![]() |
| 画像をクリックすると大きくなります |
書体 滝川直広
廃屋をこはさぬやうに照らす月
みのむしの簑を月光漏れてきし
ドックより鉄気(かなけ)のにほひ泡立草
巡礼の次散りさうな紅葉指す
こゑがはりまへの少年石蕗の花
鴨ののる水の中より暮れてきし
帰り花書体のちがふ墓碑と墓誌
短日の意訳のつづく字幕かな
極月の百葉箱の眩しさよ
積み上げて菜屑くすぶる蕪村の忌
遠火事といふ祝祭に染まる空
イヤホンに音の通はぬ冬籠り
初夢の中も単身赴任して
男役大寒の街大股に
寒暁や耳鳴りに耳ふさがれて
毎週日曜日更新のウェブマガジン。
俳句にまつわる諸々の事柄。
photo by Tenki SAIBARA
![]() |
| 画像をクリックすると大きくなります |
Posted by wh at 0:55 0 comments
2016「角川俳句賞」落選展■第4室
Posted by wh at 0:30 0 comments
【2014角川俳句賞 落選展を読む】
4.ゆるがされない勁さ
依光陽子
≫ 2014落選展
【2014落選展を読む】
3. ダイナミズム
堀下 翔
≫ 2014落選展
まだ読む。
13 封境(杉原祐之)
「の」が異様に多い。〈北国の夏至の夕べのバーベキュー〉〈イタリアの移民の家の薔薇盛ん〉〈播州の室津の浜の蝦蛄を漁る〉。
「の」の多さはすなわち要素の多さである。事物をぶつけるのは俳句の常套だ。いくつものものが一句の中でつぎつぎにぶつかるこの作者の句には、スピード感がある。
「の」でものとものとをつなぐとき、そこにはいくつかのルールがあるのだが、そのひとつとして、大きなものが前に来る、というのがある。〈イタリアの移民の家の薔薇盛ん〉がまさにそのかたちをしていて、イタリア、移民の家、薔薇、と、これらはどんどん小さくなっていく。ここでもやはり、速度が生まれている。収束の速度だ。「の」というのは不思議な助詞で、主格と連体格が違うのは言うまでもないが、連体格の中でも前後の関係はさまざまで、この50句の「の」もよく見ればそれぞれが巧みに違うはたらきをしていて面白いのであった。
ナイターのドームの屋根の開きけり 杉原祐之
「の」が繋ぐ事物は一句を埋め、それが“どのように”開いたのか、ということを述べる余地はなかった。だからこの句はとてもあっさりとはしている。だけれども、一方で、「ナイターのドームの屋根」という記述は、即物的なものの重なりであり、だからこそダイナミックでもある。この淡々としたダイナミズムは他にも〈はち切れむばかりの梨を妻が切る〉(はち切れむばかり、はあると思うが)や〈国境の大きな滝の凍てにけり〉にも見られる。
14 新機軸(すずきみのる)
凝った言い方が50句に集中している。〈夏断にはあらねど酒色控ふると〉〈教師はも十一月を長しとぞ〉〈メリーとはいかな意味なるクリスマス〉〈学生のある夜大原雑魚寝の体〉。どこまで真面目なのか、あいまい。凝っていることがギャグのようにも見える。「いかな意味なる」って、そんなに力を入れて詠むほどのことではない。
セーターのふわふわが胸つつみては すずきみのる
これもまた、スマートではない。「ては」が、どう贔屓目に見ても、野暮だ。ては、何なんだ。この「ては」がいい、という人もいるかもしれない。「セーターのふわふわが胸つつみ」という表現は、とても可愛らしく、それ以上どうしようもないが、その甘さを作者は「ては」でさらに摑めないものにする。
15 室の花(すずきみのる)
そんなに生きているのがつらいのだろうか、と読んでいて惨憺たる気分になる。そういった自分を読むことが悪いとは思わないが、たとえば〈腹癒せに望み通りの春ショール〉は露骨すぎる気がする。軽い詠みぶりな分、そこから出てくる「面倒な奴で結構」「腹癒せに」といった言葉についていけなかった。このうたいかたであれば、やはり、もっとなんでもない内容であったほうがバランスは取れている。
大学は辞めたと笑ふ生ビール 津野利行
こういう人が、たしかにいるのだ。
麻雀のルールを賀詞に続けをり
なんというむちゃくちゃな。
16 バンテージ(谷口鳥子)
ボクシング50句。定型にすら構っていられないかのごときスピード感は本年の落選展では随一。
角川賞の連想で言えば第6回の磯貝碧蹄館がこんな感じだったな、と思う。その頃の彼は萬緑ばりばりの破調と郵便配達という特殊な素材とできらきらしていた。彼の〈台風圏飛ばさぬ葉書飛ばさぬ帽〉に浮ぶ生の充実感に、谷口の〈飲みこめぬ水首伝いTシャツへ〉〈夜の蜘蛛全て異なるパンチの軌道〉が重なる。
〈ラスト十秒へばりつく前髪が邪魔〉は二句目にして無季だ。このことを詠まねばならないという執念がある。時として季語が邪魔とさえ思われるこの詠み方は簡単にまねのできるものではあるまい。すべてボクシングのことを書きながらも50句でストーリーを作ろうとはしておらず、そこにも強さがある。〈夏雲や鼻血を拭う左腕〉一句一句がリアルだ。
17 空車(高梨章)
ものとものとが並んでいることの認識から作者の俳句は始まる。事物どうしは平等に存在している。その場所にあるということは、それだけで詠まれうる根拠なのだ。
蝉たちの穴あいてゐて海が見ゆ 高梨章
蝉たちの穴。木か何か、
蝉のいるところと海との隣接に、筆者は、どきっとする。
この作者にとって隣接は事実でしかないのだな、と思う。
隣接は関係性を生みやすい。〈窓四十と七つあり秋さびし〉さびしいと言ってしまえばただの事実でしかなかった筈の「四十」と「七」はたちまちにさびしさと結ばれてしまう。
18 積木の家(滝川直広)
的確な取り合わせを中心とした50句。季語を除いた12音のごく短いところで物を重厚に描写する。〈花馬酔木ほそき煙となる手紙〉の「ほそき」や〈刃のやせし鎌の置かるる大根畑〉の「やせし」のたしかさが強い。〈虫の音の間(あい)虫の音の埋めにけり〉〈一辺はテレビに空けてある炬燵〉は一物仕立てのたのしさの王道。
読初や波音寄する倭人伝 滝川直広
ああ、あの短い倭人伝はたしかに大きな海を描いていた。
消しゴムの角の倦怠卒業期
「倦怠」の語もまた的確。具体的ではなく、こんなふうに飛ばした言葉を以てする描写も巧みだ。
≫ 1.その年の事実
≫ 2.嘘と事実
●
18 積木の家 滝川直広
花馬酔木ほそき煙となる手紙
消しゴムの角の倦怠卒業期
白木蓮落花の凸の地に触れず
菜の花や氏名手書きのバス定期
靴ずれの踵の火照り春の星
花吹雪先頭は流線形である
水底の常世を隠す花筏
福耳の夕日に濡るる三鬼の忌
ドーナツの輪を抜けてくる春の雷
鷹鳩と化して万年筆涸るる
永き日の行きどころなきチェスの駒
亀鳴くや冷めてちひさき卵焼
春眠に体ひたしてをりにけり
箱庭に箱庭の空なかりけり
眼帯に葉桜の影染みてきし
紅さうび縁より黒におかさるる
アルビノの鳩のまじれる夏落葉
はんめうの脚かちやかちやと音のなく
葉ずれなく揺るる楓や梅雨曇
濃あぢさゐ店番をらぬ電器店
梅雨明けやサラダに跳ねる塩の音
昼寝覚アロエ絡まりゐたりけり
瞑想の耳滝音を寄せつけず
青田波ヘッドライトに切り取らる
やにの歯の唇をはみ出る秋旱
手びさしの顔のうしろの秋簾
虫の音の間(あい)虫の音の埋めにけり
失業者と思はれてゐる鰯雲
積木の家月の畳にのこりをり
口ゆるく開きし土嚢秋桜
煙茸ふみたき子らに数足らず
けふよりは桜紅葉の仮住まひ
いま降りしバスに辞儀の子秋夕焼
テーラーの生地をあふるる冬灯
冬うらら日のなめしたる黒瓦
出会(くわ)せし御火焚の火に魅入らるる
ほぞ抜けてゐるほぞ穴を雪螢
まなぶたを開くに倦みて蕪村の忌
初雪や目を立てなほすをろし金
マネキンの肌に艶来る雪催
刃のやせし鎌の置かるる大根畑
マスクして命令形を教へたり
一辺はテレビに空けてある炬燵
樹皮残る桜の撞木山眠る
初暦病臥の人の目の高さ
読初や波音寄する倭人伝
流木に値のついてゐる初天神
マフラーの結び目猪首より提がる
凍雲のどこよりゆるみはじめるか
冬深し灯明皿の縁の煤
Posted by wh at 0:20 1 comments
Labels: 2014角川俳句賞落選展, 滝川直広, 落選展