【2014角川俳句賞落選展を読む】
3.みんなおなじで、みんないい?
依光陽子
≫ 2014落選展
11人の鑑賞が終わって、折り返し地点。次の角川賞締切まであと5ヶ月である。
前回「絶対に成功しない素材ランキング」と書いたところ、先日の句会で他にどんな素材がNGかという話題で盛り上がった。
以前、角川『俳句』に常套句について書いたことがあるのだが(平成19年5月号特集《類句・類想をこうして避ける》の<死して常套拾ふものなし>)、5年たってもあまり状況は変わっていないのだなぁと改めて思った。
「ひこうき雲」「観覧車」「誰々の生誕地or終焉の地」「樹齢○百年の松」「ヘリ」など、成功しないという意味は、それらを扱った俳句はごまんと目にするが、佳句を見たことがない、ということだ。
俳句文学館で全国の俳誌を片っ端から読んでみれば明らか。皆等しく詩情を掻き立てられ、皆同じように書き留める。例えば、ひこうき雲もクレーン車も斜め○○度の傾きで空に刺さっている。
観覧車の傍らには太陽や月がある。料理俳句、名画俳句、女優の名前の薔薇俳句。季題ラ・フランスが60歳代女性作者の句集に頻出する不思議現象など、挙げればきりがない。
人の個性はその人だけのものだ。生きてきた環境も取り入れてきた影響も全て違う。だから俳句だって違うものが出来るはずなのに、どうして同じような句を良しとしてしまうのか。
皆と同じで安心する「シゾフレ型」、たとえ自覚はなくとも俳句界はシゾフレ天国、模倣天国である。俳句という詩型特有の制約と無数に生み出された他者の作品の中で新しい句を書くことは本当に難しい。
自分が簡単に気付くものなど、誰もが簡単に気付くのだ。「誰かが詠んだような句は詠まない」と腹をくくるところがスタート地点だと思う。
12.ふらんど(さわだかずや)
春の句のみの50句。中盤、うつの句が並ぶ。この作者に限らず、うつを詠んだ句を句集などで度々目にするようになったのは近年顕著だ。「精神病んで」「不快」「嗚呼死にたし」などネガティブな言葉が連なるとさすがに読んでいて息苦しくなってくる。<半裸にてつくしを摘んでゐる集団>はどこかラース・フォン・トリアー的で許容範囲だが、「痰」「ビーム」など度が過ぎると意図をはかりかねる。うつの句も双極性障害の句も、その病状について詠まれても読者は困るものだ。またそうした素材を詩にまで昇華させることは至難の業だ。
強烈な言葉を直接読み手にぶつけるだけでは句は立たない。それがどんなに厳しい経験であっても、客観的に作品を検証する目と、完成度がなければ、読み手の心を揺さぶることは出来ないだろう。なぜなら、書かれた時点で言葉はイメージになるからだ。
耳の奥熱き遅日を過ごしけり さわだかずや
花ですから死んでしまつてよいさうです
一切無常にて蜆汁おかはり
気になった句。
一句目。「耳の奥が熱い」とは決して良い状態を表してはいない。「耳の奥が熱い」ことで、太陽が出ている時間が一層永く感じられる苦痛。だがこの句は他の憂鬱な作風の句に凭れ掛かっていない。遅日を従来とは別の角度から表現することに成功している。
二句目は万朶の花明りが死を誘う。否、誘われたのではなく「死んでしまってもいい」という言葉がふと降りてきたのだろう。作者は理由を見つける。「花ですから」、つまり桜がこんなに咲いているのだから、と。桜と死。文学上、民話上語りつくされた二物からこの句は起草され、歩き出す。そして漠然と死を許されたこの人物は決して死なない。それが俳句作者としてのしぶとさであり、この句のしぶとさでもある。
三句目、一切が無常だという諦念に思考を留めながら、効能たっぷりな蜆汁をおかわりしてしまう生き物としてのせつない事実。この矛盾は取り除けないものとして心に刺さる。
<韮やはらかし人妻はさりげなし>は桂信子の<ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ>、<やい鬱め春あけぼのを知りをるか>は江國滋の<おい癌め酌み交はさうぜ秋の酒>の先行句がそれぞれ口をついて出て来る。ましてうつを扱ってこの薄さでは心の網にかからない。たとえ先行句を踏まえたのだとしても、その句を超えない限り類想句の域は出ない。
もろもろ書いたが、この50句からは過去の自分に抗う歯ぎしりが聴こえて来た。それがこの作者本来の作家性の恢復と信じたい。
13. 封境(杉原祐之)
正統派かつスケッチ風。省略の利かせ方、句の佇まいは否定しない。ただ、中盤のほんの数句の海外詠(?)には異質な印象を受けた。<ターバンと付髭映す泉かな>から<引越の果て風鈴の鳴りにけり><播州の室津の浜の蝦蛄を漁る>でやや唐突に国内詠に戻りさらに風土詠へと移行する辺り。50句のどこに読みのピークを持って来たかったのだろう。なんでも俳句に出来てしまう人は、何を書かないでおくか、顎を引いて考えてみるべきであろう。
子を風呂に入れたる後の夕涼み 杉原祐之
ポストへと落葉の嵩を踏みながら
プレハブの目印をつけ冬の芝
中で、この三句に立ち止まった。
一句目、まだ幼い吾子だろう。子どもを風呂に入れることは若い父親には大仕事だ。夕涼みをしている姿から安堵感が伝わってきて清々しい。
二句目は平凡なカットだが作者の息づかいが感じられた句。落葉を踏む音と心音が重なっているよう。ポストは落葉の嵩を踏まなければ辿りつけない場所にある。「嵩」という言葉が辺りの風景や、ポストの中にあるはずの手紙や葉書の重なりを連想させる。郵便物を投函する瞬間のちょっとした覚悟に至るまでの、短いけれどまっすぐな時間。
三句目、仮設住宅か工事現場のプレハブか。芝の上にそれを建てるための印をつけた。少しだけ根本に緑が残る冬の芝の枯色と目印をつける人の背中。きっと同じような色の作業着だ。冬の芝はやがてプレハブの下になり完全に枯れてしまうだろう。とまれ、冬の芝の広がりがよく見えてくる。
全体的に季題の斡旋は悪くない。あとはかな遣いのうっかりミスをなくし、50句に統一性が欲しいところ。もう一歩踏み込んでモノを見ることで、さらに見えてくるものがあるはずだ。
14. 新機軸(すずきみのる)
<壺焼のさみどり残す肝の尖><その中に制服もゐて御命講><電線とひとつの影に夕燕>など俳句を作り慣れている作者だと思った。
摘みきたるオクラ十指をはみ出して すずきみのる
まさに素手で摑んだ句。両手に余るほどのオクラを摘んできた。大きく広げた指の間からオクラの先端が見える。指の間からはみ出したオクラが手の棘のようで、オクラの表面のチクチクとした感触と相俟っている。
なめるごと寄りくる波に千鳥翔つ
煮られつつあり白繭もその夢も
タイトルは「新機軸」。50句最後の<初句会この人にこの新機軸>から採られている。新機軸とは初句会にふさわしい心意気。またこの作者にとっても上記二句は、数年来の落選展の作品に比べると出色と言えそうだ。
一句目の「なめるごと」は千鳥のいる干潟に寄せて来る波の表現として無理がない直喩だと思う。干潟を舐めるように平らかに静かに寄せて来る波。長い脚が浸り、砂に刺した長い嘴が浸り、そして汐がある高さになったとき千鳥は翔つ。そこに至るまでの千鳥の行動も見えてくる。
二句目。あれほど盛んに音を立てて桑を食べていた蚕の蛹は、繭の中で夢を見ているかのよう。一読メルヘン調だが内容は厳しい。蚕は羽化することを許されない。煮られ殺されて繭を剥ぎ取られる運命だ。羽化してその翅で羽ばたくという夢もまた儚い。
手練の作者だけに、既視感のある句やかな遣いが間違った句が散見されるのは実に勿体ない。句を厳選し、十分に精査し、さらなる「新機軸」を開拓してゆかれることを期待したい。
15. 室の花(津野利行)
冒頭五句はさておき、身の丈に合った自分の言葉で句を書いている点に好感を持った。
夏掛は妻を小さく包みけり 津野利行
大学は辞めたと笑ふ生ビール
何もなき父の形見や心太
一句目。夏掛は寝ている人を嵩なく見せる。「小さく包みけり」に妻との微妙な距離感や、押しつけがましくない愛情を感じる。寝姿も見えてくる。夏掛という季題の効果がある。
二句目。大学職員か、はたまた大学生の友人か。「大学の方はどう?」「実は辞めたんだ」そんな会話があって、友が笑った。いろいろな葛藤を経たであろう複雑な笑顔。この生ビールはとても切ない。
三句目。眼目は「心太」の斡旋だろう。雲色のつるんとした心太。昔ながらの心太の突き器を使ったものであればなおさら、その押し出した後の空虚さは一入である。喉に滑ってゆく心太の冷たさ。「何もなき」に、父の死をすでに遠く認めることが出来るようになった作者の心が、読み手の心を押し出す。
室咲は枯れぬ気でゐたかもしれぬ
この作者もタイトルの語を含んだ句がラストに置かれている。室の花を年老いた肉親の生前と深読みし、悲しい句だと思った。そんな深読みを誘う伏線となる句が50句中にいくつか点在していたからだ。だが一句単独で読んだとき、室咲の効果が見当たらないのである。私は改めて、一句として立つことと、50句として立つこととの違いを考えさせられた。
16.バンテージ(谷口鳥子)
面白そうな句が出てきた。
以前、50句全句動物園で作った句で構成された応募作品があった。一句一句の完成度も高く感心してしまったのだが、この作品は全句ボクシングをテーマにした句で異色。「誰も詠んでない句を詠んでやる」という意気込みがいい。こういった元気のいい作品が読めるのが落選展の醍醐味だろう。
現代かな遣いである。
ヘッドギア何度も直す熱帯夜 谷口鳥子
容赦なく打ちくる小五の日焼け顔
作者も熱いけれど句も熱い。「小五の」は中八かつあまりに粗雑な省略で、子どもだとわかるので不要と思いながらも「容赦なく打ちくる」濁りのない眼差しが気持ちいい。
蝉の鳴くリズム外してストレート
のっぺらぼうの月と並んでジム帰り
ジョグダッシュジョクダッシュ十一月
膝と腰と首でリズムを夏来たる
無理矢理季題を入れたような句も少なくないが、このあたりはいい具合に季題が収まっている。
一句目。ジムの壁を突き抜けて来る蝉しぐれの中でのストレートの練習。蝉の鳴くリズムをわざと外してみる。ちょっとした遊び心。
二句目。のっぺらぼうの月はあたかも丹下段平。一日の練習を終えた充足感が「並んで」という言葉に込められている。
三句目。もし私がボクシングを始めたら、この句を念じながらジョグ、ダッシュのインターバルトレーニングを繰り返すと思う。あきらかに破調だが繰り返し口遊んでいると、なんとなく年の瀬へ向かっていく冬の空気感が出てくる。「十一月」が或いは動かないかもしれない。
四句目。俳句も運動もリズムが大事。なるほど、ボクシングは膝と腰と首でリズムをとるのか。「夏来たる」は漲るエネルギーを代弁している。
さて、もしこの50句で受賞したらこの作者は受賞第一作にどんな句を書いただろうかとふと思った。次回は不用意な贅肉句は落としつつ、完成度も磨き上げてほしいと思う。
17. 空車 (高梨章)
春の日の金の夕べを空車(むなぐるま) 高梨章
タイトルの句である。俳人・山田みづえの父である国語学者・山田孝雄の『「むなぐるま」考』の中から言葉を借りれば、「空車・むなぐるま」は「のらぬ車也、迎などに人のこぬ心也」(匠材集)とある。私は特に「人のこぬ心也」という部分が気に入っている。むなぐるまという言葉は主に院政鎌倉時代の語で、平安朝から鎌倉時代の間にだけ使われたようだが、作者はこの古い言葉を一句に入れた。「の」でたたみかけてゆく手法はこの句に限ってはあまり気にならない。時代を遡らせ、駘蕩とした世界へ読み手を誘う。春の金色の夕べをゆく空車の音なき音。眩しさと虚しさ。印象深い句だ。
秋の灯台 いつぽんの蝋燭をひろふ
分かち書きはこの一句だけだが、悪くないと思う。秋の灯台といつぽんの蝋燭を拾った事実の間に空白が必要だったからだ。解釈は不要。そのまま受け取ればいい。読み手の席は用意されている。
他にも<空席をつくるたちまち月あがる>や<月の力すこしゆるみぬ時計店>も二つの事柄にあたかも関連があるように現実と非現実の間、意味と無意味の間に句世界を構築している。日常語と旧かな遣いの起こす幽かな摩擦が醸し出す何か。<手袋は暗くなるころおそろしき>など、進もうとしているのは鴇田智哉的な志向と見るべきか。
アスタリスクの章立てで、春・冬・秋・夏という不規則な並びにしてある。面白い試みだが、最後の夏の部に入っている句があまりよろしくないのが残念。凝っているわりに<秋の朝きのふの雨の光かな>という至極平凡な句が入っていたり、「蟻地獄」「蝸牛」の連作は雑すぎる。もっと根気強い練り上げが必要。それ以外は、ある虚無感が漂っていて「空車」のタイトルが全体によく行き渡っていると思った。
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≫ 0. 書かずにはいられなかった長すぎる前置き
≫1. ノーベル賞の裏側で 依光陽子
≫2. 何を書きたいか
2015-01-11
【2014角川俳句賞 落選展を読む】 3. みんなおなじで、みんないい? 依光陽子
2014-12-07
【2014落選展を読む】 3. ダイナミズム 堀下 翔
【2014落選展を読む】
3. ダイナミズム
堀下 翔
≫ 2014落選展
まだ読む。
13 封境(杉原祐之)
「の」が異様に多い。〈北国の夏至の夕べのバーベキュー〉〈イタリアの移民の家の薔薇盛ん〉〈播州の室津の浜の蝦蛄を漁る〉。
「の」の多さはすなわち要素の多さである。事物をぶつけるのは俳句の常套だ。いくつものものが一句の中でつぎつぎにぶつかるこの作者の句には、スピード感がある。
「の」でものとものとをつなぐとき、そこにはいくつかのルールがあるのだが、そのひとつとして、大きなものが前に来る、というのがある。〈イタリアの移民の家の薔薇盛ん〉がまさにそのかたちをしていて、イタリア、移民の家、薔薇、と、これらはどんどん小さくなっていく。ここでもやはり、速度が生まれている。収束の速度だ。「の」というのは不思議な助詞で、主格と連体格が違うのは言うまでもないが、連体格の中でも前後の関係はさまざまで、この50句の「の」もよく見ればそれぞれが巧みに違うはたらきをしていて面白いのであった。
ナイターのドームの屋根の開きけり 杉原祐之
「の」が繋ぐ事物は一句を埋め、それが“どのように”開いたのか、ということを述べる余地はなかった。だからこの句はとてもあっさりとはしている。だけれども、一方で、「ナイターのドームの屋根」という記述は、即物的なものの重なりであり、だからこそダイナミックでもある。この淡々としたダイナミズムは他にも〈はち切れむばかりの梨を妻が切る〉(はち切れむばかり、はあると思うが)や〈国境の大きな滝の凍てにけり〉にも見られる。
14 新機軸(すずきみのる)
凝った言い方が50句に集中している。〈夏断にはあらねど酒色控ふると〉〈教師はも十一月を長しとぞ〉〈メリーとはいかな意味なるクリスマス〉〈学生のある夜大原雑魚寝の体〉。どこまで真面目なのか、あいまい。凝っていることがギャグのようにも見える。「いかな意味なる」って、そんなに力を入れて詠むほどのことではない。
セーターのふわふわが胸つつみては すずきみのる
これもまた、スマートではない。「ては」が、どう贔屓目に見ても、野暮だ。ては、何なんだ。この「ては」がいい、という人もいるかもしれない。「セーターのふわふわが胸つつみ」という表現は、とても可愛らしく、それ以上どうしようもないが、その甘さを作者は「ては」でさらに摑めないものにする。
15 室の花(すずきみのる)
そんなに生きているのがつらいのだろうか、と読んでいて惨憺たる気分になる。そういった自分を読むことが悪いとは思わないが、たとえば〈腹癒せに望み通りの春ショール〉は露骨すぎる気がする。軽い詠みぶりな分、そこから出てくる「面倒な奴で結構」「腹癒せに」といった言葉についていけなかった。このうたいかたであれば、やはり、もっとなんでもない内容であったほうがバランスは取れている。
大学は辞めたと笑ふ生ビール 津野利行
こういう人が、たしかにいるのだ。
麻雀のルールを賀詞に続けをり
なんというむちゃくちゃな。
16 バンテージ(谷口鳥子)
ボクシング50句。定型にすら構っていられないかのごときスピード感は本年の落選展では随一。
角川賞の連想で言えば第6回の磯貝碧蹄館がこんな感じだったな、と思う。その頃の彼は萬緑ばりばりの破調と郵便配達という特殊な素材とできらきらしていた。彼の〈台風圏飛ばさぬ葉書飛ばさぬ帽〉に浮ぶ生の充実感に、谷口の〈飲みこめぬ水首伝いTシャツへ〉〈夜の蜘蛛全て異なるパンチの軌道〉が重なる。
〈ラスト十秒へばりつく前髪が邪魔〉は二句目にして無季だ。このことを詠まねばならないという執念がある。時として季語が邪魔とさえ思われるこの詠み方は簡単にまねのできるものではあるまい。すべてボクシングのことを書きながらも50句でストーリーを作ろうとはしておらず、そこにも強さがある。〈夏雲や鼻血を拭う左腕〉一句一句がリアルだ。
17 空車(高梨章)
ものとものとが並んでいることの認識から作者の俳句は始まる。事物どうしは平等に存在している。その場所にあるということは、それだけで詠まれうる根拠なのだ。
蝉たちの穴あいてゐて海が見ゆ 高梨章
蝉たちの穴。木か何か、
蝉のいるところと海との隣接に、筆者は、どきっとする。
この作者にとって隣接は事実でしかないのだな、と思う。
隣接は関係性を生みやすい。〈窓四十と七つあり秋さびし〉さびしいと言ってしまえばただの事実でしかなかった筈の「四十」と「七」はたちまちにさびしさと結ばれてしまう。
18 積木の家(滝川直広)
的確な取り合わせを中心とした50句。季語を除いた12音のごく短いところで物を重厚に描写する。〈花馬酔木ほそき煙となる手紙〉の「ほそき」や〈刃のやせし鎌の置かるる大根畑〉の「やせし」のたしかさが強い。〈虫の音の間(あい)虫の音の埋めにけり〉〈一辺はテレビに空けてある炬燵〉は一物仕立てのたのしさの王道。
読初や波音寄する倭人伝 滝川直広
ああ、あの短い倭人伝はたしかに大きな海を描いていた。
消しゴムの角の倦怠卒業期
「倦怠」の語もまた的確。具体的ではなく、こんなふうに飛ばした言葉を以てする描写も巧みだ。
≫ 1.その年の事実
≫ 2.嘘と事実
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2014-11-02
落選展2014_16 バンテージ 谷口鳥子 _テキスト
16 バンテージ 谷口鳥子
へッドギア何度も直す熱帯夜
ラスト十秒へばりつく前髪が邪魔
飲みこめぬ水首伝いTシャツへ
回り込みサンドバッグ打つ炎昼
バーベルを保持しスクワット汗みどろ
蝙蝠やサウナスーツで懸垂す
前腕より逆流の血がかなかなに
三階のジムへ柏餅飲み込んで
グローブとシューズぎっしり虫干す
ダンベル握りボディアッパー夏真昼
ががんぼやグローブのテープ歯で締める
容赦なく打ちくる小五の日焼け顔
ブロックのグローブの隙へ飛魚
夏雲や鼻血を拭う左腕
休憩一分枯紫陽花見下ろして
蟬の鳴くリズム外してストレート
頭残し半歩踏み込む夕立来
夜の蜘蛛全て異なるパンチの軌道
バンテージに吸い込まれる汗午後八時
天道虫ハーフパンツのスリットに
反撃のミットは大蛸会長来る
マウスピースと制汗スプレーロッカーに
翅開く蛾貧乏ジムの掲示板
青葉木菟最終バスは二人きり
朝焼雲左股関節より異音
ビル風にバンテージこんがらがって
サングラスのままカヌレ喰うリングサイド
淡淡とノックアウトの糸蜻蛉
非対称の背筋連動夏の夜
フック入る汗しぶき背に羽生える
グローブの間で笑う血の目と歯
炎熱のリングへ放られた黒タオル
饒舌な勝者を抱くアロハシャツ
夏行くやサンドバックはでこぼこで
グローブにファンデーション付く秋の暮
フェイントにまた騙されて朧の夜
のっぺらぼうの月と並んでジム帰り
胸伸ばす喉こじあけていく寒気
しゃくれ顎減量は青ニット帽
攻めるのは腹斜筋のみ白息吐く
首ぐわり錘上げ下げ霜の夜
ジョグダッシュジョグダッシュ十一月
元日や自在にうごく肩甲骨
初稽古鉄円盤抱え腹筋
足指から弛緩していく木の芽時
片脚でバランスボール風光る
春夕べチャンピオン来る茶チワワ抱き
膝と腰と首でリズムを夏来たる
ロープに跳ねびゅびゅっと屁五月来る
正面に夏月ジャブを繰り返す
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Labels: 2014角川俳句賞落選展, 谷口鳥子, 落選展
2013-01-20
【2012落選展を読む】(12 13 14 15)大穂照久 生駒大祐 司会:村田篠
【2012落選展を読む】
拘束着からレフ板まで
(08谷口鳥子 09村越 敦 10利普苑るな 11藤 幹子)
大穂照久
生駒大祐
司会:村田 篠
この対話は、2012/11/10から2012/12/8にかけて、ネット掲示板及びskypeのメッセージ機能を通じて交わされたテキストを、再構成したものです。
12谷口鳥子「夏星の配線」
≫読む ≫テキスト
村田:では、第2ブロック後半の最初の作品、「夏星の記憶」を読んでいきます。一読して特徴的なテーマが印象に残る作品でした。いかがでしょうか。
生駒:はい。では僕から行きます。
サンドバックの奥に窓その奥に月
山百合と油を踏んで工場へ
拘束着「どないして脱ぐねん」夏の朝
が好きな句で、荒い手触りの句群に個性と魅力を感じました。
しかし、
グローブの紐引く室温四十度
花冷えや少しきつめにバンテージ
ウェブ株価見る鹿ジャーキーしゃぶりつつ
のようにストーリーがあるように見えて、空気感のみを詠んでいるにすぎない句もあるように思いました。
村田:50句の中に、違ったテーマがいくつも並んでいます。
大穂:前半がボクサー、中盤が作業員、後半が介護ですね。
生駒:同じテーマの連作が約10句ずつ連なっているのですが、この構成に逆に散漫な印象を受けてしまい、50句を連作とする難しさを感じました。
村田:私は、全体的に身体と、身体に直結する感覚を詠まれていて、そういう意味でのまとまりはあるのかな、と感じました。ただ、〈クレソン噛み潰し記憶の夏に入る〉〈夏星の配線だけをつなぎ去る〉のような抽象的な句もあって、それで印象が混乱してしまった感があります。
大穂:身体に直結する感覚というまとまりは僕も感じました。ただ、後半の介護以外、あまり共感はしない50句でした。
村田:確かに、50句を通して作者像がなかなか定まってこない、という印象はあります。
大穂:フィクションかどうかはさておき、作品はあまり成功していないと思います。
生駒:それはなぜか、ということですね。
大穂:どこか、想望感を感じてしまいます。リアルを感じない。フィクションでも、リアルを感じることはできるけれども、この作品からは感じられないのです。
村田:「リアルを感じる」というのは、俳句に限らず、どんな創作物にとっても大切な要素だと思います。実際にそれがリアルかどうか、ということではなく、受け取り手がリアルを感じるかどうか。
このあたりを、もう少し具体的に話していただけますか?
大穂:例えばボクサー「を」詠んだ句か、ボクサー「が」詠んだ句か。この50句は前者側の域に留まっています。
だから、共感というか、突きぬけるものがない。読み手はのめりこめないんですね。
村田:自分のこととして詠めていない、ということでしょうか。
生駒さんも挙げられていますが、私も〈サンドバック〉〈山百合〉の句が好きです。リアルを感じますし、少し内省的です。
ですが、そうした句と、例えば〈ウェブ株価見る〉の句を同じ人がつくったとは思えない。この句の主体は一人称ですが、ちょっと無理をしているような気がします。私には、そういう感じがしました。
大穂:でも、介護の部分は結構よかったかなと思います。わりにリアルを感じました。
生駒:介護の部分は僕もそう思います。
大穂:生駒くんも挙げている〈拘束着「どないして脱ぐねん」夏の朝〉の句はいいですね。拘束着を着せられて「どないして脱ぐねん」という。夏の朝は雑ですが、これくらい乱暴につけてもいいのかもしれません。
〈ポピーの鉢かかえホームは事故処理中〉もいい。鉢を抱えて両手がふさがっている景が事故処理のホームと合います。このあたりは面白いです。
生駒:〈ポピー〉の句は僕もいいと思います。〈革軍手灼けるレンチに変色し〉もいいですね。
大穂:この作品のようなテーマなら、定型外の俳句を多く出した方がいいんじゃないでしょうか。破調字余り季語なしでも全然OKだと思います。
生駒:独特のリズムを持っている方なので、それを生かすことができればさらに良い句が出てくるのではないかと思いました。
村田:私は、この方は意外に内省的な部分に本領があるのではないか、という気がします。それが、テーマやゴツッとしたリズムとかみ合うと、もっと面白くなるし、この作者だけの特長にもなってくるんじゃないかと思います。
ざっくりした言い方で、申し訳ないのですが。
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13村越 敦「駱駝の列」
≫読む ≫テキスト
生駒:好きな句から行きますと
世界ぢゆうの蟻の話をして眠る
薄暑かな道の向かうに西友見え
広告の中の家族やシクラメン
日向ぼこ遠くの日向思ひけり
このような句には成功を感じるし、実際に僕の大好きな句ではあります。
しかし、全体として「非常に惜しい」と感じる50句であることも確かです。
村田:「惜しい」については後ほど話していただくとして、大穂さん、お願いします。
大穂:いきなりの1句目、〈やがて降る雨雪のこと薬喰〉が好きです。雨催、雪催のなか肉を食う静謐な風景。景もさることながら「やがて降る雨雪のこと」がフレーズとしていいですね。
〈世界ぢゆうの蟻の話をして眠る〉は優しさのある句だなと思います。そういう夜のことはいつまでも忘れないものです。
〈黄落や捨てし水槽わづかに濡れ〉、「捨てし水槽わづかに濡れ」の部分が非常にごちゃごちゃした感じですが、いい景ですね。水槽の水滴、黄色の葉の映るガラス、土の感じなどが見えます。
村田:私は、一読して独特の匂いを感じました。
梨咲いてましろくひかる鏡かな
広告の中の家族やシクラメン
水無月の火口に石を売る男
死のかるく描かれてゐる檸檬かな
日本離れしているというか、ちょっと無国籍な感じのする句群だな、と。〈世界ぢゆう〉の句もそうです。言葉の選択と形容の問題なのか。面白いと思います。
では生駒さん、どのあたりが惜しいのでしょうか。
生駒:たとえば1句目の〈やがて降る〉の「薬喰」の惜しさであるとか。大穂さんはいいと言われましたが、僕は惜しいと思います。それから〈女正月話を聞いて暮れにけり〉の「普通」感の惜しさであるとか、〈梅雨冷や小学校は朱き海〉の朱さに共感できないことの惜しさであるとか、ですね。
良くなりそうな句はたくさんあります。〈夢にまで見し駱駝の列や橋は夏〉の下五なども頑張っています。題材も多彩ですし 、カタカナ多用や切れの複雑さを意識した句を作っていますが、そのすべてが成功しているとは言えない。
挑戦しているんだけれども、俳句の枠内でやろうとしているのが痛し痒しで。
大穂:痛し痒しというと目線を変えれば、一気によくなるのでしょうか。
村田:気になって惹かれる句は多いです。〈アネモネや作り物めく博士の手〉とか〈梟や見知らぬ街はかがやける〉とか。
生駒:句の幅は感じられるので、個性を意識した作り方をしていくべきなんでしょうね。
大穂:最後の〈けふがいちばん幸せといふ雪が降る〉という句は、〈今生のいまが倖せ衣被 真砂女〉をちょっと想像してしまいます。
生駒:個性は巧みさからでるものではないと思っています。俳句における巧みさは比較的得やすいですが、個性的な面白さを出していくのはむずかしい。既にそこを狙っているのでしょうが、もっと突き詰めてほしい。
大穂:今回の50句は既存のうまさを捨てて、新しい実験をした感じがあります。
村田:1句1句はとても工夫が凝らされているのですが、全体としてハジケた感じがしなかったです。「しばしある」「欲なべて」という入り方とか、「それとして」という慣用句の折り込み方とか、いろいろな試みが逆に手慣れた感じになってしまっているのか。
大穂:手慣れた感じもありましたが、今回の作品では、村越くんは角川俳句賞向きの50句をあえて捨てて、この50句を出してきたのではないかと。
生駒:一方で、母数が足りなかったんだろう感があります。
大穂:新しい試みの母数ということですね。でも読んで、楽しかったですよ。
村田:そうですね。私もです。
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14 利普苑るな「2011/2012」
≫読む ≫テキスト
村田:次は「2011/2012」です。2011年から2012年にかけての光景を詠まれた句群、ということなんでしょうか。
生駒:このタイトルは評価できないです。
大穂:もう少し考えて欲しいですよね。
僕がいいと思った句を挙げますと、
新涼や言葉の出入りする身体
秋風や人影映す大理石
春めくや三食刷りの献立表
あたりですね。
〈新涼や〉の句、言葉は、耳と口だけでなく、目や肌からも出入りします。自分の体が清新な気分に満たされたなかで言葉の出入りを感じている景。面白いです。
〈大理石〉の句は、少し暗く反射する人影が想像できます。大理石の反射率は低いですからね。
〈春めくや〉、三食刷りって今学校で使っているのでしょうか。個人的な思い出ですが、春休み直前の給食は特別な感じがありました。
村田:〈春めくや〉はいいですね。ありのままですが、「三色刷」というようなところに注意の向く感じが好きです。
〈鳥交る綿のこぼるる縫ひぐるみ〉〈花茣蓙の柄よきところ選りて座す〉〈冬帽の男の低く唄ひ過ぐ〉あたりにも、表面だけではないちょっとした事情みたいなものを淡く感じさせてくれるような気がして、好きな句です。
生駒:僕は〈春めくや〉の句はあまり。「ただごと」を越える何かがあるのかと言われば、少し疑問が残るかと思いました。〈欠伸して涙ひと粒桃の花〉〈天丼の海老の尾ぱりと桜どき〉などの句もそうですね。
村田:「ただごと」というのは、どういうことだと思われますか?
生駒:「誰もが当たり前だと思っていること」ではなくて、真実を描いてはいるのだが、そのことを描くこと自体に凄みが生まれる状況。それを「ただごとを超えている」というのではないかと思います。
村田:「そのことを描くこと自体の凄み」というのは、事実というだけではなくて、根源に近いところを描いてしまう、みたいなことなのでしょうか。
生駒:同じ「経験があるな」と思わせることでも、それが既に読者の中で言葉となって認識されている事柄には驚きはないです。言葉にされることで初めてそれが真理なのだと気付かされる経験、そんなものに凄味を感じるし、ただごとの面白さの本質はそこだと思います。
村田:なるほど。大穂さん、〈天丼の〉の句はどうでしょうか?
大穂:桜どきの斡旋はうまい。うますぎますね。
村田:生駒さん、いかがですか?
生駒:僕の好きな句は
みちのくの田に花冷の至りけり
竜胆の青の極まる遠野かな
夕凪や釣人のふりしてゐたる
冬帽の男の低く唄ひ過ぐ
〈みちのく〉〈竜胆〉の句は端正ですし、〈夕凪〉〈冬帽〉などにはとぼけた味わいがあります。幅のある50句ですね。
大穂:〈夕凪〉〈冬帽〉の句はいいですよね。
生駒:季語の斡旋がうまかった。
この作者は取り合わせの可能性を信じている方だと思うので、その伸びしろを生かすことで突破口が開けるのではないかという気がします。
トーンが一定である印象を受けたので、作家性を守りつつももっと攻めてもよいのではないのかとも思いました。
大穂:全体に破綻している句は少ないですね。でも、面白い句も少なかった、というのが正直な感想です。「破綻していない=魅力的」ということではないですから。
生駒:普通を超えるものが出てきた俳句を読みたいです。
村田:大穂さん、面白い句、というのは、どういう句のことだと思われますか?
大穂:ここで言う面白さというのは、新しい視座を提案する面白さのことです。
村田:「新しい視座」とは、もう少しかみ砕いて言うと?
大穂:いわゆる俳句的な範疇、予想を超えた俳句といえばいいでしょうか。
今回の50句は、俳句の面白さが再生産的というか、プラスアルファを感じられない方向という感じがしました。
私はどちらかというと、開拓的な面白さをもとめてしまうので、そういった俳句をもっと読みたいですね。
村田:大穂さんの言葉をお借りすると、いつまでも同じ「視座」で俳句と関わってしまうことが問題だと。それは、ある程度の時間、俳句と付き合って上達してくると、必ず突き当たる問題ですよね。
大穂:難しい問題だと思います。
生駒:上手いっていう要素は面白いの十分条件でも必要条件でもない。破綻を避けて安全圏だけで詠んでいると、面白さからは遠ざかります。
賞に通るのは破綻の少ない句なのですが。
大穂:賞に落ちようが、フルスイングをする俳句が好きですね。
村田:大穂さんのおっしゃった「新しい視座」というのは、フルスイングから生まれるのかもしれませんね。
●
15藤 幹子「カレー係」
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村田:いよいよ第2ブロック最後の作品です。いかがでしたか?
生駒:
冬の田へ神器のごとくレフ板来
湯豆腐食ふ時々四次元の生まれ
など、一句一句に驚かせてくれるポイントが含まれていて、読んでいて飽きませんでした。その中でも、
薄命にあらず日傘を回しけり
は非常に静謐な印象を受け、しかし全体の統一感を乱すことなく、好きな50句でした。
村田:〈冬の田へ〉はいいですよね。「レフ板」の扱い方に映像のような生々しさがあります。〈カンナ燃ゆ中学生の眼にガーゼ〉の「ガーゼ」もそう。
生駒:〈冬の田へ〉の句には、冬の田、神器、レフ板、それぞれがまったくつかない面白さがあります。でも、根底で通じる何かがある。実際にはレフ板を冬の田にもっていくことはないのでしょうが、それが非常にリアルに感じられます。
大穂:〈湯豆腐食ふ〉の句はどうですか。
生駒:はっきり言って意味が分からない句です。「時々」がすごい。句をわからなくさせている。
大穂:湯豆腐は3Dと時間の経過(1D)が必要な感じがあると思うのですが。
生駒:それは四次元を真面目に考えすぎだと思います。豆腐の形と四の字のかたちが似ている。それだけでいいです。
大穂:〈薄命に〉の句はいいです。薄命ではないから日傘を回す。美人薄命という言葉がありますが。雨傘を回すと人に迷惑ですね(笑)。この句は「けり」がいいですよね。
村田:いいですね。ちょっとしたひねりがあるところ。薄命と日傘を回すことは無関係なのだけれども、「にあらず」でつないでいるひねり具合がなんとも絶妙で。
大穂:〈ミッフィーのおうちに火の気なき夜長〉。ミッフィーの家はまちがいなく「おうち」です。そして、火の気のかけらもない。この説得力。
生駒:〈凧揚げや触りたくなき海触る〉の繊細、〈万緑や鼻より犬の朝始まる〉の不思議、〈五月雨や犬の耳垢耳の中〉の自然など、見どころが多いです。
あえて欠点を挙げるとすれば、〈カナッペを空蝉はづす指づかひ〉〈苺から苺へ五指のさざ波す〉などの句に見える言葉足らず感でしょうか。
大穂:〈五月雨や〉。こういう句はとれないです。耳垢。
村田:汚いものを詠んだ句は、わりに見かけます。
大穂:俳句の風潮として、糞とか垢とかを詠む傾向がありますが、それは、安易に認めたくないと思っています。本当に心から詠みたいと思うものでないかぎり。これは、あくまで自分の美意識ですが。
村田:私は〈カルピスを世田谷流に割るといふ〉〈クトゥルフにおでんを司る神が〉などの句がよく分かりませんでした。面白いのかどうかも分からない、という感じです。分かる人には分かるのかもしれませんが。
それから、全体にテンションが高い、という印象を受けました。まったりとものごとを見たり聞いたりしているのではなく、対象に迫ってゆくようなスタンスで詠んでおられる感じがします。
大穂:宗教、神話のモチーフが多いですね。モスク、司教、クトゥルフ、物の怪、それからニーチェ。ひとつの宗教にこだわるんじゃなくいろいろ突っ込んでいる。しかも、それ以外のテーマの句を入れているので、散漫な感じになってしまいます。
村田:「クトゥルフ」も、神話の用語なんですね。
大穂:この人の俳句は、それ自体が、どこか宗教的です。こういったルールや摂理が世の中に存在するのだと示唆するような俳句です。
鳩サブレの頸のひび、ミッフィーのおうち、盗作をした顔、日傘をまわす。リンゴが木から落ちるような、日々の暮らしの中の厳然たるルールを提示したような句。薄命ではないから日傘を回すのだという摂理。
村田:作者の中に存在する摂理を、作者の外に在るように詠む、ということでしょうか。あたかも架空の世界をつくるように。その読み方は面白いなあ。
大穂:既存の宗教を詠んだ句ではなく、もっとこういったご自身の句を読んでみたいですね。
村田:ああ、それはとても「リアル」な提案だという気がします。生駒さん、言っておきたいことはもうありませんか?
生駒:この作家は宗教などの既存の価値観を自分の中で咀嚼し、自分の価値観と混ぜ合わせてローカルに変容させ、その二次的な価値観を見せてくれているようなところがあります。それは作家性だと思うし、僕はそこが面白いと思いました。
この方向性でこのまま行くにせよ、大穂さんがおっしゃるような方向性に行くとしても、次を見ていたい作家だと思いました。
村田:それでは、このへんで。ありがとうございました。
(了)
2012-12-09
【落選展2012を読む】 落選展よ水戸橋よ(其の二) 島田牙城
【落選展2012を読む】
落選展よ水戸橋よ(其の二)
島田牙城
水戸橋なんて安易な名だし、小菅の橋以外にもあるだらうと調べたのだけれど、どうも水戸市周辺にもなささうだつた。
ありさうなところに無いといふのも、俳句作りに通じるのではないか。
今さう言ふ人がまだゐるかどうかは知らぬが、そのかみ、俳句を「ひねる」と言つてゐた時代があるらしい。僕の回りにもさのやうに言ふ人はゐなかつたけれど、吉田拓郎は「旅の宿」といふ歌でたしかに
「ああ風流だなんてひとつ俳句でもひねつて」
と歌つてゐた。
で、これ、結構当たつてゐると思つてゐる。
ありさうなところにありさうなものを置いたところで、俳句は成就しない。少しひねつて、ありさうもないところに水戸橋を作るから俳句なんだよ。うん、やはりこのタイトルは嵌つてゐるのだといふ、自画自賛である。
では続ける。
●
春暁やパートタイマーこゑ甘く 小早川忠義
レシートや要るも要らぬも卒業生 同
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やはり五十句といふ長丁場を読ませようとすると、はじめの五句はすごく大切だと思ふ。駄目な出だしだと、一句で見限る選者はゐないだらうけれど、三句で見捨てにかかる人はゐるし、五句で確実に引導を渡されることになる。極端な話、残りの四十五句がどんなに素晴らしからうとだ。
「つかみ」といふ業界用語があるらしいが、「旗日」一連はこの二句で「つかみ」には成功したのではなからうか。
〈春暁→甘く〉は緩いけれど、朝・昼・暮・夜のどれでもなく暁であることの「危険」を感じて、僕など、背徳の香りを嗅ぐ。そして舞台設定がパートのをばさんの働く場であることが示される。
〈レシートや〉は意表を衝く。まさか天下の切字「や」に「レシート」はなからうといふ読者の隙に捩じ込んでくる。
〈要るも要らぬも卒業生〉といふのも、卒業したての若者の「浮かれ」を一気呵成にこちらへ届けてくれる表現だ。
これにて、舞台設定は完璧。春暁にをばさんが働いてゐてレシートを出す学生の立ち寄る場、それはコンビニ。
さうか、となると、をばさんではないかも知れぬ。若いおねえちやんかも知れぬ。でも、四十路のをばさんあたりのはうが、背徳感はあるか。
そして五句目に〈花守やいらつしやいませこんにちは〉があり、四十八句目に〈流し来ぬいらつしやいませこんばんは〉がある。
この二句はまつたくもつてゆるゆるではあるが、なんとなくコンビニで徹底させたいんだよといふ作者の思ひは伝はる(「流し」といふ季語を久々に見た。このコンビニのある街の風情をこの季語一つが十全に伝へてくれてゐる)。
それなのに、残念ながら〈朝寝して互ひに旗日生まれなり〉とか、これはコンビニ俳句ではないよね、といふのが混ざる。摑んだ客を逃がしてしまつた五十句といふべきか。
〈うららかや捨てねばならぬお弁当〉〈半ズボン姿の男立ち読みす〉など納得の句もあるので、惜しいなあ。
●
大柄な向日葵の種蒔きにけり ハードエッジ
空蟬を水にながしてやりにけり 同
ソーダ水深きところを吸はれけり 同
のし餅ののされぐあひを押してみる 同
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これからの人なのだらうけれど、上の四句などはさりげない慈しみの目線が感じられて好感が持てる。
●
その男ぶらんこに鳩あつめたる 嵯峨根鈴子
嘘もすこしまじれるさくら吹雪かな 同
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のやうな句には物語が詰まつてゐて、ふはりふはりとその世界に入つてゆけさうなのだけれど、いざ入らうとすると、作者に「入らないで、私の物語よ」と拒まれるのではないかといふ危ふさがある。
反面、
葉桜や小さく明り取りの窓 嵯峨根鈴子
触れて消す電気スタンド青葉木菟 同
が抱卵してゐる物語は、作者を離れて自由に読者が孵してやることができる。
いろいろなポケットを持つ俳人といふことだらう。
●
マフラーの中で少しく唄ひたる 神山朝衣
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幸せに俳句と出会ひ、幸せに俳句を作つてをられる人なのだらう。その気息がこちらに伝はつてくるのだから、こちらも幸せになれる。掲句はそんな中でも類句の少なさうな幸せな句。
秋の蠅の死中国の壷の中 神山朝衣
を自身の中でどう処理してをられるのだらう。他の句と相当違ふ句の姿なのだが。そして僕はこちらの方にこそ未来が開けてゐるのではないかと思ふ。
〈マフラー〉の句は俳句が貴女を救ふ。〈秋の蠅〉の句の方向性といふのは、貴女が〈俳句〉を幸せにする。
●
胎にゐて止まぬ吹雪を聴いてをり 中塚健太
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胎児に聞かせてゐる俳句といふのは五万とあるのだらうが、胎児が聞いてゐる俳句といふのはどうなのだらう。胎児が蹴つたりはするけれど。
周囲に子供俳句があるわけでもなく、とすると、胎児となつたのは作者自身か。
●
サンドバックの奥に窓その奥に月 谷口鳥子
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作者の性別といふのは、その句を読むときにどれほど大切な情報なのだらうか。
とりあへずこの作者名を「とりこ」と読み、女性であらうといふ先入見を持つて読み始めた。先づ十句ボクシングジム俳句が続く。荒いが強烈だ。続いて鉄工所での労働句が続く。どの句も「語つてしまつてゐる弱さ」はあるけれど、内容に気圧される。
そこから少し、恋も混ざる日常詠が続く。日常と言つても、ウェブで株価を見たり、パチスロへ行つたり同棲相手の舌の動きを詠んだりと、生々しい。そして介護俳句を続け、〈夏星の配線だけをつなぎ去る〉で締めくくる。
この人は別に社会性俳句を書かうとしてゐるわけではない。ありのままの今を書いてゐるにすぎない。その意味で、幸せなありのままの今を書く神山朝衣とおなじスタンスなのだ。「今」の中身が百八十度違ふだけ。
この五十句は、力技でしょう。
今現在の俳句界に突き出して、議論させるべき句群でしょう。
三カ所関西弁が出て来る。焼酒(ソジュ)は朝鮮か。古酒(クース)は泡盛、沖縄だ。そのへんから察するに、関西でも大阪か。
ちぎれ栄螺ほじくり引き出すまで見つむ 谷口鳥子
革軍手灼けるレンチに変色し 同
古酒(クース)の夜はじめのメールだけ消して 同
髪六日洗えずと祖母待ちいたる 同
今、これだけ力の漲つた言葉を使へる新しい俳人が他にゐるだらうか。
今の僕には、鳥子が男であらうが女であらうが、どちらでもよくなつてゐる。
〈とりこ〉さんならどろどろの恋に落ちるも良し、
〈てうし〉さんならとつ組み合ひの喧嘩でもしながら酒を呑みたいな、何処で? つてねぇ、水戸橋のたもとで、といふのはどうね……。
(つづく)
2012-12-02
【落選展2012を読む】その2 楢山惠都
【落選展2012を読む】
その2 移動サーカスには憧れたものです
楢山惠都
サーカスの地べたのつづき葱を焼く 嵯峨根鈴子
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移動サーカスには憧れたものです。旅の一座が夜っぴでやってきて、テントを組み立て、翌日にはサーカス告知のパレードのお祭り。親にせがんで木戸銭をせしめた子どもたちは、ひげ女、力持ち、などの入った檻をまじまじと見つめる。占い女に運命を聞いたりアイスを舐めたりしながら、夜はいよいよショーの開幕。そんな数日の興行が済んだら、やはり夜中のうちにテントは畳まれてしまって、跡には色紙の残骸だけ。
股旅のきもちで葱を焼く。食材をそのまま焼くことは、飛行機も自動車も無い時代の旅の薫りがする。
火を恋ふるとは口笛のとぎれとぎれ 同
寒さにかじかんだ唇のせいでとぎれとぎれになる口笛。わたしは口笛を吹けない側のにんげんなので、この晩秋の把握が羨ましい。冷えているほうがきれいな音になるのだろうか。風船ガムを膨らませるみたいに唇をすぼませてみる。新鮮な風が口腔を通り抜ける。
●
薄氷はそろそろ水にもどりたく 神山朝衣
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水に戻りたいから緩みだすのか。緩むのをきっかけとして水に戻りたくなるのか。ある状態からある状態へ移行することの、ゆるやかさ。それを見つめるひとがいる。
目が合ふとしばらく語る蜥蜴かな 同
熊を見る熊に見られてゐる間 同
蜥蜴は見つめられている。なにかを見ること。視線を介してそのものを取りこんでしまうこと。同じように、熊にも見つめられているということ。
早春のひとの呼吸を聴いてゐる 同
山茶花や見えざる声の鳴きをはる 同
五感について言う句が多いなかで、「見えざる声」とあるので、聴覚と視覚は拮抗しつつも少しだけ視覚が強いのかな、と感じた。梶井基次郎の『視ること、それはもうなにかなのだ』という一文を思いだす。
歌うたふ子や夏蝶に嫌はれて 同
そのせいだろうか、視線以外の手段は嫌われてしまう。歌が、空気をふるわせ、夏蝶の蝶道を少し撓ませる。痙攣したかのように飛び去る蝶。
●
縄跳や入る子出る子見知らぬ子 中塚健太
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小学校へは電車通学をしていたので地元の友というものがいない。近所の公園では、ある集団の横になんとなく居て、むりやり馴染んで遊ぶ、ということを繰り返した。向こうはわたしの名前を知らないから、そこの麦藁帽子の子!なんて呼ばれて。
掲句は大縄のことだろうが、確かに「見知らぬ子」が列にまぎれても目立たないだろう遊びだ。どんどん輪は循環し、最後尾がどこか判然としなくなる。たそかれ時に。
つばくらめ空に縦横斜めあり 同
外出するのがめんどうなとき、空飛ぶじゅうたんがあったならと溜め息をつく。わたしたちは平らな地上にへばりついているだけだが、縦横無尽に移動できるのが宙なんだろう。
風船の己(し)が影からも放たるる 同
風船がどんどん上空へ、すると地上の影はどんどん小さくなる。じぶんの影からも自由になり、風船は天国めいた場所へと向かうだろう。縄跳びも、鳥も、風船も、上昇する動きがあるような。
●
夏星の配線だけをつなぎ去る 谷口鳥子
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この秋に初めて感じたことなのだが、星座とは恐ろしいものだ。あんなに無数の星をつないで空いっぱいに獣が配置されている。星ほどの人間はまだしも、星ほどの山羊。星ほどの鯨。星ほどの白鳥。生物学が進んでいない古代なんだからどれも怪物の様相を呈している。怪物が空いっぱいに浮かんでいて、どれも不動。
恐ろしさのあまりこの頃は夜空を見上げることができない。底なしの深海にひとり放り出されたらこんな気分だろう。星の配線をつないだ古代人は凄いなと感嘆する、いや、彼らも怖かったんだろう。だからこそ物語をつくりだしたんだろう。
サンドバックの奥に窓その奥に月 同
ボクシングジムに通ったことはないが、サンドバックを延々と叩き続けて意識朦朧、汗で部屋の湿度は高いんだろうな。黙々と殴っている視線の先に窓があって、秋の、水に濡れたように光る月がのぞく。肉体と乖離して意識は冴え渡っているのだろう。
●
西葛西葛西浦安鳥雲に 村越 敦
≫読む ≫テキスト
人工の海岸にはなぜだか鳥がよく住まう。曇りの日の光に似合いそうな句。繰り返される「西」がたのしい。
絵の中の夜明のいろと寒暁と 同
絵画のいいところは、枠があるところ。枠を乗り越えてみたくなるところ。枠があるからこそ、こちら側とあちら側を行き来できる。
世界ぢゆうの蟻の話をして眠る 同
眠れない夜は羊を数えろ、というが、あれはsheepとsleepが似ているからというだけ。そんなものに縛られず、よく眠るためのきっかけを日ごろから各々研究しておくことが肝要である。
広告の中の家族やシクラメン 同
「効いたよね、早めのパブロン」のCMが苦手だった。わたし以外の全ての娘は、あのように母を労るのだ、と罪悪感を持つから。シクラメンの濃いピンクも押しつけがましいように思えてしまう。
ハロウィンや空気つめたく灯はあつく 同
ハロウィンらしいとも思うが、それよりも、確かに十月末の街はこのようである、と思う。
●
新涼や言葉の出入りする身体 利普苑るな
≫読む ≫テキスト
ようやく秋の涼しさがやってきて、息がしやすくなった。大声を張り上げなくても会話できるのが嬉しい。言葉の元は発声なのだ。呼吸なのだ。
仮の名のままに猫飼ひ冬隣 同
猫ほど名付けの魔力が似合うケモノはいない、と思う。寄りつかない猫を、名前によってじぶんに結びつける。特別な存在とする。行きずりの猫にうっかり名前をつけると寂しくて悲しいのでおすすめしません。不在の猫に呼びかけることができるとは、言葉はなんて恐ろしいのでしょう。
すべての神話は、自然の神秘に名を付けようとしたところから始まったんだろう。
春めくや三色刷の献立表 同
そして言葉は紙に記録されていく。だんだん紙や書物はモノとして独立していき、愛好されていくのだ。
それ以上言へば死なむと雪をんな 同
啄木忌幾度も道を問はれけり 同
言葉はコミュニケーションツールだとされるけれど、そうでもないんじゃないか。「雪をんな」にまずいことを話してしまった、不興を買ってしまった、そのずれこそ言葉なんじゃないか。
何度も声をかけられ道案内をしながら、きょうはかの啄木の忌日だと意識している。ただ言葉に注意するのでなく、その交換や有り様に敏感なひとだと思う。
●
口中にモスク沸きたつ抜歯かな 藤 幹子
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歯医者で口腔をさわられることを、どうしても好きになれない。紙エプロンをかけられ、仰向く。なぜ歯医者のライトはどこでも薄青と薄ピンクと薄きいろなのでしょうね。これと似た折り紙があったと思う。と毎回考えながらタオルを目元に被せられ、治療を受ける。口につっ込まれる器具はどうやら、水を噴出するのと、風を噴出するのとある。むりやり別の考え事をするうちに麻酔の注射をされ、歯をひっぱられる。
「モスク」が「沸く」のだから、たぶん、嫌な治療から気をそらすために大きな何かをもくもく想像しているのかな、と思う。
この人を見よ鯖雲へ火の腕 同
わたしが連想するものは、『この人を見よ この人にぞ こよなき愛は あらわれたる』とうたう賛美歌121番の歌詞だ。『馬槽の中に 産声あげ 木工の家に 人となりて 貧しき憂い 生くる悩み つぶさになめし この人を見よ』という一番の歌詞から『馬槽(まぶね)の中に』と題がつけられる。『この人』は無論イエス・キリストを指す。
わたしの母校はプロテスタント系の学校だったので、礼拝は大切な習慣だった。静謐な時間がきらいではなかった。中学一年生のクリスマス礼拝だったろうか、皆でお祈りを済ませ、黙祷をしたときのことだ。まなうらには、現在わたしがいる礼拝堂が映っていた。それを俯瞰していたところ、礼拝堂の高い天井まであるようなにんげんが見えた。雲が降りてきたかのようにもくもくとしていて、細かい造作は見えない。そのひとはにっこり笑み、祝福を垂れるかのように、皆のいる席に片手を置こうとした。
そこで怖くて目を開けてしまった。
掲句にあるような夕焼けの鯖雲こそ神の御姿に近いのかもしれない。
●
鳥交る色屑溜めてシユレツダー すずきみのる
≫読む ≫テキスト
わたしの職場にもシュレッダーがあるが、紙屑がパンパンに詰まるのでどんな鳥も巣を造れそうにない。掲句の「シユレツダー」は透き間のありそうな感じだ、まだ溜められそうな。せっぱつまっていない、ゆったり時の流れる場所にあるシュレッダーなんだろう。小まめにゴミを捨てるような。色紙の巣はイースターのお祭りも思わせる。
八十八夜少女に紫だつ会話 同
いよいよ春の動きが活発になろうとする八十八夜と、少女の華やかさ、かしましさが重なる。やっぱり恋の話かしらん……。
はつゆきを競馬新聞にて避ける 同
衣服の一部であるみたいに競馬新聞を持ち歩くひと、いますね。初雪に気づいてから競馬新聞を傘にするまで少しの逡巡もなかっただろう。
(つづく)
2012-11-04
2012落選展 12 谷口鳥子 夏星の配線
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2012落選展 12 谷口鳥子 夏星の配線 テキスト版
2012落選展
12 谷口鳥子 夏星の配線
八月のジムガガくちづさんで蹴る
汗の連打得体の知れぬ神を負い
グローブの紐引く室温四十度
西日中鈍色パーカー炎吐く
空腹の蟹の目のあり右アッパー
ボクサーの赤の背傾ぐ夏夕
サンドバックの奥に窓その奥に月
虫出しの雷パンチングは一定に
花冷えや少しきつめにバンテージ
肘膝つく減量ボクサー春日向
はつ夏の膝傷のにおい嗅ぐ外科医
山百合と油を踏んで工場へ
H鋼切断のあと塩胡瓜
革軍手灼けるレンチに変色し
十四階廊下で目覚むカナブンと
作業着の手首に鉄粉まじる汗
夏の風邪毛深き腿を枕にする
クレソン噛み潰し記憶の夏に入る
ポピーの鉢かかえホームは事故処理中
秋日射す仁王の臍はγとπ
流星待つ乾くカラーコンタクト
古酒(クース)の夜はじめのメールだけ消して
木野子より抽出のエキスたたきこむ
秋暁の皮膚下り来し舌の位置
ウェブ株価見る鹿ジャーキーしゃぶりつつ
パチスロの点滅のテンポ冬の恋
絨毯にボジョーレの立つ夜明け方
先端の見えぬホームを黒ブーツ
ちぎれ栄螺ほじくり引き出すまで見つむ
雪しまくビル消え座標失って
新しき橋脚の立つ冬の月
春を待つ着信バイブ二度握る
梅の香やロッククライマーは樹のかたち
ネーブル剥くその指先が甘そうな
ゴーグルの焦点ずれてぼたん雪
秒針のリズムが狂う春の風邪
籍入れへん入れな入れへん雛納
青葉若葉焼酒(ソジュ)の空瓶ならぶ露地
春闇や頭ねじまげユダの恋
万緑や神告げの湯の無臭なる
短夜の祖母のベッドのブザー鳴る
髪六日洗えずと祖母待ちいたる
盆休み九九を唱える祖母といて
失禁を認めぬ眼朝焼け雲
甲虫のような腕膨れた足
拘束着「どないして脱ぐねん」夏の朝
葛桜食えたら明日しんでもええ
夕蝉と電子音のみ息を吐け
あん蜜や母の右手のあざ幾重
夏星の配線だけをつなぎ去る
●
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Labels: 2012角川俳句賞落選展, 谷口鳥子, 落選展






