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2013-01-20

【2012落選展を読む】(12 13 14 15)大穂照久 生駒大祐 司会:村田篠

【2012落選展を読む】
拘束着からレフ板まで 
(08谷口鳥子 09村越 敦 10利普苑るな 11藤 幹子)

大穂照久 
生駒大祐
司会:村田 篠


この対話は、2012/11/10から2012/12/8にかけて、ネット掲示板及びskypeのメッセージ機能を通じて交わされたテキストを、再構成したものです。


12谷口鳥子「夏星の配線」
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村田:では、第2ブロック後半の最初の作品、「夏星の記憶」を読んでいきます。一読して特徴的なテーマが印象に残る作品でした。いかがでしょうか。

生駒:はい。では僕から行きます。

サンドバックの奥に窓その奥に月
山百合と油を踏んで工場へ
拘束着「どないして脱ぐねん」夏の朝


が好きな句で、荒い手触りの句群に個性と魅力を感じました。

しかし、

グローブの紐引く室温四十度
花冷えや少しきつめにバンテージ
ウェブ株価見る鹿ジャーキーしゃぶりつつ


のようにストーリーがあるように見えて、空気感のみを詠んでいるにすぎない句もあるように思いました。

村田:50句の中に、違ったテーマがいくつも並んでいます。

大穂:前半がボクサー、中盤が作業員、後半が介護ですね。

生駒:同じテーマの連作が約10句ずつ連なっているのですが、この構成に逆に散漫な印象を受けてしまい、50句を連作とする難しさを感じました。

村田:私は、全体的に身体と、身体に直結する感覚を詠まれていて、そういう意味でのまとまりはあるのかな、と感じました。ただ、〈クレソン噛み潰し記憶の夏に入る〉〈夏星の配線だけをつなぎ去る〉のような抽象的な句もあって、それで印象が混乱してしまった感があります。

大穂:身体に直結する感覚というまとまりは僕も感じました。ただ、後半の介護以外、あまり共感はしない50句でした。

村田:確かに、50句を通して作者像がなかなか定まってこない、という印象はあります。

大穂:フィクションかどうかはさておき、作品はあまり成功していないと思います。

生駒:それはなぜか、ということですね。

大穂:どこか、想望感を感じてしまいます。リアルを感じない。フィクションでも、リアルを感じることはできるけれども、この作品からは感じられないのです。

村田:「リアルを感じる」というのは、俳句に限らず、どんな創作物にとっても大切な要素だと思います。実際にそれがリアルかどうか、ということではなく、受け取り手がリアルを感じるかどうか。

このあたりを、もう少し具体的に話していただけますか?

大穂:例えばボクサー「を」詠んだ句か、ボクサー「が」詠んだ句か。この50句は前者側の域に留まっています。

だから、共感というか、突きぬけるものがない。読み手はのめりこめないんですね。

村田:自分のこととして詠めていない、ということでしょうか。

生駒さんも挙げられていますが、私も〈サンドバック〉〈山百合〉の句が好きです。リアルを感じますし、少し内省的です。

ですが、そうした句と、例えば〈ウェブ株価見る〉の句を同じ人がつくったとは思えない。この句の主体は一人称ですが、ちょっと無理をしているような気がします。私には、そういう感じがしました。

大穂:でも、介護の部分は結構よかったかなと思います。わりにリアルを感じました。

生駒:介護の部分は僕もそう思います。

大穂:生駒くんも挙げている〈拘束着「どないして脱ぐねん」夏の朝〉の句はいいですね。拘束着を着せられて「どないして脱ぐねん」という。夏の朝は雑ですが、これくらい乱暴につけてもいいのかもしれません。

ポピーの鉢かかえホームは事故処理中〉もいい。鉢を抱えて両手がふさがっている景が事故処理のホームと合います。このあたりは面白いです。

生駒:〈ポピー〉の句は僕もいいと思います。〈革軍手灼けるレンチに変色し〉もいいですね。

大穂:この作品のようなテーマなら、定型外の俳句を多く出した方がいいんじゃないでしょうか。破調字余り季語なしでも全然OKだと思います。

生駒:独特のリズムを持っている方なので、それを生かすことができればさらに良い句が出てくるのではないかと思いました。

村田:私は、この方は意外に内省的な部分に本領があるのではないか、という気がします。それが、テーマやゴツッとしたリズムとかみ合うと、もっと面白くなるし、この作者だけの特長にもなってくるんじゃないかと思います。

ざっくりした言い方で、申し訳ないのですが。



13村越 敦「駱駝の列」
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生駒:好きな句から行きますと

世界ぢゆうの蟻の話をして眠る
薄暑かな道の向かうに西友見え
広告の中の家族やシクラメン
日向ぼこ遠くの日向思ひけり


このような句には成功を感じるし、実際に僕の大好きな句ではあります。
しかし、全体として「非常に惜しい」と感じる50句であることも確かです。

村田:「惜しい」については後ほど話していただくとして、大穂さん、お願いします。

大穂:いきなりの1句目、〈やがて降る雨雪のこと薬喰〉が好きです。雨催、雪催のなか肉を食う静謐な風景。景もさることながら「やがて降る雨雪のこと」がフレーズとしていいですね。

世界ぢゆうの蟻の話をして眠る〉は優しさのある句だなと思います。そういう夜のことはいつまでも忘れないものです。

黄落や捨てし水槽わづかに濡れ〉、「捨てし水槽わづかに濡れ」の部分が非常にごちゃごちゃした感じですが、いい景ですね。水槽の水滴、黄色の葉の映るガラス、土の感じなどが見えます。

村田:私は、一読して独特の匂いを感じました。

梨咲いてましろくひかる鏡かな
広告の中の家族やシクラメン
水無月の火口に石を売る男
死のかるく描かれてゐる檸檬かな


日本離れしているというか、ちょっと無国籍な感じのする句群だな、と。〈世界ぢゆう〉の句もそうです。言葉の選択と形容の問題なのか。面白いと思います。

では生駒さん、どのあたりが惜しいのでしょうか。

生駒:たとえば1句目の〈やがて降る〉の「薬喰」の惜しさであるとか。大穂さんはいいと言われましたが、僕は惜しいと思います。それから〈女正月話を聞いて暮れにけり〉の「普通」感の惜しさであるとか、〈梅雨冷や小学校は朱き海〉の朱さに共感できないことの惜しさであるとか、ですね。

良くなりそうな句はたくさんあります。〈夢にまで見し駱駝の列や橋は夏〉の下五なども頑張っています。題材も多彩ですし 、カタカナ多用や切れの複雑さを意識した句を作っていますが、そのすべてが成功しているとは言えない。

挑戦しているんだけれども、俳句の枠内でやろうとしているのが痛し痒しで。

大穂:痛し痒しというと目線を変えれば、一気によくなるのでしょうか。

村田:気になって惹かれる句は多いです。〈アネモネや作り物めく博士の手〉とか〈梟や見知らぬ街はかがやける〉とか。

生駒:句の幅は感じられるので、個性を意識した作り方をしていくべきなんでしょうね。

大穂:最後の〈けふがいちばん幸せといふ雪が降る〉という句は、〈今生のいまが倖せ衣被 真砂女〉をちょっと想像してしまいます。

生駒:個性は巧みさからでるものではないと思っています。俳句における巧みさは比較的得やすいですが、個性的な面白さを出していくのはむずかしい。既にそこを狙っているのでしょうが、もっと突き詰めてほしい。

大穂:今回の50句は既存のうまさを捨てて、新しい実験をした感じがあります。

村田:1句1句はとても工夫が凝らされているのですが、全体としてハジケた感じがしなかったです。「しばしある」「欲なべて」という入り方とか、「それとして」という慣用句の折り込み方とか、いろいろな試みが逆に手慣れた感じになってしまっているのか。

大穂:手慣れた感じもありましたが、今回の作品では、村越くんは角川俳句賞向きの50句をあえて捨てて、この50句を出してきたのではないかと。

生駒:一方で、母数が足りなかったんだろう感があります。

大穂:新しい試みの母数ということですね。でも読んで、楽しかったですよ。

村田:そうですね。私もです。



14 利普苑るな「2011/2012」
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村田:次は「2011/2012」です。2011年から2012年にかけての光景を詠まれた句群、ということなんでしょうか。

生駒:このタイトルは評価できないです。

大穂:もう少し考えて欲しいですよね。

僕がいいと思った句を挙げますと、

新涼や言葉の出入りする身体
秋風や人影映す大理石
春めくや三食刷りの献立表


あたりですね。

新涼や〉の句、言葉は、耳と口だけでなく、目や肌からも出入りします。自分の体が清新な気分に満たされたなかで言葉の出入りを感じている景。面白いです。

大理石〉の句は、少し暗く反射する人影が想像できます。大理石の反射率は低いですからね。

春めくや〉、三食刷りって今学校で使っているのでしょうか。個人的な思い出ですが、春休み直前の給食は特別な感じがありました。

村田:春めくや〉はいいですね。ありのままですが、「三色刷」というようなところに注意の向く感じが好きです。

鳥交る綿のこぼるる縫ひぐるみ〉〈花茣蓙の柄よきところ選りて座す〉〈冬帽の男の低く唄ひ過ぐ〉あたりにも、表面だけではないちょっとした事情みたいなものを淡く感じさせてくれるような気がして、好きな句です。

生駒:僕は〈春めくや〉の句はあまり。「ただごと」を越える何かがあるのかと言われば、少し疑問が残るかと思いました。〈欠伸して涙ひと粒桃の花〉〈天丼の海老の尾ぱりと桜どき〉などの句もそうですね。

村田:「ただごと」というのは、どういうことだと思われますか?

生駒:「誰もが当たり前だと思っていること」ではなくて、真実を描いてはいるのだが、そのことを描くこと自体に凄みが生まれる状況。それを「ただごとを超えている」というのではないかと思います。

村田:「そのことを描くこと自体の凄み」というのは、事実というだけではなくて、根源に近いところを描いてしまう、みたいなことなのでしょうか。

生駒:同じ「経験があるな」と思わせることでも、それが既に読者の中で言葉となって認識されている事柄には驚きはないです。言葉にされることで初めてそれが真理なのだと気付かされる経験、そんなものに凄味を感じるし、ただごとの面白さの本質はそこだと思います。

村田:なるほど。大穂さん、〈天丼の〉の句はどうでしょうか?

大穂:桜どきの斡旋はうまい。うますぎますね。

村田:生駒さん、いかがですか?

生駒:僕の好きな句は

みちのくの田に花冷の至りけり
竜胆の青の極まる遠野かな
夕凪や釣人のふりしてゐたる
冬帽の男の低く唄ひ過ぐ


みちのく〉〈竜胆〉の句は端正ですし、〈夕凪〉〈冬帽〉などにはとぼけた味わいがあります。幅のある50句ですね。

大穂:夕凪〉〈冬帽〉の句はいいですよね。

生駒:季語の斡旋がうまかった。

この作者は取り合わせの可能性を信じている方だと思うので、その伸びしろを生かすことで突破口が開けるのではないかという気がします。

トーンが一定である印象を受けたので、作家性を守りつつももっと攻めてもよいのではないのかとも思いました。

大穂:全体に破綻している句は少ないですね。でも、面白い句も少なかった、というのが正直な感想です。「破綻していない=魅力的」ということではないですから。

生駒:普通を超えるものが出てきた俳句を読みたいです。

村田:大穂さん、面白い句、というのは、どういう句のことだと思われますか?

大穂:ここで言う面白さというのは、新しい視座を提案する面白さのことです。

村田:「新しい視座」とは、もう少しかみ砕いて言うと?

大穂:いわゆる俳句的な範疇、予想を超えた俳句といえばいいでしょうか。

今回の50句は、俳句の面白さが再生産的というか、プラスアルファを感じられない方向という感じがしました。

私はどちらかというと、開拓的な面白さをもとめてしまうので、そういった俳句をもっと読みたいですね。

村田:大穂さんの言葉をお借りすると、いつまでも同じ「視座」で俳句と関わってしまうことが問題だと。それは、ある程度の時間、俳句と付き合って上達してくると、必ず突き当たる問題ですよね。

大穂:難しい問題だと思います。

生駒:上手いっていう要素は面白いの十分条件でも必要条件でもない。破綻を避けて安全圏だけで詠んでいると、面白さからは遠ざかります。

賞に通るのは破綻の少ない句なのですが。

大穂:賞に落ちようが、フルスイングをする俳句が好きですね。

村田:大穂さんのおっしゃった「新しい視座」というのは、フルスイングから生まれるのかもしれませんね。



15藤 幹子「カレー係」
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村田:いよいよ第2ブロック最後の作品です。いかがでしたか?

生駒:

冬の田へ神器のごとくレフ板来
湯豆腐食ふ時々四次元の生まれ

など、一句一句に驚かせてくれるポイントが含まれていて、読んでいて飽きませんでした。その中でも、

薄命にあらず日傘を回しけり

は非常に静謐な印象を受け、しかし全体の統一感を乱すことなく、好きな50句でした。

村田:冬の田へ〉はいいですよね。「レフ板」の扱い方に映像のような生々しさがあります。〈カンナ燃ゆ中学生の眼にガーゼ〉の「ガーゼ」もそう。

生駒:冬の田へ〉の句には、冬の田、神器、レフ板、それぞれがまったくつかない面白さがあります。でも、根底で通じる何かがある。実際にはレフ板を冬の田にもっていくことはないのでしょうが、それが非常にリアルに感じられます。

大穂:湯豆腐食ふ〉の句はどうですか。

生駒:はっきり言って意味が分からない句です。「時々」がすごい。句をわからなくさせている。

大穂:湯豆腐は3Dと時間の経過(1D)が必要な感じがあると思うのですが。

生駒:それは四次元を真面目に考えすぎだと思います。豆腐の形と四の字のかたちが似ている。それだけでいいです。

大穂:薄命に〉の句はいいです。薄命ではないから日傘を回す。美人薄命という言葉がありますが。雨傘を回すと人に迷惑ですね(笑)。この句は「けり」がいいですよね。

村田:いいですね。ちょっとしたひねりがあるところ。薄命と日傘を回すことは無関係なのだけれども、「にあらず」でつないでいるひねり具合がなんとも絶妙で。

大穂:ミッフィーのおうちに火の気なき夜長〉。ミッフィーの家はまちがいなく「おうち」です。そして、火の気のかけらもない。この説得力。

生駒:凧揚げや触りたくなき海触る〉の繊細、〈万緑や鼻より犬の朝始まる〉の不思議、〈五月雨や犬の耳垢耳の中〉の自然など、見どころが多いです。

あえて欠点を挙げるとすれば、〈カナッペを空蝉はづす指づかひ〉〈苺から苺へ五指のさざ波す〉などの句に見える言葉足らず感でしょうか。

大穂:五月雨や〉。こういう句はとれないです。耳垢。

村田:汚いものを詠んだ句は、わりに見かけます。

大穂:俳句の風潮として、糞とか垢とかを詠む傾向がありますが、それは、安易に認めたくないと思っています。本当に心から詠みたいと思うものでないかぎり。これは、あくまで自分の美意識ですが。

村田:私は〈カルピスを世田谷流に割るといふ〉〈クトゥルフにおでんを司る神が〉などの句がよく分かりませんでした。面白いのかどうかも分からない、という感じです。分かる人には分かるのかもしれませんが。

それから、全体にテンションが高い、という印象を受けました。まったりとものごとを見たり聞いたりしているのではなく、対象に迫ってゆくようなスタンスで詠んでおられる感じがします。

大穂:宗教、神話のモチーフが多いですね。モスク、司教、クトゥルフ、物の怪、それからニーチェ。ひとつの宗教にこだわるんじゃなくいろいろ突っ込んでいる。しかも、それ以外のテーマの句を入れているので、散漫な感じになってしまいます。

村田:「クトゥルフ」も、神話の用語なんですね。

大穂:この人の俳句は、それ自体が、どこか宗教的です。こういったルールや摂理が世の中に存在するのだと示唆するような俳句です。

鳩サブレの頸のひび、ミッフィーのおうち、盗作をした顔、日傘をまわす。リンゴが木から落ちるような、日々の暮らしの中の厳然たるルールを提示したような句。薄命ではないから日傘を回すのだという摂理。

村田:作者の中に存在する摂理を、作者の外に在るように詠む、ということでしょうか。あたかも架空の世界をつくるように。その読み方は面白いなあ。

大穂:既存の宗教を詠んだ句ではなく、もっとこういったご自身の句を読んでみたいですね。

村田:ああ、それはとても「リアル」な提案だという気がします。生駒さん、言っておきたいことはもうありませんか?

生駒:この作家は宗教などの既存の価値観を自分の中で咀嚼し、自分の価値観と混ぜ合わせてローカルに変容させ、その二次的な価値観を見せてくれているようなところがあります。それは作家性だと思うし、僕はそこが面白いと思いました。

この方向性でこのまま行くにせよ、大穂さんがおっしゃるような方向性に行くとしても、次を見ていたい作家だと思いました。

村田:それでは、このへんで。ありがとうございました。


(了)

2012-12-23

ひとり落選展×4テキスト 近恵 松の脂

角川賞応募作品(予選通過)
松の脂   近 恵

絵具箱からあふれ出て夏はじめ
つぎつぎと紐をほどいている立夏
モーターの音が近付く夏の霧
蛇の衣ならば平気で振りまわす
くっきりと肉体の溝夕立来る
草笛よ泣きたくて足りない涙
袋から出せば金魚は小さくて
青嵐表面積が増えている
発条ひとつ飛び出している夏の雨
夏の星空瓶につまずいている
土壁の藁の飛び出て梅雨の明
白シャツに袖を通してひとりきり
プールへと下りて雨から水になる
風死んでぎらぎらと来る路線バス
七夕の言葉をちりばめた天井
梨ひとつ置くカーテンの外に闇
リズム良く畳む洋服涼新た
八月の真顔のような壁の染み
盆棚の部屋馬乗りにされている
小鳥来るすぐにやぶれるセロハン紙
コンセント抜いて満月光らせる
しっとりと褪せてとうもろこしの鬚
青空を少しずらして雁が来る
寂しくて焦げ付いている新秋刀魚
露の世の角にぶつかってばかりいる
楽隊を大きく逸れて冬の川
シーソーの片側に冬晴の町
靴の泥そのままにして熊手買う
冬の水から包丁を引き抜いて
一章を読んで本屋に着膨れる
天井にポスターのある玉子酒
数え日のはみ出しているシャツの裾
かまくらの中で家族のようにいる
枯木星今日が昨日になるところ
雪催こっそり撫でる松の脂
音の無い手紙が満ちている真冬
氷柱から空の破片が落ちてくる
雪の声透明になっている躰
靴べらはへらりと抜けて春の風
手回しオルガン草の芽に日が当たる
がぽがぽと市場から人来て春昼
一本の田打桜の浮きあがる
雨音の始まっている春の夢
菜の花の中に隠れていて見えず
かげろうのまま自転車が近くなる
弟にしたい男と八重桜
背中から他人になって汐干狩
明日なら逃水を汲めるだろうか
床の間の空の花瓶よ夏隣
紙風船三百六十度晴れて 

ひとり落選展×4 近恵 松の脂

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週刊俳句 第296号 2012-12-23
近恵ひとり落選展 松の脂
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【2012落選展を読む】大穂照久 生駒大祐 司会:村田篠

【2012落選展を読む】
下駄箱の名札から白物家電まで 
(08ハードエッジ 09嵯峨根鈴子 10神山朝衣 11中塚健太)

大穂照久 
生駒大祐
司会:村田 篠


この対話は、2012/11/10から2012/12/8にかけて、ネット掲示板及びskypeのメッセージ機能を通じて交わされたテキストを、再構成したものです。


村田:「2012落選展を読む」の第2ブロック、08から15までの8作品は、大穂照久さんと生駒大祐さんをお迎えし、村田の司会で読んでゆきます。

大穂さんは2008年4月に「第2回 週刊俳句賞」を受賞されました。久しぶりの本誌登場です。生駒さんはみなさんご存じの通り、この春まで「週刊俳句」のスタッフとして活躍してくださいました。よろしくお願いいたします。

大穂:本当にひさびさの「週刊俳句」です。よろしくお願いします。

生駒:生駒です。よろしくお願いいたします。

村田:では、順番に読んでいきましょう。



08
ハードエッジ「あかさたな」
≫読む ≫テキスト


大穂:まずは、好きな句から。

あかさたなはまやらわみなあたたかし
たし算はもらつてばかりあたたかし
くらやみのうえのくらやみ雛納め
王様のような歩みを毛虫かな
白粉花が咲いて運転手は君だ


着眼点が魅力的でした。

村田:くらやみ〉の句は私も少し惹かれました。これ、どういう状況なんでしょうか。

大穂:納戸の暗闇に雛の箱を入れると、その上にも暗闇がある。そこに面白さを感じました。闇の重層的な感じが。暗闇が、重ね餅のように二段になっている状況ですね。

くらやみ、というとふつう一塊のものを想像するんですが、作者はくらやみを分けて捉えている。この視点は面白いです。

生駒:うーん、僕は構造的な何かを言おうとして失敗している句だと思います。〈白粉花〉の句は?

大穂:君があきらかに年下である。彼にとっては、決定は命令的で、運命的というか、そこが面白いなと。覆しがたい何かを感じます。

生駒:視点が神っぽい。話し言葉の導入はどうなんでしょうか。

大穂:話し言葉はダメ?

生駒:ダメというか相当うまくやらないと僕は認めないので。この句はそんなにグッと来なかった。

大穂:成功しにくいのは確かだけど、この句はアリだなぁ。生駒くんの好きな句は?

生駒:

遠くある電車の車庫や揚雲雀
春かなし下駄箱の名札みな剥がされ
空蝉を水に流してやりにけり
ソーダ水深きところを吸はれけり
のし餅ののされぐあひを押してみる


揚雲雀〉の句、「遠くある」が良いですね。遠いけれど、確かに、ある。その不思議な距離感が面白いです。

大穂:いいですよね。ある、の把握がとてもいい。「在る」の方ですね。

生駒:見ているというよりも「存在する」。

大穂:見るという行為は二次元的ですが、「在る」と言われると、より世界を把握しているのではないかと思います。

生駒:空蝉を〉の句はどうしても〈蝉の殻流れて山を離れゆく 敏雄〉と比べてしまいますが、中七座五は慣用句ではなく、単純な事象と取りたい。何でもない行為のようで、意外と異常なことをさらりと言っています。「やりにけり」の上から目線が謎で面白い。

あとは〈ソーダ水〉の句。当然のことを言っているだけれど、深きところという把握は意外に面白いです。受け身になっているのも、良い意味で変だし。

村田:ソーダ水〉の句、私も好きです。あと〈のし餅〉の句も。

よくある行為ですがちょっとしたこだわりがあって、そのこだわりにその人の非常にパーソナルな部分が窺われるように感じます。

生駒:春かなし〉の句は、春になって、生徒が入れ替わるために名札が一時的に剥がされていて、想像するとその風景は確かに物悲しい。ただ、上五であからさまにそれを言うのが正解かどうかは難しいところです。

大穂:春かなし〉の句には微妙な力関係が感じられるのが魅力でした。

生駒:微妙なとは?

大穂:そういうルールがある、みたいなことでしょうか。ニッチ。

村田:「ニッチ」というのは

生物学では生態的地位を意味する。1つの種が利用する、あるまとまった範囲の環境要因のこと(wikipedia)

ということでいいですか?

大穂:はい。個人的に、ニッチな場面の掬い方は非常に好きです。

運転手は君だ〉〈名札みな剥がされ〉あと〈社員食堂の列が進むよ衣更〉など。
社会のしがらみといってしまうと大袈裟ですが、ミクロな場面に現れる社会的な力学、ルールに近いもの。そういう微妙な関係が感じられる。

村田:面白い読み方ですね。確かに、子どもの視線を装って、大人のルールのようなものを感じさせられるところもあります。

長生きの屑と云はれし金魚かな〉などは「屑金魚」に引っかけた句で、淡々と詠まれているだけに、少し切ない。

生駒:つまり、社会通念をひねらずにそのまま書き出しているという魅力なのかな。それは、おそらくは共感を呼びやすい。読者を誘導するような俳句です。

その一方で、〈二つある小さな方が春の橋 信治〉のような句がある。

大穂:上田信治さんの応募作「二つ」の1句目ですね。

生駒:はい。社会通念を踏まえていないが共感を呼ぶ句です。

こういった句づくりは読者に負担をかけますが、僕は共感できるし、好きな句です。

大穂:小さな方「が」、はうまいですねえ。「が」が切れ字っぽく感じます。散文的な句のなかで「が」が切れみたいなものをうみだしているような気がします。

村田:そのほかに、何か気になったところとかありますか?

大穂:全体としては面白かったですが、何かがつまらない。

生駒:平凡な句が混じってくると印象が落ちるというか。

村田:平凡というのは?

生駒:感動する箇所が個性として立ち上がるに至っていない、通俗な部分にとどまっていることです。

大穂:慣用句的な表現が多いためでしょうか。読み手の意見が分かれるところかもしれませんが。

村田:そこは私も気になりました。

生駒:長き夜の好きこそものの上手なれ〉とか。

大穂:表題句の〈あかさたなはまやらわみなあたたかし〉の句は好きですが、二句目の〈早う雛飾れといふにうちはうち〉や〈好きこそものの上手なれ〉はあまり成功していないかな。どこか安全圏で遊んでいる。

生駒:でも、〈運動会お昼休みとなりにけり〉には、当たり前すぎて意味不明の面白さがあると思う。こんなんいちいち言うか?という面白さですね。

忘らるることも涼しと思ひけり〉は?

大穂:その句と〈悪い子はバナナの如く食つてやる〉この2句はやはり駄目じゃないでしょうか。あと〈星祭とはまだ書けずおほしさま〉の「おほしさま」の斡旋とか。意図が見えすぎてしまう。

村田:生駒さん、全体としてどうですか?

生駒:俳句イズムに染まってない50句だと思います。

村田:そうですね。私は随所に「無邪気な好奇心」を感じる句群だと思いました。大人になった自分のなかの子どもを感じているようすが窺えて、面白い感じになっているな、と。

生駒:算数や夏休みの句が多いことから、子供の存在を全体として明示・暗示しつつ、句の中では子供の感覚と大人(おそらくは親)の感覚を往来しながら大人・子供にとって自然な形で四季を詠もうとしているのではないかと思いました。

大穂:いわゆる俳人的な目線じゃない句が多いですよね。

いっぽうで、俳句における手垢のついた表現というものを知らないのかも、と感じました。

村田:知らないから使ってしまう、ということですか?

生駒:俳句らしい丸い収め方を知らない、ということなのかも。もちろん、技巧だとは思いますが。



09
嵯峨根鈴子「手と足と」
≫読む ≫テキスト


村田:ではつづきまして、「手と足と」。

大穂:好きな句は

サーカスの地べたのつづき葱を焼く
銃声のとどまる空に冬の虹
うしろにも坂道つづくかじけ鳥


ですね。

生駒:サーカスの〉〈うしろにも〉は僕も好きです。

大穂:ただ、季語の斡旋がイマイチだったな、と思います。

銃声の〉の句、銃声の残響をとどまると表現するのは面白いですね。音のスピードは意外と遅いものです。ですが、季語は素直すぎるかな、と。幻想的なイメージを出してはいますが。

生駒:季語の斡旋について、同意見です。

うしろにも〉の句、坂道を歩いてきて、振り返ると当然うしろにも坂道が続いている。当然なんだけれど、一瞬自分の居場所が判らなくなっている感じがあって、上手いと思いました。
ただ、「かじけ鳥」はやはり水辺にいる気がするので、ちょっとむずかしい。

大穂:確かにそうだね。

生駒:季語がヘンで、そこが個性になりかけて未だなりきれていない印象です。

大穂:子規の忌の入浴剤のマリンブルー〉、この季語も変ですね。

村田:サーカスの〉は私も好きです。好きというか、気になる。この句についてはあとでゆっくり話してもらうとして、生駒さん、ほかにお好きな句はありますか?

生駒:あとは、

かなかなや握手の右手放すとき
寒禽のこゑ嗄らしたる水面かな
金糸雀のふくれて春の手套かな


あたりです。

かなかなや〉の句は映画的ですよね。「握手の右手話すとき」という措辞が適度に劇的で、適度に冷静。その瞬間にかなかなが聞こえてくるというのも面白いです。

大穂:握手の右手はあまり好きになれなかった。シーンが想像できすぎてしまうし、かなかなや、がよくわからない。

生駒:次の〈寒禽の〉の句。寒禽が声を嗄らしているというのは常識的だけど、「水面かな」という納め方をしたことで「湖ひとつに寒禽がひとつきり」な感じで、広がりがあります。

大穂:この句はあまり評価できなかったです。想像の範囲内というか、よくある句という感じがしたので。

生駒:俳句らしい俳句の範疇、ということですか? なるほど、少し分かります。

金糸雀の〉の句は、最初の幸せな感じから、ちょっと物質感のある手套に視点が移るところは、巧みだと思いました。

大穂:この句のよさは、金糸雀と手套のふくれ具合が通じているところですね。

村田:私は〈薇の灰汁より夜のはじまれり〉が好きでした。

薇の灰汁って赤いんですね。夜との取り合わせが印象的です。夜のはじまる俳句はよくありますけど、この句は面白いところを詠んでいるかな、と思いました。

ということで、いよいよ、〈サーカスの〉の句にいきましょうか。いかがですか?

大穂:サーカスの地べたのつづき、がいいですね。

われわれの暮らしとサーカスは天幕の布一枚で区切られている訳ですが、地べたはそうではない。文字通り、日常と非日常が地続きになっている。それらが溶け合うような曖昧さが魅力です。

ただ、葱を焼く、がなあ。唐突すぎる感じがします。

生駒:その部分、僕は許容します。

「サーカスの地べた」という表現は微妙に難があるのですが、サーカスと地続きで葱を焼いているという情景は、面白くかつ、考えてみると意外とあるかも、と思わせてくれます。

大穂:うーん、地べたのつづきで本当に葱を焼いているのだったら、僕はとれない。

生駒:では、実際はどういう情景ですか?

大穂:比喩というか。葱を焼く行為そのもの、それはあくまでもイメージのような。

生駒:サーカス場の傍の屋台で葱を焼いているわけではない、と。

大穂:そう。サーカスの地べたのつづき、はあくまで心象風景というか、現実の屋台の葱に落とし込むとつまらない。

生駒:僕は逆にその現実感が面白い。

村田:私は、大穂さんのご意見に近いですね。「地べたのつづき」でいったん切れている。

葱を焼いているある瞬間に、ふと、いま立っているこの地面はサーカスに繋がっているんだよね、と感じた。「サーカス」は自分とはひどく遠いもののイメージで、でも、どこかでこの日常に続いているんじゃないか、と。

何となく、サーカス場の傍らの地面のことを「サーカスの地べたのつづき」とは言わないような気がするんです。

大穂:サーカスのフィクションっぽいイメージからの「葱を焼く」という現実っぽさ。やっぱり唐突に感じるなぁ。地面から葱へのつながりも、つきすぎに感じます。

村田:おふたりの正反対の読み方は、「サーカス」という言葉をどう感じるか、というところにかかっているんですね。現実の風景と読むか、イメージなのか。

大穂さん、作品全体としては、なにかお感じになりますか?

大穂:さっきも言いましたが、やはり季語のことですね。もう少し季語に遊びと推敲を加えてもいいんじゃないかと思いました。

また、句跨りの句や無季の句もありましたが、乱れ方が足りない気がします。せっかくの無季の句なのでもうすこし冒険してもいいんじゃないでしょうか。

村田:わりあい落ち着いたトーンの句が多かったかもしれません。

私が思ったのは、雰囲気は分かるのだけれど、うまく言いきれていないかな、と感じる句がいくつかあったことです。〈雉鳩の胸に深入りしてしまふ〉〈ブレーキのあそびすこんと夏燕〉などは少し分かりにくい。

生駒さん、どうですか?

生駒:篠さんもおっしゃる通り言いきれていない感じのする句があって、〈みづかきとしばらく歩く崩れ簗〉〈雁瘡をいたぶるやうにサキソフォン〉〈雪の朝猫にも美しきことば掛け〉などが惜しい。

また、季語の斡旋ですが、〈冬うらら青虫しがみつくばかり〉〈あしあとの綺麗に消えて百千鳥〉なども外しているかもしれないな、と。

全体として、生活と季語が不思議に共存している場面を描くのが巧みな方だと思いました。



10
神山朝衣「声影」
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村田:次は「声影」です。

大穂:落選展のなかでは、個人的に1,2を争う50句でした。好きな句を挙げてゆきます。

残雪の輝きを踏みつくしたる
永き日やミニカー未だ並べてゐる
犬の名を長きを呼びて爽やかに
母と行く道どこまでも葱畑


生駒:トーンは今回読んだ作品の中でいちばん整っている、と思います。

大穂:淡くて、かつ劇的なんですね。

残雪の〉の句、輝きを踏むという表現から、残雪の硬い質感や踏む音が感じられます。

永き日の〉にはミニカーを並べる事に没頭していて、まるでそれが際限なく続くような不思議さが、〈母と行く〉には歩くこと、移動することそのものが別の意味を持つような不思議さがあります。

村田:犬の名を〉は私も好きです。「名前を呼ぶこと」には意味というか、心をゆさぶる要素があって、そのことをこの作者はよく知っておられる、という感じがします。「犬の名前が長い」というのは、なにげないですが面白いですね。

生駒さん、いかがですか?

生駒:上の4句では季語と日常の言葉が自然に同居していますよね。

大穂:例えば、「ミニカー遊び」や「母と行くこと」、それそのものが別の意味を持つような。そのときに時間が相対的になる。

生駒:母の時間、私の時間、子の時間が。

大穂:複座の視点があります。

生駒:僕も好きな句を挙げますと、

ともだちの名をゆつくりとはつざくら
一羽づつ雲となりたる朧かな
永き日やミニカー未だ並べてゐる
歌うたふ子や夏蝶に嫌はれて
犬の名の長きを呼びて爽やかに
秋蝶の生れるとひらく蕾あり
鳥を呼ぶ冬木や昨夜の雨落とし
冬蜂を吹いてきらりと光らせて


などです。

少し淡すぎるかな、と最初は思いましたが、50句で読んでみるとこの繊細さ、端正さが際立って、清々しい読後感がありました。

上に挙げた句は明快で分かり易い一方で、その意味の繋がりには微妙に段差があって、その段差は躓かせるのではなく立ち止まらせる力を持っています。

村田:「微妙な段差」というのが、さきほどの大穂さんの「複座の視点」と通じるところでしょうか。

早春のひとの呼吸を聴いてゐる〉という句が好きなのですが、この句にも、少しそういうものを感じます。呼吸する人の時間と、それを聴いている自分の時間がそれぞれ別にある、というような。

冬蜂を〉の句も好きですね。「きらりと光らせる」という常套句がとても魅力的に響きます。

大穂:ケチをつけるなら、「ふつう」の句が逆に目立ってしまうところでしょうか。

村田:ふつうの句というのは、例えば?

大穂:人の子を叱ってもみし花臭木〉や〈初冬や子の問ひかけをそのままに〉あたりです。

生駒:吾子俳句は成功しにくいですね。

大穂:なんでだろうね。共感(できないから)かな? 普遍性を見つけられにくいから? 吾が子は特別だから。

生駒:子供の描写に普遍性があると良い句になるんじゃないでしょうか。

大穂:それから、〈冬蜂を〉の句はあまり好きじゃなかったです。『城之崎にて』のような……。

村田:あ、この句は蜂の死を詠んでいるのですか……。

生駒:風と光の離れ具合がいい。

大穂:どちらかと言えば、ついている言葉じゃないですか。風光るとかいいますし。それから、「吹いて」というと作者が吹いてるような感じがします。

生駒:無邪気さに落とし込みたいというのは感じられます。

村田:無邪気さ……うーん、そうですか。

大穂:50句全体としては、破調や季語の斡旋が整っていて、読みやすい作品でした。

生駒:それに、うっすらとした幸福感がありますよね。

大穂:その一方で、トーンが一定でないのが、残念でした。

村田:一定でないというのは、さきほどの「微妙な段差」を越える句と、「ふつうの句」が共存しているということですか?

大穂:そうですね。そして、読んでいて安心感というか、劇的な言葉も多いんですが、安全な場所を感じさせる50句でした。

生駒:ああ、そんな感じがしますね。



11
中塚健太「風の渚」
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生駒:では、今度は僕からいきます。好きな句は

煎餅のなぜか瓦を模して雪
白鳥に恋せし白物家電かな
黒板の日付の消され卒業す


このあたりは面白い俳句として成功しているように思います。

特に〈白鳥〉の句は、「白物家電」というような、通常俳句では成功しにくい日常の熟語を読み込んでいて、不思議な到達感がある。

大穂:この句は白鳥と白物家電の白つながりですが、恋をしているというのが妙に説得力があります。なんとなく冷蔵庫を思いました。エアコンじゃなくて。

村田:「白鳥」とか「恋」とか、甘いイメージの単語を、専門用語っぽい「白物家電」に合わせてうまくいっているのが面白いですね。
「白物家電」を生きもののように扱っても違和感があまりない。それだけ身近な存在、ということなのかな。

生駒:一方〈黒板〉の句は、かなりきれいな着地を見せていますね。

大穂:僕もその句、好きです。

生駒:名前が消される句はよくありそうですが、日付が消されるとしたことで、卒業生にとってのある時間の「停止」と学校にとってのいつもの「更新」の差を上手く描いています。

大穂:この句の良さは、卒業の「その後の時間」が感じられるところではないでしょうか。日付を消す行為が、教室に次の最高学年を迎えるための儀式のように思えます。

村田:「日付を消す」がいいんでしょうね。その行為によって句の中に複数の「時間」が立ち上がった。

大穂さん、50句全体を読まれての感想はありますか?

大穂:ちょっとおっさんっぽいな、と。

措辞が慣用的なので読んでいてきついところがあります。また言い尽くされた表現が多いので、もうちょっと工夫が欲しいです。

村田:この方の句は、何かを言っていますよね。言い止めたいという意志を感じます。ただそれが少しストレートに「人生」を感じさせ過ぎる、というか。

生駒さん、いかがですか?

生駒:そうですね。作者の感情が句の中に溢れすぎている句が多いように思えます。しかも浪花節っぽくなってしまっているのは惜しい。

村田:それは例えば?

生駒:君逝きて奔流となる天の川〉〈人生が嫌ひで好きで鰯雲〉〈男とは極楽とんぼ原始より〉あたりですね。

大穂:自己を詠んだ句ですよね。そういう句が多いので、その自己を愛せない人にはきついです。

一方で、自分以外のものを詠んだ句は面白い。〈黒板〉〈白鳥〉の句がそうですが、〈滔々と河童ながるる春の川〉もいいですね。
「河童の川流れ」という言葉を思い出すとツマナライですが、滔々と流れる春の川の中で流れる河童のイメージは非常に好きです。春の川がきわめて水っぽくないのがいいですね。

村田:自分以外ということでいうと、最初に生駒さんの挙げられた〈煎餅のなぜか瓦を模して雪〉の句もそうですが、〈魚獲つて木彫りの熊となる誉〉の「形」に焦点を絞った感じが好きですね。
この句の「誉」があまり誉れっぽくないところもいいですし。句としては、少し面白すぎるかもしれませんが(笑)。

生駒:あと僕は、〈布団てふ羊水に身を沈めけり〉〈細胞の天より降り来雪うさぎ〉などは言葉の飛ばし方が面白いので、比喩ではなく取り合わせとして用いるなどの他の処理の仕方をすればもっと面白くなるのでは、と思いました。

村田:では、ひとまずこのへんで。

(続く)


【落選展2012を読む】 落選展よ水戸橋よ(其の四)  島田牙城

 落選展2012を読む
落選展よ水戸橋よ(其の四) 

島田牙城



ところで水戸橋のそばに水戸納豆は売つゐるだらうか。

関西人は納豆を喰はないといふのは嘘(喰はない人も多いことは確かだが)で、子供の頃から普通に藁づとに入つた納豆やら、経木(へぎ)で三角に包まれた納豆を売つてゐたし、それを喰うてゐた。

いや、言葉の重さとか粘り気といふものについて、ここまで十八編読んできて考へてゐるわけですよ。

もちろん、粘り気があればそれで良し、なわけもなく、たとへば佐藤文香の俳句といふのは、本来なら粘る筈の納豆に大根卸しを加へたさつぱり感があるんだよね。

でももともとの粘り気はあるでしよ。

その粘り気に味付けするものは、大根卸しでも刻み葱でも芥子でもおかかでも、出汁醤油でも生醤油でもいいのだけれど、といふかそこは千変万化となるのだらうが、もとの粘り気といふのは、やはり俳句作りには大切なのではないかしらん、と思ふんだよ。

たぶんそれは思考の深さとか、ものへの執着心とか、いろいろなことが交錯して醗酵する粘り気なんだらうね。

あと数編読んで、最終的には何編かをピックアップすることになるんだけれど、

今朝喰つた納豆のねばねばを口中に残しながら……

さて、続けます。



離ることなし流灯と映る灯と  生駒大祐

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この句に流れてゐる抒情の質は、類句のあることを感じさせはするものの、確かな描写ではある。(大丈夫だよね、みんな。上五の読みは「さかることなし」だよ。)

鶏頭花手話に独言なかりける  生駒大祐

いや、まいつたね、これは。この句は普遍的だよね。これだよ、これ。一番始めに書いた、「離れてゐるのに付いてるみたい」な俳句。「何で鶏頭なんだよ」と問はれたら、へんな理屈は捏ねないで、笑窪を浮かべてにこにこしてりやいいやね。裕明はさうして遣り過ごした。

で、絶対に言つてはならない言ひ訳が、「だつて、手話してゐる人の横に鶏頭が咲いてゐたから」つていふ状況説明。そんなことはこの句には何の関係もないんだから。

下京や氷柱肥えゐて一つ根に  生駒大祐

も間違ひのない上品。〈下京や雪つむ上の夜の雨 凡兆〉は当然知つた上の句だらう。現代の下京で氷柱がそこまで太ることはまづなからうが、遡ればさういふ時代もあつたことだらう。

ただ、この人の句を読み通して湧いてくるのは、自身でこれらの句から手応へを感じてゐるのだらうかといふ疑問なんだ。落差が激しいといふこと。

この人へも、勿体無いなあといふ感想を吐いておかうか。



さて、次の高井楚良さんからは、一句も抜く句がなかつた。

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かういふ句群といふのは、読んだあとに虚しさしか残らないんだ。

人ゆたか國は貧しく〉〈思はざる國となりたる〉〈この國あつての願ひ〉〈憎むべき都会〉〈寄り添へば家族〉〈神よりも人を尊ぶ〉〈生きてゐる証の涙〉などなど。

かういふ句の間あひだにいい句も混じつてゐたのかもしれないけれど、それをわざわざ抜いてきて「いい句があるねえ」なんて言ふほど、読者といふのは優しくはないんでね。

それをやるのは内輪意識。僕はさういふ意味では内輪ではないといふだけのことです。

えつと、言ひにくいのですが、俳句といふものと、もう一度零から出会ひ直されたはうがいいのではないでせうか。

たとへば、今井聖さんが大好きな誓子をわざと避けて楸邨門に入つたといふやうな、自らへの荒療治を試されることをお勧めします。

それとも、冒険心からかういふことをやつてみたくなつたのか、普段雑誌で拝見する句ともえらく違ふやうだし、空回りの一連といふことなのでせうか。

(あとから追記するのですが、この一連が予選を通つてゐるのですね。予選者が間抜けなだけですから歓ばれないはうがいいと思ひます。)



万緑のなかに一樹を植ゑてきし  川奈正和

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この人は面白い。ご自身の中にいろいろな物語を溜めてをられる人なのかなと思ふ。

最近、長谷川櫂さんの『震災句集』に触れて、森を見て木を見ないのであれば俳句は作れないんだよね、といふことを、ある年間時評(「口語俳句年鑑2012」未刊)に書いて、自身ですごく納得してゐるんだけれど、川奈さんは一本の木を見るだけでは満足出来ずに、自分の木を植ゑてしまつたんだな。その気概や良し、である。この一樹、輝いてゐるね。

劇いまだ劇中劇や花は葉に  川奈正和

の「のんびり感」も魅力的だなあ(少し季語は甘いが)。

北窓を開きこの地に降りて来よ  川奈正和
恋のあといちにち風の中の猫  同
胡桃割る廃仏毀釈とも違ふ  同
逢ひにゆく紅天狗茸ふところに  同
手旗から手旗へ伝へきたる東風  同


一句一句の質量が、五十句を通して安定してゐるのもいいですね。

句の中心がぶれないといふことも感じる。たとへば〈手旗から手旗へ伝へきたる東風〉でいふと、「手旗から手旗へ」といふ見立てが斬新なだけではなく、「東風」へ納まるまでの「伝へきたる」がすごくゆつたりとした時間を読み手にもたらしてくれてゐるから、「東風」といふ最後に置かれた二音が際立つてくる。そしてこの時間の流れが、仲春の気を十全に語つてゐるんだよ。で、この作者が「東風」を書くといふ一点に集中してをられるといふことが見えて、一本の屹立する言葉として背筋が伸びてゐる。それがすごく清潔だなあと感じ入る。

まだまだ線が細くて折れやすさうではあるのだけれど、年輪が重なることで自然と太くもなるのだから、無い物ねだりをする必要もない(ぼくはこの方がまだ若い人だと思ひ込んでゐるふしがある。もしも年配の方だとしたらそれは羨むべき年の取り方なのであつて、穢れを知らぬお年寄りといふことになる)。

もう少し一句に拘らうか。

若菜摘み一夫多妻のごとくにて

など、作者の教養の上にのつかつた遊び心も垣間見られる。細かな事はいいとして、若菜摘つて乙女の作業だつたのだもの、そしてこれが求婚にも結びついてゐたことを当然作者は念頭に置いてゐる。一夫多妻とはまた豪勢で羨ましい若菜摘だけれど、この句にスケベ心はみられない。句が明るいからだらうな。

うん、この人の句にはどの句にも光が差し込んでゐるね。その光のシャワーを浴びて、僕を幸せにしてくれるんだ。

まあ細かなことをいふと、僕は「み」の送りが気に入らないけれどね。これは作句上の盲点として常に気に掛けておかれるといい。送りを伴ふと「名詞なの? 動詞なの?」といふ混乱が生じるんだよ。前に連体形の用言が置かれてゐれば(たとへば「楽しき祭り」のやうな、ね)送りがあっても名詞だと知れるけれど、さうでない場合は、ヤバイんだ。この句の場合も、揺れるよね。「み」を取ると漢字が続くといふ不安もあつたのかな。それにしても「若菜摘一夫多妻のごとくにて」としたいなあ。さういふ一字一音への気遣ひは、大切にしてもらひたい。

口中の水澄みわたれ黙秘権
雨降れといへば雪降る淑気かな


なんて、理屈っぽい(口→黙秘、雪+淑気=お降り)といへばそれまでなんだらうけれど、言ひきる潔さが理屈を越えて読者に光を届けてくれてゐるんじやないかなあ、好きだよ。



紫陽花の見える満員電車かな  大穂照久

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この句はすつきりしてゐるし、主人公の位置(満員電車の中でまさに今押されてゐる人として)も見えるし、はたしてこの主人公の思ひや如何に、なんぞとこちらの思ひを巡らせてみたくもなる句だな。同じ意味で、

鳥小屋の床に木くずや秋の暮  大穂照久

もしつかり書けてゐる句として推奨できるのだけれど、〈ともすれば夕立ややもすれば愛〉は、今読み返しても自身で良い句だとおもへるのだらうか。僕からすれば「やめてよね」といふことになるんだな。

卒業の日の焼肉をうらがえす〉なんて、一瞬書けてゐるやうにも見えるだらうけれど、同じやうな無惨な屍が山をなしてゐることは、知つておかれるべきだらう。いや、「どこにあるんですか、見せて下さい」と言はれても提示はできないんだけれど、〈卒業〉から〈うらがえす〉といふ連想のベクトルが陳腐なんだよね。

だからこの人の場合は、自選力をつければ化けるかもね。



トーストの上のバターのやうに蔦  山下つばさ

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山下つばさの俳句はリアリズムなんだよと、かつて評したことがあつたし、この句なんてまさにその僕の言葉を実証してくれるやうな把握力だよね。だけど、だけど、

今回の五十句は自分だけが面白がつてゐるやうな句が多かつたぞ。

応募しておくだけはしておくか、といふやうな、なげやりな纏め方もまつたく気に入らない。

〈ワンピース〉のすぐ後に〈ONE PIECE〉だつたり、
〈ぽたりぽたり〉が二度出てきたり、

そんななげやりな態度は一句にも現はれてしまふものなんだな。

(ここ、間違へてほしくないんだけど、俳句でとある主人公のなげやり感を表現するのはいいんだよ。投句の態度がなげやりじやんと言つてるんだからね)。

アネモネの白が厨を白くする〉なんか、こんなのだつて俳句になるじやん、とでも言はんばかりに適当なんだよ。

新宿西口空蟬を髪につけ〉は、一応印を打つたしいい句だよ。でもなあ、〈空蟬を髪に付け合ふ遊びかな〉が先にあれば、贔屓したくても採れないよね。



といふことで、二十三編を駆け足で読んできました。

飯島葉一郎さん、谷口鳥子さん、佐藤文香さん、川奈正和さん
の四編は読み応へ充分だつたな。

文香さんのことはよく知つてゐるし、この人の場合は賞のどうのかうのは関係なしに、常に〈俳句〉に対して全力投球してゐるのだから、まあ、また自分を揺さぶればいいさと言つておくかな。二十代もまだ数年残つてゐることだしね。

さうさう、長谷川櫂さんの言葉はことばとして、あんまりお勉強はしないでね。研究はどんどんするべきだらうけれど、もう「まねぶ」時期は過ぎてゐると思ふから。

では、あとのお三方の略歴でも見に行つてきます。(暫し待たれよ)

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飯島葉一郎さん、1987年生まれ。京都市在住、ただこれだけ。いいなあ、かういふの。え、まだ24歳ですか。

あのね、「肉じゃがの気持ちになりかわりて」といふ前書はまつたく要らないよ。

明け方の夢 廃屋に蝶満ちて〉は好きな句の一つなんだけれど、この空きは不要だね。

タイトルになつてゐる〈ふくろうや舌のごとくに日が垂れて〉はね、この比喩は陳腐なんだ。シュールレアリズム時代の絵にあるよ。

夕焼けに万の背中の潜みけり〉は大好き。〈潜みをり〉とどつちだらうか。自分で考へてみてください。

長き舌見せ合っている祭かな〉〈まぶたなき夜が牡丹の上に浮く〉あたり、もう、ぞくぞくします。

名前つけてやろ焚き火の中を行く塵に〉これは駄目だ。〈名前つけてやろ〉に作者が出てしまつてるね。作者は裏で操作していたらいい。前に出て来ると独りよがりになる。

それにしても、楽しませて頂きました。

いろいろ言ふ人はゐるだらうけれど、気にせず作句時の手応へを大切になさるといいと思ひます。

谷口鳥子さん。この人も作品からいくと関西だよね。そして今のところ性別不詳。どつちでもいいのですが、見てきます。(暫し待たれよ)。

谷口鳥子さん、1970年生まれ、兵庫県出身、主婦(時折、実家の介護手伝いや、工場アルバイト)、趣味、ボクシングジム通い、かあ。

いや、貴女には貴女にしか書けない世界があるのだから、突き進めばそれでいいですよ。

貴女の句はね、本当に雑なの。でもね、何が、何処が雑なんかは言はないね。そんなん、気にせんでいいんです。

雑といふこと以外で少し言うとくと、一句目が破調といふのは、拙い。そんなことで嫌はれるとか、先入観を持たれるのつて、つまんないよね。

得体の知れぬ〉は、具体的に書かないと駄目。どう得体が知れないのかが解らない。

夏星の配線だけをつなぎ去る〉つて、なんだらう、最後だけメルヘンて、おかしいでしよ。で、それがタイトルといふのも、変でしよ。最後まで、貴女は貴女でゐるべきですよ。

そして川奈正和さん、愛媛県松山市生まれ、無所属。年令不詳ですね。

背番号見せ合ふことも愛の日に〉の〈愛の日〉が解らない。愛日(冬の日)のことをかうは言はんしな。

(グーグル検索すると、バレンタインデーのことをかう言ふとか、……、うーん、気持悪くない? 「見せ合ふ」なんてさあ)

草摘みて天に倒れり羽衣伝〉の〈倒れり〉は文法ミス。

ほかにも意味不明の句が混じるけれど、僕は今回の中でならこの人を推す。

賞といふのは、葉一郎さんや鳥子さんを語り尽くしたあとで正和さんに栄冠が輝く、といふぐらゐのはうが面白いのではないか。

これからの俳句に表現の幅をもたらす物としての新人賞であつてほしいなと思ふし、

このお三方は予選にも通つてゐないやうだけれど、選外にかういふ「可能性としての俳人」がたくさんゐるのだといふことを確認して、僕は今ほつとしてゐる。

新人賞といふのは、行儀が悪いはうがいいに決まつてゐるんだよ。

さうさう、最近歌人の鵜飼康東さんが、「最も重要な基準は可能性だ。「下手だが、どこか見どころがある」と審査員に思わせればしめたものだ。逆に「うまいがこれが限界だな」と思わせればおしまいだ。」てツイートなさつてゐたけれど、ぜひ俳句系新人賞の審査員の方にも読んでほしいですね。

その作品から伸び代を感じられるのかどうかといふのは、すつごく大切な部分だと思ふんだよね。

妄言多謝

水戸橋あたりの一杯呑屋で、またお会ひしませう。ありがたう。

2012-12-16

【落選展2012を読む】 落選展よ水戸橋よ(其の三)  島田牙城

 落選展2012を読む
落選展よ水戸橋よ(其の三) 

島田牙城


水戸橋といふ言葉から、人は何を想像するのだらう。

前回、水戸橋が水戸市にもないと書いたが、実は水戸市に水戸大橋はある。

ただ、水戸橋から想像できるものと、水戸大橋から想像するものとは違ふ。うん、大いに違ふ。

僕の場合だけれど、水戸橋のたもとには黄門様も歩いてゐるし、梅の花も咲いてゐる。歴史好きの人なら天狗党の暗闘まで思ひ浮かべるかもしれない。その橋が水戸でなく東京の小菅にあると知つてゐてもだ。

反面、水戸大橋にその情緒があるか。何川に掛かる橋かは知らぬが、だだつぴろい河原のゴミを引つ掛けて頽れる枯蘆原を眼下に、ジーゼルの黒い煙を吐いて走り抜けるダンプやトラックの群が見えてくるばかりだ。

さういふ意味で、水戸に水戸大橋があつたとしても、水戸橋があることにはならないのであつた。

(あ、僕はどつちがいいね、なんて書いてないよ。水戸大橋こそ俳句に書きたいといふ人のはうが、俳人としてはマトモであるといふ気もするしね)

では続ける。







わー、どうしよう、引く句がない。

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村越敦さんといふのは、相当俳句を読んでゐる人なんだらうなとは思ふ。

でもさあ、五十句すべてが物欲しげな顔をしてゐるんだよ。

おいしいところをちよいと摘まんで見せてくれるから、句会なんかではすごく人気を得るんだらうけれど、目が覚めたら忘れてゐるよね、といふ句ばかりなんだよ。

抽象的な言ひ方になるけれど、言葉に体重が乗つてゐないといふことかなあ。

やがて降る雨雪のこと薬喰〉の〈やがて→こと〉、
木枯やくちびる荒れて街あれて〉の下七五、
屏風絵の中や音なく笑ふなり〉の〈音なく〉。

俳句つてそんなところには手柄は無いんだよ。

もつと〈物〉とがちんこ勝負してほしいなあ、期待の若手なんだもの。

福田若之さんの模型の丘の恋愛を思ひ出してしまつたぞ。模型の丘の俳句。いや、ごめん。



念珠屋の前のバス停風光る  利普苑るな

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具体的にしつかりと五・七・五に書ききらうとする意識が見えて、好感が持てる五十句だね。

念珠屋といふのが一般的な言葉なのかどうかは知らないけれど、お数珠を売る店なのだらう。最近ではリラクゼイションとかでお香もブームらしいし、お数珠にしてもファッション感覚溢れるものがあるのかもしれない。

仏具屋といふのとは違ひ、若者を引きつける語感がある。人気スポットなのかな。さう思はせるのが、「風光る」といふ季語の力だね。

全体はすごくぎこちないし、「や」の多用も気になるのだけれど、このまま進めばいいんじやないかなあ。

家鴨住む弁財天堂秋の声  利普苑るな

も「秋の声」で助かつた(助かると書いたけれど、上の十二音が陳腐だといふことは、解つてゐるよね。それを救ふ季語の力といふことだ)。

仮の名のままに猫飼ひ冬隣  利普苑るな
夕凪や釣人のふりしてゐたる  同

かういふ作り方をしてゐる人へは、赤の他人の僕が「ここが駄目なんだよ」なんて言ふ必要がないんだ。必ず自分で気付くことのできる句作りをしていらつしやるだから。



五月雨や犬の耳垢耳の中  藤 幹子

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には予期せぬ出会ひの面白さがある。

たとへば恋愛、かういふ男性が理想よつて、理想の男を夢想して過ごす日々つて虚しいのであつて、ある日ある時、わたしはなんで今こんな男とお酒飲んでるんだらう、時間の無駄なんだけど、なんていふ程度の男のことが、翌朝忘れられなくなつてゐたりするんじやないかなあ。そして一生を無駄な時間の延長として過ごす。そんな恋愛。うん、そんな俳句。

ぬれそぼつ犬の耳を見れば、つひつひ思ひ出してしまふやうな句、だよね。

今回の50句はさうじやない俳句が多かつたやうだけど、期待してゐます。




くさぐさに名付けいづれも枯さうび  すずきみのる
昼ま逢ふ人初夢のなかに笑む  同

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うん、最後の二句。それまでの四十八句はこのための助走だつたのかいなと思ふ。

あまりきよろきよろしないで一点凝視で句を作る人なのだらう。ただし、

はつゆきを競馬新聞にて避ける  すずきみのる

など、事の面白さで終はつてゐて、「競馬新聞」とあるにもかかはらず、競馬新聞の実体が浮かんでこない。「はつゆき」の既成のうつくしさをひねらうとする意志が見えてしまふからなのだらう。その意志は嫌みになる。

掲出の二句にはそれがない。理屈を捏ねると「エリザベス」だとか「クイーン」だとか、中には日本名もあるだらうが、いろいろに美しさうな名付けをしたところで、枯れてしまへば枯さうびさ、といふことだけれど、その理屈を忌避する潔さ、スピード感がこの句にはある。「初夢」の句もしかり。



啓蟄や乳吸ふ丸き後頭部  藤尾ゆげ

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以下、〈佛壇を開くと連凧のけはひ〉〈春の虎檻ごと消えてから臭ふ〉〈受験日の吊り目の聖ジョセフ像〉〈鰆の字大きく書きてバスガイド〉〈朧夜に引き抜く不在連絡票〉と、出だしの十句で六句に○を打つ。

期待。
外れ。

なんでさうなつてしまふの、といふほどの落差ではないですか、ゆげさーーーん。

夏の底剥製は眼を開けてをり〉、〈夏の底〉じやないでしよ。
蟷螂がゐる梵鐘を待つごとく〉、音は待てても、〈梵鐘〉は待てないでしよ。
ローマ字のどれにも冬の鳩のゐて〉つて、一人よがりでしよ。
正月を殴つて逃げてしまひたき〉つて、僕にはどうでもいいことだし。

勿体無いんだよねー、かういふ人。いい句を書ける人が何かの拍子に色気を出してしまふといふことだらうか。



冷えた手を載せれば掴む手であつた  佐藤文香
口元や雪は枯野へ細密に  同
谷に日のあたる時間や春の鳥  同
川までのてのひらに雛あたたまり  同
春の夕日は君の眉間を裏から突く  同
花冷の肺は吐息をほしがりぬ  同
たんぽぽを活けて一部屋だけの家  同
さへづりに濡れてはじめの樹へ戻る  同
天やはらかく暮れたり君のこゑほしき  同

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大きな○を打つた九句。句集を出したあと、一度自分をぶつこはさうとしてゐた句づくりから、もう一歩抜け出したのかな。

さへづりに濡れてはじめの樹へ戻る〉は、この作者が獲得したさはさはした情感の世界を思はせるよね。ねちねちしてゐないけれどきちんと女であるといふ世界観。この句は、少なくとも昭和半ばまでの男には書けないんだよ。「はじめの樹」といふ把握が、文香俳句の地平をさらに広げたんではないかい、と思ふ。さうか、神戸やら松山やらの、瀬戸内女の俳句つてことかなあ。

ふきのたう愛の湿度のととのほる〉とかさあ、二重、いや、三重バッテンの句もある(何が「愛の湿度」だよ。読み返して、自分で恰好悪いでしよ。「ととのほる」なんてわざわざ使ふあたりも、自分で辟易でしよ)し、そもそもタイトルにした〈葉桜や丘に見えたところに来てゐる〉が頂けないといふのもあるのだけれど、どんどんおやんなさい、と書いておかうか。

さうさう、タイトルの句、〈丘に見えたところに来てゐる〉はいいんだよ。なして、この季語なの? これでは、「青い山脈」の女学生だね。

(つづく)

【2012落選展を読む】 (20 高井楚良 21川奈正和 22大穂照久 23山下つばさ) 村越敦 佐藤文香 谷雄介  司会:上田信治

【2012落選展を読む】
田植唄からから大根インコまで 
(20 高井楚良 21川奈正和 22大穂照久 23山下つばさ)

村越敦
佐藤文香
谷雄介 
司会:上田信治


この対話は、2012/11/23 14:03から2012/11/23 17:03にかけて、skypeのメッセージ機能を通じて交わされたテキストを、再構成したものです。


村越: 14:10にネットカフェに落ち着く予定です。

上田: 谷さんからは、まだメール来てないです。
谷さんの電話分かります?

村越: わからないです、すみません…

上田: ま、とりあえず、待ちますか。

(……)

上田: あ、前回の藤尾ゆげさんの〈雹過ぎてパン粉の中に右手かな〉の、〈雹過ぎて〉という言い方が微妙なようなこと言いましたけど、あれはありですね。撤回します(句としての評価は変わらないのですけど)。

(……)

上田: 連絡とれないんで、佐藤文香さん、誘ってみますか。

上田佐藤を会話に追加しました

佐藤: こにゃちは

村越: こんにちは

上田: あ、よかった。

終わったら、夜、中華って思ってたんだけどOK? 谷さんと村越さんなら唐揚げとかかなあと。

村越: 中華超ラブです♡

佐藤: 私は、少食なので何でもいいです

上田: では、前半で参加の谷さんが、コレステロール過多のために退出されましたので、後半は佐藤文香さんに加わっていただき、「落選展を読む」進行させていただきます。

口開けは、順番にやりましょうか。村越→上田→佐藤→村越の順で。




20 高井楚良 ウタ
≫読む ≫テキスト


上田:では、まず高井楚良さん「ウタ」。一次予選通過作品です。

村越: 最初5句くらい連続して好きな句がならんでいて、冒頭から引き込まれる感じでした。

春の海出でて誰も狂はずにゐる
はだれ野や見知らぬ人と助け合ひ
逢へぬゆゑ詩を作りたる春の月
げんげとは指から指に渡すもの
このあたり空はげんげの色似合ふ


その他は、

木と水と親しくなりし巣立鳥
葉櫻に獸の匂ひゆきわたる
宇宙軸歪み戻らず桐一葉

あとかなり好きだったのが、

亡き父の毛生え薬や初鏡

でしょうか。ひろい意味での生死のモティーフを扱った作品が多く、抽象的な書きぶりには作者性を強く感じました。

上田: 押し出し、強いですよね。なかなか問題作だと思う。佐藤さん、いかがでしょう。

佐藤:このあたり空はげんげの色似合ふ

が好きでした。全体に、リズムのいい作品が多いように思いました。

ただ、フレーズといいますか、村越さんの言われる生死のモチーフで言えば、〈生きてゐる証の淚しぐれ傘〉の〈生きてゐる証の淚〉や〈生きること生き延びること冬螢〉の〈生きること生き延びること〉のようなところに疑問を感じます。

村越: たぶん、地震とか原発の話を念頭においてますよね。

佐藤: 最後の〈忘るるに使ふ一年雛流す〉は、拙句に〈忘るるにつかふ一日を蔦茂る〉があることもあり、フレーズが既存のものであったり、同案多数の感があるのが惜しいと思いました。

村越: なるほど。信治さんは、どのあたりに「問題作」だと感じる所以がありましたか?

上田: 言いたいことが多い句、という印象でした。

春の海出でて誰も狂はずにゐる〉〈誰も知らぬ地球の重さ蚯蚓鳴く〉たとえば、誰も、という言葉のある二句。

誰も、という裏に、自分は、という主張がある。自分は狂って当然と思うのに誰も狂わない、自分は知っているのに誰も知らない、ということなわけで。強烈な自負とナルシズムを感じます。それ自体は、ユニークな個性ですよね、ちょっと国士風な。

ただ、その…

佐藤: 谷くんからTEL。今から入ると

上田: おお、佐藤さんどうする、このまま居てくれていいですよ。

佐藤: ひとことずつぐらいしゃべる人になります

上田を会話に追加しました

谷: おはようございます・・・(大汗)入りやすそうなとこで入ります。。

佐藤: まだ1つ目だよ

上田: よろしくお願いします。

村越: 自分ひとりは違う、自分だけは大衆に流されず、本質が見えているみたいな感じはたしかにあるかもしれないですね。

上田: うんうん、その主体のでかさというか壮大さのわりに、言ってることは常識的というのがあって、それ、両立しちゃダメなんじゃないかな……俳句は短いだけに、単なる言いっぱなしになってしまう。何をもって、当たり前を越えるかという話なんですけど、、、

そういう意味で〈春の海〉はちょっと舌っ足らずだけど、ありなような気がする。〈地球の重さ〉は、いただけない。

村越: なんかこう都会的なものへの批判的な目線、もっというと近代的なものへのアンチテーゼみたいなものを作品から感じました。たとえば

上田:憎むべき都会の明かり戀螢〉とか?

村越: そうですね、原発を思わせる一連の作品もそうかなと。

逆に、作者にとっての理想郷はどこにあるかというと、たとえば田植唄世界の始めと思ひけり人ゆたか國は貧しく野燒かな〉とか、このあたりにあるように感じました。ちょっと見方がありきたりというか、枠組みとしては月並みかもしれませんが。

上田: 〈都会の明かり〉これ、もっと節電しろってことなの?

村越: なるほど。笑

上田: 超常識的・・・

村越: そう、一周回って常識的なんですよね、そう読んでしまうと。

上田: いや、節電って読めちゃうような発想の枠組みが、普通どまりなのが問題で。この句の場合は〈戀螢〉が、よくないんでしょうね。都々逸みたい。

稲作、共同体、まほろば、みたいな句の幻想味に、方向としては可能性感じました。あと〈このあたり〉の句いいですね。

佐藤: タイトルの「ウタ」は「歌」「唄」「詩」であり、〈この島はウタに恵まれ踊りけり〉という作品にあるように、ふるくから人々が声を出してうたいあげるようなことをさすのだと思います。

それがその現代文明への反発みたいな作品世界の柱になっているのでしょう。でも、この作品自体がやはり、常識の範疇にあるように思われます。

谷: おお、いい解釈。

村越: まさに、同感です。

ただ若干謎が残っている作品もあって、〈加速する亡者の月日つくつくし〉とか、あとは「毛生え薬」の句みたいな、そういう反・現代文明みたいなところから離れたものは面白いな、と。

佐藤: 〈加速する〉これは、ある人が亡くなってから月日がどんどんすぎていってしまうことじゃないでしょうか。そして、そこに新しい生命としてのつくしが、という、これもそんなに謎じゃないように思います。

〈毛生え薬〉は、たしかにおもしろくはあります。

上田: ある人が亡くなって、とは読めない気がする

村越: もっと、集合体としての亡者かと思いましたが…歴史的蓄積を感じるような。

上田:  亡者って、死者に対する敬意のない言葉でしょ。そのへん、いろいろ措辞に欠点はあるんです。

佐藤:加速するの位置とか?

上田: 亡者が加速したら、こわいよw

村越: なるほど 笑。あと、上五形容詞パターン多いっすね。
「憎むべき「頼もしき」「ゆくりなく」

佐藤: (谷くんそろそろ入れば?)

谷: 腹痛からの復活。。そして出力した紙を捜索中・・・やりとりが途中からしか見られてないんですが、

詠みこむ対象がどれも大きすぎ(世界とか天空とか宇宙とか)

村越: たしかに。 ただ、まぁ大景を読む、とはちょっと違うのかもしれないですけど、スケール感のある作品で揃えてこよう、っていうのはなんか憧れます。

佐藤: 「神様」「神」もある。

谷: あと、旅と昼寝覚とか、卵と原爆忌とか、寒いねとあたたかいとか、なんかこの季語の組合せ見たことがあるよね、みたいな句が多い、かな。

とは言え、佐藤さんの「ウタ」の解釈がいいと思った。

上田: おそらく田中裕明のある面を継いでいこうという意図が。〈ブータンも田を植ゑる國うたの國〉とか、あと〈正座する彼も古人衣被〉の句の、古人をふるびとと読むと故人の意味なんだそうで…。

村越: 〈なきひとにならひて坐る桃の花〉 ですね。

上田: 〈眼鏡とれば我も古人や秋燕〉っていう句もある。そういえば、國を憂えるような句が、晩年の裕明にあったなと。

谷: 「お」と思う句もあると思うんですけど、

葉櫻に獸の匂ひゆきわたる
紫陽花に雨は一粒ずつ刺せり
誰も知らぬ地球の重さ蚯蚓鳴く

とか

でも、あまり大柄な句が続いているので、50句このトーンだと食傷気味になってしまう。もう少し、細かい、つまんない世界に目を向けると、もっと幅が見えてきて読んでる方も面白がることができる要素が増えると思いました

以上です。




21 川奈正和 掌上
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谷: 恵方より来る一球をわが打法

いいですね。

佐藤: 私もそれです

上田: ぼくは、それと、

生御魂お菓子の家に生まれしと

谷:狼の毛もて書くべし立志伝〉とか。この作者の発想、作り方、どう説明しましょ。

佐藤: (谷くん、いないときに「口開けは、順番に」というかんじだったのですが、どうしますか)

谷: む、原則主義者だな・・・とはいえ、従います!(大遅刻)

上田: 谷さんつづけてほしいだす

村越: だす

佐藤: つづけろ、遅刻者!ww

谷: ひい、ごめんなさい。。

上田: ははは

谷: 面白い!と思う句と、これはもしかして・・・つまんないかもと思う句が混在している印象

村越: 僕はメモにひとこと「エネルギーがいる」って書いてありましたw

上田: かなり急いで書かれたのかな、と思いました

谷: でもちょっと今僕別の事を考え始めていて、最初に読んだときは「つまんない」と思ってた俳句が、改めて今日読み返すと面白い気がしている・・・

佐藤: 白魚を食み暮らしたる魚に火を〉の白魚→魚、〈劇いまだ劇中劇や花は葉に〉の劇→劇中劇、〈父の日の父は主峰に真向かへり〉父の日→父……〈薔薇色の世をかへりみる薔薇の門〉薔薇色→薔薇、というふうに、同じ言葉を素材違いで同居させている作が多いのが特徴だと思いました。

村越: 〈劇いまだ〉は、入れ子構造として結構成功してると思います。好きです。

谷: たとえば〈北窓を開きこの地に降りて来よ〉とか〈酒池肉林われ空杯に花受けて〉とか〈秒読みの声うつくしき秋の暮〉とか。

一句一句は面白いんだけど、この作者の創作対象の幅の広さにより、風景や登場物があっちこっちに飛ぶ。

上田: 谷さん、自分で、なにが面白くなってるんだと思います?

谷: 全体としての印象が散漫、それが村越君の「エネルギーがいる」ということなのかなと。コンディションの問題?落ち着いて読み返しているとじわじわな感じ。>信治様

佐藤:血と汗と涙こぼるる露の秋〉とかは、もうこぼれまくって壊れちゃってる感じで、ここまで来ると、面白いんだか面白くないんだか。でも、のっちゃうとゲラになっちゃう感じで読みきってしまえるのかもしれない。

谷: それぞれ独立した50句とはいえ、連作性、全体でのストーリーテリング、作者の主体性みたいなものを、僕らは読むときに気にしてるんだろうな、と思った。

村越: ほんとうに。

上田: 〈酒池肉林〉の句とか 手拍子にあわせて作ってるような、書き飛ばし感があるんだけど。空杯っていうところが面白いの? みんな酒池肉林 おれだけいっしゅん空杯 みたいな?

谷: 血と汗と涙、は最初は決まり文句でつまんないなと思っていたが、敢えてやってるというところと、「露の秋」というのは付けてきたのは少し笑えるなと。

上田: それは、いくらなんでも手拍子過ぎる気もするんですが

谷: 充実(酒池肉林)⇔空虚(空杯)の対比ということではなく、ありえない、存在しえない風景の面白さ。


佐藤: 言葉からつくってる人、しかも途中「酒池肉林」「黙秘権」「廃仏毀釈」「遣欧少年」など、高校の教科書を読みながら妄想して作ってるのではないかとも思いました。

谷: 信治さんの言う「急いで作っている」ってその辺もあるのかな。

「花受けて」とか、何カッコつけてんの、みたいなところが面白い。僕にとっては。

上田:絶滅種さながらに立て花吹雪〉はお気に入りになってきた。

村越: 言葉に重心がかかってる句は、どうしても成功の仕方がワンパターンになる気がするのですが…。

上田: おお

村越: あっ、おもしろい!終了!みたいな。

佐藤: 言葉の繰り返しが多いところも、急いで作ってる雰囲気出ますよね。口をついてどんどん出てくるのを書き起こしたような。

上田: よくいえば疾走感

村越: うーん、その特徴的な言葉(黙秘権)とかがもう少し実体をもって迫ってくる句があると、読み手の感動のバリエーションも広がって、いいと思います。

 疾走感、つきつめれば言葉は言葉として独立しているナンセンスさは僕は好みなのですが、これだけだとやっぱり…という。

上田: かっこわるいカッコヨサ が魅力だという気はします。

谷: しかし、〈恵方より来る一球をわが打法〉はすごいですよ。中七まで作って、「を」で切って、「わが打法」はなかなか言えないと思います。

村越: すごい勇気ですね。

佐藤: 「わが打法」のあとの省略もきいてる。

谷: そうそう、気持ちよく打球が飛んでいく感じ。

上田: 万太郎の、もとよりわざのすくひなげ を思わせる名調子です

谷: でも、これ面白がるのってこの界隈だけかも知れないですよ。

村越: www

谷: 「俳句」誌上の座談会では引っかからないような気も・・・いやどうかな

上田: 予選もね

谷: まあ、予選は通らないでしょうね。

上田: いや、でも楽しませていただきました

村越: 同感です。

谷: かなり好評でしたね

上田: 谷さんが乗ったからw

谷: また変な句見つけた雨ふれといへば雪ふる淑気かな

村越: あ、〈若菜摘み一夫多妻の如くにて〉も好きですw

上田: ひどいw



22 大穂照久 都市
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上田:大穂照久さん。第1回週刊俳句賞受賞者だったりする。

佐藤: (〈土降るや棺のごとき庭園に〉って、霾じゃないんですかね)

谷: (「土降る」っていう書き方もあるよ)

佐藤: (そうか)

上田: (歳時記的には、あまり推奨されないでしょ、たしかに)せっかくなので、佐藤さんから

佐藤: 今のことを書こう、という徹底した意識のある句と感じました。うがっとこける作品もありますが、好感のもてるものが多かったです。

上田: 句をあげていただけますか

佐藤:  
猫柳眺めている猫沖へ行けよ
屋上に空のあふれる皐月かな
遠い火事ぼくには口内炎がある

とくに、「遠い火事」の句が好きでした。「ぼくには口内炎がある」の「は」「が」の助詞のつかい方、さっぱりした字余り。「遠火事」と言わないところも、俳句的なところから脱する意志があるように思います。

谷: 猫柳は僕も好き。中八、下六ののたりのたりがたまらんね。 ほしいりつららわれにくれよ、以来の下六。

村越: 猫柳、ぼくもいいと思いました。

上田:
蛍烏賊ひとり眼をちぎりちぎり
瓶ビール海の深さを思いけり
吊るされて窓拭く人や秋うらら
飛行船しずかに流れクリスマス

村越:
メーデーや君の着ぐるみぬいぐるみ
紫陽花の見える満員電車かな

谷: 全体的な印象は佐藤さんと同じく、発展途上っぽい。が、きらりと光る句がいくつかあるね。

村越: あと〈撃ちおえて水鉄砲の軽さかな〉も。

あやかさんの言うとおり、ザ・20代・男の句!という印象がありました。全体的に。くるりとかが歌ってそうな。

佐藤: やはり特筆すべきは恋の句のずっこけ加減ではないでしょうか。20代男子特有の。

村越: 恋の句!ほんとうに。

谷: 確かに>あやか氏

上田: え、どこがそんなに

村越:  
公園の落ち葉を散らすふたりかな
毛布抱く君の紅茶はすぐ冷める

谷: もうやめて・・・これ以上・・・耐えられない・・・

佐藤: あと、

ともすれば夕立ややもすれば愛
切手貼る愛を込めつつ貼る痛いか

村越: 切手!!大きく×ついてますw

上田: 毛布抱く は、だめかなあ?

谷:コンセント抜く春の夜のかなしみに〉愛の対象がコンセントならまだましなのに。。

上田: え、コンセントは、愛の句なの?

佐藤: 毛布抱くは、私が×です。毛布抱く君、すぐ冷める君の紅茶、両方言ってしまうと愛情過多。

上田: 紅茶がメタファってしまうか。

谷: (正しくは、プラグ抜く・・・かな)この句を恋の句と呼んでしまった自分がこわい・・・>信治さま

村越: 君ー毛布ー紅茶ー冷めるの言葉の連なりが、もう、ありふれすぎてる感じがして。

谷: 彼女が帰った後の句か・・・いたたた>毛布

佐藤: ともすれば夕立ややもすれば愛〉は、作者は自信満々の可能性がある。が、しかし。

谷: が、しかしだ。

上田: ああ、もうやめてあげて

佐藤: w

上田: あるいは、大穂くん、逃げて。

村越:夕凪や火力発電所が彼方〉とか突き放した書きぶりのほうが真骨頂を発揮できてる気がします、やっぱり。

吊るされて~は信治さんも挙げてましたけど、好きです。

上田: 火力発電所と水鉄砲の句は、既視感あるけどね。

谷: 【再掲】切って貼る愛を込めつつ貼る痛いか

村越: 痛いかが…痛い。

谷:秋の雨犬の背中のやわらかし〉とかもさりげなくいいですね。

上田:飛行船しずかに流れクリスマス〉凝ってないけど、いいクリスマスの昼だなあ、と思いました。

村越: いいですね!愛せる句。

谷: いや、それ僕も好きです「流れ」のうまさですね

村越: あーでもリア充じゃないと書けないですね、それ。その余裕は。

上田: んなこたあない

村越: そうですね。笑

谷: 村越君、飲もう。

上田: 油を

谷: もうお酒がないと耐えられないよ。

油も

村越: やりましょう。

上田: じゃあ、大穂さんには、会ってお伝えすることにして

谷:瓶ビール海の深さを思いけり〉は類想あるでしょうか。

佐藤: それ、私も結構いいとおもいました。

上田: 瓶ビールって言葉の、今ならではの持ち重り感が、海の深さに通じてるので、ないような気が>類想。

谷: 持ち重り感!(餅・・・餅想い感) ですね。ありがとうございます!

餅想いキュン。

あ、すいません、次いきますか・・・

上田: ああ、お腹空いてきた

村越: 次、いきましょうw

佐藤: (化粧しながらやってます)

上田: 予約4人にしなきゃ

佐藤: 酒♪

谷: 餅って・・・逆から読むと「ちも」だ・・・

上田: ちょっと村越さん進めといてくれますか

谷: (句会もやりましょう)

村越: あ、はい。笑

谷: やりましょう→ヤリましょう

佐藤: (ちもって何)

村越: ヤリましょう

谷: ちも・・・あの恐るべきちも・・・

佐藤: 遅刻人の暴走をとめるのだ、

谷: あるいは、めそ・・・あの恐るべきめそ・・・

むにゃむにゃ・・・



23 山下つばさ 晩年
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村越: では、 晩年 山下つばささん。いきますか。

谷: むにゃむにゃ村越!村越るーじゅ!

村越: 起きてください。笑 ゆーすけさんから、お願いします。

谷: えっ、まだ準備できてないよ(ちも)

村越: あやかさんはどうですか?

谷: ばか、あやかさんはおめかし中だよ。。

村越: (はっ)では、むらこしからいきますね。えっと、僕、この一連はめっちゃいいと思いました。好きでした。

佐藤: まじでか。

村越: ええ。こう、漫画的な世界観というか。

佐藤: 大根のやうなインコだよ?

上田: 村越さん、遠慮無く言ってやって

村越: いいじゃないですか、大根インコ。

あのーシュールなんですけど、不思議と共感できる作品が多いなという印象で読んでいてとにかく面白かった。

上田: 王妃のような石もゐるよ

谷: 大根インコwww

村越: 連作の良さをじゅうぶん出し切っていると思いました。

谷: 歯の生えた風船も忘れないで!!

佐藤:芋を煮る芋に翼の生へるまで〉だよ?

谷: (大根のようなインコに共感・・・だと!何を言っているんだこの男)

村越:
蟹を追ふ鳥のかたちのワンピース
空蝉を髪に付け合ふ遊びかな
らんちうもシーツの白が眩しさう
『ONE PIECE』全巻並ぶ部屋の薔薇
泣きわめく人に集へる蛍かな
母馬の野菊のやうに老いにけり
マンホールに人一人消ゆ冬の朝
得しものをしつこくつつく寒鴉


序盤だけで、こんだけ抜いちゃったっていう。

上田: アヤカさん、評価できないことのポイントは?

佐藤: 大根インコとか、翼芋で50句なら、評価します。でも途中で、

耳朶を過ぎて落花となりにけり
梨の花鉄やはらかくなる温度
拾ひやすき骨を拾ひぬ春の闇
青葉へと母消え父の現るる
眼帯をはづし緑雨を走りけり

こういうのがある。まぁ、眼帯は面白いですけど。

谷: 翼芋ww 

そうね。村越君の挙げた「寒鴉」もふつーだな。でも大根インコと翼芋で50句だと、予選通らないよ。

村越: まぁ、それは普通ですかねぇ。

佐藤:トーストの上のバターのやうに蔦〉もだけど、比喩が突飛で、突飛なだけなのは詩じゃないと思う。いや、詩じゃなくてもいいんですけど、これだと面白がらせにとどまってる、という気がする。

谷: 「突飛なだけなのは詩じゃないと思う」( ..)φメモメモ

村越: トーストはちょっとわからなかったですね…

佐藤:歯のない人が笑つてゐるよ桜の下〉とかも、いかにも、こわがらせよう、みたいなところがあります。

村越: 歯のないひとの句は、こわがらせてるんですかねぇ…。僕にはそこはかとない愛着とか、見える気がしますけど。

谷: わかるわからないでいうとわかる。でも、それ面白いんでしたっけ?という改めての問い

上田: この人のって、早いか遅いかっていうとすごい速い俳句ですよね。

蟹を追ふ鳥のかたちのワンピース
蚊柱をよけ教会の屋根真つ赤
泣きわめく人に集へる蛍かな
母馬の野菊のやうに老いにけり
マンホールに人一人消ゆ冬の朝
発光す一心不乱に土筆摘み
転がつて老子に出逢ふ蜜柑かな

文体にためがないっていうことなのかな。

村越: 発光す、大好きです。銀行員が蛍光するのにちょっとコンセプトは近いですかね。

上田: 一心不乱」で分かりやすくなってるんだけど、それもふくめてね

佐藤: マンホールに人が消えたり、ぽたりぽたり、みたいなのがあって、歯のない人、と来ると、石原ユキオの憑依系じゃないですけど、はじめの方だけ読んだら、連作でホラーをやろうとしてるのかと思いました。

谷: でも、徹底してホラーはやれてないのね。

村越: えー、ホラー狙ってないとおもいますよーまったく。笑

上田: ホラーとか奇想っていう文脈でもなさそうだよ、もっと能天気

佐藤: はい、途中から違う、と思いましたが。そういえばぽたりぽたりはもう一度出てくるんですよね。〈鳩尾を離るる椿ぽたりぽたり

上田: コーヒーとかマンホールは、現実寄りに書いてみましたってだけなんじゃないかな

谷: ぶれてる?過渡期?

村越: 同じモチーフが出てくるのは、ちょっと欠点として気になりました。空蝉を髪につける、も2回。

谷: そうね

村越: シーツと、白、動物。

上田: 今日の作者後半3人は、早書きしてる感じする

谷: でも、同じものが2回出てくるのは、俳句の連作の作り方としてはひとつあるとは思うが。

佐藤: それはそうです。わかりやすさからの超現実みたいなことがやりたいんだとしたら、村越さんが言ったように、せっかくの50句をもっと有効につかわないと損だと思いました。

村越: >ゆーすけさん それはそうですね。

上田: 阿部青鞋とかって、すごい早書きだったそうじゃないですか そういう、つるつる進む書き方の可能性ってあるとおもうんですよ

谷: (村越さま、その件についてはまたのちほど・・・)

上田: そのなかで、いろいろつまづきはあるんですけど、いい句もあるし、方向もおもしろいんじゃないかと思いました。

村越: そう、「いい句」がちゃんとあるというのがポイントだと思います。安心して読める句が。それも書けて、同じトーンで大根インコも書ける。すごいなと、思ったのです。

上田: それを楽しむ読み手は必要、という書き方ですけどね。大根インコは、見たまんまだけど好きだな。

谷:押し退けて雛壇上を目指しけり〉という句。お内裏様目指して駆け上ってる感じでしょうか。

上田:  雛壇は、俳壇だったりしないのかな

村越: あーなるほど。笑

上田: いや、いろいろの社会的ヒエラルキーってことでいいか

谷: 雛、檀上か雛檀上か、詠みにくいですね

上田: まあ、それは、あまりおもしろくないよ

村越:かちんこちんの肉の塊花の雨

上田: かちんこちん どう読めと

谷: か「ちんこ」ちん

村越:

谷: 肉の塊・・・品がなさすぎる・・・

上田: 君がだ

谷: ちも

村越: あ、冷凍じゃないんですか?w

上田: そう。でも、桜と肉は普通。

佐藤: ラスト2句が

ジーンズの尻に夏服のリカちゃん
日焼けして猫耳カチューシャよく似合ふ

というのも、一句一句がダメというのではなくて、何を思ってこの肉、じゃなかった二句をラストにしているのか、というところです。

村越: あー、それは思いました。

谷: で、しかしだ。

上田: じゃ、ま、そろそろ存分にお話しいただいたということで、いいでしょうか。

村越: いいです!

谷: いいです!

村越: で、しかし、以降はいいんですか?笑

上田: それはラードでもなめながら

佐藤: おめかし終わりました!

谷: なんか、角川賞、予選する人大変そうですね。

村越: 僕が俳人だったら、予選はやりたくないです!恨まれそう。

上田: ぼくは超やりたいな>予選。角川俳句賞取ったら、やらせてもらえるのかしら。

えー、本日は、みなさまお疲れさまでした。ありがとうございました!

佐藤: はい!

谷: (が、しかしだ。の間違いであった。>で、しかしだ。)

村越: ありがとうございました。かなり、おもしろかったです!

上田: いや、たしかにおもしろかった。このブロックこの面子でやれて良かったです

2012-12-09

【2012落選展を読む】谷雄介 村越敦 司会:上田信治

【2012落選展を読む】
エプロン専門店からからふとますまで 
(16すずきみのる 17藤尾ゆげ 18佐藤文香 19生駒大祐)

谷雄介 
村越敦 
司会:上田信治


この対話は、2012/11/18 22:23から2012/11/19 1:18にかけて、skypeのメッセージ機能を通じて交わされたテキストを、再構成したものです。


谷: この画面でチャットする感じですか??

上田: あ、そうです

谷: では、あと村越くん待ちですね。練習中・・・これ、発言どうやったら消えるんだろ(改行はshift+enterですね。facebookと同じ)

上田: 右の矢印をあれすると。

谷: お、消えた。右クリックですね。

上田: あ、そうだね。
今日、何食べたですか?

谷: 昼は自分でパスタを作り、夜は木枯しの浅草に繰り出して、安い回転寿司を食べて、浅草名物の「浅草メンチ」を頬張りながら夜の散歩。

ただいまマックに落ち着いたところです

上田: あ、村越くん、帰ってきた

村越: 遅くなりました。ダッシュで帰ったので、少し痩せたかとおもいます。よろしくおねがいします。

上田: えー、では、はじめさせていただきます。

村越: よろしくお願いいたします。

谷: お願いします。

上田: 落選展応募作品を、3ブロックに分けた後半8作品を、谷雄介さん、村越敦さんとともに読んで参りたいと思います。

村越: 高まります!

上田:では、番号順に。



16 すずきみのる「曲直」 
≫読む ≫テキスト


村越: いいと思った句を挙げますと、

窓が切りとる上下層春の塔
節電の夏や緑に染める髪
冬川に石打ちなにも期待せず
はつゆきを競馬新聞にて避ける
エプロン専門店出て冬晴の高き塔


てな感じでした。雄介さんどうですか?
谷: 競馬新聞は僕も好きでした。ちなみに1句目はどこがおもしろかったの?

村越: 春の塔がなんとなく唐突なんですけど、上五中七が新鮮かなぁと。

全体的には、素材はけっこう新しくて、表現上も工夫を感じる部分が多かったのですが季語でうーん、となってしまう印象を覚えました。

谷: 僕は単純に「窓が切りとる上下層」が分からなかった。

村越: 窓の句については、大きな窓があって、その真ん中あたりで横に区切られる部分があって、その上と、下という風に読みました。でも冷静に考えると、どちらも同じ景色ですねw

谷: 捉え方は僕も一緒。

で、これは僕の中で今日の座談会のテーマでもあるんですが、

上田: おお

谷: 「それって面白いんだっけ?」

上田:

谷: 「その面白さってどうやって説明するんだろう?」というのが、一通り読んで、非常にギモンでした。

村越: この方に関してですか?それとも、 今回読んでいただいた作品全体的にでしょうか。

谷: この方特定ではないです。各々濃淡はあれ、という感じ。

なんか感じ悪いね、僕。あ、いつもか。

上田: いや、大事な話だと思います、それ。

まず、あらかじめ説明できないようなことでも、それが俳句になっていて、面白ければ、逆算されて面白さがそこにあった、っていうことにはなるよね

谷: 信治さんの話、むずかしいっす。

上田: まだ、勘で喋ってるだけから、そこは、おいおい話していきましょう。

谷: 了解です。

村越: 雄介さん、この方の作品で好きな句はありました?

谷: まずは競馬新聞。

村越: いいですね。

上田:ちょっと、ポーズを感じないこともないけど、その句。

谷: あとは〈初夏の口腔に舌あるばかり〉もちオマージュとして。  んー、でも微妙かも。迷う

上田: 何へのオマージュですか?

村越: すみません、僕もわからなかったですw

谷: 晩春の肉。

村越: 舌よりはじまるか、でしたか。

谷: YES.舌。

上田: でも、それは、一連を代表する句ではないですね

谷: 僕の方の全体的な感想で言うと、かなりの数の句が、よく言えば予定調和を脱していると思うんですが、 分かりにくい、読みにくい句が多いなという印象でした。

あ、〈ダービーや麦飯の上黄身の張り 〉も好きでした。〈壁と床ひといろの部屋かしはもち

上田: わがままな書きぶりというか。

村越: 書き方をわかりにくくすることで、予定調和を無理やり脱してるという感じでしょうか。

谷: たとえば、初めの〈春浅し運命鑑定士は中座 〉は、意味は分かるんですけど、なぜここで敢えて運命鑑定士を中座させるのか、そのシチュエーションにどういう面白さがあるのか、が、直観的にも、論理的にも分からない、という感想でした。

あと、村越くんの言う「季語がうまくいってない」という話で言うと、
ダービーの句なんか僕すごく好きなんですが、「ダービー」で要素が増えて、作品が何を言いたいのかわからなくなってしまった感。

(こんな話してたら朝になりそうですね・・・)

村越: いいですねw

上田: 今日は三分の一か、半分までという手もありますね

村越: もどりますと、季語と、それ以外の措辞の「つき幅」にばらつきがある印象なんです。

谷:庭石の残るあかるさ揚ひばり〉とか? 〈拓本に私信の古ぶ万愚節 〉とか?

村越: いや、作品全体で見た時に、最左翼と最右翼が遠い印象で、たとえば〈揚雲雀〉の句は近い。〈運命鑑定士〉の句は、春浅しだと遠すぎてなんだかシチュエーションがわからない。

 そのなかでダービーとか、あとはさっき挙げた〈エプロン専門店〉の句なんかは、要素は多いながらもぎりぎりのところで糸が通っている気がして。

だからなんだか統一感がないというか、ばらばらな印象があるなぁと、ちょっとふわふわした表現ですみません。

上田: 違和感というか、気持ち悪いかんじをたよりに書かれているのかもしれないですね〈節電の夏や緑に染める髪〉。

村越: その節電の、かなり好きでした。

上田: 節電と、カラリングの、つきそうでつかないかんじ。戦時中の愛国婦人会が、電髪を敵視した故事をふまえているのかな。

村越: 現代の、不安定な感じ。

谷: 僕も好きなんですが、 その村越君の「現代の、不安定な感じ」が見え透いてしまう気がしてとらず(笑)。

村越: 見え透いてしまう、なるほど。笑

谷: ちょっとひねくれすぎですね・・・すみません。 好き嫌いで言うと、好きです(笑)

村越: ツンデレw

上田: ちょっと親切に読み過ぎかもしれない。

谷: ちなみに、すごくつまらない質問をしますが、エプロン専門店の句の「高き塔」はスカイツリーのイメージ?>村越君

村越: いや、僕は送電線の鉄塔でとりました。 高円寺とか、初台とか、あのへんにあるやつ。

谷: なるほど。変な意地悪な意味ではないんですけど、やたら俳句って「塔」って使うんですけど、

上田: ふふふふ、なるほど。

村越: あー

谷: 「塔って何だっけ?」「その塔って伝わってるの?」と日頃から思っていたと。それだけの話なんですが。

上田: では、その問題は、また以降の作品にもちこしていただいて、

谷: あ、あとひとつだけ。この作者、「ひと」という言葉を多用してますよね。意図があるのかもしれませんが、悪目立ちしているかもと思いました。

上田: なんとなく女性のイメージ。男性性の演出だと思うな。





17 藤尾ゆげ 結界
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谷: 一番好きだったのは、〈正月を殴つて逃げてしまひたき〉。

あとは、

失敗をつばめのやうに忘れたい
てつぺんの鬼柚子あした孵化するや
鰆の字大きく書きてバスガイド

かなり自由に書かれて面白く読めた半面、完全に意味が取れない句(〈オペ室へ〉とか)もありました。

上田: このひとも、わがままな書きぶりとは言えますね

谷: 信治さんの「わがままな書きぶり」の意味するところやその反意語等もお伺いしたく。

村越: 僕、この人相当好きでした。いっぱい丸がついてる。

蜘蛛の糸のぼりていつもここに来る

谷: (読み返すと、いろいろ気になる句ありますね)

村越:

鰆の字大きく書きてバスガイド
雹過ぎてパン粉の中に右手かな
日蝕の朝のたましひ胡瓜揉む
首長き天気予報士雪を貼る
咳けば狼の来る鉄扉かな
フレームの湿気すべてが父である
咳けば狼の来る鉄扉かな
春の山ぐるりとリップクリーム塗る

動物のモチーフと、あとはタイトルにあるように宗教的なモチーフが多くて。

谷: (狼の句、好きすぎるだろ)

谷: (あ、リップクリームの句もいいね)

村越: 生々しい、グロテスクな世界があるなぁと。あまりこのタイプの世界観をきちんと提示してくれる人って少ない気がして。

谷: もう一句〈塊は鯨となりて喪の明くる〉、にも一票。

村越: 丸ついてました、それw「塊は鯨となりて」の求心力、半端ないです。

谷: グロテスク、か。何か違う言い方あるかな。

村越: それはたしかに違うかも知れません、自分で言っておきながらですが。

谷: なんだろね。たとえば、パン粉の中の右手、のあたりでしょ? 

僕の感じで言うと、生死とか、苦しさ、神や地獄とかを、犬猫や、パンやスープと同列に並べて作品を作っているという印象。 神様を買うっていう言い方とか、自分が解剖される蛙になる視点とか。

塊は、の句も、何の塊かは分からないけど、変に暗示的ではなくて自然に詠まれている気がする。

村越:藻の花や沈めば我は誰の餌〉そうですね。そうか、それなら〈岡本太郎〉も理解できま

上田: あー、ちょっと、じゃあ、わがままの話してもいいですか

村越: もちろんです。

谷: お待ちしてました。

上田: あげていただいた句に、なんらかの感覚的な内容があるらしいというのは、分かるんですけど、ぼくは、ほとんど説得されなくて、もどかしかったんですよ。

雹過ぎてパン粉の中に右手かな

雹過ぎて、という言い方がまず、ぎりぎりなかんじ。雹が通りすぎるように止んだということかな。

で、雹が止んだことを認識してる主体が、つぎは、パン粉の中に右手を発見する……自分が、自分の手をパン粉に突っ込みっぱなしだったことを思い出すんだろうか。

それ、面白いかもしれないけど、ほんとに作者が書いたことはそれなのか。ただ、うまく言い切れてないだけなんじゃないか。

ローマ字のどれにも冬の鳩のゐて

popですよね。でも、もうひと説得して、ローマ字にいる鳩にふれさせてほしいのに、そこまで踏み込んではくれない。

谷: すごい雑な添削ですけど、「雹過ぎて→松過ぎて」なら、まだイケます?

村越: いや僕はそこ、雹のほうがいいとおもいますw

「雹すぎて」、難しいですかね?さっきまで雹が降っていて、いまは止んでる。でも硬い雹があちこちにあたる音とか、空気感はまだ残っている。
それを通奏低音として、自身は右手がパン粉の中。気持ち悪いじゃないですか、あれ。

 いろんな微妙な感覚が、良い感じで絡み合ってて、それが気持ちいいなぁと。 痛気持ちいいに近いというか。

谷: そうか。まあ、松過ぎてを押すわけではないんだけど、「雹過ぎて」を信治さんも、村越君も真面目に鑑賞していることにちょっと意外な気がしている。

(突然変なこと言いますが)(鑑賞に取り入れていることに、か)

村越: おおっ

谷: (ちょっと意味が分かりませんね、やめますか)

  冬の鳩の句は、僕も信治さんと同じ印象(ふれさせてほしい、踏み込んでくれない)なんですが、その踏み込めなさを多少楽しんで読めているかも。今は。飾り文字、みたいな事ですかね。

上田: あと、壁の立体サインという可能性もある。

谷: そういえば、今思い出しましたが、 善光寺の門の「善光寺」という文字には鳩が隠れてるんですよね。ああいうののことか。http://zenkozi.com/about/pigeon.html

村越: なるほど。

上田: これは、たしかに「それって面白いんだっけ?」かもしれないですね。

谷: つまり、信治さんの言ったような意味が裏にあるとすると「ローマ字」じゃないかも。

村越: LOVEのオブジェとか、そういうのの可能性もありますよね。

上田: つまり、わがままな句作り、というのは、言葉足らずとか、イメージの不確かさを逆手にとろうとしている、ということですね。

谷: あ、そういう意味ですよね。

上田: この方の場合、言葉が足りると、〈失敗を〉〈正月を〉〈蜘蛛の糸〉のような、川柳に接近した句になる。

谷: ああ〈正月を〉は川柳といえば、川柳ですね(このへん種々議論があると思いますが)

上田: 村越さんのイタキモチイイ、おもしろい評言でした。

村越: とすると信治さんは、言葉が足りてない句に魅力を感じるということでしょうか…?

上田: いや、うーん、

村越: あ、この作者の作品の話です。

上田: 俳句に「ウワゴト感」みたいなものは大事な要素だと思います。坪内稔典さんの言う片言性ですか。

でも、それって、まぐれを方法化するみたいなもので、ガラガラポンみたいにして作っていく中で、どういうわけか汲めど尽きせぬ魅力があるものが選ばれて提出されていれば、作品として成立していると言える。波多野爽波の句の多くは、そういうものだと思います。

でも、アタリハズレはかまわずどんどん書くんで勝手に読んでくれ、という句作りに見えてしまう場合は、ちょっと、わがままかなあ、と。

村越: そうちょっと思いだしたのが、最近句会の選評の中で、村上鞆彦さんが「稚拙を装った句」という表現を句をほめる文脈で使ってらして、

上田: ほほお

村越: 信治さん的にはそこまでいってないよね、ということでしょうか。ここまでのお二方に関しては。

上田: あ、ぜんぜん、そういう方法意識で作られてないと思います。

谷: 稚拙とはまた違いますか?

上田: えーと、ジャンプをつくろうとしてる。

谷: 俳句には二つある。ジャンプのある句と、ジャンプのない句である。by上田信治

上田: (無視して)

詩的飛躍をつくろうとして、いっぱいいっぱいの歩幅で飛ぶとき、すごく無理がある飛び方をして、ふしぎなポーズになるみたいな?

谷: ジャンプにはつある。週刊少年ジャンプと月刊少年ジャンプ、そしてその他のジャンプもろもろである。あ、くだらなくて死にたい。

村越: 僕マガジン派です

上田: 笑。えー、では次に。



18 佐藤文香 丘に見えたところ

≫読む ≫テキスト

村越: 好きな句を抜きます。

泪の夜さへもスープは熱く出来
ゆずり葉や更地脇群青の小屋
川までのてのひらに雛あたたまり
初桜めがねの朝はさりげなく
さへづりに濡れてはじめの樹へ戻る
桜蕊降るやひとりの夜がすべて
葉桜や丘に見えたところに来てゐる
いつまでもむかしの波を平泳


ひとことで言えば、長いラブレターのような作品群、どう読めばいいのかという感じです。

上田: どう読めばというのは。

村越: 全体的にぼやけた、不安定な書き方をしているんですけど、たとえば言葉の連続性(梅園に→梅林の、みたいな)に見られるように、連作作品としては相当練られている。作者の世界がきちんと提示されている。

反面、たとえば〈冷えた手を載せれば掴む手であつた〉。~であつた、はいったい誰に向けて書いているのか。読者はなにをよすがとしてこれを読めばいいのだろう、と思ってしまって。

谷: 乗っかりますが、「この句ってどこがおもしろいんだっけ?」という疑問、僕は村越君のあげたほとんどの句についてあてはまるかも。

上田: ふむふむ

谷: (あ、すみません、マックから追い出されそう)

村越: おっとw

上田: えええピンチじゃないですか

谷: 10分ほど小休止いただいていいですか? すぐ家に戻るので。

上田: はい、了解です

谷: その間に、村越君があげた句の一部でいいので、「この句はここが面白い」と世間にプレゼンできる部分を、教えてほしいかも。

村越: 了解です、ちょっと考えるので、帰宅されたらしゃべって下さい!

谷: ただいま、戻りました!一瞬トイレ!

本格的に戻りました。さすがに木枯しの日は寒いですね。

村越さんがまだのようなので、先に別の話をすると。

冷えた手を、の句と、〈長恨歌のちに冷たき手となりぬ〉の句と(過去の同じ作者の句を比較しちゃうのはあまりよくないかも知れませんが)全体的に相当わがままな書き方に言ってしまっているというか、わがままな「面白さ」の方へ作者だけが突っ走ってる気がしてます。

作品自体は嫌いではないですが。全体雑感、以上です。

村越: おおっ…喋りにくい…

谷: いや、ぼくのくだりは一度無視して、あげた句の「ここはオレが推すぜポイント」を熱く語ってください。他の人は佐藤句のどのへんが面白いと思ってるのか、確かめたい。

村越:川までのてのひらに雛あたたまり〉これなんかは、俳句的にすごく良くできているというか、感覚を丁寧に描けていて好きでした。

それから、はじめの樹〉の句や〈丘に見えたところ〉(題名にもなってますが)の句は“時間差”が魅力だと思いました。

あとは、内容もさることながら、この作者は、この人ならではの書きぶり・形式が魅力的だと思います。

谷:めがねの朝〉は?

村越: さりげなく、でしょうかw

谷: 「書きぶり、形式が魅力的」は分かる。

上田: これは、後朝では。

谷: あ、きぬぎぬか。なるほど。

信治さんはどのあたりの句が好きでしたか??

上田: あ、ぼくですか。

村越: ゆーすけさんも好きな句を、是非。

谷:月は春かつての最寄り駅に降りず〉とか。

上田:
冬の日や浅瀬の鳩のうむ水輪
その指をながめてをれば吾を摘む
水仙の群のほぐれて向かうまで
あかき葉のつと空を指す芽吹きかな
春になる中野通りを北へただ
花に夕焼スパゲッティを巻いてなほ
たんぽぽを活けて一部屋だけの家
溶けぬ砂糖に潰すミントの茎むらさき
葉桜や丘に見えたところに来てゐる
呼吸そつと汗の後頭部を抱く


村越: おお、ほとんどかぶらなかった…

上田: もともと、こう、言葉の操作と偶然によって生じる、キラキラしさみたいなところで勝負してる人だと思うんですけど……。

この句は、これ連作でしょう。

谷:その指を眺めてをれば吾を摘む〉は僕も一票。

連作として読まれることを相当意図してますね

上田: そのムードの持続が、キラキラに、核を生んでるなと。

感情的な核に、いちいち手応えがあるので、これは、僕がさっき言ったような、わがままっていうんじゃないような気がするんですよ。

谷: なんか「連作」と言い始めると別の話になっちゃうんですが。ここまで「連作」と言う話が一度も出てこなかったのに。

上田: あ、谷さんは、一作一作ができてるかどうかを言いたいのでしたね。

谷:いや、僕は一作一作の出来だけではないと思ってます。 この作者になると「連作」としての見方も語る必要があるってことでしょうか。

上田: もどるけど、ぼくは、長恨歌、の句よりも、冷えた手のほうが、いいなあ。

谷: その気持ちは僕もわかります。気持ち、というより、本当は僕もそう思うんですけど。

なんだろーなー、同年なので変にうがった見方をしてるのは間違いないんですが、たびたび野暮な質問ですが、信治さんがどのへんが面白いと思われますか?この句。

 今回は感情的な核に、手応えが出てきてるということでしょうか。(おっしゃってる意味は何となく分かるんですけど・・・面倒くさくてすみません。。)

上田: ことばのあやうい操作の生む抽象的なキラキラと、情感のたしかさの両立。

村越: なるほど…。

上田: たとえば、どちらも性愛の句かもしれないですけどその指を〉の句の、時間と運動、あと視点がシンクロして動く経過とか。

谷: 性愛じゃないですか。これは。

上田:呼吸そつと〉という上五の、切り出しの不安定さとか、まあ、たまらんですね。

村越: すごく、すごくよくわかるのですが。

情感のたしかさというのは本当にそうで、それは伝わってきます。で、それを独特の書きぶり、ことばのあやうさでいいところまで引き伸ばして、放り投げてる。

全体として見ても、句でちゃんと作者らしさが一気通貫していて、好きな一連です。

ですが、その情感の内容が、やや「独りよがり」、もしくは逆に「普遍的すぎる」内容が多い気がして、だから「わあ!おもしろい!」、という感覚とは違ったんですよね。

なので一読者としては、もうすこし、少しだけでいいので、普遍的でありながら、詠う内容にオリジナルな部分があると、書きぶりもあいまって作品がより遠くに飛んでいく気がしてならないのです。

その意味ではちょっとだけ、残念でした。好きな一連なので、なおさら。

谷: 「独りよがり」とは違う言い方だけど、「君」という言い方で出てくる相手のパーソナリティが、ほとんど具体的に語られていないのが特徴的。どういう人物か見えてこない。

「普遍的」はたぶん作者自身が意識してるんじゃないかな。普遍的・・・ん、言い方違うか。

上田:逆にね、極私的であることを前面に出しつつ書くことで、新しい領域を切りひらいている、ということでは。

谷: 明らかに「新しい」と思います。

村越: 「新しい」、そうですね。

僕自身がこのごろ私的なものを可能な限り排除して書こうとしているので、眩しいだけなのかもしれないです、単に。笑

上田: 普遍的でエモーショナルなものって、平成俳句では、ダサイとされがちではなかったかと。子供が生まれて父になったとか・・・そんなことない?

谷: そうですね。

上田: この一連は、エモーショナルなものを、あからさまに極私的に書くことで、俳句にふたたび持ち込んでみせているのではないか。

村越: なるほど。

上田: どこが極私的かっていうと、けっこう露骨に暗示される性的なものとか、〈花に夕焼〉や〈溶けぬ砂糖〉みたいな、その日のできごとだろそれ、的な内容。

それもこれも、恋の句だから可能なことで、おもしろいと思ったなあ。

谷: なるほど。 白泉の〈われは恋ひきみは晩霞を告げわたる〉みたいな、このへんの世界がちょっと近いですかね。

上田: ああ、白泉。近いかも。〈われは恋ひ〉は「青春譜」っていう連作の最後の句だし、あの子供が死んだ時の一連とかね。

あと、ぼくがあげたうち、半分くらい叙景句で、非常に率直に書かれていて、でもそれは、一連の感情的持続の中で書かれてるんじゃないか、と。

村越: ですね、恋の句で読み手もエンジンが掛かって、情景句はその惰性の中で読む、という感じがします。

上田: 惰性は、ちょっとあれだけど、いい意味で勢いに乗って、素直に書かれているような気がして、

村越: うんうん。

上田: 浅瀬の鳩の、と、もたもた言っといて、冬の日や、と帰ってく感じとか、いくないですか。

谷: 逆に「これはないだろー」みたいな句ってあります??

上田: 凝り過ぎかなというのは、ある。

村越:ふきのたう愛の湿度のととのほる〉の「ととのほる」がちょっと…(笑)。「さへづりに」からはじまって、そこからの数句はすごくいいと思いました。句どうしの連関が。

 本当に、話すことは尽きないですね。

上田: どうしましょう、谷さん、明日会社ですよね。

谷: とは言え、もうひとりふたりやらねば、2回でおさまらないですよね汗

村越: 生駒さんまでやりましょうか?

谷: すみません、紛糾させて。

村越: お仕事、優先して下さい。(明日は我が身)



19 生駒大祐 らふそく

≫読む ≫テキスト

谷:
天の川星踏み鳴らしつつ渡る
螺子締めて木を苦しむる夏はじめ
蝸牛まみどりを糞りつづくなり


取り急ぎ、以上です。

村越: 全体的に見ると、どうでしょうか。

谷: 読み切れない句と、何でこんな簡単な句作っちゃったの?という句もあったかなー。

簡単な句というのは、〈風吹いて〉〈木漏れ日の〉〈太陽の育てし〉あたり。誰でも作れそうな句ではないかと。

(そもそも賞に出してすらいない僕が人の句に偉そうなこと言えないんですけど・・・)

(やばいな、このポジション・・・)

(ひえー)

上田: いやいや、賞に出してる方も辛いよw

谷: 村越君はどう?

村越: えっと、好きだったのは

目を瞑るやうに雨止む草紅葉
文殻を焚けば浅草見ゆるなり
下京や氷柱肥えゐて一つ根に
螺子締めて木を苦しむる夏はじめ
朝風や死螢の背ナ湿りゐる
はつなつはましろきゆめとこゑがいふ


村越: 〈螺子締めて〉はゆーすけさんも挙げてますよね、僕もいいと思いました。

谷: 〈はつなつ〉の句はどう鑑賞したの?こゑをどうとるか、迷った。

村越: はつなつの句、たぶん生駒さん的には、決め球のつもりで書いてると思ったんです。

谷: ふむ、決め球。

村越: ここがひとつの山、みたいな。

谷: ほう、ここがひとつの山。

村越: ww

谷: なんだよ、山って!

村越: いや、連作のなかにいくつか散りばめるじゃないですか、自信作みたいなのを

谷: そうね、でもここでいう「こゑ」ってなんじゃらほい?

村越: わからないです、誰かに発声されて、空気を伝ってきた、なにかです。

上田: この世ならぬもの、というかんじでしょうか

村越: ですね、霊的ななにかでしょうか

谷: ですね。だだこねました。

村越:

谷: でも、だだではありますが、

上田: ええ

谷: 俳句の世界って、相当雰囲気で理解する部分、多いですよね。あまり詮索せん方がいいのかも知れませんが、

上田: 超音波で、会話してるみたいなとこあるよね

谷: あ、それ分かりやすいですね。

村越: びびびびびび、ですね

谷: でも、本当に会話できてるかは、あやしいと思いますよ(漠然とした話ですが)

村越: たしかに

上田: どのくらい、その空中戦が「ほんとうに」あるか、が句の価値だったりすると思う。

村越: ただその齟齬がおもしろいですけどねー、伝わらないとか、曲解されるとか、おもしろいなぁと

上田: ああ、村越さんは、今、そこがつぼなんですねえ。

村越: かもしれないです。だからこのはつなつの句、 ちょっと物足りないんですよw ひらがな書きとか、狙いどころとか、ふむ(ニヤリ)としてしまって。

上田: この人は、でも、わりと、かたちにしていこうとしているよね。雰囲気的といわれてしまうようなものをもっとも好みつつ、ムードで終わらないようにという意図は感じる。

目を瞑るやうに雨止む草紅葉
眠たげに木の横たはる春のくれ
蝸牛まみどりを糞りつづくなり
いのちなき鶏卵茹でる晩夏光


でも、ほんとは、

黒蟻や溶けし氷菓に流さるる 
おのづから粘土は花器に神無月
日本間の匂ひのしたる冬の雲
缶に入るからふとますや春の春


このへんの、あほか、というような句が好きです。自信作なのか、やけっぱちなのか分からないけど。

谷: 春の春って(笑)何なんでしょうね。

村越: たしかに。笑

からふとます、ってひらがなで書くとなんかいいですね。

谷: からふとます

村越: 違ういきものみたい。

上田: ふとましいよね。

谷: ふとましいからふとます

谷: からふとましい、からふとましく、からふと・・・

上田: 春や春、だったのかもですね

谷:潰えては肉に浮かびぬ柿の蔕〉とか

村越: たとえばこの一句で予選を通過しないってあるんですかね?春の春なんてないだろ!みたいな。

上田: 春の春、はきついかなあ、でも、そこ通過するために、俳句やってんじゃないよね、という。

谷: うん、そういう小賢しさはないですね。好きな俳句を作ってる感じはします。

鋸の生む木屑の熱や雪穿つ〉とか、このへんのモノへの執着、詠み切っていく感じは特徴的ですよね。

上田: そう、それと、今井杏太郎的なふわーとした〈風吹いて〉とか〈木漏れ日の〉とか、との間のどこかに、この人のやりたいことが、ありそうで。

この間、週俳に、セルフプロデュースの話をちらっと書いたのですが、作風って生理的なものだけど、作るものでもあるじゃないですか。

村越: ええ。

上田: ある意味、陣地取りみたいなね

村越: 陣地取り…総和が決まってるっておもしろいですね、それ。

上田: 自分がやりたいことと、やって意味のあることの、両立する場所を見つける作業みたいな。やって意味のあることっていうのは、通時的、共時的ふたつの視点から見た(言葉は悪いけど)マーケティングみたいなものかもしれない。

で、文体は作るものという意味では、いったん、その文体が身になじむまで徹底してみるみたいなことがあると、いいのかも、と。

まあ、おせっかいな話ですね、これは。

村越: リズムとか、語感がなんとなく不自然な、ぎこちない感じがするのは、これはそういうことなんでしょうかね。

上田: どのへんですか。

村越:春一日教会のひかりといふは〉とか

あとはどれがというのを挙げるのは難しいのですが、ぎこちないというか、独特というか。僕はむしろそれが好きなのですが、流麗に連なっている感じじゃないなぁと。

谷: (ちょっと別の話しちゃいますが)ちょっと話はずれますが、twitterに「真神bot」っていう三橋敏雄の句集『真神』の俳句を一定ペースでつぶやくbotがあって、そこでつぶやかれる三橋敏雄の俳句を見てると、どれも三橋敏雄の文体だなーと。

上田: ふむふむ

谷: だから、文体があるってうらやましく感じますね

村越: 当たり前のようですが、すごくそれは同感です。

谷: 句会で「やっぱりお前の句か」と言われるのは、一面残念ですけど、もちろん一面嬉しい。

その「文体」ってなんだ、というのはもちろんもろもろ議論ありますが、生駒さんは文体ができ始めてる気はします(上から目線)

上田: でも、この人の場合、三つくらい、できかけちゃってるよねw

村越:

谷: 確かに!!!器用なんでしょうね。。

(次週に続く)