【句集を読む】
文彩は快楽ぞ、ゆめ溺るな
岡田一実『記憶における沼とその他の在処』
堀下翔
岡田一実『記憶における沼とその他の在処』(青磁社、二〇一八)が刊行された。同書は岡田の第三句集。帯文を金原瑞人が、跋文を青木亮人がそれぞれ書いている。版元の青磁社といえば歌書のイメージが強いが、近年は長谷川櫂や「古志」関係者の句集を多く手掛けるほか、宇佐美魚目の実質的な全句集『魚目句集』(二〇一三)や、読売文学賞を受けた山口昭男『木簡』(二〇一七)など、渋い句集を出している出版社でもあり、一九七六年生まれというから若手に属する岡田がここに加わったという事実を加うれば、今後、この版元から句集を出す俳人は増えていくのだろうと想像される。
●
同書を貫くのは表現へのフェティシズムである。
火に花の影さざめきつ散りつ燃ゆ 一実
レトリックの鮮やかさたるや。レトリックというとふつう「修辞」が直訳になるだろうが、岡田の場合はしいて「文彩」といってみたくもなるというものだ(俳句は文章なのかと切れの専門家からは怒られそうだが、ま、それは言葉のアヤということで……)。掲出句、五七五の定型にぴたりと言葉を収めようとしながら、しかしその中に別なる韻律をかすかに聞き、みじっかな名詞を周到に散らすさまは、まさに俳句をあやどるという趣きである。
韻律だけではない。表現の凝りようといったらどうだ。「火に」の解釈が難しいが、〈火によって〉という意味と理解した。至近距離の火に照らされた花(桜と理解しないで詩語としての「花」と取った方が自然)が影をなし、その影によって花の焼失を知るという句である。「つ」は並列の助動詞で、掲出句では「さざめく」と「散る」とをとっているが、「散る」と「燃ゆ」とのセットではないという点には留意したい。ほむらにさらされた一花が火となり焼け失せる寸前、わずかひととき花の形のまま火に犯されるその微妙な瞬間が表現されているのである。その始終を、「影」をメディアにして見届けるという曲折にもフェチみがある。
集中にはこのように技巧を凝らした句が多く収められている。快楽的なまでに凝ろうとした句の洪水である。わかる人には一読電光のごとく通ずることで、通じなければ通じないことだけれど、身の丈よりも高いところにある言い回しが、修練によってか、はたまた僥倖によってか、わがものとなる瞬間には、快楽が伴うのである。ただし、正直に言えばこの句集の句のすべてが高い水準の文彩を誇っているわけではない。日本語の用法としては疑問が残る、こなれない表現は、多からぬ割合ではあるが散見される。たとえば次に挙げる句などはどうだろうか。
淑気満つ球と接する一点に 一実
「満つ」とは、充足し、ゆきわたり、あふれんばかりになることである。高く上がった何かのスポーツのボールだけが空にある気持ちのよい絵面はたしかに「淑気」につきづきしくはあるが、「一点に満つ」ということはあるだろうか。「に」というのは、いみじくも句中にある通り一点を指示する格助詞である。「満つ」とはそぐわないのではないだろうか。「一点より満つ」(満ちてゆく)というのなら理解できるが。
海を浮く破墨の島や梅実る 同
「破墨」は水彩画の技巧のことだから、島は描画されたものか、ないしは水墨で描かれたように見える島、ということだろう。問題は「海を浮く」である。格助詞「を」にはある距離の空間を指示する用法があり――辞書的な呼び方は定まっていないようだが私は「経路の〈を〉」と呼んでいる――、この句の「を」も、「島」が浮いている「海」の広さをこの用法のニュアンスによって表現したものと思しい。しかし経路の「を」は、たとえば漱石の『草枕』の高名な冒頭部〈山路を登りながら、かう考へた〉や司馬遼太郎の代表的紀行文『街道をゆく』シリーズの表題などに見えるように、移動の動詞をとる場合がほとんどである。『日本国語大辞典』も、「を」の当該用法について「移動動作が成り立つ空間的な状況や周りの状況を表わす」と定義づけ、さらに枝部に「移動動作が行なわれる範囲を表わす」「通過する場所を表わす」「出発する場所を表わす」「動作が行なわれる周りの状況を表わす」の四つを挙げている。「浮く」という動詞には上昇運動の意味もあるがこの場合は「浮きあがってとどまっている」という状態を指すから、移動にまつわる空間・状況には当たるまい。四つ目の「動作が行なわれる周りの状況を表わす」に分類できそうにも見えるが、日国が挙げている用例は、
*万葉集〔8C後〕八・八四六「霞立つ長き春日乎(ヲ)かざせれどいやなつかしき梅の花かも〈小野淡理〉」というもの。「春日」「雨の中」という立体的な空間に満ちているものと「あかつき」という概念的に万物に訪れるもののみが例示されており、「海」の水面のように平面的なものに関する用例はないのだ。日国ほどの辞書が「を」という基本語において遺漏を犯すとは思いがたいので(いや、辞書を疑うという態度は当然大切にしなければならないのであるが……)「海を浮く」はちと厳しいんではないだろうか。だいいち、「海を浮く」などという言い方は日常聞かぬものだ。なぜ「海に浮く」ではないのか。昨今、現代俳句協会が「『を』をめぐる」という勉強会(当年三月二五日実施)を開くほど経路の格助詞「を」が愛好されるようになっているが(もっともこの勉強会は「を」の流行に直面して用法を深く理解するという意味合いを持っていたようではある)、なんでもかんでも「を」をつけられるわけではないと私は危惧している。
*俳諧・曠野〔1689〕二・仲春「あかつきをむつかしさうに鳴蛙〈越人〉」
*静物〔1960〕〈庄野潤三〉一二「向うから雨の中を傘なしで、トルコ帽をかぶって歩いて来るお祖父さんに会った」
些末なことにこだわっているように見えるかもしれない。しかし、岡田一実は才に乏しい作者ではない。面白い句を書く作者なればこそ、つまらない言葉遣いをすることを私は惜しむ。集中、次に挙げるように、優れた表現水準を達成している句は少なくない。
枝を移る鳥も一樹の柳かな 一実
夢に見る雨も卯の花腐しかな 同
瓜ふたつ違ふかたちの並びけり 同
熟田津の今は月待つ陸の栄 同(引用者註:「陸」に「くが」、「栄」に「はえ」とルビ)
田作りの艶に冷えゐて食はせ合ふ 同
菫野のはや打捨ての自撮り棒 同
跋文で青木が〈枝を移る鳥も一樹の柳かな〉を引き合いに出して岡田の句の特徴の一つを「複数の事物が重なるというより溶けあう風情」と説明しているが、この句の場合具体的に言えば、柳から発った鳥の姿に柳の様相を幻視しているということになる。この感覚を言語化しているのが係助詞「も」であり、〈夢に見る雨も卯の花腐しかな〉も同様の叙法である。
〈瓜ふたつ違ふかたちの並びけり〉は機知の句で、こういう句も岡田にはある。言うまでもないことだが、「瓜ふたつ」という慣用句とはうらはらに実際に並べてみると違う形をしているよね、という句である。引用というのも立派な修辞だから取り上げてみた次第。ただそれだけといってしまえばそれまでだが、「瓜ふたつ」の慣用句が通用する以上、たいがいの世間人にとっては瓜などどれも似たり寄ったりなのであって、瓜の大きさや凹凸、色味などにかすかな差異を発見して喜んでいるのは生産者か俳人くらいのものである。してみるとこれは、私は違いが分かる人間なのだぞ、と表明(自虐?)している句にも見える。
〈瓜ふたつ〉が典拠の意味合いをずらしてみせた句であるのに対して〈熟田津の今は月待つ陸の栄〉は典拠の世界を借用した句。「熟田津」といえば『万葉集』が収める額田王の〈熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな〉の歌で、掲出句は「熟田津」という地名と「月待つ」という状況とを借用している。熱田津は松山道後にあったとされる船着場で、額田王の歌は当時、百済の要請を受けた斉明帝の命で兵士らが四国経由で新羅討伐に向かうのに際して、そのさきゆきの安全を祈って詠まれたものである。この折、斉明帝も四国に行幸したらしい。松山市在住の岡田らしい題材である。岡田の句の世界は額田王の歌と同一であるといってよいだろう。潮の流れがよくなるのを待っている間、つねは何の変哲もない船着場が、大勢の兵士らによってにぎわっている。兵士が絡むので「栄」には「はなやぎ」だけではなく「栄誉」の口吻も一抹ある。高名な引き歌を損なわずして「陸の栄」という典雅な一語を嵌め込んだのがこの句のオリジナリティである。
〈田作りの艶に冷えゐて食はせ合ふ〉の「艶に」は形容動詞「艶(えん)なり」の連用形だろうか。物に対して用いると「つややか」という意味になるので、濃厚な汁を吸って照る田作りの質感がよく出ていると思うが、連用形なので厳密にいえば「田作り」にかかっているのではなく、「冷えゐて」を修飾していることになる。年のうちにこしらえて冷蔵庫に入れてあったのだろうか、その冷え方が「艶」なのである。ただし「艶なり」といえば人事に対して、対象があでやかであるという意味で用いる言葉でもある。田作りを一緒に食べるというようなことを「食はせ合ふ」と、まるでかたみに「あ~ん♡」しているように表現しているのは、むろん、これも「艶なり」ということなのである。
〈菫野のはや打捨ての自撮り棒〉は池田澄子の〈カメラ構えて彼は菫を踏んでいる〉(『ゆく船』ふらんす堂、二〇〇〇)の変奏。池田の句は自選句にも挙がっている(〈シリーズ自句自解ベスト100〉『池田澄子』ふらんす堂、二〇一〇)ので代表句の一つといっていいだろう。この句の世界に岡田は昨今普及した「自撮り棒」を持ち込んだ。「自撮り棒」とは、棒の先にスマートフォンを固定し、手元のスウィッチを押すとカメラ機能のシャッターを押せる仕組みの器具で、自分の手で撮影するよりも画角が広くなるため、往来の他人に頼まずとも景物と自分の顔とを一枚の写真に収めることができる。若者文化には疎いので「自撮り棒」の人気が下火になりつつあるのかは知らないが、岡田の句は「はや」ということなので、その人気はあっという間だったね、というような感じだろうか。池田の句の「カメラ」に対するまなざしとの兼ね合いからいうと、岡田にとって「自撮り棒」とは忌々しいものであったらしい。ついでに言えば、この句の菫もまた踏み荒らされているに違いない。「自撮り」とセットで疎ましがられるのが「インスタ映え」(写真投稿SNS「インスタグラム」において見栄えがする写真、および撮影行為、ないしは撮影動機)で、「インスタ映え」のために花壇荒らしや不法侵入が相次いだために報道されることもしばしばである。とすれば「菫野」にも多分にもれず「自撮り棒」をかかげたインスタグラマーが押し寄せてきたのである。
なんだか軽佻浮薄に若者言葉を多用してしまった。余談だが、俳人たちの間ではこういう目新しい素材を俳句に詠むと白眼視されることも多いわけで、実際たいていそういう句は軽薄に堕しているケースが多いように思うが、掲出句の場合、「はや打捨て」という古典的な言い方によってそれは避けられているように思う。
以上、雑駁ながら数句味読してみた。文彩は快楽だと述べたが、その文彩が成功したとき、快楽は読者にまで及ぶ。その精度を高めることが岡田の進む道なのではないかと私は期待する。
稿を終える前に私好みの句をもう少し挙げておこう。
碁石ごと運ぶ碁盤や梅月夜 一実
碁を打っていた二人がいたのか、一人で定石をなぞっていたのか、おぼろなる春の夜のこと、馥郁たる梅の香がただよいもして、梅の月見と洒落込もうではないかとところを移しているのである。「碁石ごと」とは石が動かぬように、の意。実感のある句ではあるが、この風流人に〈春風や碁盤の上の置手紙〉の井月を仮託してみたくもなる。
龍天に昇るに顎の一途かな 同
天に向かって一途なのは龍そのものだが、その懸命さに顔は前へ前へと突き出し、とりわけ飛び出た顎がその尖端にある。空想の季語を写生的なまなざしで視ようとした句だが、何か故事を踏まえていそうでもある。『韓非子』「説難」の「逆鱗」の故事を利かせて読むのはどうだろう。よく知られる「逆鱗」だが、故事の原典によると、これは龍の顎の下にあるものなのだ(原文では「喉下」だが「顎」と理解する説も散見されるため私もこれに従っている)。逆鱗をその下に隠す「顎」は、気高い龍にとって特に尊厳を秘めた部位なのだ。
キネマ見ればカラアに動く子規忌かな 同
妙にぎこちない文体ではあるが名詞の古めかしさと呼応しているのでこれはわざとだろう。「キネマ」「カラア」という大時代な言い回しを見れば、子規も総天然色映画に間に合ったのかとつい誤解してしまうが、映画に色がついたのは一九三〇年代に入ってからのこと、一九〇二年(明治三五)に没した子規は見ていない。そもそも日本で活動写真が一般化したのは明治三十年代初頭のことであって、病臥の子規はそれとて見ていたかどうか。だから掲出句は子規が間に合わなかった色のある映画を見て、子規死没の世の遠さを痛感している句。あるいは、生き返った子規が「キネマにカラアがついておるぞ」などと驚いているのかもしれない。「カラアに映る」ではなくて「カラアに動く」なので、写真が動いていること自体をも喜び、驚いているようでもあるから。
映画と俳句といえば新興俳句運動における戦火想望俳句がニュース映画(モノクロ)によって育まれたという話もある。かように映画というものはある時期の文化芸術を代表する形式だった。子規が映画を見たらなんと言うだろうかと、批評魔だった子規が偲ばれもする。
( 了 )


















