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2024-09-29

【俳人インタビュー】阪西敦子さんへの10の質問

【俳人インタビュー】
阪西敦子さんへの10質問



Q1 今週、何句作りましたか?

16句(木曜3句、土曜3句、日曜10句)

Q2 昨晩、寝るまでの数時間の行動を具体的に(公表できる範囲で)教えてください。

9時半 帰宅

スーパーで買ってきたものしまう

郵便物整理→横道に逸れる

洗濯物取り込み

ゲームさんぽ「エルデンリング編」見てSNS投稿検討→横道に逸れる

移動中用読書『アリスが語らないことは』(ピーター・スワンソン)の切りが悪かったことを思い出してその章だけ読むことにする→集中し時間忘れる

気がつくと11時過ぎ、いろいろ諦めて入浴

髪を乾かしながらミステリーチャンネル『アストリッドとラファエル 文書係の事件簿』一挙再放送見る→そのまま入眠

Q3 現在お住まいの町は、どんなところですか?

長い商店街があって、日常品を買ったり外食先の豊富な街です。

また、徒歩10分ほどで小さな川に出ます。休日はそこを散歩することが多いです。

Q4 このたび第一句集『金魚』を上梓されました。句集をつくっていくなかでいちばん苦労したことを教えてください。

自分の作品を探し出すこと。

Q5 『金魚』の刊行後、どんな変化がありましたか?

以前より作った句を記録するようになりました。

Q6 句会で「最高点だったから、一曲、歌いなさい」と言われた夢を見ました。夢の中であなたは、何をどんなふうに歌いましたか?

『キン肉マン GO FIGHT!』を感謝を込めて

Q7 俳句は何に似ていると思いますか? 何かに喩えて巧いこと言ってもいいですし、そうじゃなく正直・率直でもかまいません。

ラ、ラグビー?

思い通りに転がらないこと

極端な枷があるところ(ラ・前投げ禁止、俳・短い)

いろんなタイプの人がそれぞれのアプローチをするところ

情勢に合わせてルールを変えること

わたしが好きの度合いと長さ

Q8 10年後の今日、ご自分は、なにをしていると思いますか。

家の片づけ

Q9 目が覚めました。何十時間も眠ってしまったらしく、おなかがぺこぺこです。何を食べますか。

野菜スープ

Q10 好きな自然現象について、教えてください。

夕立

質問:西原天気


『金魚』一〇句 上田信治謹選

金魚揺れべつの金魚の現れし

松分けて来たる光は秋の海

口笛を鮒にくはせてそぞろ寒

幸せのひとつひとつよ冬に入る

初鴉道うつとりと眺めをり

寒卵片手に割つて街小さし

枯芝や手をおきて手のあたたかさ

春風の真つ赤な嘘として立てり

雨すこし重たくなつて烏瓜

おにぎりの転がるやうに春に死す


『金魚』加へて十六句

金魚玉見ながら水を飲んでゐる

バレンタインデーの風呂場の明るさに

スカートが赤くて泣いた日の盛

鳥と人分かちて冬の雨が降る

ぼんやりと鮫に遅速やクリスマス

パンジーの半分同じ色同士

腹巻や人よりすこし働かず

食べ終へてやさしくなりぬ氷水

ボクシングジム越しに見え稲光

片側は夕陽の中や新松子

取り出せる葱の長さの日差かな

喫茶室に横顔ばかり鳥雲に

初夏の塔より出でて列の尾よ

死してなほ縞笑ひをる藪蚊かな

もう誰もゐないし竹馬で帰る

新涼のおかきのあとのくわりんたう


阪西敦子句集『金魚』2024年3月/ふらんす堂

過去記事〕
その日の朝に生まれたような 阪西敦子『金魚』 西原天気
相子智恵 月曜日の一句 2024年6月10日


2024-03-10

中矢温・郡司和斗 「ブラジル俳句留学記」振り返り03 修論の展望

「ブラジル俳句留学記」振り返り03
修論の展望

中矢温・郡司和斗


郡司●今回の留学は修論を進めるのが最大の目的だったかと思うのだけれど、どこら辺が一番進みましたか。

中矢●うーん、一番は資料収集ですかねえ。あくまでも収集であって、読んだとは言えないのが情けないところです……。

郡司●どんな資料を集められたんですか。ポルトガル語で書かれた俳句集とか?

中矢●そうですね、そういう俳句集も入手しました。私は結局一人のブラジル人の風刺作家に着目することにしたんですよ。彼が当時ブラジルでベストセラーの週刊雑誌に「ハイカイ」というシリーズ名で連載をしていて、その事実が凄く面白いなと思って。売れっ子作家で、毎週見開き二ページ絶対原稿を落とせないとなったときに、「ハイカイ」というシリーズでイラストと三行詩を添えて連載しようと普通は思わないよなって。だから彼がどういう書物や経路で俳句を知ったのかとか、何で「ハイカイ」シリーズを書こうと思ったのかとかを解明できたらいいなと思います。前提知識や背景も丁寧に書きながら。

郡司●なるほど。

中矢●そのシリーズの作品の意味内容は「野良犬は水たまりの月を舐める」とか、「知識人は知識をひけらかすのに夢中で熱々のコーヒーも冷めるまで放っておく」とか、「VIPは空港で自分を見送るおべっかたちが悪口を言っているのに気が付いていない」とか、凡そ俳句っぽくはないかもしれませんが、面白いよなと。でも色んな意味でこれまで評価されてこなかったんですよね。まずは掲載媒体が雑誌だったので、単行本より刹那的というか消費物として流れて行ってしまった感がある。あとは季語とか日本の「伝統」を作品内で則る傾向が稀薄だったので、ブラジルの日本文学研究者からも重視されてこなかった感があります。最後に彼は風刺作家として著名なので、何というか俳句作家としての側面はあくまでも彼の天才性を示す一つでしかないということですかね。俳句を書いていたことにこそ言及はされても、内容まで鑑賞や引用するような研究はほとんど……。で、まあ留学中にその人の膨大な作品のアクセス先の特定や、あるいは複写とか、そういうことだけで結構時間を取られましたね。良くも悪くも。

郡司●作品論で行くのかと思ったけれど、その前段階としてブラジルの俳句受容史も書くんですね。

中矢●そうですね、やっぱり珍しいテーマだからこそ丁寧に書きたい感じはありますね。

郡司●修論を本にしたりとか、別の場所で書いたりするときにも、前段階の説明は大切になってきますよね。

中矢●ああ、本にしたり連載したりはあんまり考えたことがなかったですね。修士課程を出たら就職するということに対して、研究者としての未熟性が引け目にあるのかも。まあそれは置いておくとして、私が悩んだのは、日本人移民の日本語俳句を書くのもかなりいいテーマなんだよなということです。実は書きたい移民作家もあちらで出会えましたし、インタビューもさせていただいたし、章立てもざっくり考えたんですよ。でもこれは自分ひとりでもするなと思って、未来の私の楽しみに残しておいてあげることにしました。

郡司●え、インタビューということはご存命の俳人なのね。

中矢●ですです。本当に貴重で、感謝に堪えません。現地の日本語の句会で出会えた俳人ですね。

郡司●そう、私が連載のなかで驚いたのは、ブラジルにも日本語の句会があるということでした。中矢さんはブラジルで句作することはあっても、俳句の集まりで見せるような機会はないと思っていたんだけれど、句会があるんだなと。私は日本にいるけれど、ここ新潟の方がむしろ詩歌へのアクセスに乏しいと思います。

中矢●ふふ、そうなんですね。移民俳人の皆さんは高齢化やコロナによる中止によって、どんどんなくなっていることを嘆いていたのですが、私は東京でもブラジルでも詩歌に恵まれた珍しい環境に身を置いていたのかもしれません。

郡司●結構俳人の方もいらっしゃるんだなあと。

中矢●そうですね、恐らく1960~70年代頃が移民俳句の全盛期だったかと思うのですが、そこらへんだと、ブラジルの新聞俳壇に投稿する、更にブラジルの結社誌にも所属する、加えて日本の結社誌にも所属し投句する、はたまた日本の俳句の賞にも応募するとか色々な熱の入れ方が、各人・各グループであったように思います。

郡司●ブラジルで日本語の新聞が発刊されていて、かつ俳句投稿欄があるということもまた素朴に驚きました。

中矢●確かにそうですよね。……ブラジルで移民俳人の方に伺った話で特に印象に残っているのは「移民しなかったら俳句はしていなかっただろう」という言葉なんですよね。移民して日本との繋がりとかを考えるなかで俳句に打ち込んだという……。

郡司●日本との繋がりを思ったときに、俳句が選択肢として出て来るんですね。

中矢●そう、それを伺って、収録冒頭で言及した「書くことの楽しさ」100%ではないんだなと、そうやって俳句の効能に対して素朴に喜んだり肯定したりは少ししづらいなと思いました。寧ろそうしてしまうと、暴力的な議論になるなと。

郡司●その方が日本に抱いているナショナルアイデンティティとかの話にも繋がりますよね。

中矢●そう、例えば私がお世話になった俳人のお一人である西谷律子さんの代表句に、〈吾子の国父母眠る国サビア鳴く〉という句があります。ブラジルという国は、我が子にとっては母国だし、父母が永眠した国であり、そこにブラジルを代表する身近な鳥であるサビアが鳴くよという句なんですが、移民俳句特有の重みがあるなあと。そういうことを無視して、「移民俳人の皆さんは俳句が大好きなんです!」みたいなピュアなことは簡単には言えないなと思いました。修論として書こうと思ったとき、私には背負いきれないものの大きさに少し怯んでしまったところはあるかと思います。

郡司●なるほど。

中矢●勿論俳句が好きという思いがないと、何十年も俳句を続けられはしないと思うんですが、そのきっかけが、「日本に帰りたいけど帰れなくて、それでも日本と繋がっていたくて」という気持ちだったとか聞いてしまうと、24歳の若造である私が、からっとさらっと書けるものではないなと。

郡司●なんだか切ないですね。ぬめっとどろっとしたやりきれないものがありそうです。

中矢●最後に纏めのようなことを言いますが、でもその移民俳句の一端を知れたことは確実にプラスだったし、他にも色々な機会にも恵まれたし、幸福な六か月間でした。この半年間の経験をね、私の残りの人生を賭けてどう引き受けられるかな、何かプロジェクトや企画として発展させられるのかなと苦しいくらい悩んでいますね。頑張りたいです。私が生きるうえでの個人的な支えとして追憶するには、余りに良い経験をさせてもらったと思います。

郡司●そう言いたくなるくらい良い留学経験だったんですね。私もその留学経験を少しおすそわけしていただけてありがたかったです。今回の振り返り記事のなかではカットされるとのことですが、マルコス(猫)の記事や観光地に旅行に行く記事なども楽しませてもらいました。留学も連載もお疲れさまでした。

中矢●こちらこそ本日はありがとうございました。一人で振り返るよりずっと楽しかったです。この約半年間楽しく連載できて、本当によかったと思いました。今回のスピンオフを含め読んでくださった『週刊俳句』の読者の皆さまにも深く感謝申しあげます。

郡司●ありがとうございました。(完)




2024-03-03

中矢温・郡司和斗 「ブラジル俳句留学記」振り返り02 連載第23回を振り返る等

「ブラジル俳句留学記」振り返り02
連載第23回を振り返る等

中矢温・郡司和斗


郡司●具体的な連載記事を取り上げるとしたら、最近のやつだけど、第23回「悲観主義から生まれる希望:日本の少子化と世界の俳句を結ぶ私の価値観」で日記のノリが変わってちょっとウケましたね。

中矢●私のお気持ち表明が過ぎますよね(笑)。これはブラジルに暮らして長い中高年の日本人男性たちVS留学中の私一人という場で、少子化について聞かれるという結構苦しい場面があって、そこでの話を書いた記事ですね。

郡司●どういう流れで少子化と俳句が結びつく話になったのか聞きたいです。

中矢●私の思想が全面に出ますが、私はまず日本の少子化はそう簡単に止められるものではないと思っています。少子化が引き起こす各種問題のなかで絶対優先度は低いかもしれないけれど、日本語で書かれた俳句にアクセスする人や機会もまた減少します。で、日本語を解する人のなかでも、詩の解釈は難しいし、まして俳句は省略や前提が多いので特に敬遠されることが多いと思います。でも実はその俳句というものが、haikuやhaicai/haikaiという同じ名前で、一部接続しながら別途世界では展開しているんですよね。平たくいうと、各々の言語で同じく「俳句」を作る人が世界中にいるということです。このことが素直に嬉しいというか面白すぎる事実だと思うんですよね。この喜びや安心感というものがあるからこそ、あまり悲観的にならずに、日本語でしか書けない良さをもって、日本語で俳句を書きたいなと思えるんです。まあでも切り返し方としては変化球過ぎたと思うし、あまりおじ様たちには刺さらなかった感じがありましたね……。

郡司●漢字二文字の「俳句」が消えても世界にローマ字のhaikuが残っていることの安心感かあ。簡単に文化が消えない安心感ということでしょうか。

中矢●世界の俳句に興味があるというと、よく「何が日本の俳句と違うの?」って違いについて聞かれることが多いんですよね。寧ろ私は共通性を知りたいなというモチベーションがあります。あとは、これから世界の俳句プレイヤーが増加の一途を辿るなか、果たして一番「上手い」俳句は日本語なのかとかも興味がありますね。現時点では日本語の俳句の圧倒的蓄積があると思うんですが、いつか本家本元的なものをいい意味で越えていくのかなとか。そういうことはぼんやりとしか思っていなかったんですが、少子化という問いをいただいたときに初めて言語化できました。郡司さんに質問なのですが、我々(1999年生れ・1998年生れ)って、幼少期の頃からずっとニュースや社会科で、少子化問題を言われて来た世代じゃないですか。

郡司●それはそうですね。

中矢●少子化から二つくらいステップを踏むと、世界の俳句への理解に繋がる気がします。ただ、昼食会の場でも、「ブラジル俳句留学記」の記事でもかなり言葉足らずでしたね。

郡司●世界の「HAIKU」について具体的な俳人や作品を知らないので、私は何も言及できないんですが、二つだけ世界における「HAIKU」の受容の例を知っています。まず実体験としては、私がオーストラリアに留学したときに、趣味欄に「俳句・短歌」と書いたことによって、受入れを決めてくれたホストマザーがいたこと。

中矢●え?! そのお話、初耳です。面白すぎる(笑)。

郡司●ホストマザーが「私も俳句に興味あるのよね」と言って、主人公が俳句を書いているオーストラリア作製の映画を見せてくれました。こんなところで俳句が好きであることの効能があるんだなあと思いました。

中矢●映画のタイトルって思い出せますか。

郡司●いや、それが全く。少年が山のなかで俳句を書きながら、おじさんと仲良くなるみたいなストーリーだったと思います。

中矢●『老人と海』過ぎませんか(笑)。

郡司●オーストラリアでのリメイク版かもしれません(笑)。作中では俳句が肯定的に描かれていて、それこそ少年が「実作に救われ」る話でした。で、その映画をホストマザーと一緒に見たあとに、私がノートに俳句を英語と日本語で書いて、冷蔵庫に貼ってあげたりしてね。

中矢●その作品は覚えていますか。

郡司●いや、それも全く覚えてない(笑)。その場で三句くらい即興で詠みました。あともう一つの例は、否定的というか茶化されているという感じで、スパイダーマンシリーズの『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』だったか何かで、キャラが短い詩のような言葉を呟いたとき、「お前それ俳句かよ(笑)」っていうツッコミが入る場面がありました。アメリカの大衆向け作品の中で、そういう短くてよく分かんないポエムとして俳句が表象されるんだと思った記憶があります。馬鹿にされている感が少しあって、悲しくなりました(笑)。

中矢●なるほど。

郡司●でも裏を返せば、それくらい「HAIKU」が浸透しているんだなとも思いました。映画のフィクションにおいて、しかもスパイダーマンという超大作のなかで俳句という言葉がわざわざ採用されるのは、それだけ視聴者も俳句という言葉が何かを分かっているという信頼があってこそだから。俳句が伝わる層の規模感に驚きました。

中矢●すごく面白い例ですね。

郡司●でもそれでいうと、短歌の方が、歴史的な積み重ねがあって世界での認知度高そうな感じするんだけどね。俳句の方が皆知っているのかな。

中矢●俳句について書かれた19世紀末や20世紀初頭の欧米文献は勿論和歌にも言及しているんですが、俳句の方が多分短歌よりプレイヤーが多い印象です。やっぱり五七五の俳句は七七がない分短歌よりも短くて、こんなに短いのに詩なんだというインパクトが強いんだろうと思います。

郡司●短いって魅力なのね。

中矢●うーん、当時欧米の詩壇が新しい詩を模索するなかで、俳句という東洋の新しい短い詩形が一つの突破口としての刺激となったみたいな話は読んだことがありますね。ぱっと思いつくのだと、金子美都子先生の『フランス二〇世紀詩と俳句:ジャポニスムから前衛へ』とか。

郡司●なるほどね、ありがとうございました。最後に「ブラジル俳句留学記」を振り返りましょうか。

中矢●はい!引き続きよろしくお願いいたします。

~第三回に続く~

2024-02-25

「ブラジル俳句留学記」振り返り01 俳句の持つアマチュアリズム 中矢温・郡司和斗

「ブラジル俳句留学記」振り返り01
俳句の持つアマチュアリズム

中矢温・郡司和斗


『週刊俳句』にて2023年8月から26回に渡って「ブラジル俳句留学記」を連載した。今回スピンオフ回として、短歌を中心に活動されている郡司和斗さんを聞き手にお招きして、連載を無軌道に振り返った。2024年2月16日に収録した音声を元に、全三回に分けて連載する。

郡司●では早速ですが、日本に帰って来た所感はどうですか。

中矢●南半球のブラジルは夏で、北半球の日本は冬で、だから寒いなあ……と。あとは標識とか道行く人の会話とかが全部理解できて、日本語の国に戻ってきたんだなと思いました。

郡司●季節から話が始まるの、俳句って感じですね。

中矢●そうか、私やっぱり俳人かもしれないですね(笑)。で、ブラジルの出国は1月31日で、そこから一週間のポルトガル旅行を挟んで、日本に帰国したのは2月9日でした。だから、まだ時間としてはそんなに経っていないはずなんですが、もう結構「遠い感」が既にありますね。

郡司●ブラジルに対してもう「遠い感」ですか(笑)。照れるな。

中矢●今回郡司さんには連載の振り返りの聞き手をお願いしましたが、郡司さんの第一歌集『遠い感』にサインをいただくのも楽しみにしていたので、収録冒頭でちょっと差し込んでみました(笑)。

郡司●じゃあ話を戻して『週刊俳句』の「ブラジル俳句留学記」のなかで、気になった記事の話をしましょうか。

中矢●よろしくお願いします。実は今結構緊張していて、というのも連載を読んでくださっていた方で、かつ家族以外の方で、こうして面と向かってお話するのが初めてなんですよね。「ブラジル俳句留学記」の中で一本でも面白い回があったなら、嬉しいなと思います。

郡司●まずタイトルについてですが、「ブラジル留学記」 ではなく、「ブラジル俳句留学記」になっていますよね。でも実は結構俳句と関係ない記事も多いという。

中矢●それは本当にその通りで、タイトル詐欺感すらありますよね(笑)。でも、自分の中で書けなかった理由は結構明確に二つあるんですよ。まず一番大きいのは、ブラジルと俳句という制限を付けると、書けることがかなり制限される(笑)。

郡司●数あるマトリックスのなかで、ブラジルと俳句が交差することは、まあ滅多にない(笑)。

中矢●そう、本当に少ない。で、あともう一つは、私の修士論文のテーマが、ざっくり言うと「ブラジルにおける俳句文化の受容と展開」なので、新しい(学術的)発見が仮にあったとしても、『週刊俳句』に書きたい気持ちは押さえて、きちんと調べたうえで修士論文が初出となるように書きたいなという気持ちがありました。で、結果としては、郡司さんの仰る通り、あまり俳句らしいことはそんなに書けなかったんですよね。

郡司●なるほどね。個人的に留学期間中に一番記憶に残っているのは、『週刊俳句』の記事ではなくて恐縮なんだけれど、角川書店の『俳句』(2023年10月号)の「クローズアップ」に中矢さんんが寄稿した、アマチュアリズムの肯定についての短文だったんですよね。
「読み書き」
ここ二年ほど、実作活動があまりできておらず、代わって先人の俳句作品や評論を(本当に少しだが)読むようになった。読書を通じて感じたのは、俳句を書くこと自体の尊さや効能に目を向けたいということだ。加えて、俳句の持つアマチュアリズムのようなものを、卑屈ではないかたちで肯定し、実作に救われていたあの頃に戻れたらと思う。
郡司●私はこれを読んだときによいなと思ったし、岩田奎くんも『俳句』(2024年1月号)の座談会で反応していましたよね。

中矢●岩田くんが反応してくれたのは素直にとても嬉しくて、あとは南幸佑くんがX(旧ツイッター)上で同じく私の短文について反応をくれたのも嬉しかったですね。留学中にメンタルを崩して、Xのアカウントごと消してしまったんですが、消す前に知ることができてよかったです。

郡司●俳句に限らず他の詩歌ジャンルでも、「趣味やお遊びではやっていないぞ」という自意識がある人の方が多数派の印象があって、どっちかというとアマチュアリズムという言葉は批判される側にあるような気がしています。まあそれには、詩歌に興味のない人からナメられた経験とかが各人の背景にあったりするんだと思いますが。あとは表現者として暴力性を発揮していることへの自覚とか……。またそういうのとは別に、賞にまつわる政治とか歌集の発行部数とか短歌ブームに離れたところにある自己の評価とかに、かなり素直に惑わされている、悩まされている自分がいて、色々と余計な事を社会の側から考えさせられているところに、中矢さんの短文を読んだことでそこから少し救われたような気持ちになりましたね。「卑屈ではないかたちで肯定」がポイントで、かつ難しいことだなと思います。この短文を書いた頃ってどういう心境だったんですか。

中矢●メールを確認したのですが、2023年7月25日に提出して、8月1日に出国しているので、実はこの原稿は出発の直前に提出したもののようですね。出発前はとにかく多忙を極めていて、少し記憶が朧気なので、ちょっと今から思い出します……。

郡司●これからの留学の抱負的な位置づけだったのでしょうかね。

中矢●そうかもしれませんね。この短文のテーマが「ご自身が目指す俳句や、いま思うことについて自由にお記しください」というご依頼だったんですよ。で、短文には「ここ二年ほど、実作活動があまりできておらず」と書いたじゃないですか。ここ二年で私に起きた大きな変化は、コロナ禍のなか卒業論文を書いて、大学院に進学したことなんですよね。だから「代わって先人の俳句作品や評論を(本当に少しだが)読むようになった」というのは、卒業論文のテーマである、日本からブラジルに渡った移民の俳句についてであって、特に佐藤念腹という俳人に関連したものだったので、やっぱり今回の留学には接続していますね。

郡司●その日本人移民が日本語で書いた俳句やエッセイからこのアマチュアリズムという言葉が出て来たということでしょうか。

中矢●細川周平という文化人類学者が、日本人移民の俳句を始めとした文芸について研究・出版していて、この先行研究を受けて出てきた言葉かと思います。移民俳句には、賞を目指そうとか、俳句的テクニックを効かせるぞとか、先行作品への造詣の深さを見せるぞとかそういう尺度ではない世界があるんですよね。「書くことが楽しい」という素朴だけれど凄く一番大切なものがあると思うんです。句会に行けば友人たちの近況が分かって嬉しいとかも、コミュニティの力の根本のようでいいなと思います。

郡司●これを留学する直前に書いて、今留学終わって改めて読み返した訳ですが、何か思うことはありますか。

中矢●第25回の連載で書かせていただいたように、私はブラジルで砂丘句会という移民一世の方を中心とした日本語の句会に二度お邪魔したのですが、細川先生の言っていたことの一端を垣間見ることができたような気がします。あとはそうですね、日本国内にも同じように「書くことの楽しさ」に根付いた句会がきっとあるんだろうなという気持ちになりました。もう既に参加しているとも思いますし、他には例えば公民会や地域の句会とか。

郡司●社会教育的な意味合いでしょうか。

中矢●そういう側面もあるかもしれません。一句ずつの内容もまっすぐ思いを書くようなどちらかというと分かりやすい作品で、また季語や定型を所与のものとして素直にそれを活かしていくような書き方に出会えました。ここらへんの話は凄くどう表現するかいつも迷うのですが、皮肉や嫌味では全くないんです。

郡司●カルチャースクールや生涯学習という点でいえば、例えば囲碁とか将棋とか、俳句に限らない話かもしれませんね。そうなったとき、逆に俳句である意味って何でしょう。中矢さんは短文に「俳句の持つアマチュアリズム」と書いていますよね。

中矢●アマチュアリズムの反対がプロフェッショナルだと思うのですが、まずこのプロを生計に限っていうとすると、俳句活動だけで生計を立てている人って多分日本に五人くらいしかいないと思うんです。で、俳句で生計をどうやったら立てられるか、俳句がいい意味で経済を回せるようなビジネスになれるかということを考えることも多分大切なんですが、私自身の生き方としては俳句で飯を食うというそのイメージは、全く現実的ではなかった。だからといって卑屈になるのもあまりに極端で尚早だと思っていて、寧ろ肯定したいと思うんですよね。私自身を肯定するためにも。で、俳句の実作プレイヤーのほとんどが、俳句に関することではない違う手段で生計を立てているんだよなということをまず現実として受け入れたうえで、そうやって生きる人々の余力のところで回っている俳句界を、どうやって賑やかにしていけるかみたいなことを考えたいんです。

郡司●なるほど、ありがとうございました。私は結構、個人の内面的な姿の話が中心かと思いましたが、経済的なハード面の問題の方がやや強調される感じでしょうか。

中矢●個人の内面的な姿の話も勿論あって、そっちの方を先に言えばよかったですね。俳句って基本的には勝ち負けもないし、段位や資格やお免状みたいなものもないので、ある意味誰でもいつでも「私は俳人です」って名乗れちゃう。勿論賞をとるとか、代表句があるとか、句集を出すとか、選者になるとか、ある種段階はあるけれど、誰が「上手い」のか「凄い」のかも少し曖昧。そういう曖昧なところも、そして周囲からも「趣味」として軽く見られて自虐的になりそうになるときも、都度まず一旦そのアマチュアリズム性を引き受けたうえで、それを愛するとか、その現状を少しでも変えていくとか、行動に移していきたいなと思います。

郡司●なるほど、ありがとうございました。次はもう少し具体的な留学の話に移りましょうか。

中矢●はーい、お願いいたします。

~第2回に続く~

2024-01-21

「屋根裏バル 鱗kokera」主人・野村茶鳥さんインタビュー

「屋根裏バル 鱗kokera」主人・野村茶鳥さんインタビュー


東京・荻窪駅北口を降りて数分。路地に入って看板を2階に上がると、そこに俳人・俳句愛好者が集まる店「鱗kokera」があります。ご主人の茶鳥さんに、開店の経緯や現在についてお聞きしました。


Q●茶鳥さんは、俳句を始めてから、もう長いのですか?

茶鳥■
大学時代に作句を始めました。そのときの恩師が「未来図」同人で、その縁で2000年前後には「未来図」に入りましたが、まもなく退会。長いこと俳句から離れていましたが、2020年に「南風」入会、2023年には「麒麟」にも入会しました。

Q●鱗kokeraのような、俳人・俳句愛好者が集まれるような店を開こうと思いついたのは、どんなきっかけだったのですか?

茶鳥■
2022年の立春、公私ともに人生の転機が訪れ、余生の過ごし方について思案していた頃に、校正の仕事でたまたま翻訳の自己啓発本を読んだのがきっかけです。その本の「好きなこと以外は仕事にするな」という内容に触発され、句会と俳人同士の交流ができる空間としての店舗づくりを思いつきました。

Q●好きな俳句に、仕事として関わろうというわけですね。でも、その場合、別の選択肢もあるように思います。「お店」という方法に決めた理由やきっかけなどがあったのでしょうか?

茶鳥■
実は「南風」入会前から友人同士でやっている「鱗kokera句会」というのがありまして。その句会場があまり使用されていない知人の事務所で、句会の後、誰かのおうちのように寛いで、みんなで飲むのが恒例になっていたんです。

句友というのは、本名や年齢、職業を知らなくても、俳句の話から音楽、映画の話などで何時間でも語り合える。お酒や食事はその潤滑油として欠かせません。だから俳句を作る人の交流の場というと、飲み屋しか思いつかなかったんですよね。

Q●2022年立春の決心から鱗kokera開店の7月まで、たった5か月で実現したのですね?

茶鳥■
思いついたものの、開業は数年先だと思っていました。ところが、荻窪駅徒歩3分の現物件が見つかり、あまりにも理想どおりの物件だったので、資金不足にもかかわらず開店を決意したんです。

Q●資金不足は、クラウド・ファンディングで補われたとお聞きしました。

茶鳥■
クラウド・ファンディングをお願いするにあたり、たくさんの方にアドバイスを仰ぎ、何度も企画書を練り直しました。

特に荻窪近辺に住む句友数名の協力が大きかったです。人の紹介から詳細な企画書チェックまで、あたかも「鱗kokera実行委員会」のような趣でした。所属した「南風」の主宰、村上鞆彦先生もあちこちで広めてくださいました。また、谷中の「夕焼け酒場」で、伊藤伊那男先生にも御挨拶しました。

Q●伊藤伊那男さんは、俳人の集まる「銀漢亭」を長らく開いておられたので、いわば先輩ですね。

茶鳥■
私も何度か銀漢亭にお邪魔していましたし、いろんな方に「銀漢亭に代わる場を」とお声をかけられていましたので……。「とても銀漢亭のようには行きませんが、頑張らせていただきます」とお伝えしたら、やさしい笑顔で頷いてくださいました。

Q●クラファン達成の要因は何だったのでしょうか?

茶鳥■
先ほど申し上げたような皆さんのご協力以外では、SNSの反響が大きかったですね。Twitter、Facebookで、食品衛生の講習会に行った、ペンキを塗った、と開店準備の進捗状況を連日発信しながらご支援を募ったんです。結果、一度も面識のない方や、遠方の方、著名な俳人諸氏にもご支援を頂けました。

Q●そして、晴れて、2022年7月にオープン。

茶鳥■
そのまえに、プレオープンしていた6月には荻窪吟行、桜桃忌吟行を開き、オープン日は7月7日。七夕の飾り付けをして、3000円食べ放題・飲み放題にしました。開店前から、twitter(現X)やFacebook、クラウド・ファンディングでつながったメールアドレスなどで告知し、また、実際にあちこちの句会に参加して、名刺やチラシをお渡ししました。結果、オープン日には、たくさんのお客様に来ていただけました。

Q●いま、お住まいも荻窪なんですね?

茶鳥■
荻窪に引っ越したのは開店の1年ほど前。住んでみたら、角川庭園も近いし、井伏鱒二旧居はあるし、与謝野晶子終焉の地も残されている。しかも、ほどほど栄えているのに、自然もある。ふれあう人々も穏やかで教養を感じます。これまでに30回以上引っ越しをしてきたのですが、初めて「永住の地」と思える場所を見つけた感じです。

Q●開店から1年半ほどが経過して、いかがですか? 印象的な出来事など、ありましたら、教えてください。

茶鳥■
私自身は俳句界でまったく知られていない人間なのに、誌面で拝見するだけだった方々が開店当初から来てくださって、本当にありがたかったです。野口る理さんもそのおひとりで、銀座「卯波」の料理長であった今田宗男さんと一緒に遊びに来てくださいました。そのときの雑談が実を結んだのが、2022年11月24日、鈴木真砂女生誕の日に開かれた「卯波ナイト」です。当日は神野紗希さんも来てくださって、皆さん感激されていました。

Q●西村麒麟さんとの出会いも開店後だったそうですね。

茶鳥■
オープン間もない頃に、麒麟先生が突然ひとりで来店されまして。その後も通ってくださり、それが縁で「麒麟」創刊会員に加えていただきました。

Q●俳句を通じた出会いの場になっているんですね。

茶鳥■
バラバラにひとりずついらっしゃったお客様が、同じ卓を囲んで盛り上がることも多いんですよ。まえまえから会いたいと思っていた俳人に偶然会えて、感激するお客様もいらっしゃいます。某俳誌の受賞者が選考委員のベテラン俳人とお店で出会うという素晴らしい偶然もありました。また、当店で出会い、仲良くなった若い人たちが俳句同人「リブラ」を立ち上げたり。うれしい出来事は、挙げていくときりがありません。

Q●鱗kokeraではいろいろな句会やイベントが定期的に開かれていますね。

茶鳥■
どれもご縁からです。結社のご縁やいろいろなご縁。アルバイトを申し出てくれたのも、「南風」の若い会員でしたし。2人とも俳句甲子園の出場者だったので、俳句界で顔も広く、知識やアイデアも豊富で。彼らがいなかったら、この店は軌道に乗っていなかったと思います。

Q●俳句だけではなく、短歌や川柳の句会・イベントもあるのですね。

茶鳥■
短歌は、佐藤文香さんが一日店長を務めてくれたのがきっかけです。短歌界隈の方々ともご縁が結べて、現在は月に二度、歌会が開催されています。川柳句会は暮田真名さんに直接お願いしました。

Q●いま心配事は? なにかありますか?

茶鳥■
いただいたたくさんの句集や俳句関連の本が十分に活かされていないことが、いちばんの懸案です。利用者を増やして、ブックカフェとしての機能や側面も備えたいですね。

Q●これからのことで、予定やビジョン、目標は?

茶鳥■
俳句をはじめとした文化交流の拠点として、ますます多くの方々にご利用いただきたいです。「一日店主」や新しいイベントの企画も大歓迎です。また、1周年の感謝を込めて創設した鱗kokera賞は、今後も続けていくつもりです。

鱗kokeraの主役はあくまでも俳句や文芸を愛する皆さんです。店主である私は、あまり目立たず、俳人たちのたまり場にいる「親戚のおばさん」のような存在でありたい。そして、荻窪で歴史を誇る喫茶店「邪宗門」のおばあさんのように、死ぬまでこの店で働きたいと思っています。死ぬ前に、後継者も見つけるつもりです。



(聞き手:西原天気)




2022-05-08

宮本佳世乃さんインタビュー 小川楓子

宮本佳世乃さんインタビュー

2020年3月15日収録
(新型コロナウィルス感染症が現在ほど身近でなかった頃の東京駅にて)

小川楓子佳世乃さんの作品は地元感のようなものがあるように思います。ご出身はどちらですか。

宮本佳世乃四人家族の長女として東京の多摩地区で生まれました。小中高、看護学校も地元。今もそう遠くないところに住んでいます。学生時代に演劇をしていて、田島健一と知り合いました。当時はキャラメルボックスが流行っていて戯曲をやったりしていましたね。田島君は本当に表現力が豊かで演劇が上手かった。

小川高校の頃の同級生がキャラメルボックス俳優教室に通っていました。お芝居も観に行ったことがあります。演劇の仲間ってずっと近所に住んでいたり、仲良しの印象があるんですがどうですか。

宮本たしかに演劇の仲間は今でも近所に住んでます。演劇ってずっと一緒に練習するから家族的なところがあります。「オルガン」も家族みたいな感じに近いかも。

小川俳句は田島さんの影響で始められたんですか。

宮本田島君以外の演劇仲間も俳句をしていたんです。29歳で俳句を始めてから、いろいろな人と出会って、結社や同人誌に入ったり、同人誌を始めたり、自分の居場所、世界がぐんと広がりました。

小川『三〇一号室』には、医療関係者と思われる作品がありますが、実際いかがですか。

宮本こどもの頃から一人で生きていけるようにと、何をすれば自活できるかと思い浮かんだのがナースか学校の先生でした。看護学校を卒業してから七年間看護師をして、今は看護学校で働いています。どちらかというと働くことが好きで苦にならない性格ですね。年間三分の二くらいは実習で現場に行っているのですが、そこで見たものや感じたことが何より俳句に影響していると思います。

小川俳句は、どうやって作っていますか。

宮本机上で作ることが多いです。机上で作る時でも自身の体験をもとに作っています。それほど推敲派ではないと思います。「炎環」が取り合わせの句が多い結社なのでそこから変わって行きたいという気持ちもあり、最近は句が変わってきたように思います。

小川『三〇一号室』には東日本大震災を思わせる章があるのですが、今も現地に行かれているのでしょうか。

宮本いわきには年に1回くらい毎年行っています。最初に訪れた2012年頃は、まだ瓦礫が残っていたり、中学校が震災ごみの廃棄場になっていたりしました。四ツ谷龍さんが発行人の俳句創作集『いわきへ』という本を作るために五十句を提出する必要があったのですが、ショックで詠むことができない気持ちでした。相子智恵さんに泣きながら電話したり
してどうにか30句作ることが出来ました。

小川東日本大震災といえば、たまたま知り合った宮城県の塩竃市出身の方の話が私にとって印象的で。彼は、当時大学生で東京にいたので震災を塩竃で経験していない。家族には「あなたは体験していないでしょう」と言われるし、知らない人に塩竃の出身だと言うと「震災大変だったでしょう」と言われて複雑な思いがある。それを乗り越えるのにモニュメントが必要と発言していて。モニュメントで解決することなのかなとちょっと疑問に思いました。

宮本モニュメントにも意義がある場合もあるかもしれません。私は看護師になって二年目から地元の合唱団に入っているのですが、毎年、四月四日の第二次世界大戦下の立川空襲を歌い継ぐ活動をしています。自身も両親も経験していない戦争ですが、慰霊碑に刻まれている名前を見ながら、「〇〇ちゃんは妹と弟を連れて防空壕に入って亡くなった」など当時を知っている人の話を聴くとやはりありありと戦争のなかの個人が思われます。

小川天災と震災の違いはあるかもしれませんが、震災も人災の面もありますから、モニュメントが活きる場面もあるかもしれません。

宮本モニュメントが100%なにかを伝えられるわけではないけれど、人によって様々に感じ取ってもらえるのはよいと思います。

小川ところで『三〇一号室』の装幀は版元になにか希望は出されましたか。

宮本第一句集は自分で紙や色などすべてを決めたので第二句集は少し任せてみようと思いました。とはいえ、ハードカバーにすることや見返し、スピンの色などは今回も自分で決めました。挿画は港の人から提案されたもので最初は意外でしたがとても気に入っています。

小川ノンブルを入れる位置に意外性がありますよね。

宮本内側にノンブルを入れるというのも自分で考えました。ちょっとカッコつけてみたくて(笑)。まず160ページで句集を作ることを決め、三句組にして、章のタイトルがどれも右ページに来るように台割を考えました。句の下の余白が大きいのは以前から気に入っていたスタイルです。本の最初と最後の三句はあらかじめ決めておいて並べ出し、有季→無季→有季→無季の構成としました。

小川流す三人八ミリで撮る散骨〉はご家族がモチーフですか。

宮本亡くなった夫のことです。夫が好きだったインドで散骨をしました。第一句集にも夫の句はあるのですが、「フリスク」という章立てをしたのは今回が初めてです。死そのものはなかなか俳句にはできていませんが。

小川散骨がお連れ合いとは存じ上げませんでした。そのような喪失が俳句の糧になると感じますか。

宮本はっきり感じますね。

小川俳句は死者と生きてゆくのにいい詩形ですよね。亡くなったひとに言葉を投げかけるにちょうどよいサイズ。

宮本私もそう思います。楓子さんは、そういうふうに感じるきっかけはあったんですか。

小川誰かの死に影響を受けたというより、わたし自身が子供の頃から入院して、何度か死にかけたりしたので、死んでいたかもしれない人生と今生きている人生がいつも寄り添っているように思います。

宮本私は、職業柄死が遠いものではないし、ある程度冷静に見つめることができるのかな、と。さみしいし、かなしいことだけれど皆に起きること。生と死が並行になっているかもしれない。生死のごく淡い境目からどちらに曲がってゆくかわからないと思いますね。だから俳句をやっているのかもしれない。

小川「女性俳句」についてどのように思いますか。

宮本求められる所作があるような気がして「女性俳句」という言い方は、あまり好きではないですね。外圧のように思うこともあります。男性か女性かで分けるとどこか読みが浅くなる気がします。男性の俳句ってなんだろうと思ったり。

小川 マッチョ系なら金子兜太とかが思い浮かぶけれど、男性の例としてはちょっと違う気がしますね。

宮本あまり思い浮かばないけれど、もしかしたらどこかで求められることもあるのかもしれません。

小川その可能性もありますね。でも、俳句がすでに男性を前提としているから女流という言い方になるのかもしれないですね。

宮本女性的役割をするべきかと思うことはありますね。

小川冷房にドリンク剤をさつと配る〉はご自身の行動ですか。

宮本これは配られた句なので違いますね。仮設住宅に上がらせてもらった時にさっと配られたんです。仕事の時には女性的な役割について求められることはないし、考えたことはないけれど、俳句の時はあるかもしれない。でも、もともと性別役割意識など、帰属的に考えるのは好きではないですね。

小川私もそう思います。今までお見掛けしてもほとんどお話することがなかった佳世乃さんと、今日はじっくりお話できてよかったです。ありがとうございました。

宮本私も、自分についてこんなに話したのは初めてかもしれません。ありがとうございました。


2022-03-13

【インタビュー】「西川火尖に、中山奈々から20の質問」

 【インタビュー】

「西川火尖に、中山奈々から20の質問」


こんにちは。中山奈々です。
角川「俳句」2019年6月号、大特集〈推薦! 令和の新鋭 U39作家競詠〉にて、西川火尖さんが「私のライバル」に挙げた中山奈々です。

Q1、いまもその気持ちに変わりはありませんか。
(もし変わっていたら、怒らないので新たなライバル名を教えてください)

こんにちは。よろしくお願いします。結構角度のついた質問が来ましたね。はい、変わらないです。でも、あのとき突然ライバルに挙げて驚かせたと思うので、この機会に少し説明すると、第2回龍谷大学青春俳句大賞の入選をきっかけに俳句を始めて、かなりハマって挑んだ第3回、結社にはいって俳句漬けで臨んだ第4回と、どちらも中山奈々に最優秀賞連覇されてるんですよね。俳句を始めた最初期のころに、自分よりずっと先に行っている同世代の俳人に出会った。振り返ったとき、この出来事は大きかったと思います。

ここでは20の質問していきます。あ、すでに1問目出したのですが。実はこれは質問ー回答をラリーしながらのものではなくて、なかやまが用意したものをいっぺんに送りつけて、後日、火尖さんが答えるという方式です。ですから、質問は違うけれど、似たような回答をさせてしまうということがあり得ます。ないかもしれません。まあ、そういうところも楽しんでいただけたらと幸いです。

すでにお気づきかと質問状にしては、なかやまがよく話していますね。このあたりは読み飛ばしてもいいかもしれません。

さてこうたくさん話しているうちに火尖さん、リラックスしてきましたか? え、まだ?

じゃあ、アイスブレイクといきましょうか。

Q2、好きなアイスの味はなんですか。

ガリガリ君ソーダ味ですね。付き合いが長い。

アイスブレイクでアイスの質問。すべっているのは分かっています。氷だけに!
このしょうもなさに緊張がとけたようですね。

では、俳句の話に移ります。
句集『サーチライト』の著者略歴にて「第二回龍谷大学青春俳句大賞入選をきっかけに俳句に興味」を持ったとありました。入選したら、なんか認められた感じがして、おっ。となりますよね。

Q3、いやいやそもそもなんで応募しようと思ったのですか。
応募の時点で興味あったんじゃない? その興味はどこから?

どうかな、応募時点では俳句に興味があったとは言えなくて、しかし賞のバナーをクリックしたのは偶然ではなくて、押そうとして、押した。小林恭二は俳句を「屈託を盛る器」(『実用青春俳句講座』 福武書店 1988年)と評したけど、自分にとっても、バイトで上手く振舞えないとか、好きな子のこととか、想像で失恋したりとか、将来とか、4ビットくらいの悩みを沢山抱えていたわけです。定型に収めることで人知れずそれらを外に出したかったんだと思います。後は、投句無制限なのをいいことに、どんどん投句している内にすっかりハマってしまったという感じかな。選考委員の選後評で、大学生部門のレベルの低さを酷評してたの、半分くらい自分の大量投句のせいかもしれない。

Q4、興味を持って、まずしたことはなんですか。ひたすら作ったとか、専門書を漁ったとか、どんなことをしましたか。

みんなやるようなことをやっていましたね。俳書を読む、出てきた俳人の句を覚える。『20週俳句入門』、『新実作俳句入門』の通りひたすら型の練習をする。名句だと言われるものを名句だと思い込む。作った句は「ハイクブログ」という俳句投稿サービスで発表していました。

Q5、先の俳句大賞を応募したときには火尖さんは大学生でしたね。その頃、俳句以外に何に興味がありましたか。

どうだろ、友達と漫画読んだりしゃべったり、うすくて温い毎日を送ってたからなあ。これといったものがない。でも興味というよりは必要に迫られてって感じで、社会問題や市民運動に関わっていました。そこで文章を書かせてもらったり、シンポジウムの企画をしたりしてました。先輩は私を「活動家」に育てたかったみたいだけど、突然現れた俳句に全部持ってかれたって感じですね。ただ、問題も問題意識も変わらずあるので、今も言動や俳句に表れていると思います。

Q6、俳句を始めた大学生時代のことばかり聞いて申し訳ないです。たしかブログ「そして俳句の振れ幅」※1 開設もこの頃で、〈ブログ俳人〉を名乗っていますね。このブログでよかったこと、そうでないこと、ありましたか。

最近はtwitterに文字が吸われてしまうので、更新が滞ってるけど、よかったことは沢山あります。考えをしっかり文章にできるし、ブログ経由で「西川火尖」を見つけてくれる人も多かったし、ちょっと気になったワードをブログ内検索にかけると、過去の自分が結構面白い見方をしてるのが残っていたりして、アーカイブとしても役に立つし、いいことだらけですね。おすすめです。よくなかったことは、掘り返されると恥ずかしいものがざくざく発掘されることに耐えねばならないことでしょうか。

今は〈Twitter俳人〉と名乗るひとが増えています。媒体は違うのですが、ブログ俳人と名乗っていた火尖さんはどんなだったのか、興味があったので聞いてみました。

で、ブログ(ネット)開設と前後して、火尖さんは2006年1月、石寒太主宰『炎環』に入会する。

Q7、どうして結社に入ろうと思われたのですか。そして『炎環』を選んだ理由はなんですか。

もともと、藤田湘子の自伝『俳句の方法』(角川書店)の影響でどこかしら結社には入ろうとは思っていたところ、「ハイクブログ」で知り合った山鳥しだりさんという方が炎環を勧めてくれてタイミングが良かった。主宰の石寒太と句について調べて「蝶あらく荒くわが子を攫ひゆく」の句が決め手になって炎環に入りました。

そして同年11月に主宰である石寒太さんと初対面して「安西先生」の印象を抱いたと、ブログで読みました。またブログかーと言われそうですが。

Q8、石寒太さんは、いまはどんな存在ですか。

大体当時20代の思い描くいい指導者像って、安西先生になりますねwww。実は、結社に長年いるわりには、いわゆる俳句結社的な「師と弟子」みたいにはなってなくて、しかし、先生はそれを気にしてないというか、今の距離感を尊重してくれていると感じています。

でもあっさりしてるように見えて、句集の序文をお願いしたとき、手書きの原稿用紙17枚にぎっしり書かれて届いて、希望があれば、削ったり直したり書き直しますって言ってくれるんですよね。実際分量についてはかなり削ってもらいました。そんな感じです。

質問の残りが半分近くなってきたので、句集の話に移ります。

句集のp128にある、

爆弾の名に雛菊とつけしは誰

『炎環』2006年7月号に投句した〈爆弾の名に雛菊とつけし誰〉を寒太さんが【爆弾の名に雛菊とつけしは誰】と添削したのではなかったでしょうか。

Q9、やはりこの句は外せなかったですか。

この添削好きなんですよ。「は」をいれることで、「誰」の問いかけが一層重く感じられる気がしませんか?「石寒太に師事」という部分が出ている句だと思います。
少し無理やりですがこの雛菊は「デイジーカッター」という燃料気化爆弾の俗語から来ています。雛菊と全く関わりのないところで付与された兵器という情報を詠むことで、有季定型の手触りのまま、季語のイメージを反転させ、その季語では触れられなかったものを詠もうと試みました。しかし「雛菊」=「デイジーカッター」という繋げ方には無理があり、完全に成功したとは言えません。でもこの句は、そういう発想に至った思い入れのある句です。尚、このやり方の成功例だと私が思っているのは、「翁に問ふプルトニウムは花なるやと 小澤實」「懇ろにウラン運び來寶船 堀田季何」があります。

序文で寒太さんは三句挙げて鑑賞しています。そのうちの一句、p15

映写機の位置確かむる枯野かな

は句集の一番最初にあり、章にすら入っていません。これから句集を読むわたしたちが枯野の観客と重なるようです。

Q10、そういった狙いはありますか。それは「波」という章の一句目(p29)〈開演のブザー枯野に欲しけり〉と同じ目的で配置されているのですか。

そうですね。ネタバレ的にいうと『サーチライト』という句集のタイトルが、上映の光に重なるような、そういうのがこれから始まるような気がして、句集全体に効くように章の外に置きました。〈開演のブザー枯野に欲しけり〉もそうですね。本編開始の句です。

『サーチライト』の特徴として、労働者の視点があると思います。帯にある自選十句に〈非正規は非正規父となる冬も〉があります。

花を買ふ我が賞与でも買へる花を  「波」
夜勤者に引継ぐ冬の虹のこと
チューリップ求職中と書きにけり

この流れで読むと〈冬近し無料情報誌の黄色〉はタウンワークのことなのでは! とひとりで納得してしまいました。当たっているかな。

Q11、火尖さんにとって、労働者の視点は大きなテーマですか。

〈冬近し無料情報誌の黄色〉はタウンワークです。当たってます。2008年、仕事が辛すぎて辞めて、無職のまま逃げるように上京したころの句ですね。炎環では『東下り』になぞらえて「アズマー」という題で出した句の一部です。労働者の視点は確かに意識はしていますが、テーマというよりは、自分の立ち位置から見えるものを句にしているという感じです。仕事が出来る方ではないので、ちょっと情けない感じになるのは割りと自覚していますが、それはそれで、立派な仕事を持つ人が多い俳句界隈の中では、相対的に目立つのかもしれません。薄給で、昇進も昇給もできない奴だけが手にできるスタイルなのです。

もうひとつ、火尖俳句には政治への関心が表れています。

先に国滅びて春の水溜まり  「波」
自粛即棄民の国の春惜しむ
日本国憲法の忌と思ひけり

労働や政治を詠むことは広い意味での「社会性俳句」ですが、

Q12、社会性俳句を意識して詠むことはありますか。

これもQ11と同じように、自分自身との関係がまずあって、それを詠んでいるのだと思います。ただ、労働詠よりは対象が大きくなりがちなので、俳句としてみたときどうか?というインナー火尖の問いかけをクリアする必要があり、公開してる句は少ないです。

赤野四羽さんは、句集『夜蟻』のあとがきで、句の器に盛り込めなくても、指し示すことで大きなものを詠むことができると書いており、私も大いに賛成しますが、Q9で答えたような季語の反転裏技的な用い方で、俳句(季語)に違和感を持たせることで、社会性を同居させたいとも思っています。

句集に絡めていますが、どうも火尖さんの作句姿勢への質問になってしまいましたね。申し訳ない。えーと、あ、この句集は第11回北斗賞受賞(「公開鍵」)によって刊行された句集ですが、

Q13、もし受賞してなくても、句集を編もうという気持ちはありましたか。

句集は、何か大きな賞を獲ることが出来たら賞金で編もうと思っていたので、北斗賞を受賞しなくても、別の賞をきっかけに編んでいた可能性はあります。結局いいタイミングで運よく北斗賞を受賞出来たのは良かったです。

わたしは句集刊行も、何より賞へ挑戦も誤魔化して生きているのですが、

Q14、句集刊行や賞への応募で作品をまとめることって大切ですか。

まとめないことには応募もできないし、句集も出せないので大切だと思いますが、私は苦手です。『サーチライト』も、まとめるのが苦手過ぎて、出版までに一年以上かかりました。北斗賞や芝不器男俳句新人賞に連続で応募してる人はすごいです。

さてさて

夜勤者に引継ぐ冬の虹のこと(二回目の登場)
宿題の子の暗唱のやうな虹   「波」
子の問に何度も虹と答へけり
原爆の絵本の虹を見下ろしぬ
耳鳴りは虹の残滓副都心    「粒」

と「虹」の句が目につきました。

Q15、「虹」という季語は好きですか。

好きです。掴めないのに見えるというのは、惹かれますね。自然現象として惹かれるのはもちろんですが、俳句的にも使いやすい季語だと思います。

季語は「虹」に注目したのですが、言葉なら

冬はつとめてこつそりと嗅ぐ匂ひ  「波」
眠りても化粧の匂ひ夏の雨
蚊遣火の匂ひの残るバスタオル
夏痩せて火の育ちたる匂ひせり
鶯や余熱の匂ふ材木屋       「粒」
白百合を嗅ぐ弟の首飾り
百合嗅いで怒りの容定まれり

一部、「嗅」ぐが混じっていますが、

Q16、「匂」いの句って普段から多いですか。

確かに多いですね。好きなんだとは思いますが、なんでかな。視覚は別として、五感の中でも特に多い気がします。呼吸かな、呼吸を伴うからかもしれません。匂いを感じるとき、嗅ぐとき、主体の息遣いが生まれますね。そういう句が好きというか、句として良くなりやすいと直感しています。

お気づきかどうかわかりませんが、先ほどから引用している句が大体「波」の章からなんですね。

Q17、「波」の章が一番ボリュームがある? あるいはバラエティに富んでいる?

「波」「粒」ともに129句です。でも「波」は作中主体=作者というか、序文でも言及されているように日常に即した句を中心にしているので、「火尖」についての質問が「波」から多いというのは、うまく構成がはまったようでうれしいですね。

Q18、というよりも、それぞれの章立ての意味を教えてください!

どうだろ、みんなはどう思いますか?中山奈々はどう思う?もうしばらく秘密にしたままでいいですか?

もし、「私はこう思う」みたいなのがあったら、DMや#句集サーチライトをつけてツイートしてくれたら嬉しいです。ヒントは

タイトル『サーチライト』
初句「映写機の位置確かむる枯野かな」
「四隅」16句
「波」129句
「粒」129句
「光」2句
奥付

です。
そんなもったいぶるような話ではないのですが、3/27の句集刊行記念イベント「Re:サーチライト」で答え合わせができたらしたいです。

さてもう残り2問。あと一息です。

2016年より子どもを連れて参加出来ることをコンセプトとした「子連れ句会」を運営し、2018年より詩人、歌人、俳人による同人誌「Qai〈クヮイ〉」で活動されています。

Q19、今後どんな活動をしていく予定ですか。
(2つの活動についてでもいいし、そうでない活動についても)

子連れ句会は、対面での句会を再開させたいですね。ただ、ネプリの創刊号でも触れたように、いずれ私(達)は「子連れ句会」を必要としなくなるので、必要としている人に代替わりしていくことも考えつつ、各地で同じような取り組みがしやすいように、情報を広げていきたいです。もちろん「子連れ句会」を必要としなくなっても子連れ句会のメンバーとは「句会」をしていきたいですが。

Qaiは活動をしてなさそうに見えて、メンバー内でのやりとりは活発で、それぞれの創作の支えになっています。態勢を整えて3人で面白いことをしたいですが、個人個人が作りながら生きていくことそのものがQaiの活動と言えます。あと、Qaiのブログをちゃんと更新します。

非常に恐ろしい時代にしてしまった責任の一端と無力さを感じていますが、詩歌や文藝、言論が個人の自由と尊重に基づいていられるよう活動していきます。

あ、そうだ。肝心なことを忘れていましたね。
句集刊行、おめでとうございます。お祝いの乾杯!

Q20、新しい乾杯の掛け声を作ってください。

ありがとうございます。では、Qaiのコンセプトから引いて
「作りながら―!」と言いますので、「生きる!!!!!」で応えてください。
行きますよ、
「つくりながらー!」
「生きる!!!!!!!!」
ありがとうございました。

20の質問への回答、ありがとうございました。
これ、こんな量でいいのかな。まあいいか。

いい、いい。ありがとうございます。答えがいがありました。しかし、喋り過ぎたな。


2021-09-05

【俳人インタビュー】高柳克弘さんへの10の質問

【俳人インタビュー】
高柳克弘さんへの10質問



Q1 
今週、何句作りましたか?

いま句帳(兼備忘録)を見たら、最後のページに、手羽先とかぼんじりとか焼き鳥の串の種類が書いてありました。先週、テイクアウトの注文をしたときに書き留めておいたものです。つまり、それ以来作っていないという事で、ゼロ句。もっと作らきゃ!ですね。

Q2 今朝、起きてから2~3時間の行動をできるだけ詳しく(公表できる範囲で)教えてください。

朝ご飯は基本食べないですね……。コーヒーを飲みます。カルディで売っている、ふつうのドリップ式のコーヒーです。

朝はとにかくダメダメですね。深夜に近づくにつれ、少しずつ元気になります。鈴木央『七つの大罪』の「傲慢の罪のエスカノール」と正反対ですね。

Q3 現在お住まいの町は、どんなところですか?

桜並木が名物。桜のまわりに花壇が作られていて、一年中花が絶えないのも素晴らしい。どなたの心映えなのでしょう。敬服します。

Q4 触り心地が好きなものってありますか?

なんだろう? 水かな。お風呂も大好き。温泉行きたい!

Q5 どういうわけか、雄鶏を一羽飼うことになりました。名前を付けてください。由来があれば、それを教えてください。

一羽だったら、他の個体と区別する必要がないので、付けないと思います。名付けるのが、苦手なのかも。自分の俳号すら、付けられなくて、本名でやっていますから。

9月8日に『そらのことばが降ってくる』(ポプラ社)ってタイトルの児童小説を刊行します(下記アドレスを参照ください。宣伝、恐縮です)。登場人物に名前を付けるのであれこれ迷って、結局主人公二人に「ソラ」(曽良)「ハセオ」(芭蕉)っていうそのままの名前を付けています。中学生の時に『ゆきうさぎ』って童話を書いたんですが、雪国の話だから出てくる女の子に「ユキ」ってつけたりして、変わってないですね。

新田真剣佑とか、かっこいい名前に憧れます。

Q6 俳句を書くときと小説を書くとき、心持ちや意識の組み立て方などに違いがありますか? あるとしたら、その違いを教えてください。

伝えたいことを凝縮するのが俳句で、拡散するのが散文、といった感じがします。ドライトマトが俳句で、トマトジュースが散文なのかな、喩えると。

Q7 いま読んでいる本を教えてください。

今更ながらヴァレリーについて学びたく、その周辺の本を。

Q8 好きな自然現象について、教えてください。

夕立が好きですね。夕立の間だけ頑張っていたら、それで自分も満足、人からも誉められる世の中だったら良かったなあ、と。人生は長すぎます。

Q9 ここ最近でいちばん笑ったことを教えてください。

うわあああ、最近、あんまり笑えてないですね。

Q10 来年の今日、ご自分は、なにをしていると思いますか。

ぜんぜん、想像もつかないです……。来年には大きな声で笑って暮らしていたいですね。


高柳克弘・近作十句

蟻潰すいつかは我も潰さるる

海風に錆びたるシャワー浴びにけり

ふるさとに舟虫走る仏間あり

みづうみの沖は近くて夏料理

新緑や心病む日の印象派

ふるさとも詩も捨てエンジェルフィッシュ愛づ 

ネットカフェ夜涼を人の出入りかな

赫と照らされて貪りやまぬ蛆

蟻の巣に毒行き渡る静けさよ

一切を振り切り天の揚羽かな

2021-03-07

虫の機嫌  津川絵理子インタビュー

津川絵理子インタビュー

虫の機嫌

聞き手:岡田由季


昨年12月に第三句集『夜の水平線』を上梓された津川絵理子さんに、虫の話をお聞きしました。なぜ虫なのかと言うと、『夜の水平線』の中に、精緻な虫の句がいくつも収められています。また、あとがきでも、少し虫のことに触れられています。どうやらご自宅でも飼われている。ということから、是非お話を伺ってみようと思い立ちました。


由季
吟行ををご一緒した際にも、絵理子さんはよく虫に目を留められていたように思います。子供の頃から虫好きだったのでしょうか。

絵理子
特に虫好きの子供ではなかったですが、周りの子と同じように蝉取りをしたり、バッタを捕まえたりして遊んでいました。苦手なのがひとつだけ、アシダカグモが今でも嫌いです。でもそれ以外ならだいたい大丈夫。

虫に限らず、鳥、犬猫、魚類、生きて動いているものに興味を引かれます。

由季
ご自宅でも飼われているとのこと。どんな虫をどういう風に飼っているのですか。

絵理子

一昨年以降、ベランダで弱っていたハナムグリを拾ったり、ピーマンを切ったら出てきたタバコガの幼虫を育てたり、アオツヅラフジを花入れに活けたら、それにヒメエグリバ(蛾です)の幼虫がついていて、そのまま羽化したり、などといった出来事がありました。

飼ってみて初めて知る彼らの生態に非常に興味を持ちました。何も知らない状態から飼うわけですから、ネットや本で調べたり、昆虫館に電話やメールをして教えてもらったりしているのですが、彼らはそんな付け焼刃の知識を上回る行動をするのです。

それがいちいち新鮮で、驚くことばかりでした。例えば、ハナムグリは冬の間昆虫マットに入ったまま出てきません。うっかりマットを湿らせるのを忘れてしまって、カラカラに乾いた状態になって、もうだめだ、死んでしまっただろう、と思っていたら、ちゃんと生きていて啓蟄の頃に這い出してきました。何か月も飲まず食わず、でも春になれば何ごともなかったかのように出てきて元気に這いまわるのを見て、生命力の強さに打たれました。

ちょうどコロナで家に籠る時期と重なり、重苦しい気持ちになることも多かったのですが、虫たちの世界の広がりを知ることで、人間の世界だけに生きるのは、何か限界を感じるというか、そんなことも考えるようになりました。

今家にいるのは、セスジスズメの成虫1匹、オンブバッタ雄雌各1匹、蟻(クロオオアリ5、クロヤマアリ10匹くらい)、黄金虫かカナブンぽい幼虫5、それより小さい幼虫5(1匹は早くも羽化してしまいました。セマダラコガネか。)割と若いハサミムシ1匹、ヒゲブトハムシダマシ成虫2匹です。ほとんど家族が持ち帰って来ました。私は外で観察するのが好きなので、飼うのは気が進まなかったのですが、既に自然に帰せなくなっていたりして結局世話をすることになりました。


由季
予想以上にたくさんの虫たちです!以前、迷い込んできた十姉妹も飼われていましたね。絵理子さんは、飛び込んでくる生き物を放っておけないんですね。それだけたくさんの種類がいると、餌や世話の仕方も様々でしょう。飼う上で、大変なのはどんなことですか?


絵理子

餌やりですね。

昆虫の餌やりはだいたい2、3日に一度で良いのですが、食べるものがそれぞれ違うのです。それに今いるセスジスズメ(蛾)の成虫は日に一回砂糖水を飲ませてやらなければなりません。自分では飲めないようです。つまようじで口吻を伸ばして砂糖水につけてやります。口吻の先がふるふる動いて、飲んでいるのが分かるようになりました。手に乗せても大人しくしていますが、口吻を引き出されるのは嫌がって暴れるので困ります。暴れると翅が傷むし、鱗粉が落ちて、背中なんかふわふわだったのに禿げになりました。翅を保護するために、飼育ケースではなく、立体的になるように支えを入れた大型洗濯ネットの中で飼っています。

セスジは幼虫のときも餌探しに苦労しました。芋虫だから芋の葉っぱをやっておけば良いと思っても、まず芋の葉っぱが身近に無い。ネットで調べると、藪枯しの葉を食べるらしいことが分かって、近所を探し回りました。ところが、住宅地では藪枯しが生えているところが意外と少ないのです。街路樹などの除草が徹底されているのでしょうか。運良く見つけたら、見付けた場所を覚えておいて、日替わりで摘みに行きました。芋虫の食欲はすさまじく、たっぷり葉っぱを入れておいても、次の日の朝には太い葉脈だけしか残っていない状態です。残暑の中歩き回って探しました。でもお蔭でどこに藪枯しが生えているか、いざとなれば電車に乗って採りに行ける場所も見付けました。もちろん全部がそうではないでしょうが、藪枯しって、私が観察したところでは、アベリアの木の下によく生えています。スズメガの成虫がアベリアの花の蜜を吸っているところもよく見かけますから、幼虫はアベリアの下に生えている藪枯しを食べ、その土の中で蛹になり、アベリアの花が咲くころに羽化して蜜を吸う、という循環が出来ているのではないかと思いました。もしそうだとしたら、非常に上手く出来たシステムですね。  

セスジスズメに砂糖水を飲ませているところ


しかしこんな風にセスジスズメだけに集中して世話することはできません。他の虫も毎日ではなくても餌を変えたり掃除をしたりしなくてはいけませんから。オンブバッタの餌(キャベツ)はすぐしなびるし、土はすぐに乾きます。昨秋雌のバッタ三匹がそれぞれに卵を産んだので、土が乾ききらないよう、霧吹きで水をやります。もう少し暖かくなったら、うじゃうじゃ小さいバッタが出てくるでしょう。

蟻は結構集団で主張する虫だなあ、と感じます。世話を怠ると、餌入れ(メープルシロップが入っている)にゴミや仲間の死骸を放り込んできます。餌を新しくして、ちゃんと掃除して、と言っているようです。

 

由季
飼ってみて、生態への興味が増して・・ということですが、世話をしていれば愛着もわいてくると思います。例えば、小鳥を飼うときのような愛情を感じることはありますか?飼っている中で特に思い入れのある虫はいるんでしょうか。

 

絵理子

世話をしているとどんな虫にも愛着が湧いてくるのですが、特に最初に飼ったハナムグリが印象深いです。ちょうど一年生きました。虫といえど世話をしているうちに愛情が深まりますよ。あまり触ったりするのは良くないので、必要最小限しか触れませんが。可愛いものです。

触れないけれど、機嫌がなんとなく分かったり、虫にも心があるのかも、と思います。だから死んだときは悲しかったです。天寿を全うしたんだと思っても、もう会えないのは辛い。

去年ショウリョウバッタの雄と雌を飼ったのですが、何度も脱皮するうちに、雌が最終の脱皮を失敗してしまった。脚や翅が曲がって、一週間ほどして死にました。原因は飼育ケースが小さかったからです。ショウリョウバッタの雌は日本で一番大きなバッタなんだそうです。だから脱皮のたびに飼育ケースを大きくして、スペースを広く取ってやるべきだったのです。これも昆虫館の人に相談したら、特大飼育ケースを縦に使って、イネ科の植物を立ててそこで脱皮させてやるとスムーズに出来たかも、と言われました。この雌には「ミョウガちゃん」(脱皮後茗荷色になったから)と名付けて最後を看取ったのですが、私の無知から死なせてしまったので、辛い思い出です。そうした失敗をした虫たちは、特に思い入れが、というか苦い思いと共に思い出します。

 

由季
飼育方法をずいぶん調べて、細やかに気を遣って世話をしているんですね。虫の中でも、蝶やカブトムシなどは飼う人が多いと思いますが、蛾などの、嫌われがちな虫も大切にしているのが素晴らしいと思いました。飼っていて楽しいこと、嬉しい瞬間についても教えてください。

 

絵理子

無事に羽化したとき、無事に冬を越せたときが嬉しいです。長生きしてくれるのも嬉しいです。餌をたくさん食べてくれるのも。見ているだけで楽しい。子供の頃に虫を飼ったことはありますが、こんなに虫たちと濃密な時間を過ごす機会は無かったように思います。子供は世話を親に任せたりしますから、生きものを飼うことの難しさや楽しさって、案外大人にならないと分からないものかもしれません。蛾を幼虫から育ててみて、こんなに可愛いものなんだなと思う自分が不思議です。

 

由季

いろいろお話ありがとうございました。最後に、言い足りないことなどありましたら、なんでもお願いします。

 

絵理子

一番びっくりしたことは、ヒメエグリバという蛾の幼虫を育てていて、無事蛹化し、いよいよ羽化したと思ったら、出てきたのがアメバチの一種だったことです。アメバチは寄生蜂で、芋虫の体内に寄生してその身体を食べ羽化します。出てきたのが想像と違っていたので、本当に驚きました。大事に育てていたヒメエグリバがアメバチに食べられて、でもアメバチは元気に生きていて、こんな命の循環もある・・・・この感情をどこへ持って行ったらいいのか、複雑な気分でした。結局アメバチは元気に飛び去りましたが。

生き物を飼うことは、死と多く出会うことですよね。それと自分がエゴイストだという事実と向き合うことでもある。蚊を打ったり、ゴキブリを平気で踏みつぶしたりしますから。

虫たちにはいろいろなことを教わったと思います。


2020-04-05

早春はてふこさんとカレーを〔後篇〕 小川楓子

早春はてふこさんとカレーを〔後篇〕

小川楓子

≫承前

それでは怒涛の一問一答開始。

Q1
てふこさんの作品は、寡黙で朴訥とした魅力があるように感じました。ご本人としてはいかがですか。

A1
キレイに出来ていることに興味はないんですよね。「ごろん」とした作品を作りたい。「ごろん」の影響は、たぶん聴いてきた音楽が大きいと思います。宅録と呼ばれる、自宅などのラフな録音環境で録られた音楽が国内外問わず好きだったんです。歌詞もあけすけだったり、内向的だったり。俳句を始めたちょっと後からずっと聴いている「キセル」という京都出身の兄弟二人組がいて、彼らの曲のくぐもった音や、やるせない歌詞には非常に影響を受けているように思います。彼らの「ごろん」は、柔らかい「ごろん」。小説家では津村記久子に「ごろん」を感じるかなあ。正義とか倫理観にあんなに真っ正面から取り組んでる作家は珍しいなあ、かっこいいなあと。美しさなんて知るか、と言わんばかりの石ころのような文体も大好きです。津村さんのどの小説にも必ずと言っていいほどサッカーの小ネタが盛り込まれていて、サッカー、面白いのかな?ってぼんやり思っていたら乾貴士が好きになってセレッソサポになってしまったという。津村さんのサポーター小説、最高ですよ。津村さんの「ごろん」は石のような「ごろん」。俳人では辻桃子と波多野爽波の影響が若干ずつ。ふたりとももともと感性がオシャレな人なので、オシャレな人があえてやる「ごろん」と私の「ごろん」は違うぞ、と言い聞かせつつ、という注釈はつけておきたいですが。

Q2
「だんじりのてつぺんにゐて勃つてゐる」が『汗の果実』の帯にあり、よく話題にもなりますが、どのような気持ちで作りましたか。

A2
だんじりは大阪文フリに遊びに行ったついでに、会場近くでやっていたのでひとりで観に行ったのですが楽しかったです。だんじりの句は、祭に参加している男たちとそれを見ている自分が対にならない構成にするように気を付けました。例えば、多佳子の〈雄鹿の前吾もあらあらしき息す〉がなまめかしいのって、雄鹿に詠み手が雌として応えてしまうのでは……という可能性をチラ見せさせているところなのかなと思うのですが、私はそういう風に読みうる句には絶対にしたくなかったので。

Q3
女性としての自分についてどう感じていますか。

A3
同じ女性だからわかり合えるという発言とか聞くとほんと「はー無理無理」ってなっちゃいますね。でも、女性が多い職場で働くことが多くて、仕事環境としては女性に囲まれていた方が安心するなーと。女子高や女子大に憧れたときもあるのですが、母が女子大で苦労したようで気がつくと共学を選んでいました。学生時代はずっと共学で特になにも思わなかったのですが、うまく放っておいてくれる女性上司の下につくと「楽だなー!」って思いますね。趣味が分かればそれに合ったものを提示していけば好きにさせてくれるタイプ。最初の職場の上司がそんな感じでした。いまのチームリーダーも去年からの付き合いなのですがそういう感じの人なので、あ、これは楽できる!という気楽さでかえってやる気が出ます。

Q4
「女性俳句」についてどう思いますか。

A4
大学時代に平塚らいてうとか『青鞜』に興味があって、『青鞜』に載っていた俳句を調べてみたら全然よくなくて、ガーン……ってなって。同時期に杉田久女の評論を読んだらお茶の水女子大出身で当時の最高の女子教育を受けた、とあって。ああそうか、久女は新しい女になる可能性が十分にあった人だったのか(でも俳人としての道行きは俳壇の封建的な空気に阻まれるようなものになってしまった)という点、あと細見綾子も好きなのですが、彼女はらいてうなどと同じ日本女子大出身だったことが心に引っ掛かっていたり。そういう経歴は彼女の俳句にどういう影響を及ぼしているのかな?って気になるんです。たぶん、俳句でフェミニズムを論じてみたい気持ちが当時からあったのですが、糸口がわからなくて。俳句自体わからないのに、もっとわからないことと結びつけて書くなんて、無理な話で。宇多喜代子さんの文章とか、藤木清子を発掘したり女性のマイナーポエットへの目配りがすごいところに憧れますね。短期目標として、自分なりの俳句とフェミニズムの結び付け方を見つけるというのがあります。秋頃に久女が長く住んだ小倉に行くので、そこでヒントが得られたらいいなと思います

Q5
就職氷河期世代〔*〕、いわゆるロストジェネレーションにあたりますが、世代感はありますか。また、もしあるとしたら俳句に影響していますか。

〔*〕就職氷河期世代は1970(昭和 45)年4月2日から 1985(昭和 60)年4月1日まで生まれ。(2019(令和元)年度厚生労働省本省就職氷河期世代採用 選考案内)

A5
ロスジェネ。うーん。世代論って本質的なことをつけることももちろんあるけど結構的外れというか、知らない人とわざわざ同窓会をするような何がしたいんだろう…と思うような方向にいっちゃう例もよく見かけるので読む時に妙に注意深くなります。

就職活動を終わらせたいのに終わらない…と焦っていた大学4年の5月にスーパーフリー事件が明るみに出ました。(スーパーフリー事件は早稲田大学のイベントサークル関係者が組織的に行った輪姦事件で、輪姦の補助として女性も多数関与した)スーフリに関しては学内にポスターが貼ってあったり、サークル名として知っている程度でしたが、あの時期に大学名を背負って女子学生として就活をしなくてはならないのが本当に苦痛で、忌々しい気持ちでした。その忌々しさって結局なんだったんだろう、と詳しく思い出そうとすると、自分の思考に、被害者に寄り添う視点が欠けていた記憶があり、その頃の自分の視野の狭さ、当事者性の欠如にショックを受けます。あの頃、もしSNSがあったらもう少し視野を広く持てたかもしれないとも思います。たくさんの障壁はありますが、性暴力の被害者が自分自身の声で語り始めるようになった今だからこそ、思い出して苦い気持ちになってしまうのかもしれません。

ロスジェネが自分の俳句に…。どうかなあ。そこまで影響してないと思います。

Q6
前衛俳句などの戦後以降、高度経済成長期の俳句は、時代特有のエネルギーがあると感じます。また短歌の場合、SNSの発達や引きこもりなど時代性が映し出されることがしばしばあるので、現在の俳句はどうであろうかと考えています。ロスジェネのみならず時代性についてはいかがですか。

A6
戦後ある程度の時期までは、生きることにあらゆる面で執着しなければ、という強迫観念は多かれ少なかれ人々にあったと思います。今は経済的にこぼれ落ちてはいけない、という強迫観念の方が強いかなあなどと。俳句の世界での我々世代の強迫観念は「選ばれなければいけない」かなあ。私も、20代は結構とらわれていました。かといって、大きな仕事ができるほど時間があるわけでもなく。今は心からそう思わないように距離を取りつつ、モチベーションの向上にうわべの熱狂だけ利用させてもらったりしています。「選ばれなければいけない」という強迫観念は我々世代というより、50歳以下の新人賞の対象になる年代、くらいのざっくりした言い方が合っているかも。

選ばれなければ、って思いすぎると選ばれない状態の自分を肯定できなくなってすごく苦しいので、選ばれなくても私の価値が落ちるわけではない、とに応募するぞー!わー!って盛り上がっている群れの最後方でとりあえず拳はあげている、みたいなイメージですかね(全体主義に一番に利用されそうな群衆の思想だな……と思いつつ)。フェスに近いかもしれません。あんまり一体感を呼び掛けてくるMCには反感があって、いていいよくらいのノリが好きですね。俳句のシーンに関しても同じようなことを思う。いていいよ、って言ってもらえればそれでいいので。グループや同人誌が増えてきている今の傾向はいいんじゃないかなと思います。居場所は結社や受賞の肩書の中にだけあるわけじゃないし。同人誌はBL俳句誌「庫内灯」に参加したりしましたが、俳句グループには入ったことがないなあ…。人からどういう作家だと思われてるのかわからないですけど、もしチャンスがあったら入ってみたいですねw


2019-11-17

【柳人インタビュー】竹井紫乙さんへの10の質問

【柳人インタビュー
竹井紫乙さんへの10質問

質問:西原天気
Q1 今週、何句作りましたか?

0句。結社に提出する句の推敲作業のみ。

Q2 きょう、朝起きてから2~3時間の行動をできるだけ詳しく(公表できる範囲で)教えてください。

今日は祝日でいつもより少し朝寝坊しました。

洗顔、身支度、洗濯。アイロンがけをするものが少しあったのでそれを済ませてから朝食。
ゴミ出し。足の爪のマニキュアを落として爪切り。家じゅうの掃除をざっくり。

近所のスーパーへ出かけて帰宅。で、起床から3時間経過という感じ。

Q3 現在お住まいの町はどんなところですか?

大阪府枚方市というところで「ひらかた」と読めない人が多いらしいです。

おそらく遊園地のひらかたパーク、菊人形、岡田准一さんが有名であろうと思われます。
田畑がまだまだ多く、水質が良い。数年前に越してきたばかりですが、

フレンドリーな人が多い町で暮らしやすいです。近所に昔ながらの銭湯があるのもいいところ。

Q4 触り心地が好きなものってありますか?

もう死んでしまいましたが、飼っていた犬を撫でるのが好きでした。

Q5 このたび第三句集『菫橋』を上梓されました。句集をつくっていくなかでいちばん苦労したことを教えてください。

いちばん、ということであれば制作費用です。句集は作りたいと思った時が作るべき時だと思っているので、予算があろうがなかろうがどうにかします。それでも限度額というものはありますから。

句集作り自体はこれで三度目なので、初めての自選ではありましたが、苦労ということは特にありませんでした。

Q6 『菫橋』制作のあいだに起きたスペシャルなことを教えてください。トラブルでも心温まるエピソードでも心霊現象でもなんでもかまいません。

第三句集の準備段階で、大阪中崎町の「葉ね文庫」店主の池上さんに助言を求めたのですが、それが助けになりました。

装丁画を引き受けて下さった山口法子さんと、版元「港の人」の上野さんの仕事の速さに驚きました。プロフェッショナルだなあと。

低予算であった為に消費税増税前にすべての作業を済ませる必要があったのですが、お見事でした。

このお二人には仕事を断られてもしかたがないような無理をきいていただき、感謝しています。

対話の相手をしていただいた柳本々々さんには第二句集の時から無茶振りばかりしているのですが、今回もしっかり依頼を受け止めてもらって作業を進めることができました。

句集の完成は皆様のお力添えのおかげです。

Q7 『菫橋』の刊行後、身辺に変化はありましたか?

なんにもありません。

心境の変化なら。

本の完成後に「港の人」の上野さんとお会いする機会があり、少しだけお話する時間をとることができたのですが、ある意味、上野さんという方自体が衝撃的でした。世の中にはこんな人がいるんだなあと驚きましたし、

自分のしごとをする。ということは一体どういうことなのか、ということについて考えさせられました。

(上野さんは、立ち位置としては裏方のひとですが、一度「週刊俳句」でインタビューしてみてほしい人です。)

私も「自分のしごと」っていったい何だろう、何ができるだろうか、ということを真面目に考えたくなりました。

Q8 どういうわけか、雄鶏を飼うことになりました。なんて名前を付けますか? 命名の由来も教えてください。

「若冲」。鶏なだけに。

私は鳥が苦手ですが、小学生の時に飼育委員として学校の鶏の世話をしたことがあります。

鶏を飼うことは一生あるまい、とその時思いました。本当に怖かったです。

でも、どうしても飼育せねばならないなら、せめて画家の名前でも付けて、敬意の念を無理やり自分に植え付けないと

耐えられないのではないか、そんな気がします。

Q9 目が覚めました。何十時間も眠ってしまったらしく、おなかがぺこぺこです。何を食べますか。

おじや。或いは食パン。ラーメンもいいかも。卵も食べたいかな。お味噌汁、緑茶、紅茶、コーヒー、水。

Q10  好きな自然現象について、教えてください。

基本は晴天であることを好みます。

雨の日は草花が美しく見えるし、お気に入りの傘をさすことができるので嫌いではありません。

花が咲くのを見る度に嬉しい気持ちになることは不思議ですが何度見ても、毎年見ても、同じ花はひとつもないことを確認することが新鮮なのかもしれません。

今年最もびっくりしたことは、夜、帰宅し、玄関のドアノブを掴んだ時に小さなカエルも一緒に握ってしまったことです。

私は生まれて初めてカエルに触れました。気持ち悪かったです。その後玄関の表面になにかのたまごが産み付けられており、この住居がかつて田畑の中にあった場所であることを実感させられます。


竹井紫乙 近作十句

石踏めば海へと降りる券売機

改札で紐がほどける玉手箱

らららら・らららら背中に花咲く

律令が軽石になる交差点

ほうほけきょ私の舟はミドリ色

外されたボタン常緑樹のまんま

美容液いぬの名前が付いている

吟味した烏賊とぴかぴかする娘

システムキッチンは完璧な菫

艶やかな黒が抜け殻なのですね


2019-07-28

作者と語る『水界園丁』05 ふふつと 生駒大祐×福田若之

作者と語る『水界園丁』05
ふふつと

生駒大祐×福田若之



新潟に近くて雪の群馬かな
縄跳のだしぬけに新しい技
春や飛びつく砂鉄吾磁石汝
鳥たちのうつけの春をハトロン紙
八重桜より電球をはづしけり
ぶつかつてゐる大小の花筏
考へたすゑに巣箱へ入りけり

作者と語る『水界園丁』04  目逸らさず 生駒大祐×福田若之

作者と語る『水界園丁』04
目逸らさず

生駒大祐×福田若之



目逸らさず雪野を歩み来て呉れる
六月に生まれて鈴をよく拾ふ
ひぐまの子梢を愛す愛しあふ
春や飛びつく砂鉄吾磁石汝
鉄は鉄幾たび夜が白むとも
汝まるで吾白鯉匂ふしづけさの

作者と語る『水界園丁』03 水と絵と 生駒大祐×福田若之

作者と語る『水界園丁』03
水と絵と

生駒大祐×福田若之



鳴るごとく冬きたりなば水少し
よぎるものなきはつふゆの絵一枚
水の世は凍鶴もまたにぎやかし
初空や水とはうしなはれやすき
鳥すら絵薺はやく咲いてやれよ
水澄みて絵の中の日も沈むころ
二ン月はそのまま水の絵となりぬ
シュワキマセリ水中のもの不可視なり
絵は生きてゐる秋草に身を浮かべ

作者と語る『水界園丁』02 雑のこと 生駒大祐×福田若之

作者と語る『水界園丁』02
雑のこと

生駒大祐×福田若之



恋いまや狐の被る狐面
小面をつければ永遠の花ざかり
シュワキマセリ水中のもの不可視なり

作者と語る『水界園丁』01 手ざはり 生駒大祐×福田若之

作者と語る『水界園丁』01
手ざはり

生駒大祐×福田若之



五月の木鬱王に立ち向へる木