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2018-10-14

【句集を読む】文彩は快楽ぞ、ゆめ溺るな 岡田一実『記憶における沼とその他の在処』 堀下翔

【句集を読む】
文彩は快楽ぞ、ゆめ溺るな
岡田一実記憶における沼とその他の在処

堀下翔


岡田一実『記憶における沼とその他の在処』(青磁社、二〇一八)が刊行された。同書は岡田の第三句集。帯文を金原瑞人が、跋文を青木亮人がそれぞれ書いている。版元の青磁社といえば歌書のイメージが強いが、近年は長谷川櫂や「古志」関係者の句集を多く手掛けるほか、宇佐美魚目の実質的な全句集『魚目句集』(二〇一三)や、読売文学賞を受けた山口昭男『木簡』(二〇一七)など、渋い句集を出している出版社でもあり、一九七六年生まれというから若手に属する岡田がここに加わったという事実を加うれば、今後、この版元から句集を出す俳人は増えていくのだろうと想像される。



同書を貫くのは表現へのフェティシズムである。

火に花の影さざめきつ散りつ燃ゆ 一実

レトリックの鮮やかさたるや。レトリックというとふつう「修辞」が直訳になるだろうが、岡田の場合はしいて「文彩」といってみたくもなるというものだ(俳句は文章なのかと切れの専門家からは怒られそうだが、ま、それは言葉のアヤということで……)。掲出句、五七五の定型にぴたりと言葉を収めようとしながら、しかしその中に別なる韻律をかすかに聞き、みじっかな名詞を周到に散らすさまは、まさに俳句をあやどるという趣きである。

韻律だけではない。表現の凝りようといったらどうだ。「火に」の解釈が難しいが、〈火によって〉という意味と理解した。至近距離の火に照らされた花(桜と理解しないで詩語としての「花」と取った方が自然)が影をなし、その影によって花の焼失を知るという句である。「つ」は並列の助動詞で、掲出句では「さざめく」と「散る」とをとっているが、「散る」と「燃ゆ」とのセットではないという点には留意したい。ほむらにさらされた一花が火となり焼け失せる寸前、わずかひととき花の形のまま火に犯されるその微妙な瞬間が表現されているのである。その始終を、「影」をメディアにして見届けるという曲折にもフェチみがある。

集中にはこのように技巧を凝らした句が多く収められている。快楽的なまでに凝ろうとした句の洪水である。わかる人には一読電光のごとく通ずることで、通じなければ通じないことだけれど、身の丈よりも高いところにある言い回しが、修練によってか、はたまた僥倖によってか、わがものとなる瞬間には、快楽が伴うのである。ただし、正直に言えばこの句集の句のすべてが高い水準の文彩を誇っているわけではない。日本語の用法としては疑問が残る、こなれない表現は、多からぬ割合ではあるが散見される。たとえば次に挙げる句などはどうだろうか。

淑気満つ球と接する一点に 一実

「満つ」とは、充足し、ゆきわたり、あふれんばかりになることである。高く上がった何かのスポーツのボールだけが空にある気持ちのよい絵面はたしかに「淑気」につきづきしくはあるが、「一点に満つ」ということはあるだろうか。「に」というのは、いみじくも句中にある通り一点を指示する格助詞である。「満つ」とはそぐわないのではないだろうか。「一点より満つ」(満ちてゆく)というのなら理解できるが。

海を浮く破墨の島や梅実る 同

「破墨」は水彩画の技巧のことだから、島は描画されたものか、ないしは水墨で描かれたように見える島、ということだろう。問題は「海を浮く」である。格助詞「を」にはある距離の空間を指示する用法があり――辞書的な呼び方は定まっていないようだが私は「経路の〈を〉」と呼んでいる――、この句の「を」も、「島」が浮いている「海」の広さをこの用法のニュアンスによって表現したものと思しい。しかし経路の「を」は、たとえば漱石の『草枕』の高名な冒頭部〈山路を登りながら、かう考へた〉や司馬遼太郎の代表的紀行文『街道をゆく』シリーズの表題などに見えるように、移動の動詞をとる場合がほとんどである。『日本国語大辞典』も、「を」の当該用法について「移動動作が成り立つ空間的な状況や周りの状況を表わす」と定義づけ、さらに枝部に「移動動作が行なわれる範囲を表わす」「通過する場所を表わす」「出発する場所を表わす」「動作が行なわれる周りの状況を表わす」の四つを挙げている。「浮く」という動詞には上昇運動の意味もあるがこの場合は「浮きあがってとどまっている」という状態を指すから、移動にまつわる空間・状況には当たるまい。四つ目の「動作が行なわれる周りの状況を表わす」に分類できそうにも見えるが、日国が挙げている用例は、

*万葉集〔8C後〕八・八四六「霞立つ長き春日乎(ヲ)かざせれどいやなつかしき梅の花かも〈小野淡理〉」
*俳諧・曠野〔1689〕二・仲春「あかつきをむつかしさうに鳴蛙〈越人〉」
*静物〔1960〕〈庄野潤三〉一二「向うから雨の中を傘なしで、トルコ帽をかぶって歩いて来るお祖父さんに会った」
というもの。「春日」「雨の中」という立体的な空間に満ちているものと「あかつき」という概念的に万物に訪れるもののみが例示されており、「海」の水面のように平面的なものに関する用例はないのだ。日国ほどの辞書が「を」という基本語において遺漏を犯すとは思いがたいので(いや、辞書を疑うという態度は当然大切にしなければならないのであるが……)「海を浮く」はちと厳しいんではないだろうか。だいいち、「海を浮く」などという言い方は日常聞かぬものだ。なぜ「海に浮く」ではないのか。昨今、現代俳句協会が「『を』をめぐる」という勉強会(当年三月二五日実施)を開くほど経路の格助詞「を」が愛好されるようになっているが(もっともこの勉強会は「を」の流行に直面して用法を深く理解するという意味合いを持っていたようではある)、なんでもかんでも「を」をつけられるわけではないと私は危惧している。

些末なことにこだわっているように見えるかもしれない。しかし、岡田一実は才に乏しい作者ではない。面白い句を書く作者なればこそ、つまらない言葉遣いをすることを私は惜しむ。集中、次に挙げるように、優れた表現水準を達成している句は少なくない。

枝を移る鳥も一樹の柳かな 一実

夢に見る雨も卯の花腐しかな 同

瓜ふたつ違ふかたちの並びけり 同

熟田津の今は月待つ陸の栄 同(引用者註:「陸」に「くが」、「栄」に「はえ」とルビ)

田作りの艶に冷えゐて食はせ合ふ 同

菫野のはや打捨ての自撮り棒 同

跋文で青木が〈枝を移る鳥も一樹の柳かな〉を引き合いに出して岡田の句の特徴の一つを「複数の事物が重なるというより溶けあう風情」と説明しているが、この句の場合具体的に言えば、柳から発った鳥の姿に柳の様相を幻視しているということになる。この感覚を言語化しているのが係助詞「も」であり、〈夢に見る雨も卯の花腐しかな〉も同様の叙法である。

瓜ふたつ違ふかたちの並びけり〉は機知の句で、こういう句も岡田にはある。言うまでもないことだが、「瓜ふたつ」という慣用句とはうらはらに実際に並べてみると違う形をしているよね、という句である。引用というのも立派な修辞だから取り上げてみた次第。ただそれだけといってしまえばそれまでだが、「瓜ふたつ」の慣用句が通用する以上、たいがいの世間人にとっては瓜などどれも似たり寄ったりなのであって、瓜の大きさや凹凸、色味などにかすかな差異を発見して喜んでいるのは生産者か俳人くらいのものである。してみるとこれは、私は違いが分かる人間なのだぞ、と表明(自虐?)している句にも見える。

〈瓜ふたつ〉が典拠の意味合いをずらしてみせた句であるのに対して〈熟田津の今は月待つ陸の栄〉は典拠の世界を借用した句。「熟田津」といえば『万葉集』が収める額田王の〈熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな〉の歌で、掲出句は「熟田津」という地名と「月待つ」という状況とを借用している。熱田津は松山道後にあったとされる船着場で、額田王の歌は当時、百済の要請を受けた斉明帝の命で兵士らが四国経由で新羅討伐に向かうのに際して、そのさきゆきの安全を祈って詠まれたものである。この折、斉明帝も四国に行幸したらしい。松山市在住の岡田らしい題材である。岡田の句の世界は額田王の歌と同一であるといってよいだろう。潮の流れがよくなるのを待っている間、つねは何の変哲もない船着場が、大勢の兵士らによってにぎわっている。兵士が絡むので「栄」には「はなやぎ」だけではなく「栄誉」の口吻も一抹ある。高名な引き歌を損なわずして「陸の栄」という典雅な一語を嵌め込んだのがこの句のオリジナリティである。

田作りの艶に冷えゐて食はせ合ふ〉の「艶に」は形容動詞「艶(えん)なり」の連用形だろうか。物に対して用いると「つややか」という意味になるので、濃厚な汁を吸って照る田作りの質感がよく出ていると思うが、連用形なので厳密にいえば「田作り」にかかっているのではなく、「冷えゐて」を修飾していることになる。年のうちにこしらえて冷蔵庫に入れてあったのだろうか、その冷え方が「艶」なのである。ただし「艶なり」といえば人事に対して、対象があでやかであるという意味で用いる言葉でもある。田作りを一緒に食べるというようなことを「食はせ合ふ」と、まるでかたみに「あ~ん♡」しているように表現しているのは、むろん、これも「艶なり」ということなのである。

菫野のはや打捨ての自撮り棒〉は池田澄子の〈カメラ構えて彼は菫を踏んでいる〉(『ゆく船』ふらんす堂、二〇〇〇)の変奏。池田の句は自選句にも挙がっている(〈シリーズ自句自解ベスト100〉『池田澄子』ふらんす堂、二〇一〇)ので代表句の一つといっていいだろう。この句の世界に岡田は昨今普及した「自撮り棒」を持ち込んだ。「自撮り棒」とは、棒の先にスマートフォンを固定し、手元のスウィッチを押すとカメラ機能のシャッターを押せる仕組みの器具で、自分の手で撮影するよりも画角が広くなるため、往来の他人に頼まずとも景物と自分の顔とを一枚の写真に収めることができる。若者文化には疎いので「自撮り棒」の人気が下火になりつつあるのかは知らないが、岡田の句は「はや」ということなので、その人気はあっという間だったね、というような感じだろうか。池田の句の「カメラ」に対するまなざしとの兼ね合いからいうと、岡田にとって「自撮り棒」とは忌々しいものであったらしい。ついでに言えば、この句の菫もまた踏み荒らされているに違いない。「自撮り」とセットで疎ましがられるのが「インスタ映え」(写真投稿SNS「インスタグラム」において見栄えがする写真、および撮影行為、ないしは撮影動機)で、「インスタ映え」のために花壇荒らしや不法侵入が相次いだために報道されることもしばしばである。とすれば「菫野」にも多分にもれず「自撮り棒」をかかげたインスタグラマーが押し寄せてきたのである。

なんだか軽佻浮薄に若者言葉を多用してしまった。余談だが、俳人たちの間ではこういう目新しい素材を俳句に詠むと白眼視されることも多いわけで、実際たいていそういう句は軽薄に堕しているケースが多いように思うが、掲出句の場合、「はや打捨て」という古典的な言い方によってそれは避けられているように思う。

以上、雑駁ながら数句味読してみた。文彩は快楽だと述べたが、その文彩が成功したとき、快楽は読者にまで及ぶ。その精度を高めることが岡田の進む道なのではないかと私は期待する。

稿を終える前に私好みの句をもう少し挙げておこう。

碁石ごと運ぶ碁盤や梅月夜 一実

碁を打っていた二人がいたのか、一人で定石をなぞっていたのか、おぼろなる春の夜のこと、馥郁たる梅の香がただよいもして、梅の月見と洒落込もうではないかとところを移しているのである。「碁石ごと」とは石が動かぬように、の意。実感のある句ではあるが、この風流人に〈春風や碁盤の上の置手紙〉の井月を仮託してみたくもなる。

龍天に昇るに顎の一途かな 同

天に向かって一途なのは龍そのものだが、その懸命さに顔は前へ前へと突き出し、とりわけ飛び出た顎がその尖端にある。空想の季語を写生的なまなざしで視ようとした句だが、何か故事を踏まえていそうでもある。『韓非子』「説難」の「逆鱗」の故事を利かせて読むのはどうだろう。よく知られる「逆鱗」だが、故事の原典によると、これは龍の顎の下にあるものなのだ(原文では「喉下」だが「顎」と理解する説も散見されるため私もこれに従っている)。逆鱗をその下に隠す「顎」は、気高い龍にとって特に尊厳を秘めた部位なのだ。

キネマ見ればカラアに動く子規忌かな 同

妙にぎこちない文体ではあるが名詞の古めかしさと呼応しているのでこれはわざとだろう。「キネマ」「カラア」という大時代な言い回しを見れば、子規も総天然色映画に間に合ったのかとつい誤解してしまうが、映画に色がついたのは一九三〇年代に入ってからのこと、一九〇二年(明治三五)に没した子規は見ていない。そもそも日本で活動写真が一般化したのは明治三十年代初頭のことであって、病臥の子規はそれとて見ていたかどうか。だから掲出句は子規が間に合わなかった色のある映画を見て、子規死没の世の遠さを痛感している句。あるいは、生き返った子規が「キネマにカラアがついておるぞ」などと驚いているのかもしれない。「カラアに映る」ではなくて「カラアに動く」なので、写真が動いていること自体をも喜び、驚いているようでもあるから。

映画と俳句といえば新興俳句運動における戦火想望俳句がニュース映画(モノクロ)によって育まれたという話もある。かように映画というものはある時期の文化芸術を代表する形式だった。子規が映画を見たらなんと言うだろうかと、批評魔だった子規が偲ばれもする。

( 了 )


2018-09-30

岡本眸の句業を顧みる 『矢文』を中心に 堀下翔

岡本眸の句業を顧みる
『矢文』を中心に

堀下翔


岡本眸が今月一五日、老衰で長逝した。九〇歳。謹んでご冥福をお祈りする。私などは初学の頃からその作品にこそ親しんだが、ついに生前にまみえることはかなわなかった。二〇〇九年以降は療養を理由に作品発表をほぼ絶ち(主宰誌「朝」の記念号の類に一句を発表することは数度あったが)、事実上の引退状態となって久しかったからだ。総合誌では今後、追悼特集が当然組まれるのだろう。私の出る幕は本来ないが、訃報に接して二日、消沈していたところからようやく気力が湧き、岡本の句集を再読するにつけ、一人の読者の感想くらいせめて書いてみてもバチは当たるまいという思いになってきた。

(たかだか句集の感想を書くのに、こういうふうなみっともない断り書きから起筆しなければならないくらい、私は岡本の熱心な読者だったということだ)

〈花神コレクション〉『岡本眸』(花神社、一九九五)所収の年譜(おそらく自筆)を参考に、また一九九五年以後の事項は管見の範囲で適宜補うと、岡本の生涯は概ね下記のようになる。

岡本は一九二八年一月六日、東京都江戸川区生まれ。戦中の東京に青春期を過ごし、戦後、聖心女子学院国語科に入学。卒業後は日東硫曹(株)に入社し社長秘書になる。この会社の職場句会で指導者だった富安風生と出会い、一九五六年より「若葉」に投句。「若葉」編集長であった岸風三楼の指導を受け、一九五七年には風三楼の「春嶺」にも入会した。一九五九年、春嶺賞を受けて「春嶺」同人。一九六一年、若葉賞を受けて「若葉」同人。

一九六二年七月に母が亡くなる。句友曽根けい二との結婚間近の不幸だった。けい二との結婚はこの年の一一月のこと。同年、俳人協会に入会。一九六六年には子宮がんで全摘手術。一九六八年には父が亡くなる。

一九七一年、第一句集『朝』を牧羊社より刊行。この句集で俳人協会賞を受賞する。一九七六年には第二句集『冬』を牧羊社から刊行。この年の一〇月、けい二が急逝。以後、一人の身となる。一九七七年には朝日カルチャーの横浜教室の講師に就任。

一九七九年、風生逝去。〈自註シリーズ〉『岡本眸』(俳人協会)、第三句集『二人』(卯辰山文庫)刊行。一九八〇年、主宰誌「朝」創刊。

一九八二年、風三楼逝去。一九八三年、第四句集『母系』を牧羊社より刊行。また初の散文の単著『俳句実作セミナー』(入門書)を同社より刊行。翌年、『母系』により第八回現代俳句女流賞受賞。高度経済成長期を経て、カルチャーセンターが隆盛するに随い、俳句ブームが巻き起こり、その中で女性俳人にスポットライトが当たるようになった時期だ。女性主宰が矢継ぎ早に登場したが、岡本もその一人であり、代表的な作家だった。一九八九年からは「毎日新聞」の投句欄「毎日俳壇」の選者も務めている(二〇〇八年まで)。

著作はその後、第五句集『十指』(角川書店、一九八五)、入門書『岡本眸の俳句を始める人のために』(池田書店、一九八七)、随筆集『川の見える窓』(牧羊社、一九八八)、第六句集『矢文』(富士見書房、一九九〇)、入門書『現代俳句入門 つくり方と上達法』(家の光協会、一九九〇)、鑑賞本『季のある暮らし 俳句の読み方・味わい方』(牧羊社、一九九〇)、第七句集『手が花に』(牧羊社、一九九一)、第八句集『流速』(朝日新聞社、一九九九)、入門書『俳句は日記』(NHK出版、二〇〇二)、第九句集『一つ音』(ふらんす堂、二〇〇五)、第十句集『午後の椅子』(ふらんす堂、二〇〇六)、随筆集『栞ひも』(ふらんす堂、二〇〇七)と、療養のために退くまでほぼ切れ目なく刊行。ただし、『手が花に』と『流速』との間が空いており、これは古稀の前後に「みっともないことだが、しきりに、老いとか死とかを考えだして、おろおろと落ち着かなくなった。(引用者中略)出版が延びのびになったのは、前述のような私の気の迷いによるため」(『流速』あとがき)だという。また『一つ音』はふらんす堂ホームページ連載の日記句集のため、通常の作品集としては、『流速』と『午後の椅子』の間も空いていることになる。量的に言えば、一九七〇年代から九〇年代初頭までのおよそ二〇年間に一つのピークがあり、その後、二〇〇〇年代後半にふらんす堂から再び複数の本が出た、といったところか。後者は当然、牧羊社を退社してふらんす堂を立ち上げた山岡喜美子氏の後押しによるものだろう。

なお『午後の椅子』は第四一回蛇笏賞と第四九回毎日芸術賞を受賞。ほか一九九四年には紫綬褒章を、一九九九年には勲四等宝冠章を受章。

さて、その後のことだが、二〇〇八年二月号より「朝」における作品発表数が徐々に減り、二〇〇九年二月号には編集部名義の「長い間走り続けてこられた先生です。ここで充分なご休息をとっていただくことが必要でしょう」という編集後記が出た。翌三月号から継続的な新作発表がなくなり、以後、旧作再掲と周囲の補佐付きでの主宰選のみとなったが、ついに復帰はかなわず、二〇一六年一二月号、通算四六二号で「朝」は終刊。後継誌として松岡隆子主宰の「栞」と仲村青彦主宰の「予感」が創刊された。そしてこのたび二〇一八年九月一五日の逝去ということになる。

著作については、上記のもののほか、共著に『俳句添削教室』(東京出版、一九七八)、『女流俳句の世界』(有斐閣、一九七九)、『俳句創作の世界』(有斐閣、一九八一)、『鑑賞俳句歳時記』(有斐閣、一九八二)、編著に〈俳句実作入門講座6〉『日常吟と自分史』(角川書店、一九九七)、自選句集に『自愛』(ふらんす堂、一九九二)、〈花神コレクション〉『岡本眸』(花神社、一九九五、第一句集『朝』は全句収録)がある。『四季逍遥 岡本眸写真集』(ウェップ、二〇一〇)というのもあるらしいが私は未見のため詳細は不明。

参考文献としては、「俳句研究」一九八六年四月号の特集〈岡本眸の世界〉、「俳句研究」別巻『岡本眸読本』(富士見書房、一九九九)、小川美知子『言葉の奥へ――岡本眸の俳句』(ウェップ、二〇一七)といったあたりが必見資料になろうか。第二十八回俳人協会評論賞を受けた仲村青彦の『輝ける挑戦者たち――俳句表現考序説』(ウェップ、二〇一三)にも岡本に関する評論が収められている。『現代俳句大事典』(三省堂、二〇〇五)には「岡本眸」の項目を西村和子が執筆。島田牙城・櫂未知子編『第一句集を語る』(角川学芸出版、二〇〇五)は島田による岡本へのインタビューと第一句集論を収録。

なお二〇〇六年刊行の最後の句集『午後の椅子』に収められているのは二〇〇三年までの作品であり(岡本の句集にはこういうズレが多い)、二〇〇四年から引退までの作品は句集化されていない。全句集の話が出るのが待たれる。

以上、基本情報を雑駁ながらまとめてみた。ネット上には満足な著作一覧もないので、今後の読者の一助になれば幸甚である。

先に述べた部分とやや話が重なるが、著作を総覧すると、第一句集『朝』(一九七一)から第七句集『手が花に』(一九九一)までの句集はかなりハイペースで出ており、散文集もこの期間におおむね集中していることが分かる。高度経済成長に端を発し、その後長らく続いた俳句ブーム(終焉がいつなのか、いまひとつわからないのだが、むろん二〇一三年に「プレバト!!」が起爆剤になって始まった現在のブームとは別物)の中で、指導的立場にあった彼女に依頼が殺到していた様子が想像される。鷲谷七菜子、鷹羽狩行、能村登四郎などの句集が異様に多いのも同様の事情だったのだろう。俳句人口の増加によって、一九八〇年代に入ると総合誌も増加し、発表場所自体が増えていった。一九七三年創刊というから古株ではある牧羊社の月刊誌「俳句とエッセイ」も、一九八〇年代以降は掲載作品数が増加し、岡本なんて、一九八八年には、三〇句連載を一年やるという、想像するだけでげっそりするような仕事をしている。

そのような日々から生まれた多くの岡本作品が、私は好きである。

女性の社会進出のさきがけの時期に書かれた、

キヤンプ張る男言葉を投げ合ひて 眸『朝』

毛虫の季節エレベーターに同性ばかり 同『朝』

霧冷や秘書のつとめに鍵多く 同『朝』

といった句。あるいは、

鈴のごと星鳴る買物籠に柚子 同『朝』(引用者註:前書「結婚、神明町車庫前に住む」)

白玉や子のなき夫をひとり占め 同『朝』

夏燕夫の知る店どこも美味し 同『冬』

という、結婚生活の句。

夕焼け居らんか母葬り来し墓地もかく 同『朝』

喪主といふ妻の終の座秋袷 同『二人』

といった、痛切な句も心に残る。そして、

雲の峰一人の家を一人発ち 同『母系』(引用者註:「朝」創刊号に発表)

と見事に俳句に描いてみせた、主宰として生活と旅を往還する日々の、

抱かねば水仙の揺れやまざるよ 同『十指』(引用者註:前書「下田 五句」うち一句)

鍵しまふ抽出すこし開けて秋 同『十指』

春疾風少年の喪に子らの列 同『矢文』

パン焼いてゐてカレンダー四月にす 同『手が花に』

巷塵に暮れて筍飯淡し 同『流速』

春の暮列柱に身を紛らしむ 同『一つ音』

温めるも冷ますも息や日々の冬 同『午後の椅子』

といった句。

どの句集のどの句も忘れ難いが、私が最も愛読したのは『矢文』だ。マクラが長くなってしまったけれど、この句集について書いてみようと思う。



『矢文』(富士見書房、一九九〇)は岡本眸の第六句集。一八八五年から一九八七年までの三一一句を収める。富士見書房から出た唯一の著作だが、一九八六年には「俳句研究賞」の選考委員を務め、同誌の読者投句欄の選者にも就任しているから、その縁ということになるのだろう。「俳句研究」で特集〈岡本眸の世界〉が組まれたのもこの時期(一九八六年四月号)である。

いまつとに知られている句を挙げると、

汗拭いて身を帆船とおもふかな 眸

秋風や柱拭くとき柱見て 同

生きものに眠るあはれや龍の玉 同

炎昼のきはみの櫛を洗ひけり 同

夏痩せて矢文のごとき目をもてる 同

さばさばと生きて日記も買はぬなり 同

文旦の故なくをかし笑ひけり 同

日傘さすとき突堤をおもひ出す 同

飲食のことりことりと日の盛 同

萩散つて地は暮れ急ぐものばかり 同

後ろ手に歩めば鳥や藁塚日和 同

仰ぐとは胸ひらくこと秋の富士 同

といったところになるだろうか。贔屓目で引きすぎたきらいがあるかもしれないが、現行の歳時記類やアンソロジーに入っている句を中心に挙げてみた。個人的には〈炎昼のきはみの櫛を洗ひけり〉〈さばさばと生きて日記も買はぬなり〉〈萩散つて地は暮れ急ぐものばかり〉あたりは演出のケが強くてあまり好きではないが、それにしても、句集を繰るにつけ、ああこの句も『矢文』に入っていたかと改めて驚くことしばしばであった。

〈汗拭いて身を帆船とおもふかな〉〈夏痩せて矢文のごとき目をもてる〉〈後ろ手に歩めば鳥や藁塚日和〉〈仰ぐとは胸ひらくこと秋の富士〉といった句の、奔放な、しかし実感のある比喩。句集表題に取られている〈夏痩せて矢文のごとき目をもてる〉の〈矢文のごとき目〉とは、矢のごとくに鋭く、文のごとくに意をもたらす、の謂いだろう。熟語を構成する「矢」と「文」とのそれぞれを喩になす力業である。

〈生きものに眠るあはれや龍の玉〉は、眠りという生理を不可思議に思うまなざしが深い。この句の主体人物自身は「龍の玉」を見つめているのだから、覚めて外に出ている。冬季の「龍の玉」から龍、蛇、そして冬眠を連想するのは読みすぎには当たるまい。冬の空気に、生きものたちの眠りの気配を感じ取ったのだ。くわうるに、「生きもの」と一般化されてこそいるが、人間の眠りのいとなみにまで思いが及んでいるようにも読めるのは、岡本の句という先入観があるからだろうか、さて。〈飲食のことりことりと日の盛〉のように、岡本の句には、ふつうの生活者にしてはちょっと心配になるくらい日々の些事を本質的に視ようとする志向があるのだ。

だって、〈秋風や柱拭くとき柱見て〉なんて、すごいでしょう。どなたの鑑賞だったかあいにく失念してしまったが、〈柱拭くとき柱見て〉とは日々をとことん丁寧に送ろうとする姿だと解釈したものがあったはずだが(揶揄ではなく本当に失念したのです。どなたかご存知の方はご一報を)、そんなわけあるものか。日々とは、生活とは、柱を拭くことが自動化し、柱なんて見ないで柱を拭くことなのである。柱を拭くときに柱を見て、あまつさえそれを俳句にするのが、岡本眸という俳人の凄みなのだ。

九月二七日の「毎日新聞」朝刊に掲載された訃報記事(https://mainichi.jp/articles/20180927/ddm/041/060/110000c 最終閲覧:二〇一八年九月二九日)――俳壇選者だったから、どこよりも詳しく報じていた――は、岡本のことを「日常に根差した生命感に富む俳句で知られた俳人」と紹介していた。この種の言説は岡本についてまわるし、ある程度は正しいのだと思う。けれども、その「生活に根差した」俳句とは、〈秋風や柱拭くとき柱見て〉のようなものであるということを、見逃してはならない。いみじくも私よりずいぶん早く、中村苑子がほぼ同じことを書いている。

 私は以前から、この作家の作品に対するおおかたの世評が「平明で庶民的、一読、誰にでも判るやさしい情感にみちた句」と謂われていることを不思議に思っていた。(引用者中略)
  蟻殺す見失はざるため殺す 
のような作品が、どうして「平明で庶民的」であろう。
(中村苑子「命とは神意なりや――句集『二人』管見」、「俳句研究」一九八六年四月号〈岡本眸の世界〉所収)
知人に貸してしまってあいにくいま手元にないから確かめられないが、島田牙城も『第一句集を語る』(角川学芸出版、二〇〇五)でこの文章に首肯していたはずだ(さっきから「あいにく」が多くて申し訳ないが、通夜に平服で馳せ参ずるようなものと思っていただきたい)。〈蟻殺す〉の句はいささか中村ごのみで極端ではあるが、岡本はこういう句も書く作家だったということだ。

だからこそ私は、〈文旦の故なくをかし笑ひけり〉〈日傘さすとき突堤をおもひ出す〉という不思議な句を、しかし、ああこれは岡本の句だなあ、と思うのだ。文旦はまさに「故なく」おかしく見え、日傘をさしながら「故なく」(と、しか言いようがないだろう、日傘と突堤には何の関係もないのだから)突堤を思い出す。「故なく」とは文字通り、理不尽ということである。生活とはなんと殺伐としていることか。

先んずる句集『二人』にも〈夕星を見てゐて急に野火のこと〉という句がある。これには『現代俳句入門』(家の光協会、一九九〇)に「房州の春宵の空は滴るように青く美しく、星は小さな炎のかたちをしていました。その星を見ているうちに、ふと、昼間見た野火の炎を思い出したのです。それだけの景ですが、早春の房州の明るさが背景にあってこその作です」という自解が書かれている。「炎」の形象を媒介として「夕星」と「野火」とが結びついている点、理屈自体は通っていることになるが、この二つを結ぶことができるのは偶然にこの二つを目撃した岡本のみなのであり、それとて「急に」「ふと」というさまなのだ。

「故なく」「急に」「ふと」何かが見えだすことがある、平凡ならぬ切れ目が入ることがある、それが生活というものなのだと、私は岡本眸から学んだ。『矢文』には〈確かむる一事ありけり春夜逢ふ〉〈人糺す思ひの文を秋の水〉(引用者註;前書「一事あり、敢へて」)〈略奪の速さに過ぎて雪野汽車〉(引用者註:前書「越後湯沢 六句」うち一句)という、温厚という世間的な作家像とはうらはらの句や、〈春疾風少年の喪に子らの列〉というケガレを詠んだ句があるが、生活とは、このように唐突なものを孕んでいるのだ。作家の伝記的事実に倚りかかりすぎているかもしれないが、岡本がこのようなまなざしを持ちえたのは、前半生に悲痛な死別を相次いで経験したからではないかと、私はひそかに考えている。

岡本さん、ありがとうございました。合掌。

2018-09-23

【句集を読む】たとえば、人類の進歩と調和、というのはどうだろう 池田瑠那『金輪際』 堀下翔

【句集を読む】
たとえば、人類の進歩と調和、というのはどうだろう
池田瑠那金輪際

堀下翔


池田瑠那『金輪際』(ふらんす堂、二〇一八)が刊行された。同書はふらんす堂の新叢書〈第一句集シリーズ/Ⅰ〉の一冊であり、また澤俳句叢書の第二三篇にあたる。池田は一九七六年生まれ、二〇〇四年に「澤」に入会し、現在は同人。叢書名の通り、同書が第一句集にあたる。

この『金輪際』に見える特色の一つは池田の宇宙空間への関心である。句集中には宇宙空間をモティーフとした作品がしばしば現れる。それらは大別すると、

宇宙船凍つライカ犬乗せしまま 瑠那(一三頁)

にんげんの足跡凍てて月面に 同(一三頁)

探査機ゆく土星の寒き環を掠め 同(四四頁)

宇宙ゆく砂塵が我ぞ去年今年 同(四四頁)

宇宙飛行士われ落としし手套永遠に浮遊 同(五六頁)

宇宙の果にヲハリと銀の繡冴ゆ 同(五六頁)

といった、一句の視点そのものが宇宙空間に置かれている句、また、

ガガーリンにひしと重力春の暮 瑠那(一四頁)

宇宙膨張中われ桜餅嚥下中 同(三五頁)

金環蝕果つほたるぶくろの中は留守 同(三七頁)

われら棲息深秋の大気の底 同(四三頁)

わが脳の暗黒物質も冬に入る(引用者註:「暗黒物質」に「ダークマター」とルビ) 同(四四頁)

太陽のはじめは気体鳥の恋 同(四四頁)

素粒子は紐なり落花螺旋なす 同(五〇頁)

刻々水漬く地球にわれら暑くをり 同(五二頁)

夏逝くや火星に大気われらに恋 同(五三頁)

聖夜なり土星の環成し塵の層 同(五五頁)

宇宙行きし犬が剝製双眸冴ゆ 同(六二頁)

ボストーク一号発射の空へ林檎咲く 同(六二頁)

といった、宇宙物理学や地球物理学、宇宙開発にかかわる知識や現象が、地球の地上にある人物の視点によって捉えられたり、あるいは俳句的に取り合わせられたりする句の二つに分類できる。そのほか、〈未来双六上り月面都市なりけり〉(三四頁)、〈水母密密タリ地球最後ノ日〉(五二頁)といった句も語彙のレベルではそういった関心から出てきていると思しい。

三一一句を収める同句集の主調をなしていると言ってもよいこれらの句を読むにつけ、筆者などは、かつてアポロの昔、山本夏彦が「何用あって月世界へ」と書いていたことをしみじみと思い出したりもするのだがどうだろうか。

山本は「室内」の創刊者にして二〇〇二年に亡くなるまであちこちにコラムを書いていた大正生まれの老人。件の「何用あって月世界へ」という言葉は『毒言独語』(実業之日本社刊、一九七一)所収の同名コラムが初出で、山本本人がいたく気に入ったようで終生繰り返し書いていたし、植田康夫が編集した山本の箴言集の表題にもなっている(『何用あって月世界へ 山本夏彦名言集』文春ネスコ、一九九二)から、ご存じの向きも多かろう。もちろん一九六九年のアポロ一一号の月面着陸について言ったものである。「月世界」などという古めかしい用語――明治の前半、一八八三年に黒岩涙香がヴェルヌの“Le Voyage dans la lune”を『月世界旅行』の邦題で翻案して世間に定着した語彙と思しい――がいかにも山本らしいと言えばらしい。

山本とて宇宙開発が冷戦下の各国の技術競争としてパーフォーマティブに進行していたのを知らなったわけではあるまい。それでもこんなことをいった理由は、この言葉に「月はながめるものである」という続きがあることから察せられる。「月はながめるものである」とは「雪月花」としての「月」を賞でる感覚と習慣から発せられたものである。月みれば千々にものこそかなしけれ――という塩梅に、澄んだ空に照り渡っているのを遠く眺めてこそというのが「月」の本意である。山本がいいたかったのはこういうことである。

面白いことに、宇宙開発の時代になり、映像や通信の技術の進歩も相俟って、月面の近距離的なビジュアルが知られるようになった。たとえばアポロ一一号の月面着陸を目前に控えたSF作家の小松左京は「一生に一度の月」(「毎日新聞」一九六九・七・六、ただし引用は『一生に一度の月』集英社文庫、一九七九)という随筆風のショートショートで次のように書いている。

アポロ計画――人類初めての月への挑戦計画に関しては、世界中のSF作家は、総自己批判しなくてはならない点がある。死んだ作家もふくめてだ。
 つまり、「人類初の月接近」という大事件が、テレビでなま中継され、それがまた、通信衛星で宇宙中継されて、各家庭の茶の間で、大勢の人間がながめる、といった情景を書いたSFは、これまで一つもなかったのである。(引用者註――「各家庭の茶の間」に傍点)
白黒テレビの家庭普及率がさかのぼること五年前の一九六四年時点で九〇パーセントに達し、七〇年代に向けてカラー時代にさえ突入しようとしていた世相が偲ばれる。ことごとく未踏なる星に人類が大きな一歩を踏み出すさまは宇宙時代のショウだったわけで、偶然にも山本が「月はながめるものである」と書いたのと同じ「ながめる」という言葉を小松も用いている通り、月を「ながめる」という身振りの内実は人類の想像力の埒と表裏一体となりながら拡張されることとなったのである。なんだか〈人類の進歩と調和〉という趣きさえある。

こうした文化史的背景から産み落とされたのが、俳句でいえばたとえば、

水の地球すこしはなれて春の月 正木ゆう子『静かな水』(春秋社、二〇〇二)

という句になるわけである。「水の地球」という表現が一九六一年に初の有人宇宙飛行に成功したガガーリンが言ったとされる「地球は青かった」という言葉を連想させるのもそうだが、何よりは地球と月とが一つに収まってしまう視角のありようこそが、宇宙開発時代にもたらされたビジュアルによって発生したものだろう。

話が迂遠になってしまったかもしれないが、つまり、池田の、

宇宙船凍つライカ犬乗せしまま 瑠那(一三頁)

にんげんの足跡凍てて月面に 同(一三頁)

探査機ゆく土星の寒き環を掠め 同(四四頁)

宇宙ゆく砂塵が我ぞ去年今年 同(四四頁)

宇宙飛行士われ落としし手套永遠に浮遊 同(五六頁)

宇宙の果にヲハリと銀の繡冴ゆ 同(五六頁)

といった句の視点も同様だ、ということである。いずれも、宇宙開発時代以後の想像力をかろやかに俳句に導入した句である。〈宇宙ゆく砂塵が我ぞ去年今年〉のスケールの大きさなどにはほれぼれとする。この句の「が」は連体修飾格の「が」と理解した。ややイレギュラーな訳し方になるが「砂塵である我」といったところだろうか。この句や〈宇宙飛行士われ落としし手套永遠に浮遊〉が「我」「われ」と一人称を一句に入れ込んでいるのは見逃せない点である。特に後者の場合「われ」がなければ無重力についての知識を意外な情景に展開しただけの句になる。「われ」があればこそ宇宙空間に視点があるということがわかり、宇宙を詠むことの面白さが活きるのだ(ただしこの句には、「宇宙飛行士」が「手套」を見ている視点がいつのまにか「永遠」によって三人称化するという仕掛けも施されている)。

宇宙船凍つライカ犬乗せしまま〉〈にんげんの足跡凍てて月面に〉〈探査機ゆく土星の寒き環を掠め〉〈宇宙の果にヲハリと銀の繡冴ゆ〉といった句においてこの「われ」と同様の働きをしているのが「凍つ」「寒し」「冴ゆ」といった時候の季題である。有季の立場を取る池田にとっては、季語に相当するものを見つけるのが困難な宇宙という舞台で、いかにその立場を墨守するかが大きな課題であったと思しく、池田はこれを、宇宙空間の温度がきわめて低いという知識と時候の季語とを結びつけることによって解決しているわけだが、宇宙空間の温度に「凍つ」「寒し」「冴ゆ」といった言葉を見出す発想は俳人なればこそであり、それぞれの俳句にこれらの季語が入っているということ自体が、「われ」の強烈な表出なのである。地上の体感に基づくこれらの季語が、空気のない宇宙の寒さの謂いになったとき、はたして季語として成立するのかというのは意見が分かれるだろうが、「季語を入れる」というこの種のアリバイ工作は多くの方がやっているだろうし、まあ、いいんじゃないんでしょうか。「澤」の方々には〈困ったときの「凍つ」「冴ゆ」「冷ゆ」〉というフシがあって、あまり感心しないのだが、池田の宇宙の句は「われ」の署名として活きていて、これはいいと思った。



その他傾向によらず気に留まった句は以下の通り。

玉くしげ箱根に得たる檀の実 瑠那(三八頁)

死に近きからだ熱れる青葉かな 同(六三頁)

火葬待つ間の飲食よ花うつぎ 同(六四頁)

やつてられつかスーパーの鮨貪れり 同(六五頁)

〈玉くしげ…〉は描写型のこの作者にしては言葉へのフェティシズムが強い句。「玉くしげ」は櫛などを入れる美しい道具箱のことで、転じて「覆ふ」「開く」「蓋」「箱」などに掛かる枕詞。この場合は「箱根」に掛かっている(実朝『金槐和歌集』が収める〈玉くしげ箱根のみうみけけれあれや二国かけてなかにたゆたふ〉などに用例がある)。枕詞は訳さないので、この句はあえて意味を取れば「箱根で檀の実を得た(手にした、拾った)」というぐらいの、あわあわとした内容である。それを美しく一七音に引き伸ばしたのがこの句の手柄である。箱という「玉くしげ」本来の意味を利かせて読むと、「得」た「檀の実」が「玉くしげ」に入れてあるという耽美な情景も目に浮かぶ。

〈死に近き…〉〈火葬待つ…〉〈やつてられつか…〉は「夫、輪禍に遭ひ、二日後に他界。二十二句」という前書きを持つ一連で、あまりに悲痛。「二日後に他界」というごく短い時間でありながら、どの句も季語が異なるのは、非常のときにあっても一句ごとの精緻さにこだわるという態度か、あるいはむしろ、季語はとりそぎ、というほど切迫した状況だったのか。「スーパーの鮨」というおよそ本意から離れた「鮨」が出てくるあたり、案外後者なのではないかという気がする。



ところで〈第一句集シリーズ/Ⅰ〉『金輪際』はA5判七〇頁というシンプルないで立ちをしているが、これは小澤實が序文で「ぼく自身の第一句集『砧』の判型、薄さとも重なる一冊である」と言及している通り、かつて牧羊社が一九八四年一月からその後数年に亘って刊行していた〈処女句集シリーズ〉と同様の体裁である。牧羊社の〈処女句集シリーズ〉はその名の通り句集を刊行していない作家を収録した句集叢書で、各結社の主宰の推薦で膨大な人数(あまりに多いので数えたことがないが、数百名はいる)が参加した。高齢の作家も混じっていたようだが、小澤實、岸本尚毅、筑紫磐井、今井聖、対馬康子、金田咲子、若井新一といったのちに一廉の俳人になる面々も若き日にここに加わっていたのである。

小澤の序によるとこの〈第一句集シリーズ〉は「俳人協会の改革検討委員会で若手世代のために廉価版の句集シリーズが出せないか、と論議した結果生まれた」とのこと。若手輩出の後押しという点で〈処女句集シリーズ〉は当然意識しているのだろう。判型まで同じで無関係であるはずがない。なにせ〈処女句集シリーズ〉を出していた当時の牧羊社には現・ふらんす堂社主の山岡喜美子氏がいる。以前個人的に伺ったのだがたしか〈処女句集シリーズ〉の担当編集者でいらっしゃったのではないか。山岡氏は一九八〇年代中盤に牧羊社を中心として巻き起こった「若手ブーム」とでも呼ぶべき戦後生まれ世代俳人登場の立役者の一人である。あれから三十数年、結社所属(俳人協会ということはそうでしょう)の若手が矢継ぎ早に登場する時代は近いのかもしれない。

世界で八四万本売れたというファミコンソフト「ファイナルファンタジー」の第一作には「Ⅰ」がついていないが、〈第一句集シリーズ/Ⅰ〉には「Ⅰ」がある。「Ⅱ」以降がすでに想定されているのだ。〈処女句集シリーズ〉にもハナから「Ⅰ」がくっついていた。次々に刊行されて読者が追いきれないところまで似るのは困るが、九冊が刊行されているいま、私はすでに息切れしかけている。全部読むことは想定していないのだろう。しかし、新しい作家がここから誕生するのは、歴史に照らせば明らかなことだ。ならば、読むしかない。

〈 了 〉

2018-09-09

【俳誌を読む】北海道に「雪華」あり 「雪華」創刊四〇周年記念増大号 堀下翔

【俳誌を読む】
北海道に「雪華」あり
「雪華」創刊四〇周年記念増大号

堀下翔


「雪華」は一九七八年一月に深谷雄大が旭川市で創刊した結社誌。師系は石原八束。一九八六年までは年四回刊で、以後月刊。二〇一六年からは橋本喜夫が主宰を継いでいる。先の八月に「創刊四〇周年記念増大号」と銘打った特別号が発行されたので読んだ。

結社誌の記念号の頁数が通常よりも増えるということはよくあるが、「雪華」記念号は二七七頁という大冊で、まして通常号がいつもだいたい六〇頁弱だから、この分厚さは文字通り通常ではない。どうしてこういう本になっているかといえば、公開座談会や記念大会の講演の文字起こしをおそらくはノーカットと思しい体裁で掲載していること、加えて「評論まつり」と称して会員の散文を八本も載せているほか、四〇周年の節目に関わる文章がいくつも草されていることによる。世の結社誌の記念号とは気合の現れ方が段違いで、吃驚して、せっかくなので紹介する次第である。いや、筆者が旭川出身だから、その贔屓目とかじゃなくて。

四〇周年記念特集を順繰りに見ていこう。

雪華四〇周年を彩る巻頭四〇〇句供覧(大柄輝久江抄出)
巻頭句を読む

①は平成二九年一二月号(通巻四一五号)までの巻頭句から抄出したもの。ちなみに通巻数と抄出句数が合致していないのは、一号から二句引いている場合があるのと、一九九七年以降何度か合併号を出しているという事情である。この資料に挙げられた句について言及しているのが②の節で、橋本が総論として「巻頭句からみた「雪華」四十年の歩み―郷土性と時代背景との関連―」を、そして橋本のほか九名の主要会員が鑑賞文を執筆している。橋本の総論が懇切で、会員の俳壇的慶事なども織り交ぜながら、時代を追って巻頭の趨勢を紹介しつつ、一誌を貫く特徴を、

「雪」、「氷塵」、「雪まんじ」、「氷像」、「黄連雀」などの旭川ならではの季語を使用した郷土色豊かな俳句と、(引用者中略)ネガティブな境涯を詠んだ俳句と、これからの超高齢化に先駆けた「老いの俳句」がほどよくミックスされて進化を遂げてきている。
と結論する。

四〇〇句を通読してなかでも強く感じるのは郷土性で、これは特に、年四回刊行の時代の句に顕著なようである。

角曲がるたびの雪嶺訃の使ひ 天内雅枝(一九七八年、創刊号)
氷像展魚族のごとく通り過ぐ 松橋孔太(一九八〇年、通巻一〇号)
雪まんじ追はれ来し日を明日へ追ふ 畠山廣子(一九八六年、通巻三五号)

一九七〇年代後半以降という時期に、深谷雄大とその周りの作家たちが、北海道で郷土にこだわって作句していたのは記憶しておきたいことがらだろう。一般に郷土と俳句ということで言えば、八戸の村上しゆらが登場して「風土俳句」が云々される一九五〇年代が最初の盛り上がりで、以後、俳人たちの大きな関心となって浮上するのは、一九九一年から一九九四年にかけて角川書店が『ふるさと歳時記』シリーズを刊行するのを俟たねばならない。宮坂静生が「地貌」の概念を主唱し、知られるようになるのは二〇〇〇年前後である。

だが、この間隙の時期にも各地方で各作家が努力を続けていたわけであり、その一例が「雪の雄大」という二つ名もある深谷雄大率いる「雪華」だったということだ。尤も北海道にあって「雪華」のみがこの志を持っていたわけでは当然なかろう。塩野谷秋風『新選俳句季語集』(霧華発行所、一九四六)から木村敏男『北の歳時記』(にれ叢書、一九九三)に至るまで、道内の俳人が、北海道の風土に合致した歳時記を編むことに腐心した事実からもそれは推察できる。

深谷雄大の俳句を読む/附一〇〇句抄出(五十嵐秀彦)
橋本喜夫の俳句を読む/附五〇句抄出(籬朱子)

この二つの節は主宰二代の作品抄出と作家論である。抄出は論者が句集単位で抄いている。これは非常にありがたい。なにせ深谷雄大という作家は一四冊も句集を出しているし、逆に橋本は二〇〇五年に『白面』という第一句集を一冊出したきり。「雪華」の会員にも両主宰の句業を通覧したことがないという方がおられるのではないかと察する。いわんや誌外の読者をや。結社誌の記念号ではまさにこういうのが読みたいのですよ。僕なんて地元なのに雄大さんの句集は邑書林句集文庫に入っている『定本 裸天』(一九九八)しか読んだことないもん。

一点、欲を言えば、句集の書誌情報(版元、刊行年)は知りたかった。「評論まつり」を催す結社なればなおさらである。以下、本稿では適宜補って示す。

作家論は読者諸氏ご自身に確認していただくとして、筆者が好きな句。

ラムネのむ喉へ汽笛が殺到す 雄大『裸天』(思潮社、一九六八)
母の死の夜を坩堝なす雨氷音 同『日の川』(雪華社、一九八八)
荒星を消す天涯の死者の数 同『寒烈』(現代俳句協会、二〇一四)

現代詩から出発したという雄大。郷土という問題意識を抱えながら、それを抒情という自身の資質の中で消化していったと思しい。一句目は若書きの句。ラムネの気泡を「汽笛」に例えるモダニズムには懐かしさも覚える。

地球史に人類見つけがたく春 喜夫『白面』(文學の森、二〇〇五)
花過ぎのくすしにもある店終ひ 同『白面』
天上は善人ばかり蠅叩 同『白面』
俳諧よ半身相撲のしぶとさよ 同『白面』以後

「銀化」同人でもある橋本。作風は中原道夫の影響の方が強いようにも見える。三句目の季語の付け方とかそうでしょう。善人ばかりのとこに行っても退屈だよ、とか思いながら、蠅叩で殺生。

なお籬朱子による喜夫作品五〇抄出中にある〈昼の灯にとどめなき海霧霧多布〉(『白面』所収)は〈昼の灯にとめどなき海霧霧多布〉の誤りです(原典で確認済み)。

雪華四〇周年記念座談会「俳句の未来・俳句における評論の意義を語る」

当年三月三一日に札幌市内のかでる2・7において催された座談会の文字起こしである。外部からは堀本裕樹、月岡道晴、「雪華」内からは橋本(司会)、五十嵐秀彦、松王かをりが出演している。〈現在の俳句、将来の俳句を見据えて、現在ご自身が注目している俳句、あるいは、現在一番、愛唱している俳句〉(橋本発言)を五句ずつ提出するという形式で行われている。また短歌でもよいということになっており、これは月岡が歌人であるという事情によるものだろうが、結果的に座談会では五人がそれぞれ俳句と短歌を五点ずつ持ち寄っている。愛唱作も可という不思議な条件があるため、話題は拡散してしまっているようにも見えるが、やはりこの手の、一句ごとにこだわった話題は読んでいて楽しい。

月岡が柿本多映〈日の蝕や髪はいつより吹かれけむ〉というマイナーな作品を挙げており、なんでまたこの句を……などと思っていたら、〈「や」「かな」「けり」が使いやすいからこればかりを使うのだけれども、もっとバリエーションを日頃から多く実践してみてはいかがでしょうという、そんなおすすめをしてみたい〉とのことで、なるほどその通りだと得心した次第。ちなみにこの句は現代俳句協会のデータベースで検索して発見したらしい。

松王かをりはgAIの〈卒業のおほきな幹が濡れてゆく〉を挙げている。gAIとは大塚凱のおよそ五千句を学習した北大工学部の俳句AIである。この句に関わって座談会ではAIの俳句が話題になる。現状は発展途上という趣の俳句AIで、座談会でも「まだまだこれから」というムードになっているのだが、〈作者のいない文芸って何の意味があるのか〉(五十嵐)という問題提起があったのは興味深い。何の意味があるのかといえば、本来何の意味もないはずだ。単に日本語の言語処理をAIに組み込もうという工学研究の側のツールとして俳句が選ばれているだけだから。すでに旧聞に属する囲碁AIの開発過程にあっても、卓抜な性能を持った「AlphaGo」シリーズが人類の棋士を打ち負かしたさい、主導権が研究者側にあるために肝心の棋譜が囲碁界にわずかしか提供されなかったという話がある。

しかし純粋に囲碁のルールのみを学習し、棋譜は読んでいないという「AlphaGoZero」が一定の成果を上げるに至り、現役棋士たちはパラダイムシフトを強いられ、囲碁AIから人間が学習するという機運すら高まっているのである。いずれ俳句AIの研究が進んだ暁には、定型というルールと『図説俳句大歳時記』の解説と『日本国語大辞典』だけを学習して名句を吐くAIが登場する、ぐらいの想像力はいまのうちに持っておいたほうがいいと思うのだが。AIは道具なのか、疑似的な人権を持つのか、といった議論はあちこちでこまごまと進んでいる。その意味で堀本の〈AIが人間性を持ち得てきたときの俳句というのは、結構すごいんじゃないかなと思います〉という感想は一つの見識だろう。

座談会の後半は〈評論の意義とは〉がテーマで、ある意味ではお定まりの評論不在の話になっている。中上健次や山本健吉などの名前が挙がったあと、月岡が、穂村弘を広める一端を担った山田航の例を挙げているのだが、それに応じて橋本が〈俳句の方でもし期待するような人がいるのであれば、実名を挙げて……〉と問いかけるや、パネリスト一同、〈うーん…〉と沈黙。

健吉ほどの大評論家はいなくても、穂村弘を紹介した山田航に匹敵する論者であれば、没後すぐに金子兜太の詳細な年譜を書いてみせた田中亜美、月並宗匠から「オルガン」までを扱う青木亮人、現代俳句はなんでもござれの読み魔・関悦史、俳諧研究出身で最近は万太郎や龍太を読み進めている髙柳克弘、「俳句新空間」「俳句」に続いて今は「現代詩手帖」で時評を書いている外山一機などなど、目利きは何人もいる。「俳句」で井上弘美がもう二一回も連載している「弘美の名句発掘」などは、時評的機能を持った優れた同時代批評である。俳句史を見渡す包括的な視点を持った論者としては、河出書房新社の池澤夏樹編「日本文学全集」の『近現代詩歌』(二〇一六)で俳句の選と解説を担った小澤實にも注目したい。これらの作家の散文がすぐれた評論に値しないとは思えないのだが、どうなのだろうか。(ただし関については橋本が座談会中に〈評論はもう少しわかりやすく書くべきだと思いますが、凄いです〉と言及している)。

評論まつり

会員による長短さまざまな八本の評論が掲載されている。「形而上的俳句の名句化――河原枇杷男小論」(橋本喜夫)、「開かれた書物、堕胎された言語」(五十嵐秀彦)、「メディアにおける〈公界〉と〈無縁〉」(同)、「不在の死」(同)、「未来へのまなざし―「ぬべし」を視座としての「鶏頭」再考―」(松王かをり)、「龍之介句を読む―最後の講演旅行から絶筆へ―」(同)、「『おくのほそ道』永遠の旅人(The travellers of eternity)は誰?」(籬朱子)、「女性俳人はなぜ肉体感覚の表現が巧みなのか」(長谷川忠臣)の八本である。評論不在という情況に一石を投ずべく企画されたものなのだろう。一次資料を豊富に引用する松王の二作に惹かれた。

雪華四〇周年記念俳句大会・祝賀会

当年五月二六日に旭川市のアートホテル旭川で行われた結社大会の詳報で、坂野榮子による大会レポート(これがまた、大会の全発言が事細かに文字起こしされている)と、中原道夫による記念講演「能村登四郎・その人」の文字起こしからなる。雄大の結社に、現主宰のもう一人の先生が来ちゃうというのが自由でいいよな。

中原の講演は能村登四郎の生涯を裏話交じりに語った漫談。え、これ著者校通ったんですか? とこっちがひやひやしてしまうような話の連続で、演題が「その人と作品」ではなくて「その人」になっているのもむべなるかなである。

穏やかな話を少しだけ搔い摘みます。
(中原中也記念館からの帰路――引用者註)そのまま銀座に帰ってきて鈴木真砂女の店に行って「おかあさんねぇ、あんたと中原中也どっちが年上だと思う?」って訊いたら「なぁに言ってんのよ、中也の方に決まってんじゃない」っていう返事がすぐに返ってきました。実はこれもタイムトリックでありまして、中也の方が真砂女より生きていればでありますが、若いです。
(主宰誌「銀化」創刊後も――引用者註)林翔先生が生きているうちは、同人を抜けないようにして、会費は納めてました。
ね? 面白いでしょう? 続きは本誌で。

なお二〇八頁の〈東京柳句会〉は〈東京やなぎ句会〉が、二一〇頁の登四郎の句〈春ひとり槍投げて槍に歩みよる〉は〈春ひとり槍投げて槍に歩み寄る〉がそれぞれ正しい表記です。



以上、駆け足ながら特集パートを紹介してみた。ちなみに本稿表題の〈北海道に「雪華」あり〉は、橋本の「巻頭句からみた「雪華」の四十年の歩み」の末尾にある〈ゆくゆくは「北海道に雪華あり」と言われるような俳誌に育ててゆきたいと切望している〉という所信から採った。この一号で存在感は少なからず示しているのではないだろうか。

特集のボリュームだけではない。会員数も増加している。記念大会での橋本の挨拶によると、二〇一六年の主宰交替のタイミングで五〇人を切っていた投句者は、引き継ぎ後の現在では七五人になったという。講読会員を含めると六〇人の新会員を得たそうだ。雑詠欄を見る限り、その面々には橋本や五十嵐が関わる俳句集団【itak】の参加者が一定数いる。〈結社や経歴を超えて集まった集団〉(【itak】公式ブログ(itakhaiku.blogspot.com/ )のプロフィール欄、二〇一八年九月七日最終閲覧)を標榜する以上、人脈の重なりはやや気にならないことはないが、福井たんぽぽ、田島ハル、柊月子、三品吏紀ら、これまで句会の現場やインターネットをベースに活動してきた層の作家が、紙媒体である結社誌に定着したというのは興味深い。

最後に、通常の作品欄から、心に残った句。

臥す夫へ苺真つ赤につぶしゐる 三国眞澄
取り出せぬラムネの玉と炉心かな 青山酔鳴
流れくるメロンの薫り仏間より 澤谷泰枝

2018-06-10

【俳人インタビュー】堀下翔さんへの10の質問

【俳人インタビュー
堀下翔さんへの10質問


質問:西原天気
Q1 今週、何句作りましたか?

3+およそ70で73句ほどです。水曜日に東大俳句会の句会があり、3句というのはそこでの席題です。持ち寄りが5句ありますが、それは先週書いたものなので、含めず。

およそ70句というのは、金曜日から日曜日まで隣県のいわき市に単身で吟行旅行に行ったときのものです。4月に院進して以来、体が空かず、しばらく吟行に行けていなかったので、一念発起して旅に出た次第です。一日あたり20句弱というと、「俳句スポーツ説」的には少ないほうかもしれません。ただ、ものを見て、書き込み、書ききるという作業をはじめると、これくらいなのかな、と感じます。ちなみに席題の機会以外で俳句を机上で作ることはほとんどしないので、吟行をさぼっている時期の作句はゼロということになります 。

Q2 松坂桃李さん、もとい堀下さんの、今朝起きてから2~3時間の行動をできるだけ詳しく(公表できる範囲で)教えてください。

まず「松坂桃李」というのが読者の方に伝わらない気がするので補足しておきますが、これは僕が松坂桃李君に似ているという俳壇の新常識です。高校時代、友人の妹さんに指摘されて以来、いまだに事あるごとに喧伝しています。口元とかクリソツですね。

さて、今朝(5月28日)の行動ですが、

7:30 起床。スマホでTwitter(アカウント3つ)とlineとFacebookをチェック。

8:30まで 朝飯(茄子を炒めてめんつゆをかける)。それから頭が働くまでぼーっとするのが日課です。チャンネル登録しているyoutuberの動画が旅行中に更新されていたのでいくつか目を通しました。動画は以下の通り。

QuizKnock〈究極の心理クイズ!チームワークでかぶらず解答、あなたならどうする?【登録者20万人ありがとう!】〉https://www.youtube.com/watch?v=_3GyHst62do

米村でんじろうサイエンスプロダクション〈宇宙からの隕石を叩いて包丁作ってみた〉https://www.youtube.com/watch?v=kCiyMOeR8ns

9:45まで 句帳をひらき、いわきでの句を推敲。旅先の宿で大部分を済ませていたので残りは数句。推敲は、たとえばこんなふうに。

初案;垂れてゐる花擦れあへり燕子花

「てゐる」という引き伸ばし方は気に食わない。

第二案:かむさりし花擦れあふや燕子花

こうすれば、「てゐる」は解消されます。「かむさる」という動詞にしたことで、どの部分が擦れるのか、よりクリアに見えるようになりました。「や」にマイナーチェンジしたのは好みです。ここ数年ほぼ使っていなかった「や」を岸本尚毅さんや宇多喜代子さんの影響でさいきん使うようになりました。どういう影響なのかは説明が煩多なので省きます。

ただ、「~しあふ」という描写は写生句の常套。「かむさる」を活かして、

第三案:葉の尖にかむさる花や燕子花

とする。かむさっているんだから、擦れているのは自明でしょう。この重なりを省けたのはよかった。と、ここで、「花」という字が重複していることに気づく。

第四案:葉の尖にかむさる花や杜若

これなら「花」の字が障りません。

第四案’;葉の尖にかむさる瓣や燕子花

とする手もありますが、「瓣」というのはちょっと「自然の真」が強すぎる感じがするので採りません。

第五案:葉の尖に花かむさるや杜若

こういう語順もあるか。これは少し悩みます。ただ、「葉の尖にかむさる花や杜若」だと花弁に焦点が当たるのに対して、「葉の尖に花かむさるや杜若」だと杜若の姿全体が見えるような書きぶりという気がしないでもありません。こういう句の場合、画角はより狭いほうがいいでしょう。

よって第四案の〈葉の尖にかむさる花や杜若〉できまり。もっともこの推敲が妥当なものかは俳句の神様に聞かなければわかりません。

10:30まで 授業は午後からですが、大学に行くことにしました。この間買った『新装版 青山剛昌短編集』(小学館、2011)を再読したい気も一瞬しましたが我慢。これに入ってる「夏のサンタクロース」(「週刊少年サンデー」昭和62年15号初出)がすごくおもしろかったのですね。

チャリで15分で大学の図書館につきます。今日中に返さないといけない某誌の俳句作品の著者校に手をつけます。「蟾蜍」に「せんしょ」とルビを振って提出したら「センジョ」ではないかとアカが入ったのです。『日本国語大辞典』で引いたらたしかに「センジョ」で立項されている。けれどもガマの油で有名な筑波山あたりでは「センショ」と読んでいるんですね。これはどうしたものかと、いくつか辞書を引いたり考えたりしているうちに、授業の予習をしていなかったのでいったん離脱、のこりはあとで調べよう……といったあたりがご質問の「2~3時間」の行動です。

Q3 俳句に似ているものといえば?

ありません。俳句は俳句ですし、俳句にもいろいろありますから。

ただし、初心者の高校生に俳句を教える仕事をすることが多く、その時には、陳腐な「あるある」を避けるために、お笑いを例に出しています。「あるある」ネタにも笑えるのと笑えないのがあるだろう、と。ダンディ坂野の「信号を渡ろうとしているおばあちゃんを負ぶってあげたらおばあちゃんが行きたいのは反対側だった」はダメな「あるある」。コウメ太夫の「偏差値の低い高校に入学したら先生がチンパンジーでした」は論外。さいきんいろいろやってる横澤夏子は共感性が絶妙でいいですね。横澤夏子はわりあいにモノマネ枠で出ているときも多くて、そうなるとついでに「写生」を「とんねるずのみなさんのおかげでした」内のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」に例えるということもします。「細かすぎて…」の逸品は俳句に活かせる視角を持っている気がします。中垣みな・マーナの「レコーディングでアドバイスを求める工藤静香と曲を手掛けた中島みゆき」なんてのはすごくいいですね。

でも、まあ、それはモノのたとえであって、俳句とお笑いは別物です。

Q4 現在お住まいの町は、どんなところですか?

茨城県のつくば市に住んでいます。ここは研究学園都市ですが、なんでそうなのかというと、高度経済成長の時代に首都機能がパンクしそうになって、それで、関東圏で空いている土地・つくば市に研究施設を移したわけです。いまでも1960年代までの田園風景と、1970年代以降の研究都市的な風景とが奇妙に同居しています。最新の研究施設がある一方で、1985年のつくば科学博に代表されるような、古臭い未来の残滓みたいなものも見られて、これはこれで興味深いです。

Q5 触り心地が好きなものってありますか?

同じ質問に畏友大塚凱君が「タオルの端」という気持ちの悪い回答をしていましたが、驚くべきことに僕は「タオルの布地」です。就寝時、タオルの布地が顔や首元に触れていると落ち着きます。東京でよく泊めてもらう友人はこの悪癖を見破り、さいきんは「これがほしいんだろ?」といって専用のタオルを常備の寝具とは別に用意してくれるようになりました。凱君ともども幼児っぽい癖がなおっていなくて恥ずかしいです。

Q6 どういうわけか、雄鶏を一羽飼うことになりました。名前を付けてください。

「シャラク」ですね。中学時代は劇作家になって岸田國士賞を取るのが夢でした。そのころ書いていた戯曲に、「知能を持ったパソコンが学校の中にいて、生徒とコミュニケーションを取る」という設定のものがあります。コンピューターの名前が「シャラク」でした。人間とコミュニケーションが取れるなら人並みの名前がいい、でも今風のだと紛らわしいから昔の人の名前になった、というくだりを作中に書きました。いまペットを飼うとしても同じ考え方をします。ただしさいきんは珍しい名前の子も多いですから、どこかに「シャラク」氏がいるかもしれません。考えものです。

Q7 10年後は何をしていると思いますか? どんな状態でいたいですか?

進路の現状から推測するに、運が良ければどこかで学究をやっているでしょうし、運が悪ければ野垂れ死ぬか、いまは想像しえない仕事をしているでしょう。場当たり的なニンゲンなので、何をしているか想像がつきません。

夢のある話もしておきます。僕の人生で唯一、なんの実益のない趣味が、昭和中期までの芸能史を漁ることです。特に徳川夢声が関心の的なので、専門家の濵田研吾氏いわく百冊以上あるという夢声の著書をちびちびと集めながら、当時のことに思いをはせるという時間を、10年後にも楽しんでいるといいなあと思います。

Q8 目が覚めました。何十時間も眠ってしまったらしく、おなかがぺこぺこです。何を食べますか。

茄子が大好きなので冷蔵庫には茄子を常備してあります。味付けは適当にポン酢やめんつゆなど適宜。それにばさばさと七味をかけます。不健康を承知でたっぷり油を吸わせたやつの舌触りは最高ですね。どんなに過度な空腹で腹や喉が弱っていても、これだけはいけます。
 
Q9 好きな自然現象について、教えてください。

劉希夷の「代悲白頭翁」という七言古詩に、

年年歳歳花相似
歳歳年年人不同

というくだりがあって愛唱しています。毎年同じ花が咲くのはうれしいです。これって自然の神秘だと思いますよ。

Q10 ここ最近でいちばん笑ったことを教えてください。

句会に行ったとき、句帳と間違えて「電話帳」と表紙に大きく書いたノートを持っていってしまいました。これ、なにかというと、電話のときに話した内容をメモしておくためのノートなのです。僕は酔うと誰彼構わず電話をするヘキがあって、翌朝お酒が抜けるとどんな話をしたのかすっかり分からなくなってしまうものですから、これは人生の時間の無駄だと、電話の内容を随時書き留めておくようにしているのです。句会の仲間に「そのノートはなんなんだ」と言われて、事情を説明したら「キモすぎる」と言われました。

その始終を見ていた親しい友人と後日会ったとき、「あれって仕事用のノートだったんでしょ、うまくごまかしたね」と言われました。というのも僕は、まだ公にはなっていませんが、いま、「電話」に関わるある調査をしています。それを知っていた友人は、情報解禁前の仕事を隠して、とっさに巧妙なウソをついたのだと理解していたのです。

「いや、あれほんとの話だから」
「え、キモ……」

と、相爆笑の顛末。


堀下翔 近作自選十句

金柑のあるとき赫し満目に

かりばねや時雨くはしき浦の空

指にこそ霜恋しけれ岩田帯

花剥きて白さゞんくわの蜜わづか

手ののちを水にしたしむ冰かな

春栗烈なかんづく君むなしきに(鷺沢萠の命日に寄せて 六句うち一句)

花びらの鈍き手ざはり土佐泊り

梅東風に荒々と蛸煮てゐたり

坂道に風の和したる桜かな

美しやいよゝ日永の箸の束

2017-07-16

【俳苑叢刊を読む】 第19回 中村草田男『永き午前』 有季俳句と人間の内面の出会い 堀下翔

【俳苑叢刊を読む】
第19回 中村草田男『永き午前』

有季俳句と人間の内面の出会い

堀下翔


中村草田男『永き午前』、昭和一五年一〇月一五日、「俳苑叢刊」の第二一巻として刊行された。この頃草田男はすでに『長子』(沙羅書店、昭和一一年)および『火の島』(龍星閣、昭和一四年)の二冊の序数句集を刊行しており、『永き午前』はこの二冊の句集よりそれぞれ一三一句、一八〇句を再収録した自選句集になる。二冊の序数句集は製作年順に句を収録するが、『永き午前』ではそのうちの『長子』のみが四季別に組みなおされている。作品のほか、自序と自伝を一ページずつ収録。「よき先輩、川端茅舎、松本たかし二氏に伍して、此叢書中の一員となり得ることを、作者は幸福と感ずるものである」(序文より。ただし茅舎は健康を害し、「俳苑叢刊」への収録はかなわなかった)。表題句に相当する作品は存在しないが、草田男に師事した香西照雄は「永い青春彷徨と、『火の島』時代にも保持していた〈精神的青春〉の両方を暗示していると思う」(「中村草田男著書解題」、『中村草田男読本』「俳句」臨時増刊、昭和五五年所収)と推測する。

以上が本句集のあらましである。「俳苑叢刊」には収録句集を序数句集とした作家を少なからず数えることができるが、草田男の場合は既に述べたとおり自選句集である。また草田男には「火長」(『現代俳句』第三巻、河出書房、昭和一五年の一篇)、『火の鳥・萬緑』(スバル書房、昭和二二年)、『中村草田男二百句撰』(榛の木書房、昭和二四年)、『草田男自選句集』(河出書房、昭和二六年)、『中村草田男句集』(角川文庫、昭和二七年)、『定本中村草田男全句集』(集英社、昭和四二年)など夥しい数の自選句集、合本句集類が存在している。そのために『永き午前』という一集には至極地味な刊行物の観がないではない。従来の草田男研究でも詳細に言及しているものは皆無に等しく、筆者自身、本誌より原稿依頼を賜るまで、気に留めたことがなかった。

だが、本句集をひもとき、またこれを草田男の年譜に布置してみたとき、本句集が必ずしも地味な自選句集ではないということに気づかされた。『永き午前』は「ホトトギス」作家としての草田男の到達点を結果的に示すこととなった一冊なのだ。



中村草田男、明治三四年生まれ。昭和四年二月より虚子指導の東大俳句会の会員となり、同年八月より「ホトトギス」の雑詠欄に投句。

大正元年に虚子が「ホトトギス」雑詠欄を再開して以降、この雑詠欄は俳句史の舞台となってきた。『進むべき俳句の道』(実業之日本社、大正七年)で称揚された蛇笏、鬼城、水巴、石鼎、普羅を中心とするいわゆる「主観尊重」の時代ののち、客観写生が唱えられるようになり、泊雲と花蓑の二人が台頭。大正末から昭和初頭にかけては素十、秋櫻子、誓子、青畝からなる「四S」の時代が訪れた。

昭和六年、秋櫻子は「『自然の真』と『文芸上の真』」を「馬酔木」一〇月号に発表し、「ホトトギス」を離脱。新興俳句運動が始まり、俳句史は「ホトトギス」雑詠欄の独擅場ではなくなってゆく。

とはいえ、「ホトトギス」雑詠欄自体が弱体化したわけではもちろんない。たかし、左右、暁水、立子、茅舎、久女、青邨、汀女といった、四S時代と重なる時期および四S時代以降に登場した作家たちが、綺羅星のごとく雑詠欄上位に居並び、巻頭を競った。現在でも愛唱される下記のような句は、この時期の雑詠欄で巻頭を飾ったものだ。

立てひらく屏風百花の縫ひつぶし たかし(昭和四年三月号)
和歌の人花のくもりに海苔とれる 左右(昭和五年六月号)
夜濯ぎのざあ/\水をつかひけり 暁水(昭和六年八月号)
吹かれきし野分の蜂にさゝれたり 立子(昭和六年一一月号)
金剛の露ひとつぶや石の上 茅舎(昭和六年一二月号)
丹の欄にさへづる鳥も惜春譜 久女(昭和八年七月号)
祖母山も傾山も夕立かな 青邨(昭和八年一〇月号)
中空にとまらんとする落花かな 汀女(昭和一〇年六月号)


草田男が「ホトトギス」に投句を開始したのはこのような華やかな時代であり、かつ草田男自身もまた、昭和五年一〇月号において「つばくらめ斯くまで並ぶことのあり」他四句で巻頭を取り、またたく間に頭角を顕していった。昭和一〇年、同人。昭和一一年には「ミヤコ・ホテル」論争に批判派の急先鋒として加わる。昭和一四年には「俳句研究」八月号の座談会「新しい俳句の道」(楸邨、波郷、梵、司会・健吉)に出席し、「人間探究派」という呼称を与えられる。二冊の句集も持ち、草田男は「ホトトギス」の花形作家となるに至った。

『永き午前』とは、そのような幸福な「ホトトギス」作家が出した句集であった。



このような言い方をしなければならないのは、『永き午前』刊行の翌年にあたり、第三句集『萬緑』(甲鳥書林)を六月に刊行した昭和一六年以降、「ホトトギス」における草田男の立ち位置は、急速に変化してゆくからだ。

昭和一六年三月、虚子は、時局を弁えずに放埓な作品を発表している草田男に対する監督責任について、蕪子から釘を刺されていることを、草田男の耳に入れる(田島和生『新興俳人の群像―「京大俳句」の光と影』思文閣出版、平成一七年)。前年に起こった京大俳句事件ののち、表現弾圧は「ホトトギス」陣営にも及んでいたのだ。

七月、先に引いた本句集序文にもあらわれる茅舎が逝去。草田男は茅舎を偲んだ句群「青露変」を「俳句研究」一〇月号に発表した。特高警察と関係し、京大俳句事件の黒幕ともなった蕪子は、「青露変」中の「汝等老いたり虹に頭あげぬ山羊なるか」などの数句を取り上げ、草田男を自由主義者として威嚇指弾した(掲句は時局に協調する「ホトトギス」の諸作家を「虹に頭あげぬ山羊」見たて、揶揄した句とされる)。これに同調する「ホトトギス」の諸作家からの弾圧はやまず、昭和一八年、草田男は「ホトトギス」への投句を中止する。

つまり『永き午前』は、同じく既刊二句集からの再録を含む第三句集『萬緑』と並んで、「ホトトギス」時代の草田男の句業を、本人の意図から外れる形ではあれ、俯瞰する一集となった、ということになる。



では、「ホトトギス」作家としての草田男の達成とは、どのようなものだろうか。一言でいえば、季題の用法の拡張、ということになる。

草田男の最初期の作品といえば、以下のようなものだ。

貝寄風に乗りて帰郷の船迅し 草田男『長子』時代
乙鳥はまぶしき鳥となりにけり 同
家を出て手を引かれたる祭かな 同


鬱屈を感じさせる部分はあるものの、おおむね平明で、のちの草田男を特徴づける文体の詰屈感もない。二句目、「まぶしき鳥」や「となる」という把握に主観の強さが窺われるが、「なりにけり」という下五の処理は、既存の俳句文体を踏襲したものだ。

草田男の作品の真髄といえば、やはりこのような句になるだろう。

蟾蜍長子家去る由もなし 『長子』時代
餅花や不幸に慣るゝこと勿れ 同
降る雪や明治は遠くなりにけり 同


「長子家去る由もなし」「不幸に慣るゝこと勿れ」「明治は遠くなりにけり」という傍白がそのまま一句の表現となり、季題と取り合わせられている。

「蟾蜍…」の句について、戦後の草田男に師事した鍵和田秞子がすぐれた鑑賞をしている。
〈蟾蜍長子家去る由もなし〉はヒキガエルを詠んでいる句ではなくて、「長子だから家を去る由もない」ということを詠むのにヒキガエルに象徴させている。そういうかたちで作っている。それにはヒキガエルなるものの本質を見抜いていないと使えない。そこで、季語の本質とは何かを考える。ヒキガエル、ガマガエルは足を踏ん張ったら動かない。出会うと人間の私のほうが逃げるんです。あのふてぶてしいヒキガエルの本性が分かっている人は、あのヒキガエルの中に昔の長男の姿を見る。長男たる者は家をしっかり受け継がなくてはいけないものだ。そういう感慨をヒキガエルに象徴させて作っているんです。
(櫂未知子・島田牙城編『第一句集を語る』、角川学芸出版、平成一七年、引用部は鍵和田と島田の対談中の鍵和田の発言)
このような俳句のありようは、既存の俳句表現には見られなかった。

ただし、「「長子だから家を去る由もない」ということを詠むのにヒキガエルに象徴させている」という鍵和田の謂いには、注意を払う必要がある。昭和一〇年代に入り、俳論の発表が増えた草田男は、「自然の生命」なるものと「我身の生命」なるものについて、このように書いている。
自然の生命を、素朴に我身の生命の上に、映し出そうとする態度、写生の道を欠くものは、それ以後の問題、作者の芸術的要素の多少などを論ずる資格がない。
(中村草田男「季題と写生」、「俳句研究」昭和一〇年一月号)
この文章が述べているのは、草田男の作品に鑑みる限り、季題と一句の主体の関係性ということになるだろう。「蟾蜍…」の句でいうところの、「蟾蜍」と「長子家去る由もなし」との関係性に当たる。鍵和田はこの関係性を「「長子家去る由もなし」を蟾蜍に象徴させている」としているが、「季題と写生」に従えば、「蟾蜍を「長子家去る由もなし」に映し出している」ということになる。「映し出す」という表現を「象徴させる」と同一視することの妥当性には検討の余地はあるが、少なくとも、「「長子だから家を去る由もない」ということを詠むのにヒキガエルに象徴させている」という捉え方を無条件で是とするわけにもゆくまい。

ここには草田男の「ホトトギス」作家としての自覚を垣間見ることができる。従来の花鳥諷詠の表現領域を逸脱しながらも、同時期に隆盛した新興俳句陣営の無季俳句には反対し、「ホトトギス」にとどまりつづけようとした草田男にとって、言ってみれば、「蟾蜍長子家去る由もなし」は花鳥諷詠の句だったのだろう。従来の有季の枠組みに身を置きつつ、その枠組みの拡張に成功した、それが「ホトトギス」作家としての草田男の達成なのだ。

「自然の生命を、素朴に我身の生命の上に、映し出」す句とは、前出の句のように内面が直截的に言語化したものばかりではない。

あかんぼの舌の強さや飛び飛ぶ雪 『火の島』時代
晩夏光バットの函に詩を誌す 同
萬緑の中や吾子の歯生え初むる 同


日々の哀歓と季題とが深く結びつき合った句だ。単線的な寓意に堕することのない季題の据わりように、草田男の技量を見て取ることができる。「吹雪」という既存の語を避けた「飛び飛ぶ雪」、草田男の造語である「晩夏光」、歳時記には登録されていなかった「萬緑」。こだわり抜いた言葉だ。

思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 『長子』時代
父となりしか蜥蜴とともに立ち止る 『火の島』時代
蝌蚪見れば孤児院思ふ性を棄てよ 同
瞬間は蜥蜴追想尾に在りて 同


一物仕立てか、それに近い形の句だ。「思ひ出」と「金魚」、「父」となった自分と「蜥蜴」、「蝌蚪」と「孤児院」への思い、「瞬間」「追想」と「蜥蜴」。人間の内面が季題と肉薄し、融合している。一句目、青がかった色をしているという読み方もできるが、「古色蒼然」という表現も透けている。思い出が古びるという感傷は、金魚という具体物と出会うことで俳句となり、また金魚という季題は、思い出が古びるという人間の内面と出会うことで、立体的な存在感を獲得した。

『永き午前』に収められている句は、有季俳句が人間の内面と遭遇したばかりのういういしさを放っている。そのういういしさが、この一集の最大の魅力だ。

(草田男の引用句はすべて『永き午前』収録句。また本稿の事実関係は、断りのない限り『中村草田男読本』所収の年譜(池上樵人編、『中村草田男全集』別巻(みすず書房、平成三年)の年譜の基礎にもなっている)に準拠した)

2017-05-28

俳句雑誌管見 破綻はあるけれど 堀下翔

俳句雑誌管見
破綻はあるけれど

堀下翔

初出:「里」二〇一五年七月号(転載に当って加筆修正)
初出時タイトルは「破綻を無視する」

「鏡」二〇一五年七月号に掲載されている羽田野令「翳り」十四句が面白かったので今回はこれについて書いてみる。たとえば一連はこの句から始まる。

渡廊下は涅槃図を出てからのこと  羽田野令

涅槃図のなかにはいろんなのがいる。羅漢だとかの仏弟子をはじめ、心を持たない動物たちまでもが来て、釈迦の入滅を悲しみ、今生の縁を結ぼうとする。釈迦が涅槃に入ろうとすると空の色が変わるので、それで事態を察した世界中の者たちが押し寄せるのである。だから涅槃図というのを見るとだいたいものすごい混みようである。よく見ると象なんかがいてのたうちまわったりもしている。そしてみんながみんな号泣しているので涅槃というのはある種とんでもない騒ぎだったのだろうなと思うのである。

掲句はその涅槃図から誰かが抜け出てきたという。空想的なことを書いているようだが、文字通り受け取ってみる。渡廊下は涅槃図が掛けられている寺あたりのそれだろうか。涅槃図目当てに観光客が来ている寺でもいいが、やはり、寺らしい、粛然とした空間を想像したい。涅槃図の中の喧騒を想像するにつけ、この渡廊下のしいんとした感じは際立ってくる。

ところでこの句の形はちょっと変だ。「渡廊下」を主語にし、そこに区別の助詞「は」を使う。だからこの句が話題にしているのは「渡廊下」である。単に涅槃図から誰かが渡廊下に出てきたというだけではないニュアンスがある。涅槃図を出る前から、その先にあるのは渡廊下であるとこの人は知っていて、目指していた。あるいは、渡廊下を去った後、涅槃図から現在までのみちゆきで最も印象深かったのは渡廊下であると考えている。いまいち読み切れないうらみはあるが、「渡廊下は涅槃図を出てからのこと」という表現を見る限り、ともかくも主題化しているのはなぜか渡廊下であり、文脈が見えないことによる不可思議な読み心地が、この句の魅力になっているのだ。

「こと」というのもヘンだ。「渡廊下」は名詞なので、これを受けるとすればふつう「もの」になる。「こと」というのは、なかなか説明しづらい概念だが、たとえば、出来事を受ける言葉である。そうなるとこの渡廊下は、単なる場所ではなく、何かの出来事の換喩として、この人に認識されていることになる。「渡廊下(で起こる/起こったこと)は涅槃図を出てからのこと」だとか、「渡廊下(でわたしが行う/行ったこと)は涅槃図を出てからのこと」だとかの省略と説明すると分かりやすいか。

とはいえ、そこまで生真面目に言葉を補う必要はないだろう。何の断りもなく「こと」と書かれている以上、この人にとっての渡廊下は、「もの」ではなく、疑いなく「こと」だったのだ。この句にはそのような不思議な把握の仕方が内面化しており、それを追体験すべく、想像力を駆使することが、読者の愉楽なのだ。

さて、さらに言うと、「こと」のあと、述語に相当する部分が欠落しているのも掲句の特徴だ。掲句が読み切れなくなっている原因はここにある。「こと(だろう)」なのか「こと(だった)」なのか、あるいはほかの何かなのか、時制がはっきりしないがために、句意があいまいになっているのだ。このあいまいさは、この一句が空想の産物であることと、表裏一体をなしている、

「翳り」の句の多くは、このように、意味を伝達するには表現が破綻しており、具体的な像を結ばない。

蒲公英の葉をぎざぎざと遡行する  同

蒲公英の葉はぎざぎざで、だからあの葉を遡行するとなれば、たしかにその遡行の様子は、副詞でいえば「ぎざぎざと」になるだろう。「葉」を修飾する慣用的な表現が、さりげなくずらされ、「遡行する」を修飾する副詞になっている。

「遡行」とは何だろう。文字通り、遡ることだけれど、これは基本的には、水の流れに対して使う言葉である。川を遡行する、とか。SF小説で「時間遡行」などということもあるが、これもやはり、時間を水流に譬えているのである。だから「蒲公英の葉」を「遡行」するというのは、日常の言語感覚とはズレている。

掲句の主語は何だろう。というか、具体的にどういうことを言っているのだろう。考えるほどに頭がこんがらがってしまう。

小さな虫が葉をちょこまかと登っている、という読みがまずひとつありえる。虫を擬人化しているきらいがあって、少し幼いが、そういう自然詠として受け取ることができる。この場合、「虫が」という主語が省略されていることになる。

だが、日本語が省略する主語といったら、何を置いても、わたしだ。だからこの句はもうひとつ、人間が蒲公英の葉を指先でもてあそぶ景と読むことができる。葉先から茎の方へさわることか、あるいはその逆かを「遡行」と言っているのである。この場合は「遡行」という表現に破綻があるが、詩的な破綻のうちだろう。人間の指にはごく小さい蒲公英の葉に対して「遡行」という大げさな言葉を持ち出すことで、葉にさわっている時間の長さもわかる。

他、同句群中には「天頂の翳りへ蝶を追ひつめる」「おとうとにあぢさゐの息濃かりけり」といった句も見ることができる。日常の言語感覚の破綻を逆手に取ることで微妙な気分を再現する句群といえようか。

2017-04-02

10句作品 篁 堀下翔


 篁   堀下 翔

おん背中墨つけ給ふ寝釈迦かな

涅槃図の諸貝に毛の描かれある

円丈に似たる兎や涅槃図に

雑魚居るや吹かるゝ如く春水に

宿の人靴下ぬれし紫木蓮

木蓮の鋭き蕾芽が噛める

沈丁とまんさく混じり青かりし

鯉食うて竹の秋とは川つめた

篁に蜂あつまりて濃うなりぬ

焚けのこりたる菜の花に露滂沱

2017-01-29

俳句雑誌管見 繋がり 堀下翔

俳句雑誌管見
繋がり

堀下翔

初出:「里」二〇一五年六月号(転載に当って加筆修正)

一句の中であるものとあるものとがゆるやかに繋がる。

雲は空はなれて秋の金魚かな 太田うさぎ

浦を咲く梅ある犬の屍かな 生駒大祐

共に「豆の木」二〇一五年五月号

太田の句は第二十回二十句競作豆の木賞を受けた「Cloudy」の第一句。意味内容としては「雲は空はなれ」ることと「秋の金魚」との二つに分かれているが、それが接続助詞「て」によって繋がっている。

「雲は空はなれて」というのは、簡単な言葉で書かれているが、実は難しい。雲が空以外のところへ行ってしまうことはあるだろうか。あとで「金魚」が出てくるので、そのイメージを借りるとすれば、雲がまるで金魚のように自由気ままに泳ぎはじめ、空の外、たとえば宇宙などへ行ってしまう、というのはアリかもしれない。けれど、突飛だし、ちょっと幼稚。

もっとシンプルに想像しよう。「金魚」のイメージを借りたのは悪くなかっただろうか。金魚のように流れる雲。

ある雲をずっと見ている。雲は流れている。「はなれ」てゆく一部始終を目撃したからには、少し早い雲だろうか。「雲」はやがてある方へ流れてゆき、視界から消える。掲句においては「空」としか書かれていないが、ほんとうは自分の視界に入っている部分的な「空」なのではないか。

で、「秋の金魚」だ。金魚の泳いでいる水が、「空」と並べられることで、雲のなくなった高い空とダブる。前半部分と後半部分はもともと何もかかわりのないことがらであった筈だが、「て」で一つになっている。両者が共有している、さっぱりとして、そしてまじりっけのない気分は、繋がることでいっそう強くなった。

受賞二十句にはこの連用的な繋がりが多い。〈固き桃手にとり雨の降りさうな〉もそうだ。この句、もっとばっさりと言葉を切り捨てることだってできた筈だ。たとえば、「固き桃」とだけ書いて、そのあとに雨の予感を取り合わせたとしても、読者は桃と雨のイメージの重なりを受け取ることができただろう。しかし太田は、ことさらに「手にとり」と書き、「固き桃」のあとでぶっつりと切ることを避けた。断絶感を感じさせないゆるやかな繋がりが、魅力を生んでいる。

生駒の句は連用形ではなく連体形で繋がっている。

「浦を咲く梅ある」ことと「犬の屍」とはほんらい関係がない。それを連体形で一つにしてしまった。さっきの太田の句とは異なり、はっきりと「ある」が「屍」に掛かっている。修飾、被修飾の関係に見える。

連体的な繋がりによって、二つのことがらは切っても切れない関係になる。それは、梅の咲く浦に犬の死骸があるといった程度の表面的な位置関係にはとどまらない。「浦を咲く梅ある」という事実自体が、「屍」を修飾しているのである。「浦を咲く梅ある」という空間は、ここで犬の死と同質になっている。連体的な繋がりが混沌としたイメージを作りだしている。

余談だが、掲句は「浦に」ではないのもにくい。「浦を咲く」だ。この「を」は、格助詞の「を」である。といっても、目的格ではない。いちおう経路の「を」と取ることができるだろう。「吹雪を来る」「街道を行く」というときの「を」。移動の動詞が来ることが多いので「咲く」なんて言われるとどきっとする。「に」だと、ある一点を指し示してそれきりの感があるが、「浦を咲く」だと、浦のいくらかの距離が見えくる。景の大きさが違うのである。

2017-01-01

俳句雑誌管見 飯田龍太の竹箒 堀下翔

俳句雑誌管見
飯田龍太の竹箒

堀下翔
初出:「里」2015.2(転載に当って加筆修正)

昨年の一一月、俳句仲間とともに山梨に行った。一泊二日の吟行合宿である。山梨といえば山盧がある。ふだんから開放されているところではないが、ご主人の飯田秀實さんのご厚意で案内していただけることになった。整理こそされているが蛇笏・龍太ゆかりの品々が今も残されている。

外へ出たところに竹箒が置いてある。秀實さんはそれを指して言う。「龍太が自分で編んだんです。これは八十代を過ぎて作ったものだから少し出来が悪い。昔は職人たちが欲しがるほどいいものを作っていました」。それからしばらくして、自由行動の時間になった。ふたたび箒を眺めていたら、そこへ同行の小野あらたがやってきて言った。「堀下君。ここに〈飯田龍太の竹箒〉というフレーズがあります。句会に出す句が足りなかったらこれに季語をつけて出してください」。この人はいつも悪い冗談を言う。

〈飯田龍太の竹箒〉にはきっとどんな季語だってついてしまうだろう。

秋晴や飯田龍太の竹箒
銀杏散る飯田龍太の竹箒

季節を変えてもいい。

涼しさや飯田龍太の竹箒

うん、そんなに悪くないかもしれない。でも、ご覧の通り、季語が動く。こんな風にいくつか並べるまでもなく、〈秋晴や飯田龍太の竹箒〉の一句を見るだけで、ああいかにも季語が動くな、というのは感ぜられる気もする。

季語が動く。主語が季語だからかは分からないけれど、その原因が季語ばかりにあると考えている人がたまにいる。これは季語が動く、だから季語を変えたほうがいいよ、と。違うんじゃないか。どんな季語であっても「飯田龍太の竹箒」についてしまうことの方が原因だ。もちろん季語のほうに原因があることもあるが、何でもつくフレーズというものがあるのだ。

あるいは、厳密に言うと、よほどいい句か、さもなくばよほど理屈っぽい句でないかぎり、季語が動かない句というのは幻想に近い。あまりに季語がぐらぐらな句でなくとも、最適解は複数ある。念のため言っておくが、それらはもちろん同じ句ではない。つまり、どの季語を取り合わせるかという点が一句のオリジナリティとなる。

書いていてずいぶんと当たり前のことを言っている気がしてきた。たぶん、ごく当たり前のことなのだろう。そんなことがなんとはなしに気になるのは、その季語が作者によって選ばれたということのかけがえのなさを思ったからである。

 挟まれてうつる写真や菊日和/大川ゆかり「沖」二〇一五年一月号

この句を持ってきたのには、あるいは、写真ということばへの同情がある。それは、失われるものを、失ったあとになって、どうにか部分的に取り戻す手段だ。

うつった、ではない。いまうつっているのでもよいし、現像されたものを見ているでもよい。写真自体が喪失を取り込んだ装置だから、かりにいまうつっているのであれ、写真となるだろうこの瞬間は、この瞬間にして、失われている。「挟まれてうつる写真や」と書きながら作者はそのさみしさを感じている。

菊日和、と書く。菊日和が選ばれる。われわれのもとにいま届いたこの句は、菊日和でしかありえないわけではない、という感じはする。がしかし、菊日和と作者は書いた。菊日和という季語からもたらされる豊かなイメージに言葉を尽くすことは誰にでもできるのでここではしない。

菊日和、と書く。ここには、どの言葉を選んでもいい、という自由がある。何かを書くことの自由のもとに何かが書かれている。一つでしかありえないわけではない、ということを保証するこの自由はひどくスリリングだ。自由に責任はつきもの、という優等生的言説がリアルに差し迫る。「挟まれてうつる写真や」と書きながら作者が感じたさびしさとの接点として「菊日和」は見出されている。そこには、なぜこの季語なのかという理屈以前の肌感覚がある。

2016-11-13

2016「角川俳句賞」落選展(第5室) 18.堀下 翔 19.前北かおる  20.宮城正勝  21.吉井 潤  22.Y音絵 23.北川美美

2016「角川俳句賞」落選展■第5室


18.堀下 翔 




19.前北かおる


  

20.宮城正勝 




21.吉井 潤 




22.Y音絵




23.北川美美
(2016/11/24 01:30追加)
18. 波の飛ぶ 堀下 翔

春の雲花入れし炉のつめたさに
宿出でて春の入江の横しぐれ
玄関に電話老いたり紫木蓮
大き花涅槃の海へ流れけり
浦みちに旅長じをる雪解かな
あかるみに椿の浮かぶ盥あり
夕東風や壺中に湧ける鯉の息
浜へ出て春の墓参の暑さかな
こぼれたる杏の花に影つのる
鱒二匹入れきしきしと魚籠鳴れり
花つけて樫の木の暮れ残らざる
本堂の闇漏れいづる桃の花
藤の花ひとすぢに吹き上げられし
葉まじりの桜へ波の飛びにけり
鮎季の峠に雲の浮き古りぬ
流さるる牡丹を音と聞きしのみ
桜木にうち捨ててある蛇の衣
冷えながら届く日差やあやめぐさ
蟻の穴川瀬に細りゐたりけり
夏菊をはなれぬ影が花桶に
涼しさや聞けば疎としてお念仏
橋かけて川のしたしさ夏の雨
蜘蛛の糸一本や灰びつしりと
あをあをと梯子透けたる竹簾
水遊するとき呼んで呉れしかな
夏桔梗兆すなりける水の音
平日は本を開かず白木槿
牽牛花開けば白きばかりなる
声しげく露の御寺をあゆみきし
萩焼けばあらはに炎かをりゐる
しじまなる糸瓜の水を取りにけり
日晒しにほとけを運ぶ通草かな
樅の木や月のまはりに夜の痩せて
水甕に喉元うつる榠樝の実
川すぢに吉備訪ひて秋みじかしよ
水くらくあをぞらうつす松ぼくり
この雲を峰とおもひし柿もみぢ
みづぐるま八手の花を流したる
楚々として日輪没す枯葎
はつ冬やいづみに出づる楓の根
くづれたる波より蜜柑あらはれし
山茶花に手をたまひあふ日暮かな
見えてゐるものの暗みに実千両
寒雁のうち出でたるは音たてて
茶の花へまなざし遠くしてをらる
雨がちにゆふべの来る蕪汁
手にしたる笹より雪の落ちにけり
ひとむらの山藤の葉の氷りゐぬ
雪うすく載せおしうつる瀬なりけり
来る舟に夜の先んずる霰かな



19 .応援歌 前北かおる

応援歌いまフィールドに水撒かれ
見せつけよ我らの起こす青嵐
円陣の笑ひ崩るる若葉かな
ゴールまで飛魚逃がすやうにして
サングラス小さくガッツポーズかな
新緑や短く鳴らすホイッスル
姫女菀試合に負けて帰るなり
えごの花テニス横目に入りつつ
昼顔や女連れなる草野球
刈り払ひ野にひと本のあやめ草
主なくて死ぬるものあり蜘蛛の網
葭切やベンチのやうな橋ありて
橋涼み産卵のさまつぶさに見
凪解けの風音澄むや青芒
篁に表門あり花紫蘭
夕涼や子を抱く同士庭先に
塀に抜く四ツ割菱や今年竹
茶畑や八高線の夕焼けて
踏切の真中西日を振り仰ぐ
夕陰に虞美人草の白さがす
月見草車道のほかは舗装せず
日輪のマーガレットに没さむと
身の内に試合の余韻髪洗ふ
青蔦や一階深く窪みをり
雲の峰乗り上げて家こぼつなる
豌豆を引くや園長園児どち
針金に丸太ン棒やポピー咲く
ガム嚙んでマーガレットの花に佇つ
じやがいもの花新築の壁汚し
柿若葉鞣したてなる艶をもて
みどり子を片手に抱へ夏来る
甲冑を鎧うて鴉若楓
軽暖のたつたか跳ぬるピアノかな
牡丹や一間づつの庭の畝
忍冬新道通さする気なく
冷やしうどん土間に履きもの散らかして
若楓石垣めかす護岸かな
万緑や丸裸なる鉄の橋
蘆原に固太りなる夏柳
黄菖蒲や干上がりて泥新しき
毛虫這ふむんごむんごと尺取りて
緑陰に絵本の家や扉をひらき
花浅沙水に倒るるまで吹かれ
ほたほたとものの絮浮く目高かな
店閉めて薔薇にかしづき奉る
裏庭の薔薇の溢るる小川かな
日焼して小さきピアス光らせて
タクシーもバスも大人し夏木立
田植どき水の緑の深まれば
乗り継ぎて茅花流しの野をさらに



20. 西日のできごと 宮城正勝

慶良間沖のたうつ孤独はたた神
漬茄子や今は昔の今朝のこと
夏燕やせ細りたる川しか知らず
押し黙り麦茶置く妻舌禍以後
梅雨寒や後期高齢という異界
終わりあるは慰め蝸牛も人間も
西日浴ぶ千年一日のとある日
息するも貧乏ゆすりも五月闇
見分けしは誰ならん茸と毒茸
県道の落石注意椎の花
砂利の道ここらで夕焼と別れんか
かぐや姫眠る夕焼けの乳母車
街中の陰を浚いて日の盛り
聖書はも文語がよろし籐寝椅子
緑陰に余生という語嘘くさし
蟷螂がどうしてここに夜のキッチン
いのち果て夏大根のごとくかな
人逝きて日盛りに靴あふれけり
酒瓶が西日に転がり逝きしとか
水を欲る汗をかかざる老いの腕
片陰を歩いてほととぎす学会へ
海上の道なつかしき浜防風
夕焼けを背の軒遊び亡びけり
鱧食うて後期高齢の志を果たす
梅雨寒や喪服連れ立ち朝の路地
夕焼けは切なし笛吹童子よぎる
手土産にメロンを買うも不戦の志
眼にて追う蟻の生老病死かな
惚けざるも不幸のひとつ百日紅
死はしつこしひとりのときの蜘蛛の糸
老いたれば海月となりぬアーケード
木のベンチに一息つきて夏送る
路地をゆく如才のなき一茶の忌
待たれたるたる死なり供花は夏の花
死者生者分かち麦茶置かれあり
棺はもいつも新し百日紅
夏菊に埋まりし死顔よく生きた
前のめりのひと日夏シャツ半乾き
誰も魚籠を覗くや西日の決まりこと
手酌の夜余震本震蚊を殺す
とある日の無為のただなか土用波
六月や生き残りしは佇めり
蜘蛛の網駐車禁止の更地かな
しじまあり灼くるつとめの石の上
これを食みしは今朝か昨日か干鱈食む
夕焼けや帰りなんいざサラリーマンへ
禁煙のただだだっ広き西日かな
夕焼けや海辺なれども心急き
みな背き冷酒ぬるくなるままに
自然死が近道ならん百日紅



21. 内海 吉井 潤

花時や七宝焼の耳飾り
花の雨大極殿の高御座
仄甘きビオフェルミンや春の水
春一番逆子くるりと宙返り
アルマイト弁当箱や風光る
差入の厚焼き卵弥生尽
裏店に光呼び込む藤の花
薬缶噴き始む草餅有難う
菜の花や末広がりの河川敷
歩毎に芦の角踏む木橋かな
春の海金平糖の波頭
水底は誰もが蒼き桜鯛
初夏の原稿用紙水浅葱
卯の花の中に廃家の柱かな
あぢさゐは水の気配のセルロイド
針箱の中の骨片五月闇
雨蛙背を撫でやれば眼とづ
驟雨来る股上辺りまで濡れぬ
哨舎にも虹の一色雨上がり
腹這ひて端居の人と笑ひけり
昨日よりけふを輪切りに夏来る
じゃんけんで負けて蝉食ふ黒ん坊
噴水は淡海に水を足しにけり
土用波ロールケーキに巻き始
みづうみを挟みて淡し遠花火
地拍子がほころび弛む残暑かな
蜩の崇福廃寺谷の奥
遠近にほこる溝萩隠れ里
方言「はびこる」
磐座を乱打する音野分かな
大花野布施をふるまふ伊吹山
町筋を抜くる秋燕店じまひ
こほろぎや寄木細工のオルゴール
月見亭へと蠟燭の道標
曳山の手拭貰ふ秋祭
白鳳の伽藍失ひ秋麗
騒めきが芦火を待つや闇の中
痩する牛秋耕終り返しけり
冬めくや袷の裾にしつけ糸
内海のどちらも故郷冬麗
密柑山西行庵を腹に乗す
焼き鳥のたれでくつつく丸い椅子
拳骨を突き上げ吼ゆる焚火歌
初飛行訓練場に降り然らぬ
地吹雪に電信柱鳴り止まず
黎明の水道橋や凍つる朝
寒釣の狂喜胸まで漬かりけり
河原の湯裸の横に薄氷
下萌や地下より響くサキソフォン
春寒し人事ひとごとなどと言ふ
逢坂や堰堤の花見ざるまま



22. 渦巻 Y音絵

空洞のやうな朝なり揚雲雀
松の幹を蹴つて雀や春嵐
吐きさうな朝を囀るばかりなる
糊白く厚く乾びぬ春休
しやぼん玉高速道路見えてをり
霾や働いてゐる救急車
花時の両目を入れて顕微鏡
ピンセット沈め消毒液朧
カーテンを見る酢もづくに箸つけて
朝寝ほどほどに躑躅を見に行く日
動物病院前の柳よ久々に
クレープワゴン 遠くに密に棚の藤
ごみ箱や茫と暮せば夏が来て
鯉幟ちやうどよく日の差し来たる
別々の葉や葉桜は葉を増して
明易の肘のひりひりしてゐたる
手鏡に前歯映りぬ麦の秋
梅雨晴や鋏開くに要る力
虹の近くに阿佐ヶ谷といふ駅が
ともだちのへんなをどりや夏薊
ぬばたまのジュース注ぎけり網戸して
テレビつけつぱなし真夏の動く月
噴水の止んでゐる間の嗅覚よ
薄く盛り上がる背中が空蝉に
したくちびるや夏の終りの貯水池の
親友はどの蜩を聞いてゐる
朝顔も褪せ初めにけり撮影す
かはいくてかたい箸置オクラの旬
サルビアもこどものこゑも疲れたる
稲妻や廊下てふ角ばつた管
どの色のグミも硬くて雨月なり
ふらふらする秋分の日の自室かな
虫の夜のアルコール綿汚しけり
涼しさよ海鮮丼の安き日の
花野ありはつきりと傾いてゐる
朝寒やはちみつといふむすびつき
水際に騒いでゐたり紅葉狩
林檎焼く間を鍵盤の浮き沈み
しぐるるや監視カメラを君は指し
雨粒は手袋に落ちバスが来る
牡蠣呑めばその流速を思ひけり
オリオン座歯の裏を言葉がまはる
白息や砂場に豹のゐてほしき
だるさうに君は笑むなり綿虫へ
枯蔦やおそく歩けば靴の照る
渦巻を描けば落ちつく霜夜なり
初夢のこと砂浜にすこし話す
雪の夜の君すこやかに勉強す
探梅の途中眠たき椅子ありぬ
からつぽの漁村のやうに日脚伸ぶ




23. 不在 北川美美

手は水を掬ひにゆきぬ麦の秋
しづかなるじやがいもの花日傾く
カーテンの襞のふくらむ青葉風
香水に紙縒りの先のひらきゆく
白日傘脚美しく迫りくる
開ききる薔薇の花びら崩さうか
欄干がくるぶし高や旱草
十八で離れし家に月夜かな
山の上より遠花火遠花火
子規の忌の紐引いて消す蛍光灯
ゆふべと同じ秋茜かもしれぬ
横たはる抗議の人や天の川
第三京浜より月離れゆく
旅客機の窓ごとに顔秋の暮
すでにある脚立と籠や林檎の木
馬の尾のほど美しき秋の風
寝返りを打つたび月の遠くなり
歯に当つる林檎や北の空低し
揺れ撓る大根の葉が荷台より
凩や狼祀る木の家に
東京に古きホテルや日記果つ
元日の門を開ければ前に犬
土塊は土塊を積み寒鴉
廃屋の氷柱を見せて信濃かな
アイゼンをつけるに作法ありにけり
雪掻きを了へたる軍手なのだらう
セーターを出て人の名を思ひ出す
雪原に人のかたちの窪みあり
鉛筆は兄の匂ひや春遅々と
春の水弾みて玉にならんとす
梅一輪つめたくなりし塩むすび
菜の花の暮れて人来る空地かな
口にせし芽吹くものみな土の味
永き日のコールタールを運びけり
きのふよりふくらむさくら遊ぶ鳥も
走ることすなはち桜吹雪かな
会議室仄暗くして桜見る
夜桜に背中を向けて座る席
花の雨あまたの円を描きけり
五月来て神様を描く七つの子
青杉にわれ隠れてや誰もゐず
茄子の花に黒き管ある夕かな
夜店にて星を忘れてをりにけり
Tシャツのかがめば伸びる背中かな
石段の先に湯殿や夏鶯
かち割りを頭叩いて食べにけり
昨日の蝿が部屋から出てゆかぬ
おのづから閉まる引戸や夏館
ハンカチの正方形となりしとき
夏の月うしろ歩きのさやうなら

2016-11-06

後記+プロフィール 498

後記 ● 堀下翔


先週に引き続き「学生特集」の後編をお送りします。二週にわたってお付き合いくださりありがとうございました。

ところで前後編ともに「私の好きな五句」という企画を展開していますが、趣旨を説明するのをうっかり忘れていました。趣旨と言っても、六名の執筆者の方には「テーマは指定しないので、好きな五句を挙げてください」というごくおおざっぱな説明をしたのみです(みなさん、無茶ぶりをしてすみません)。本特集を組むにあたって、いったいどんな記事を揃えたら〈学生〉の情況が見えてくるだろうかと考えたとき、真っ先に思いついたのがこの企画でした。

実はこれにはアイデアソースがあります。琉球大学俳句研究会が今年発行した作品集「a la carte」(創刊号)に収録されている座談会〈好きな俳句を語る〉がそれです。地元の公民館で同サークルが開いたトークイベントの記録なんですが、これが滅法面白い。四人のパネラーがそれぞれ十句ずつ、現役大学生から近代作家にいたるまでの句を縦横無尽に引用しているさまにドキドキさせられました。

こんな話、普段、しているだろうか。そんな思いが残りました。句会の場で出会った句を刹那的に語り合うことはあっても、家で読む雑誌・句集・評論の感想は、一人の胸の中にしまわれるばかり。ウェブマガジンやSNSを利用すれば情報発信がたやすいとはいえ、それをしている人はごくわずかです。ううん、知りたいぞ――「私の好きな五句」はそんな欲求から生まれました。

どんなものを読んで、どんなふうに考えているのか、個々人の思いや俳句観をできるだけ具体的に提示すること、それが「私の好きな五句」ひいては「学生特集」に通底するコンセプトです。



前編が公開されたあと、宮﨑莉々香がTwitterでこんなことを言っていました。「俳句甲子園を引退したら筆を置いていく人が大勢いる中で、同世代にこんなに(特に地方に)俳句の書き手がいることがわかったのがよかった」。少なくない人数が高校文芸の出身である僕たちの世代に共有されているある種の感覚として、〈書き続ける〉というものを挙げる人がいると思います。前号の後記の内容もまた、その感覚を前提にしている節があります。

とはいえ実際には、俳句へのスタンスなんて、人それぞれ。大学に入ってから書きはじめた人も多いというのは今更言うまでもないですし、高校文芸組も全員が全員〈書き続けている〉という思いを抱いているわけでもありません。そこには一人一人がいるだけです。

前号で恰好つけて書いた部分をもう一度貼っておきましょう。

僕はこの特集を、津々浦々に住む同世代たちのために届けたいと思います。いま、どこで、だれが、どんなことに興味を持っているのか、そんなものを映す鏡になればさいわいです。

no.498/2016-11-6 profile

■斉藤志歩 さいとう・しほ
東京大学4年生。2016年、第8回石田波郷新人賞。

■平井湊 ひらい・みなと
1994年生まれ。現上智大学文学部4年。開成高校在学中、第13~15回俳句甲子園に出場。現在は「群青」に所属。

■瀬名杏香 せな・きょうか
1997年北海道生まれ。東京女子大学一年生。

■三村凌霄 みむら・りょうしょう
1992年生。「銀化」同人、「群青」同人・編集長。東京大学文学部中国語中国文学専修課程四年。

■福井拓也 ふくい・たくや
1990年生れ。東京大学大学院博士課程に在籍。研究対象は久保田万太郎。「春燈」に所属。

■坂入菜月 さかいり・なづき
1996年生まれ。茨城県在住。白鴎大学在学。「里」同人。

■青本瑞季 あおもと・みずき1996年広島県生まれ。「里」「群青」同人。

■コロナ・エルジビエタ
1989年生まれ。ポーランド出身。ワルシャワ大学の日本学科卒業生。現在、東京大学の現代文芸論研究室に所属し、修士課程二年生。俳句の詩学と翻訳論を研究している。

■淺津大雅 あさづ・たいが
1996年生まれ。京都大学文学部3回生。関西俳句会「ふらここ」、京都大学創作サークル「名称未定」。twitter→@819tiger

■安里琉太 あさと・りゅうた
1994年生まれ。中原道夫、佐藤郁良に師事。「銀化」同人、「群青」副編集長。俳人協会、沖縄県俳句協会、琉球大学俳句研究会a la carteに会員として所属。受賞歴に、第十六回銀化新人賞、第二回俳句四季新人奨励賞ほか。現在、法政大学大学院に在学。

■青本柚紀 あおもと・ゆずき
1996年広島県生まれ。「里」「群青」同人。

■森優希乃 もり・ゆきの
1996年12月2日愛媛県松山市生まれ。福岡県福岡市在住。九州大学薬学部臨床薬学科二回生。「いつき組」所属。

■翁長徹 おなが・とおる
1996年沖縄県生まれ。琉球大学に在学中。琉球大学俳句研究会「a la carte」に所属。

■大橋佳歩 おおはし・かほ
1997年12月12日生まれ。愛知県在住。2016年「蒼穹」、「H9年度俳句会」入会。

■樫本由貴 かしもと・ゆき
1994年生まれ、広島市在住。広島大学三年生。広島大学俳句研究会代表。「小熊座」所属。

■小鳥遊栄樹 たかなし・えいき
1995年生まれ、沖縄出身。「若太陽」「ふらここ」「鯱の会」所属、「群青」同人。「里」副編集長。

■川村貴子 かわむら・たかこ
1997年生まれ、高知県出身、高知大学二年。「蝶」同人。

■成影力 なるかげ・りき
1996年生。兵庫県出身。神戸大学工学部二回生。胃が頑丈。

■堀下翔 ほりした・かける
1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。筑波大学に在学中。

リアルでガチな学生俳句の世界 樫本由貴×小鳥遊栄樹×川村貴子×堀下翔

リアルでガチな学生俳句の世界 

樫本由貴×小鳥遊栄樹×川村貴子×堀下翔


座談会は二〇一六年一〇月一六日、Skypeのチャット機能を利用して収録された。

堀下:では改めまして、そろそろ始めたいと思います。今日は朝早くから集合してくださりありがとうございます。「週刊俳句」で学生特集をやらせてもらえるということで、僕が各地の学生に原稿依頼をしているところですが、この座談会はその企画のひとつです。各地方で書いている学生であつまって、近況を交流したりなんだりしたいと思います。

樫本:じゃあ私から自己紹介を。樫本由貴といいます。一九九四年生まれ、広島市在住。広島大学三年生です。所属結社は「小熊座」。今年の二月から書かせていただいています。俳句を始めたきっかけは高校二年生の時、第十四回俳句甲子園に出場するためでした。あと、広島大学俳句研究会の代表です! よろしくお願いします。

小鳥遊:小鳥遊栄樹です。一九九五年生まれ、沖縄県出身、現在は大阪府で通信制の大学に籍を置きつつフリーターをしています。「里」と「群青」、それから関西学生俳句会「ふらここ」に所属しています。高校三年生の時に俳句甲子園の人数合わせに誘われたのが俳句を始めるきっかけでした。よろしくお願いします。

川村:川村貴子といいます。一九九七年生まれ、高知県出身、高知大学二年です。俳誌「蝶」の同人をしています。高校一年生のときに、俳句をしていた同級生の宮﨑玲奈(現:宮﨑莉々香)さんから、俳句甲子園に出ないかと誘われて、俳句を始めました。大学に入ってからは、四万十で「かっぱ句会」を立ち上げました。よろしくお願いします。

堀下:面識のある方もない方もおられますが、せっかくなのでここで仲良くなっていってください(笑)で、司会は堀下翔です。一九九五年生まれで筑波大学の三年生です。やっぱり僕も俳句甲子園組で、高校時代に小鳥遊さんとは会っています。高校二年生のときに「里」に入って、そのあと「群青」が三年生の時に出来たので、安里琉太に誘われて入りました。大学のサークルとしては東大俳句会に顔をだしていまして、でも茨城で句会をやりたいと思い、玉城涼と一緒に筑波大学俳句会を立ち上げて、なんとか月例会を続けられるくらいでやっています。

○どうして俳句を続けているか

堀下:みなさんとりあえずは俳句甲子園が出発だと思いますが、当時のこと、出場のきっかけ、なぜ今も続けているかなども含めて思い出話をおねがいします。

樫本:げ~十七歳のころとか。もう六年くらい前のことですかね、東日本大震災の年だったはずです。それで、俳句甲子園の地方予選が投句審査だけになったので、チャンスとばかりに出場を決めたわけです。その前年から顧問だった恩師がずっと俳句甲子園出場させてきていた先生だったので。なぜ今も続けているかって言ったらその時の不完全燃焼が続いてるからだと思います。NHKの取材が私の高校、というか私に密着したんですよ。震災の年に、ヒロシマにすんで、初出場の女子高生、はとてもいい被写体ですから。

堀下:NHKは毎年数名の高校生に密着取材しますね。

樫本:私の時は原爆俳句や震災句を要求されましたが結局作れず、同級生だった部長に迷惑をかけました。そのときから「要求されている原爆俳句」と「書きたい原爆俳句」の齟齬と自分の持ってる力の及ばなさが引っかかっていて(というとかっこいいけど悔しかっただけです。大人に言われるままのものを書くうすら寒さとか)今も続けてます。青いな~~~~~(笑)

堀下:そんな事情だったとは知りませんでした。そんな話、普段しないでしょう。

樫本:ダサいからね。こういうものすごく社会的な動機でものを書いてる人を見たら引きませんか?

川村: 私は普段、社会的な俳句をほとんど作りませんが、高知の句会でも八月になるとよく戦争の句を見かけます。原爆を知らない世代が、体験した世代から受け継ぐ文化の意味は大きいと思います。

小鳥遊:「要求されてる俳句」と「自分の詠みたい俳句」が違うって共感できるところがあります。僕も社会的な俳句はほとんど詠みませんが引いたりとか別にそういうのはないですね。

樫本:わ~よかった。

堀下:「小熊座」読みましたよ。〈ひろびろと泉のほとり原爆以後〉(二〇一六・八)。

樫本:予習されてて怖い……。

堀下:じゃあ小鳥遊さんのお話を伺いましょうか。

小鳥遊:僕の場合は、震災で俳句甲子園の地方予選が投句だけになった年に先輩方が上がれずにそのまま引退しまして。部員が三人になったところを小学校から一緒だった部長に「愛媛に行けば蛇口からポンジュースが飲める」と誘われて俳句を始めました。松山のタクシーの運転手に聞いたら、そんなことはないと言われたのを覚えています。夢が砕け散りました。高校生の頃は俳句甲子園OBの本木隼人さんに俳句を教わっていました。

樫本:きっかけ自体はよくあるパターンのやつですね。蛇口から……ではありませんが、ポンジュースが飲み放題というのは私も当時言われました。

川村:私も俳句甲子園でたら飲み放題だと言って友達を誘った記憶があります。

小鳥遊:何故今も続けているかというと、やめるほどでもなかったっていうのが一番しっくりきますね。僕の場合は進学で関西に出てきて「ふらここ」に入ったので、続ける場がないとかであまり悩まずに自然に俳句を続けられました。

樫本:やめるほどでもなかった、というのは私も同感です。続ける場があるのは関西のいいところですね。広島は結構苦労しています。

川村:私の場合は、高校時代お世話になった俳人の皆さんに支えられてなんとか続けています。小鳥遊さんのように、場所を移っても俳句に関わり続けるのはすごいことだなと思います。

樫本:えーきさん、私の中では関西に出てからも俳句一筋って感じ。ふつうはわき目とか浮気とか、他に興味が出てきちゃいそうですが。

小鳥遊:浮気というかなんというか、神戸大学短歌会に所属して短歌も少しだけ齧っていたりします。

堀下:川村さんは俳句甲子園に出たあと地元の「蝶」で続けてますよね。「蝶」に入った経緯などはどうなんでしょう。

川村:高校時代に指導してくださった味元昭次先生が「蝶」の代表で、同人になる前から何度か俳句を掲載していただいていました。大学に入ってすぐに、先生に入らないかとお誘いを受け、そのまま入らせていただいたという感じです。

堀下:自然な流れだったんですね。結社の定例句会とかには行ってるんですか。

川村:年に一度の大会には参加させていただいています。あとは、味元主宰の、月に一度開かれる兎鹿野(とがの)句会に参加しています。

堀下:なるほど。樫本さんは「小熊座」ですけれど、小熊座って宮城の結社じゃないですか。なんでまた広島の人が入ったんですか。

樫本:俳句甲子園や全国高校生文芸コンクールで高野ムツオの存在は知ってました。『萬の翅』が出て、「車にも仰臥という死春の月」をみて、高野ムツオという人間ほど土地と土地にかかる圧倒的なイメージを考え続ける人はいないだろうなと思って。去年の十月に夏井いつきの俳句のイベントが松山であった時にお会いして、ぜひともとご挨拶しました。あとこれは裏の理由第一位ですが顔が好みです。

小鳥遊:裏の理由(笑)

樫本: 大事ですよwww 自分で選んで入ったので、句会とかにはいけませんがよかったと思っています。今の「小熊座」ほど震災句を書き続けている雑誌はないですから。

小鳥遊:僕は十八歳の時に、毎年一月に行われる「里」の寒稽古に参加して、その時に「里」にも「群青」にも所属されている櫂未知子さんと仲寒蝉さんにお誘いを受けて入会することにしました。

堀下:あ、同時入会だったんですね。「里」は関西の句会多いですが、通ってますか。

小鳥遊:関西で開かれている月例の句会は三つですが、アルバイトが休みのタイミングでしか参加できていません……。なかなか土日に休みがとりづらく……悔しい……。

○平成九年度俳句会とは?

樫本:これからの学生界隈は「平成九年度俳句会」のメンバーがどうするかだと思うけどね。

堀下:でた、「平成九年度俳句会」。

樫本:出さないとダメでしょwww

小鳥遊:めちゃくちゃおもろいのに外部に全然出回らないからなぁ……。もったいない。

堀下:浪人生の上川拓真や早稲田の青山ゆりえあたりが全国の同年度生まれに声を掛けて作った集団で、季刊で会誌を出していますが、閲覧を会員に限定した同人誌ということで、外部の人に全く行き渡らず、知る人ぞ知る、という感じになっています。

小鳥遊:もったいない。

樫本:「平成九年度俳句会」は年始にまとめ号が出るらしくて、それは外部も購入可能なようです。ここの功績は地方に散らばった学生をほぼ網羅しているところだと思います。若手が多いと言われてる「里」や「群青」でもまだ地域には偏りがあります。「どこに誰がいるの?!」という、黒岩徳将一人だけが解決しようと奮闘してきた大問題(堀下註:「いつき組」の黒岩は高校生・大学生の動向にやたら詳しい)をアッサリ……SNS世代を感じます。ダメなところは何やってるかわからないところ。

川村:最近Twitterで存在を知りましたが、確かに部外者からすると活動内容は見えてこないですね。

堀下:会員制でやるならそれでいいと思うんですが、出し惜しみする割にTwitterで「締め切りだ~」とか「入稿しました」とか盛り上がってるので外野がウズウズするんです。

小鳥遊:今までの学生俳人って、結社や同人誌、進学先、例えば広島なら広島大学俳句研究会、関西なら関西俳句会「ふらここ」、沖縄なら琉球大学俳句研究会「a la carte」、関東なら各大学の俳句会にそのまま入会するのが普通だったと思うんですが、H9俳句会って同期で集まって立ち上げた会だから、直接会って句会するのは難しいかもしれないけど、全国にいる自分と同年代の俳人の俳句が読めるんですよね。それってすごい大きいことだと思うし、なんなら僕の代にも欲しいくらい。

樫本:新しい集まり方を提供したのは革新的だと思いますよ。

堀下:気安い仲間の中で年に四回も会誌を出すとなると、内部で充足して、他のコミュニティとの交流に興味が向かないのでは、という気はします。

樫本:編集長(青山ゆりえ)は外に出したいみたいだもんね。広島大にも「平成九年度俳句会」の子がいるのでいろんな情報教えてくれます。載せられる人の俳句だけでも公式Twitterアカウントでちょっと出せばいいのにね。

堀下:中の人に聞いてみると、なかなか足並みがそろわないそうです。

樫本:人数いるとそういう問題が起きるんだよねえ。

堀下:新人賞に出したいから作品は未発表にしておきたいけど、こういう集まりには協力したい、そういう声があって「外部には見せない紙媒体」というちょっと珍しい形になったとか。新人賞に出そうという人が何を甘ったれたことを言っているのかと思いましたが。

小鳥遊:多作多捨や。

樫本:多作多捨俳人こわ……。全学年が分かる機関紙みたいなのもあるといいですね。

堀下:短歌の方だと合同合宿が機能していて、年に二回くらい、学生が学年を問わず結集しているみたいですね。俳句にも合宿とか年刊の会誌みたいなのがあると面白そうです。

○かっぱ句会

堀下:川村さんがやっておられる「かっぱ句会」のお話を伺いたいです。

川村:兎鹿野句会では、俳句だけではなく、昭和を生き抜いてこられた七〇、八〇代の方々からたくさんのことを教わります。こういう世代間コミュニケーションがもっと多くのシニアや若者の間で活発になれば、地域で生きる人たちの心がより豊かになるんじゃないか、そういう活動をしてみたいと、大学入学後より漠然と考えてはいました。 今年八月、四万十町にある海洋堂・かっぱ館の隣に、かっぱ館の宮脇館長が、茅葺屋根の古民家を造られました。宮脇館長に、その古民家で世代間交流を行える句会を開催したいと相談したところ、ご快諾いただき、俳句の先生や海洋堂のスタッフの方々にもご協力いただきながら、九月二十五日に三十三人が参加するかっぱ句会を実施することができました。このかっぱ句会を実施して、小学生から八十八歳までの世代の人たちが揃って俳句を楽しみながら交流ができると実感できました。

樫本:館長の方とはもともとお知り合いだったんですか?

川村:館長とは、母が仕事で付き合いがあって、紹介してもらいました。

樫本:なるほど。

川村:今回のやり方で継続するだけでは参加者が熟練の俳人に偏っていくかもとも感じています。NHKの学生俳句チャンピオンのようにエンターテイメント性なども取り入れて、俳句に興味のない若い人たちでも興味を持ってくれるような仕掛けが必要だという気もしますが、そうすると今後はシニアの参加が厳しくなる。そのあたりのバランスを考えつつ、今後、大学で協力者を募りながら、高知だからこそできる新しい俳句交流のスタイルを模索している段階です。

樫本:地域での自分の役割は私も思うところがあります 世代間の交流なんか特に。原爆体験の継承の問題がありますから……。広島で一番長く続いていた「火皿」という詩の雑誌に入っていたのですが、世代間の「原爆体験」にはもちろん齟齬があって、その中で私の詩や俳句は、若手が原爆体験を書いたという事実、あるいは「原爆」という文字が入っていること、それだけで評価されてしまうんですよね。地域活性化のための句座と、詩歌のレベルアップの場を両立させていくのは難しい問題だなあと痛感しています。川村さんとしては今後何を一番にかっぱ句会やりたいですか。

川村:そうですね。まずは、俳句に興味がない若い人たちに俳句に触れてもらう場としてかっぱ句会を行いたいと思っています。

樫本:一人で大勢のおじいちゃんおばあちゃんの期待の目にさらされるのはしんどいものがありますからね(笑)

川村:高知は、昔は文芸が盛んだったのですが、今は漫画やサブカルチャー寄りになってしまっています。若い人が俳句、あるいは文学というジャンルを前にしたとき、とても敬遠している気がします。なので、フィギュアを取り扱う海洋堂と協力したのは若手をターゲットとしたときに大きい意味を持つと考えています。

樫本:そうか、海洋堂ってフィギュアの!

川村:今回のかっぱ句会でも、参加賞に岡本太郎のフィギュア、特選句と高得点句にレアフィギュアを館長がご用意くださっていて、とても反響がありました。

樫本:カルチャー教室になっていきそう。でも地方はそういうのからスタートしてまず人口増やさないと話になりませんもんね。「火皿」も歴史ある詩誌でしたが高齢化で今年廃刊します。

川村:理想は、一方的なカルチャー教室というよりはサブカルな句を作る若者と伝統的な句を創るシニアの間の対等な交流の場を作ろうと思っています。

堀下:小鳥遊さんのいる関西はそういった若手の不在はなさそうですが、逆に年配層との交流はどれくらいあるのでしょうか。

小鳥遊:「ふらここ」の場合はほとんど学生や若手だけで句会をしていますね。関西現代俳句協会や「里」などの句会に行くと年配層と交流がありますが。

堀下:「ふらここ」の定例句会ですと学生はどれくらい集まりますか。

小鳥遊: 多い時で八・九人くらいかなぁ……。定例会以外だと、僕や黒岩さんは関西の結社句会に参加しています。「青垣」、「南風」、「秋草」、「船団」など、バイトの休みに合わせて。黒岩さんはこれプラス「街」(関東)と「火星」かな。

樫本: ひえ~さすが。私はメール句会が精いっぱいで(笑)

小鳥遊: あとは毎月第一土曜に「銀化」の小池康生さんが主催されている枚岡句会にも参加させていただいてます。 関西・関東はほんとに句会がたくさんありますね。沖縄では考えられないです。

堀下:だんだん地方の様子が見えてきました(笑) ちなみに東京は東大と早稲田がインカレで学生を吸収している他、現代俳句協会の勉強会や本の出版記念イベントなど、句会以外の集まりも多いです。

川村:いいですね……。

堀下:一方、そうした距離を超えて、いまはSNSがありますし、俳句甲子園の手伝いや「学生俳句チャンピオン」の収録など、大人数が集結するイベントも多くて、地方を問わない同世代意識みたいなものもあるんじゃないかと思うんですが、その辺どうですか。

樫本:私の同世代(平成六年度)は平井湊、宇野究、小鳥遊栄樹、工藤玲音と力のある学生がいます イベントがなかったら出会いませんでしたし、SNSで彼らの活動がより目に見える形になりました。

小鳥遊:SNSでのつながりが年々濃くなっているように感じます。俳句甲子園に観戦に行けばオフ会みたいなことになったりもします。インターネット上で簡単に句合わせや句会ができたりするのもとてもいいと思いますが、マナーやモラルが若干心配なところもちらほら……。

樫本:ネットマナーについて同感です。私も時々参加してしまいますが、若手はTwitterで論議をしがちですよね。

堀下:このあいだは「週刊俳句」コメント欄からBL俳句に対する問題提起が起って、それがTwitterに飛び火しましたが、そもそもが「週刊俳句」の記事から始まった話だと知らないで論争に参加していた人を数名見かけました。

川村:今、IoTが一般化していますが、その技術で今日のような座談会も実現しています。全てのものがどこにいても誰とでもつながる時代。そういう考え、技術が俳句の新たな世界でも活かされるべきだと思っています。言うなれば、オープンカルチャー?(笑) 玄人も初心者も同じネットワーク内でつながることで新しいものを生み出していく、それが地域の力にもなればと思っています。

堀下:あ、そうですね、ネットの便利さを享受しているのは若い人だけではないですね。

小鳥遊:最近では句会でご一緒する年配の方々ともTwitterでつながれるし。

○気になる学生は

樫本:座談会はこの四人ですが、みなさんの気になってる学生を知りたいですね。

小鳥遊:そうですね、今年ふらここに入会した名古屋高校OBの柴田健くん、松山西OGの大瀬戸絢子さん、あとは徳山OGの野名紅里・美咲姉妹あたりが面白いかなと思ってます。全員「平成九年度俳句会」に在籍していて、ええと、どうしよう、句の引用ができない……(笑)

樫本:関係者見てるか! これだよ! これ!

堀下:だからH9はさっさと本出せって……。

小鳥遊:もう少し僕たちに近い学年のところでいえば愛大俳句会の羽倉拓摩くんとか脇坂拓海くんとかも面白い俳句を詠むと思います。あと一押しは京都の淺津大雅。

樫本:愛大は外せませんね、たしかに。脇坂くんは句が面白い。九州には森優希乃と山崎七海がいます。山崎七海はぱっとでてきてパッと消えるんですよ。このあいだ関西現代俳句協会青年部のホームページに出していた「羽もたぬ背」(http://www.kangempai.jp/seinenbu/haiku/2016/08yamazaki.html)とかね。作品だけ出して(笑)

川村:森優希乃さんは、俳句甲子園の同じ時期に出場して以来、とても気になっています。〈鰐の背にたまつてをりし冬の水〉(第十六回神奈川大学全国高校生俳句大賞)は衝撃的でしたね。また彼女の鋭い観察眼の句が読みたいです。

堀下:和歌山の辻本鷹之はしばらく名前を見ませんでしたが、今年に入ってまた「銀化」に出しているようです。〈天球にさくらのはじめをはりかな〉(「銀化」二〇一六・七)。

小鳥遊:辻本君は学校が忙しそうだもんね…

堀下:同じく「銀化」の学生では永山智郎がこのあいだ巻頭をとったりしていて外せません。これはその時の句ではないんですが、〈流れざる星空に春尽きにけり〉(「銀化」二〇一六・七)という近作が好きで、よく口ずさんでいます。この他、東京では「狩」の川島ひろの〈蟬時雨父の書斎に本を借り〉(二〇一六・十)や「海程」の六本木いつき〈噴水よ僕は子どもでオオカミで〉(二〇一六・十)も好きです。

樫本:「海程」にも若手が……。

堀下:「海程」には、もう大学は卒業しちゃいましたけど早稲田俳研の伝説的なOB高田獄舎もいます。〈貧乏は巨大な島のごとく 夏〉(二〇一六・十)。この人も少し前に巻頭を取っていました。

小鳥遊::獄舎さんはネットプリント「東京愚輪」がすごかったですね。沖縄は浦添OGの西原ゆうきさん、首里OGの福村みなみさんなどが頑張っています。二人とも沖縄国際大学の俳句サークルに所属しています。あとは浦添OBの吉田たくまが、沖縄で高校を卒業しても俳句を続けてる人たちを集めて同人誌のようなものを作りたいと言っていて、ちょっと期待しています。

堀下:「樹氷」の工藤玲音は学生ながらファンも付くくらいに注目されています。

川村:私も玲音さんのファンの一人です(笑) ツイッターでは私生活の一部のように短歌や俳句も呟かれていますから、こちら側が文芸を文芸と構えることなく読めるところが素敵です。

樫本:俳句というもののイメージを一新する存在だと思います。現代的で、あかるく、コミュニケーション力があって、どんな人にも「俳句」っていう文芸ジャンルを広められるキャラクターを持ってる。

小鳥遊:お会いしたことはないんですが、周りの先輩も同期も後輩もいい人だって言ってるし、俳句も短歌も面白いと思います。個人的にはツイッターがキラキラしすぎてて勝手に苦手意識を持っていますが……(ごめんなさい)。

堀下:平井湊と〈港は雨〉というネットプリントを出していましたが、俳句が載っていなかったので賛否両論を呼びました。総合誌や新聞の露出度でいうと学生トップなんですが、「樹氷」(隔月)の方を見ると欠詠ばかりなので「俳句を読ませてくれ~」と思っています。

樫本:「スピカ」の連載は読みましたか? 本人にも自覚があるようですが、〈芍薬は号泣をするやうに散る〉(二〇一六・六・一)のように比喩表現の一手に頼りがちで、気になりました。それは短歌にも現れてます。〈いちご縦に切った断面ぬれていてちいさな炎の模様 せつない〉(ネットプリント「ひかりに満ちる生米」)。

小鳥遊:今座談会の傍らで連載を読んでいて〈比喩に飽きここにゆらせばゆれるゼリー〉(二〇一六・六・一四)に行き当たりました。個人的には〈受話器から耳に降る東京の梅雨〉(二〇一六・六・一八)が一番好きかな。

川村:確かに比喩表現の句が多い印象はありますね。でも、〈春風みたいにしますねと美容師笑ふ〉(「週刊俳句」二〇一六・四・一七)、〈ライバルに会ひ夏風邪を移された〉(「スピカ」二〇一六・六・四)……こういった生活を切り取った句は、十七音を短歌の流れるような心地よさで彼女の世界観にしていてとても好きです。

樫本::彼女の句から、はずっと神野紗希と似ている印象を受けます。神野紗希〈書き置きのメモが落ち葉の光り方〉〈はつなつの音符のような寝癖かな〉(「俳句あるふぁ」二〇一六・四-五)と工藤玲音〈あぢさゐや忘却は巨大なひかり〉(「スピカ」二〇一六・六・.二四)、それから神野紗希〈咲きたてのポピーしわしわ風の中〉(同前)と工藤玲音〈島民を乗せて彼岸の船つやつや〉(「週刊俳句」二〇一六・四・一七)。うまく言えないんだけど、神野紗希が示した表現や感性の領域を越えられてないような……。

堀下:面白い指摘です。こういうふうに同世代で批評しあいたいですね。アクセスしやすい作品が増えると批評も成り立ってきます。このあいだは大塚凱も総合誌に出ていました。

○最近の興味

堀下:これまで同世代の話をしてきましたが、目を移して、上の世代ではどんな人に興味がありますか。最近読んだ句集とか……。

川村:最近だと藺草慶子さんの『櫻翳』です。まず、印象強かったのがこの二句。〈いづこへもいのちつらなる冬泉〉〈一対のものみないとし冬籠〉……泉は命の源を湧き出し続けます。命があちこちで動き回る季節には見過ごしてしまいますが、厳冬、命の動きが止まった時に、その存在に気付く。そして泉は命が爆発する春に備えて、冬の間も沸き続ける。この一句の完成度の高さに感動しました。後者の句、一対のものはどことなく安心感があります。耳、目、手足など。温かな土の中で様々な生き物が一対の体の部位を慈しむように折りたたみ春を待つ景が愛おしく見えてきます。

堀下:実は僕も最近の句集では『櫻翳』(二〇一五)にいちばん驚きました。

川村:前述の二句は前向きな句のイメージがありますが、次の二句には美しさの後ろにある闇に心が惹きつけられました。〈その翳の匂ひなりけり藤の花〉〈白靴や奈落といふは風の音〉。藤の翳が匂うとは! サラサラと揺れる藤の花房の一つ一つが、六条の御息所のような女性を想像させて、翳の香りに絡み取られる様な感覚に落ち入ります。後者、白靴、と言われて自分の足元を見る。すると、目下には真っ暗な奈落があって風だけがそよいでいる。一瞬で景が浮かぶと同時に、得体の知れない闇に対峙したような気持ちになりました。

堀下:日本の古典美を思わせたり、伝統俳句の上質な写生句を思わせたり、かと思えば川村さんが初めに挙げた二句のように、抽象性が高かったり、いろんな句が入っている句集だと思います。

川村:ライトな句もありますね。〈着ぶくれて監視カメラの街歩く〉。たくさん着込んで、その内側に良からぬものや気持ちを隠し置く。そうして、いつでもどこでも見張っている監視カメラに挑むようにして歩く。句から見える作者の悪戯心が他の句とはテイストが違っていて新鮮でした。〈沈まむとしてまろまろと海月の子〉は、「まろまろ」ってオノマトペ、良くないですか! 海月の子が一生懸命沈もうとする姿がとってもキュート。

樫本:私は池田澄子の『思ってます』(二〇一六)ですね。もともと、作者の伸びやかで時折ドキッとするような指摘のある句風は大好きだったので。例えば〈アマリリスあしたあたしは雨でも行く〉〈水羊羹そちらむかぬはNO!ってこと〉なんかは、ぱっと目を引きます。少女らしさを存分に、表現に挑戦するという意味でも、無邪気で何物も恐れまいとするまなざしを感じます。「泣くときの唇伸びて月夜かな」「春昼の鯉の機嫌の泥けむり」「口のなか涼しく欠伸はじまりぬ」などの句は、発見と季語の調和が優しい。一句目の「伸びて」の観察の確かさ。二句目の「機嫌の泥けむり」の「の」は普通だったら「や」にしちゃうかもしれないんだけど実際か本当に「の」が正しいですよね。三句目はひらがなの配置のうまさ。たまらないです」

川村:アマリリスの句、アマリリス・あした・あたし・雨という連続したア音が意図的に、でもいやらしくなく入っていることで、無邪気な少女が見えてきて良いなーと思います。

堀下:池田さんが言葉の細部にどういう気の遣い方をしているのかよく分かる句集になっていました。

樫本:〈春寒の灯を消す思ってます思ってます〉や〈缶詰の鯖の辛抱あすは秋〉などは震災詠でしょうか、でもそれ以外の文脈でも立ち上がります。後者、貧困にあえぐ現代の若者の感じを受けました。こんなふうにどのような文脈ででも成立するよさ。何というか、救われますね。

小鳥遊:僕は藤井あかりさんの『封緘』(二〇一五)です。

堀下:ああ、『封緘』もよかった。

小鳥遊:肩に力の入っていない、ゆったりした作風が読んでいて心地よかったです。〈自転車の人くぐり来し桐一葉〉〈坂の上に秋夕焼の始まりぬ〉秋の章の冒頭の二句ですが、言っていることはほんとになんでもないんですよね。自転車に乗った人が桐一葉をくぐっている景や、坂の上から見える秋夕焼、どれも自然な景で難しいことは言ってないんですよね。でも句にゆとり、想像する余地がたくさん残っていて。

堀下:藤井さんは独特の余白の取り方をしますよね。

小鳥遊:勝手な想像なんですが、一句目の自転車は多分銀色のママチャリで籠に鞄が乗っていたりして。二句目は部活帰りの少年たちが坂の上に見える秋夕焼に向かって帰っていくような感じ。想像する余地がたくさんある句って、読んでいて楽しいですね。比喩の句も面白いんですよ。〈蝶々のつぐなふごとし草の花〉〈彫るごとく柿剝いてゐる漢かな〉。一句目、草の花から草の花をよろよろと飛び移る蝶、蝶が花へ俯きがちに留まる様子は言われてみれば確かに償っているように見えますよね。二句目、黙々と柿を剝いている漢を、彫ると言うことで、なんでもない柿を剥いている様子に臨場感や緊張感、漢の真剣な顔までが見えてくるように感じます。前述の二句は広くふんわり景が見えてくるような句、この二句は句材に焦点が絞られてはっきり景が見えてくるような句に感じます。

堀下:なるほど。みなさんの関心が分かって興味深いです。ここで言い尽くせなかった分はそのうちSkypeで読書会を開いて消化しましょう(笑) 本日は長時間にわたってありがとうございました。

2016-10-30

後記+プロフィール 497

後記 ● 堀下翔


「週刊俳句」ではこれまでいくつものプロデュース号が展開されてきましたが、今回は〈学生特集〉という大きな括りでお送りします。学部生、それに準ずる年齢の社会人、学部生のコミュニティに顔を出している院生(修士課程・博士課程)を視野に入れ、僕が面白いと感じている書き手にどんどん声を掛けました。もともと「筑波大学俳句会特集」をやらないかというお誘いだったのですが、いやいやいや、面白い学生は日本中あちこちにいますから――ということで、こんな大風呂敷を広げた次第です。ボリュームを欲張りすぎた結果、掲載は二週にわたることとなりました。次週(11/6)も今回とほぼ同じ規模でお届けします。

こんなに甘やかされて若手は大丈夫なのだろうかと僕自身少し心配なのですが、いい機会なので、たくさんの書き手に登場してもらい、学生が関わる俳句の現在を多角的に照らし出してみました。総勢三三名。多すぎだろうと思われた方は「俳壇」(昭和六一年八月号)を繙いてください。こちらは〈特集・二十代三十代作家八十人集〉です。敵いません。一九八〇年代にはマスメディアによって若手ブームが巻き起こりました。「俳壇」の同特集には各作家のプロフィールが掲載されていますが、〈生年〉〈所属〉〈句集〉と並んで〈あなたのライバルは?〉という不思議な項目が用意されています。層が厚く、同世代というものに対するチャレンジングな意識を持ちやすい時代だったのだと思います。

現代に目を移しますと、ここ十数年で、「俳句甲子園」(松山市)、「全国高等学校文芸コンクール」(全国高等学校文化連盟)、「全国高校生俳句大賞」(神奈川大学)といった高校生向け文芸コンクールが整備され、そこから膨大な人口が輩出されるようになりました。二〇一〇年代における若い俳句の書き手の大部分は、こうした各種コンクールを経て、卒業後も書き続けることを選択した者たちです。部活動としての引退を挟んだあとも、毎年数十人という決して少なくない人数が何らかの形で俳句に関わっています。かつてほどではありませんが、若手層はまた増大しつつあります。

この三月、西日本に遊びました。目的は、なかなか会えない西の同世代に会うため。大阪、岡山、広島……と訪ね、それぞれの土地で高校生・大学生に集まってもらい、句会をしたり、ゆっくり話をしたりしました。見えないところで書いている同世代ひとりひとりとの出会いが、茨城に住んで一人で書いている自分の糧になることを痛感しました。

「俳句甲子園」のスタッフ業務、NHK「学生俳句チャンピオン」の収録、そして近年ますます活発化しているソーシャルネットワーキングサービスでの交流――離れた土地で活動している他者の姿を見る局面が増え、それに伴って、同世代はたくさんいるんだ、という感覚は学生の内部で共有されてきています。けれども、個々人が、具体的にどんなことを考え、書いているのか、そういったものに触れる機会はなかなかありません。

だから僕はこの特集を、津々浦々に住む同世代たちのために届けたいと思います。いま、どこで、だれが、どんなことに興味を持っているのか、そんなものを映す鏡になればさいわいです。


no.497/2016-10-30 profile

■樫本由貴 かしもと・ゆき
1994年生まれ、広島市在住。広島大学三年生。広島大学俳句研究会代表。「小熊座」所属。

■野名紅里 のな・あかり
神戸市外国語大学一回生。関西俳句会ふらここ会員。

■福井拓也 ふくい・たくや
1990年生れ。東京大学大学院博士課程に在籍。研究対象は久保田万太郎。「春燈」に所属。

■上谷佑梨子 うえたに ゆりこ
1994年生まれ。琉球大学四年生。2015年琉球大学俳句研究会「a la carte」入会。

■大塚 凱 おおつか・がい
1995年生まれ。「群青」同人。第七回石田波郷俳句大会新人賞受賞。現在、大学3年生。

■大林桂  おおばやし かつら
1993年10月2日神奈川逗子生まれ。同志社大学文学部哲学科5回生。2012年俳句結社「鷹」入会。目下ハイデガーと水原秋櫻子の勉強中。

■林楓 はやし・かえで
1995年群馬県生まれ。2012年俳句甲子園をきっかけに作句を始める。現在明治大学国際日本学部3年。早稲田大学俳句研究会所属。

■平田彩乃 ひらた・あやの
1997年生れ。岡山県出身。千葉大学1年。

■紆夜曲雪 うよ・きょくせつ
東北大学・学部三年生。東北大学短歌会所属。仙台在住。

■近見晴海 ちかみ・はるみ
1997年生まれ。松山西中等教育学校出身。広島大学文学部1年生。広島大学俳句研究会、広大詩歌句の会、平成九年度俳句会に所属。

■宮﨑莉々香 みやざき・りりか
1996年高知県生まれ。「円錐」「群青」所属。東大俳句会。現在、明治大学2年。

■大藤聖菜 おおとう・きよな
1994年広島生まれ。慶應義塾大学理工学部在学中。

■寒天 かんてん
京都外国語大学。大阪在住。関西俳句会ふらここ。

■牧萌子 まき・もえこ
1997年生まれ。ふらここ所属。俳句甲子園17.18回大会。洛南高校卒。京都大学文学部1回生。

■脇坂拓海 わきさか・たくみ
1996年生まれ。松山大学二年。愛媛大学俳句研究会。「里」同人。

■有谷久美子 ありたに・くみこ
1995年生まれ。安田女子大学4年。ペットはインコ2羽。

■堀下翔 ほりした・かける
1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。筑波大学に在学中。