っていた大学4年の5月にスーパーフリー事件が明るみに出ました。(スーパーフリー事件は早稲田大学のイベントサークル関係者が組織的に行った輪姦事件で、輪姦の補助として女性も多数関与した)スーフリに関しては学内にポスターが貼ってあったり、サークル名として知っている程度でしたが、あの時期に大学名を背負って女子学生として就活をしなくてはならないのが本当に苦痛で、忌々しい気持ちでした。その忌々しさって結局なんだったんだろう、と詳しく思い出そうとすると、自分の思考に、被害者に寄り添う視点が欠けていた記憶があり、その頃の自分の視野の狭さ、当事者性の欠如にショックを受けます。あの頃、もしSNSがあったらもう少し視野を広く持てたかもしれないとも思います。たくさんの障壁はありますが、性暴力の被害者が自分自身の声で語り始めるようになった今だからこそ、思い出して苦い気持ちになってしまうのかもしれません。
ロスジェネが自分の俳句に…。どうかなあ。そこまで影響してないと思います。
Q6
前衛俳句などの戦後以降、高度経済成長期の俳句は、時代特有のエネルギーがあると感じます。また短歌の場合、SNSの発達や引きこもりなど時代性が映し出されることがしばしばあるので、現在の俳句はどうであろうかと考えています。ロスジェネのみならず時代性についてはいかがですか。
A6
戦後ある程度の時期までは、生きることにあらゆる面で執着しなければ、という強迫観念は多かれ少なかれ人々にあったと思います。今は経済的にこぼれ落ちてはいけない、という強迫観念の方が強いかなあなどと。俳句の世界での我々世代の強迫観念は「選ばれなければいけない」かなあ。私も、20代は結構とらわれていました。かといって、大きな仕事ができるほど時間があるわけでもなく。今は心からそう思わないように距離を取りつつ、モチベーションの向上にうわべの熱狂だけ利用させてもらったりしています。「選ばれなければいけない」という強迫観念は我々世代というより、50歳以下の新人賞の対象になる年代、くらいのざっくりした言い方が合っているかも。
選ばれなければ、って思いすぎると選ばれない状態の自分を肯定できなくなってすごく苦しいので、選ばれなくても私の価値が落ちるわけではない、とに応募するぞー!わー!って盛り上がっている群れの最後方でとりあえず拳はあげている、みたいなイメージですかね(全体主義に一番に利用されそうな群衆の思想だな……と思いつつ)。フェスに近いかもしれません。あんまり一体感を呼び掛けてくるMCには反感があって、いていいよくらいのノリが好きですね。俳句のシーンに関しても同じようなことを思う。いていいよ、って言ってもらえればそれでいいので。グループや同人誌が増えてきている今の傾向はいいんじゃないかなと思います。居場所は結社や受賞の肩書の中にだけあるわけじゃないし。同人誌はBL俳句誌「庫内灯」に参加したりしましたが、俳句グループには入ったことがないなあ…。人からどういう作家だと思われてるのかわからないですけど、もしチャンスがあったら入ってみたいですねw
【柳人インタビュー】
竹井紫乙さんへの10の質問
作者と語る『水界園丁』05
ふふつと
生駒大祐×福田若之
新潟に近くて雪の群馬かな
縄跳のだしぬけに新しい技
春や飛びつく砂鉄吾磁石汝
鳥たちのうつけの春をハトロン紙
八重桜より電球をはづしけり
ぶつかつてゐる大小の花筏
考へたすゑに巣箱へ入りけり
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作者と語る『水界園丁』04
目逸らさず
生駒大祐×福田若之
目逸らさず雪野を歩み来て呉れる
六月に生まれて鈴をよく拾ふ
ひぐまの子梢を愛す愛しあふ
春や飛びつく砂鉄吾磁石汝
鉄は鉄幾たび夜が白むとも
汝まるで吾白鯉匂ふしづけさの
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作者と語る『水界園丁』03
水と絵と
生駒大祐×福田若之
鳴るごとく冬きたりなば水少し
よぎるものなきはつふゆの絵一枚
水の世は凍鶴もまたにぎやかし
初空や水とはうしなはれやすき
鳥すら絵薺はやく咲いてやれよ
水澄みて絵の中の日も沈むころ
二ン月はそのまま水の絵となりぬ
シュワキマセリ水中のもの不可視なり
絵は生きてゐる秋草に身を浮かべ
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作者と語る『水界園丁』02
雑のこと
生駒大祐×福田若之
恋いまや狐の被る狐面
小面をつければ永遠の花ざかり
シュワキマセリ水中のもの不可視なり
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作者と語る『水界園丁』01
手ざはり
生駒大祐×福田若之
五月の木鬱王に立ち向へる木
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