【週俳5月の俳句を読む】
舞台狭しと
菊田一平
晩春のなにかと燃える千葉雅也 川島健佑
いいなあ、この千葉雅也くん。この句を読んで同級生だったKちゃんのことを懐かしく思いだした。中学生のころ私の出身の島の中学校には卓球部や野球部はあったけれど陸上部というものはなかった。中体連の陸上競技には、既存の部活や、部活に参加していないけれども足の速い者たちが自薦やクラス推薦で出場するのが常だった。出場選手たちは放課後にグラウンドや海岸の砂浜をわずか一週間か十日ぐらい形ばかりの身体慣らしをしてその日を迎えた。
Kちゃんが生徒会長だったある年、100メートル走に出る選手が誰もいなかった。OとかTとか、全校でも圧倒的に足の速い連中がいたのだが彼らは推薦されても首をたてに振らない。学年ごとにクラス会が開かれたが結論がでず、とうとう「俺が出る」と手を挙げたKちゃんが出ることになってしまった。
クラブ活動こそ卓球部だったけれど決してKちゃんは足が速い方ではない。市内のK中学やS中学にはちゃんと陸上部があって、毎日、日課のように手の降りや足のあげ方を練習している連中が出場してくる。案の定、Kちゃんはスタートから離された。それでも大きく手を振り、歯をくいしばって頑張ったが力の差は歴然としていた。
大学生になって、アラン・シリトーの小説を読んだ。確かエルトン君というクロスカントリーだったか陸上競技の選手が主人公の小説だった。ストーリーは忘れてしまったが、足がもつれて地面が膨らむよう感覚に捉えながらも、必死でゴールを目指す主人公の姿に思わずKちゃんの姿を重ね合わせて読んだ。
川島さんの雅也くんの「なにかと燃える」とはちょっと意味合いが違うけれど、Kちゃんも何かと熱く燃える男だった。東日本大震災で島の実家が無くなって島を離れることになってしまった。以来Kちゃんとも会っていない。
フローリングなめらかマイケルジャクソン忌 うにがわえりも
5月の30句の中でも、リズムにおいてこの句のなめらかさに敵う句はない。
歌手のマイケル・ジャクソンが亡くなったのは2009年の6月25日。あまりの唐突な亡くなり方に、マイケルの不眠症に対して主治医が処方していた催眠鎮静剤が不適切だったのではないかと裁判沙汰にまでなった。
それはそれとしてこの句の二物の合わせ方はまことに上手い。「フローリングなめらか」のたった10文字の措辞にムーンウオークで舞台狭しと歌って踊るマイケルの姿を余すところなく伝えている。「マイケルジャクソン忌」の語彙も悪くない。いかにもフットワークがよくて、いささか不謹慎だけれど乗りがいい。惜しむらくは「マイケル・ジャクソン忌」じゃなく、中黒を抜いて「マイケルジャクソン忌」としたこと。字面に少々締まりがなくなってしまった。とは言ってもこの句を嚆矢として上五に詠むひとの想いが存分にこもった「マイケル忌」の句が次々と詠まれてくるだろうと想像すると楽しくなる。
2019-06-23
【週俳5月の俳句を読む】舞台狭しと 菊田一平
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2019-06-16
【週俳5月の俳句を読む】自然の摂理のまま 菊田一平
【週俳5月の俳句を読む】
自然の摂理のまま
菊田一平
角落ちし鹿の眼の澄んでをり 藤本夕衣
角が無くなった後の鹿がどんな表情をしているのか実は知らない。十年ほど前になるけれど奈良公園の鹿の角切りを見るには見た。
幔幕を張り巡らせた会場に勢子に追われた鹿たちが次々と逃げ込んで来て、投げ縄で捉えられては地面にねじ伏せられて行く。三、四人の印半纏を着た人たちに寄ってたかって押さえつけられ、角切りの一連の流れ作業の果てに囲みを解き放たれた鹿たちは戸惑うような仕種を見せながらも一様に仲間たちのいる方へと駆け出して行った。あの鹿たちの目には突然自分の身に起こったことへの驚愕と自由になった不思議さ、あるいは安堵の表情はあるだろうけれども、「澄んでをり」の「澄む」とは距離があるはずだ。
多分、夕衣さんの鹿は強制的に角を切られた鹿ではなく自然と角が抜け落ちた野生の鹿なのだろう。そういえば、おととしの冬、琵琶湖の北の菅浦へ吟行にいった。湖岸の多くの家の物干しの竿掛けが見事な鹿の角だった。だれかが裏の山から拾ってくるらしいよ、と教えてくれたけれど、賤ケ岳につづくあのあたりの鹿たちは自然の摂理のまま角が生えたり落ちたりして歳を経て行くのだろう。結衣さんはまさにそんな鹿たちの目の在りようを素直に詠んでいる。
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2018-03-18
【週俳2月の俳句を読む】本郷と言えば 菊田一平
【週俳2月の俳句を読む】
本郷と言えば
菊田一平
本郷の坂ふつくらと春立ちぬ 堀切克洋
本郷と言えば即座に波郷の〈夜桜やうらわかき月本郷に〉と佐藤鬼房の〈金借りて冬本郷の坂下る〉の句が浮かぶ。それぞれ、春の夜のあたたかさと、冬の夜の寒々とした空気感を感じて好きな句だ。地形的に文京区のあの辺りはゆるやかな台地を形成していて坂がいくつもある。そのてっぺんにある本郷は心理的に皮膚感覚的に季節感をまざまざと感じやすいところなのではないだろうか。掲句の「春立ちぬ」を形容している「ふつくらと」にそんなことを感じながらこの句を読ませていただいた。
春浅し水蛸の白透きとほる 堀切克洋
真蛸と水蛸の違いは脚の付け根を見ればわかる。真蛸は脚の付け根がすっきりしているが、水蛸は脚と脚との間に水搔きのような皮膚が厚く付いている。刺身にしたときこの皮膚の舌触りが嫌いで断然真蛸派だったが、ある時札幌で食べた水蛸の刺身でこの認識が変わった。透き通るほどに脚が白く且つてないほどに美味かった。以来蛸の刺身は水蛸、しかも札幌のそれに限ると思っている。
風邪薬しゃりんと振って残業へ 野口裕
「しやりん」のオノマトペの使い方がとても上手い。あまり薬には詳しくないけれど、この音でこの薬が粉薬だったり顆粒状のものでないことがわかる。多分瓶入りの錠剤かカプセル状のものなのだろう。風邪薬のTVコマーシャルがいくつか思い浮かぶのだが名前が出てこない。それはそれとして、風邪を押しての残業とはまた辛い。現役を離れてだいぶ時間がたつけれど、そんな状態で仕事に戻ったいくつかの状況が、懐かしさとはまた違った想いで思い出されてくる。
鮒去りぬ氷の下の泥煙 野口裕
「氷の下の泥煙」のいい方が簡潔で景がとても鮮明だ。「氷の下の」とはいっても寒の内ではなく立春を過ぎて、そろそろ乗っ込みが始まるころの「薄氷の下の泥煙」なのだろう。鮒の機敏さが春の訪れを巧みに伝えている。
雪靴の試し履きなり雪を踏む 黄土眠兎
先日、何人かの俳句仲間たちと花巻の大沢温泉に吟行に行った。予め雪が多いと情報が入っていたからそれぞれ雪対策をしっかり考えたブーツやスノーシューズで出かけたがSさんだけはその上を行く新品の重装備の長靴のようなの雪靴だった。集合の駅でそれを見たときは唖然としたが、羅須地人協会の跡地でも賢治の下ノ畑でもにこにこしながら膝くらいの丈の雪道に平気で踏み込んで行くのを見てなるほどと思った。案の定Sさんは句会で高得点句を連発。きっと記念に残る吟行だったに違いない。
あたたかや新幹線にコンセント 黄土眠兎
なるほどと感心しながら読ませていただいた。今や誰もがパソコンを持ち歩く時代。新幹線の席にコンセントがあってもおかしくないし、それ以前からきっと電気カミソリ用のコンセントが洗面所に在ったに違いない。しかしそれに誰もが気が付くわけではない。まさに着眼の勝利。「あたたかや」の入り方がなかなかだ。
鯨潜り国境線は地図の上 川嶋健佑
ご存知のように食卓に上がる多くの魚が回遊しながら生きている。生まれた川に成魚となって戻って来るウナギやサケがそうだし、サンマやカツオやマグロがそうだ。とりわけその回遊範囲が広いのがクジラ。餌の発生や繁殖に合わせて地球を大きく回遊しながら生きている。人間が考えた国境線は回遊生物には当てはまらない。調査捕鯨以外の捕鯨が禁止され、生態系が崩れ始めるほどに増えたといわれるクジラたちが、潮を噴き、水しぶきをあげながら回遊する景を思い浮かべた。雄大でワクワクする一句だ。
冬空の下に今上天皇と香香と 川嶋健佑
下五の「香香と」で昭和天皇と納豆の話を思い出しておかしくなってしまった。ある時巡行先で納豆を知った天皇が東京に帰って侍従に「納豆が食べたい」といったらしい。天皇の調理番はしっかりと糸が引く納豆を用意したのだったが毒見のひとたちが「糸を引く腐ったものを陛下に食べさせるわけにはいかない」と湯通しいてしまい、天皇の口に入った時にはただの茹で豆のようになってしまっていた、というのだ。「今上天皇と香香」の場合は話がどんな流れになっていくのだろう。思うに今上天皇が考えた「香香」は、きれいに着色され、味の素の粒が光っている状態なのではなかったろうか。その先の顛末を是非川嶋君に教えていただきたい。もっとも「香香」が「沢庵」のことじゃないといわれればわたしのはやとちりで話はそれまでなのだけれども……。
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2017-11-26
【週俳10月の俳句を読む】コンソメの 菊田一平
【週俳10月の俳句を読む】
コンソメの
菊田一平
つまるところ俳句は「何が何して何とやら」なんだよと言われたことがある。「何が何して」を、全部文字に置き換えていたらとても十七文字では処理しきれない。表せないところをいかに処理していくかが「腕の見せどころ」だ。そのために、俳句には「切れ」と「省略」がある。さらには「二物衝撃のスパークリング」。芭蕉の偉大さは、元禄時代にして現代詩の発想のような「発句はとり合物也(あわせものなり)」といったすごさにある。二十数年前に、句会の二次会で飲みながら聞かされた、遺言のような先輩の言葉を思い出しながら、「週刊俳句10月」掲載分の四人の句を読ませていただいた。
くましでの実や雲を塗る建築家 牟礼 鯨
「雲を塗る建築家」が上手い。朝ドラ「ひよっこ」のイントロで題字の「ひよっこ」の文字に色をかさねていくCGのひと影があつたけれど、そんなことを思い出しながら、この措辞を読んだ。それにしてもどうして建築家ってみな絵が上手いんだろう。Iさんの絵は所属結社の表紙を毎号飾っていたし、Nさんは自宅に絵画教室を開いている。いまや本業が建築士なのか絵の先生なのかわからないほどだ。ホップのようにぼってりと重たい「くましでの実」との取り合わせがなかなかだ。
落鮎の瞳をほどけゆく星座 同
たぶんこの落鮎は牟礼さんが釣り上げたものなのだろう。格闘の果てに釣り上げた鮎が草の上でひと跳ねふた跳ねし、小さく呼吸をくり返しながらしずかになってゆく。星のように輝いていた瞳の光も、ついには細くなってしまった。「ほどけゆく星座」とした比喩も細やかな観察眼もとてもいい。
野分あと歩行者天国にこども 山岸由佳
「歩行者天国」といえば銀座。普段は頻繁に車の往来する銀座通りの真ん中を歩くのは、爽快でありながらもどこか気恥ずかしいところがある。台風一過の晴れわたった青空を背景にした「歩行者天国」。男も女も大人も子どももおおぜいのひとがいるはずなのに、山岸さんは、「歩行者天国にこども」と言いとめた。
キリコの絵の、町なかに人影だけを描いた一枚を見るように不思議な空間が現出した。
花野から戻り拡大鏡に瞳 同
花野から戻って何を見ようと拡大鏡をあてたのだろう。拡大鏡の向こうに現れた「瞳」がパワフルで面白い。
コンソメの匂いの残る良夜かな 上森敦代
定年退職して真っ先に始めたのが料理教室に通うことだった。学生時代から自炊生活をしていたから料理は嫌いではなかったけれど知識や工夫がなかった。「初めての料理」から始めて、半年コースをいくつか受講しながら一年半通った。つくづく感心したのは出汁の大切さと応用力。それはそれとして、上森さんの句。コンソメというとその対極としてポタージュが浮かぶけれど、コンソメは牛肉や鶏肉やその骨などからとったブイヨンに野菜を加えて調理した澄んだスープのこと。ポタージュはフランス料理のスープの総称で、コンソメとは対極のとろみのある濃いスープだ。50代までは断じてポタージュ派だったが、今はコンソメの軽さが捨てがたいと思うようになった。食事のあとの微かに漂うコンソメの匂い。きっと隠し味は軽く垂らした醤油に違いない。今夜あたりやってみようかなと思った。
襖絵の虎が水飲む十三夜 同
「襖絵の虎」で、「日本昔ばなし」の一休さんを思い出した。一休さんのとんちの評判を聞いた殿さまが一休さんに「そこにあるびょうぶのトラをしばりあげてくれぬか」というあれだ。ねじりはちまきをして腕まくりをした一休さんは「それでは、トラをびょうぶから追い出してください」と言って殿さまをぎゃふんと言わせる。一休さんの名声をさらに高めためでたしめでたしで終る話しなのだ。が、本当に虎は襖絵を抜け出したのだと上森さんの句を読んで思った。腰を抜かして動けなくなった一休さんを頭から飲み込み、蹲踞の水を喉を鳴らして美味そうに飲んでいる。まさに十三夜の魔力。想像力をかきたてるとてもシュールな一句だ。
十分にあなたらしくて唐辛子 藤井なお子
唐辛子の句といえば即座に浮かぶのが林翔さんの〈今日も干す昨日の色の唐辛子〉。この上手さには感心したけれど、先月前田弘さんの〈少しだけ擽ってやるとんがらし〉という句に出会ってその俳味に感心した。「唐辛子」は料理の香辛料としてだけではなく、俳人の作句脳をいい具合に刺激する素材だとあらためて感心した。藤井さんの「唐辛子」もなかなか。「あなた」と呼ぶお相手の個性を存分に理解した恋の句になっている。
和服の着かた豊年の歩き方 同
「豊年の歩き方」には驚いた。「雪道の歩き方」や「岩に貼りついている鮑の見分け方」なら講釈を並べることができるけれど「豊年の歩き方」には参った。是非、藤井さんに教えていただきたいと思った。
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2016-10-16
【週俳9月の俳句を読む】菊田一平 結社誌競詠「澤」VS「街」を読んで
【週俳9月の俳句を読む】
結社誌競詠「澤」VS「街」を読んで
菊田一平
これまでにも、総合誌で「俳人どうしの競詠」や「師弟競詠」「夫婦競詠」「親子競詠」などの特集は組まれてきたけれど、寡聞にして、「結社誌競詠」は知らない。一週目の「羊」のテーマから、四週目の「住宅地」に至るまで、次週のをこころ待ちにして読ませていただいた。選抜メンバーの力のこもった競詠は、先鋒・次鋒・中堅を経て大将戦へと至る、柔道や剣道などの団体戦のようにも思えてこころが弾んだ。
●「羊」
池田瑠那(「澤」)
羊刈る羊の首を股挟み
はるか昔のことだけれど近所で羊を飼っていた。季節になると大人たちが、羊の首を股で挟んで横倒しにし、電動バリカンをすべらせては一日掛かりで毛を刈ってゆく。初めこそ抵抗しようとするがそのうち羊たちは観念したように動かなくなる。あるとき大人たちのように羊の首に跨ろうとした。羊は頭で股間を突き上げて必死に逃げようとする。何度やっても上手くいかない。大人たちはいとも簡単に羊を転がしていた。
羊刈る仕上げの鋏しやりと鳴る
この特集の「いきさつ」を読むと、この時期、瑠那さんは豪州旅行をして、ナマの羊さんたちをじっくり観察して来たらしい。「仕上げの鋏しやりと鳴る」がなかなか。鋏の切れ味と、刈るひとの得意満面の顔がまざまざと浮んでくる。
冬魚(「澤」)
破水して羊水腿にぬくし秋
まさか「羊」のテーマで「羊水」が出てくるとは思いもしなかった。まさにボデイブローの一句。というのもこの春、田舎の姪がそうだった。破水して八か月足らずで早産したとは聞いたものの、気の毒でその後の経過をこちらからは聞けない。心配しながらのそんな日がしばらく続いた。この句、「羊水腿にぬくし」の「ぬくし」がとても冷静だ。「ぬくし」と同時に作者の脳裏を去来したはずのもろもろを推測しながらいたたたまれなくなった。
秋風や羊楕円のひとみ持ち
「羊楕円の」といわれて、そうか、楕円だったのかと思ったけれど、漠然と見ていただけだったから形を思い出せなかった。つくづく俳句は断定だなと再認識した。
金丸和代(「街」)
天の川大人の塗り絵の羊たち
「天の川」と「塗り絵の羊たち」との間には大きな隔たりがあるのだけれど、あたかも「羊たちが群れをなして天の川を渡っている一枚の塗り絵」のようにも見えてくる。この7,8年、年を追うごとに「塗り絵」がブームになっている。一見楽しい句だけれど、中七の「大人の」形容の裏に見え隠れする「呆け防止」や「認知症」のことを思うと切なくもある。
白く濃き羊の睫毛葛嵐
たびたび厩舎に行くことがあって馬の睫毛の長さに驚いたことがあるけれど、羊の睫毛をまじまじと見たことはなかった。上五の「白く濃き」と、たたみ込むように続く「羊の睫毛」にいい具合のリズムが生れた。
茸地 寒(「街」)
花野ゆくひつじをとこの被りもの
「ひつじをとこ」といえば村上春樹の『羊をめぐる冒険』。30年前に読んだのでストーリーは忘れてしまった。けれどもこの本のカバーを担当した佐々木マキのイラストは忘れがたい。どこか静謐でモダンな感じがした。佐々木マキは、村上春樹の『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』のカバーも担当したが、これら初期の三部作をモチーフとして、自身、『羊男のクリスマス』という絵本を描いている。茸地さんの句は、まさに被りものを被った羊男がスキップを踏みながら花野をゆく姿そのものだ。羊男の歌声までもが聴こえてくるようだ。
酔いざめの睫毛に白毛ある秋夜
最近とみに眉毛に白いものを見る。そのたびに毛抜きで抜くようにしているのだが睫毛までそうなるとは知らなかった。いやはや・・・。
●「秋服」
井上さち(「街」)
ななかまど母は魔女にも王女にも
小学生のころは無愛想で笑わない子どもだった。恥ずかしい話だけれど、「笑え!」と母に頬をつねられたことが何度もあった。妹も同じ経験があるらしく、「痛くて涙が出るのに笑うなんてできないよ。ほんと悪魔だと思った」と笑う。その母も東日本大震災を経験してから認知症がにわかにすすみ、今では妹の世話なしでは生活が出来ない。起きてから寝るまで、妹の指示に「はい!はい!」と従っている。従うとはいっても裏を返せば母の世話に妹はかしずいているといってもいい過ぎではない。「母は魔女にも王女にも」は言い得て妙だと思った。
秋の海膝に六本指の猫
八咫烏や岡本綺堂の三本足の青蛙(せいあ)をもち出すまでもなく、異形のものたちには神にまつわる不思議さがある。この猫もそう。句の奥から神秘と高貴さがただよってくる。
玉田憲子(「街」)
花薄喪服の尻をてからせて
東日本大震災の津波で多くのひとたちが亡くなった。実家は流失したものの、かろうじて生き残った父と母は着のみ着のままで島を離れた。行方不明者の捜索と同時に、被災地は来る日も来る日も葬儀に追われた。父から喪服が欲しいとメールがあったのはそんな混乱のなかでだった。衣料品や食糧品には意識がいったが喪服にまでは気が及ばなかった。お盆前のあるとき、土葬のまま仮埋葬していたひとを掘り起こして本葬するという父を玄関に見送った。喪服の肘も尻もてかてかに光っていた。
無花果に向き柔道着滴りぬ
高校時代の体育実技は週一回の柔道だった。柔道そのものは好きだったけれど、洗い忘れた道着の汗臭さには閉口した。道着は水道の水を流しながら盥で踏洗いした。この句、無花果の木の傍に干した道着を滴る雫の音が爽快だ。
岡本春水(「澤」)
夜学子やポケット多き作業服
ほんと作業服にはポケットが多い。胸のポケットに折り畳み定規や何本ものボールペンのキャップの先が突き出ているのを工事関係のひとの作業服を見てなるほどとは思うけれど、ズボンの脛のあたりにまでポケットが必要なのかと思ったりもする。どこに何を入れたか分からなくなりはしないのかと思ったりもする。それはそれとしてこの夜学子、作業服のままで机に向かっているというのがじんとくる。
おしろいの実の粉を鼻に通りやんせ
おしろいの実の粉を鼻につけて遊んだ記憶はないけれど、立葵の花弁を鼻につけて鶏の真似をしては遊んだ。「通りやんせ」が効いている。
川又憲次郎(「澤」)
幽霊のをんなの母に似たりけり
谷中の全生庵で見た応挙の幽霊画を思い出した。亡くなった奥さんが夢に現れたのを描いたものらしい。右手をそっと白の重ねの中に入れ、うつむいた切れ長の目が涼しい。「怪談牡丹燈籠」や「真景累ヶ淵」などを書いた三遊亭円朝が寺に寄贈したものだという。川又さんのお母さん似の幽霊はどんな姿・容をしていたのだろう。秘めた母恋の一句だ。
秋風や肩幅に脚ひらき立つ
句またがりの「肩幅に脚ひらき立つ」のリズムがなかなかだ。虚子の「春風や闘志いだきて丘に立つ」の句と対をなすような魅力的な句だ。
●「秋の海」
嶋田恵一(「澤」)
コンティキ号にとびうお落下刺身とす
コンティキ号は、ノルウエーの人類学者・ヘイエルダールが「ポリネシア人の祖先=南米から渡ったアメリカ・インディアン説」を実証するためにペルーからイースター島への数千キロを漂流実験した筏の名前だ。食料はアメリカ軍から提供された軍用食料(缶詰)と1トンの真水が用意されたらしいが、来る日も来る日も缶詰だけでは飽きる。きっと嶋田さんのいうようにバイキングの裔たちはトビウオやカツオなども食べたに違いない。この句、とびうおが「飛び込む」としないで「落下」としたことがコミカルで面白い。
自転車漕ぐわれの頭上を海霧擦過
海霧は山背風(やませ)に乗って海面を這うように迫って来る。そのたび、昼となく夜となく霧笛が鳴り通しに鳴る。この句、「擦過」が上手い。自転車を漕いで海霧から逃げようとする作者がたちまちにのみ込まれてしまいそうだ。
望月とし江(「澤」)
海水に洗ふ俎板雁渡し
小坪港で船をチャーターして手釣(カッタクリ)吟行をしたことがあった。獲物は3、40センチのメジマグロとアジ、サバ。メジマグロは青唐辛子と合わせて叩きにし、サバは刺身に塩を振っただけで食べた。舟敷場の海水で俎板を洗いながら、誰からともなく「こんな美味いサバやマグロの食べ方は初めて!」と声があがった。雁渡しが吹いて水温が下がり始めた今ごろは、鱗が黄金色に光る根付きの大鯖が釣れているはずだ。
スナックに秋鯖提げて来るをとこ
あるある。わたしの島のスナックもそう。サバだけじゃなくイカやカキやホタテだったりもする。夜なのにサングラスで店に入って来たり、カラオケのマイクの小指をぴんと立てていたり。いやはや、誰彼の顔を思い出してしまった。
秦 鈴絵(「街」)
漁夫の田にこつそり秋の海が入る
「漁夫の田」というからには半農半漁の暮らしの田んぼ。畦も田んぼも地なりに曲線を描いて入り組み、面積もそんなに広くなくて多少棚田気味。そこに「こっそり秋の海が入る」というのだ。「こっそり」ならばきっと夜。市原悦子や常田富士男の「日本昔ばなし」の一節のようでもあるし、リズムがなめらかで静かな景であるはずなのにどこか不気味。「こっそり」であったはずの海が読み手のなかで次第に水位を増してくる。添えもののように置いた「秋」の季語が海水の冷たさを感じさせていい具合に効いている。
今日からは秋日の竹でゐてもらふ
なんだか読み手のわたしが「竹」になったようで可笑しくなった。てっぺんにトンボを止まらせた「秋日の竹」もいいじゃないかと思ったりもする。
竹内宗一郎(「街」)
敬老日波をイメージしたダンス
敬老日の波をイメージしたこのダンスはフラダンスのことだと思う。何年か前、忘年句会の余興にフラダンスをやった。フラダンスのハンド・モーション(手の動き)には、ひとつひとつ意味がある。例えば、波(ナル)は、へその高さに上げた両手を前に出し、ひじを曲げながら手のひらでゆっくり波を描いてゆく。そんなことを即席で教わりながら句会のたびに練習した。竹内さんの句に、なかなか流れを覚えられなくてまごまごしていた当日を思い出してしまった。
横須賀の秋乱闘のやうな波
横須賀のイメージはいつも色調がグレイだ。停泊する米軍の艦船や海上自衛隊のイージス艦、潜水艦の色合いが頭にあるからだろう。同様に内海で穏やかなはずなのにいつも港に小さな三角波が立っているような気がする。それも軍港のイメージが頭のなかにあるからだろう。「乱闘のやうな波」は、まさに横須賀の波の本質を突いている。
●「住宅地」
今井 聖(「街」)
かなかなを詰めてオレンジ色の雲
かなかな蟬は日の出とともに鳴きだし、日没とともに鳴き止む。上五の「かなかなを」には「声」が省略されている。かなかなの声の終りは潮が引くように日没の空に同化してゆく。雲のオレンジ色の輝きは集約されたかなかな蟬の声の余韻なのかもしれない。
笑はない家族九月の砂の上
鳥取砂丘を舞台にして写真を撮り続けた植田正治の「砂丘シリーズ」を思い出した。植田正治は生身の人物をオブジェのように砂丘に配置しながら、巧みに抽象的な異空間を作り出している。この抽象性は偶然のものではなく完璧な計算の上で出来上がっている。そう考えながらこの句を読み直すと、「家族」に掛る「笑はない」は、読み手に「負」のイメージを印象付ける作者の計算、「九月」は「夏」の明るさを抑える、逆の意味でのレフ板の役目をしているともいえる。そういえば今井さんも確か鳥取のご出身。写真家・植田正治への俳人・今井聖のオマージュの一句なのかもしれない。
小澤 實(「澤」)
住宅地かつては森ぞ虫のこゑ
ここ三十数年の家の周りの変遷を思い出しながら読ませていただいた。越してきたころは、武蔵野の面影を残す雑木林に囲まれ、都心から戻ると木々の葉の呼吸で空気が冷んやりとした。林の中の大きな辛夷はゆたかに花を咲かせ、山栗の木は地面いっぱいに実をこぼした。時とともに伐採がすすみ、宅地や駐車場へと変わってしまった。それでもこの夏、わずかに残ったクヌギ林でタマムシの死骸を見つけた。あまりのきれいさに手のひらに乗せてしばらく見入った。
爺ひとり住まひ新酒をコップに酌む
破調のことばの隅々から男の孤独と自嘲が伝わってくる。白毛を一本残した喉仏の動きが見え、とんと卓に置いたコップの音がかすかに聞える。
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2014-05-18
【週俳4月の俳句を読む】菊田一平 春の焚火を七つ見て
【週俳4月の俳句を読む】
春の焚火を七つ見て
菊田一平
土よりもすこしあかるく雉あゆむ 川嶋一美
こどものころ、絵本や図鑑で見る鳥のオスがメスよりはるかにきれいなのが不思議だった。思えばそもそもの初めは雉。桃山建築の欄間のようなオスの色あいはまさしく絢爛で華麗。それに比べるとメスの地味さはとても同じ雉だとは想像もできない。そのメスの茶褐色の色合いを作者は「土よりもすこし明るく」と見た。この向日性のフレーズがとてもいい。
一片のはなびら明日切る髪に 近 恵
明日切る髪にひとひらの花びらがとまったという。たぶんそれは伸びてきたから切るという日常の単純な行為ではない。作者は髪を切って何かを吹っ切ろうとしているに違いない。読み手に句の裏のそんな事情を推測させるドラマチックな一句だ。
栃木かな春の焚火を七つ見て 西村麒麟
栃木にて春蘭の二三日 同
恥ずかしながら、栃木ということばに日光の東照宮と中禅寺湖と男体山が真っ先に浮かび、ややあって江川卓を輩出した作新学院と宇都宮の餃子がくる。わたしの栃木との係わりは修学旅行と野球と食べ物。極めて貧しい。けれども作者は焚火を七つも見て春の栃木へと行った。しかもそこで二三日を過ごしたという。作者と栃木との係わりの程度を知らないけれどきっと春の栃木には作者向きの句材がごろごろ転がっているに違いない。
花吹雪から卵焼き守りけり 野口る理
今年の東京の桜は咲き初めに雨にあって色が薄いかなと思いもしたが、三日、四日と経つうちに本来の色合いを取り戻してきて何回かいい花見をさせてもらった。そんな花見のひとつに「各自料理を一品持参すること」というのがあった。いやあこの卵焼きは美味しそう。きっと作者の得意料理。「花吹雪から守る」のフレーズに特定の誰かに見せたい、食べさせたいという思いが存分にこもっている。素敵な恋の句だ。
角伐りの烏帽子がやけに眩しくて 曽根 毅
何年か前に奈良に角伐りを見に行った。投げ縄は西部劇のカウボーイの特技だとばかり思っていたら、そうじゃなかった。柵の中に追い込んだ鹿の角をめがけて縄を投げ、見事に引きずり倒すのだ。静止しているのさえ至難の技なのに角を振り乱して逃げ回る鹿を相手にするなんてもう神業。作者ならずとも、引き倒されて観念した鹿に引導を渡すように鋸を手にする烏帽子のひとがやけに眩しく見えた。
水温むピエロはいつも泣いている 山本たくや
「新明解国語辞典」略して「新解さん」で「ピエロ」を引いてみた。曰く「ヨーロッパの喜劇・サーカスなどで道化役。自分の本心・感情を抑えて、表面、はなやかに踊らせられる者の意にも用いられる」。ほんとピエロはいつも泣いている。切ない一句だ。
音響に設計図あり八重桜 仮屋賢一
あるところで飲んでいたら「信号を設計」するひとというのに出会ったことがあった。「信号を設計」するというから「信号機」を作るひとかと思ったら、通りや街角に信号機を据える時、前後の信号機や交通量を計算して信号の作動を的確にするシステムを作るのだという。自信作は、どこどこのどの交差点と設計図まで出して説明してくれたがチンプンカンプン。ふむふむ音響の設計図。これもなかなか難しそうだ。
電球のかたちを濡らす春の雨 木田智美
「電球のかたちを濡らす」のかなり省略の効いた表現が、読み手に解ったような解らないような不安感を与えるけれど、この、ぼーっとしたいい回しも悪くない。暗い所で何かを見るとき、目線を集中させるよりも目の端でとらえるとより正しく姿が浮んでくるように、電球の質感と在りようが解ってくるような気がする。とても気になる一句だ。
山笑ふせーのであける恋みくじ 山下舞子
ひと昔前に「みんなで渡れば怖くない」という一世を風靡したギャグがあった。是非はともかく、ある意味人間の本質をついている。それはそれとしてそんな雰囲気のあるこの句「せーのであける」のあっけらかんとした猥雑なことばの斡旋がなかなかだ。「恋みくじ」であればなお更のこと。おみくじの一枚一枚を覗いてみたい気がするほほ笑ましい一句だ。
第363号 2014年4月6日
■川嶋一美 あゆむ 10句 ≫読む
■近 恵 桜さよなら 10句 ≫読む
第364号 2014年4月13日
■西村麒麟 栃木 10句 ≫読む
■野口る理 四月10句 ≫読む
第365号 2014年4月20日
■曾根 毅 陰陽 10句 ≫読む
第366号 2014年4月27日 ふらここ・まるごとプロデュース号
■山本たくや 少年 10句 ≫読む
■仮屋賢一 手紙 10句 ≫読む
■木田智美 さくら、散策 10句 ≫読む
■山下舞子 桜 10句 ≫読む
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2013-05-12
2012-08-12
【週俳7月の俳句を読む】菊田一平 茫々の茂り
【週俳7月の俳句を読む】
茫々の茂り
菊田一平
●下北澤驛前食品市場 栗山 心
改札にスパイス匂ふ夕薄暑
下北澤駅前の夕暮れ時。小田急沿線のこの時間帯に余りなじみはないけれど「スパイス匂ふ」にとても身近なものを感じてわくわくする。多分カレーの香辛料だろうなと一方的に思いながら、ふと句の構造からまだお会いしたことない栗山さんの人柄を想像してみた。この句は「スパイス」と「匂ふ」を入れ替えただけでふたつの作り方が出来る。
A.改札にスパイス匂ふ夕薄暑
B.改札に匂ふスパイス夕薄暑
Aは栗山さんの詠んだ一物仕立て。Bは二物衝撃。並べて比べていると、Aにはその土地に対する愛着のようなものが感じられる。多分栗山さんはこの下北澤あたりにお住みになり、それ相当の愛着があるんだろうな。年にほんの数回、落語を聞きにいくだけのわたしのようなよそ者だときっとBの二物衝撃。どうしてもどきどき感が先にたってしまう。
●光(かげ) 小池康生
京都にもすこし慣れたるすべりひゆ
「光」を「かげ」と読ませるタイトルとこの句を読みながら唐突に歌手の藤圭子を思い浮かべた。「京都育ちが博多に慣れて~」と歌った藤圭子。そう、宇多田ヒカルのお母さんの藤圭子だ。宇多田ヒカルがはなばなしくデビューしたとき、あの幸薄い歌詞を淡々と無表情に歌っていた藤圭子の娘だとはにわかには信じられなかった。歌も、振りも、乗りもまったく対照的だと思われた。
話は飛ぶけれど、好きな作家に沢木耕太郎さんがいる。『一瞬の夏』や『テルロの決算』『深夜特急』などの優れたルポルタージュをいくつも書いているが、なかでもその初期のころに書いた『若き実力者たち』の、小沢征爾や市川海老蔵、唐十郎、山田洋次などの実像に迫っていく人物ノンフィクションには目を見張った。その沢木さんが一時期藤圭子に密着して、その光と影を書こうとしていたと聞いたことがあった。ずっと未完のままだけれどどうなっているのだろう。宇多田ヒカルの誕生もあいまって、どう彼の筆に成ったのか読んでみたい気がする。
●水を飲む 生駒大祐
噴水の止む間に見ゆる木立かな
亡くなった鈴木真砂女さんは、「朝からステーキを食べるのもわるくない」といっていたけれど、あの五尺に満たない38キロの体でほんと大変な健啖家だった。伊豆の三島に蛍見にご一緒したとき、名物のうな重をぺろりと平らげてまわりのひとたちを啞然とさせたあのときは確か87歳。梅原龍三郎も大皿に盛ったうなぎの蒲焼を、箸を使わず「獅子食い」と称して覆い被さるようにして食べたらしい。斉藤茂吉にいたっては、ご子息の見合いの席で、相手の女性が手をつけないでいるうな重を見て、「食べないならそれもいただく」と遠慮会釈なく食べてしまったという。いやはや長生きするひとは常人とはどこか違う。そう考えるとその作品もパワフルで勢いがある。
と、前振りが長くなってしまったが、最近ドクターストップで菜食主義に変じた草食系のわたしとしては、パワフルさが前面に出た作品よりも生駒さんの句のような繊細な表現にとても惹かれる。噴水が止んで向こうの木立が見えると同時になおも空中に浮遊している水の粒にプリズムのように日の光があたっているのだ。この十七文字の奥に隠れた繊細さがとてもいい。
●もようがえ 御中虫
すぺーすすぺーすだいじなものはなにもない
せんぞのはかはたぶんもえないごみだろう
この8月に気仙沼に帰省した。行くたびに瓦礫の山が小さくなり、丁寧に種わけされて片付いてきている。瓦礫が山になっていたときはあらゆる生活物の腐敗した匂いと港町特有の魚の腐臭、さらにはそれに続く蝿の大量発生がひどかったが今はそれも嘘のように消えた。地元のひとたちやボランティアのひとたちの尽力のなみなみならぬおかげと感謝している。
生家があった集落は以前の状態がどんなだったかを思い描くのが困難なくらいに茫々の茂りとなっている。それでも夏蓬を分け入ると、家々のコンクリートの土台がむき出しのまま残っている。このあたりが茶の間、このあたりが居間、廊下をへだてたここが祖母の寝起きしていた仏間。風呂場の手前は母が食事をつくった台所、小さく離れた土台は父の書斎、と記憶が生々しくよみがえる。本当に大事なものはなんだったんだろう。ここが一番安全だとばかりに家を離れなかったり、位牌や通帳を取りに引き返したために波にまれて何人ものひとたちが亡くなった。一面の茂りとその上に広がる夏の空を見ながら、かつて確実にあった営みの儚さを思って切なくなってしまった。
第271号
■栗山 心 下北澤驛前食品市場 10句 ≫読む
第272号
■生駒大祐 水を飲む 100句(西原天気撰) ≫読む
第274号
■小池康生 光(かげ) 10句 ≫読む
第275号
■御中虫 もようがえ 10句 ≫読む
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2011-10-09
〔週俳9月の俳句を読む〕菊田一平 ちよいと居待ちよ
〔週俳9月の俳句を読む〕
ちよいと居待ちよ
菊田一平
新秋の蛇口に映る顔長し 藤崎幸恵
この句を読みながら絵本作家の長新太さんのことが頭に浮かんできた。ただたんに下五の「顔長し」と長新太さんの苗字の「長」つながりからだろうけれども、そういえば写真で見る長新太さんの顔もとっても長かった。それはそれとして、この蛇口に映るのはきっと藤崎さん本人の顔に違いない。なにかの瞬間に蛇口に映る自分の顔に気がついた。近づくと歪みながら長く伸びる。あれれ!こんなに長かったかなと思いながらも二度、三度と蛇口に顔を近づけてみる。そんな行為自体がとてもユーモラスで俳味がある。
新涼の柵より遠く駝鳥二羽 岡田由季
恥ずかしい話だがこの齢まで本物の駝鳥を見たことがない。そういえばいつか富士の裾野の駝鳥の放し飼いを土曜の朝のTVの旅番組が放送していた。目がくりくりっとしてやたらと鼻の穴が大きい。往年のバイプレイヤーの藤原鎌足か詩人の金子光晴に似ていると思った。その駝鳥が群れを離れて柵の遠くにいる。中七の「柵より遠く」が景に奥域を与えると同時に駝鳥の所在無さを見事に表している。云うまでもなくこの所在無さは作者のこころの在りようでもある。「駝鳥二羽」の「二羽」が泣かせる。
あら今宵ちよいと居待よ俥屋さん 佐山哲郎
言わずと知れた美空ひばりの「車屋さん」の歌詞の本歌取りだ。作詞・作曲は米山正夫。もう亡くなって20数年たっているので米山正夫といっても知らないひとが多いけれど、「リンゴ追分」「津軽のふるさと」「長崎の蝶々さん」などひばりの初期の曲をずいぶん手がけた。今も流れているヤンマーのCM「ヤン坊マー坊の天気予報」の作曲も米山正夫だ。ちなみに「車屋さん」は、「ちょいとお待ちよ車屋さん お前見込んでたのみがござんすこの手紙・・・」と、のりのいいアップテンポで入って途中でぐっと渋みを効かせる粋でいなせないい曲だ。「ちょいとお待ちよ」が「ちよいと居待ちよ」とさりげない本歌取りになった。そういえば先日出版された佐山さんの『娑婆娑婆』は評判らしい。すでに3刷まで行ったと聞く。「逝く春を交尾の人と惜しみける」にははまった。
菜間引きし手と手に手と手子規暇な 井口吾郎
いったいこのひとの頭の中はどんな構造になっているのだろう。普通に詠んでさえそれこそ類句類想駄句の山。イチローでさえ10本に3本か4本しかヒットを打てないんだぜ。松井にいたっては3本。おかど違いの日本人大リーガーの打率を引き合いにして自分をなぐさめているぼくとしては、いとも涼しく安打製造機のように回文俳句をものする技にはひたすら脱帽だ。もはや人智を超えている。「手と手に手と手」なんていわれちゃあ子規も黙るしかない。間引いた菜っ葉を後ろ手にして「暇じゃなかよ」とうつむいて顔を赤らめるしかない。
入らぬと決めたる墓を洗ひけり 嵯峨根鈴子
3月の大震災で集落が崩壊して何もかも流されてしまった。先祖の位牌も長押に飾っていた祖父や祖母の遺影もなにひとつ見つからなかった。菩提寺に累代の墓がぽつんとひとつ残ったのみ。繋がっていると思っていたふるさとに繋がるものがものの見事に無くなった。鴉の糞がこびりついた墓石を洗いながら柄にもなくしみじみとしていると、おなじ思いで墓を洗っているひとたちが墓地のそこここにいた。嵯峨根さんの句の趣旨とはちょっとずれた読みになってしまったが句に触発されてふっとこの夏のお盆の帰省のことを思い出してしまった。
わたあめのごとき眠気よ芒原 赤羽根めぐみ
この夏は日本が亜熱帯になったんじゃないかと思うほどの暑さが続いてほとんどのひとが寝不足になってしまった。秋になってもおなじでこれじゃ冬なんて来ないんじゃないかと思っていたら、お彼岸と同時にきっぱりと秋が来た。子規のお母さんの言をまつまでもなく「暑さ寒さも彼岸まで」は蓋し名言。春眠ならぬ秋眠も暁を覚えずということらしい。赤羽根さんの「わたあめのごとき眠気」はとても上手い。「芒原」との取り合わせもなるほどとうならせる。
第228号2011年9月4日
■藤崎幸恵 天の川 10句 ≫読む
第230号2011年9月18日
■岡田由季 役 目 10句 ≫読む
■佐山哲郎 月姿態連絡乞ふ 10句 ≫読む
■井口吾郎 回文子規十一句 ≫読む
第231号2011年9月25日
■嵯峨根鈴子 死 角 10句 ≫読む
■赤羽根めぐみ 猫になる 10句 ≫読む
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2011-06-12
【週俳5月の俳句を読む】菊田一平 スタスタぺたぺた
【週俳5月の俳句を読む】
スタスタぺたぺた
菊田一平
ぶらんこにきて上履きと気づきけり 今村 豊
はるかはるか昔の話で恐縮だけれど、小学生になったばかりのころの上履きは「草履」だった。稲わらや麦わらで編んだあの草履だ。今は観光地の民芸品店なんかで売られたりしているけれど、そのころはどこの家でも祖父や祖母たちが夜なべ仕事に編んでいた。
だからだれも草履をはくのを不思議ともなんとも思わなかった。草履を入れる袋は母が縫った。算数セットの計数器を入れる袋のような、チューリップのアップリケの付いた紐付きの袋だ。それを「草履入れ」と呼んでいた。
草履をはいて木造の校舎の廊下を歩くとスタスタぺたぺた音がした。給食室に渡り廊下を渡って脱脂粉乳を取りに行くときもスタスタぺたぺた。便所への行き返りもスタスタぺたぺた。学校中がスタスタぺたぺたしていた。
休み時間になるとスタスタぺたぺた歩くともだちの草履のうしろを踏んではこけるのをみて手を叩いて喜んだ。油断していると同じように踏み返される。不意打ちを食らった悔しさに、笑いながら逃げるともだちを夢中で追いかけた。他愛ないそんなやり取りを「草履踏み」といった。
草履がすたれてバレーシューズのようなズック靴の上履きになったのはいつのことだったろう。はっきりしないけれど、チリ地震津波以降。たぶん小学校の三年生か四年生あたりのことだったに違いない。
祖父ゆずりの甲高盤広の不恰好な足には上履きのゴムのバンドがきつかった。脱ぐと足の甲にゴムの痕が赤い帯のようにくっきりと残った。草履と違って動きが活発になったけれど上履きって痒いもんだなあと思った記憶がかすかに残っている。
ぶらんこにきて上履きと気づきけり
そう。草履よりはるかに動きが活発になったから上履きのまま校舎を飛び出してしまうことがたびたびあった。今村さんもたぶんチャイムが鳴ると同時にぶらんこや遊動木や竹のぼりにまっしぐらに走った口だったんだろうな。恥ずかしいけれどぼくも同じだった。上履きのままで猛然と校庭へダッシュした。
ぼくたちの小学校のぶらんこは右と左の鎖の長さが微妙に違っていて、漕ぐときしきしきしみながらやや右に回転しながら揺れていくのだった。いやあ、懐かしさに背筋がぞくぞくする。まさかあのぶらんこもう残ってないだろうなあ。
みすヾの忌すずめの交尾目のあたり 白井健介
鳥跳ねて李の香る奈良や京 花尻万博
東京はソフトクリームから溶けて 高崎義邦
第210号 2011年5月1日
■今村 豊 渡り廊下 10句 ≫読む
第211号 2011年5月8日
■白井健介 フクシマ忌 10句 ≫読む
第212号 2011年5月15日
■花尻万博 南紀 10句 ≫読む
第213号 2011年5月22日
■高崎義邦 ノンジャンル 10句 ≫読む
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2011-01-30
2009-10-11
2009-03-22
2008-10-19
〔週俳9月の俳句を読む〕菊田一平 タイトル考 光って立つ言葉 〔後篇〕
〔週俳9月の俳句を読む〕菊田一平
タイトル考 …光って立つ言葉 〔後篇〕
池田澄子「よし分った」
よし分った君はつくつく法師である
池田澄子さんのタイトル命名句の「よし分かった」は可笑しい。聞く方は「なんでそんなにむきになるんだろう」と思い、言う方は「こんな簡単なことがどうして分かんないんだ」といらだつ。そのかみ合わなかったものが氷解した。「分かった」と納得するまでには相当の紆余曲折があったはずだ。「よし分かった」と肯く聞き手もさることながら、「やっと納得してもらった」とほっとするもう一方の安堵の表情が手に取るよう伝わってくる。
我が身に置き換えると、30年間のサラリーマン生活で「よし分かった」と太っ腹で理解力のある上司が欲しいと何度思ったことか・・・。「よし分ったきみはつくつく法師である」。いいなあ、この頼もしさ。いやこの作りのシンプルさ。耳に心地よく、一読で記憶してしまった。
命知らずね底紅の底の蟻
沢たまきさんはまだご存命なのだろうか。ラジオの深夜放送で「ベッドでたばこを吸わないで」をはじめて聴いたときはしびれた。ささやくようなハスキーな声で「髪をほどいた首すじに なぜか煙がくすぐったいわ ベッドでたばこを・・・」とけだるそうに唄うのを聴きながら、「煙がくすぐったい」とはすごい、これがおとなの恋なんだ、と覚えたばかりのたばこをたてつづけにふかしては感心した。8本も吸ったものだから、ハイライトの煙がもやっと部屋中にこもり、ついには頭がふらふらして蒲団に突っ伏したまま記憶を失った。高校2年のときだった。
「命知らずね」の句はTVの「プレイガール」のオネエ役だった沢たまきさんを思い出させる。戸川昌子、緑魔子、桑原幸子、范文雀、大信田礼子、宮園純子など、いずれおとらぬ恋のテクニシャンの頂点にいて、酸いも甘いも噛み分けた存在の確かさをかもし出していた。
さて、掲句。中七から句またがりでつづく「底紅の底の蟻」の表記がいかにも澄子さんが微笑みながら「其処(そこ)の蟻」と呼びかけているようにも読めてユーモラス。それにしても「命知らず」ね、とくすぐるようにささやきかける目線の高さが悩ましい。池田澄子は俳壇の沢たまきか?「底紅」の「紅」の赤さが効いている。
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武井清子「笹山」
笹山は露に埋れてゐたりけり
笹山といわれてすぐに思い出すのは、小石川後楽園の笹山だ。後楽園は、園内に梅林や菖蒲田、藤棚、蓮池を配した回遊式築山泉水庭園で田んぼまである。入口を入ってすぐ左の蓮池の奥の築山が笹山。中国の慮山に似ていることから儒者の林羅山が「小慮山」と銘々したらしい。笹山とはいっても生えているのは豊後笹(ブンゴザサ)という日本独特の小型の竹らしく、高さが1~2mぐらいにしかならない。酉の市のときにお多福の面や紙の小判を吊るしたので阿亀笹(オカメザサ)ともいうらしい。
後楽園にいくたび、春夏秋冬の蓮池の向うのこの笹山を詠みたいと何度も挑戦してきたがなかなかまとまらないでいた。武井さんの「笹山」は「露」と取り合わせただけのいたってシンプルなつくり。花札の一枚に加えたいようなすっきりした仕立てが好もしい。
地にふれて草にしづみて秋の蝶
「て」「て」の繰り返しで「地にふれ」「草にしづみ」、また「地にふれ」「草にしづみ」する蝶のありようを巧みにすくいとっている。よく漫画家の佃公彦さんが蝶の飛翔の軌跡を点線を使って表現するけれど、まさに俳句版「蝶の飛翔の軌跡」。「秋の蝶」の「秋」が動かない。
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さいばら天気「チェ・ゲバラ」
つばめむかしへ帰るチェ・ゲバラの忌
学生時代はまさに大学紛争の真っ只中にあった。授業料の値上げ反対、沖縄返還、ベトナム戦争反対。そこここに立て看板が立ち並び、拡声器のひび割れたアジ演説の声が建物に反響して構内に満ちていた。授業はたびたび集会に変わり、ついにはセクトに建物が占領されて休講が3ヶ月にも4ヶ月にも渡った。卒業式もなし。事務室に各自が卒業証書を取りにいくだけの事務手続きで大学を卒業した。
渡邉クンはサイダー壜の底のような厚い丸眼鏡をかけ、いつも紺の人民服を着て紺の人民帽をかぶっていた。肩掛けのカバンから手ずれした資本論を取り出し、一字一字鉛筆で消しながら読んでいた。高橋クンはクラスでつくった野球チームで唯一の甲子園経験者だった。甲子園経験者だという割には守備のときの腰が高く、サードに飛んだ打球をたびたびトンネルするので口の悪い安部クンは、「スタンドから声上げていただけだろう」としばしば揶揄していた。
チェ・ゲバラは1928年6月14日にアルゼンチンで生まれた。本名はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。ブエノスアイレス大学の医学生のときラテンアメリカを放浪してラテンアメリカの貧困打破の意識に目覚め、フィデル・カストロとともにキューバ革命の立役者になる。「チェ」は、呼びかけのことばの「ねぇ君」の意。1967年10月9日にボリビアで死んでいる。
天気さんの「つばめむかしへ帰る」を一読したとき、上五から中七への入りかたが唐突とも思えて戸惑った。ところがくり返し読んでいくと、この武骨とも思える唐突さがあたかもきりきりとゼンマイを巻きしぼるように記憶を過去の一点に収斂させていく役割を果たしているように思えてきた。
大学を卒業して30年以上が経つ。最後に高橋クンと会ったのがいつだったか全く記憶にない。渡邉クンもそうだ。消息も聞こえてこない。けれども高橋クンの着ていたTシャツがチェ・ゲバラのポートレートだったことを今でもまぶしく覚えている。
アンメルツヨコヨコ銀河から微風
いいなあこの爽快感。アンメルツの横向きに進化した容器の球の先からにじみ出る爽やかな液体。この句を読んでいるだけで疲れがとれていきそう。銀河からの微風が心地いい。
■ 桑原三郎 ポスターに雨 10句 →読む■ 中村十朗 家に帰ろう 10句 →読む■ 池田澄子 よし分った 10句 →読む■ 武井清子 笹山 10句 →読む■ さいばら天気 チェ・ゲバラ 10句 →読む
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2008-10-12
〔週俳9月の俳句を読む〕菊田一平 光って立つ言葉〔前篇〕
〔週俳9月の俳句を読む〕菊田一平
タイトル考 …光って立つ言葉 〔前篇〕
俳句を始めてすぐに入会した会では2、3句欄から先に進むと掲載句にタイトルがついた。巻末の綴じ込みはがきで投句した6句から主宰が5句抜き、タイトルをつけて掲載された。タイトルつきの句が掲載された号を手にしたときは嬉しかった。タイトルがついただけで、拙句がいかにも作品という表情をかもしだす。タイトルの効果につくづく感心した。
タイトルのつけ方が上手い作家に山本周五郎がいる。「さぶ」「ちゃん」「あだこ」「ちいさこべ」「やぶからし」「落葉の隣り」「その木戸を通って」「つゆのひぬま」……思い出すだけでぞくぞくする。
小説やエッセイのタイトルと違って俳句は掲載句のなかの「光って立つ」言葉を選んでタイトルとするのが一般的だ。毎月の掲載誌を読みながら主宰のタイトルのつけ方にはパターンがあることに気がついた。ひとつは掲載された5句のうちで最も出来のいい句からとられている場合。もうひとつはほどよく作者の個性がでている句からとたれている場合。このふたつだ。
初めて自分でタイトルをつけたのは、その会の新人賞に応募したときだった。はるか昔のことなので20句の通しタイトルをなんとつけたかは覚えていない。けれども20句全体を見渡すような、それでいて山本周五郎のように簡潔で個性的なものにしたいという気負いだけはあった。
以来、自作を発表したり、総合誌の賞に応募するたびにタイトルには頭を悩ました。けれどもそれでいてこの作業はなぜか楽しい。多分、ひとりわたくしだけではなく、誰しもが経験していることに違いない。
だからどうだというわけではないけれど、「週俳9月を読む」は作者が拠ったタイトル命名の句とわたしが魅かれた句に注目してみた。
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桑原三郎「ポスターに雨」
地芝居のポスターに雨横なぐり
「地芝居」のポスターというからには多分主催者側の作製した手描きのポスターに違いない。例えば中央に墨文字で「小鹿野歌舞伎」と大書してあり、やや小さく日時と場所、演目が続いている。時おり、風にあおられた横なぐりの雨が、激しい音をたててポスターに吹き付け、雨に濡れたポスターの墨文字がかすかに滲んでいる。作者はこの横なぐりの雨を「ポスターに雨横なぐり」と簡潔に表現した。「に」の巧みな使い方と「横なぐり」で止めた歯切れのよさが台風一過の青空を予感させる。掲句の奥から芝居の開始を告げる昼花火が、秋空高く鳴り渡る音が聴こえてくる。
平成永し芋蔓にいもの花咲き
昭和天皇が下血したと報じられてから亡くなられるまでの半年間はいつもぴりぴりしていた。その頃広告部の内勤をやっていて担当雑誌を持っていた。天皇陛下崩御の場合、広告主は喪に服し、一定期間TV、新聞、雑誌等への広告掲載を自粛する約束になっていた。あらかじめ代替の広告の用意はしているもののその瞬間の見極めを誤ってはならない。週末になるとしばしば仮眠室に泊り込んだ。新しい年号は「平成」に決まったと小渕幹事長が重々しく発表するのを見ながら、「昭和」に馴染んだ身にはなんとなく薄っぺらな命名のようにも思えた。その「平成」もすでに20年。「いもの花」がどんな花か知らない。が、夕顔やとろろ葵のように、淡くてはかなげ花なのではないかと想像する。その質感と「平成永し」の作者の感慨がたゆたうように溶け合っている。
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中村十朗「家に帰ろう」
家に帰ろう桃が腐つているよ
程度の差こそあれ男はみんなマザコンだ。が、十朗さんほどお母さんに慕情を抱きつづけているひとはまずいない。
「おふくろはさあ」と、彼の愚痴っぽい話を聞いたのは、第一句集『荒川くん』が出たすぐあとのことだった。「若いとき大部屋女優で苦労して……、オヤジで苦労して……、兄弟みんな出来が悪いからこどもで苦労して……」。句集の中の「耳遠き母にポインセチアと告ぐ」を引きながら、「十朗さんはいつまでもお母さんと居られて幸せだ」とでもわたしがまぜっかえすようにいったのかもしれない。「この句集だっておふくろに喜んでもらいたいから出したんだよ。他にたいした事できるわけでもないし……休みにどこかに連れて行ったり、こんなことでしかおふくろを喜ばせることはできないんだよ」。酔いに任せて互いにいいたい放題をいったり、いい淀んだ話も、酒が覚めたらもうあらかたは忘れてしまった。
そのお母さんを見たのは亡くなった通夜の席の祭壇に飾られた遺影の写真だった。若い頃女優だったというだけあってわたしが知る限りの誰の母親よりも品があってきれいだった。「ああ、このお母さんならなあ」遺影に手を合わせながら得心するところがあった。
「桃」の句は、お母さんとの過去の実景に違いない。なにかの事情があって家を出たお母さんが、十朗さんを連れたまま夜になっても家に帰ろうとしない。不安になって「おかあさん」と呼びかけ、「おうちにかえろう」と泣きべそをかいたその日の記憶をそのまま句にしたのではないだろうか。帰ろう、という理由付けは「桃が腐る」でなくてもいいのだ。「カナリア」でも「金魚に餌をやらなければ」でも……突き放したようなつっけんどんな言葉の裏に、十朗さんの泣き出したいような「苛立ち」と「不安」をひしひしと感じとることができる。
星飛んでアトムの親は二十世紀
TVの出現は昭和のこどもたちにとって科学の最先端のできごとに思えるほどの驚異だった。それ以前の娯楽の主流は月刊のまんが誌。思い出すだけでも「日の丸」「少年」「ぼくら」「冒険王」「漫画王」「野球少年」「少年画報」と浮かんできてこの他にもいくつかあった。「鉄腕アトム」は光文社の「少年」に連載されていた。けれども「少年」で「鉄腕アトム」読んだ記憶はおぼろだ。「鉄腕アトム」の人気が爆発的に上昇したのはTVアニメ化されて谷川俊太郎の作詞した主題歌とともにお茶の間に流れてからだった。雑誌と映像のふたつのメディアがミックスした最大の産物が「鉄腕アトム」。「アトム」こそ科学の時代の二十世紀が生み出した最大のヒーローだった。と同時に、二十世紀は十朗さんが十朗たり得て最も輝いていた時期でもあった。
あれから空をたくさんの星が飛んで、時代はすでに二十一世紀に突入している。
■ 桑原三郎 ポスターに雨 10句 →読む■ 中村十朗 家に帰ろう 10句 →読む■ 池田澄子 よし分った 10句 →読む■ 武井清子 笹山 10句 →読む■ さいばら天気 チェ・ゲバラ 10句 →読む
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2008-05-18
2008-02-10
【週俳1月の俳句を読む】菊田一平
【週俳1月の俳句を読む】
このチープな日常性こそ
菊田一平
父という絶海にいて年の酒 斉田 仁
自由な時間が持てるようになったら車でルート66を走りたい、ただそれだけの理由で数年前、自動車免許をとった。
交付されたばかりの免許書を家族に見せると、大学を卒業したばかりの長男が「おめでとう」といった後、やや間をおいて「おれがこどもの頃に免許持っていたら父さんを見る目が変わっていたと思うよ」とつぶやいた。
そういえば保育園に通っていたころ、車で送り迎えされる園児たちがうらやましいらしく「うちでも車買おうよ」とねだられたことがあった。「お父さん免許持ってないから車運転できないんだよ」と応えると、「所沢のデパートで免許買ってきて」と不満そうに口を尖らせた。
句会や吟行が面白くて長年にわたって家族サービスをおろそかにしていた。好むと好まざるとにかかわらず、「父という絶海」に身を置いてしまっている私に斉田仁さんの新年詠がボディブローのように効いた。
最果ての地にも蒲団の干されけり 青山茂根
いっ時、照れくさくて「港町ブルース」が歌えなかった。「背のびして見る海峡を…」から始まって二番、「流す涙で割る酒はだました男の味がする あなたの影をひきずりながら 港 宮古 釜石 気仙沼」とつづく。森進一は、体を揺すぶりながら「気仙沼」を「け~せえ、んん、ぬうまあ~」と想い入れたっぷりに歌う。故郷の気仙沼が歌になり、「流す涙で割る酒」「だました男の味」、そんな風に歌われるのが、なにかこそばゆくてチープに思われたからだ。ところがある時枕崎で飲んでいたら有線放送からこの歌が流れてきた。「女心の残り火は燃えて身をやく桜島 ここは鹿児島旅路の果か 港 港町ブルースよ」窓の外は東シナ海につづく枕崎の海。まさに旅路の果だった。グラスを口に運ぶ手を止めて聞き入った。以来、「港町ブルース」に向き合う姿勢が変った。
さて、青山茂根さんの掲句。この「最果ての地」は「北」に違いない。オホーツクの海風に曝されて木目の浮き上がった板壁。布団の原色の絵柄。風に砕ける白い波頭。ハードボイルド小説を思わせる上五の「最果ての」に身を固くしながら文字を追っていくと、次に目に飛び込んでくるのが「蒲団」。このチープな日常性こそ俳味なのだとあらためて得心した。
内外に雪のざわめく辰の刻 村上瑪論
「回天」を辞書で引くと「天をめぐらすの意」「時勢を一変させること」「衰えた国勢を元に戻すこと」とある。「回天」と題する10句はまさに幕末から明治にかけての「黒船の来航」「桜田門外の変」「尊皇攘夷」「生麦事件」「池田屋騒動」「蛤御門の変」「薩長同盟」「大政奉還」「鳥羽伏見の戦い」などの歴史から材をとった意欲作。掲句の前に〈万延の帆柱すでに氷りたる〉の句があり2句とも「桜田門外の変」を詠んでいる。
大老・井伊直弼が登城途中に桜田門外で水戸と薩摩の藩士に襲撃されて惨殺されたのは万延元年の3月3日。桃の節句なのに時ならぬ大雪が降った。
ともすれば報告のままで終ってしまいそうな過去の歴史を、今現在のように臨場感たっぷりに詠んだ〈内外に雪のざわめく〉の措辞はなかなかの力技。下五の「辰の刻」の表記の一考次第で今の句として十分に成り立つ。
水鳥の群れにまじりてゐはせぬか 対中いずみ
TVで恐山の「いたこ」の「口寄せ」を見たことがある。確かバラエティ番組で、「いたこ」に力道山が下りて会話するものだった。
恐山ならずとも日本全国に「いたこ」は存在する。私の生まれた気仙沼の大島にもいた。ただし「いたこ」ではなく「オガミさま」と呼ばれ、死者が出ると初七日の法要の後に「オガミさま」を呼んで死者と話をするのが島の習わしだった。
親族の問いかけに、「オガミさま」の口を借りた死者が、死因、死んだときの状況、死後の状況、残されたひとたちへの配慮などを語る。死者の言葉のいちいちに親族たちが相づちをうち、また代わる代わるに問いかける。そのたびにすすり泣きの声や嗚咽を堪える声が部屋にみちた。
〈群れにまじりてゐはせぬか〉。掲句のこの慈愛に満ちた措辞が、あの、死者と残されたひとたちの互いを思い遣る「口寄せ」の呼びかけを思い起こさせて襟を糺してしまった。
晩婚に冬のいなづま刺さりけり 岡村知昭
この句の解釈は私にはとても難しい。難しいけれどとても魅かれるものがある。私が俳句を始めたころの攝津幸彦の俳句がそうだった。攝津さんには仕事で随分お世話になったけれど俳句を始めてもあの「ぬーぼーとした攝津さん」と〈露地裏を夜汽車と思う金魚かな〉を結びつけることは難しかった。先日NYに住む高校の美術部の先輩から手紙が来た。「Y君が新婚旅行にNYに来るらしい。僕と同い年だから58歳になる。ここまで独身貴族を通して何を今更…と思った。相手は46歳。両方とも初婚。彼がスナックで見初めたらしい。きっかけはどうあれ、いずれ男は女の尻に敷かれるもの。とはいえ先日二人が電話してきてNYに行くからと興奮している声を聞いて、ああ二人は今遅くやってきた青春を謳歌しているのだと思い、電話の余韻を耳にしながら焼酎で彼らに乾杯した」とあった。
んん! 岡村さんの「晩婚」の句、難しいな。「いなづまが刺さる」か? シュールだなあ。
正面の顔にマスクの大きかり 茅根知子
私なら〈正面の顔のマスクの大きかり〉と詠んで、そのまま推敲もしないで発表してしまうと思う。多分、茅根さんも最初〈正面の顔のマスクの大きかり〉と句帳に書いたはずだ。ところがそれでは見たまんまと満足しなかった。推敲の結果が〈正面の顔にマスクの大きかり〉。「の」が「に」に変ったこの一字は大きい。私にはこの推敲の結果が果たしてよかったのかどうか判断がつかない。けれども茅根さんの格闘の跡が手に取るように解る。一字一句おろそかにしないで表現しようとする姿勢がはっきりと見える。この茅根さんの作句姿勢をとても好ましく眩しく思う。
北風の吹いてするめの大きくて 上田信治
「北風」が吹き始めた秋も終わりに近い佐渡や下北半島あたりの風景だろうか。半裂きのするめの一夜干しが連なった浜辺。堤防には探照灯を満載した烏賊釣り船が舫い、ヤマハ発動機と書かれた帽子の上からねじり鉢巻をした漁師たちが漁に出かける支度に余念がない。港の上には抜けるような青空が広がり、そのてっぺんに昼の月が切り損ねた輪切り大根のようにうすうすと透けて貼り付いている。
上五の「北風」はまだ秋の終りの風なのに、やがてそれにつづく厳寒の荒々しさを予感させるパワーがある。写生句なのにどこか伸びやかで人事句のような人間味とひと肌を感じさせる。
■特集「週俳」2008新年詠→読む ■青山茂根 珊瑚漂泊 10句 →読む■村上瑪論 回 天 10句 →読む
■対中いずみ 氷 柱 10句 →読む■岡村知昭 ふくろうワルツ 10句 →読む■茅根知子 正面の顔 10句 →読む■上田信治 文 鳥 10句 →読む
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2007-11-04
菊田一平 蠅の心臓ってどんな
〔週俳10月の俳句を読む〕
菊田一平 蠅の心臓ってどんな
齋藤朝比古 あたらしき夜
標本のやうに秋刀魚の食はれけり
先生の服のをかしき運動会
みなと町で生まれたので、こどものころ朝昼晩、朝昼晩とサンマを食わされ、もうサンマの顔なんか見たくもないと思っていた時期がありました。戦中に育った先輩たちが毎日カボチャを食わされ、カボチャと聞くだけで不快な顔をするのと同じ心境です。けれどもなんの因果なのでしょうか、サンマの水揚げが報じられるとサンマサンマサンマ、サンマサンマサンマと「私の脳内メーカー」がサンマ一色になってしまいます。
「標本のように……」。いいなあ、このように食われたらサンマも本望でしょう。「先生の服のをかしき……」いいなあ「をかしき服」。このトリビアルとも違う朝比古さんの視点に好感を持ちます。
振り子 遺品
郵便に微熱あり鳥渡りけり
彼方といふ喇叭の遺品ありにけり
偶然にも◎を付けていただいた二句は「微熱あり」「遺品あり」と「あり」つながりでした。そこに「ある」から俳句に詠むわけで、「あり」は省略すべしと初心の頃に教わりましたが、掲句の「あり」は違和感なく入ってきます。それ以上に「郵便に微熱ありけり」「彼方といふ喇叭の遺品」の、「微熱」「彼方」というおおよそ唐突とも思える言葉の選択に魅かれました。本来「唐突さ」は「乱暴さ」に通じるはずなのですが、この選択の計算された繊細さはまさに目から鱗でした。
五十嵐秀彦 魂の鱗
鉛筆の尻噛む音のして無月
皇国のブリキ装甲車に芒
なつかしいなあ。わたしもよく鉛筆の尻噛んだから鉛筆は歯型だらけ。消しゴムの付いたやつは消しゴムが取れて金具に歯型が残っていました。筆箱は赤胴鈴之助の絵のプラスチック製。新しいのが欲しかったのに蓋が二つに折れてしまったら線香で穴を開けて母がかがってくれました。五十嵐さんの「魂の鱗」はタイトルが示すように力の入った句が多いのですがそんななかで「鉛筆の尻」、さらには攝津さんを思わせる「皇国の」は魅力的な句でした。
大畑 等 ねじ式(マリア頌)
心臓を乱用したり秋の蝿
ねじ式で卵うみたる秋のマリア
「心臓を乱用したり……」なるほどね。「秋の蠅」のちょっとおどおどした質感が伝わってきて笑ってしまいました。ところで蠅の心臓ってどんな形しているんでしょうね。早鐘のようにどきどき脈打つんでしょうか?関係ないけど蠅に触られるとなんかこう気味の悪いねっとり感が残りますよね。思い出すだけでもあの感覚嫌だなあ。でも大畑さんのこのコミカルな発想好きだなあ。いいですね。「ねじ式」の句もよくはわからないけれど面白い。
岩淵喜代子 迢空忌
なにもなし萩のトンネルくぐりても
大叔母や末枯れてゐる杏の木
大先輩にこんなこというのは失礼なんですが10句を読んで「あっ!岩淵さん抜けたな」と思いました。この静謐さにたどりつきたくて日々俳句を詠んでいるのですが遠いなあと思うばかり。エッシャーの「だまし絵」のような「なにもなし」のこの連続性、好きです。「枯れ萩」の向うの青い空が見えてきます。「大叔母や」の入り方もいいですね。目線を転じて見上げた「杏の木」の「末枯れ」を見た時に作者の心のなかにどっと湧き上がってくる大叔母への想いが重く伝わってきます。
柿本多映 いつより
ははきぐさ雨戸を閉める途中なり
焦げくさき空ではないか不如帰
努力とか勉強が嫌いなわたしは本当不勉強で柿本多映さんの句をまとめてじっくり読ませていただいたのは今回が初めてです。うまくは言えませんが「雨戸を閉める途中なり」なんてあっけらかんとした表現にはまいったなあと思いました。「焦げくさき空ではないか」の句も同様です。いくぶん背を反らしながら腰に手を当てて「なあきみい!」と従者にしゃべっているような措辞もなかなか……。勉強します。
津川絵里子 ねぐら
霧の中灯ともして家目覚めけり
雀らのねぐらにぎやか秋曇
10句並べると作者がどのくらい俳句をきちんと詠もうとしているかがわかります。言葉を替えていうと作者の俳句への取り組む姿勢が見えて来るのです。ちょっと極端な言い方になりますが途中に破綻があっても着地がきれいに決まると句が締まるのです。津川さんの句の下五の納まり方にはとても安定感があります。「椅子を足す」「蓼の花」「秋灯」「舌のうへ」「音のこる」「はこばるる」「かみごたへ」「目覚めけり」「緋連雀」「秋曇」。ピッチャーに例えるとコントロールのいいひとなんだと思いました。
■齋藤朝比古「新しき夜」10句 →読む■振り子「遺 品」10句 →読む■五十嵐秀彦 「魂の鱗」 10句 →読む■大畑 等 「ねじ式(マリア頌)」10句 →読む■岩淵喜代子 「迢空忌」10句 →読む■柿本多映 「いつより」10句 →読む■津川絵理子 「ねぐら」10句 →読む
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Posted by wh at 0:25 1 comments
2007-07-01
菊田一平 オペラグラス
菊田一平 オペラグラス
青 水 無 月 鯉 に 大 き な 鼻 の 穴
ニ ッ ケ ル の 灰 皿 重 ね 太 宰 の 忌
つ ゆ 寒 の 引 け ば か た か た 厠 紙
さ み だ る る わ け て そ ね さ き あ た り は も
東 京 の 恋 は つ れ な し う つ ぼ 草
啜 り た る 枇 杷 の 滴 が 枇 杷 の 上
豆 ご は ん 厨 揺 ら し て 噴 き 上 が る
夏 至 の 日 の オ ペ ラ グ ラ ス に 嘆 き の 場
南 風 鯉 に か ま け て ゐ る ら し く
月 見 草 お ー い お ー い と 手 を 振 れ り
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