【週俳1月の俳句を読む】
穏やかであること 新年詠より
五十嵐義知
初旅に眠りをいくつとほりすぐ 生駒大祐
目が覚めてはまた目を閉じる、「いくつとほりすぐ」がその様子をよく表している。
実際は短い旅程なのかもしれないが、「初旅」によって、いくつもの街や山、川を越えて行く、長いゆったりとした旅の始まりを予感させる。
焼く餅の数聞きまはる祖母の家 江渡華子
餅の数を聞いて回る。いいところに気がついたものと感心。
「その人の食べるであろう餅の数は分かっていても念のため聞いてみる」、あるいは「どのくらい食べるのか全く分からない」など、
祖母の家には多くの、そして作者との距離も様々な人々が参集しているのである。
いくたびか地名に見惚れ年賀状 小池康生
地名は興味深い。その土地の様子から名付けられたもの、複数の言葉が合わさったものや
市町村合併の際に、旧町名や旧地域名に戻したものなど。
年賀状の内容よりもその届いた先の地名に見入ったのである。
枝移る鳥を見てゐる三日かな 関根誠子
枝から枝に飛び移る鳥を見ている。
それだけのことなのであるが、何とも穏やかな景色である。
「三日かな」が何とも良い。
初夢を明るいほうへ歩みゆく 月野ぽぽな
夢の中で、一方に明るさを見出した。
前後左右、上下も分からない夢の中であったが、その明るさの方に一歩踏み出したのである。
どこまで歩いたかも分からないのだが、その明るさはしらみかけた空につながっているのであった。
第350号2014年1月5日
■新年詠 2014 ≫読む
第352号2014年1月19日
■佐怒賀正美 去年今年 10句 ≫読む
■川名将義 一枚の氷 10句 ≫読む
■小野あらた 戸袋 10句 ≫読む
第353号2014年1月26日
■玉田憲子 赤の突出 10句 ≫読む
●
2014-02-09
【週俳1月の俳句を読む】五十嵐義知 穏やかであること
Posted by wh at 0:05 0 comments
2013-12-22
今夜は湯豆腐かおでんがよろしいです 五十嵐義知句集『七十二候』の二句 西原天気
今夜は湯豆腐かおでんがよろしいです
五十嵐義知句集『七十二候』の二句
西原天気
「アットホームな雰囲気のレストラン」とかいった文言を聞くたびに、「何を言ってるんだ?」と思います。
家庭的がいいなら、家で食事すればいいんじゃあないの、と。
こんなことを言う私は、家で食べるごはんがだんぜん好きなのですよ。
だから、
湯豆腐の欠けたる角をすくひけり 五十嵐義知
という句を読んでも、どこかの湯豆腐屋だとは思わない。家で食べる湯豆腐です。
うまく掬えずに、角が欠けて、その小さく欠けた角が湯の中で煮えている。その欠片も掬って食べようという句。
あのね、食事って、気持ちのいい人と食べれば、なんでも美味しいものですよね。「気持ちのいい人」というのは、例えば、気心の知れた人、いっしょにいて楽しい人、それからまた、湯豆腐の欠片をきちんと掬うような人です。
掲句は五十嵐義知第一句集『七十二候』より。集中、こんな句もあります。
かたよりのなく選びたるおでんかな 同
私などはコンニャクが好きなので、どうしてもコンニャクを連続で選んでしまいます。それをやると、「鍋内の具バランス」が崩れてしまう。
バランスよく選ぶ人はエラい。こういう人もやはり「気持ちのいい人」といえるでしょう。
この句もおでん屋や飲み屋とは思わない。家で食べるおでんです。上記の理由(私の家ごはん好き)だけでなく、 外食だと、具のバランスが崩れるという読みが成り立たなくなる。「かたよりのなく」は、栄養バランスかい? それとも自身のスタイルの問題かい? ということになってしまうので、外食説は却下です。
●
行儀の良い人、人のことを考えられる人。『七十二候』の作中行為者(おそらく作者・五十嵐義知とニアリーイコール)の人物像として、そんな美徳が浮かび上がってきます。
良い人が、良いまなざしで、そこにいる。そんな句集です。
こう言うと、べた褒めすぎるので、すこし言えば、ここに、刺激や飛躍、チャレンジングな姿勢はあまりありません。手堅いけれど、読む人によっては退屈と感じるでしょう(そういう句集はとても多い)。しかしながら、それは作者それぞれの持ち味です。
話を戻しましょう。食事というのは、何を食べるかじゃなくて、誰とどのように食べるかが問題。気持ちのいい人と食べれば、なんでも美味しい、という話でした(ほんとに戻ったのか?)。
集中より、ほか、気ままに何句か。
物陰にかくれし春の氷かな
摘みとりし色の深さや草の餅
明急ぐひかりの中の月あかり
廻りてもとまりてもよき独楽の色
≫web shop 邑書林 五十嵐義知句集『七十二候』
Posted by wh at 0:04 0 comments
2013-08-11
【週俳7月の俳句を読む】五十嵐義知 距離感
【週俳7月の俳句を読む】
距離感
五十嵐義知
■マイマイ ハッピーアイスクリーム 10句 ≫読む
第325号 2013年7月14日
■小野富美子 亜流 10句 ≫読む
■岸本尚毅 ちよび髭 10句 ≫読む
第326号 2013年7月21日
■藤 幹子 やまをり線 10句 ≫読む
■ぺぺ女 遠 泳 11句 ≫読む
第327号2013年7月28日
■鳥居真里子 玉虫色 10句 ≫読む
■ことり わが舟 10句 ≫読む
●
Posted by wh at 0:16 0 comments
2013-03-24
2012-12-09
【週俳11月の俳句を読む】五十嵐義知 いつものように
【週俳11月の俳句を読む】
いつものように
五十嵐義知
芒より歩み出て立ち塞がりぬ 森賀まり
振り返りつつ残菊を剪りくれし
晩秋から初冬にかけての静かな景色である。「芒より歩み出て立ち塞がりぬ」の芒を分けて歩く姿や「振り返りつつ残菊を剪りくれし」の残菊を剪る仕種は普段の何気ない一場面であるが、普遍性のある光景だからこそ、私たちに気付きとそれらにまつわる多くのことを想起させる。
今引かれたる線上の秋茜
掲出句の線は真っ直ぐに引かれた白線であろうか。横断歩道の白い塗料や競技場の石灰、路上の白墨などさまざまな白線が思い浮かぶが、そこに秋茜がとまった。蜻蛉が細い枝の先や物干し竿に止まるのはよく見る光景である。線の上に蜻蛉が止まっている様子をあらためて考えてみると、「線上に」という表現が、まるで秋茜が滑走路の旅客機のようにも思えてくる。
●
枯れ葉転がる音の快晴 矢野錆助
地面に葉の角を打ちつけながら転がる枯れ葉。こちらも普段の初冬の景色である。東北でも当地のように日本海側であると、なかなか乾燥した気候とはならないのだが、それでも雪が降り積もる前のわずかな時期には、掲出句のように枯れ葉の転がる大きな音を聞くことがある。
「音の快晴」としたことで、乾燥した枯れ葉の乾いた音のする地表から青く清澄な空へと一気に視点が移動するのである。
第290号2012年11月11日
■森賀まり 左手 10句 ≫読む
第291号2012年11月18日
■中嶋いづる 秋熟す 10句 ≫読む
■谷 雅子 雨の須賀川 10句 ≫読む
■石原ユキオ 狙撃 10句 ≫読む
第292号2012年11月25日
■矢野錆助 緑青日乗 10句 ≫読む
●
Posted by wh at 0:05 0 comments
2012-06-10
【週俳5月の俳句を読む】五十嵐義知 水にまつわる物語
【週俳5月の俳句を読む】
水にまつわる物語
五十嵐義知
寝台車夏の冷たい人の手が 佐藤文香
水に包まれるという記憶があるとすれば、海やプールで潜水した時の記憶であろうか。 ―光りが差し、水面も近くに見えるのに、もうこの水中からは抜け出せず、光りの届かない冷たい水の底に落ちてゆく。その瞬間に手や足が何かを摑みあるいは蹴り、勢い水面に姿を現す。―
眠っている間に移動するという寝台車の利点はそれとして、夜の暗闇の中を走る車両は、さながら深い海の底を走るようでもあり、普段は見られない深夜の駅舎の様子を窓から覗いてみたくなるということはないだろうか。
Posted by wh at 0:03 0 comments
2012-02-12
〔週俳1月の俳句を読む〕五十嵐義知 往ぬる
〔週俳1月の俳句を読む〕
往ぬる
五十嵐義知
やまをりとたにをり立つてゐる冬木 生駒大祐
切絵のような風景である。
黒い用紙を木立ちや山小屋の影の部分として切り取り、白い用紙を背景とすると、雪景色の中に木立ちが黒々と浮かび上がってくる。掲出句はイメージを切絵のように浮かび上がらせた。
木の葉が落ちた冬木立の風景。「やまをり」と「たにをり」が、木の枝の節から節へ伸び行く様子を如実に表している。
水鳥なのか流れゆく水なのか 村田 篠
水鳥が流水に流されている。作者が注目しているのは、水鳥なのか、水なのか。
水鳥が水面を流れてきたのではなく、水流が水鳥を流しているのか。
水の渦の中に水鳥が重なって、流れる水になる。流れる水の中から水鳥が現れる。
そのような循環過程なのであろうか。
日の光りまた日の光り鏡餅 上田信治
玄関に置かれた鏡餅に光りがあたっている。格子戸を開け閉めすると、光りが交互にあたる。
玄関の扉を開け閉めすることは、普段の仕種であったのだろうが、その光りの先に鏡餅があったのである。
鏡餅に光りがあたる、それだけの光景であるが、元旦の清新な光りが射しているのである。
胸ふかく呑み込むたばこ初昔 西原天気
胸ふかくというのであるから、ゆったりとした時間の中で呑む煙草であろう。
普段であれば、わずかな時間のなかで、ルーチンのように喫煙をしていたのかもしれない。
去年から今年にかけての束の間の時間を詠んだ句であるが、「ふかく呑み込む」としたことで、短い時間の中にも過ごしてきた時間と来るべき新たな年への感慨が感じられる。
第245号 2012年1月1日
■生駒大祐 うしなはれ 5句 ≫読む
■村田 篠 水鳥 5句 ≫読む
■上田信治 ご町内 6句 ≫読む
■西原天気 胸ふかく 5句 ≫読む
第246号 2012年1月8日
■特集・新年詠2012 ≫読む ≫読む ≫読む ≫読む ≫読む ≫読む
第247号 2012年1月15日
■谷口智行 初 暦 7句 ≫読む
■小林千史 塔 7句 ≫読む
第248号2012年1月22日
■雪我狂流 日向ぼこ 7句 ≫読む
■依光陽子 涯 hate 7句 ≫読む
■矢口 晃 蝌蚪は雲 7句 ≫読む
■山下つばさ ぱみゆぱみゆ 7句 ≫読む
■福田若之 既製品たちと歌ううた 7句 ≫読む
第249号2012年1月29日
■望月 周 冬ゆやけ 7句 ≫読む
■林 雅樹 紛糾 7句 ≫読む
■松本てふこ 遊具 7句 ≫読む
■野口る理 留守番 7句 ≫読む
●
Posted by wh at 0:03 0 comments
2011-08-14
〔週俳7月の俳句を読む〕五十嵐義知 水滴のつく日
〔週俳7月の俳句を読む〕
水滴のつく日
五十嵐義知
川よりもゆっくり歩く緑雨なり 室田洋子
河骨や混み合っている洗面台
この川は急流ではなく、川幅が大きくなる下流域の川であろう。両岸の新緑の中を木の葉や枝が川を流れているのを見て、歩みよりも早く流れる川を意識したのだろう。「緑雨」には明るさの中の雨という感じがあるが、ゆっくりと流れる川と作者の歩みが、穏やかな新緑の頃の風景を思い起こさせる。「河骨」の句。一読、「水」でつながっている「河骨」と「洗面台」である。一句目の川の流域に咲くのだろうか。黄色い花が茎の先端に咲き、背景には大きな葉とその隙間からのぞく水面という映像が思い浮かぶのだが、洗面台という言葉からか、水の流れの微かな音までも聞こえてくるようである。もう一つ思い浮かんだ景色が、洗面に歯ブラシが並ぶ景と洗面台そのものの景である。歯ブラシの頭と柄、洗面器の部分と給排水管の部分が、河骨の花と花茎を連想させたのである。
●
改札にあつまる登山靴の泥 三吉みどり
登山道への最寄り駅を想像すると広く大きな改札ではなく、改札口が一つか二つほどの小さな駅だろうか。一つの改札を通るために乗降客が一列になる。そこで靴についた泥が落ちて集まるのである。駅の改札と靴から落ちた泥を詠んだ句であるが、そこを行き交う人の様子や登山に向かうあるいは登山を終えた後の足取りが想起できる。すがすがしい高原の空気と、緑豊かな夏山の景色が想像できる句である。
●
レコードの古き拍手や夜の秋 堀本裕樹
古いレコード、そこに録音された拍手。演奏会をそのまま録音したものであろうか、演奏と演奏の間の拍手まで録音されていたのである。聞きとれはしないかもしれないが、話し声なども録音されていたのでないだろうか。雑音が混じった籠ったような拍手を「古き拍手」としたところが妙手である。「レコード」と「夜の秋」はありそうな取り合わせであるが、「古き拍手」が懐かしさや郷愁を増幅させている。何気なく聞こえてくるものがひどく気になることがあるが、作者はレコードに録音された主要な音源よりも拍手に心をひきつけられたのである。
第219号 2011年7月3日
■室田洋子 青桐 10句 ≫読む
■堀田季何 Waiting for… 10句 ≫読む
第221号 2011年7月17日
■大野道夫 明日へと我も 10句 ≫読む
■橋本 薫 人魚姫の花壇 10句 ≫読む
第222号 2011年7月24日
■三吉みどり 琉 金 10句 ≫読む
第223号 2011年7月31日
■堀本裕樹 浮 言 10句 ≫読む
ウラハイ
■西原天気 原子力 10句 ≫読む
●
Posted by wh at 0:05 0 comments
2011-05-08
【週俳4月の俳句を読む】五十嵐義知 詠むということ
【週俳4月の俳句を読む】
詠むということ
五十嵐義知
街暮れて浪花の春はソースの香 ひらのこぼ(街暮れて)
サボテンが好きな女と春火鉢
書割の街は目覚めず雪の果
列島を春が縦断するのは、立夏を過ぎるあたりだろうか。冬の青白い澄みきった空気感が、花や土の香にとってかわる頃が春と感じる時かもしれない。一句目の「浪花]と「ソース」はありそうな景であるが、「街暮れて」が次第に長くなってゆく日の、春の日の暮れ時を端的にあらわし、春らしい一句となっている。二句目は早春の室内の多くのサボテンと、暖める熱源の火鉢。竹久夢二の女性像が浮かんできたのは、春火鉢に偏りすぎた希望的想像か。三句目。一句目と同じく街が出てくるのだが、この街は書割のような、そして目覚めない街である。どうしても被災地の街並みを思い起こしてしまうのだが、現実を強く意識した上で、新しく描かれる街並みへの作者の思いが伝わってくる句である。
●
玄室の上古をのぞく春の月 天野小石(たまゆらに)
航跡の光に春の深まりぬ
薄蒼く春月出づる地震の国
月明かりの中は群青に近い青い世界である。一句目は玄室に射し込む月明かりを詠んでいる。玄室の中の闇は古代の闇であり、月の光りが細く射し入る様子は幻想的で静謐である。二句目は船が通り過ぎた後の波が光を受けて輝く景である。船に乗っている作者は穏やかな光の輝きに春の深まりを感じたが、肌に受ける風にはまだ冷たさを感じたのだろうか。三句目。永々繰り返す自然の摂理、句の中では月の出と地震である。春の月がいつものように昇ってくる。作者が見ている月は同じように、地震とそれに伴う津波によって被害を受けた地にも昇ってくる。
●
春の野に触るる指先広げたり 矢野玲奈(だらり)
朧夜の西へ東へだらり帯
譲られしふらここのまだ揺れやまず
「足の指ひらいてとぢて春よ来い ひらのこぼ(街暮れて)」と一句目が結びついて離れない。「足の指」は春を呼んでいるが、「春の野に」はやってきた春に(手の)指が触れている。作者が異なるので大変に不躾ではあるが、二句を並べて読むと、大地からあふれた春が全身を通って地上に拡散するような壮大な感覚がある。二句目は「だらり」が良かった。帯の結び方であるが、朧とだらりがこのように結びつくとは思わなかった。三句目はふらここの句である。こいでいるぶらんこを譲られたが、まだ揺れている。譲られる前の揺れと譲られた後の揺れの間をよくとらえた句である。
●
野火渡るいのちがいのち照らし出し 福田若之(はるのあおぞら)
3月11日。当地秋田でも県全域が停電となったため、帰宅の際には信号も街灯も消えた国道を通っていかなければならなかった。星がいつもより多く見えた。「はるのあおぞら」は句群全体を青空が覆っている。青空は青空としてあるのだが、地上がその姿を変えてしまった。少しずつ復旧していく、少しずつ点いていく灯りが、また次の灯りを照らしていく。助けられた命がつぎの命をつないでいく。それらを覆うように青空は青空としてある。
●
ひとしきりあられのはねて春の芝 関根誠子(明るい夜)
アスパラガス計画されて明るい夜
ビー玉のかくれてゐたり花の屑
一句目。時ならぬ霰が、まだ整わない春の芝のそこかしこに散らばる。霰の不透明な白色と芝の色が鮮やかである。二句目の「計画」は計画停電のことであろうか。計画停電対象外の明るい夜とアスパラガスの取り合わせ。このアスパラガスがホワイトアスパラガスとすると、光のあたらない計画された暗い夜のほうがいいのだろうか。三句目はビー玉が花の屑の陰からきらきらと光る、懐かしさの句である。ビー玉と思って花屑や葉をどけて見ると、ガラス瓶の欠片や石英の小さな粒だったりする。明るい夜の下としても趣がある。
●
基本的には薇のかたちだが 羽田野 令(鍵)
昏れてより花の白さの中に入る
一句目。基本的にはというのであるから例外的にはさまざまな形になるのである。玩具の笛で巻取り笛(笛の先に巻いた紙がついてあるもの)は吹く前は基本的に薇の形であるが、吹くとやはり伸びきった薇の形であるか。二句目は夜桜の光景だろうか。暗くなってからの花は殊更に白く浮かび、闇と闇との間にある白さの中に入るという表現が相応しい。
第206号 2011年4月3日
■ひらのこぼ 街暮れて 10句 ≫読む
■天野小石 たまゆらに 10句 ≫読む
第208号 2011年4月17日
■矢野玲奈 だらり 10句 ≫読む
■福田若之 はるのあおぞら 10句 ≫読む
第209号 2011年4月24日
■関根誠子 明るい夜 10句 ≫読む
■羽田野 令 鍵 10句 ≫読む
●
Posted by wh at 0:03 0 comments
2010-10-31
テキスト版 2009落選展 五十嵐義知 夏炉
夏炉 五十嵐義知
つちふるや出羽の山のなだらかさ
本堂をかくして枝垂柳かな
峰々の春来たる川流れけり
同じ名も色分けさるる苗木市
踏青の土踏み影を踏みにけり
浮きあがるほどにうすかり春の虹
光受く連翹光放ちけり
春の沖まばゆきところどこまでも
緑立ち万物もみなひつぱれる
春の風汀一面ぬれにけり
貝寄風や海より戻る川漁師
自転車のすぎゆくはやさ桜東風
飛花落花川舟五艘つづきをり
花吹雪手にすくはれてゐたりけり
花びらのとどまりやすき花衣
花散りて水面の青き草の上
風光る船頭竿を横にもち
真ん中に一里塚ある花菜畑
川底に石敷きつめし春日傘
身の内の花の色たる乗込鯛
暮れてよりしろつめくさの咲きにけり
雪柳対岸に崖ばかりなり
いくたびも形くづさず春の雁
春雨や人地に足をつけ歩く
山脈の頂ばかり遠霞
暗闇の端にふれたる春月夜
風や音途切れて春の眠りかな
枝先を切られし先に囀れり
れんげ草小さき炎立ちにけり
春更けて空の青さのあきらかに
葉の陰にかくるる亀の鳴きにけり
春暮れて木の影黒く残りたり
水紋の岸まで届く夏隣
遠足の休憩地なる関所跡
風船の我が身を空へかへしをり
機関車の煙のこりし代田寒
谷川の流れとなりて今朝の夏
菖蒲湯を肩より浴びてゐたりけり
足首に青きかざりや風薫る
笹粽まとめて縦に置きにけり
奥州の深き谷間の夏炉かな
田植機に乗りても田植笠被り
塩の結晶すこし見えたり豆の飯
大木の林に夜の新樹かな
萍の一枚たりともかさならず
蔦茂り雨粒弾みゐたりけり
石垣に苺の枝の長かりし
雲上の杯のごと朴の花
麦飯の破線いくつも折れまがり
夏掛のはなちてはまたひきよせり
●
Posted by wh at 0:05 3 comments
Labels: 2010角川俳句賞落選展, 五十嵐義知, 落選展


