ラベル すずきみのる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル すずきみのる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019-11-10

■2019角川俳句賞「落選展」■ 5. すずきみのる「四季抄 春」

2019角川俳句賞「落選展」
5.  すずきみのる「四季抄 春」





クリックすると大きくなります


 
四季抄 春  すずきみのる

風のさみどり鬱金桜の蘂の紅 
風に触れつつはくれんとなりおほす 
雪やなぎ三また四またと水流れ 
天啓のごとさへずりや一喬樹 
春風や天翔けるごと子を抱へ 
春たけてこし餡まるでローム層 
雉の仔のがさつく藪を凝らし視る 
猛禽旋回雉の子の育つ藪 
ペンギンの水槽越しに霾の街 
議事堂の壁面色に霞たつ 
桃の花かげり立つるは伊吹山 
人つながりて傾斜行く芝桜 
通園の子らつぎつぎと花の門 
舌先にシャボンの苦味しやぼんだま 
漣の浮桟橋や仏生会 
花曇ドクターヘリの降下して 
春たけて分厚く甘き堆肥の香 
残雪がつなぐ稜線国境 
春風の乗車完了岐阜羽島 
路面電車を遠く煙らせ春の雨 
春の星夜をこめて病む犬の声 
空気一枚隔て稜線遅桜 
春昼の病棟に鳴る白電話 
野外楽団たんぽぽの絮闖入す 
春はあけぼの山鳩のグルツポウ 
手押しポンプも畠の跡杉菜生ふ 
八重桜『源氏』読破をこころざし 
遠蛙きら星は天移りつつ 
最終のバス来たる見ゆ目借時 
荒草のなかぽつねんと葱坊主 
ファインダーに浮かぶ入り日と告天使 
青麦に添へひとことを送りけり 
千波万波金波銀波と春怒濤 
海浜に廃船いくつ春の鳶 
塊として烈風は燕撃つ 
草青みたり小流れも草色に 
風に落花に真向かひてゐたるかな 
飛花落下金網囲ふ猿舎かな 晩
春招来「むつくり」ビンと弾きては 
ゲネプロといふ春宵の二三刻 
刻満ちて主宰の席に春袷 
太陽と風の祭壇仔猫の死 
春や春黄泉の社に行き着きぬ 
一冊の児童書にある春の闇 
木の葉隠れにぬばたまの鴉の巣 
電線の影踏みゆけば春の果 
喪家指す黒き矢印暮の春 
飛燕の弧せんたく物の踊る日よ 
春疾風壁這ひあがる新聞紙 
紙雛や駄菓子のならぶ棚の端に

2016-11-13

2016「角川俳句賞」落選展(第4室) 13.すずきみのる  14.高梨 章  15.滝川直広  16.ハードエッジ  17.古川朋子

2016「角川俳句賞」落選展■第4室


13.すずきみのる 





14.高梨 章 





15.滝川直広 





16.ハードエッジ 





17.古川朋子



13. 追記 すずきみのる

砲丸の手を離れ飛ぶ麦の秋
初夏の笑顔並べて医学生
老鶯や竹乱れ生え屋敷林
車道へと歩みやまずよ黒毛虫
声といふかたまり吐きて牛蛙
海が呑む浜昼顔も砂浜も
沸騰の一山にして新緑す
雲海の開けてダムとその湖と
緑陰や押してツインズ乳母車
白シヤツに翳りとなりて透く身体
いきもののいきれぬけたる繭しろし
われを呼ぶその朝声も秋めきぬ
雲母摺床にならべて処暑の餐
大路小路みごとに暮れて鉾祭
深吉野のつくばねの実を見しが縁
わたくしへと戻る途中や草の市
大玻璃に鉄線透けてゐる月見
一山を蒸し籠めの霧湧き立ちぬ
ロボットは性別不詳をとこへし
山の夜の酩酊深し猴酒
落ち鮎を食せ再々婚の友
浅漬の大根甘しワイン美味し
民家途切れし通学路峡氷雨
枝打のひとりは声の響くのみ
三山とならび称されつつ眠り
ほうと闇ほうほうと闇木菟いづこ
金色世界銀杏落葉と老幹と
スタンプを押して旅信や冬の虹
裸婦像の丸き肢体や冬の苑
寝具敷き終え湯たんぽの盛りあがり
月代やポケツトのもの当ててみよ
顔見世の鳥屋のあたりを伺ひぬ
山の影海に浮かべて初日の出
目を閉ぢて夢見の景を初景色
飾取り常の玄関へと戻る
行きずりの一人として若火見る
胴長の猫の斑の背に牡丹雪
はるあけぼの牛乳の膜しわみゐて
口移しにて春祝ぎの言の葉を
春のゆめ異郷にロバを商ひて
春灯そば湯に雲のごときもの
ケチヤツプの赤春昼の食見本
面構へ白眼なせる恋の猫
めまとひの堆肥の湯気の中に渦
揚げひばり吐声に色のあるごとし
げんげ田に音ばらまきてヘリコプター
春光の灯台のみが記憶の島
死に近き人を囲みて春障子
くつあとのかすかに続く花筵
朧夜や水面に浮かびくる記憶



14. 宇宙の犬 高梨 章

永き日や壺まだ口をあけてゐる 
アカシアの花ふんでゆく牛飼座
てふてふは空気のなかをはかなげに
たかくたかくヒバリは空に立つたまま
ヒバリ鳴くこはれてしまひさうに鳴く
揚雲雀おりてゆけない夢を見る
日向から出てゆく春の落葉かな
うぐひすのこゑや足なが蜂がゆく
春の日や灰皿の灰やはらかし
沈丁の花風に置かれゐたるかな 
石ふたつ空席となる春の丘
ふるさとはひばりのこゑのしたにあり
ひとのすがたでヒバリながむるこの世かな
くるぶしをさはられてゐるれんげさう  
白木蓮しまらく風にさはらせず
さはつたところにさはられたあと春の雪
ことごとく椿のかたちで落ちてゐる
春の闇犬に鳴かれて立つてゐる
幸福は枯葉のにほひ春の朝
春風や洗濯バサミなくなりぬ
てふてふを手ばなすやうに春はゆき
うへを見てうしろへさがる金魚かな
石置けば石にちかづく金魚かな
ゆふやけとなるまへ水を散らかして
糸とんぼ見てゐし草のすき間かな
大蟻の視野へわが足入りにけり
泣いたあとのやうな気がする金魚かな
金魚ゐぬところへ行きたい金魚かな
靴下の足音もある夏座敷
鳴きやみし木にまづおりてくる夜の秋
朝顔にあさがほのつる触れにゆく
草の花ちがふ高さの高さかな
見まはしてほかにはたれも草の花
水面はとても薄くて木の実落つ
木の葉ふりつねに明るい出口かな
つかまつて鳴いてゐたりし秋の蟬
あらはれて蜻蛉出てゆく空家かな
天高し空をうごかす雲ひとつ
木の実ふる下に地蔵ありてこつん
出られたらとおもふ胡桃の外に出る
表面にふとあらはるる秋の風
泣くこともできる秋の夜の食卓
秋の夜の帽子のなかの無言かな
露の世はしづかに下着ばかり干す
カマキリにあるかもしれぬかすれ声
望の夜のくらがりに立つ空気入れ
水を乱し水鳥うかむ北半球
水鳥もみづのせなかに寝しづまる
水鳥は水にかくれてしまひけり
湯ざめして宇宙の犬のことおもふ



15. 栞  滝川直広

草の岸きのふの雛とどまれり
春陰を漉き込まれたる出雲和紙
フェルト地の帽子に春の雨の粒
鳥の脚洗ふ流れや復活祭
さへづりや糊の利きたる衿立てて
まだ鳥の入らぬ巣箱雨したたる
ぬかるみを作務衣飛び越す鳥の恋
海のなき街のデパート蒸鰈
乗務後の車掌たたずむ山桜
夕桜土洗はれし一輪車
雲水の下駄ひくく鳴る養花天
やすらひの花傘の柄を地に着けず
北窓の下に稿書く遅日かな
砂時計遅日より時取り出だす
手鏡のうすきくもりや遠蛙
はこべらの際まできたるにはたづみ
武者人形手綱をさばく指細し
青梅に殻のやうなる薄き翳
五月雨や紅さわがしき中華街
ぬかるみを踏んで見にゆく半夏生
転舵するヨットの海をつねるごと
鳥除けのCD吊つてあるヨット
波がしらなき波つづく油照
さつきまで蛇ゐし岩に腰下ろす
夕暮が水に溶けだす金魚玉
灯のくらき歌舞練場の花氷
月光を浴び餅肌のなめくぢり
落蝉の翅を栞にできぬかと
錆釘の土よりのぞく糸瓜棚
秋草の穂より光の去りやすし
秋高し蛇口にお礼言ふこども
秋の日を編み込んであるおさげ髪
風向きの変はりて萩の揺れ直す
野も海もある能舞台鳥渡る
棘折れて洗濯槽の草虱
額縁の鍍銀をみがく鵙日和
冷ややかな灯を積み上げてホテルなり
杉玉の鳴らぬさびしさ水澄めり
火に落つる獣の脂冬来る
御火焚やそだちきつたる火の澄みて
焼藷屋にほひの罪の軽からず
冬の蝶あさき眠りをきれぎれに
天頂を雲のしりぞく初御空
休みつつ淑気を進む松葉杖
日は透り月影こもる氷柱かな
待春の日差しまみれのさかあがり
おのが身に風ひきうけて麦を踏む
一輪の水仙の香に糺さるる
遅れゐる一羽を待てり春の鴨
雛の間の朝につかふ棕櫚箒



16. 半丁 ハードエッジ

地虫出て安土桃山時代かな
幼くてお玉と呼ばれ蛙の子
蝶生れて日当る石を懐しむ
さざ波を飛んでつばくらつばくらめ
春の草早も兎の耳の丈
今日こそは晴れて桜の出番なれ
咲き満ちて花の洛中洛外図
湯あがりのほろりと花よ花びらよ
花びらが吸取紙の上にかな
ならばこの紫雲英畑を買はぬかと
石鹸の刻印深き立夏かな
鯉の背に跨る五月来りけり
満ち足りて水田明りの水田なり
頭を上げて裳裾を引いて蝸牛
毛虫とは似ても似つかぬものとなる
蓮の花蜂かと見れば蠅がをる
灯台を廻る楽しさ夏燕
涼風とよくすれ違ふ日なりけり
ねたましや夕立の中を駆け行くは
うたかたのうすきみどりのソーダ水
囚はれの身をからからとラムネ玉
赤に黄に高さを競ふかき氷
割箸が置かれ冷奴が置かれ
丁半の博打半丁の冷奴
蛸足や肉の真白を胡瓜揉み
風に乗ることの哀しき祭笛
朝顔や歩いて通ふ勤め先
石ころを掃きたる秋の帚かな
髪乾くまで月の出を待たせある
満月や永遠に零るる崖の土
蓋開けて月の光のオルゴール
明月はけふ明日はあしたなり
青い目の人形青い目の野分
豊年や翅持つものは飛び廻り
色鳥を吹き消す風となりにけり
聞く耳を持たぬ人にも蚯蚓鳴く
プリズムの傷だらけなる夜食かな
子規庵の寝静まりたる糸瓜かな
神の旅大きな月を掲げたる
赤々と火中ありけり夜の焚火
膝の辺に猫より丸く毛糸玉
白鳥の湖に行き浮寝せむ
大根を抜きつ大根抜かれつつ
枯草の中の針金曲り錆び
降雪や花壇を囲む赤煉瓦
自転車の硬きタイヤも年用意
読み返すことの楽しき古日記
花のごと雪ふる中を宝船
屈強の白を重ねて鏡餅
どんど火の崩れむばかり崩れたり



17. 逃水 古川朋子

新緑や椅子に聖書を入るる場所
丸窓を緑の雨の充たしゆく
言問のさなかにはかにほととぎす
あしうらに砂の微熱や麦の秋
点になり線になり五月のとんび
廃墟つきぬけて新樹のそよぎけり
丹田の青むまで吸ふ若葉風
うつむいてゐればいつしか夏の海
ひまはりを見てゐるだけの停車かな
木の卓のらくがき青し百日紅
黄のアロハシャツ跳んで取るフリスビー
触るる手に傷ひとつある花火かな
白靴の赤い靴底とほざかる
朝顔や海に向かひて社員寮
秋暑し神社の鳩のふとりたる
西瓜食ひ終へし話のつづきなし
本棚に活字押しあふ残暑かな
匙に乾く一滴の水秋きざす
裸婦像の乳房を削り初嵐
いまだ見ぬ街の多さよ秋の蝶
少年のなごりの眉を秋の風
千々にものおもへば遠き花野かな
そぞろ寒となりに鶴を折る家族
夜通しの雨音に秋惜しみけり
かはほりの骨にあまねく冬来る
水の輪を毀して鳰が鳰に寄る
きれぎれに鳴るクラクション冬の虹
酢海鼠や逢へばかなしくなるをとこ
落葉掃く道をへだてて会釈して
枯枝の震へや鳥の睦みあふ
畳まれて雪の窓辺に車椅子
怒つてゐる嚔笑つてゐるくしやみ
暖簾のゆ二つに割つてクリスマス
剥製の熊に白息かけにけり
ねむるまで寝息をきいて小晦日
亀が首のばしてもどす去年今年
旅初うごく歩道の弾みけり
海に出でて国道細る水仙花
春雨や肘ついて割るピスタチオ
香水もなく花もなく猫の恋
水草生ふコンクリートの川底に
春分や日の丸なびく家しづか
春の夜のふせて置かるるマグカップ
外階段ひなぎくに行き止まりたり
桜蘂ふるドアノブにビニル傘
泪では落ちぬマスカラ雲雀鳴く
さみしいと先に言はれし春の月
背凭れに人のぬくもり鳥雲に
道迷ふたび逃水を追うてをり
手かざせば水流れけり春の雷


2015-11-01

2015角川俳句賞落選展 16 吉川わる  17 杉原祐之  18 すずきみのる 19 折勝家鴨  20 高梨 章 21 ハードエッジ 

画像をクリックすると大きくなります。


16 吉川わる 「アディオス」



17 杉原祐之 「日乗」



18 すずきみのる 「初扇」



19 折勝家鴨
 「塔」





20 高梨 章 「明るい部屋」


21 ハードエッジ 「ブルータス」


 



16 吉川わる 「アディオス」 ≫テキスト
17 杉原祐之 「日乗」 ≫テキスト
18 すずきみのる 「初扇」 ≫テキスト
 19 折勝家鴨 「塔」 ≫テキスト
20 高梨 章 「明るい部屋」 ≫テキスト
21 ハードエッジ 「ブルータス」 ≫テキスト

2015角川俳句賞落選展 18 すずきみのる「初扇」テキスト

18.  すずきみのる 「初扇」

自転車の轍にじみて斑雪道
ローラーが雀がくれを熨しゆけり
春光や畠に呼び水用バケツ
抜く腸もぷりぷりとして春鰯
風に真向ふチユウリツプ赤も黄も
入学子教へ子として見わたしぬ
雑踏に遍路終えたる白衣装
京言葉枝垂桜を愛でゐたる
胸割かば桜や梶井基次郎
雲雀野に届く霧笛の切迫す
つちふるやグランドに脚からみあひ
天井より涅槃図床へ垂れゐたる
空やがて雲引きのばし春ゆふべ
飛行音とよもす空に初燕
青嵐になびくハートや航空祭
足元をロボツト掃除機聖五月
竿たわませてもつれあふ鯉幟
花芯よりつまみてはなむぐりを剥がす
とかげ息せりあまた罅あるつち壁に
みつちりとみしとさみどり小判草
言はざりしシヤツの背に蛾の貼りつくを
薔薇をきる雨のしづくを残しつつ
天墜つることもあるべし油照
名にし負ふ大くわがたのつぶれ貌
かの人の背筋正しき夏座敷
花火師を照らし出したる垂火かな
稜線をまなかひにして蕎麦の花
残業に疲れ七姫なる君よ
真榊を柱にさして神馬肥ゆ
玄関ににほふ銀杏踏みし靴
昼足らぬ歩数をかせぐ良夜かな
ほうと木菟窓を圧して山の闇
切りし爪庭まで飛びて秋うらら
小屋裏をのぞきてをれば秋の雷
針金の手脚伸ばせり鵙の贄
葱刻み終え包丁に水流す
脱力のセーター椅子の背もたれに
寒あかね鉄とガラスの美術館
寒鯔を手ばやくさばく水気たて
錯綜の枝のまなかにかぢけ鳥
夢寐にきく幽冥の楽もがりぶえ
大根の穴や異界に続く道
寒木瓜のそびらに枝の差し交はし
凍て灯すあまた名を彫る部落燈
クロゼツトの暗きに向けて豆をまく
初日の出天動説を許容せり
新聞の厚みうれしき初景色
初富士や住み古りゐたる富士見町
女正月なりけり寡男の厨事
初扇静かに閉ぢて仕舞とす





■すずきみのる
1955年生まれ。鳥取県在住。俳人協会会員。「参」「鼎座」「汀」所属。句集
『遊歩』。

2015-01-11

【2014角川俳句賞 落選展を読む】 3. みんなおなじで、みんないい? 依光陽子

【2014角川俳句賞落選展を読む】
3.みんなおなじで、みんないい?

依光陽子


≫ 2014落選展


11人の鑑賞が終わって、折り返し地点。次の角川賞締切まであと5ヶ月である。

前回「絶対に成功しない素材ランキング」と書いたところ、先日の句会で他にどんな素材がNGかという話題で盛り上がった。

以前、角川『俳句』に常套句について書いたことがあるのだが(平成19年5月号特集《類句・類想をこうして避ける》の<死して常套拾ふものなし>)、5年たってもあまり状況は変わっていないのだなぁと改めて思った。

「ひこうき雲」「観覧車」「誰々の生誕地or終焉の地」「樹齢○百年の松」「ヘリ」など、成功しないという意味は、それらを扱った俳句はごまんと目にするが、佳句を見たことがない、ということだ。

俳句文学館で全国の俳誌を片っ端から読んでみれば明らか。皆等しく詩情を掻き立てられ、皆同じように書き留める。例えば、ひこうき雲もクレーン車も斜め○○度の傾きで空に刺さっている。

観覧車の傍らには太陽や月がある。料理俳句、名画俳句、女優の名前の薔薇俳句。季題ラ・フランスが60歳代女性作者の句集に頻出する不思議現象など、挙げればきりがない。

人の個性はその人だけのものだ。生きてきた環境も取り入れてきた影響も全て違う。だから俳句だって違うものが出来るはずなのに、どうして同じような句を良しとしてしまうのか。

皆と同じで安心する「シゾフレ型」、たとえ自覚はなくとも俳句界はシゾフレ天国、模倣天国である。俳句という詩型特有の制約と無数に生み出された他者の作品の中で新しい句を書くことは本当に難しい。

自分が簡単に気付くものなど、誰もが簡単に気付くのだ。「誰かが詠んだような句は詠まない」と腹をくくるところがスタート地点だと思う。


12.ふらんど(さわだかずや)


春の句のみの50句。中盤、うつの句が並ぶ。この作者に限らず、うつを詠んだ句を句集などで度々目にするようになったのは近年顕著だ。「精神病んで」「不快」「嗚呼死にたし」などネガティブな言葉が連なるとさすがに読んでいて息苦しくなってくる。<半裸にてつくしを摘んでゐる集団>はどこかラース・フォン・トリアー的で許容範囲だが、「痰」「ビーム」など度が過ぎると意図をはかりかねる。うつの句も双極性障害の句も、その病状について詠まれても読者は困るものだ。またそうした素材を詩にまで昇華させることは至難の業だ。

強烈な言葉を直接読み手にぶつけるだけでは句は立たない。それがどんなに厳しい経験であっても、客観的に作品を検証する目と、完成度がなければ、読み手の心を揺さぶることは出来ないだろう。なぜなら、書かれた時点で言葉はイメージになるからだ。

耳の奥熱き遅日を過ごしけり        さわだかずや
花ですから死んでしまつてよいさうです
一切無常にて蜆汁おかはり

気になった句。
一句目。「耳の奥が熱い」とは決して良い状態を表してはいない。「耳の奥が熱い」ことで、太陽が出ている時間が一層永く感じられる苦痛。だがこの句は他の憂鬱な作風の句に凭れ掛かっていない。遅日を従来とは別の角度から表現することに成功している。
二句目は万朶の花明りが死を誘う。否、誘われたのではなく「死んでしまってもいい」という言葉がふと降りてきたのだろう。作者は理由を見つける。「花ですから」、つまり桜がこんなに咲いているのだから、と。桜と死。文学上、民話上語りつくされた二物からこの句は起草され、歩き出す。そして漠然と死を許されたこの人物は決して死なない。それが俳句作者としてのしぶとさであり、この句のしぶとさでもある。
三句目、一切が無常だという諦念に思考を留めながら、効能たっぷりな蜆汁をおかわりしてしまう生き物としてのせつない事実。この矛盾は取り除けないものとして心に刺さる。

韮やはらかし人妻はさりげなし>は桂信子の<ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ>、<やい鬱め春あけぼのを知りをるか>は江國滋の<おい癌め酌み交はさうぜ秋の酒>の先行句がそれぞれ口をついて出て来る。ましてうつを扱ってこの薄さでは心の網にかからない。たとえ先行句を踏まえたのだとしても、その句を超えない限り類想句の域は出ない。

もろもろ書いたが、この50句からは過去の自分に抗う歯ぎしりが聴こえて来た。それがこの作者本来の作家性の恢復と信じたい。


13. 封境(杉原祐之)


正統派かつスケッチ風。省略の利かせ方、句の佇まいは否定しない。ただ、中盤のほんの数句の海外詠(?)には異質な印象を受けた。<ターバンと付髭映す泉かな>から<引越の果て風鈴の鳴りにけり><播州の室津の浜の蝦蛄を漁る>でやや唐突に国内詠に戻りさらに風土詠へと移行する辺り。50句のどこに読みのピークを持って来たかったのだろう。なんでも俳句に出来てしまう人は、何を書かないでおくか、顎を引いて考えてみるべきであろう。

子を風呂に入れたる後の夕涼み      杉原祐之
ポストへと落葉の嵩を踏みながら
プレハブの目印をつけ冬の芝

中で、この三句に立ち止まった。
一句目、まだ幼い吾子だろう。子どもを風呂に入れることは若い父親には大仕事だ。夕涼みをしている姿から安堵感が伝わってきて清々しい。
二句目は平凡なカットだが作者の息づかいが感じられた句。落葉を踏む音と心音が重なっているよう。ポストは落葉の嵩を踏まなければ辿りつけない場所にある。「嵩」という言葉が辺りの風景や、ポストの中にあるはずの手紙や葉書の重なりを連想させる。郵便物を投函する瞬間のちょっとした覚悟に至るまでの、短いけれどまっすぐな時間。
三句目、仮設住宅か工事現場のプレハブか。芝の上にそれを建てるための印をつけた。少しだけ根本に緑が残る冬の芝の枯色と目印をつける人の背中。きっと同じような色の作業着だ。冬の芝はやがてプレハブの下になり完全に枯れてしまうだろう。とまれ、冬の芝の広がりがよく見えてくる。

全体的に季題の斡旋は悪くない。あとはかな遣いのうっかりミスをなくし、50句に統一性が欲しいところ。もう一歩踏み込んでモノを見ることで、さらに見えてくるものがあるはずだ。


14. 新機軸(すずきみのる)


壺焼のさみどり残す肝の尖><その中に制服もゐて御命講><電線とひとつの影に夕燕>など俳句を作り慣れている作者だと思った。

摘みきたるオクラ十指をはみ出して    すずきみのる

まさに素手で摑んだ句。両手に余るほどのオクラを摘んできた。大きく広げた指の間からオクラの先端が見える。指の間からはみ出したオクラが手の棘のようで、オクラの表面のチクチクとした感触と相俟っている。

なめるごと寄りくる波に千鳥翔つ
煮られつつあり白繭もその夢も

タイトルは「新機軸」。50句最後の<初句会この人にこの新機軸>から採られている。新機軸とは初句会にふさわしい心意気。またこの作者にとっても上記二句は、数年来の落選展の作品に比べると出色と言えそうだ。
一句目の「なめるごと」は千鳥のいる干潟に寄せて来る波の表現として無理がない直喩だと思う。干潟を舐めるように平らかに静かに寄せて来る波。長い脚が浸り、砂に刺した長い嘴が浸り、そして汐がある高さになったとき千鳥は翔つ。そこに至るまでの千鳥の行動も見えてくる。
二句目。あれほど盛んに音を立てて桑を食べていた蚕の蛹は、繭の中で夢を見ているかのよう。一読メルヘン調だが内容は厳しい。蚕は羽化することを許されない。煮られ殺されて繭を剥ぎ取られる運命だ。羽化してその翅で羽ばたくという夢もまた儚い。

手練の作者だけに、既視感のある句やかな遣いが間違った句が散見されるのは実に勿体ない。句を厳選し、十分に精査し、さらなる「新機軸」を開拓してゆかれることを期待したい。


15. 室の花(津野利行)


冒頭五句はさておき、身の丈に合った自分の言葉で句を書いている点に好感を持った。

夏掛は妻を小さく包みけり          津野利行
大学は辞めたと笑ふ生ビール
何もなき父の形見や心太

一句目。夏掛は寝ている人を嵩なく見せる。「小さく包みけり」に妻との微妙な距離感や、押しつけがましくない愛情を感じる。寝姿も見えてくる。夏掛という季題の効果がある。
二句目。大学職員か、はたまた大学生の友人か。「大学の方はどう?」「実は辞めたんだ」そんな会話があって、友が笑った。いろいろな葛藤を経たであろう複雑な笑顔。この生ビールはとても切ない。
三句目。眼目は「心太」の斡旋だろう。雲色のつるんとした心太。昔ながらの心太の突き器を使ったものであればなおさら、その押し出した後の空虚さは一入である。喉に滑ってゆく心太の冷たさ。「何もなき」に、父の死をすでに遠く認めることが出来るようになった作者の心が、読み手の心を押し出す。

室咲は枯れぬ気でゐたかもしれぬ

この作者もタイトルの語を含んだ句がラストに置かれている。室の花を年老いた肉親の生前と深読みし、悲しい句だと思った。そんな深読みを誘う伏線となる句が50句中にいくつか点在していたからだ。だが一句単独で読んだとき、室咲の効果が見当たらないのである。私は改めて、一句として立つことと、50句として立つこととの違いを考えさせられた。


16.バンテージ(谷口鳥子)


面白そうな句が出てきた。
以前、50句全句動物園で作った句で構成された応募作品があった。一句一句の完成度も高く感心してしまったのだが、この作品は全句ボクシングをテーマにした句で異色。「誰も詠んでない句を詠んでやる」という意気込みがいい。こういった元気のいい作品が読めるのが落選展の醍醐味だろう。
現代かな遣いである。

ヘッドギア何度も直す熱帯夜         谷口鳥子
容赦なく打ちくる小五の日焼け顔

作者も熱いけれど句も熱い。「小五の」は中八かつあまりに粗雑な省略で、子どもだとわかるので不要と思いながらも「容赦なく打ちくる」濁りのない眼差しが気持ちいい。

蝉の鳴くリズム外してストレート
のっぺらぼうの月と並んでジム帰り
ジョグダッシュジョクダッシュ十一月
膝と腰と首でリズムを夏来たる

無理矢理季題を入れたような句も少なくないが、このあたりはいい具合に季題が収まっている。
一句目。ジムの壁を突き抜けて来る蝉しぐれの中でのストレートの練習。蝉の鳴くリズムをわざと外してみる。ちょっとした遊び心。
二句目。のっぺらぼうの月はあたかも丹下段平。一日の練習を終えた充足感が「並んで」という言葉に込められている。
三句目。もし私がボクシングを始めたら、この句を念じながらジョグ、ダッシュのインターバルトレーニングを繰り返すと思う。あきらかに破調だが繰り返し口遊んでいると、なんとなく年の瀬へ向かっていく冬の空気感が出てくる。「十一月」が或いは動かないかもしれない。
四句目。俳句も運動もリズムが大事。なるほど、ボクシングは膝と腰と首でリズムをとるのか。「夏来たる」は漲るエネルギーを代弁している。
さて、もしこの50句で受賞したらこの作者は受賞第一作にどんな句を書いただろうかとふと思った。次回は不用意な贅肉句は落としつつ、完成度も磨き上げてほしいと思う。


17. 空車 (高梨章)


春の日の金の夕べを空車(むなぐるま)  高梨章

タイトルの句である。俳人・山田みづえの父である国語学者・山田孝雄の『「むなぐるま」考』の中から言葉を借りれば、「空車・むなぐるま」は「のらぬ車也、迎などに人のこぬ心也」(匠材集)とある。私は特に「人のこぬ心也」という部分が気に入っている。むなぐるまという言葉は主に院政鎌倉時代の語で、平安朝から鎌倉時代の間にだけ使われたようだが、作者はこの古い言葉を一句に入れた。「の」でたたみかけてゆく手法はこの句に限ってはあまり気にならない。時代を遡らせ、駘蕩とした世界へ読み手を誘う。春の金色の夕べをゆく空車の音なき音。眩しさと虚しさ。印象深い句だ。

秋の灯台 いつぽんの蝋燭をひろふ

分かち書きはこの一句だけだが、悪くないと思う。秋の灯台といつぽんの蝋燭を拾った事実の間に空白が必要だったからだ。解釈は不要。そのまま受け取ればいい。読み手の席は用意されている。
他にも<空席をつくるたちまち月あがる>や<月の力すこしゆるみぬ時計店>も二つの事柄にあたかも関連があるように現実と非現実の間、意味と無意味の間に句世界を構築している。日常語と旧かな遣いの起こす幽かな摩擦が醸し出す何か。<手袋は暗くなるころおそろしき>など、進もうとしているのは鴇田智哉的な志向と見るべきか。

アスタリスクの章立てで、春・冬・秋・夏という不規則な並びにしてある。面白い試みだが、最後の夏の部に入っている句があまりよろしくないのが残念。凝っているわりに<秋の朝きのふの雨の光かな>という至極平凡な句が入っていたり、「蟻地獄」「蝸牛」の連作は雑すぎる。もっと根気強い練り上げが必要。それ以外は、ある虚無感が漂っていて「空車」のタイトルが全体によく行き渡っていると思った。




 
≫ 0. 書かずにはいられなかった長すぎる前置き
≫1. ノーベル賞の裏側で 依光陽子
≫2. 何を書きたいか

2014-12-07

【2014落選展を読む】 3. ダイナミズム 堀下 翔

【2014落選展を読む】
3. ダイナミズム

堀下 翔


≫ 2014落選展

まだ読む。


13 封境(杉原祐之)


「の」が異様に多い。〈北国の夏至の夕べのバーベキュー〉〈イタリアの移民の家の薔薇盛ん〉〈播州の室津の浜の蝦蛄を漁る〉。

「の」の多さはすなわち要素の多さである。事物をぶつけるのは俳句の常套だ。いくつものものが一句の中でつぎつぎにぶつかるこの作者の句には、スピード感がある。

「の」でものとものとをつなぐとき、そこにはいくつかのルールがあるのだが、そのひとつとして、大きなものが前に来る、というのがある。〈イタリアの移民の家の薔薇盛ん〉がまさにそのかたちをしていて、イタリア、移民の家、薔薇、と、これらはどんどん小さくなっていく。ここでもやはり、速度が生まれている。収束の速度だ。「の」というのは不思議な助詞で、主格と連体格が違うのは言うまでもないが、連体格の中でも前後の関係はさまざまで、この50句の「の」もよく見ればそれぞれが巧みに違うはたらきをしていて面白いのであった。

ナイターのドームの屋根の開きけり 杉原祐之

「の」が繋ぐ事物は一句を埋め、それが“どのように”開いたのか、ということを述べる余地はなかった。だからこの句はとてもあっさりとはしている。だけれども、一方で、「ナイターのドームの屋根」という記述は、即物的なものの重なりであり、だからこそダイナミックでもある。この淡々としたダイナミズムは他にも〈はち切れむばかりの梨を妻が切る〉(はち切れむばかり、はあると思うが)や〈国境の大きな滝の凍てにけり〉にも見られる。


14 新機軸(すずきみのる)


凝った言い方が50句に集中している。〈夏断にはあらねど酒色控ふると〉〈教師はも十一月を長しとぞ〉〈メリーとはいかな意味なるクリスマス〉〈学生のある夜大原雑魚寝の体〉。どこまで真面目なのか、あいまい。凝っていることがギャグのようにも見える。「いかな意味なる」って、そんなに力を入れて詠むほどのことではない。

セーターのふわふわが胸つつみては すずきみのる

これもまた、スマートではない。「ては」が、どう贔屓目に見ても、野暮だ。ては、何なんだ。この「ては」がいい、という人もいるかもしれない。「セーターのふわふわが胸つつみ」という表現は、とても可愛らしく、それ以上どうしようもないが、その甘さを作者は「ては」でさらに摑めないものにする。


15 室の花(すずきみのる)


そんなに生きているのがつらいのだろうか、と読んでいて惨憺たる気分になる。そういった自分を読むことが悪いとは思わないが、たとえば〈腹癒せに望み通りの春ショール〉は露骨すぎる気がする。軽い詠みぶりな分、そこから出てくる「面倒な奴で結構」「腹癒せに」といった言葉についていけなかった。このうたいかたであれば、やはり、もっとなんでもない内容であったほうがバランスは取れている。

大学は辞めたと笑ふ生ビール 津野利行

こういう人が、たしかにいるのだ。

麻雀のルールを賀詞に続けをり

なんというむちゃくちゃな。


16 バンテージ(谷口鳥子)


ボクシング50句。定型にすら構っていられないかのごときスピード感は本年の落選展では随一。

角川賞の連想で言えば第6回の磯貝碧蹄館がこんな感じだったな、と思う。その頃の彼は萬緑ばりばりの破調と郵便配達という特殊な素材とできらきらしていた。彼の〈台風圏飛ばさぬ葉書飛ばさぬ帽〉に浮ぶ生の充実感に、谷口の〈飲みこめぬ水首伝いTシャツへ〉〈夜の蜘蛛全て異なるパンチの軌道〉が重なる。

ラスト十秒へばりつく前髪が邪魔〉は二句目にして無季だ。このことを詠まねばならないという執念がある。時として季語が邪魔とさえ思われるこの詠み方は簡単にまねのできるものではあるまい。すべてボクシングのことを書きながらも50句でストーリーを作ろうとはしておらず、そこにも強さがある。〈夏雲や鼻血を拭う左腕〉一句一句がリアルだ。


17 空車(高梨章)



ものとものとが並んでいることの認識から作者の俳句は始まる。事物どうしは平等に存在している。その場所にあるということは、それだけで詠まれうる根拠なのだ。

蝉たちの穴あいてゐて海が見ゆ 高梨章

蝉たちの穴。木か何か、蝉たちのまわりに穴があることを言っているのだと思っていたが、「蝉の穴」だろうと教えてくれるひとがいた。ああ、そうか。穴から海が見えるのではなかった。穴があって、海がある。

蝉のいるところと海との隣接に、筆者は、どきっとする。瞬発力のありそうな景だが、書き方は平坦。

この作者にとって隣接は事実でしかないのだな、と思う。

隣接は関係性を生みやすい。〈窓四十と七つあり秋さびし〉さびしいと言ってしまえばただの事実でしかなかった筈の「四十」と「七」はたちまちにさびしさと結ばれてしまう。


18 積木の家(滝川直広)



的確な取り合わせを中心とした50句。季語を除いた12音のごく短いところで物を重厚に描写する。〈花馬酔木ほそき煙となる手紙〉の「ほそき」や〈刃のやせし鎌の置かるる大根畑〉の「やせし」のたしかさが強い。〈虫の音の間(あい)虫の音の埋めにけり〉〈一辺はテレビに空けてある炬燵〉は一物仕立てのたのしさの王道。

読初や波音寄する倭人伝 滝川直広

ああ、あの短い倭人伝はたしかに大きな海を描いていた。

消しゴムの角の倦怠卒業期

「倦怠」の語もまた的確。具体的ではなく、こんなふうに飛ばした言葉を以てする描写も巧みだ。


≫ 1.その年の事実
≫ 2.嘘と事実

2014-11-02

落選展2014_14 新機軸 すずきみのる

画像をクリックすると大きくなります。

 





週刊俳句 第393号 2014-11-02
2014落選展 14 新機軸 すずきみのる
クリックすると大きくなります

落選展2014_14 新機軸 すずきみのる _テキスト

14 新機軸 すずきみのる

オートバイ止め残雪へ集まり来
生徒はや自主登校の二月来る
宇宙より春一番の雲の布置
春風や花を絶やさぬペットの墓
壺焼のさみどり残す肝の尖
パライソを夢見つ紫木蓮めくれ咲き
老々介護垣に青木の花いくつ
螺髪より納衣と甘茶かけ申す
ピクルスの瓶にふやけて目借り時
電線とひとつの影に夕燕
煮られつつあり白繭もその夢も
ひきがえる歩む素股を光らせつ
岩盤に影を落として岩魚浮く
レンガまるく囲ひて孔雀草咲かす
夏断にはあらねど酒色控ふると
桑の実はげんこつの味怠学子
水鉄砲土蔵の壁を汚したる
さまざまに腹鳴るものよ水中り
高気圧居座つてゐる房バナナ
その中に制服もゐて御命講
口論ののちの沈黙姫林檎
七草の秋の一花を保護せむと
初月やLEDで鎧ふ塔
蟷螂の三角の貌振りて食む
夜学子と椅子触れ教師飯を食ふ
登高の海に真向かふところまで
副灯の点きしままなる秋の朝
銀杏のにほひたつ道キャンパスへ
糸瓜引くメスシリンダー土に据え
摘みきたるオクラ十指をはみ出して
彩雲を空に浮かべて芒原
茸狩お隣さんに誘はれて
冬浅し日かげたゆたふなまこ壁
教師はも十一月を長しとぞ
中年に鬱の気きざす雪催ひ
気障といふわけでもなくて懐手
雪囲ひよりこぼれ積む雪の嵩
石狩鍋おおいなる骨つまみ出し
なめるごと寄りくる波に千鳥翔つ
タグ付けて水槽に這ひ松葉蟹
水仙を目でなぎ払ひ口つぐむ
セーターのふわふわが胸つつみては
メリーとはいかな意味なるクリスマス
学生のある夜大原雑魚寝の体
子にはすつぱし紅愛しき甘露木
少年の競ふてのひら独楽まわし
春除目なるよ給与表上がり
少女らの息甘くしてちやつきらこ
おしやべりが一人加わり切山椒
初句会この人にこの新機軸

2013-11-24

2013落選展を読む(3) 書いたことは、すべて自分に 対中いずみ 

2013落選展を読む(3)
書いたことは、すべて自分に

対中いずみ


9 高梨 章「病室」

きらきらと肺侵されてすみれ草   高梨 章
輪になつて明かりをつける枯野かな 同
全集にふたつ欠けあり雪にかはる  同

作者ご自身か、もしくは身近に病む人がおられるのだろうか。「病室」とタイトルを付された一句目など、俳句としては甘いと思われるが妙に心に残る。ある寂しい虚ろなトーンは一定している。長年、詩か短歌を書いていた人が俳句を始められたような、そんな作品群だ。

≫読む ≫テキスト ≫印刷用


10 津野利行「餃子」

ストーブの火を消すボタン押すだけの 津野利行

脱力系の内容と詠みぶり。50句のなかに<カラオケの隅マフラーをしたままの>があるのは残念。こういう変則的な叙法は、一句あれば良く、二句あれば緩んでしまう。


≫読む ≫テキスト ≫印刷用 


11 ハードエッジ「ならば踏めよと」

親指と人差し指とアイスの棒 ハードエッジ

意味なく、即物的な句。<もの腐る季節となつて蠅も出て><赤ゆゑの寂しさに群れ赤とんぼ>などの意味性や見立ての句よりは、掲句を採りたい。<すやすやと赤子の眠る遠花火>の「すやすやと」、<柿干すや目鼻かそけき赤ん坊>の「目鼻かそけき」などの常套語は排して、その後に出てくるナマな、新鮮な言葉をこそ読みたい。

≫読む ≫テキスト ≫印刷用


12 堀下 翔「生年月日」

蟻穴を出て乾きたるところへと  堀下 翔
夏場所が終はるころ家建つらしい 同

2012年俳句甲子園出場というキャリアから見ると、早熟な才だと思う。季語がまだしっかり肉体化されていないようではあるけれども、季語そのものに食らいついていこうとする姿勢が見られる。吟行に出て現場で季語そのものを詠んでいく訓練をされると伸びる人だろう。

 ≫読む ≫テキスト ≫印刷用


13 前北かおる「置炬燵」

ふぐちりのふぐのラップを外しゆく 前北かおる

この句、面白い。

襟巻にノートを当てて諳んずる 同

も可憐。

冬至柚子もらふ到着ロビーかな><吹抜に吊すあれこれクリスマス>もいいと思った。さすがに50句となると、息切れしている句もあるけれど、平均打率は高い。「ふぐちり」の句のようなホームランもあるので、今後が楽しみだ。

 ≫読む ≫テキスト ≫印刷用


14 山下つばさ「祝福」

菜の花や涙こぼさぬやうわらふ 山下つばさ
冬の蝶鉄の扉を這うやうに   同

一句目は、巻頭の句。何か幸福なものを予感させる出だしである。二句目は、集中、最も惹かれた句。鉄の扉を引っ掻く冬の蝶の脚が金属音をたてていそうだ。<深々とお辞儀の奥のチューリップ><冬の駅犬突然に走り出す>も面白い。チューリップも犬も日常生活に当たり前に登場するモノたちだけれど、切り取り方の角度だろうか、どこかユーモラスだ。

≫読む ≫テキスト ≫印刷用


15 山田露結「幸せの人」

蛇穴に入る眠る子の息荒く 山田露結

かろうじてこの一句をいただく。目にしたものをどんどん五・七・五に変換する能力に長けた方だと思う。しかし、作者は、『再読 波多野爽波』(邑書林)の執筆陣の一人だが、爽波の「多作多捨」はこういう句を量産せよということではなかったのではないか。爽波は多作多捨の果てに得られる、手応えのある一句を求めた。それは先ず作者自身がオドロクような一句であったはずだ。また、「季語がつきすぎであることほど味気ないものはない」とも言っていた。俳句は、発見、飛躍、言葉の鮮度を欲する詩だと思う。

 ≫読む ≫テキスト ≫印刷用


16 吉井 潤「光○追う人」

初明かり磁器を透かせばミルク色 吉井 潤
   
一人で作っておられるのかもしれない。良き仲間、指導者に出会ってほしい。

 ≫読む ≫テキスト ≫印刷用


17 すずきみのる「過日」

草むらに吹き戻されて蛇の衣 すずきみのる
秋灯下子規の千枚通し見る  同

かっちりした俳句作品を作れる方だが、それだけで終わりたくはないようで、一部、<コンタクトレンズが痛いいぬふぐり>といった稔典さんばりの作品や、<ひたひたの水にいきていたくないなまこ>などの実験作もある。多彩とも言えるが、50句一編を通して読むと、ばらばらな感じは拭えない。俳句観の確立が待たれる。

 ≫読む ≫テキスト ≫印刷用



以上、言い過ぎたり、言い足りなかったり、力不足だったろうが、何か少しでも作者に届けば幸いだ。書いたことはすべて自分にはね返ってくる。私も、実作に戻って精進を重ねたい。



2013落選展 Salon des Refusés  ≫読む

2013落選展を読む(3) 目に映るすべてのことは 三島ゆかり

2013落選展を読む(3)
目に映るすべてのことは

三島ゆかり


9 高梨 章「病室」

「病室」というタイトルからすると病中吟なのかも知れないが、ばらばらに季節が立ちあらわれ、どこか人外魔境をさまよう体でもある。挙句の「宇宙船」が全体をぶちこわしにしているような気もするが、それも含めて作者の持ち味なのだろう。

つぎつぎに翼を折りて山眠る  高梨 章

「山眠る」の前で切れる読みも可能だが、冬の連山を鳥に見立てたものと読みたい。季語「山眠る」に本来時間の推移はないはずだが、、「つぎつぎに翼を折りて」からは、日が傾くにつれ刻々と山の表情が変わって行くさまが感じられる。

人ならば先に行かせて秋の暮 同

ふつうの生活人を「どうぞ先に行ってくれ」とばかりにやり過ごし、秋の暮と同一化するのだろう。そこには人でないものとの交感もあるのだろう。

百合咲いて這ふものたちの夜となる 同

「這ふもの」が何かは特定していない。百合の香に呼び覚まされた魑魅魍魎の類であろう。

≫読む ≫テキスト ≫印刷用


10 津野利行「餃子」

餃子にフォーカスを当てるなら、ハンバーガーだのアイスクリームだの水羊羹だの白玉だの出さない方が作品としてはまとまるような気がするが、あえてそうしないのは、その程度の食物だけど…という愛着の証しなのかも知れない。
作業着のままに地べたの花見酒〉〈手袋のままに手術を待ちにけり〉に見られる「に」の使い方が独特である。

子離れは先送りして花は葉に 津野利行

面白い取り合わせである。時が移ろい花は葉になるというのに、私はまだ子という花に夢中である、ということなのだろう。「先送り」というぜんぜん詩的でない措辞がじつに効いている。

足袋底の松に跨る松手入 同 

まず足袋底が目に入ったのだろう。「松に跨る松手入」のリズムがたいへん心地よく、ユーモラスな光景である。

≫読む ≫テキスト ≫印刷用 


11 ハードエッジ「ならば踏めよと」

身も蓋もない諧謔に持ち味があるようである。

灯台に蛾が張り付いてゐたりけり ハードエッジ

ぼてぼてに塗り重ねられた灯台の白い肌に(たぶん)死んだ蛾が張り付いている。それだけの景だが、「ゐたりけり」という一見冗長な措辞によって他のいっさいを消し去っているため、強い印象がある。

数へるにしても短日ばかりなり 同

「数へ日」と「短日」を一緒くたにして詠んでみせた諧謔がじつに可笑しい。まこと師走はせわしない。

≫読む ≫テキスト ≫印刷用


12 堀下 翔「生年月日」

対象そのものではなく、名鑑、サイン帳、地図、自叙伝、映画などワンクッション置いたアイテムを巧みに並べることによって、じつに不思議な作品空間となっている。

エイプリルフールの棚に本を足す 堀下 翔

ユーミンの歌の歌詞に「目に映るすべてのことはメッセージ」というのがあったが、この句群を読んでいると「目に映るすべてのことはまがいもの」という気がしてくる。本句は何かしら種明かしのように存在する。

音のない泉であつち向いてほい 同

今という一瞬は「音のない泉」のようにこんこんと嘘のように湧いており、人は無心に「あつち向いてほい」のようなことに興じている。なんだかとんでもなく深くてクールだ。

秋雨の天涯万里髪を切る 同

「秋雨の天涯万里」という果てしなく閉塞的なイメージが下五「髪を切る」でまさに裁ち切られる快感。ここでも「目に映るすべてのことはまがいもの」なのだ。

 ≫読む ≫テキスト ≫印刷用


13 前北かおる「置炬燵」

オーソドックスで端正な写生句だが、50句中11句も「かな」があるのはいかがなものか。

時雨たる町のプラネタリウムかな 前北かおる

「時雨たる町の」までのひなびた旅情が「プラネタリウムかな」で一気に転じる、と最初読んだが、いささか余談めくと、かの悪名高い「ふるさと創生」により全国に三百以上のプラネタリウムがあるらしい。だとすれば、そこまでがひなびた旅情で、なにも転じていないのか。

冬帝を讃へ発電風車群 同

「冬帝」という季語自体が擬人法なのだが、それを主語とするのではなく讃える対象とし、主語と読めるように「発電風車群」を置いている。「発電風車群」に意思を与え冬帝と対峙させたところがよい。

 ≫読む ≫テキスト ≫印刷用


14 山下つばさ「祝福」

17音着地の5+6+6とか6+5+6とかのリズムを多用しているが、効果が感じられず読みにくいだけに終わっているような気がする。

心臓の高さに金魚棲まはせて 山下つばさ

「心臓の高さ」という突飛な措辞が卓抜である。金魚の赤さえ深い意味を持っているように思えてくる。さらにこの句を何度も反芻していると、「棲まはせて」はもしかすると眼前の水槽ではなく、自分の体内なのではないかという気さえしてくる。

≫読む ≫テキスト ≫印刷用

15 山田露結「幸せの人」

いちいち小技が上手い分、「これが俺の俳句だ」というのが目立たなくなり損をしているような気がする。

畳まれて四角き顔の鯉のぼり 山田露結

いかにも俳句的なトリックであり、こういうのが憎らしい小技なのである。

包帯を解かれし腕や更衣 同

「包帯を解かれし腕」に「更衣」を斡旋するというのも、憎らしい小技の類だろうか。

樹の瘤は樹の顔ならず冬に入る 同

樹の瘤に人の顔を見る俳句はいくらでもありそうだが、「樹の顔ならず」と云った俳句はあまりないのではないか。

 ≫読む ≫テキスト ≫印刷用


16 吉井 潤「光○追う人」

ほとんどの句が切れのない作りになっているので、奇をてらわない反面、自らハードルを上げてしまった感もある。

がらくたに春の怒濤を見つけたり 吉井 潤

作者をして「春の怒濤」と言わしめたがらくたを見てみたい。

 ≫読む ≫テキスト ≫印刷用


17 すずきみのる「過日」

「湖水」「京都駅」「水都」「四条」などを散りばめて、それとなくゾーンをほのめかしてまとめている。「変わり」「わらわ顔」など仮名遣いの誤りが惜しい。

春灯の範疇トイレ使用燈 すずきみのる
喫茶店などにある、トランプのキングやクイーンみたいなのが灯るあれを、「春灯の範疇」を云っておどけてみせている。

四条まで時雨の舌は届かざる 同

「時雨の舌」という措辞それだけでもよいのだが、「四条」「時雨」「舌」と頭韻を揃えたことにより、「時雨の舌」になんとも湿潤なエロスのようなものを感じる。地名のゆかしさもよい。

 ≫読む ≫テキスト ≫印刷用



2013落選展 Salon des Refusés  ≫読む

2013-11-03

2013落選展 17 過日 すずきみのる

画像をクリックすると大きくなります。


週刊俳句 第341号 2013-11-03
2013落選展 17過日 すずきみのる
クリックすると大きくなります
第341号の表紙に戻る

2013落選展テキスト 17過日 すずきみのる

17 過日 すずきみのる

波の穂も丸ぶ湖水や春初め
春の雪届かずたぶの虚までは
淡雪にあらずかもめの糞である
遅霜の胡粉塗しや古タイヤ
コンタクトレンズが痛いいぬふぐり
駅弁は桜サクラの京都駅
脚はクロスに春コート駅に立つ
大屋根に高窓光りミモザ咲く
表札に通り名を添へ諸葛菜
春灯の範疇トイレ使用燈
車窓より水都あまねく花曇
セメントは静かに乾く蝶の昼
山笑ふ採石のあと切り立つも
梅雨の雲ありあまる目を蜘蛛は持ち
青田見て車窓に浅き眠りして
幽霊の手のさま栗の花のさま
ところてん神二柱睦みゐる
草むらに吹き戻されて蛇の衣
炎上の様に雲湧く遠花火
遠雷や時々風の向き変わり
黒白の毛虫の時間伸び縮み
携帯に残す秋立つ日の画像
水底を魚体くたれて去る九月
秋暑き水都に若きコメディアン
ぎす鳴きて廃寺の中に憩ひの場
秋灯下子規の千枚通し見る
捨てらるるはずが案山子を装ひぬ
胴長の犬が落ち葉を咬むところ
細密に詳細に萩咲きにけり
卓上に黒髪あふれ星月夜
秋水や周期表まづHより
贋作のムンクと望の夜を過ごす
お会式桜そこは園児が集ふ場所
ピアノ線なし岩を垂れ秋の滝
秋の駅イスラム服の女走る
砕きつつ歩くどんぐり乾く道
草紅葉なす頂上を盟主とす
紅葉の中に病葉あるあはれ
猪は臭し臭しと畑の嫗
百の群れゐてゆりかもめわらわ顔
四条まで時雨の舌は届かざる
ポインセチア朱をカンバスの芯に打つ
気ぶつせいな方も交へて神集ひ
ウイツグが鞄に覗く神の留守
システムキッチン小鍋に鰤大根を煮て
ひたひたの水にいきていたくないなまこ
冬桜ぼけざくらとは御無体な
雪しまく魁偉なる根の磯慣松
寒風を来て熱すぎる蒸しタオル
白鳥の磔刑のさま星座とす


2012-12-16

【落選展2012を読む】 落選展よ水戸橋よ(其の三)  島田牙城

 落選展2012を読む
落選展よ水戸橋よ(其の三) 

島田牙城


水戸橋といふ言葉から、人は何を想像するのだらう。

前回、水戸橋が水戸市にもないと書いたが、実は水戸市に水戸大橋はある。

ただ、水戸橋から想像できるものと、水戸大橋から想像するものとは違ふ。うん、大いに違ふ。

僕の場合だけれど、水戸橋のたもとには黄門様も歩いてゐるし、梅の花も咲いてゐる。歴史好きの人なら天狗党の暗闘まで思ひ浮かべるかもしれない。その橋が水戸でなく東京の小菅にあると知つてゐてもだ。

反面、水戸大橋にその情緒があるか。何川に掛かる橋かは知らぬが、だだつぴろい河原のゴミを引つ掛けて頽れる枯蘆原を眼下に、ジーゼルの黒い煙を吐いて走り抜けるダンプやトラックの群が見えてくるばかりだ。

さういふ意味で、水戸に水戸大橋があつたとしても、水戸橋があることにはならないのであつた。

(あ、僕はどつちがいいね、なんて書いてないよ。水戸大橋こそ俳句に書きたいといふ人のはうが、俳人としてはマトモであるといふ気もするしね)

では続ける。







わー、どうしよう、引く句がない。

 ≫読む ≫テキスト

村越敦さんといふのは、相当俳句を読んでゐる人なんだらうなとは思ふ。

でもさあ、五十句すべてが物欲しげな顔をしてゐるんだよ。

おいしいところをちよいと摘まんで見せてくれるから、句会なんかではすごく人気を得るんだらうけれど、目が覚めたら忘れてゐるよね、といふ句ばかりなんだよ。

抽象的な言ひ方になるけれど、言葉に体重が乗つてゐないといふことかなあ。

やがて降る雨雪のこと薬喰〉の〈やがて→こと〉、
木枯やくちびる荒れて街あれて〉の下七五、
屏風絵の中や音なく笑ふなり〉の〈音なく〉。

俳句つてそんなところには手柄は無いんだよ。

もつと〈物〉とがちんこ勝負してほしいなあ、期待の若手なんだもの。

福田若之さんの模型の丘の恋愛を思ひ出してしまつたぞ。模型の丘の俳句。いや、ごめん。



念珠屋の前のバス停風光る  利普苑るな

 ≫読む ≫テキスト 

具体的にしつかりと五・七・五に書ききらうとする意識が見えて、好感が持てる五十句だね。

念珠屋といふのが一般的な言葉なのかどうかは知らないけれど、お数珠を売る店なのだらう。最近ではリラクゼイションとかでお香もブームらしいし、お数珠にしてもファッション感覚溢れるものがあるのかもしれない。

仏具屋といふのとは違ひ、若者を引きつける語感がある。人気スポットなのかな。さう思はせるのが、「風光る」といふ季語の力だね。

全体はすごくぎこちないし、「や」の多用も気になるのだけれど、このまま進めばいいんじやないかなあ。

家鴨住む弁財天堂秋の声  利普苑るな

も「秋の声」で助かつた(助かると書いたけれど、上の十二音が陳腐だといふことは、解つてゐるよね。それを救ふ季語の力といふことだ)。

仮の名のままに猫飼ひ冬隣  利普苑るな
夕凪や釣人のふりしてゐたる  同

かういふ作り方をしてゐる人へは、赤の他人の僕が「ここが駄目なんだよ」なんて言ふ必要がないんだ。必ず自分で気付くことのできる句作りをしていらつしやるだから。



五月雨や犬の耳垢耳の中  藤 幹子

≫読む ≫テキスト

には予期せぬ出会ひの面白さがある。

たとへば恋愛、かういふ男性が理想よつて、理想の男を夢想して過ごす日々つて虚しいのであつて、ある日ある時、わたしはなんで今こんな男とお酒飲んでるんだらう、時間の無駄なんだけど、なんていふ程度の男のことが、翌朝忘れられなくなつてゐたりするんじやないかなあ。そして一生を無駄な時間の延長として過ごす。そんな恋愛。うん、そんな俳句。

ぬれそぼつ犬の耳を見れば、つひつひ思ひ出してしまふやうな句、だよね。

今回の50句はさうじやない俳句が多かつたやうだけど、期待してゐます。




くさぐさに名付けいづれも枯さうび  すずきみのる
昼ま逢ふ人初夢のなかに笑む  同

≫読む ≫テキスト 

うん、最後の二句。それまでの四十八句はこのための助走だつたのかいなと思ふ。

あまりきよろきよろしないで一点凝視で句を作る人なのだらう。ただし、

はつゆきを競馬新聞にて避ける  すずきみのる

など、事の面白さで終はつてゐて、「競馬新聞」とあるにもかかはらず、競馬新聞の実体が浮かんでこない。「はつゆき」の既成のうつくしさをひねらうとする意志が見えてしまふからなのだらう。その意志は嫌みになる。

掲出の二句にはそれがない。理屈を捏ねると「エリザベス」だとか「クイーン」だとか、中には日本名もあるだらうが、いろいろに美しさうな名付けをしたところで、枯れてしまへば枯さうびさ、といふことだけれど、その理屈を忌避する潔さ、スピード感がこの句にはある。「初夢」の句もしかり。



啓蟄や乳吸ふ丸き後頭部  藤尾ゆげ

≫読む ≫テキスト

以下、〈佛壇を開くと連凧のけはひ〉〈春の虎檻ごと消えてから臭ふ〉〈受験日の吊り目の聖ジョセフ像〉〈鰆の字大きく書きてバスガイド〉〈朧夜に引き抜く不在連絡票〉と、出だしの十句で六句に○を打つ。

期待。
外れ。

なんでさうなつてしまふの、といふほどの落差ではないですか、ゆげさーーーん。

夏の底剥製は眼を開けてをり〉、〈夏の底〉じやないでしよ。
蟷螂がゐる梵鐘を待つごとく〉、音は待てても、〈梵鐘〉は待てないでしよ。
ローマ字のどれにも冬の鳩のゐて〉つて、一人よがりでしよ。
正月を殴つて逃げてしまひたき〉つて、僕にはどうでもいいことだし。

勿体無いんだよねー、かういふ人。いい句を書ける人が何かの拍子に色気を出してしまふといふことだらうか。



冷えた手を載せれば掴む手であつた  佐藤文香
口元や雪は枯野へ細密に  同
谷に日のあたる時間や春の鳥  同
川までのてのひらに雛あたたまり  同
春の夕日は君の眉間を裏から突く  同
花冷の肺は吐息をほしがりぬ  同
たんぽぽを活けて一部屋だけの家  同
さへづりに濡れてはじめの樹へ戻る  同
天やはらかく暮れたり君のこゑほしき  同

≫読む ≫テキスト

大きな○を打つた九句。句集を出したあと、一度自分をぶつこはさうとしてゐた句づくりから、もう一歩抜け出したのかな。

さへづりに濡れてはじめの樹へ戻る〉は、この作者が獲得したさはさはした情感の世界を思はせるよね。ねちねちしてゐないけれどきちんと女であるといふ世界観。この句は、少なくとも昭和半ばまでの男には書けないんだよ。「はじめの樹」といふ把握が、文香俳句の地平をさらに広げたんではないかい、と思ふ。さうか、神戸やら松山やらの、瀬戸内女の俳句つてことかなあ。

ふきのたう愛の湿度のととのほる〉とかさあ、二重、いや、三重バッテンの句もある(何が「愛の湿度」だよ。読み返して、自分で恰好悪いでしよ。「ととのほる」なんてわざわざ使ふあたりも、自分で辟易でしよ)し、そもそもタイトルにした〈葉桜や丘に見えたところに来てゐる〉が頂けないといふのもあるのだけれど、どんどんおやんなさい、と書いておかうか。

さうさう、タイトルの句、〈丘に見えたところに来てゐる〉はいいんだよ。なして、この季語なの? これでは、「青い山脈」の女学生だね。

(つづく)

2012-12-09

【2012落選展を読む】谷雄介 村越敦 司会:上田信治

【2012落選展を読む】
エプロン専門店からからふとますまで 
(16すずきみのる 17藤尾ゆげ 18佐藤文香 19生駒大祐)

谷雄介 
村越敦 
司会:上田信治


この対話は、2012/11/18 22:23から2012/11/19 1:18にかけて、skypeのメッセージ機能を通じて交わされたテキストを、再構成したものです。


谷: この画面でチャットする感じですか??

上田: あ、そうです

谷: では、あと村越くん待ちですね。練習中・・・これ、発言どうやったら消えるんだろ(改行はshift+enterですね。facebookと同じ)

上田: 右の矢印をあれすると。

谷: お、消えた。右クリックですね。

上田: あ、そうだね。
今日、何食べたですか?

谷: 昼は自分でパスタを作り、夜は木枯しの浅草に繰り出して、安い回転寿司を食べて、浅草名物の「浅草メンチ」を頬張りながら夜の散歩。

ただいまマックに落ち着いたところです

上田: あ、村越くん、帰ってきた

村越: 遅くなりました。ダッシュで帰ったので、少し痩せたかとおもいます。よろしくおねがいします。

上田: えー、では、はじめさせていただきます。

村越: よろしくお願いいたします。

谷: お願いします。

上田: 落選展応募作品を、3ブロックに分けた後半8作品を、谷雄介さん、村越敦さんとともに読んで参りたいと思います。

村越: 高まります!

上田:では、番号順に。



16 すずきみのる「曲直」 
≫読む ≫テキスト


村越: いいと思った句を挙げますと、

窓が切りとる上下層春の塔
節電の夏や緑に染める髪
冬川に石打ちなにも期待せず
はつゆきを競馬新聞にて避ける
エプロン専門店出て冬晴の高き塔


てな感じでした。雄介さんどうですか?
谷: 競馬新聞は僕も好きでした。ちなみに1句目はどこがおもしろかったの?

村越: 春の塔がなんとなく唐突なんですけど、上五中七が新鮮かなぁと。

全体的には、素材はけっこう新しくて、表現上も工夫を感じる部分が多かったのですが季語でうーん、となってしまう印象を覚えました。

谷: 僕は単純に「窓が切りとる上下層」が分からなかった。

村越: 窓の句については、大きな窓があって、その真ん中あたりで横に区切られる部分があって、その上と、下という風に読みました。でも冷静に考えると、どちらも同じ景色ですねw

谷: 捉え方は僕も一緒。

で、これは僕の中で今日の座談会のテーマでもあるんですが、

上田: おお

谷: 「それって面白いんだっけ?」

上田:

谷: 「その面白さってどうやって説明するんだろう?」というのが、一通り読んで、非常にギモンでした。

村越: この方に関してですか?それとも、 今回読んでいただいた作品全体的にでしょうか。

谷: この方特定ではないです。各々濃淡はあれ、という感じ。

なんか感じ悪いね、僕。あ、いつもか。

上田: いや、大事な話だと思います、それ。

まず、あらかじめ説明できないようなことでも、それが俳句になっていて、面白ければ、逆算されて面白さがそこにあった、っていうことにはなるよね

谷: 信治さんの話、むずかしいっす。

上田: まだ、勘で喋ってるだけから、そこは、おいおい話していきましょう。

谷: 了解です。

村越: 雄介さん、この方の作品で好きな句はありました?

谷: まずは競馬新聞。

村越: いいですね。

上田:ちょっと、ポーズを感じないこともないけど、その句。

谷: あとは〈初夏の口腔に舌あるばかり〉もちオマージュとして。  んー、でも微妙かも。迷う

上田: 何へのオマージュですか?

村越: すみません、僕もわからなかったですw

谷: 晩春の肉。

村越: 舌よりはじまるか、でしたか。

谷: YES.舌。

上田: でも、それは、一連を代表する句ではないですね

谷: 僕の方の全体的な感想で言うと、かなりの数の句が、よく言えば予定調和を脱していると思うんですが、 分かりにくい、読みにくい句が多いなという印象でした。

あ、〈ダービーや麦飯の上黄身の張り 〉も好きでした。〈壁と床ひといろの部屋かしはもち

上田: わがままな書きぶりというか。

村越: 書き方をわかりにくくすることで、予定調和を無理やり脱してるという感じでしょうか。

谷: たとえば、初めの〈春浅し運命鑑定士は中座 〉は、意味は分かるんですけど、なぜここで敢えて運命鑑定士を中座させるのか、そのシチュエーションにどういう面白さがあるのか、が、直観的にも、論理的にも分からない、という感想でした。

あと、村越くんの言う「季語がうまくいってない」という話で言うと、
ダービーの句なんか僕すごく好きなんですが、「ダービー」で要素が増えて、作品が何を言いたいのかわからなくなってしまった感。

(こんな話してたら朝になりそうですね・・・)

村越: いいですねw

上田: 今日は三分の一か、半分までという手もありますね

村越: もどりますと、季語と、それ以外の措辞の「つき幅」にばらつきがある印象なんです。

谷:庭石の残るあかるさ揚ひばり〉とか? 〈拓本に私信の古ぶ万愚節 〉とか?

村越: いや、作品全体で見た時に、最左翼と最右翼が遠い印象で、たとえば〈揚雲雀〉の句は近い。〈運命鑑定士〉の句は、春浅しだと遠すぎてなんだかシチュエーションがわからない。

 そのなかでダービーとか、あとはさっき挙げた〈エプロン専門店〉の句なんかは、要素は多いながらもぎりぎりのところで糸が通っている気がして。

だからなんだか統一感がないというか、ばらばらな印象があるなぁと、ちょっとふわふわした表現ですみません。

上田: 違和感というか、気持ち悪いかんじをたよりに書かれているのかもしれないですね〈節電の夏や緑に染める髪〉。

村越: その節電の、かなり好きでした。

上田: 節電と、カラリングの、つきそうでつかないかんじ。戦時中の愛国婦人会が、電髪を敵視した故事をふまえているのかな。

村越: 現代の、不安定な感じ。

谷: 僕も好きなんですが、 その村越君の「現代の、不安定な感じ」が見え透いてしまう気がしてとらず(笑)。

村越: 見え透いてしまう、なるほど。笑

谷: ちょっとひねくれすぎですね・・・すみません。 好き嫌いで言うと、好きです(笑)

村越: ツンデレw

上田: ちょっと親切に読み過ぎかもしれない。

谷: ちなみに、すごくつまらない質問をしますが、エプロン専門店の句の「高き塔」はスカイツリーのイメージ?>村越君

村越: いや、僕は送電線の鉄塔でとりました。 高円寺とか、初台とか、あのへんにあるやつ。

谷: なるほど。変な意地悪な意味ではないんですけど、やたら俳句って「塔」って使うんですけど、

上田: ふふふふ、なるほど。

村越: あー

谷: 「塔って何だっけ?」「その塔って伝わってるの?」と日頃から思っていたと。それだけの話なんですが。

上田: では、その問題は、また以降の作品にもちこしていただいて、

谷: あ、あとひとつだけ。この作者、「ひと」という言葉を多用してますよね。意図があるのかもしれませんが、悪目立ちしているかもと思いました。

上田: なんとなく女性のイメージ。男性性の演出だと思うな。





17 藤尾ゆげ 結界
≫読む ≫テキスト


谷: 一番好きだったのは、〈正月を殴つて逃げてしまひたき〉。

あとは、

失敗をつばめのやうに忘れたい
てつぺんの鬼柚子あした孵化するや
鰆の字大きく書きてバスガイド

かなり自由に書かれて面白く読めた半面、完全に意味が取れない句(〈オペ室へ〉とか)もありました。

上田: このひとも、わがままな書きぶりとは言えますね

谷: 信治さんの「わがままな書きぶり」の意味するところやその反意語等もお伺いしたく。

村越: 僕、この人相当好きでした。いっぱい丸がついてる。

蜘蛛の糸のぼりていつもここに来る

谷: (読み返すと、いろいろ気になる句ありますね)

村越:

鰆の字大きく書きてバスガイド
雹過ぎてパン粉の中に右手かな
日蝕の朝のたましひ胡瓜揉む
首長き天気予報士雪を貼る
咳けば狼の来る鉄扉かな
フレームの湿気すべてが父である
咳けば狼の来る鉄扉かな
春の山ぐるりとリップクリーム塗る

動物のモチーフと、あとはタイトルにあるように宗教的なモチーフが多くて。

谷: (狼の句、好きすぎるだろ)

谷: (あ、リップクリームの句もいいね)

村越: 生々しい、グロテスクな世界があるなぁと。あまりこのタイプの世界観をきちんと提示してくれる人って少ない気がして。

谷: もう一句〈塊は鯨となりて喪の明くる〉、にも一票。

村越: 丸ついてました、それw「塊は鯨となりて」の求心力、半端ないです。

谷: グロテスク、か。何か違う言い方あるかな。

村越: それはたしかに違うかも知れません、自分で言っておきながらですが。

谷: なんだろね。たとえば、パン粉の中の右手、のあたりでしょ? 

僕の感じで言うと、生死とか、苦しさ、神や地獄とかを、犬猫や、パンやスープと同列に並べて作品を作っているという印象。 神様を買うっていう言い方とか、自分が解剖される蛙になる視点とか。

塊は、の句も、何の塊かは分からないけど、変に暗示的ではなくて自然に詠まれている気がする。

村越:藻の花や沈めば我は誰の餌〉そうですね。そうか、それなら〈岡本太郎〉も理解できま

上田: あー、ちょっと、じゃあ、わがままの話してもいいですか

村越: もちろんです。

谷: お待ちしてました。

上田: あげていただいた句に、なんらかの感覚的な内容があるらしいというのは、分かるんですけど、ぼくは、ほとんど説得されなくて、もどかしかったんですよ。

雹過ぎてパン粉の中に右手かな

雹過ぎて、という言い方がまず、ぎりぎりなかんじ。雹が通りすぎるように止んだということかな。

で、雹が止んだことを認識してる主体が、つぎは、パン粉の中に右手を発見する……自分が、自分の手をパン粉に突っ込みっぱなしだったことを思い出すんだろうか。

それ、面白いかもしれないけど、ほんとに作者が書いたことはそれなのか。ただ、うまく言い切れてないだけなんじゃないか。

ローマ字のどれにも冬の鳩のゐて

popですよね。でも、もうひと説得して、ローマ字にいる鳩にふれさせてほしいのに、そこまで踏み込んではくれない。

谷: すごい雑な添削ですけど、「雹過ぎて→松過ぎて」なら、まだイケます?

村越: いや僕はそこ、雹のほうがいいとおもいますw

「雹すぎて」、難しいですかね?さっきまで雹が降っていて、いまは止んでる。でも硬い雹があちこちにあたる音とか、空気感はまだ残っている。
それを通奏低音として、自身は右手がパン粉の中。気持ち悪いじゃないですか、あれ。

 いろんな微妙な感覚が、良い感じで絡み合ってて、それが気持ちいいなぁと。 痛気持ちいいに近いというか。

谷: そうか。まあ、松過ぎてを押すわけではないんだけど、「雹過ぎて」を信治さんも、村越君も真面目に鑑賞していることにちょっと意外な気がしている。

(突然変なこと言いますが)(鑑賞に取り入れていることに、か)

村越: おおっ

谷: (ちょっと意味が分かりませんね、やめますか)

  冬の鳩の句は、僕も信治さんと同じ印象(ふれさせてほしい、踏み込んでくれない)なんですが、その踏み込めなさを多少楽しんで読めているかも。今は。飾り文字、みたいな事ですかね。

上田: あと、壁の立体サインという可能性もある。

谷: そういえば、今思い出しましたが、 善光寺の門の「善光寺」という文字には鳩が隠れてるんですよね。ああいうののことか。http://zenkozi.com/about/pigeon.html

村越: なるほど。

上田: これは、たしかに「それって面白いんだっけ?」かもしれないですね。

谷: つまり、信治さんの言ったような意味が裏にあるとすると「ローマ字」じゃないかも。

村越: LOVEのオブジェとか、そういうのの可能性もありますよね。

上田: つまり、わがままな句作り、というのは、言葉足らずとか、イメージの不確かさを逆手にとろうとしている、ということですね。

谷: あ、そういう意味ですよね。

上田: この方の場合、言葉が足りると、〈失敗を〉〈正月を〉〈蜘蛛の糸〉のような、川柳に接近した句になる。

谷: ああ〈正月を〉は川柳といえば、川柳ですね(このへん種々議論があると思いますが)

上田: 村越さんのイタキモチイイ、おもしろい評言でした。

村越: とすると信治さんは、言葉が足りてない句に魅力を感じるということでしょうか…?

上田: いや、うーん、

村越: あ、この作者の作品の話です。

上田: 俳句に「ウワゴト感」みたいなものは大事な要素だと思います。坪内稔典さんの言う片言性ですか。

でも、それって、まぐれを方法化するみたいなもので、ガラガラポンみたいにして作っていく中で、どういうわけか汲めど尽きせぬ魅力があるものが選ばれて提出されていれば、作品として成立していると言える。波多野爽波の句の多くは、そういうものだと思います。

でも、アタリハズレはかまわずどんどん書くんで勝手に読んでくれ、という句作りに見えてしまう場合は、ちょっと、わがままかなあ、と。

村越: そうちょっと思いだしたのが、最近句会の選評の中で、村上鞆彦さんが「稚拙を装った句」という表現を句をほめる文脈で使ってらして、

上田: ほほお

村越: 信治さん的にはそこまでいってないよね、ということでしょうか。ここまでのお二方に関しては。

上田: あ、ぜんぜん、そういう方法意識で作られてないと思います。

谷: 稚拙とはまた違いますか?

上田: えーと、ジャンプをつくろうとしてる。

谷: 俳句には二つある。ジャンプのある句と、ジャンプのない句である。by上田信治

上田: (無視して)

詩的飛躍をつくろうとして、いっぱいいっぱいの歩幅で飛ぶとき、すごく無理がある飛び方をして、ふしぎなポーズになるみたいな?

谷: ジャンプにはつある。週刊少年ジャンプと月刊少年ジャンプ、そしてその他のジャンプもろもろである。あ、くだらなくて死にたい。

村越: 僕マガジン派です

上田: 笑。えー、では次に。



18 佐藤文香 丘に見えたところ

≫読む ≫テキスト

村越: 好きな句を抜きます。

泪の夜さへもスープは熱く出来
ゆずり葉や更地脇群青の小屋
川までのてのひらに雛あたたまり
初桜めがねの朝はさりげなく
さへづりに濡れてはじめの樹へ戻る
桜蕊降るやひとりの夜がすべて
葉桜や丘に見えたところに来てゐる
いつまでもむかしの波を平泳


ひとことで言えば、長いラブレターのような作品群、どう読めばいいのかという感じです。

上田: どう読めばというのは。

村越: 全体的にぼやけた、不安定な書き方をしているんですけど、たとえば言葉の連続性(梅園に→梅林の、みたいな)に見られるように、連作作品としては相当練られている。作者の世界がきちんと提示されている。

反面、たとえば〈冷えた手を載せれば掴む手であつた〉。~であつた、はいったい誰に向けて書いているのか。読者はなにをよすがとしてこれを読めばいいのだろう、と思ってしまって。

谷: 乗っかりますが、「この句ってどこがおもしろいんだっけ?」という疑問、僕は村越君のあげたほとんどの句についてあてはまるかも。

上田: ふむふむ

谷: (あ、すみません、マックから追い出されそう)

村越: おっとw

上田: えええピンチじゃないですか

谷: 10分ほど小休止いただいていいですか? すぐ家に戻るので。

上田: はい、了解です

谷: その間に、村越君があげた句の一部でいいので、「この句はここが面白い」と世間にプレゼンできる部分を、教えてほしいかも。

村越: 了解です、ちょっと考えるので、帰宅されたらしゃべって下さい!

谷: ただいま、戻りました!一瞬トイレ!

本格的に戻りました。さすがに木枯しの日は寒いですね。

村越さんがまだのようなので、先に別の話をすると。

冷えた手を、の句と、〈長恨歌のちに冷たき手となりぬ〉の句と(過去の同じ作者の句を比較しちゃうのはあまりよくないかも知れませんが)全体的に相当わがままな書き方に言ってしまっているというか、わがままな「面白さ」の方へ作者だけが突っ走ってる気がしてます。

作品自体は嫌いではないですが。全体雑感、以上です。

村越: おおっ…喋りにくい…

谷: いや、ぼくのくだりは一度無視して、あげた句の「ここはオレが推すぜポイント」を熱く語ってください。他の人は佐藤句のどのへんが面白いと思ってるのか、確かめたい。

村越:川までのてのひらに雛あたたまり〉これなんかは、俳句的にすごく良くできているというか、感覚を丁寧に描けていて好きでした。

それから、はじめの樹〉の句や〈丘に見えたところ〉(題名にもなってますが)の句は“時間差”が魅力だと思いました。

あとは、内容もさることながら、この作者は、この人ならではの書きぶり・形式が魅力的だと思います。

谷:めがねの朝〉は?

村越: さりげなく、でしょうかw

谷: 「書きぶり、形式が魅力的」は分かる。

上田: これは、後朝では。

谷: あ、きぬぎぬか。なるほど。

信治さんはどのあたりの句が好きでしたか??

上田: あ、ぼくですか。

村越: ゆーすけさんも好きな句を、是非。

谷:月は春かつての最寄り駅に降りず〉とか。

上田:
冬の日や浅瀬の鳩のうむ水輪
その指をながめてをれば吾を摘む
水仙の群のほぐれて向かうまで
あかき葉のつと空を指す芽吹きかな
春になる中野通りを北へただ
花に夕焼スパゲッティを巻いてなほ
たんぽぽを活けて一部屋だけの家
溶けぬ砂糖に潰すミントの茎むらさき
葉桜や丘に見えたところに来てゐる
呼吸そつと汗の後頭部を抱く


村越: おお、ほとんどかぶらなかった…

上田: もともと、こう、言葉の操作と偶然によって生じる、キラキラしさみたいなところで勝負してる人だと思うんですけど……。

この句は、これ連作でしょう。

谷:その指を眺めてをれば吾を摘む〉は僕も一票。

連作として読まれることを相当意図してますね

上田: そのムードの持続が、キラキラに、核を生んでるなと。

感情的な核に、いちいち手応えがあるので、これは、僕がさっき言ったような、わがままっていうんじゃないような気がするんですよ。

谷: なんか「連作」と言い始めると別の話になっちゃうんですが。ここまで「連作」と言う話が一度も出てこなかったのに。

上田: あ、谷さんは、一作一作ができてるかどうかを言いたいのでしたね。

谷:いや、僕は一作一作の出来だけではないと思ってます。 この作者になると「連作」としての見方も語る必要があるってことでしょうか。

上田: もどるけど、ぼくは、長恨歌、の句よりも、冷えた手のほうが、いいなあ。

谷: その気持ちは僕もわかります。気持ち、というより、本当は僕もそう思うんですけど。

なんだろーなー、同年なので変にうがった見方をしてるのは間違いないんですが、たびたび野暮な質問ですが、信治さんがどのへんが面白いと思われますか?この句。

 今回は感情的な核に、手応えが出てきてるということでしょうか。(おっしゃってる意味は何となく分かるんですけど・・・面倒くさくてすみません。。)

上田: ことばのあやうい操作の生む抽象的なキラキラと、情感のたしかさの両立。

村越: なるほど…。

上田: たとえば、どちらも性愛の句かもしれないですけどその指を〉の句の、時間と運動、あと視点がシンクロして動く経過とか。

谷: 性愛じゃないですか。これは。

上田:呼吸そつと〉という上五の、切り出しの不安定さとか、まあ、たまらんですね。

村越: すごく、すごくよくわかるのですが。

情感のたしかさというのは本当にそうで、それは伝わってきます。で、それを独特の書きぶり、ことばのあやうさでいいところまで引き伸ばして、放り投げてる。

全体として見ても、句でちゃんと作者らしさが一気通貫していて、好きな一連です。

ですが、その情感の内容が、やや「独りよがり」、もしくは逆に「普遍的すぎる」内容が多い気がして、だから「わあ!おもしろい!」、という感覚とは違ったんですよね。

なので一読者としては、もうすこし、少しだけでいいので、普遍的でありながら、詠う内容にオリジナルな部分があると、書きぶりもあいまって作品がより遠くに飛んでいく気がしてならないのです。

その意味ではちょっとだけ、残念でした。好きな一連なので、なおさら。

谷: 「独りよがり」とは違う言い方だけど、「君」という言い方で出てくる相手のパーソナリティが、ほとんど具体的に語られていないのが特徴的。どういう人物か見えてこない。

「普遍的」はたぶん作者自身が意識してるんじゃないかな。普遍的・・・ん、言い方違うか。

上田:逆にね、極私的であることを前面に出しつつ書くことで、新しい領域を切りひらいている、ということでは。

谷: 明らかに「新しい」と思います。

村越: 「新しい」、そうですね。

僕自身がこのごろ私的なものを可能な限り排除して書こうとしているので、眩しいだけなのかもしれないです、単に。笑

上田: 普遍的でエモーショナルなものって、平成俳句では、ダサイとされがちではなかったかと。子供が生まれて父になったとか・・・そんなことない?

谷: そうですね。

上田: この一連は、エモーショナルなものを、あからさまに極私的に書くことで、俳句にふたたび持ち込んでみせているのではないか。

村越: なるほど。

上田: どこが極私的かっていうと、けっこう露骨に暗示される性的なものとか、〈花に夕焼〉や〈溶けぬ砂糖〉みたいな、その日のできごとだろそれ、的な内容。

それもこれも、恋の句だから可能なことで、おもしろいと思ったなあ。

谷: なるほど。 白泉の〈われは恋ひきみは晩霞を告げわたる〉みたいな、このへんの世界がちょっと近いですかね。

上田: ああ、白泉。近いかも。〈われは恋ひ〉は「青春譜」っていう連作の最後の句だし、あの子供が死んだ時の一連とかね。

あと、ぼくがあげたうち、半分くらい叙景句で、非常に率直に書かれていて、でもそれは、一連の感情的持続の中で書かれてるんじゃないか、と。

村越: ですね、恋の句で読み手もエンジンが掛かって、情景句はその惰性の中で読む、という感じがします。

上田: 惰性は、ちょっとあれだけど、いい意味で勢いに乗って、素直に書かれているような気がして、

村越: うんうん。

上田: 浅瀬の鳩の、と、もたもた言っといて、冬の日や、と帰ってく感じとか、いくないですか。

谷: 逆に「これはないだろー」みたいな句ってあります??

上田: 凝り過ぎかなというのは、ある。

村越:ふきのたう愛の湿度のととのほる〉の「ととのほる」がちょっと…(笑)。「さへづりに」からはじまって、そこからの数句はすごくいいと思いました。句どうしの連関が。

 本当に、話すことは尽きないですね。

上田: どうしましょう、谷さん、明日会社ですよね。

谷: とは言え、もうひとりふたりやらねば、2回でおさまらないですよね汗

村越: 生駒さんまでやりましょうか?

谷: すみません、紛糾させて。

村越: お仕事、優先して下さい。(明日は我が身)



19 生駒大祐 らふそく

≫読む ≫テキスト

谷:
天の川星踏み鳴らしつつ渡る
螺子締めて木を苦しむる夏はじめ
蝸牛まみどりを糞りつづくなり


取り急ぎ、以上です。

村越: 全体的に見ると、どうでしょうか。

谷: 読み切れない句と、何でこんな簡単な句作っちゃったの?という句もあったかなー。

簡単な句というのは、〈風吹いて〉〈木漏れ日の〉〈太陽の育てし〉あたり。誰でも作れそうな句ではないかと。

(そもそも賞に出してすらいない僕が人の句に偉そうなこと言えないんですけど・・・)

(やばいな、このポジション・・・)

(ひえー)

上田: いやいや、賞に出してる方も辛いよw

谷: 村越君はどう?

村越: えっと、好きだったのは

目を瞑るやうに雨止む草紅葉
文殻を焚けば浅草見ゆるなり
下京や氷柱肥えゐて一つ根に
螺子締めて木を苦しむる夏はじめ
朝風や死螢の背ナ湿りゐる
はつなつはましろきゆめとこゑがいふ


村越: 〈螺子締めて〉はゆーすけさんも挙げてますよね、僕もいいと思いました。

谷: 〈はつなつ〉の句はどう鑑賞したの?こゑをどうとるか、迷った。

村越: はつなつの句、たぶん生駒さん的には、決め球のつもりで書いてると思ったんです。

谷: ふむ、決め球。

村越: ここがひとつの山、みたいな。

谷: ほう、ここがひとつの山。

村越: ww

谷: なんだよ、山って!

村越: いや、連作のなかにいくつか散りばめるじゃないですか、自信作みたいなのを

谷: そうね、でもここでいう「こゑ」ってなんじゃらほい?

村越: わからないです、誰かに発声されて、空気を伝ってきた、なにかです。

上田: この世ならぬもの、というかんじでしょうか

村越: ですね、霊的ななにかでしょうか

谷: ですね。だだこねました。

村越:

谷: でも、だだではありますが、

上田: ええ

谷: 俳句の世界って、相当雰囲気で理解する部分、多いですよね。あまり詮索せん方がいいのかも知れませんが、

上田: 超音波で、会話してるみたいなとこあるよね

谷: あ、それ分かりやすいですね。

村越: びびびびびび、ですね

谷: でも、本当に会話できてるかは、あやしいと思いますよ(漠然とした話ですが)

村越: たしかに

上田: どのくらい、その空中戦が「ほんとうに」あるか、が句の価値だったりすると思う。

村越: ただその齟齬がおもしろいですけどねー、伝わらないとか、曲解されるとか、おもしろいなぁと

上田: ああ、村越さんは、今、そこがつぼなんですねえ。

村越: かもしれないです。だからこのはつなつの句、 ちょっと物足りないんですよw ひらがな書きとか、狙いどころとか、ふむ(ニヤリ)としてしまって。

上田: この人は、でも、わりと、かたちにしていこうとしているよね。雰囲気的といわれてしまうようなものをもっとも好みつつ、ムードで終わらないようにという意図は感じる。

目を瞑るやうに雨止む草紅葉
眠たげに木の横たはる春のくれ
蝸牛まみどりを糞りつづくなり
いのちなき鶏卵茹でる晩夏光


でも、ほんとは、

黒蟻や溶けし氷菓に流さるる 
おのづから粘土は花器に神無月
日本間の匂ひのしたる冬の雲
缶に入るからふとますや春の春


このへんの、あほか、というような句が好きです。自信作なのか、やけっぱちなのか分からないけど。

谷: 春の春って(笑)何なんでしょうね。

村越: たしかに。笑

からふとます、ってひらがなで書くとなんかいいですね。

谷: からふとます

村越: 違ういきものみたい。

上田: ふとましいよね。

谷: ふとましいからふとます

谷: からふとましい、からふとましく、からふと・・・

上田: 春や春、だったのかもですね

谷:潰えては肉に浮かびぬ柿の蔕〉とか

村越: たとえばこの一句で予選を通過しないってあるんですかね?春の春なんてないだろ!みたいな。

上田: 春の春、はきついかなあ、でも、そこ通過するために、俳句やってんじゃないよね、という。

谷: うん、そういう小賢しさはないですね。好きな俳句を作ってる感じはします。

鋸の生む木屑の熱や雪穿つ〉とか、このへんのモノへの執着、詠み切っていく感じは特徴的ですよね。

上田: そう、それと、今井杏太郎的なふわーとした〈風吹いて〉とか〈木漏れ日の〉とか、との間のどこかに、この人のやりたいことが、ありそうで。

この間、週俳に、セルフプロデュースの話をちらっと書いたのですが、作風って生理的なものだけど、作るものでもあるじゃないですか。

村越: ええ。

上田: ある意味、陣地取りみたいなね

村越: 陣地取り…総和が決まってるっておもしろいですね、それ。

上田: 自分がやりたいことと、やって意味のあることの、両立する場所を見つける作業みたいな。やって意味のあることっていうのは、通時的、共時的ふたつの視点から見た(言葉は悪いけど)マーケティングみたいなものかもしれない。

で、文体は作るものという意味では、いったん、その文体が身になじむまで徹底してみるみたいなことがあると、いいのかも、と。

まあ、おせっかいな話ですね、これは。

村越: リズムとか、語感がなんとなく不自然な、ぎこちない感じがするのは、これはそういうことなんでしょうかね。

上田: どのへんですか。

村越:春一日教会のひかりといふは〉とか

あとはどれがというのを挙げるのは難しいのですが、ぎこちないというか、独特というか。僕はむしろそれが好きなのですが、流麗に連なっている感じじゃないなぁと。

谷: (ちょっと別の話しちゃいますが)ちょっと話はずれますが、twitterに「真神bot」っていう三橋敏雄の句集『真神』の俳句を一定ペースでつぶやくbotがあって、そこでつぶやかれる三橋敏雄の俳句を見てると、どれも三橋敏雄の文体だなーと。

上田: ふむふむ

谷: だから、文体があるってうらやましく感じますね

村越: 当たり前のようですが、すごくそれは同感です。

谷: 句会で「やっぱりお前の句か」と言われるのは、一面残念ですけど、もちろん一面嬉しい。

その「文体」ってなんだ、というのはもちろんもろもろ議論ありますが、生駒さんは文体ができ始めてる気はします(上から目線)

上田: でも、この人の場合、三つくらい、できかけちゃってるよねw

村越:

谷: 確かに!!!器用なんでしょうね。。

(次週に続く)