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2014-04-13

特集「ku+」第1号 読み合う 高山れおなの俳句を無理矢理に誤読してみる。 谷雄介

特集「ku+」第1号 読み合う
高山れおなの俳句を無理矢理に誤読してみる。

谷雄介


ひじょーーーに難しいです。

何が難しいかというと、高山れおなさんの作品です。

他のメンバーの作品は読めます。一読して、この句は好き/嫌い、ここが良い/悪いといった感想らしきものが言えます。しかしながら、高山さんの作品は確かに日本語で書いてあるのですが、それぞれの作品をどう読んで、捉えていけばいいものか、僕にとっては非常に難しい作品ばかりが並びます。

つきましては、知識が足りない、理解が及ばないなりに高山さんの俳句をいくつか取り上げながら、辞書を開いたりググったりはせずに無理矢理に読み進めていくとどうなるのか、試してみようと思いました。高山さんの意図からは全くはずれた誤読のオンパレードになりそうな気もいたしますが・・・どうかご笑覧ください(TO高山さん)。

陽物
(ファロス)出て悲の海照らす朝飯まへ

冒頭の作品です。早速「陽物(ファロス)」という言葉が分かりませんが、この一連の作品が大英博物館での「春画」の展示会に際して作られたもののようなので、きっとこれは男性器のことですね。すると「悲の海」というのは女性器の象徴とも考えられます(「火の海」との掛詞かも)。男性器で「照らす」ってなかなかすごい表現ですね。すなわち、「朝ごはん前に激しいセックスしちゃいました」といった内容で宜しいでしょうか。しかも、「前」ではなく「まへ」です。ファローーース!!!

澄みては消ゆ水のわ印わを連ね

つづきまして、この句は意味は分かります。波紋が水の輪として広がっていく様子。その輪が連なっていて、それらが消えていく様の中に「澄む」という感じを覚えました、といった意味合いでしょうか。しかし、これも春画展の中でのスケッチと考えると、さらに想像は膨らんでいきます。すなわち、「わ」とは女性器であり、「わ」に波紋を与える性交という営みがあり、あるいはそこで起こる情感や声の高まり、その反響、「連ね」は営みの連続性・複数性を表しており云々、というような気もしています。

恋すてふ蛸おほひ来る天高し

この作品も比較的分かりやすいものかも知れません。蛸というのは女性器のことでしょう。しかも「恋すてふ蛸」です。古来からの「名器」の条件として、いそぎんちゃくが何たらとか、天井が何とかだとか、確かその中に蛸もいたような気もします。「天高し」は、ぽーんと上空へ抜けていく感じ、「絶頂感」を託した季語だということが言えましょう。すなわち「すっごい名器の女の子とセックスしてすっごく気持ちよかった」という内容で宜しいでしょうか。

放心の日へ陰門魚
(つびうを)ぞ飛び交へる

「陰門魚」という言葉は造語でしょう。「トビウオ」を語源としての上流に置きながら登場した幻の魚類「つびうを」。これもやはり男性器のことでしょう。「放心の日」はセックスの後、オルガスムスの峠を越えた後の空に光り輝く、これまた幻の太陽と見ましょう。春画に描かれているような隆々とした男性器たる「つびうを」が部屋中を飛び交っているのです。恍惚とした気分の中で、それは幻よりももっとリアルに感じられる光景なのかもしれません。

高山さんの作品の前半からいくつか作品を選んで、読んでみました。何だか男性器と女性器の話しかしていないような気がしますが、この品のない文章のことはさておき、今更ながら意外と高山さんの作品は読めるんじゃないかという気もしてきています。誤読と言っておきながらそれなりに読めているような。一見、読者を拒むかのような難しい言葉、言い回しがあるものの、きちんと読むための手がかりは残してくれているような気もして、何だかんだで楽しんで読めてしまいました。そんな日曜日です(締切過ぎてすみません)。高山さん、ありがとうございました。
 

2012-12-16

【2012落選展を読む】 (20 高井楚良 21川奈正和 22大穂照久 23山下つばさ) 村越敦 佐藤文香 谷雄介  司会:上田信治

【2012落選展を読む】
田植唄からから大根インコまで 
(20 高井楚良 21川奈正和 22大穂照久 23山下つばさ)

村越敦
佐藤文香
谷雄介 
司会:上田信治


この対話は、2012/11/23 14:03から2012/11/23 17:03にかけて、skypeのメッセージ機能を通じて交わされたテキストを、再構成したものです。


村越: 14:10にネットカフェに落ち着く予定です。

上田: 谷さんからは、まだメール来てないです。
谷さんの電話分かります?

村越: わからないです、すみません…

上田: ま、とりあえず、待ちますか。

(……)

上田: あ、前回の藤尾ゆげさんの〈雹過ぎてパン粉の中に右手かな〉の、〈雹過ぎて〉という言い方が微妙なようなこと言いましたけど、あれはありですね。撤回します(句としての評価は変わらないのですけど)。

(……)

上田: 連絡とれないんで、佐藤文香さん、誘ってみますか。

上田佐藤を会話に追加しました

佐藤: こにゃちは

村越: こんにちは

上田: あ、よかった。

終わったら、夜、中華って思ってたんだけどOK? 谷さんと村越さんなら唐揚げとかかなあと。

村越: 中華超ラブです♡

佐藤: 私は、少食なので何でもいいです

上田: では、前半で参加の谷さんが、コレステロール過多のために退出されましたので、後半は佐藤文香さんに加わっていただき、「落選展を読む」進行させていただきます。

口開けは、順番にやりましょうか。村越→上田→佐藤→村越の順で。




20 高井楚良 ウタ
≫読む ≫テキスト


上田:では、まず高井楚良さん「ウタ」。一次予選通過作品です。

村越: 最初5句くらい連続して好きな句がならんでいて、冒頭から引き込まれる感じでした。

春の海出でて誰も狂はずにゐる
はだれ野や見知らぬ人と助け合ひ
逢へぬゆゑ詩を作りたる春の月
げんげとは指から指に渡すもの
このあたり空はげんげの色似合ふ


その他は、

木と水と親しくなりし巣立鳥
葉櫻に獸の匂ひゆきわたる
宇宙軸歪み戻らず桐一葉

あとかなり好きだったのが、

亡き父の毛生え薬や初鏡

でしょうか。ひろい意味での生死のモティーフを扱った作品が多く、抽象的な書きぶりには作者性を強く感じました。

上田: 押し出し、強いですよね。なかなか問題作だと思う。佐藤さん、いかがでしょう。

佐藤:このあたり空はげんげの色似合ふ

が好きでした。全体に、リズムのいい作品が多いように思いました。

ただ、フレーズといいますか、村越さんの言われる生死のモチーフで言えば、〈生きてゐる証の淚しぐれ傘〉の〈生きてゐる証の淚〉や〈生きること生き延びること冬螢〉の〈生きること生き延びること〉のようなところに疑問を感じます。

村越: たぶん、地震とか原発の話を念頭においてますよね。

佐藤: 最後の〈忘るるに使ふ一年雛流す〉は、拙句に〈忘るるにつかふ一日を蔦茂る〉があることもあり、フレーズが既存のものであったり、同案多数の感があるのが惜しいと思いました。

村越: なるほど。信治さんは、どのあたりに「問題作」だと感じる所以がありましたか?

上田: 言いたいことが多い句、という印象でした。

春の海出でて誰も狂はずにゐる〉〈誰も知らぬ地球の重さ蚯蚓鳴く〉たとえば、誰も、という言葉のある二句。

誰も、という裏に、自分は、という主張がある。自分は狂って当然と思うのに誰も狂わない、自分は知っているのに誰も知らない、ということなわけで。強烈な自負とナルシズムを感じます。それ自体は、ユニークな個性ですよね、ちょっと国士風な。

ただ、その…

佐藤: 谷くんからTEL。今から入ると

上田: おお、佐藤さんどうする、このまま居てくれていいですよ。

佐藤: ひとことずつぐらいしゃべる人になります

上田を会話に追加しました

谷: おはようございます・・・(大汗)入りやすそうなとこで入ります。。

佐藤: まだ1つ目だよ

上田: よろしくお願いします。

村越: 自分ひとりは違う、自分だけは大衆に流されず、本質が見えているみたいな感じはたしかにあるかもしれないですね。

上田: うんうん、その主体のでかさというか壮大さのわりに、言ってることは常識的というのがあって、それ、両立しちゃダメなんじゃないかな……俳句は短いだけに、単なる言いっぱなしになってしまう。何をもって、当たり前を越えるかという話なんですけど、、、

そういう意味で〈春の海〉はちょっと舌っ足らずだけど、ありなような気がする。〈地球の重さ〉は、いただけない。

村越: なんかこう都会的なものへの批判的な目線、もっというと近代的なものへのアンチテーゼみたいなものを作品から感じました。たとえば

上田:憎むべき都会の明かり戀螢〉とか?

村越: そうですね、原発を思わせる一連の作品もそうかなと。

逆に、作者にとっての理想郷はどこにあるかというと、たとえば田植唄世界の始めと思ひけり人ゆたか國は貧しく野燒かな〉とか、このあたりにあるように感じました。ちょっと見方がありきたりというか、枠組みとしては月並みかもしれませんが。

上田: 〈都会の明かり〉これ、もっと節電しろってことなの?

村越: なるほど。笑

上田: 超常識的・・・

村越: そう、一周回って常識的なんですよね、そう読んでしまうと。

上田: いや、節電って読めちゃうような発想の枠組みが、普通どまりなのが問題で。この句の場合は〈戀螢〉が、よくないんでしょうね。都々逸みたい。

稲作、共同体、まほろば、みたいな句の幻想味に、方向としては可能性感じました。あと〈このあたり〉の句いいですね。

佐藤: タイトルの「ウタ」は「歌」「唄」「詩」であり、〈この島はウタに恵まれ踊りけり〉という作品にあるように、ふるくから人々が声を出してうたいあげるようなことをさすのだと思います。

それがその現代文明への反発みたいな作品世界の柱になっているのでしょう。でも、この作品自体がやはり、常識の範疇にあるように思われます。

谷: おお、いい解釈。

村越: まさに、同感です。

ただ若干謎が残っている作品もあって、〈加速する亡者の月日つくつくし〉とか、あとは「毛生え薬」の句みたいな、そういう反・現代文明みたいなところから離れたものは面白いな、と。

佐藤: 〈加速する〉これは、ある人が亡くなってから月日がどんどんすぎていってしまうことじゃないでしょうか。そして、そこに新しい生命としてのつくしが、という、これもそんなに謎じゃないように思います。

〈毛生え薬〉は、たしかにおもしろくはあります。

上田: ある人が亡くなって、とは読めない気がする

村越: もっと、集合体としての亡者かと思いましたが…歴史的蓄積を感じるような。

上田:  亡者って、死者に対する敬意のない言葉でしょ。そのへん、いろいろ措辞に欠点はあるんです。

佐藤:加速するの位置とか?

上田: 亡者が加速したら、こわいよw

村越: なるほど 笑。あと、上五形容詞パターン多いっすね。
「憎むべき「頼もしき」「ゆくりなく」

佐藤: (谷くんそろそろ入れば?)

谷: 腹痛からの復活。。そして出力した紙を捜索中・・・やりとりが途中からしか見られてないんですが、

詠みこむ対象がどれも大きすぎ(世界とか天空とか宇宙とか)

村越: たしかに。 ただ、まぁ大景を読む、とはちょっと違うのかもしれないですけど、スケール感のある作品で揃えてこよう、っていうのはなんか憧れます。

佐藤: 「神様」「神」もある。

谷: あと、旅と昼寝覚とか、卵と原爆忌とか、寒いねとあたたかいとか、なんかこの季語の組合せ見たことがあるよね、みたいな句が多い、かな。

とは言え、佐藤さんの「ウタ」の解釈がいいと思った。

上田: おそらく田中裕明のある面を継いでいこうという意図が。〈ブータンも田を植ゑる國うたの國〉とか、あと〈正座する彼も古人衣被〉の句の、古人をふるびとと読むと故人の意味なんだそうで…。

村越: 〈なきひとにならひて坐る桃の花〉 ですね。

上田: 〈眼鏡とれば我も古人や秋燕〉っていう句もある。そういえば、國を憂えるような句が、晩年の裕明にあったなと。

谷: 「お」と思う句もあると思うんですけど、

葉櫻に獸の匂ひゆきわたる
紫陽花に雨は一粒ずつ刺せり
誰も知らぬ地球の重さ蚯蚓鳴く

とか

でも、あまり大柄な句が続いているので、50句このトーンだと食傷気味になってしまう。もう少し、細かい、つまんない世界に目を向けると、もっと幅が見えてきて読んでる方も面白がることができる要素が増えると思いました

以上です。




21 川奈正和 掌上
≫読む ≫テキスト


谷: 恵方より来る一球をわが打法

いいですね。

佐藤: 私もそれです

上田: ぼくは、それと、

生御魂お菓子の家に生まれしと

谷:狼の毛もて書くべし立志伝〉とか。この作者の発想、作り方、どう説明しましょ。

佐藤: (谷くん、いないときに「口開けは、順番に」というかんじだったのですが、どうしますか)

谷: む、原則主義者だな・・・とはいえ、従います!(大遅刻)

上田: 谷さんつづけてほしいだす

村越: だす

佐藤: つづけろ、遅刻者!ww

谷: ひい、ごめんなさい。。

上田: ははは

谷: 面白い!と思う句と、これはもしかして・・・つまんないかもと思う句が混在している印象

村越: 僕はメモにひとこと「エネルギーがいる」って書いてありましたw

上田: かなり急いで書かれたのかな、と思いました

谷: でもちょっと今僕別の事を考え始めていて、最初に読んだときは「つまんない」と思ってた俳句が、改めて今日読み返すと面白い気がしている・・・

佐藤: 白魚を食み暮らしたる魚に火を〉の白魚→魚、〈劇いまだ劇中劇や花は葉に〉の劇→劇中劇、〈父の日の父は主峰に真向かへり〉父の日→父……〈薔薇色の世をかへりみる薔薇の門〉薔薇色→薔薇、というふうに、同じ言葉を素材違いで同居させている作が多いのが特徴だと思いました。

村越: 〈劇いまだ〉は、入れ子構造として結構成功してると思います。好きです。

谷: たとえば〈北窓を開きこの地に降りて来よ〉とか〈酒池肉林われ空杯に花受けて〉とか〈秒読みの声うつくしき秋の暮〉とか。

一句一句は面白いんだけど、この作者の創作対象の幅の広さにより、風景や登場物があっちこっちに飛ぶ。

上田: 谷さん、自分で、なにが面白くなってるんだと思います?

谷: 全体としての印象が散漫、それが村越君の「エネルギーがいる」ということなのかなと。コンディションの問題?落ち着いて読み返しているとじわじわな感じ。>信治様

佐藤:血と汗と涙こぼるる露の秋〉とかは、もうこぼれまくって壊れちゃってる感じで、ここまで来ると、面白いんだか面白くないんだか。でも、のっちゃうとゲラになっちゃう感じで読みきってしまえるのかもしれない。

谷: それぞれ独立した50句とはいえ、連作性、全体でのストーリーテリング、作者の主体性みたいなものを、僕らは読むときに気にしてるんだろうな、と思った。

村越: ほんとうに。

上田: 〈酒池肉林〉の句とか 手拍子にあわせて作ってるような、書き飛ばし感があるんだけど。空杯っていうところが面白いの? みんな酒池肉林 おれだけいっしゅん空杯 みたいな?

谷: 血と汗と涙、は最初は決まり文句でつまんないなと思っていたが、敢えてやってるというところと、「露の秋」というのは付けてきたのは少し笑えるなと。

上田: それは、いくらなんでも手拍子過ぎる気もするんですが

谷: 充実(酒池肉林)⇔空虚(空杯)の対比ということではなく、ありえない、存在しえない風景の面白さ。


佐藤: 言葉からつくってる人、しかも途中「酒池肉林」「黙秘権」「廃仏毀釈」「遣欧少年」など、高校の教科書を読みながら妄想して作ってるのではないかとも思いました。

谷: 信治さんの言う「急いで作っている」ってその辺もあるのかな。

「花受けて」とか、何カッコつけてんの、みたいなところが面白い。僕にとっては。

上田:絶滅種さながらに立て花吹雪〉はお気に入りになってきた。

村越: 言葉に重心がかかってる句は、どうしても成功の仕方がワンパターンになる気がするのですが…。

上田: おお

村越: あっ、おもしろい!終了!みたいな。

佐藤: 言葉の繰り返しが多いところも、急いで作ってる雰囲気出ますよね。口をついてどんどん出てくるのを書き起こしたような。

上田: よくいえば疾走感

村越: うーん、その特徴的な言葉(黙秘権)とかがもう少し実体をもって迫ってくる句があると、読み手の感動のバリエーションも広がって、いいと思います。

 疾走感、つきつめれば言葉は言葉として独立しているナンセンスさは僕は好みなのですが、これだけだとやっぱり…という。

上田: かっこわるいカッコヨサ が魅力だという気はします。

谷: しかし、〈恵方より来る一球をわが打法〉はすごいですよ。中七まで作って、「を」で切って、「わが打法」はなかなか言えないと思います。

村越: すごい勇気ですね。

佐藤: 「わが打法」のあとの省略もきいてる。

谷: そうそう、気持ちよく打球が飛んでいく感じ。

上田: 万太郎の、もとよりわざのすくひなげ を思わせる名調子です

谷: でも、これ面白がるのってこの界隈だけかも知れないですよ。

村越: www

谷: 「俳句」誌上の座談会では引っかからないような気も・・・いやどうかな

上田: 予選もね

谷: まあ、予選は通らないでしょうね。

上田: いや、でも楽しませていただきました

村越: 同感です。

谷: かなり好評でしたね

上田: 谷さんが乗ったからw

谷: また変な句見つけた雨ふれといへば雪ふる淑気かな

村越: あ、〈若菜摘み一夫多妻の如くにて〉も好きですw

上田: ひどいw



22 大穂照久 都市
≫読む ≫テキスト


上田:大穂照久さん。第1回週刊俳句賞受賞者だったりする。

佐藤: (〈土降るや棺のごとき庭園に〉って、霾じゃないんですかね)

谷: (「土降る」っていう書き方もあるよ)

佐藤: (そうか)

上田: (歳時記的には、あまり推奨されないでしょ、たしかに)せっかくなので、佐藤さんから

佐藤: 今のことを書こう、という徹底した意識のある句と感じました。うがっとこける作品もありますが、好感のもてるものが多かったです。

上田: 句をあげていただけますか

佐藤:  
猫柳眺めている猫沖へ行けよ
屋上に空のあふれる皐月かな
遠い火事ぼくには口内炎がある

とくに、「遠い火事」の句が好きでした。「ぼくには口内炎がある」の「は」「が」の助詞のつかい方、さっぱりした字余り。「遠火事」と言わないところも、俳句的なところから脱する意志があるように思います。

谷: 猫柳は僕も好き。中八、下六ののたりのたりがたまらんね。 ほしいりつららわれにくれよ、以来の下六。

村越: 猫柳、ぼくもいいと思いました。

上田:
蛍烏賊ひとり眼をちぎりちぎり
瓶ビール海の深さを思いけり
吊るされて窓拭く人や秋うらら
飛行船しずかに流れクリスマス

村越:
メーデーや君の着ぐるみぬいぐるみ
紫陽花の見える満員電車かな

谷: 全体的な印象は佐藤さんと同じく、発展途上っぽい。が、きらりと光る句がいくつかあるね。

村越: あと〈撃ちおえて水鉄砲の軽さかな〉も。

あやかさんの言うとおり、ザ・20代・男の句!という印象がありました。全体的に。くるりとかが歌ってそうな。

佐藤: やはり特筆すべきは恋の句のずっこけ加減ではないでしょうか。20代男子特有の。

村越: 恋の句!ほんとうに。

谷: 確かに>あやか氏

上田: え、どこがそんなに

村越:  
公園の落ち葉を散らすふたりかな
毛布抱く君の紅茶はすぐ冷める

谷: もうやめて・・・これ以上・・・耐えられない・・・

佐藤: あと、

ともすれば夕立ややもすれば愛
切手貼る愛を込めつつ貼る痛いか

村越: 切手!!大きく×ついてますw

上田: 毛布抱く は、だめかなあ?

谷:コンセント抜く春の夜のかなしみに〉愛の対象がコンセントならまだましなのに。。

上田: え、コンセントは、愛の句なの?

佐藤: 毛布抱くは、私が×です。毛布抱く君、すぐ冷める君の紅茶、両方言ってしまうと愛情過多。

上田: 紅茶がメタファってしまうか。

谷: (正しくは、プラグ抜く・・・かな)この句を恋の句と呼んでしまった自分がこわい・・・>信治さま

村越: 君ー毛布ー紅茶ー冷めるの言葉の連なりが、もう、ありふれすぎてる感じがして。

谷: 彼女が帰った後の句か・・・いたたた>毛布

佐藤: ともすれば夕立ややもすれば愛〉は、作者は自信満々の可能性がある。が、しかし。

谷: が、しかしだ。

上田: ああ、もうやめてあげて

佐藤: w

上田: あるいは、大穂くん、逃げて。

村越:夕凪や火力発電所が彼方〉とか突き放した書きぶりのほうが真骨頂を発揮できてる気がします、やっぱり。

吊るされて~は信治さんも挙げてましたけど、好きです。

上田: 火力発電所と水鉄砲の句は、既視感あるけどね。

谷: 【再掲】切って貼る愛を込めつつ貼る痛いか

村越: 痛いかが…痛い。

谷:秋の雨犬の背中のやわらかし〉とかもさりげなくいいですね。

上田:飛行船しずかに流れクリスマス〉凝ってないけど、いいクリスマスの昼だなあ、と思いました。

村越: いいですね!愛せる句。

谷: いや、それ僕も好きです「流れ」のうまさですね

村越: あーでもリア充じゃないと書けないですね、それ。その余裕は。

上田: んなこたあない

村越: そうですね。笑

谷: 村越君、飲もう。

上田: 油を

谷: もうお酒がないと耐えられないよ。

油も

村越: やりましょう。

上田: じゃあ、大穂さんには、会ってお伝えすることにして

谷:瓶ビール海の深さを思いけり〉は類想あるでしょうか。

佐藤: それ、私も結構いいとおもいました。

上田: 瓶ビールって言葉の、今ならではの持ち重り感が、海の深さに通じてるので、ないような気が>類想。

谷: 持ち重り感!(餅・・・餅想い感) ですね。ありがとうございます!

餅想いキュン。

あ、すいません、次いきますか・・・

上田: ああ、お腹空いてきた

村越: 次、いきましょうw

佐藤: (化粧しながらやってます)

上田: 予約4人にしなきゃ

佐藤: 酒♪

谷: 餅って・・・逆から読むと「ちも」だ・・・

上田: ちょっと村越さん進めといてくれますか

谷: (句会もやりましょう)

村越: あ、はい。笑

谷: やりましょう→ヤリましょう

佐藤: (ちもって何)

村越: ヤリましょう

谷: ちも・・・あの恐るべきちも・・・

佐藤: 遅刻人の暴走をとめるのだ、

谷: あるいは、めそ・・・あの恐るべきめそ・・・

むにゃむにゃ・・・



23 山下つばさ 晩年
≫読む ≫テキスト


村越: では、 晩年 山下つばささん。いきますか。

谷: むにゃむにゃ村越!村越るーじゅ!

村越: 起きてください。笑 ゆーすけさんから、お願いします。

谷: えっ、まだ準備できてないよ(ちも)

村越: あやかさんはどうですか?

谷: ばか、あやかさんはおめかし中だよ。。

村越: (はっ)では、むらこしからいきますね。えっと、僕、この一連はめっちゃいいと思いました。好きでした。

佐藤: まじでか。

村越: ええ。こう、漫画的な世界観というか。

佐藤: 大根のやうなインコだよ?

上田: 村越さん、遠慮無く言ってやって

村越: いいじゃないですか、大根インコ。

あのーシュールなんですけど、不思議と共感できる作品が多いなという印象で読んでいてとにかく面白かった。

上田: 王妃のような石もゐるよ

谷: 大根インコwww

村越: 連作の良さをじゅうぶん出し切っていると思いました。

谷: 歯の生えた風船も忘れないで!!

佐藤:芋を煮る芋に翼の生へるまで〉だよ?

谷: (大根のようなインコに共感・・・だと!何を言っているんだこの男)

村越:
蟹を追ふ鳥のかたちのワンピース
空蝉を髪に付け合ふ遊びかな
らんちうもシーツの白が眩しさう
『ONE PIECE』全巻並ぶ部屋の薔薇
泣きわめく人に集へる蛍かな
母馬の野菊のやうに老いにけり
マンホールに人一人消ゆ冬の朝
得しものをしつこくつつく寒鴉


序盤だけで、こんだけ抜いちゃったっていう。

上田: アヤカさん、評価できないことのポイントは?

佐藤: 大根インコとか、翼芋で50句なら、評価します。でも途中で、

耳朶を過ぎて落花となりにけり
梨の花鉄やはらかくなる温度
拾ひやすき骨を拾ひぬ春の闇
青葉へと母消え父の現るる
眼帯をはづし緑雨を走りけり

こういうのがある。まぁ、眼帯は面白いですけど。

谷: 翼芋ww 

そうね。村越君の挙げた「寒鴉」もふつーだな。でも大根インコと翼芋で50句だと、予選通らないよ。

村越: まぁ、それは普通ですかねぇ。

佐藤:トーストの上のバターのやうに蔦〉もだけど、比喩が突飛で、突飛なだけなのは詩じゃないと思う。いや、詩じゃなくてもいいんですけど、これだと面白がらせにとどまってる、という気がする。

谷: 「突飛なだけなのは詩じゃないと思う」( ..)φメモメモ

村越: トーストはちょっとわからなかったですね…

佐藤:歯のない人が笑つてゐるよ桜の下〉とかも、いかにも、こわがらせよう、みたいなところがあります。

村越: 歯のないひとの句は、こわがらせてるんですかねぇ…。僕にはそこはかとない愛着とか、見える気がしますけど。

谷: わかるわからないでいうとわかる。でも、それ面白いんでしたっけ?という改めての問い

上田: この人のって、早いか遅いかっていうとすごい速い俳句ですよね。

蟹を追ふ鳥のかたちのワンピース
蚊柱をよけ教会の屋根真つ赤
泣きわめく人に集へる蛍かな
母馬の野菊のやうに老いにけり
マンホールに人一人消ゆ冬の朝
発光す一心不乱に土筆摘み
転がつて老子に出逢ふ蜜柑かな

文体にためがないっていうことなのかな。

村越: 発光す、大好きです。銀行員が蛍光するのにちょっとコンセプトは近いですかね。

上田: 一心不乱」で分かりやすくなってるんだけど、それもふくめてね

佐藤: マンホールに人が消えたり、ぽたりぽたり、みたいなのがあって、歯のない人、と来ると、石原ユキオの憑依系じゃないですけど、はじめの方だけ読んだら、連作でホラーをやろうとしてるのかと思いました。

谷: でも、徹底してホラーはやれてないのね。

村越: えー、ホラー狙ってないとおもいますよーまったく。笑

上田: ホラーとか奇想っていう文脈でもなさそうだよ、もっと能天気

佐藤: はい、途中から違う、と思いましたが。そういえばぽたりぽたりはもう一度出てくるんですよね。〈鳩尾を離るる椿ぽたりぽたり

上田: コーヒーとかマンホールは、現実寄りに書いてみましたってだけなんじゃないかな

谷: ぶれてる?過渡期?

村越: 同じモチーフが出てくるのは、ちょっと欠点として気になりました。空蝉を髪につける、も2回。

谷: そうね

村越: シーツと、白、動物。

上田: 今日の作者後半3人は、早書きしてる感じする

谷: でも、同じものが2回出てくるのは、俳句の連作の作り方としてはひとつあるとは思うが。

佐藤: それはそうです。わかりやすさからの超現実みたいなことがやりたいんだとしたら、村越さんが言ったように、せっかくの50句をもっと有効につかわないと損だと思いました。

村越: >ゆーすけさん それはそうですね。

上田: 阿部青鞋とかって、すごい早書きだったそうじゃないですか そういう、つるつる進む書き方の可能性ってあるとおもうんですよ

谷: (村越さま、その件についてはまたのちほど・・・)

上田: そのなかで、いろいろつまづきはあるんですけど、いい句もあるし、方向もおもしろいんじゃないかと思いました。

村越: そう、「いい句」がちゃんとあるというのがポイントだと思います。安心して読める句が。それも書けて、同じトーンで大根インコも書ける。すごいなと、思ったのです。

上田: それを楽しむ読み手は必要、という書き方ですけどね。大根インコは、見たまんまだけど好きだな。

谷:押し退けて雛壇上を目指しけり〉という句。お内裏様目指して駆け上ってる感じでしょうか。

上田:  雛壇は、俳壇だったりしないのかな

村越: あーなるほど。笑

上田: いや、いろいろの社会的ヒエラルキーってことでいいか

谷: 雛、檀上か雛檀上か、詠みにくいですね

上田: まあ、それは、あまりおもしろくないよ

村越:かちんこちんの肉の塊花の雨

上田: かちんこちん どう読めと

谷: か「ちんこ」ちん

村越:

谷: 肉の塊・・・品がなさすぎる・・・

上田: 君がだ

谷: ちも

村越: あ、冷凍じゃないんですか?w

上田: そう。でも、桜と肉は普通。

佐藤: ラスト2句が

ジーンズの尻に夏服のリカちゃん
日焼けして猫耳カチューシャよく似合ふ

というのも、一句一句がダメというのではなくて、何を思ってこの肉、じゃなかった二句をラストにしているのか、というところです。

村越: あー、それは思いました。

谷: で、しかしだ。

上田: じゃ、ま、そろそろ存分にお話しいただいたということで、いいでしょうか。

村越: いいです!

谷: いいです!

村越: で、しかし、以降はいいんですか?笑

上田: それはラードでもなめながら

佐藤: おめかし終わりました!

谷: なんか、角川賞、予選する人大変そうですね。

村越: 僕が俳人だったら、予選はやりたくないです!恨まれそう。

上田: ぼくは超やりたいな>予選。角川俳句賞取ったら、やらせてもらえるのかしら。

えー、本日は、みなさまお疲れさまでした。ありがとうございました!

佐藤: はい!

谷: (が、しかしだ。の間違いであった。>で、しかしだ。)

村越: ありがとうございました。かなり、おもしろかったです!

上田: いや、たしかにおもしろかった。このブロックこの面子でやれて良かったです

2012-12-09

【2012落選展を読む】谷雄介 村越敦 司会:上田信治

【2012落選展を読む】
エプロン専門店からからふとますまで 
(16すずきみのる 17藤尾ゆげ 18佐藤文香 19生駒大祐)

谷雄介 
村越敦 
司会:上田信治


この対話は、2012/11/18 22:23から2012/11/19 1:18にかけて、skypeのメッセージ機能を通じて交わされたテキストを、再構成したものです。


谷: この画面でチャットする感じですか??

上田: あ、そうです

谷: では、あと村越くん待ちですね。練習中・・・これ、発言どうやったら消えるんだろ(改行はshift+enterですね。facebookと同じ)

上田: 右の矢印をあれすると。

谷: お、消えた。右クリックですね。

上田: あ、そうだね。
今日、何食べたですか?

谷: 昼は自分でパスタを作り、夜は木枯しの浅草に繰り出して、安い回転寿司を食べて、浅草名物の「浅草メンチ」を頬張りながら夜の散歩。

ただいまマックに落ち着いたところです

上田: あ、村越くん、帰ってきた

村越: 遅くなりました。ダッシュで帰ったので、少し痩せたかとおもいます。よろしくおねがいします。

上田: えー、では、はじめさせていただきます。

村越: よろしくお願いいたします。

谷: お願いします。

上田: 落選展応募作品を、3ブロックに分けた後半8作品を、谷雄介さん、村越敦さんとともに読んで参りたいと思います。

村越: 高まります!

上田:では、番号順に。



16 すずきみのる「曲直」 
≫読む ≫テキスト


村越: いいと思った句を挙げますと、

窓が切りとる上下層春の塔
節電の夏や緑に染める髪
冬川に石打ちなにも期待せず
はつゆきを競馬新聞にて避ける
エプロン専門店出て冬晴の高き塔


てな感じでした。雄介さんどうですか?
谷: 競馬新聞は僕も好きでした。ちなみに1句目はどこがおもしろかったの?

村越: 春の塔がなんとなく唐突なんですけど、上五中七が新鮮かなぁと。

全体的には、素材はけっこう新しくて、表現上も工夫を感じる部分が多かったのですが季語でうーん、となってしまう印象を覚えました。

谷: 僕は単純に「窓が切りとる上下層」が分からなかった。

村越: 窓の句については、大きな窓があって、その真ん中あたりで横に区切られる部分があって、その上と、下という風に読みました。でも冷静に考えると、どちらも同じ景色ですねw

谷: 捉え方は僕も一緒。

で、これは僕の中で今日の座談会のテーマでもあるんですが、

上田: おお

谷: 「それって面白いんだっけ?」

上田:

谷: 「その面白さってどうやって説明するんだろう?」というのが、一通り読んで、非常にギモンでした。

村越: この方に関してですか?それとも、 今回読んでいただいた作品全体的にでしょうか。

谷: この方特定ではないです。各々濃淡はあれ、という感じ。

なんか感じ悪いね、僕。あ、いつもか。

上田: いや、大事な話だと思います、それ。

まず、あらかじめ説明できないようなことでも、それが俳句になっていて、面白ければ、逆算されて面白さがそこにあった、っていうことにはなるよね

谷: 信治さんの話、むずかしいっす。

上田: まだ、勘で喋ってるだけから、そこは、おいおい話していきましょう。

谷: 了解です。

村越: 雄介さん、この方の作品で好きな句はありました?

谷: まずは競馬新聞。

村越: いいですね。

上田:ちょっと、ポーズを感じないこともないけど、その句。

谷: あとは〈初夏の口腔に舌あるばかり〉もちオマージュとして。  んー、でも微妙かも。迷う

上田: 何へのオマージュですか?

村越: すみません、僕もわからなかったですw

谷: 晩春の肉。

村越: 舌よりはじまるか、でしたか。

谷: YES.舌。

上田: でも、それは、一連を代表する句ではないですね

谷: 僕の方の全体的な感想で言うと、かなりの数の句が、よく言えば予定調和を脱していると思うんですが、 分かりにくい、読みにくい句が多いなという印象でした。

あ、〈ダービーや麦飯の上黄身の張り 〉も好きでした。〈壁と床ひといろの部屋かしはもち

上田: わがままな書きぶりというか。

村越: 書き方をわかりにくくすることで、予定調和を無理やり脱してるという感じでしょうか。

谷: たとえば、初めの〈春浅し運命鑑定士は中座 〉は、意味は分かるんですけど、なぜここで敢えて運命鑑定士を中座させるのか、そのシチュエーションにどういう面白さがあるのか、が、直観的にも、論理的にも分からない、という感想でした。

あと、村越くんの言う「季語がうまくいってない」という話で言うと、
ダービーの句なんか僕すごく好きなんですが、「ダービー」で要素が増えて、作品が何を言いたいのかわからなくなってしまった感。

(こんな話してたら朝になりそうですね・・・)

村越: いいですねw

上田: 今日は三分の一か、半分までという手もありますね

村越: もどりますと、季語と、それ以外の措辞の「つき幅」にばらつきがある印象なんです。

谷:庭石の残るあかるさ揚ひばり〉とか? 〈拓本に私信の古ぶ万愚節 〉とか?

村越: いや、作品全体で見た時に、最左翼と最右翼が遠い印象で、たとえば〈揚雲雀〉の句は近い。〈運命鑑定士〉の句は、春浅しだと遠すぎてなんだかシチュエーションがわからない。

 そのなかでダービーとか、あとはさっき挙げた〈エプロン専門店〉の句なんかは、要素は多いながらもぎりぎりのところで糸が通っている気がして。

だからなんだか統一感がないというか、ばらばらな印象があるなぁと、ちょっとふわふわした表現ですみません。

上田: 違和感というか、気持ち悪いかんじをたよりに書かれているのかもしれないですね〈節電の夏や緑に染める髪〉。

村越: その節電の、かなり好きでした。

上田: 節電と、カラリングの、つきそうでつかないかんじ。戦時中の愛国婦人会が、電髪を敵視した故事をふまえているのかな。

村越: 現代の、不安定な感じ。

谷: 僕も好きなんですが、 その村越君の「現代の、不安定な感じ」が見え透いてしまう気がしてとらず(笑)。

村越: 見え透いてしまう、なるほど。笑

谷: ちょっとひねくれすぎですね・・・すみません。 好き嫌いで言うと、好きです(笑)

村越: ツンデレw

上田: ちょっと親切に読み過ぎかもしれない。

谷: ちなみに、すごくつまらない質問をしますが、エプロン専門店の句の「高き塔」はスカイツリーのイメージ?>村越君

村越: いや、僕は送電線の鉄塔でとりました。 高円寺とか、初台とか、あのへんにあるやつ。

谷: なるほど。変な意地悪な意味ではないんですけど、やたら俳句って「塔」って使うんですけど、

上田: ふふふふ、なるほど。

村越: あー

谷: 「塔って何だっけ?」「その塔って伝わってるの?」と日頃から思っていたと。それだけの話なんですが。

上田: では、その問題は、また以降の作品にもちこしていただいて、

谷: あ、あとひとつだけ。この作者、「ひと」という言葉を多用してますよね。意図があるのかもしれませんが、悪目立ちしているかもと思いました。

上田: なんとなく女性のイメージ。男性性の演出だと思うな。





17 藤尾ゆげ 結界
≫読む ≫テキスト


谷: 一番好きだったのは、〈正月を殴つて逃げてしまひたき〉。

あとは、

失敗をつばめのやうに忘れたい
てつぺんの鬼柚子あした孵化するや
鰆の字大きく書きてバスガイド

かなり自由に書かれて面白く読めた半面、完全に意味が取れない句(〈オペ室へ〉とか)もありました。

上田: このひとも、わがままな書きぶりとは言えますね

谷: 信治さんの「わがままな書きぶり」の意味するところやその反意語等もお伺いしたく。

村越: 僕、この人相当好きでした。いっぱい丸がついてる。

蜘蛛の糸のぼりていつもここに来る

谷: (読み返すと、いろいろ気になる句ありますね)

村越:

鰆の字大きく書きてバスガイド
雹過ぎてパン粉の中に右手かな
日蝕の朝のたましひ胡瓜揉む
首長き天気予報士雪を貼る
咳けば狼の来る鉄扉かな
フレームの湿気すべてが父である
咳けば狼の来る鉄扉かな
春の山ぐるりとリップクリーム塗る

動物のモチーフと、あとはタイトルにあるように宗教的なモチーフが多くて。

谷: (狼の句、好きすぎるだろ)

谷: (あ、リップクリームの句もいいね)

村越: 生々しい、グロテスクな世界があるなぁと。あまりこのタイプの世界観をきちんと提示してくれる人って少ない気がして。

谷: もう一句〈塊は鯨となりて喪の明くる〉、にも一票。

村越: 丸ついてました、それw「塊は鯨となりて」の求心力、半端ないです。

谷: グロテスク、か。何か違う言い方あるかな。

村越: それはたしかに違うかも知れません、自分で言っておきながらですが。

谷: なんだろね。たとえば、パン粉の中の右手、のあたりでしょ? 

僕の感じで言うと、生死とか、苦しさ、神や地獄とかを、犬猫や、パンやスープと同列に並べて作品を作っているという印象。 神様を買うっていう言い方とか、自分が解剖される蛙になる視点とか。

塊は、の句も、何の塊かは分からないけど、変に暗示的ではなくて自然に詠まれている気がする。

村越:藻の花や沈めば我は誰の餌〉そうですね。そうか、それなら〈岡本太郎〉も理解できま

上田: あー、ちょっと、じゃあ、わがままの話してもいいですか

村越: もちろんです。

谷: お待ちしてました。

上田: あげていただいた句に、なんらかの感覚的な内容があるらしいというのは、分かるんですけど、ぼくは、ほとんど説得されなくて、もどかしかったんですよ。

雹過ぎてパン粉の中に右手かな

雹過ぎて、という言い方がまず、ぎりぎりなかんじ。雹が通りすぎるように止んだということかな。

で、雹が止んだことを認識してる主体が、つぎは、パン粉の中に右手を発見する……自分が、自分の手をパン粉に突っ込みっぱなしだったことを思い出すんだろうか。

それ、面白いかもしれないけど、ほんとに作者が書いたことはそれなのか。ただ、うまく言い切れてないだけなんじゃないか。

ローマ字のどれにも冬の鳩のゐて

popですよね。でも、もうひと説得して、ローマ字にいる鳩にふれさせてほしいのに、そこまで踏み込んではくれない。

谷: すごい雑な添削ですけど、「雹過ぎて→松過ぎて」なら、まだイケます?

村越: いや僕はそこ、雹のほうがいいとおもいますw

「雹すぎて」、難しいですかね?さっきまで雹が降っていて、いまは止んでる。でも硬い雹があちこちにあたる音とか、空気感はまだ残っている。
それを通奏低音として、自身は右手がパン粉の中。気持ち悪いじゃないですか、あれ。

 いろんな微妙な感覚が、良い感じで絡み合ってて、それが気持ちいいなぁと。 痛気持ちいいに近いというか。

谷: そうか。まあ、松過ぎてを押すわけではないんだけど、「雹過ぎて」を信治さんも、村越君も真面目に鑑賞していることにちょっと意外な気がしている。

(突然変なこと言いますが)(鑑賞に取り入れていることに、か)

村越: おおっ

谷: (ちょっと意味が分かりませんね、やめますか)

  冬の鳩の句は、僕も信治さんと同じ印象(ふれさせてほしい、踏み込んでくれない)なんですが、その踏み込めなさを多少楽しんで読めているかも。今は。飾り文字、みたいな事ですかね。

上田: あと、壁の立体サインという可能性もある。

谷: そういえば、今思い出しましたが、 善光寺の門の「善光寺」という文字には鳩が隠れてるんですよね。ああいうののことか。http://zenkozi.com/about/pigeon.html

村越: なるほど。

上田: これは、たしかに「それって面白いんだっけ?」かもしれないですね。

谷: つまり、信治さんの言ったような意味が裏にあるとすると「ローマ字」じゃないかも。

村越: LOVEのオブジェとか、そういうのの可能性もありますよね。

上田: つまり、わがままな句作り、というのは、言葉足らずとか、イメージの不確かさを逆手にとろうとしている、ということですね。

谷: あ、そういう意味ですよね。

上田: この方の場合、言葉が足りると、〈失敗を〉〈正月を〉〈蜘蛛の糸〉のような、川柳に接近した句になる。

谷: ああ〈正月を〉は川柳といえば、川柳ですね(このへん種々議論があると思いますが)

上田: 村越さんのイタキモチイイ、おもしろい評言でした。

村越: とすると信治さんは、言葉が足りてない句に魅力を感じるということでしょうか…?

上田: いや、うーん、

村越: あ、この作者の作品の話です。

上田: 俳句に「ウワゴト感」みたいなものは大事な要素だと思います。坪内稔典さんの言う片言性ですか。

でも、それって、まぐれを方法化するみたいなもので、ガラガラポンみたいにして作っていく中で、どういうわけか汲めど尽きせぬ魅力があるものが選ばれて提出されていれば、作品として成立していると言える。波多野爽波の句の多くは、そういうものだと思います。

でも、アタリハズレはかまわずどんどん書くんで勝手に読んでくれ、という句作りに見えてしまう場合は、ちょっと、わがままかなあ、と。

村越: そうちょっと思いだしたのが、最近句会の選評の中で、村上鞆彦さんが「稚拙を装った句」という表現を句をほめる文脈で使ってらして、

上田: ほほお

村越: 信治さん的にはそこまでいってないよね、ということでしょうか。ここまでのお二方に関しては。

上田: あ、ぜんぜん、そういう方法意識で作られてないと思います。

谷: 稚拙とはまた違いますか?

上田: えーと、ジャンプをつくろうとしてる。

谷: 俳句には二つある。ジャンプのある句と、ジャンプのない句である。by上田信治

上田: (無視して)

詩的飛躍をつくろうとして、いっぱいいっぱいの歩幅で飛ぶとき、すごく無理がある飛び方をして、ふしぎなポーズになるみたいな?

谷: ジャンプにはつある。週刊少年ジャンプと月刊少年ジャンプ、そしてその他のジャンプもろもろである。あ、くだらなくて死にたい。

村越: 僕マガジン派です

上田: 笑。えー、では次に。



18 佐藤文香 丘に見えたところ

≫読む ≫テキスト

村越: 好きな句を抜きます。

泪の夜さへもスープは熱く出来
ゆずり葉や更地脇群青の小屋
川までのてのひらに雛あたたまり
初桜めがねの朝はさりげなく
さへづりに濡れてはじめの樹へ戻る
桜蕊降るやひとりの夜がすべて
葉桜や丘に見えたところに来てゐる
いつまでもむかしの波を平泳


ひとことで言えば、長いラブレターのような作品群、どう読めばいいのかという感じです。

上田: どう読めばというのは。

村越: 全体的にぼやけた、不安定な書き方をしているんですけど、たとえば言葉の連続性(梅園に→梅林の、みたいな)に見られるように、連作作品としては相当練られている。作者の世界がきちんと提示されている。

反面、たとえば〈冷えた手を載せれば掴む手であつた〉。~であつた、はいったい誰に向けて書いているのか。読者はなにをよすがとしてこれを読めばいいのだろう、と思ってしまって。

谷: 乗っかりますが、「この句ってどこがおもしろいんだっけ?」という疑問、僕は村越君のあげたほとんどの句についてあてはまるかも。

上田: ふむふむ

谷: (あ、すみません、マックから追い出されそう)

村越: おっとw

上田: えええピンチじゃないですか

谷: 10分ほど小休止いただいていいですか? すぐ家に戻るので。

上田: はい、了解です

谷: その間に、村越君があげた句の一部でいいので、「この句はここが面白い」と世間にプレゼンできる部分を、教えてほしいかも。

村越: 了解です、ちょっと考えるので、帰宅されたらしゃべって下さい!

谷: ただいま、戻りました!一瞬トイレ!

本格的に戻りました。さすがに木枯しの日は寒いですね。

村越さんがまだのようなので、先に別の話をすると。

冷えた手を、の句と、〈長恨歌のちに冷たき手となりぬ〉の句と(過去の同じ作者の句を比較しちゃうのはあまりよくないかも知れませんが)全体的に相当わがままな書き方に言ってしまっているというか、わがままな「面白さ」の方へ作者だけが突っ走ってる気がしてます。

作品自体は嫌いではないですが。全体雑感、以上です。

村越: おおっ…喋りにくい…

谷: いや、ぼくのくだりは一度無視して、あげた句の「ここはオレが推すぜポイント」を熱く語ってください。他の人は佐藤句のどのへんが面白いと思ってるのか、確かめたい。

村越:川までのてのひらに雛あたたまり〉これなんかは、俳句的にすごく良くできているというか、感覚を丁寧に描けていて好きでした。

それから、はじめの樹〉の句や〈丘に見えたところ〉(題名にもなってますが)の句は“時間差”が魅力だと思いました。

あとは、内容もさることながら、この作者は、この人ならではの書きぶり・形式が魅力的だと思います。

谷:めがねの朝〉は?

村越: さりげなく、でしょうかw

谷: 「書きぶり、形式が魅力的」は分かる。

上田: これは、後朝では。

谷: あ、きぬぎぬか。なるほど。

信治さんはどのあたりの句が好きでしたか??

上田: あ、ぼくですか。

村越: ゆーすけさんも好きな句を、是非。

谷:月は春かつての最寄り駅に降りず〉とか。

上田:
冬の日や浅瀬の鳩のうむ水輪
その指をながめてをれば吾を摘む
水仙の群のほぐれて向かうまで
あかき葉のつと空を指す芽吹きかな
春になる中野通りを北へただ
花に夕焼スパゲッティを巻いてなほ
たんぽぽを活けて一部屋だけの家
溶けぬ砂糖に潰すミントの茎むらさき
葉桜や丘に見えたところに来てゐる
呼吸そつと汗の後頭部を抱く


村越: おお、ほとんどかぶらなかった…

上田: もともと、こう、言葉の操作と偶然によって生じる、キラキラしさみたいなところで勝負してる人だと思うんですけど……。

この句は、これ連作でしょう。

谷:その指を眺めてをれば吾を摘む〉は僕も一票。

連作として読まれることを相当意図してますね

上田: そのムードの持続が、キラキラに、核を生んでるなと。

感情的な核に、いちいち手応えがあるので、これは、僕がさっき言ったような、わがままっていうんじゃないような気がするんですよ。

谷: なんか「連作」と言い始めると別の話になっちゃうんですが。ここまで「連作」と言う話が一度も出てこなかったのに。

上田: あ、谷さんは、一作一作ができてるかどうかを言いたいのでしたね。

谷:いや、僕は一作一作の出来だけではないと思ってます。 この作者になると「連作」としての見方も語る必要があるってことでしょうか。

上田: もどるけど、ぼくは、長恨歌、の句よりも、冷えた手のほうが、いいなあ。

谷: その気持ちは僕もわかります。気持ち、というより、本当は僕もそう思うんですけど。

なんだろーなー、同年なので変にうがった見方をしてるのは間違いないんですが、たびたび野暮な質問ですが、信治さんがどのへんが面白いと思われますか?この句。

 今回は感情的な核に、手応えが出てきてるということでしょうか。(おっしゃってる意味は何となく分かるんですけど・・・面倒くさくてすみません。。)

上田: ことばのあやうい操作の生む抽象的なキラキラと、情感のたしかさの両立。

村越: なるほど…。

上田: たとえば、どちらも性愛の句かもしれないですけどその指を〉の句の、時間と運動、あと視点がシンクロして動く経過とか。

谷: 性愛じゃないですか。これは。

上田:呼吸そつと〉という上五の、切り出しの不安定さとか、まあ、たまらんですね。

村越: すごく、すごくよくわかるのですが。

情感のたしかさというのは本当にそうで、それは伝わってきます。で、それを独特の書きぶり、ことばのあやうさでいいところまで引き伸ばして、放り投げてる。

全体として見ても、句でちゃんと作者らしさが一気通貫していて、好きな一連です。

ですが、その情感の内容が、やや「独りよがり」、もしくは逆に「普遍的すぎる」内容が多い気がして、だから「わあ!おもしろい!」、という感覚とは違ったんですよね。

なので一読者としては、もうすこし、少しだけでいいので、普遍的でありながら、詠う内容にオリジナルな部分があると、書きぶりもあいまって作品がより遠くに飛んでいく気がしてならないのです。

その意味ではちょっとだけ、残念でした。好きな一連なので、なおさら。

谷: 「独りよがり」とは違う言い方だけど、「君」という言い方で出てくる相手のパーソナリティが、ほとんど具体的に語られていないのが特徴的。どういう人物か見えてこない。

「普遍的」はたぶん作者自身が意識してるんじゃないかな。普遍的・・・ん、言い方違うか。

上田:逆にね、極私的であることを前面に出しつつ書くことで、新しい領域を切りひらいている、ということでは。

谷: 明らかに「新しい」と思います。

村越: 「新しい」、そうですね。

僕自身がこのごろ私的なものを可能な限り排除して書こうとしているので、眩しいだけなのかもしれないです、単に。笑

上田: 普遍的でエモーショナルなものって、平成俳句では、ダサイとされがちではなかったかと。子供が生まれて父になったとか・・・そんなことない?

谷: そうですね。

上田: この一連は、エモーショナルなものを、あからさまに極私的に書くことで、俳句にふたたび持ち込んでみせているのではないか。

村越: なるほど。

上田: どこが極私的かっていうと、けっこう露骨に暗示される性的なものとか、〈花に夕焼〉や〈溶けぬ砂糖〉みたいな、その日のできごとだろそれ、的な内容。

それもこれも、恋の句だから可能なことで、おもしろいと思ったなあ。

谷: なるほど。 白泉の〈われは恋ひきみは晩霞を告げわたる〉みたいな、このへんの世界がちょっと近いですかね。

上田: ああ、白泉。近いかも。〈われは恋ひ〉は「青春譜」っていう連作の最後の句だし、あの子供が死んだ時の一連とかね。

あと、ぼくがあげたうち、半分くらい叙景句で、非常に率直に書かれていて、でもそれは、一連の感情的持続の中で書かれてるんじゃないか、と。

村越: ですね、恋の句で読み手もエンジンが掛かって、情景句はその惰性の中で読む、という感じがします。

上田: 惰性は、ちょっとあれだけど、いい意味で勢いに乗って、素直に書かれているような気がして、

村越: うんうん。

上田: 浅瀬の鳩の、と、もたもた言っといて、冬の日や、と帰ってく感じとか、いくないですか。

谷: 逆に「これはないだろー」みたいな句ってあります??

上田: 凝り過ぎかなというのは、ある。

村越:ふきのたう愛の湿度のととのほる〉の「ととのほる」がちょっと…(笑)。「さへづりに」からはじまって、そこからの数句はすごくいいと思いました。句どうしの連関が。

 本当に、話すことは尽きないですね。

上田: どうしましょう、谷さん、明日会社ですよね。

谷: とは言え、もうひとりふたりやらねば、2回でおさまらないですよね汗

村越: 生駒さんまでやりましょうか?

谷: すみません、紛糾させて。

村越: お仕事、優先して下さい。(明日は我が身)



19 生駒大祐 らふそく

≫読む ≫テキスト

谷:
天の川星踏み鳴らしつつ渡る
螺子締めて木を苦しむる夏はじめ
蝸牛まみどりを糞りつづくなり


取り急ぎ、以上です。

村越: 全体的に見ると、どうでしょうか。

谷: 読み切れない句と、何でこんな簡単な句作っちゃったの?という句もあったかなー。

簡単な句というのは、〈風吹いて〉〈木漏れ日の〉〈太陽の育てし〉あたり。誰でも作れそうな句ではないかと。

(そもそも賞に出してすらいない僕が人の句に偉そうなこと言えないんですけど・・・)

(やばいな、このポジション・・・)

(ひえー)

上田: いやいや、賞に出してる方も辛いよw

谷: 村越君はどう?

村越: えっと、好きだったのは

目を瞑るやうに雨止む草紅葉
文殻を焚けば浅草見ゆるなり
下京や氷柱肥えゐて一つ根に
螺子締めて木を苦しむる夏はじめ
朝風や死螢の背ナ湿りゐる
はつなつはましろきゆめとこゑがいふ


村越: 〈螺子締めて〉はゆーすけさんも挙げてますよね、僕もいいと思いました。

谷: 〈はつなつ〉の句はどう鑑賞したの?こゑをどうとるか、迷った。

村越: はつなつの句、たぶん生駒さん的には、決め球のつもりで書いてると思ったんです。

谷: ふむ、決め球。

村越: ここがひとつの山、みたいな。

谷: ほう、ここがひとつの山。

村越: ww

谷: なんだよ、山って!

村越: いや、連作のなかにいくつか散りばめるじゃないですか、自信作みたいなのを

谷: そうね、でもここでいう「こゑ」ってなんじゃらほい?

村越: わからないです、誰かに発声されて、空気を伝ってきた、なにかです。

上田: この世ならぬもの、というかんじでしょうか

村越: ですね、霊的ななにかでしょうか

谷: ですね。だだこねました。

村越:

谷: でも、だだではありますが、

上田: ええ

谷: 俳句の世界って、相当雰囲気で理解する部分、多いですよね。あまり詮索せん方がいいのかも知れませんが、

上田: 超音波で、会話してるみたいなとこあるよね

谷: あ、それ分かりやすいですね。

村越: びびびびびび、ですね

谷: でも、本当に会話できてるかは、あやしいと思いますよ(漠然とした話ですが)

村越: たしかに

上田: どのくらい、その空中戦が「ほんとうに」あるか、が句の価値だったりすると思う。

村越: ただその齟齬がおもしろいですけどねー、伝わらないとか、曲解されるとか、おもしろいなぁと

上田: ああ、村越さんは、今、そこがつぼなんですねえ。

村越: かもしれないです。だからこのはつなつの句、 ちょっと物足りないんですよw ひらがな書きとか、狙いどころとか、ふむ(ニヤリ)としてしまって。

上田: この人は、でも、わりと、かたちにしていこうとしているよね。雰囲気的といわれてしまうようなものをもっとも好みつつ、ムードで終わらないようにという意図は感じる。

目を瞑るやうに雨止む草紅葉
眠たげに木の横たはる春のくれ
蝸牛まみどりを糞りつづくなり
いのちなき鶏卵茹でる晩夏光


でも、ほんとは、

黒蟻や溶けし氷菓に流さるる 
おのづから粘土は花器に神無月
日本間の匂ひのしたる冬の雲
缶に入るからふとますや春の春


このへんの、あほか、というような句が好きです。自信作なのか、やけっぱちなのか分からないけど。

谷: 春の春って(笑)何なんでしょうね。

村越: たしかに。笑

からふとます、ってひらがなで書くとなんかいいですね。

谷: からふとます

村越: 違ういきものみたい。

上田: ふとましいよね。

谷: ふとましいからふとます

谷: からふとましい、からふとましく、からふと・・・

上田: 春や春、だったのかもですね

谷:潰えては肉に浮かびぬ柿の蔕〉とか

村越: たとえばこの一句で予選を通過しないってあるんですかね?春の春なんてないだろ!みたいな。

上田: 春の春、はきついかなあ、でも、そこ通過するために、俳句やってんじゃないよね、という。

谷: うん、そういう小賢しさはないですね。好きな俳句を作ってる感じはします。

鋸の生む木屑の熱や雪穿つ〉とか、このへんのモノへの執着、詠み切っていく感じは特徴的ですよね。

上田: そう、それと、今井杏太郎的なふわーとした〈風吹いて〉とか〈木漏れ日の〉とか、との間のどこかに、この人のやりたいことが、ありそうで。

この間、週俳に、セルフプロデュースの話をちらっと書いたのですが、作風って生理的なものだけど、作るものでもあるじゃないですか。

村越: ええ。

上田: ある意味、陣地取りみたいなね

村越: 陣地取り…総和が決まってるっておもしろいですね、それ。

上田: 自分がやりたいことと、やって意味のあることの、両立する場所を見つける作業みたいな。やって意味のあることっていうのは、通時的、共時的ふたつの視点から見た(言葉は悪いけど)マーケティングみたいなものかもしれない。

で、文体は作るものという意味では、いったん、その文体が身になじむまで徹底してみるみたいなことがあると、いいのかも、と。

まあ、おせっかいな話ですね、これは。

村越: リズムとか、語感がなんとなく不自然な、ぎこちない感じがするのは、これはそういうことなんでしょうかね。

上田: どのへんですか。

村越:春一日教会のひかりといふは〉とか

あとはどれがというのを挙げるのは難しいのですが、ぎこちないというか、独特というか。僕はむしろそれが好きなのですが、流麗に連なっている感じじゃないなぁと。

谷: (ちょっと別の話しちゃいますが)ちょっと話はずれますが、twitterに「真神bot」っていう三橋敏雄の句集『真神』の俳句を一定ペースでつぶやくbotがあって、そこでつぶやかれる三橋敏雄の俳句を見てると、どれも三橋敏雄の文体だなーと。

上田: ふむふむ

谷: だから、文体があるってうらやましく感じますね

村越: 当たり前のようですが、すごくそれは同感です。

谷: 句会で「やっぱりお前の句か」と言われるのは、一面残念ですけど、もちろん一面嬉しい。

その「文体」ってなんだ、というのはもちろんもろもろ議論ありますが、生駒さんは文体ができ始めてる気はします(上から目線)

上田: でも、この人の場合、三つくらい、できかけちゃってるよねw

村越:

谷: 確かに!!!器用なんでしょうね。。

(次週に続く)

2012-09-30

谷雄介 最近考えた事 10句

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週刊俳句 第284号 2012-9-30
 谷雄介 最近考えた事
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2010-01-31

谷雄介 サラリーマン戦線異状なし(1)10句

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週刊俳句第145号 2010-1-31 谷 雄介 サラリーマン戦線異状なし(1)

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2008-10-26

2008落選展 谷雄介 異郷の冬


週刊俳句第79号2008-10-26 2008落選展 谷雄介 異郷の冬
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感想等はテキスト版にどうぞ。テキストはこちら
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2008-02-10

【週俳1月の俳句を読む】谷 雄介

【週俳1月の俳句を読む】
空間の構成の問題
谷 雄介



「『週俳』2008新年詠」の中では、以下の作品に目が留まった。


そこここに地下街の口初茜      生駒大祐

要するに、空間の構成の問題なのだと思う。真っ白な空間に「地下街の口」を登場させることで、「地下街の口のある風景」が立ち上がる。「初茜」という状況を設定することで、明るさが生まれ、色が生まれる。正月の気分が醸成されてゆく。


正月のビーチをとんで雀かな     上田信治

無論、眼目は「ビーチ」という言葉にある。この言葉を導入することで、作品は風景の異化に成功した。思わず、「ビーチ」とは何のことだったか考え込んでしまったりして。「鉄筋コンクリート」が虫であることを朔太郎が発見したときのような、新鮮な驚き。


初荷よりこぼれし菜なり啄める    うまきいつこ

下五に裏切りがある。「初荷からこぼれ落ちた」というだけでは、誰の興味もひかなかったかも知れない。「啄める」という一言によって、「菜」という一点のみどりに視点が凝集する。読者は鳥と同化して、鳥の味覚のことを思うかもしれない。それから、「鳥」という言葉の省略、手練の業。


書初の妊の一字の緊(し)まりけり   戒波羅蜜多 麟

「緊まりけり」までいったところが、お手柄。こういうことを嘯くときは、真顔で言わないと面白くない。幸運なことに、僕たちの俳句は生まれつき真顔らしい(と世間から思われている)。


こんなとき冬眠中であるならば    加藤かな文

俳句を書く力量と短めのエッセイを書く力量を総合的に見たとき、この人は俳句の世界の中では随一の書き手だと思う。ただ、今回の作品は面白くなかった。どうしてこのような書き方をしたのか、わからない。


楪の抜けやすき注連飾かな      久保山敦子

上手いと思う。句またがりの感じも嫌らしくない。


初鶏や七面鳥を見下ろしに      興梠 隆

すごく馬鹿馬鹿しい。しかし、驚いたのは、「七面鳥」に対して「初鶏」をぶつけているところ。普通、こういう合わせ方はしない。


七種のわづかに萎れ売られけり    小林苑を

中七の「わづかに萎れ」はとても弱い言葉だ。つぶやきだ(そういえば、吉増剛造が「つぶやき」という言葉を「粒焼き」と変換したことがあった)。「七種の(わづかに萎れ)売られけり」と読みたい。「雉子の眸のかうかうとして売られけり」という句があるが、「売られけり」とは、またなんとさびしい言葉だろう。


飛び立てば羽ばたきやめず初雀    榮 猿丸

一見、普通の作品。しかしながら、それを脳裏で何度も映像化していくうちに、ずいぶんおかしな心持になってくる。理由の一つには、五七五の短詩形にこういう内容を書ききってしまうということのおかしさがある。もう一つは「初雀」という言葉の置き方のふてぶてしさ。ただ、ここは「初雀」でないと、俳句は言葉のバランスに耐えられないはずだ。


煙突に空あるばかり三ケ日      鈴木不意

レトリックとしては、わかりやすい。空に煙突が聳えているのでなくて、煙突に空があるという言い方。やや機知が勝ちすぎている嫌いもあるが、「三ケ日」という味付けはとても好ましいように思った。


川風の堤をあふれ福寿草       津川絵理子

上手すぎる。けれども、上手いので触らないわけにはいかない。俳句における言葉のバランスの問題。「川風の堤をあふれ」に対して「福寿草」でバランスをとったのか、それとも「福寿草」に対して「川風の堤をあふれ」でバランスをとったのか。あるいは、作家の中には二つの事象が同時に立ち現れてくるのか。それは定かでない。前二者は知的操作の範疇だが、後者の場合、その能力は「才能」という名で呼ばれることになるだろう。


恵方とは反対へ行くお父さん     峠谷清広

書かれたままに受け取って、それで一笑すれば、本来は足りる。ただ、僕はあまり笑えなかった。いつだったか、とある句会で50代の男性が「朝起きると、将来に希望が見出せずに、死にたくなることがある」とつぶやいて(粒焼いて!)、周囲の同世代の男性の共感を得ていた。父(の世代の人たち)とは、概ねそういう予感を孕んだ生き物なのだと思う。もちろん、僕の頭の中にもその予感だけは燻っている。


黒髪の乱れてゐたる歌留多かな    中嶋憲武

おそらく、歌留多とりをしている女性の黒髪が乱れているのだろう。歌留多の絵柄の女性の黒髪が乱れている方が面白いかも知れない。


十二月三十二日寝酒かな       野口 裕

十二月三十一日の深酒により、正月を迎えたのも知らず、十二月三十二日を迎えているという、そういうお話なのだと思う。コンビニで年を越したという友人や山手線の電車の中で年を越したという友人がいる。僕はというと、幸い、これまで一度の例外を除いて、すべて実家で年を越している。


初春の部屋着に部屋のにおいかな   宮嶋梓帆

自分の部屋のにおいは、自分ではあまり気がつかない。人の部屋のにおいには、敏感なのに・・・。「初春」が効いている。平穏な日常が続いていることのめでたさ、といった趣。


四日はやユーミンがスキップしてゐる  山下つばさ

「四日」といえば、仕事始めであったり、世の中全体が勢いよく動き始める日だが、その大きな動きを「ユーミンのスキップ」に落とし込んだところが、何とも言えず味がある。個人的には、「スキップをしてゐる」の方が好み。


人日の軽い頭痛を持ち歩く      佐藤登季

言葉に衒いがない。頭痛を「持ち歩く」という言い方、言葉遣いとして斬新であったり、感動を覚えたりするわけではないけれど、率直な感覚だ。生活に寄り添った感覚。自分の日常に自信のある人の感覚だと思った。


「珊瑚漂泊」(青山茂根)の中では、

最果ての地にも蒲団の干されけり

がいいと思った。「湯豆腐に瓦礫ののこる寧けさよ」は、やや凝りすぎの感。「虎落笛死せる珊瑚のごと街は」という書き方は、僕にはやや絶景すぎるように思えた。「むささびやノート開きしまま眠る」は、意識してやっているのかどうかはわからないが、すごくおかしい。こういう作品をもっと見てみたい。


「回天」(村上瑪論)では、

池田屋は間口の狭く寒椿

が趣がある。しかし、全体的にテーマに飲み込まれている感。


「氷柱」(対中いずみ)では、

ことごとく蓮折れてゐる時雨かな

が綺麗だなと思った。


「ふくろうワルツ」(岡村知昭)では、

関西の騙されやすき枯木かな

が気になった。「騙されやすき」の連体形の後で、心持ちとしては軽く意味を切りたい。「凍蝶や正門跡と思わるる」のとぼけた感じや「ふくろうの脂に濡れて寝台車」のノスタルジーも楽しかった。


「正面の顔」(茅根知子)には、少々難あり。
たとえば、「自画像を見てゐる人の息白し」など、ちょっと簡単に作りすぎていないか。「ポケットの深きところに竜の玉」だと、「ポケット」と「竜の玉」の関連が強すぎる。「深きところに」では、類型を脱しきれていないと思う。


「文鳥」(上田信治)の中では、

北風の吹いてするめの大きくて

に、ちょっとした感動を覚えた。1月に目にした俳句の中では、一番好きかも知れない。「ここのするめは大きいなぁ」というつぶやきは、風土へのさりげない挨拶だ。

新聞に切抜きの穴うぐひす鳴く

は、何度か言及した空間の構成の問題。室内に新聞があるのだとすれば、鶯の声は当然外から聞こえてくるのだけれど、このように俳句の中に書かれた場合、新聞の切抜きの穴の奥に、僕たちはまぼろしの鶯の声をきっと聞きとるに違いない。

デパートの屋上そして冬の空
縁側の椅子に布団が掛けてある


は、平凡でつまらない。



特集「週俳」2008新年詠→読む青山茂根 珊瑚漂泊 10句  →読む村上瑪論 回 天 10句  →読む
対中いずみ 氷 柱 10句  →読む岡村知昭 ふくろうワルツ 10句  →読む茅根知子 正面の顔 10句 →読む上田信治 文 鳥 10句 →読む

2007-11-11

THCプロデュース号に至るまでの前口上

THCプロデュース号に至るまでの前口上



ここは東京、国立あたり(べんっ!←三味線の音)

宵闇ふかく住宅地(べべんっ!)

その家並みのその中に

ひときわ高くそびえたつはーーー!

さいばら天気邸でございます!(べべべんっ!)

さいばら邸のその周り

どこか怪しき人の影(べんっ!)

ひとつではなくいくつもの

怪しき影が取り囲み

さいばら邸を取り囲み

声一斉に邸内へ(べべべんっ!)

飛び込みたればパソコンの

前に天気(敬称略)を見つけたり(べべんっ!)

そうだ、明日は日曜日!(べんっ!)

『週刊俳句』更新日(べんっ!)

これはチャンスだ、やっちまえ(べべべんっ!)

影一斉に飛びかかる

必死に天気抵抗するも

多勢に無勢、こちらが有利

天気を床に打ち伏せて

思いのままに縛り上げ

そしてしたたか鞭で打ち

蝋燭の赤垂らすなり(べべべんっ!)

さてさて、先の人の影(べんっ!)

かくも怪しき人の影(べんっ!)

その正体を月下に見れば

なななな、なんとっ!

THCの連中でございます!!!(べべべん!!!)

THCとは何ぞやと(べんっ!)

ものさびしさに秋の夕暮れ

道行く人に尋ねれば

トーキョーハイクライターズ

クラブの略と言われけり(べべんっ!)

とにもかくにもそういうわけで

『週刊俳句』乗っ取って

その名も・・・「THCプロデュース号」

はじまりはじまり~!!!

(・・・べべんっ!)


(口上と三味線・谷雄介)


about THC 谷雄介

about THC ……谷雄介



「THCとは○○だ!」なんてことはとても言えそうもないわけで、とても困ってたんですけど、「THCではこういう活動をしてきました」という紹介ならできそう。

というわけで、このコーナーではTHCのこれまでの活動についての簡単な紹介をさせていただきます。

〔句会など〕

■青の会……THC第一の句会。俳句初心者、並びに未経験者が主な対象。作品の事前準備は不要。当日、会場にて、いわゆる「十二音技法」にのっとった「誰でも5分でできる!かんたん俳句の作り方」を伝授。その後、各自に俳句を作ってもらいます。現在10回実施。

■薔薇の会……THC第2の句会。主に俳句経験者を対象としたちょっぴりハードな句会。事前にテーマが発表され、そのテーマに沿った作品を各自が持ち寄り、句会を行ないます。こちらは俳句の事前準備が必要。現在8回実施。

■犬の会……「思い立ったら、即句会」の精神のもと、開催日直前に告知して行なわれる、機動力重視の句会。前日にTHCホームページ掲示板で告知、なんてこともしばしば。そういうスタイルであるだけに、運営はもちろん行き当たりばったり。そこがまた楽しかったり。現在3回実施。

■ダムの会……ダム系俳人・モル嬢が主催する句会。都内近郊のダムに足を運び、ダムにまつわる俳句を作る。この会をきっかけに、ダムの魅力にとりつかれる者多し。現在2回実施。

■の・ぼーるの会……かの正岡子規が「俳人は、野球もできんといかんぞなもし!」と言ったかどうかは定かではないが、野球をした後に句会をやるという、実にシンプルな構成の句会。現在1回実施。次回は東京拘置所脇の荒川河川敷で、試しに試合やってみましょう。

■新興俳句スタディーズ……新興俳句や新興俳句運動についての勉強会。現在1回実施。第2回の窓秋スタディーズ、どうにか11月中にはメドつけます。

■コトバアソビの会(仮)……今思いついた(笑)THC掲示板にて近日詳細告知します。


〔THC関連、その他の催し〕

■パパパパーティー……お遍路系俳人・パパ主催の句会。パパさんの手料理に舌つづみをうちながら、まあ俳句も一応作るかという感じ。鮭のホイル包み焼きやら炊き込みご飯やら、手のかかったお料理が次々に出てきて、家庭的なパパさんの一面が垣間見られます。

■津久井祭……みんなのお兄さん・津久井健之宅で行なわれる句会。のはずが、先日開催された第1回では、結局句会を行なわず。みんなで朝まで飲んで、変なテンションで解散。これはかなりダメ路線かも。第2回は11月中に実施予定。鍋やります。

■本郷短歌会……構成メンバーの9割が俳句の人間というヘンテコな短歌会。代表は飯田哲弘。指導は大野道夫。11月の歌会は、歌会1周年の特別ゲストとして穂村弘さんをお招きする予定。最近東大の公式サークルになりました。来年は新入生勧誘せねば。そしてゆくゆくは俳句へ……。

■鉄門俳句会……企画は飯田哲弘。「鉄門ナンチャラ」というのは、東京大学医学部の学生を中心とした団体につく名称。よって、この句会の参加者はほとんどが東京大学医学部の学生なわけで、おそらく「日本一偏差値の高い句会」であると言える。近日第1回を実施予定。なんと句会の指導にはアノお方にお越しいただく予定!乞うご期待です。


〔俳句朗読〕

■俳ラ……新宿のジャズバー「サムライ」で毎年1回行なわれている俳句朗読のイベント。主催は「もののふの会」(「サムライ」マスターの宮崎二健さんが運営している幽霊団体)。天狗が出てきたり、メタボ気味の月光仮面が出てきたり、もういろんな意味でカオスです。今年10月に行なわれた「俳ラ10」には谷雄介が出演。中入りの即興朗読に中村安伸、モル、山口優夢他出演。

■朗読火山俳……毎年長野県佐久市で行われる朗読会。里俳句会が主催。内容は、俳ラよりは常識的ながら、やっぱり被り物系やコスプレ系の愉快な人たちがたくさん出てきて、いわば「大人の学芸会」の様相。今年行なわれた第6回朗読火山俳には、台風のため遅刻した谷雄介に代わって、偶然その場に居合わせたスパイダーマンが出演。


〔ホームページ〕

URLはhttp://www.thc-haiku.net

主なコンテンツは「about THC」(長らく工事中)、「BBS」、「Works」。また、7人のメンバーの運営するブログをトップページにリンクしてます。

ドメインなんか取っちゃったりして、割と気合い入ってます。


〔俳句総合誌等〕

ちょこちょこ作品が載ったりしてます。探してみてね。


北大路翼独占インタビュー

北大路翼独占インタビュー 〔聞き手〕谷雄介



新宿駅東口を足早に出て、待ち合わせ場所はドン・キホーテ前。

ドン・キホーテに到着してみると、翼さんは既に到着していて、人ごみの中で煙草をふかしている。とてもさっきまで会社にいたとは思えない、派手な格好。一人女の子を呼んでいるというので、しばし待つ。数分して結衣さん到着。それから3人が向かったのは、新宿歌舞伎町最安の居酒屋・虎の子でした。



谷雄介(以下、) 翼さんとはどれくらいのお付き合いなんですか?

結衣 3年くらいかなー。一時期はすごく仲良くしてたんだけど、この人、私が20歳になった途端にパタリと連絡よこさなくなったんだよ! ひどいでしょ。

北大路翼(以下、) 女は20歳までだからな(笑)でも、僕は結衣たんのことが一番のお気に入りだからね。

 えっと・・・今日は翼さんにインタビューをさせてもらうわけなんですけど、とりあえず、翼さんの若い頃のお話を伺おうかなと思ってます。確か、俳句を始めたばかりの頃は山頭火がお好きだったんですよね?

 そう。小4のときに家にあった山頭火の本を読んで、感動して、一気に俳句が好きになった。

 小4で俳句は渋いですね・・・山頭火のどんな作品がいいと思ったんですか。

 「花満開にして刑務所」とか「腰掛けてみる墓石であったか」とか。その頃から実作もしてた。

 賞に応募したり、句会に参加したりはしてたんですか?

 いや、全然。毎日絵日記を書いてた。絵を描いて、日記を書いて、日記の最後に俳句を書く。

 へえ。その絵日記はいつ頃まで続いてたんですか?

 今も続けてるよ。

 えー。ほんとですか!

 ダンボール2箱分はあるんじゃないかな。押入れの奥に大事に仕舞ってある。

 ダンボール2箱分はすごい・・・それ、翼さんが死んだら、押入れから発見されちゃっていろいろと・・・まずいんじゃないですか?

 まずいよ!(笑)絶対誰にも見せられないな。早めに処分しとかなきゃ。

 一度、翼さんちで翼さんが中学のときの写真を見たことがあったんですけど、あれ、涙が出るぐらいひどかった。稲中(※1)のキャラが現実に出てきたような感じでしたよね。すげえ暗黒時代。なんか心がひん曲がった文学少年って感じ。

 世の中のことなんて全部分かってると思ってたな。万能感や選民意識ってのは人一倍あったね。

 まあなんか典型的な早熟な子って感じですね。先生との仲はどうだったんですか?

 先生はみんな嫌いだったね。中学の頃は、音楽や体育の授業をさぼってばかりいた。そういえば、中学の頃の舎弟に「キンゲ」っていうやつがいて・・・

 ちょっと待ってください。キンゲってどんな字書くんですか?

 ばい菌の「菌」に陰毛の「毛」。みんなに嫌われていたんだけど、そういう嫌われ者って好きなんだよね。利用しやすいしね。もっとも僕も人から好かれていなかったからシンパを感じてたのかなあ。

 どのあたりからふっきれたんですか?

 高3のときが分岐点だね。高3で女遊びを覚えた。抱いたあとっていうのは女の態度が変わるでしょ。そこで初めて、支配欲というか、僕の選民意識が満たされたんだね。いまではすっかり支配されちゃってますが(笑)。あと、同じく高3のときにサッカーを見に行くようになった。

 あ、それがやがてマリノスの応援団につながっていくわけですね。それでフリューゲルスとの合併騒動のときに暴れすぎて、応援団出入り禁止になると(笑)

 まあ、そういうことだね。

 高校生になって、現在の師匠である今井聖さん(※2)と出会うことになったと思うんですけど、学校の先生としては今井さんはどんな方だったんですか?

 今井さんは英語の担当で、最初の頃はとにかくあの人とは馬が合わなかったな。毎日抗議文送ってた。「あんたは気に入らない」って。でも、ある時、お互いが俳句をやってることを知ると、とたんに仲良くなったね。

 あ、最初は知らなかったんですね。それで、だんだん今井さんと絡むようになるわけですよね。

 放課後、句会に誘われて、学校の近くの公民館の句会に行った。

 それは翼さんひとりだけですか?

 いや、他にも誘われたやつが何人かいて、加茂柏葉ってやつとか、井上秋燕とか、あと、金本アンドレ。みんな立派な俳号がついてた。加茂は大学に入ってからも1、2年俳句続けてたと思うんだけど、いつの間にかやめちゃってたな。

 最初に句会に出した俳句って覚えてますか?

 覚えてる。「心温」っていう言葉の入ってる俳句を出した。もちろん「心臓の温度」っていう意味の造語。たしか、「隣に座っていると『心温』が同じになってくる」みたいな俳句だったんじゃないかな。それを句会に出したら、どこかのじいさんに「これは『音』の間違いじゃないか?」みたいなことを言われたんで、「いや、これでいいんだ!」ってムキになって言い返した覚えがあるな。

 「街」に投句するようになったのはいつからなんですか?

 「街」創刊が、高3のとき。創刊号から投句してて、一度だけ〆切を間違えたとき以外は欠かさずに投句してる。

 「街」創刊の時には、もう楸邨(※3)は死んでますよね。

 うん。でも俳句を始めたのは早かったから、会おうと思えば、楸邨に会えたんだよ。それは心残りだな。この間初めて楸邨の家に行って仏壇に線香あげてきたよ。楸邨はキリスト教徒なのに家には仏壇があるんだよね(笑)

 最後の質問になると思いますけど、今俳句について思うことはありますか?質問が漠然としちゃってて申し訳ないんですけど。

 若手に魅力的なのがいないな。いい男もいい女も全然いない。暗い奴ばっかりで、一緒にいると3分で帰りたくなっちゃう。結衣たんは別れたあとも3分たったらまたすぐ会いたくなっちゃうもんねー。(お互い見つめあう)

 まあ、暗いやつばっかって言われたら、そうですよね。

 あと、俳句は誉められやすいから、誉められたいやつらばかりが入ってくる。才能があるやつは俳句に来なくて、才能のないやつばっかり来る。才能がない人は群れたがるからね。ルート17(※4)ってのはそういうことでしょう。

 (おお、言うなあ・・・)

 俳句甲子園組について言わせてもらえれば、本物の甲子園と比べると本気度が落ちるよなあ。ちょこちょこっと俳句作って、負けたらああ嘘泣きですか、かわいいですねって感じ。僕の持論では「どこか故障しなければ本気ではない」と思う。陸上だって真剣に走ったら、腱が切れたりするでしょ。腱が切れないのは本気で走ってないからだよ。俳句だって、つくっているうちに発狂しちゃってもいいじゃん。本気度が見えづらいところにいまいち俳句の人気がでない理由があるのかもしれない。

 翼さんは高校時代そんなに俳句に打ち込んでたんですか?

 ん。僕はまあ・・・あれだよ。そんなことないけど(笑)。これも持論だけど、「一句作るより、一人抱く方が簡単だが、名句を一句作るのは美人を一人抱くより難しい」って。結衣たんは名器だから名句以上だな。

結衣 ばかぁ。


(おしまい)




※1 稲中:漫画「行け!稲中卓球部」のこと。

※2 今井聖:「街」俳句会、主宰。

※3 楸邨:もちろん加藤楸邨のこと。今井聖が楸邨最晩年の弟子であるので、翼は楸邨の孫弟子にあたる。

※4 ルート17:20代から30代の若手俳人を中心とした俳句「ネットワーク」。ホームページのURLは、http://members2.jcom.home.ne.jp/root17/haiku/



はじめてのキャバクラ 谷雄介

はじめてのキャバクラ ……谷雄介



まだ上京したばかりで、右と左の区別くらいは分かっていても、新宿と原宿の違いがわからないくらいの頃に、僕は翼さんと初めて出会った。最初はたぶん嫌悪感が先行した。いろんな意味で青臭かった。

はじめて僕をキャバクラに連れていってくれたのは翼さんだった。

会って何度目のことだったかは、もう忘れてしまった。初めて会ってから、そんなに日は経っていなかったような気がする。それは新宿駅近くのキャバクラだった。お店に入ると、少し薄暗い店内にいくつかの人影がひしめいていて、若い女の人たちの明るい声と、たぶん男の人たちのくぐもった声とが交互に聞こえた。2人が席に座ると、すぐに若い女の子が2人現れた。「よろしくおねがいしまーす!」と言われて、「あ、よろしく御願いします」と返して、さて、どうしたものか、何を話していいか、全くわからない僕は、翼さんの話にただ相槌をうつしか術を知らなかった。

翼さんの話の持っていき方はすごく上手くて、初対面の女の子の懐にもすっと入っていく感じがある。そして、それが厭らしくない。サービス精神が旺盛な人だから、とにかく女の子を楽しませて、笑わせて、それを自分の楽しみにしているように僕には思える。

「俳人はモテなきゃダメだ!」というのは、翼さんの口癖。

もちろん翼さんはすごくモテる。翼さんと飲んだり、翼さんの家に遊びに行くたびに、誰かしら女の子がいるのだが、毎回違う女の子が隣にいる。しかも興味深いのは、どの女の子も可愛い子なのは当然として、皆とてもいい子だということ。優しいし、機転が効くし、話も上手い。

先日の翼さんへのインタビューの後、ゴールデン街でしたたか飲んで、それから新宿駅近くのキャバクラへ。初めて連れていってもらったときと同じキャバクラ。もちろん翼さんには全然かなわないけれど、あまり肩に力をいれず、楽しくお話することができた。そして、翼さんとは少し違う切り口から話をしている自分に気がついて、改めて「僕は翼さんになれないもんなあ」ということを考えていた。そして、「僕は翼さんにはなれない」という事実は、ひっくり返せば「翼さんは僕にはなれない」ということだし、僕と翼さんとの師弟関係において、それはたぶんとてもいいことなのだろうなと思った。


「青の会」論

「青の会」論

飯田哲弘/生駒大祐/上野葉月/岡本飛び地/河本いずみ/小林鮎美/谷雄介/中田八十八/瑞穂/モル/山口優夢





脱・青の会宣言 飯田哲弘



「青の会」の発足はTHCの誕生と重なる。このことは谷雄介(以下、ユースケ氏)と僕が「学生俳句会、いや、俳句界に新しい人々を呼び込みたい」という願望を同じくして意気投合したことを意味する。

過去一年間に開催した「青の会」は公式なもので十回を数え、記録に残っていないものを含めると、毎月何らかの形で初心者の獲得に成功している。参加者数は平均して15名前後であろう。

僕が「俳句の門戸開放」を望んだのは自身の経験からである。全国的な俳句甲子園が存在しない時代に高校を卒業してしまった僕が、生まれて初めて俳句を作ったのは二度目の大学入学後、東大俳句会(本郷俳句会)の現場に図々しくも参加したときのことである。有馬朗人先生を始め、岸本尚毅さんや日原傳さんなどという大御所が参加下さるのであるが、当時はその価値を全く計り得ず、大の大人達と若々しい学生達が席を同じくして僅か17音の日本語にあーだこーだ意見を述べあうその光景がただ新鮮で、感動と同時に秘かなおかしみをさえ抱いたのだっけ。句会の最中にふと顔を上げると、参加者全員がなんと真剣そのものであることか。僕は思わず「凄い世界があるものだ」と嬉しくて可笑しくてニヤニヤしていたのを覚えている。

# 祖父母は結社「青山」で長年句作を楽しんでいるが、釣りや野菜・草花の育成は喜んで教えてくれた彼らも、俳句については「お前には向かない」と断言した上、俳句のハの字も教えてくれなかった。今年の夏に初めて句会で同席したのは良い思い出である。

ところが、その東大俳句会は初心者にとって、必ずしも馴染みやすいものではなかった。確かに皆さんはとても親切で、句会のシステムを知らない僕が戸惑っても訊けば何でも教えて下さった。が、残念ながら僕の俳句との最初の出会いは「新鮮味」という感動以外のものを残せなかったようで、他の部活・サークルにかまけ、最初の一年間は二度か三度しか参加せず、句帖も作らなければ歳時記も買わないという実に不真面目な参加者であった。

また、学生俳句“界”という存在もまた閉塞の感を否めなかった。大半のメンバーが俳句甲子園出身者という中で小さなコミュニティを形成し、初心者に対する開放性という意味では(つまり積極的に俳句学生人口を増やそうという意気込みという点では)僕とは相容れないものがあったのである。学生が少人数で固まって健康的であるわけがなく、僕はそこに思い切り風穴を空けてやりたいと考えていた。

そこへ、恐らくは同じように考えていたユースケ氏と出会う。新宿の某しゃぶしゃぶ食べ放題店であった。このときのエピソードはここにはとても書けぬ、THCの句会に参加した折に二次会にて訊いて欲しい。とにかく話は急に進み出し、あれよという間にTHCが誕生したのである。

俳句と短歌の区別が付かない人、句会が風流の体現であると空想する人、句会は自作を披露して皆で褒め合う場と思い込んでいる人、俳句は老人の専売特許だと思っている人、伊藤園「お~いお茶」の新俳句こそ俳句だと思っている人…とにかく百聞は一見に如かず、誰でも良いから僕らの句会の席に座らせてやれ!これがTHCのスタートであった。無論、THCは「青の会」だけではない。俳句鍛錬の場である「薔薇の会(旧・赤の会)」や「犬の会」の他、様々な吟行句会も行っている。しかしTHCを最もTHCたらしめるのは、やはり「青の会」であろう。

「青の会」は初心者対象の句会であるが、一口に初心者と言っても、句会に初心者が数%混じるのと半数以上を占めるのとではまるで意味が違うのだ。その運営方法は過去の十回においてかなりの試行錯誤を要した。




初心者(というよりこれから初心者になる人々)に、筆記用具持参とだけ伝えて集合を掛け、それでどうやって句会を成立させるのか。さらにはどうやって「句会・俳句が楽しいものである」ことを知って貰えるのか。初心者と上級者が同席するにあたって様々な問題点が思い当たる。

1.選句基準
2.出句数
3.兼題か席題か雑詠か
4.指導の有無

そして、そもそも俳句の作り方とは…???何しろ対象は今まで一句も作ったことがないような人々である。うまきいつこさんに「あなた、狂ったように句会してるわね」とまで言われた僕はときどき忘れそうになるが、俳句を始めてみたい人に必ずしも自発的に俳句が込み上げてくるものではないのである。

それに、初心者が経験者に遠慮するような場にもしたくない。これは上述の「学生俳句界の閉塞感」へと繋がりうる。初心者も経験者も等しく席を並べて楽しめる場を作るのでなければ意味がない。普段の句会に初心者を招くのとは明らかに異なる空間を作りたかったからだ。

考えれば考えるほど面倒くさい問題である。なるほど、諸先輩がたが初心者ばかりを集めて句会をしようとしなかった理由が何となく分かる。

これに対する現時点での僕らの答えはこうだ。
選句基準は自由!しかし、既存の“俳句らしい”体裁を取っていない(恐らく初心者の)作品でも面白みがあれば積極的に評価する、というのは経験者の皆さんにも暗黙のうちに伝わったようだ。さらに出句数は2若しくは3、全て当季席題。これで初心者にも敷居が低く、経験者にも一定の制約が掛かるはずだ。そして指導はしない。もっとも、後述する「5分で俳句を作る方法」を説明するときに、季重なりや「説明」への忌避、その他ごく基本的な約束はさらりと述べる。勿論、披講後には各自好きずきに論評して良いものとする…。大体以上である。

とはいえ、素人がいきなり席題で二句作れ!と言われても戸惑うばかりである。ここでユースケ氏は「5分で俳句を作る方法」を皆に紹介することを提案した。つまり「取り合わせ」に全面的に依存して、「季語」と「季語を含まない語句」を結び付けて17音、つまり俳句にしてしまおう、というかなり荒っぽい手法である。なるほど、確かにこれなら誰でも簡単に俳句が作れてしまう。初心者は大変感激する。この手法を全員に強制すれば経験者と初級者の差は極めて小さくなる。実際、過去の「青の会」の選句結果を見れば初心者がかなり健闘しており、これは普通の句会ではまず考えられないことである。句会は参加するからこそ楽しい。句会で自分の句に点が入ればなお楽しい。大量の初心者を句会の席に平等に着かせて楽しんで頂く、という「青の会」の設立の趣旨からみれば最善の策に見える。

かくして「青の会」は発進した。その成果は今回の「週刊俳句」に寄稿した人々(ほんの一部である)を見て頂ければよい。もちろん試行錯誤は今も続いている。例えば、12音技法と俗称される(?)ように

  『季語の5音+季語と無関係な12音』 或いは 『季語と無関係な12音+季語の5音』

という形式を取るにしても、「季語と無関係な12音」を作るのは席題である「季語の5音」を知らされる前なのか後なのか、という問題がある。「季語」は誰でも知っているようなものを選ぶべきか、俳句性の高い季語(おかしな言い方であるが)を交えても良いのか、なども検討の余地がある。例えば「青の会9」では、席題の「月見草」を知っている者が僅か2名のみという中で強行されたのだ。しかもそのときは、席題を選んだ人自身が月見草を知らないと言い切った。




先に結論を述べると、僕自身は上記のような句会に相当の疑念を抱いている。更にいえば、俳句に強い関心のある初心の友人がいたとしても、「青の会」へ勧誘することに躊躇するだろう。

今まで何十人も「青の会」へ勧誘しておいて何を勝手なこと言ってるんだ!と怒られるかも知れない。それは確かにその通りである。が、変わるべきところは変えるべきである。ここで正直な思いを告白しておく。

例えば先日行われた「青の会10」では『季語と無関係な12音』を季語の発表前に作るよう強制された。各自が思い付くままに12音のコトバを書き連ねていき、最後に季語である『鳥渡る』と『曼珠沙華』が発表され、各自の作成した12音のコトバの中からこれらの季語に最も適合すると思われるものを選び、短冊に清書して出句する、という形式であった。

この作句方法に疑問を抱くか抱かないかは、実は俳句観の根深い相違に基づくものであり、両者の溝は容易に塞がらないように思う。完成した17音がたとえ名句だとしても、僕には頭のどこかに妙なしこりが残るのである。

以前ブログで「谺して山ほととぎす欲しいまま 杉田久女」の作者がホトトギスの鳴き声を知らなかったら(それでも原理的には作句可能である!)僕はこの句を全く評価できない、ホトトギスの鳴き声を知らない人がどんなにこの句の良し悪しを論じても聞く耳を持てない、という内容のことを書いた。僕の「青の会」批判はここに通じる。

「青の会」の作句法は或る意味で、季語を軽視することで成立している。季語はそれ自体に詩情を湛えている。だからこそ俳句という僅か17音の短詩文学が大衆性を獲得し、これほどまでに発達し得た、というのは今さら僕が語るまでもない。むろん僕自身は無季俳句を否定するものではないし、実際いくつかの無季俳句を作ってもみたが、無季俳句の「無」は季語に依存しない意味での「無」であり、季語を無視・軽視した意味での「無」ではないと考えたい。歳時記至上主義・季題趣味へのアンチテーゼとしての無季俳句の試みは大変興味深いが、季語を知らない或いは知ろうとしない人間の作った“有”季俳句を読みたいとは少しも思わない。そして、僕の拙いながらの作品も、季語をよく知らない人にまで読んで貰いたいとは思わないのが本音である。

季語には詩情という威力があると書いたが、それ以外にも普遍性や日常性、印象の連想・連鎖性といった、読み手と書き手の主観距離を手っ取り早く短縮する作用がある。「別に俺は俳句で花鳥諷詠なんぞやりたくない」という人間にとっても、いや全ての日本語使用者にとっても季語は重宝するものなのだ。無季俳句というのは思うに、それら季語の効用を知り尽くした人間が敢えて挑戦すべきもので、僕などが作っても偶然の結果に左右されるだけのような気がしている。然るに、「青の会」における作句法は季語を含んだ“無”季俳句(無論この“無”は無視の無である)、それも「この季語とこの12音の出会いは偶然ではなく必然であった!」という感動を生み出せない、実に底の浅い「俳句」を量産しているだけような気さえする。

「青の会」形式の作句法・鑑賞法に何故僕は疑問を払拭し得ないのかを明らかにする上で、僕自身が何のために俳句を作り、読んでいるのかという根本に立ち返る必要がありそうだ。

日常の「…あ」という、密かな呟きこそが俳句の原点でなかろうかと僕は思う。ほんの些細な感性の揺らぎ、連想からこみ上げる筆舌に尽くし得ぬ心情の瞬き、それを他者に伝え得るのが俳句であり、俳句を堪らなく魅力的なものとしているのではなかろうか。ある俳句に感動するとすれば、それは「よくぞ言い表してくれた!」という敬意と、「ちくしょう!これは俺が表現したかったのに…」という悔しさ故である。だから俳句は作っても読んでも面白いし、しかし句会に参加しないとイマイチ面白くない。端的に言えば、結局、僕は俳句を通じて作者と共感したいのである。自作を通じて読者と共感したいのである。それも薄っぺらなものではない、何か言葉に出来ない深い感動を共有したいのだ。

従って、たとえ出来上がった17音が俳句作品として優れていても、深い根拠もなく(いわば偶然性に左右されたゲーム感覚で)構成したに過ぎない俳句なのだと思った途端、一気に力が抜けて白けてしまう。そのような俳句に感動するなんて誰がなんと言おうと僕には無理なのだ。

僕が冒頭で知人を誘うのに躊躇すると記したのは、「青の会」こそ俳句と句会のスタンダードだと思われることを恐れたからである。無論「青の会」はあくまで入り口、オリエンテーションであって、そこから先へ進むか否かは各人の意志を尊重すべきかも知れないが、多くの「青の会」参加者が結局は「青の会」にしか参加していないという事実に目を背けてはならない。

「青の会」は確かに一定の役割を果たしてきた。今後もTHCの看板句会として継続していくだろう。そして多くの初心者が句会というものを、恐らく日本中で最もフランクに、フレンドリーに体験していくだろう。その功績は(些か自画自賛的ではあるが)無視できない。

がしかし、設立メンバーとして敢えて言いたい。
もっと「薔薇の会」を楽しもうではないか。初心者を「青の会」に閉じ込めるな!と。




青に座す 生駒大祐

青の会というのは非常に不思議な場である。俳句経験者、未経験者が何処からともなく集まり、言われるままに文字数を合わせて単語を並べているうちに何時の間にやら俳句が出来上がっている。気が付けば句会が始まっており、思いつくままに喋ってみるともう帰り支度だ。教えられる作句方法は、人によっては俳句を皮肉っているようにしか見えないようなものだと言うのに、参加者達は(おそらく)全員大真面目である。

会の趣旨は「俳句初心者を俳句に引き込むこと」であると聞いた。この句会形式が本当に俳句未経験者を俳人化するための適解かどうかは正直分からない。「少なくとも適切なひとを適切なタイミングで惹きこむ程度の魅力を俳句は有している」と無邪気にも信じていたりもする。

しかし、「己にとって」という観点から見ると、この青の会という句会はなかなかどうして有意義な場である。「時には初心者の句を見るのも反省になってよい」などと偉そうに言うつもりはない。むしろ、時にはきちんと「俳句」が出来上がってしまうことが驚異であり脅威である。俳句をコミュニケーションと捉えると、「共感してくれる読み手に対して、詠み手は自分なりの実感を込めて提示する」という最低限の「モラル」に欠けるとも言える句会を楽しむ。偶然の取り合わせに共感が集まり、情景が生まれる。それは俳句という文芸の未完成故か大円熟故か。清記用紙上に完成された俳句は無いが、句会の楽しみのエッセンスは確かに青の会に宿されている。

座の文学に何座りで臨もう。選択肢が多いと脚も痺れまい。




青の会断想 上野葉月

「青の会」というのは名前がいい。THCでは珍しい。
なんとなく風が吹くとさわやかな音がしそうではないか。「青の会」。たしか前にも似たようなことをどこかに書いた憶えがある。

「薔薇の会」というと完全に誤解する人がいるし(誤解なのだろうか?)。「犬の会」と聞いて尻尾を振る人もある(人か?)。

「ダムの会」「蕎麦の会」なんかはそのまんまだ。俳味があるという言い逃れは可能だが(俳味というのは本当に便利な言葉である)。
「の・ぼーるの会」というのはもしかしたら傑作タイトルのような気もする(たぶん気のせいであろう)。たしかどこかの美女俳人が子規のあの有名な写真を見ると「のぼーる!」といいながら頭を撫ぜてみたくなるというようなことを書いていたような気がする(お前は美女俳人の挙動と俳句にしか興味がないだろ)。

トーキョーハイクライターズクラブをトーキョーHライターズクラブと略して呼ぶのは止めにしていただきたい。略すなら徹底的に略してTHC。間違ってもトーハイ倶楽部なんて中途半端なのは勘弁していただきたい。

「青の会」。少なくとも名前は良い。



キャミソールと青き天国 岡本飛び地

青の会との出会いは今年の4月に遡るが話はさらに前の年の5月に遡る。

某男子寮のホワイトボードにある日、寮句会開催のお知らせが書かれた。文責・谷雄介。ただならぬ雰囲気でホワイトボードが薄緑に染まらんばかりであった。念のために一句用意してから句会当日を迎えた。季語はキャミソールだった。

飛「1句用意してきたんだけど。」
谷「いや、いらないっすよ。」

衝撃であった。句会なのに俳句がいらないなんて。胸に秘めたキャミソール句はどうすれば成仏できるのであろうか。私のキャミソールを返してくれ!そんな魂の叫びをよそに谷の口から「5分で俳句ができる魔法のテクニック」が語られた。そしてこの方法で各々が句を詠んだ。俳句、意外と面白い。そう感じ、その後も寮句会に参加した。ちなみに皆勤。

いつしか寮句会の頻度が落ち、谷に催促したところ誘われたのが青の会だった。谷は皆勤の私を差し置いて別のコミュニティでエンジョイしていたのか。ささやかな憤りは青の会会場で多大なる感謝へと変わった。形式が全く同じはずの寮句会と青の会。この2者の最大の違いは男女比にある。女性が著しく少ない大学に通う私にとっては青き天国であった。ありがとう、谷。後に大学の友人から青の会を「出会い系俳句」と呼ばれるようになるがそれはまた別の話である。

寮句会と青の会の違いはもう一つある。当然だが好みが違う。寮句会では良くも悪くも男子学生らしい句が多いなどといった傾向の違いはあるが、それとはまた別に。例えば、どちらかというと寮句会では離れ気味の句が、青の会ではつき気味の句が好まれる。最近の青の会で常連ばかりが高得点なのを憂いているが、これもある程度は好みのせいなのだろう。それに、点云々より初めての人に楽しんでいただけたかどうかの方が大事。俳句、意外と面白い、って。そして、そう思っていただけるためのお手伝いができたなら幸い。

でもまた寮句会やりたいな。




一初心者の曰く 河本いずみ

俳句に出会える人というのは、特に若者の中では、今の日本においてそう多くない。それは俳句の危機だといえる。ましてや少子化の進むこの日本では、このまま順当にいけば、俳句はたやすく滅んでしまうだろう。そこで俳句の衰退を食い止めようと(?)、せっせと人々と俳句を出会わせているのが「青の会」だ。青の会の行っていることは、ゆえにとても偉大である。俳句との出会いの場は、昨今の若者にとってはとにかく貴重なのだ。

青の会の強さは、構えさせることなく、きわめて自然に、俳句と句会の楽しさの一面を初心者に体感させてしまうところにある。もちろん、それは俳句の世界のほんの一片の味わいに過ぎないのではあろうが、他にここまで大きな変化をある程度の人数に短期間で提供できる方法を、私は知らない。

俳句に縁なく生きてきた人は、俳句を作れと言われても、どうすればよいのか見当もつかないものだ。あの「お手上げ感」は、俳句の世界に一度漬かってしまった人にはもう思い出せないのかもしれない。そうしたところへ、青の会は明るい顔をして、やさしい言葉でもって、俳句に触れる方法を与えてくれる。すると、俳句は突如として、触るべきかたちのある遊具として私の前に姿を現すのだ。ただし、そこにおいて俳句は遊具以上のものではない。それが誰かの人生にとっての深みや意味をもう少しばかり有するまでには、詠み手にあと幾らかの経験と勉強とが求められるからだ。

青の会が最も批判を受けやすいのは、その点ではないだろうか。だが、青の会の限界は、なにも青の会に固有のものではない。人と何かを出会わせようとするとき、他人が用意できるのは単にきっかけだけなのだ。

青の会が与えてくれたその貴重なきっかけが、私においてもいつか花開いたらいいと、一初心者として願っている。今よりももっと、俳句が私の世界をうたい、また私の世界を押し広げるのは、いつの日になるだろうか。




騙されて青の会 小林鮎美

去年の11月下旬、学生句会でお世話になっている飯田哲弘さんからメールがあった。

件名:青の会

「明日の夕方に席題句会やるので来ませんか?」

会場は新宿とのこと。学園祭の最中で若干慌ただしかったが、大学から近かったので行くことにした。

新宿駅に着くと10人弱が集まっていた。学生句会の知り合いと初対面の人が半々ぐらいの割合。会場のルノアールにつくとレジュメを渡された。1ページ目にこう書いてあった。

「主催:トーキョーハイクライターズクラブ(半角で記載!)」

なんか胡散臭い・・・・・・・。トーキョーって。ハイクライターズって。全部半角カタカナって。

そこで青の会の説明を受けた。初心者向けの句会であること。席題句会で、5文字の季語と、それに全く関係ない12文字の言葉の組み合わせで俳句を作ること。簡単なやり方で俳句っぽいものが作れることに驚いた。このやり方については色々と問題もあるけれど、俳句を作ったことがない人に、句会を経験させるためには、有効なシステムだと思う。

句会のことを誤解している人は多い。というか俳句をやらない人は句会がどういうものか想像もついていないと思う。私が「これから句会なんだ」と言ったら、「え、句会って和服着ていかなくていいの?」と訊いた友人がいる。「句会って自分が作った句を詠み上げるんじゃないんですか?」と訊いてきた後輩がいる。私も最初に句会に行ったときはわからないことばかりで不安だった。すぐに慣れたけど。

句会は楽しい。だからもっとたくさんの人に、気軽に句会に来て欲しい。

初めて行った青の会は単純に楽しいところだった。ひとつの俳句への入り口として、青の会はそれだけでいいじゃないかと思う。入り口から先に進むのは、各人の自由だろう。そしてそういった道案内的役割として、トーキョーハイクライターズクラブは実にしっくりくる胡散臭さであると思っている。




アウェイ感について 谷雄介

先日の青の会に参加してくれた某嬢、とても楽しんでくれたよう。次回もぜひ参加したいとのこと。その日の夜に送られてきたメールの中に「アウェイ感がなくて、すごく居心地のいい句会でした」という言葉があって、少しずつ青の会もいい方向に向かっているのかなと感じた。

彼女の言うところの「アウェイ感」を排除することは、青の会の大きな目標のひとつだと思っている。もともと俳句をやっている僕でさえ、ほとんど知っている人のいない句会に参加するということは、大きなアウェイ感を伴う。ましてや、俳句を作った経験がなくていきなり句会に参加だなんて、そのアウェイ感、そして、そこから生じる不安や緊張はいかほどのものだろう。
 
この不安や緊張への想像力が決定的に重要だ。そして、この想像力が、青の会であったり、いわゆる「十二音技法」の精神的支柱だと思っている。俳句未経験者に対する「どんな俳句でもいいから作ってみなよ!」という一見ざっくばらんな提案が、どれほどの不安や緊張を彼らに強いているか。わからない人には、おそらく、一生わからない。

そういう不安や緊張を経験することも大事なんだよ、と反論する向きもあるかもしれない。しかしながら、こういった場面で、せっかく足を運んでもらった俳句未経験者に不必要な不安や緊張を強いるのは、僕にはナンセンスとしか思えない。

さて、俳句の世界にこういった不安や緊張への対策が講じられているかと考えてみると、僕の知っている限り、それは皆無だ。一部の例外を除いて、俳句をやるなんていう人間は、洒落っ気がなくて、精神構造も甚だしく子供である場合が多い。現状を憂うのが趣味で、口からは立派な言葉がたくさん並べられるのだけれど、自分では決して何もしない。そんな俳句の人たち、人間としては嫌いではないのだけれど、俳句の未来には無駄だ。

「青の会」という名称だけを聞くと、若々しいイメージだったり、清新なイメージが先行するのだろうか。しかし、その為しているところを鑑みると、実に「大人のはからい」が要求される会だと言える。みんな同じ土俵で真剣勝負をするわけで、ベテランも初心者も関係ない。その態度において、アウェイ感は消失する。目の前の1句がすべて。それに対する参加者相互の評価がすべて。それ以上を言うだなんて、それは饒舌すぎるというもの。

その上で、その真剣勝負を楽しめなきゃ「大人」とは言えない。そこのところは、何度強調しても強調しすぎるということはない。あと、句会後のおいしいお酒ね。



青の会考 中田八十八

「パパさん(=八十八)、このデザートを喩えるとすると?」
「うーん...日陰に残っていた雪も融けて、最後に残された白鳥の一団が遂に飛び立とうとする時のような...春の喜びと同時に、去っていく冬へのそこはかとない寂寥感だね!」
「何ですかそれ(笑)。このアイスのところが雪ですか!」

THCにも参加しているげんじょう君とは学生時代からの友人で、よくこんなくだらない言葉遊びをやっていた。居酒屋でそんな話をしていると、周りの友人たちもけらけら笑ってくれたものだ。

言葉やモノに対する愛着や、それを表現する喜びは、少なからず誰でも持っているものだろう。俳句が、そのような欲求を効率よく満たしてくれるものの一つであることは疑いようがないが、残念ながらその認識はあまり浸透していない。

あるいは俳句に触れることで、自分の中に思わぬ広がりがあったと知る人も多いかもしれない。青の会は、そのような人の為の「発見」の場である。

青の会ではいわゆる十二音技法を用いて句会を行うが、これは一種の「方便」であると言えよう。俳句は、初心者であっても「たまたま面白いことが起きる」ことがあるわけだが(勿論はじめから初心者の域を越えている人もいるだろうが)、十二音技法を使うとこの「たまたま」がうんと起きやすくなる。仮にたまたまだったとしても、それが自分が生み出した作品であることに変わりはなく、そのような経験を通して、参加者が今まで気づかなかった、自分の内にある「俳句的世界」を発見することができたとすれば、それは大きいことだ。




青の会へ愛をこめて! 瑞穂

合コンではないけれど、人が足りないから来て!と友人に誘われて人生で初めての句会に参加することとなった。清記用紙やら短冊やらトメやらいただきましたやらの飛び交う中、一体何が起きているのか右も左もわからないまま句会は終わり、大学そばにある某レストランで2次会が行われた。そこに、細身(当時)に眼鏡の知的な青年が現れた。谷雄介氏である。

その谷氏から「青の会」の誘いがきたのはしばらくたってからのことだった。

なんでも「5分で作れる俳句講座」をやるから是非来て欲しいとのこと。

私は躊躇した。5分で俳句がつくれるわけがないし、作れたところで「575にはなっていますが」という程度のものだろう、と思っていたのだ。 1度くらいなら…という気持ちで出かけてみたものの、いざ行ってみれば待ち合わせ場所にいた人たちはみな揃って知的な顔を連ねており、私みたいな不勉強な人間がいていいものなのかと疑問に感じながら句会の場となる喫茶店へ向かうことになった。その時の季語は二つ、「卵酒」と「日記買う」。日記買う、だなんて動詞まで季語なんだ、と感心しながらTHC流「初心者でも5分で作れる!」俳句の技法の説明を受ける。これなら私にもできるかも知れない。

しかし、季語を説明しない12文字と言われてもそれで俳句になるのかわからない。その青の会初体験から早1年がたとうとしているが、実は今でもそれが本当に俳句として成り立つのか、いまいちよくわからない。 真剣にやろうとすればやるほど、よくわからなくなってきてしまうのかも知れない。

ちなみにその時に出した句は「卵酒ばきりと音のする背中」。

このまま進歩がないまま続けていたら俳句にも俳人の皆様にも失礼なのではないかと感じることもあるけれど、それでも初心者の私が自分なりの距離で「俳句」を楽しいと思えている、 これはTHCだからこそ触れることのできた俳句の世界なのだと思う。




青の会に関する短いレポート モル

青の会に出席するようになり三ヶ月ほどたったころだろうか。青の会主催のうちの一人、タニユースケから一冊の本を渡された。小林恭二著「俳句という遊び」。これは小林恭二が当代最高の技量を有する俳人8人を呼び、流派を超えた最高の句会をプロデュースするという内容の句会録である。小林恭二が目指した句会、それは”大人の遊び”としての句会である。参加者全員が同じ立場となる句会。コミュニケーションとしての句会。俳句を楽しむための句会。何かを彷彿させはしないか。そう、青の会だ。青の会主催であるタニユースケ、飯田哲弘両氏が青の会の目的を我々メンバーの前で明らかにしたことはない。しかし、この独自のルールと多様な参加者をほこる青の会は、単純に俳句仲間を増やしたいという目的だけでなく、”遊び”としての俳句を楽しみたい、”ゲーム”としての句会を楽しみたいという欲求がその根底にあるように思えるのだ。

では青の会の楽しみとは何なのか。ご存知のとおり青の会は俳句初心者と経験者が対等に句会を楽しもうという会だ。私も青の会で始めて俳句を作り、句会というものにふれた一人である。この会に先生と呼ばれる人はいない。句会を始める前に「五分で出来る!かんたん俳句の作り方講座」で少しだけ俳句にふれ、あとはとにかく作ってみよう!と少し長めに時間をとって句作を行う。そして句会。注目すべきは「俳句の作り方講座」以降は作句に関しても披講に関しても一切指導をしないという点だ。それぞれの中で俳句は徐々に形作られていく。青の会はその一歩。私にとってはそうだった。さて、もう一つ注目すべき点に句会で発表された句が直ちにHP上に掲載されることをあげたい。つまり青の会において句会は活字発表のために俳句を品定めする場にはなりえない。句会が真剣に俳句を楽しむ”ゲーム”であり”勝負”の場となるというわけだ。思い出してほしい。初心者だったころこそ、句会が勝負の場ではなかっただろうか。あの句会が始まるまでの緊張感。どれだけ真剣な気持ちで一回一回の句会に臨んだか。青の会の内容を聞いたときに、青の会とは初心者が句会を楽しむための会だと思われたかもしれない。しかし私は、青の会は経験者が句会を句会として真剣に楽しむことのできる会だとも思うのだ。

前述のとおり、これまでTHCは青の会の活動目的をおそらく故意にあやふやなものとしてきた。メンバーの間でも腫れ物にさわるようにそうした内容が話題にのぼることを避け、私たちはいつも句会の連絡が来れば集まり、そして散っていった。ところがある出来事を境に一変する。遠藤治氏の記事である。ブログ上で、mixi上で、水があふれ出るようにそれぞれが思う青の会の像が語られた。みな若く、未熟で、真剣なのだ。

この青の会を一年以上続けてきたトーキョーハイクライターズクラブが、若者ばかりの集まりでる故の未熟さや不安定さを常に抱えていることは否めない。しかし私たちは初心者も経験者も関係なくそれぞれに俳句を真剣に楽しんできた。この俳句馬鹿な若者どもをこれからも暖かく見守っていただければ幸いである。




青の会とホトトギス 山口優夢

僕が青の会に参加したのは、これまで十回あったうちの二回である。僕自身と青の会との距離はやや遠いかもしれない。あるいは、それは回数ではなく態度の問題であったかもしれないが、青の会に対して、僕はいわば傍観者であった。あえてその立場から書きたい。

この会の画期的なところは、「俳句に初めて触れる人のための句会」というコンセプトであろう。これは僕には驚きだった。今まではなかっただろうし、あっても成功した例はないだろう(たぶん)。

十二音技法そのものは、何も青の会の独創ではない。僕の高校生時分にもそれはあった。青の会の独創は、この技法を初心者が経験者と対等に句会で渡り合うための技術として活用した点にある。つまり、そこで魅力の一つとして追求されていたのが、俳句というよりも句会の楽しみであった。これは、分かりやすい魅力だった。

いつの世も、分かりやすさは間口を広げるのに重要だ。子規は写生を世に喧伝し、それが大結社ホトトギスの礎となった。ホトトギスが写生なら、青の会は十二音技法か。

しかし、この二者の決定的な違いは、青の会ではその技法が絶対のものでない、つまり、十二音技法だけが俳句の作り方でないことは、誰もが心得ていた点だろう。

多くの人に俳句への興味を持たせるという青の会の目標は、ひとまずは成功を見た。それは、この会をきっかけに俳句を始めた人が何人もいることを見ても明らかだ。さあ、ここからまた問い直さなければならぬ。この先に何があるのか?俳句に興味を持った人を沢山作って何がしたいのか?あるいはそれが最終目標なのか?その答えに応じて、青の会は(あるいは、THCは、だろうか)十二音技法とは異なる何かを見つけなければならないはずだ。

昔の結社とは異なり、一つの俳句の作り方が絶対の教義に成り得ない、いわば戦略的に技法を採用する俳句集団がこの先どうなるのか。これはちょっとした見物ではなかろうか?