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2019-06-23

津野利行 戻らない日 10句

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戻らない日 津野利行

夕方が一番きれい麦の秋

着たくない服も一緒に更衣

夏服の子よいつの間に六年生

戻らない日を夏蝶の飛びにけり

女房に食はす土曜の鰻かな

妻なぜか笑つて寝てる熱帯夜

跣にて一日過ごす日なりけり

涼し気な音水筒に持たせくれ

自転車を押して二人の夏の月

穏やかな海に戻りて夏の果

2018-11-25

2018角川俳句賞「落選展」を読む(2) 岡田一実

2018角川俳句賞
「落選展」を読む(2) 

岡田一実

>>(1)

5.  初々しさ 津野利行  ≫縦書き ≫テキスト

妻書斎まで来てバレンタインデー

この作者は人生のちょっとした余裕や人情を大切にしていて好感が持てた。
掲句、普段は「書斎」へは客中主体以外は誰も来ないのかもしれない。「書斎」は閉ざされた自足的な城のようなイメージ。そこへ「妻」が来る。「まで」が驚きであり感動を表わす措辞だ。「妻」は甘い甘いチョコレートを持ってくるのであろう(おもに日本のみの文化だ、などと指摘するのは無粋)。「バレンタインデー」は別称「愛の日」。「妻」の愛情を確かに感じる出来事である。

中華屋のおやじも卒業生の父

馴染みの「中華屋」だろうか。「中華料理店」ではなく「中華屋」という響きにカウンターに面して調理する、ラーメンと餃子と炒飯がメインメニューの店を想像した。なぜ「卒業生の父」だとわかったのだろうか。「うちの子も今日が卒業でね」などと中華鍋を振りながら語ったのかもしれないし、あるいは卒業式の保護者席に「おやじ」を発見したのかもしれない。いずれにせよ、「中華屋のおやじ」というのは社会的な役割であるが、その「おやじ」にも個人としての役割、しかも「卒業生の父」という晴れやかな役があったという驚き。共に祝したいという気分が溢れている。

滝の音ほどの滝ではなかりけり

「滝の音」が先ほどからずっとかなり大きく聞こえていた。きっと大きな「滝」に違いないと期待して辿り着いてみたら「滝の音ほどの滝では」ない。がっかり。ではあるが、「滝」に辿り着いた達成感や滝底から吹いてくる風の清涼感などがほのかに感じられるのは「なかりけり」という空白の多いたっぷりした措辞のせいであろうか。期待したほどの「滝」の大きさではないけれど、これはこれでまあ楽しめばいいか、という余裕が垣間見られる。

他にも〈家族葬済ます勤労感謝の日〉の不思議な悲しさ〈開店の準備オーバー着たるまま〉などの取材の良さには親しみを覚えたが、〈遠花火バックミラーに開きたる〉〈焼きそばのソースの匂ひ秋祭〉などには類想感があった。


6.  星加速 折勝家鴨(*) ≫縦書き ≫テキスト

牛乳のコップの波紋冬深し

なにかの拍子に食卓が揺れたのだろうか。小さな地震かな、とも思った。具体的な理由はわからないがただ「牛乳のコップ」に「波紋」がおこっている。濃い白色の「牛乳」におこった小さな「波紋」はささやかな異変とも言えないような異変であるが、寒さが募る時期である「冬深し」とよく響く。一抹の不穏に余情がある。

空砲は空へ片道卒業す

「空砲は空へ片道」は真理。復路のある「空砲」などない。この真理は指摘されるとなるほどと思うが、日常的には見過ごしてしまうところだろう。「片道切符」などという比喩表現もあるが、すべての「空砲」が「空へ片道」だと思うと清々しい気分になる。そういう意味で「卒業」もまた「片道」だ。不可逆性のきっぱりとした華やぎがある。この「空砲」が「卒業」を祝しているようでもあり、青空も見えてきて気持ちがいい。

猫の仔をタオルに包み農学部

「農学部」というのがいい。この「タオル」はおそらく新品ではない。農作業をするときに使う何度も洗濯を繰り返したくたくたの柔らかいタオル、そういうものであって欲しい。「農学部」の構成は多くは学生、そして講師や教授もいる。指導する者とされる者。先輩と後輩。そういう大学生活独特の層状の人間関係の中で「猫の仔」はひときわ愛らしい異物として構われる。

7.   江口明暗  ≫縦書き ≫テキスト

春立つと午前零時のメール鳴る
君よ夏のクラウドに記憶せし写真
珈琲を飲み干す夜長ウェブ赫き


現代感覚的な新味を取り入れて俳句的世界の更新を試みている。
一句目、この「メール」は立春を知らせるためのものだろうか、関係ないのだろうか。「春立つと(いうのを知らせるための)」「メール」が鳴った、ということであると若干因果を感じるので、「春立つと(気付いた、そのときふと)」「メール」が鳴った、という風に取りたい。「午前零時」に短く「鳴る」電子音が春を告げているかのようだ。
(余談だが「E-mail」は「メール」と略してはならないという主張もあるらしい。「俳諧の益は俗語を正す也」(松尾芭蕉)であり、意図があっての使用であることは明らかであるので、ここでは容認したい。)

二句目、「クラウド」とは、「クラウドサービスプラットフォームからインターネット経由でコンピューティング、データベース、ストレージ、アプリケーションをはじめとした、さまざまな IT リソースをオンデマンドで利用することができるサービスの総称」だそうだ。DropboxやOneDriveなどと具体名でイメージした方がわかりやすいかもしれない。スマートフォンで撮った写真などをそのままデバイスに保存すると容量が溢れてしまうのでクラウド管理する、という考え方は年々一般化しているように思う。自分以外の人と共有できるのもクラウド管理の利点だろう。掲句は「君よ」と呼びかけている。その「写真」を共有する「君」かもしれないし「写真」の中の「君」かもしれないし、両方かもしれない。いずれにせよ恋のニュアンスがある。眼目は「記憶せし」である。「クラウド」というデジタルなモノが擬人的に「記憶」をする。「夏の」は位置的に「クラウド」と「写真」の両方にかかっているのだろう(「クラウドに記憶せし夏の写真」ではない)。「写真」に記録し、「クラウド」に「記憶」させるのは、夏の一瞬のきらめき……エモ(wikipedia)って感じしません? 私はします。

三句目、「ウェブ」はわかりますね? そう、あなたが今ご覧になっているそれです。この記事も「ウェブ」で公開しています。掲句、「赫き」が禍々しい。「珈琲を飲み干す」安らぎの世界と「ウェブ」で繋がる禍々しい異世界とを思うとその「ひとごと」感が空恐ろしくもある。

古寺に古きもの見て稲光

前述のような現代的感覚もあれば掲句のような渋い句もあり、ヴァリエーションの豊かさがこの作者の魅力であった。


8.  あなた泉と云ふいつか 青本柚紀  
 ≫縦書き ≫テキスト

俳句を読む楽しみは明瞭に伝えられた明瞭な景を味わうことの他に、言葉の意外な連なりによる景の結びにくい複雑なイメージを味わう、ということもある。本作品は後者であり、かなり質の高い作品だと感じた。

雲雀どこかにえいえんのある落日の
萵苣ゆがむ顔のかげりはをととひの


本作品からまず感じたのは循環への志向である。
例えば句末を「の」で結ぶ句。他に〈まぎれてゐる光る眼鏡の霾の〉〈口ごもる虹の匂ひは水草の〉〈いよいよの畳に蛇がゐる夢の〉〈濁つてゐるうたごゑの夜の梧桐の〉と本作品では頻出の型である。

前句、「落日の」が「雲雀」に輪廻して循環をなす。この循環が「えいえん」の永続性を支え、「どこかに」という措辞とは裏腹にこの句そのものに「えいえん」がピン止めされたような茜色に眩い世界がある。

後句、こちらは単純な循環を拒否しているように思う。「かげりは」の「は」があることよって「おととひの(かげり)」とつながっていくのだと想像させる。「ゆがむ」は「萵苣」と「顔」の両方にかかっているのか。「萵苣ゆがむ」で切って取り合わせとして読んでもいいのだが、「萵苣」で切って「ゆがむ顔の」と取り合わせるイメージも捨てがたい。「萵苣」の瑞々しく淡い緑ははかない線で描かれ、危ういバランスで成り立っている。

両句とも季語のモノとしての具体性を剥落させて、時間のあり方を環にすることで歪にゆっくりまわる円盤のようなイメージ世界を読者に与える。

煮る人をこぼれて歌の金目鯛

「風の」や「月の」など「○○の」という属性を帯びさせて詩的世界を立ち上がらせるのは伝統的俳諧の手法であるが、ここでは「歌の」である。この「歌」は音楽の方の歌だろうか、和歌などの「歌」だろうか。イメージを限定しないことによって多読性を喚起しながら、確かに何かの調べが聞こえてくるところが非常に味わい深い。「金目鯛」が「こぼれる」のは通俗的には鍋や皿だと思うが、ここでは「煮る人を」である点も詩的である。
掲句も倒置して「て」で繋ぐという循環の技法がとられている。

他にも〈夏蝶の渚といふはしのわずり〉〈夏痩のこはれる岸のしろい窓〉〈洗はれて火の粉のくぐる牛のなか〉〈なほざりの葉書は蛇の湖あかるい〉〈草刈のしなへる日々の塔がある〉〈野は汽車の花咲く苔のさよなら〉など全体を通して「言葉を書くのだ!」という強い意志が感じられ、非常に刺激的で魅力的であった。

(3へつづく)

2018-11-04

■2018角川俳句賞「落選展」第2室■5. 初々しさ 津野利行 6. 星加速 折勝家鴨(*) 7. 息 江口明暗 8. あなた泉と云ふいつか 青本柚紀

2018角川俳句賞「落選展」第2室
(*)一次予選通過作品 

5.  初々しさ 津野利行




6.  星加速 折勝家鴨(*)



7.  息 江口明暗



8.  あなた泉と云ふいつか 青本柚紀




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■2018角川俳句賞「落選展」第2室■テキスト版

2018角川俳句賞「落選展」第2室■テキスト
(*)一次予選通過作品 

5.  初々しさ 津野利行

レストランみな巻き込んで初笑
初富士の傷の如くに登山道
松明けや海のもの売る日本橋
成人の日の鼻歌に起こされて
寄合の顔ぶれ揃ふ小正月
民家まで団子屋の列初大師
妻書斎まで来てバレンタインデー
犬ふぐり目黒銀座に五番街
線香の香を残したる春手套
先輩の話に重み柳の芽
地に落ちず天に昇らずしやぼん玉
客の見る花の話を植木市
風光る路地曲がるまで見送られ
中華屋のおやじも卒業生の父
娘にも付き合ひのある春コート
口紅の初々しさよ春休
娘帰宅し春の夜の落ち着きぬ
綻びを縫ふやうにして巣組かな
山笑ふ京都タワーを真ん中んに
蝌蚪の紐子を惹き付けて寄せ付けず
しつかりと雲の形をつくる春
春深しやさしくされて泣けてくる
けふはよく道を聞かれる若葉風
銅像の姿晦ます緑夜かな
ひらひらが下着みたいな日傘かな
夏座敷ひとりに一つづつ鞄
かき氷親の財産食ひ潰す
死にたいと言つたそばから髪洗ふ
滝の音ほどの滝ではなかりけり
炎天へ指一本で履ける靴
葱盛つて息吹き返す泥鰌鍋
睡蓮や古墳は一度目を覚ます
遠花火バックミラーに開きたる
山の日の道半ばにて引き返す
ゑのこ草雨にもじやれてをりにけり
蝉ひとつ啼かせてをりぬ秋簾
焼きそばのソースの匂ひ秋祭
十六夜やゆつくり下る神楽坂
外泊を父は認めず寝待月
投げ銭はギターケースへ小鳥来る
標本の硝子の曇る甘露かな
プレミアムフライデーにも夜業かな
家族葬済ます勤労感謝の日
マフラーをどうも寿司屋へ忘れたか
ドトールの奥に居座る十二月
点滅をさせて聖樹となりにけり
開店の準備オーバー着たるまま
忘年会危ふく首と言ひそうに
一年のインクの重み古日記
テーブルに椅子みな上げて除夜の鐘


6.  星加速 折勝家鴨(*)

木を削り鳥になるなり冬はじめ
小春日やふたりに開く自動ドア
十二月八日鸚鵡の羽振くなり
聖夜なり椅子と下がりしギタリスト
よく動く眉だけ若し聖夜劇
時雨るるやラム酒の強きロシア菓子
高音の耳憑く風邪のはじめなり
倒木を馬跨ぎけり冬あたたか
啼き声を忘れてきたるジャケツかな
年移りけり鍵束の鍵選ぶ
着膨れて今日は大声出す仕事
捨鉢に土残りけり寒波来
牛乳のコップの波紋冬深し
バス降りて走る塾の子寒昴
息白く白樺に馬繋ぎけり
傷口の治りはじめの毛布かな
丸暗記出来る身体や冬青空
裸木の名を知り少年のこころ
冬の夜や灯の突っ張りし繁華街
風冴ゆる穴の廻りの警備員
星ひとつ出て凍鶴の羽摶ちかな
雪の鹿吾より先に動きけり
夜の端に丹頂鶴の声欲す
鳥の水脈重なるバレンタインの日
鵜の群れの水面を叩く二月尽
貌長き風刺画春の来たりけり
草青む馬上に鈴の呉れし音
抱き寄せて春の来ている羽根枕
ジーンズのポケット狭し梅の花
折り込みの広告の束あたたかし
繰り返し働く肌着鳥雲に
本棚に書名静もり春の霜
貸傘の大きく開き雛の家
夕星は布告のごとし春の山
空砲は空へ片道卒業す
優劣を教えぬ鏡ライラック
行列のごつごつ曲がり春夕
吸殻の眠たそうなり春の川
ふらここや空をくすぐるほどの雲
花冷や星に近づく星加速
湯にほぐす即席スープ花曇
ジオラマに馬の四つ足春深し
アパートの空室の日や春の川
猫の仔をタオルに包み農学部
折紙の鶴傾ぎある朧かな
坐る席ひとつ空け春惜しみけり
木に社旗に風吹く五月来たりけり
覚悟かためし泰山木の花の雨
薄翅蜻蛉視線を連れて川岸へ
長き橋日傘の信者渡り来る


7.  息 江口明暗

春立つと午前零時のメール鳴る
地母神や夜通し受くる春の雨
そこはかと春の心地す小銭殖え
渦を巻く紅茶の底や三鬼の忌
春の日の運河の孤舟江戸へ行き
椿とは名乗りを上げず素浪人
入相の墓地より来たる猫の夫
うたた寝に鯛めし浮かぶ春日かな
その人の声忽ちに春の息
うららけし長谷川利行の絵はずどん
つばくらや汝は不羈の形なり
また今年往生遂げし花の塵
存分に肥えて機を待つ牡丹かな
燦燦と夏手袋や喜寿の人
青葉潮照る日に光返しけり
はつなつの生まれは少し羨まし
葉桜やさやと鳴り今日ざわと鳴り
正岡子規記念球場の熱さ哉
大坂と言わず吾にも夏の陣
暑き日や物干しの影墨太く
君よ夏のクラウドに記憶せし写真
海まではあと一キロの浜万年青
自分史に雛罌粟の揺る丘はあり
石鳥居驟雨烈しき日なりけり
粥の香に浄められたり旅の秋
曼珠沙華弥生の人も見たるかな
生き生きとゲームする子ら草の市
ヘッドフォンから囁き聴こゆ白鳥座
秋味は故郷に還り喰われけり
爽籟や蕎麦屋の酒を暮るるまで
古寺に古きもの見て稲光
麗人の芋ひと抱え買いて去る
テーブルに林檎劉生置き忘れ
青ばかりの秋天遠近法虚し
秋惜しむ新郎新婦ミラノへと
珈琲を飲み干す夜長ウェブ赫き
秋冷や静脈に沁む深呼吸
星冴えて人語なき夜の平和かな
から風や柴の親子の鼓笛隊
海鼠なぞ見たことなしと妻笑う
しんとして猫背で食らうきな粉餅
鉢の木の降ったる雪の眺めかな
雪数多に白磁微かに翳りたり
銀屏風《在ること》の不安鎮めつつ
生牡蠣の喉堕つる音秘め事や
水仙や黄泉よりそっと迎え花
谺聞く冬田のバックホウ一台
音鳴らし靴で雪割る子に戻る
あの空の彼方にラララ夢は凍て
玉子酒浮き世は凄き風の中


8.  あなた泉と云ふいつか 青本柚紀

君がため春野の薔薇にならずゐる
手のきのふ雨が霞を流しては
煮る人をこぼれて歌の金目鯛
春が光の靴下の短さの川
にもつは靴だんまりのなか虻になる
桜この昼を書いては水に散る
藤棚のあばらな椅子の日のおもて
年月の咲いて李のまはる銃
雲雀どこかにえいえんのある落日の
春落葉夜遠く見るその鼓膜
あひだの木夜に原宿さしこむ春
萵苣ゆがむ顔のかげりはをととひの
まぎれてゐる光る眼鏡の霾の
目ふたつは春の彼岸の河茫々
村は干潟の夕日おほきくよこになる
夏蝶の渚といふはしのわずり
口ごもる虹の匂ひは水草の
さつきから葉騒のままで猫がゐる
ばらの花てのひらに電波がとどく
葉桜に群れて無帽の邑の新橋
とげて羽蟻は雪のはやさに灯のほとり
濯ぐ夜のしなびて線路ぎはの部屋
スヌーピー茶けて扇風機とずつと
母たちの金魚ぼうつと濁る九九
みづおもて日時計に夕凪がくる
夏痩のこはれる岸のしろい窓
そこは翡翠空席いつまでもかがやく
ほほゑみの遠のく風の青簾
涼しさの目の奥にはしごがかかる
半袖に話の消えてゐる魚
洗はれて火の粉のくぐる牛のなか
なほざりの葉書は蛇の湖あかるい
坂の茂りのぐわりとめきしこの祭
あぢさゐの褪せて架空のこどもたち
象が来て手に香水の残るともしび
落ちてゐる絵にさるびあの身のほとり
草刈のしなへる日々の塔がある
くはへ飛ぶ鴉はうたかたの夏を
いよいよの畳に蛇がゐる夢の
朝だつた袖から瓜がおりてくる
根が羽根へゆらぐ晩夏の日のあひだ
木は一位暑さの川がたちあがる
夏草は距離ゆく球のみづたまり
濁つてゐるうたごゑの夜の梧桐の
けむりから灰がくづれて日日草
風季ほら飛魚が水に遅れる
眼のくぼむあなた泉と云ふいつか
野は汽車の花咲く苔のさよなら
さざなみ・痩せながら虹の秋は遠い




≫縦書き

2015-01-11

【2014角川俳句賞 落選展を読む】 3. みんなおなじで、みんないい? 依光陽子

【2014角川俳句賞落選展を読む】
3.みんなおなじで、みんないい?

依光陽子


≫ 2014落選展


11人の鑑賞が終わって、折り返し地点。次の角川賞締切まであと5ヶ月である。

前回「絶対に成功しない素材ランキング」と書いたところ、先日の句会で他にどんな素材がNGかという話題で盛り上がった。

以前、角川『俳句』に常套句について書いたことがあるのだが(平成19年5月号特集《類句・類想をこうして避ける》の<死して常套拾ふものなし>)、5年たってもあまり状況は変わっていないのだなぁと改めて思った。

「ひこうき雲」「観覧車」「誰々の生誕地or終焉の地」「樹齢○百年の松」「ヘリ」など、成功しないという意味は、それらを扱った俳句はごまんと目にするが、佳句を見たことがない、ということだ。

俳句文学館で全国の俳誌を片っ端から読んでみれば明らか。皆等しく詩情を掻き立てられ、皆同じように書き留める。例えば、ひこうき雲もクレーン車も斜め○○度の傾きで空に刺さっている。

観覧車の傍らには太陽や月がある。料理俳句、名画俳句、女優の名前の薔薇俳句。季題ラ・フランスが60歳代女性作者の句集に頻出する不思議現象など、挙げればきりがない。

人の個性はその人だけのものだ。生きてきた環境も取り入れてきた影響も全て違う。だから俳句だって違うものが出来るはずなのに、どうして同じような句を良しとしてしまうのか。

皆と同じで安心する「シゾフレ型」、たとえ自覚はなくとも俳句界はシゾフレ天国、模倣天国である。俳句という詩型特有の制約と無数に生み出された他者の作品の中で新しい句を書くことは本当に難しい。

自分が簡単に気付くものなど、誰もが簡単に気付くのだ。「誰かが詠んだような句は詠まない」と腹をくくるところがスタート地点だと思う。


12.ふらんど(さわだかずや)


春の句のみの50句。中盤、うつの句が並ぶ。この作者に限らず、うつを詠んだ句を句集などで度々目にするようになったのは近年顕著だ。「精神病んで」「不快」「嗚呼死にたし」などネガティブな言葉が連なるとさすがに読んでいて息苦しくなってくる。<半裸にてつくしを摘んでゐる集団>はどこかラース・フォン・トリアー的で許容範囲だが、「痰」「ビーム」など度が過ぎると意図をはかりかねる。うつの句も双極性障害の句も、その病状について詠まれても読者は困るものだ。またそうした素材を詩にまで昇華させることは至難の業だ。

強烈な言葉を直接読み手にぶつけるだけでは句は立たない。それがどんなに厳しい経験であっても、客観的に作品を検証する目と、完成度がなければ、読み手の心を揺さぶることは出来ないだろう。なぜなら、書かれた時点で言葉はイメージになるからだ。

耳の奥熱き遅日を過ごしけり        さわだかずや
花ですから死んでしまつてよいさうです
一切無常にて蜆汁おかはり

気になった句。
一句目。「耳の奥が熱い」とは決して良い状態を表してはいない。「耳の奥が熱い」ことで、太陽が出ている時間が一層永く感じられる苦痛。だがこの句は他の憂鬱な作風の句に凭れ掛かっていない。遅日を従来とは別の角度から表現することに成功している。
二句目は万朶の花明りが死を誘う。否、誘われたのではなく「死んでしまってもいい」という言葉がふと降りてきたのだろう。作者は理由を見つける。「花ですから」、つまり桜がこんなに咲いているのだから、と。桜と死。文学上、民話上語りつくされた二物からこの句は起草され、歩き出す。そして漠然と死を許されたこの人物は決して死なない。それが俳句作者としてのしぶとさであり、この句のしぶとさでもある。
三句目、一切が無常だという諦念に思考を留めながら、効能たっぷりな蜆汁をおかわりしてしまう生き物としてのせつない事実。この矛盾は取り除けないものとして心に刺さる。

韮やはらかし人妻はさりげなし>は桂信子の<ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ>、<やい鬱め春あけぼのを知りをるか>は江國滋の<おい癌め酌み交はさうぜ秋の酒>の先行句がそれぞれ口をついて出て来る。ましてうつを扱ってこの薄さでは心の網にかからない。たとえ先行句を踏まえたのだとしても、その句を超えない限り類想句の域は出ない。

もろもろ書いたが、この50句からは過去の自分に抗う歯ぎしりが聴こえて来た。それがこの作者本来の作家性の恢復と信じたい。


13. 封境(杉原祐之)


正統派かつスケッチ風。省略の利かせ方、句の佇まいは否定しない。ただ、中盤のほんの数句の海外詠(?)には異質な印象を受けた。<ターバンと付髭映す泉かな>から<引越の果て風鈴の鳴りにけり><播州の室津の浜の蝦蛄を漁る>でやや唐突に国内詠に戻りさらに風土詠へと移行する辺り。50句のどこに読みのピークを持って来たかったのだろう。なんでも俳句に出来てしまう人は、何を書かないでおくか、顎を引いて考えてみるべきであろう。

子を風呂に入れたる後の夕涼み      杉原祐之
ポストへと落葉の嵩を踏みながら
プレハブの目印をつけ冬の芝

中で、この三句に立ち止まった。
一句目、まだ幼い吾子だろう。子どもを風呂に入れることは若い父親には大仕事だ。夕涼みをしている姿から安堵感が伝わってきて清々しい。
二句目は平凡なカットだが作者の息づかいが感じられた句。落葉を踏む音と心音が重なっているよう。ポストは落葉の嵩を踏まなければ辿りつけない場所にある。「嵩」という言葉が辺りの風景や、ポストの中にあるはずの手紙や葉書の重なりを連想させる。郵便物を投函する瞬間のちょっとした覚悟に至るまでの、短いけれどまっすぐな時間。
三句目、仮設住宅か工事現場のプレハブか。芝の上にそれを建てるための印をつけた。少しだけ根本に緑が残る冬の芝の枯色と目印をつける人の背中。きっと同じような色の作業着だ。冬の芝はやがてプレハブの下になり完全に枯れてしまうだろう。とまれ、冬の芝の広がりがよく見えてくる。

全体的に季題の斡旋は悪くない。あとはかな遣いのうっかりミスをなくし、50句に統一性が欲しいところ。もう一歩踏み込んでモノを見ることで、さらに見えてくるものがあるはずだ。


14. 新機軸(すずきみのる)


壺焼のさみどり残す肝の尖><その中に制服もゐて御命講><電線とひとつの影に夕燕>など俳句を作り慣れている作者だと思った。

摘みきたるオクラ十指をはみ出して    すずきみのる

まさに素手で摑んだ句。両手に余るほどのオクラを摘んできた。大きく広げた指の間からオクラの先端が見える。指の間からはみ出したオクラが手の棘のようで、オクラの表面のチクチクとした感触と相俟っている。

なめるごと寄りくる波に千鳥翔つ
煮られつつあり白繭もその夢も

タイトルは「新機軸」。50句最後の<初句会この人にこの新機軸>から採られている。新機軸とは初句会にふさわしい心意気。またこの作者にとっても上記二句は、数年来の落選展の作品に比べると出色と言えそうだ。
一句目の「なめるごと」は千鳥のいる干潟に寄せて来る波の表現として無理がない直喩だと思う。干潟を舐めるように平らかに静かに寄せて来る波。長い脚が浸り、砂に刺した長い嘴が浸り、そして汐がある高さになったとき千鳥は翔つ。そこに至るまでの千鳥の行動も見えてくる。
二句目。あれほど盛んに音を立てて桑を食べていた蚕の蛹は、繭の中で夢を見ているかのよう。一読メルヘン調だが内容は厳しい。蚕は羽化することを許されない。煮られ殺されて繭を剥ぎ取られる運命だ。羽化してその翅で羽ばたくという夢もまた儚い。

手練の作者だけに、既視感のある句やかな遣いが間違った句が散見されるのは実に勿体ない。句を厳選し、十分に精査し、さらなる「新機軸」を開拓してゆかれることを期待したい。


15. 室の花(津野利行)


冒頭五句はさておき、身の丈に合った自分の言葉で句を書いている点に好感を持った。

夏掛は妻を小さく包みけり          津野利行
大学は辞めたと笑ふ生ビール
何もなき父の形見や心太

一句目。夏掛は寝ている人を嵩なく見せる。「小さく包みけり」に妻との微妙な距離感や、押しつけがましくない愛情を感じる。寝姿も見えてくる。夏掛という季題の効果がある。
二句目。大学職員か、はたまた大学生の友人か。「大学の方はどう?」「実は辞めたんだ」そんな会話があって、友が笑った。いろいろな葛藤を経たであろう複雑な笑顔。この生ビールはとても切ない。
三句目。眼目は「心太」の斡旋だろう。雲色のつるんとした心太。昔ながらの心太の突き器を使ったものであればなおさら、その押し出した後の空虚さは一入である。喉に滑ってゆく心太の冷たさ。「何もなき」に、父の死をすでに遠く認めることが出来るようになった作者の心が、読み手の心を押し出す。

室咲は枯れぬ気でゐたかもしれぬ

この作者もタイトルの語を含んだ句がラストに置かれている。室の花を年老いた肉親の生前と深読みし、悲しい句だと思った。そんな深読みを誘う伏線となる句が50句中にいくつか点在していたからだ。だが一句単独で読んだとき、室咲の効果が見当たらないのである。私は改めて、一句として立つことと、50句として立つこととの違いを考えさせられた。


16.バンテージ(谷口鳥子)


面白そうな句が出てきた。
以前、50句全句動物園で作った句で構成された応募作品があった。一句一句の完成度も高く感心してしまったのだが、この作品は全句ボクシングをテーマにした句で異色。「誰も詠んでない句を詠んでやる」という意気込みがいい。こういった元気のいい作品が読めるのが落選展の醍醐味だろう。
現代かな遣いである。

ヘッドギア何度も直す熱帯夜         谷口鳥子
容赦なく打ちくる小五の日焼け顔

作者も熱いけれど句も熱い。「小五の」は中八かつあまりに粗雑な省略で、子どもだとわかるので不要と思いながらも「容赦なく打ちくる」濁りのない眼差しが気持ちいい。

蝉の鳴くリズム外してストレート
のっぺらぼうの月と並んでジム帰り
ジョグダッシュジョクダッシュ十一月
膝と腰と首でリズムを夏来たる

無理矢理季題を入れたような句も少なくないが、このあたりはいい具合に季題が収まっている。
一句目。ジムの壁を突き抜けて来る蝉しぐれの中でのストレートの練習。蝉の鳴くリズムをわざと外してみる。ちょっとした遊び心。
二句目。のっぺらぼうの月はあたかも丹下段平。一日の練習を終えた充足感が「並んで」という言葉に込められている。
三句目。もし私がボクシングを始めたら、この句を念じながらジョグ、ダッシュのインターバルトレーニングを繰り返すと思う。あきらかに破調だが繰り返し口遊んでいると、なんとなく年の瀬へ向かっていく冬の空気感が出てくる。「十一月」が或いは動かないかもしれない。
四句目。俳句も運動もリズムが大事。なるほど、ボクシングは膝と腰と首でリズムをとるのか。「夏来たる」は漲るエネルギーを代弁している。
さて、もしこの50句で受賞したらこの作者は受賞第一作にどんな句を書いただろうかとふと思った。次回は不用意な贅肉句は落としつつ、完成度も磨き上げてほしいと思う。


17. 空車 (高梨章)


春の日の金の夕べを空車(むなぐるま)  高梨章

タイトルの句である。俳人・山田みづえの父である国語学者・山田孝雄の『「むなぐるま」考』の中から言葉を借りれば、「空車・むなぐるま」は「のらぬ車也、迎などに人のこぬ心也」(匠材集)とある。私は特に「人のこぬ心也」という部分が気に入っている。むなぐるまという言葉は主に院政鎌倉時代の語で、平安朝から鎌倉時代の間にだけ使われたようだが、作者はこの古い言葉を一句に入れた。「の」でたたみかけてゆく手法はこの句に限ってはあまり気にならない。時代を遡らせ、駘蕩とした世界へ読み手を誘う。春の金色の夕べをゆく空車の音なき音。眩しさと虚しさ。印象深い句だ。

秋の灯台 いつぽんの蝋燭をひろふ

分かち書きはこの一句だけだが、悪くないと思う。秋の灯台といつぽんの蝋燭を拾った事実の間に空白が必要だったからだ。解釈は不要。そのまま受け取ればいい。読み手の席は用意されている。
他にも<空席をつくるたちまち月あがる>や<月の力すこしゆるみぬ時計店>も二つの事柄にあたかも関連があるように現実と非現実の間、意味と無意味の間に句世界を構築している。日常語と旧かな遣いの起こす幽かな摩擦が醸し出す何か。<手袋は暗くなるころおそろしき>など、進もうとしているのは鴇田智哉的な志向と見るべきか。

アスタリスクの章立てで、春・冬・秋・夏という不規則な並びにしてある。面白い試みだが、最後の夏の部に入っている句があまりよろしくないのが残念。凝っているわりに<秋の朝きのふの雨の光かな>という至極平凡な句が入っていたり、「蟻地獄」「蝸牛」の連作は雑すぎる。もっと根気強い練り上げが必要。それ以外は、ある虚無感が漂っていて「空車」のタイトルが全体によく行き渡っていると思った。




 
≫ 0. 書かずにはいられなかった長すぎる前置き
≫1. ノーベル賞の裏側で 依光陽子
≫2. 何を書きたいか

2014-11-02

落選展2014_15 室の花 津野利行

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週刊俳句 第393号 2014-11-02
2014落選展 15 室の花 津野利行
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落選展2014_15 室の花 津野利行 _テキスト

15 室の花 津野利行

面倒な奴で結構磯巾着
腹癒せに望み通りの春ショール
雛納覚える気なき男親
花冷やトロンボーンの音震へ
花疲れはぐれたままにネオン街
平坦な道などなくて芝桜
人と会ひまた人と会ふ花水木
よちよちと躑躅の中へ倒れ込む
絶望の崖つぷちから亀の鳴く
外面のよき玄関のシクラメン
波風を立てずに蜂は去るつもり
春愁や関西弁と関東弁
まだ大人にはなり切れぬ若葉かな
釜茹でにされし筍生き返る
薔薇一輪咲かせて雨の光りけり
目に青葉電源を切るタブレット
一線を越えて部屋まで来る蠅
蚊を討つは一国一城の主
そんな顔してそんな簡単服で
ナイターに今来てますと電話かな
もう序列あり六月の一年生
夏掛は妻を小さく包みけり
いたずらが好きなおやじの水遊び
孫のゐるにはまだ若きサングラス
大学は辞めたと笑ふ生ビール
目移りの結果結局あんみつに
何もなき父の形見や心太
PTA会長の夏負けと見え
祖父の背の傷痕を知る夏休
弟をおもちやにしては兜虫
無理させる一時帰宅や本祭
母の死を待つかのやうに秋に入る
知らぬ顔知らぬ仏や施餓鬼寺
身に入むやラッコは腹の貝を割る
新婚の一組交じる芋煮会
敗荷や皆疲れたるサラリーマン
手付かずの人参がまだ皿にある
マスクなら妻に言はれてからにする
クリスマスケーキ一口癌病棟
父母の分まで生きて古暦
母の古日記どつかと読みふける
母の死のことには触れず晦日蕎麦
麻雀のルールを賀詞に続けをり
どうせなら百まで生きて初写真
子の遠出許した隙の姫はじめ
親の手を借りて立派な雪だるま
人日や雀にこぼす米の粒
初仕事昼には顔の揃ひたる
理由なら聞くまでもなく雪だらう
室咲は枯れぬ気でゐたかもしれぬ

2013-11-24

2013落選展を読む(3) 書いたことは、すべて自分に 対中いずみ 

2013落選展を読む(3)
書いたことは、すべて自分に

対中いずみ


9 高梨 章「病室」

きらきらと肺侵されてすみれ草   高梨 章
輪になつて明かりをつける枯野かな 同
全集にふたつ欠けあり雪にかはる  同

作者ご自身か、もしくは身近に病む人がおられるのだろうか。「病室」とタイトルを付された一句目など、俳句としては甘いと思われるが妙に心に残る。ある寂しい虚ろなトーンは一定している。長年、詩か短歌を書いていた人が俳句を始められたような、そんな作品群だ。

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10 津野利行「餃子」

ストーブの火を消すボタン押すだけの 津野利行

脱力系の内容と詠みぶり。50句のなかに<カラオケの隅マフラーをしたままの>があるのは残念。こういう変則的な叙法は、一句あれば良く、二句あれば緩んでしまう。


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11 ハードエッジ「ならば踏めよと」

親指と人差し指とアイスの棒 ハードエッジ

意味なく、即物的な句。<もの腐る季節となつて蠅も出て><赤ゆゑの寂しさに群れ赤とんぼ>などの意味性や見立ての句よりは、掲句を採りたい。<すやすやと赤子の眠る遠花火>の「すやすやと」、<柿干すや目鼻かそけき赤ん坊>の「目鼻かそけき」などの常套語は排して、その後に出てくるナマな、新鮮な言葉をこそ読みたい。

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12 堀下 翔「生年月日」

蟻穴を出て乾きたるところへと  堀下 翔
夏場所が終はるころ家建つらしい 同

2012年俳句甲子園出場というキャリアから見ると、早熟な才だと思う。季語がまだしっかり肉体化されていないようではあるけれども、季語そのものに食らいついていこうとする姿勢が見られる。吟行に出て現場で季語そのものを詠んでいく訓練をされると伸びる人だろう。

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13 前北かおる「置炬燵」

ふぐちりのふぐのラップを外しゆく 前北かおる

この句、面白い。

襟巻にノートを当てて諳んずる 同

も可憐。

冬至柚子もらふ到着ロビーかな><吹抜に吊すあれこれクリスマス>もいいと思った。さすがに50句となると、息切れしている句もあるけれど、平均打率は高い。「ふぐちり」の句のようなホームランもあるので、今後が楽しみだ。

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14 山下つばさ「祝福」

菜の花や涙こぼさぬやうわらふ 山下つばさ
冬の蝶鉄の扉を這うやうに   同

一句目は、巻頭の句。何か幸福なものを予感させる出だしである。二句目は、集中、最も惹かれた句。鉄の扉を引っ掻く冬の蝶の脚が金属音をたてていそうだ。<深々とお辞儀の奥のチューリップ><冬の駅犬突然に走り出す>も面白い。チューリップも犬も日常生活に当たり前に登場するモノたちだけれど、切り取り方の角度だろうか、どこかユーモラスだ。

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15 山田露結「幸せの人」

蛇穴に入る眠る子の息荒く 山田露結

かろうじてこの一句をいただく。目にしたものをどんどん五・七・五に変換する能力に長けた方だと思う。しかし、作者は、『再読 波多野爽波』(邑書林)の執筆陣の一人だが、爽波の「多作多捨」はこういう句を量産せよということではなかったのではないか。爽波は多作多捨の果てに得られる、手応えのある一句を求めた。それは先ず作者自身がオドロクような一句であったはずだ。また、「季語がつきすぎであることほど味気ないものはない」とも言っていた。俳句は、発見、飛躍、言葉の鮮度を欲する詩だと思う。

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16 吉井 潤「光○追う人」

初明かり磁器を透かせばミルク色 吉井 潤
   
一人で作っておられるのかもしれない。良き仲間、指導者に出会ってほしい。

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17 すずきみのる「過日」

草むらに吹き戻されて蛇の衣 すずきみのる
秋灯下子規の千枚通し見る  同

かっちりした俳句作品を作れる方だが、それだけで終わりたくはないようで、一部、<コンタクトレンズが痛いいぬふぐり>といった稔典さんばりの作品や、<ひたひたの水にいきていたくないなまこ>などの実験作もある。多彩とも言えるが、50句一編を通して読むと、ばらばらな感じは拭えない。俳句観の確立が待たれる。

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以上、言い過ぎたり、言い足りなかったり、力不足だったろうが、何か少しでも作者に届けば幸いだ。書いたことはすべて自分にはね返ってくる。私も、実作に戻って精進を重ねたい。



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2013落選展を読む(3) 目に映るすべてのことは 三島ゆかり

2013落選展を読む(3)
目に映るすべてのことは

三島ゆかり


9 高梨 章「病室」

「病室」というタイトルからすると病中吟なのかも知れないが、ばらばらに季節が立ちあらわれ、どこか人外魔境をさまよう体でもある。挙句の「宇宙船」が全体をぶちこわしにしているような気もするが、それも含めて作者の持ち味なのだろう。

つぎつぎに翼を折りて山眠る  高梨 章

「山眠る」の前で切れる読みも可能だが、冬の連山を鳥に見立てたものと読みたい。季語「山眠る」に本来時間の推移はないはずだが、、「つぎつぎに翼を折りて」からは、日が傾くにつれ刻々と山の表情が変わって行くさまが感じられる。

人ならば先に行かせて秋の暮 同

ふつうの生活人を「どうぞ先に行ってくれ」とばかりにやり過ごし、秋の暮と同一化するのだろう。そこには人でないものとの交感もあるのだろう。

百合咲いて這ふものたちの夜となる 同

「這ふもの」が何かは特定していない。百合の香に呼び覚まされた魑魅魍魎の類であろう。

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10 津野利行「餃子」

餃子にフォーカスを当てるなら、ハンバーガーだのアイスクリームだの水羊羹だの白玉だの出さない方が作品としてはまとまるような気がするが、あえてそうしないのは、その程度の食物だけど…という愛着の証しなのかも知れない。
作業着のままに地べたの花見酒〉〈手袋のままに手術を待ちにけり〉に見られる「に」の使い方が独特である。

子離れは先送りして花は葉に 津野利行

面白い取り合わせである。時が移ろい花は葉になるというのに、私はまだ子という花に夢中である、ということなのだろう。「先送り」というぜんぜん詩的でない措辞がじつに効いている。

足袋底の松に跨る松手入 同 

まず足袋底が目に入ったのだろう。「松に跨る松手入」のリズムがたいへん心地よく、ユーモラスな光景である。

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11 ハードエッジ「ならば踏めよと」

身も蓋もない諧謔に持ち味があるようである。

灯台に蛾が張り付いてゐたりけり ハードエッジ

ぼてぼてに塗り重ねられた灯台の白い肌に(たぶん)死んだ蛾が張り付いている。それだけの景だが、「ゐたりけり」という一見冗長な措辞によって他のいっさいを消し去っているため、強い印象がある。

数へるにしても短日ばかりなり 同

「数へ日」と「短日」を一緒くたにして詠んでみせた諧謔がじつに可笑しい。まこと師走はせわしない。

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12 堀下 翔「生年月日」

対象そのものではなく、名鑑、サイン帳、地図、自叙伝、映画などワンクッション置いたアイテムを巧みに並べることによって、じつに不思議な作品空間となっている。

エイプリルフールの棚に本を足す 堀下 翔

ユーミンの歌の歌詞に「目に映るすべてのことはメッセージ」というのがあったが、この句群を読んでいると「目に映るすべてのことはまがいもの」という気がしてくる。本句は何かしら種明かしのように存在する。

音のない泉であつち向いてほい 同

今という一瞬は「音のない泉」のようにこんこんと嘘のように湧いており、人は無心に「あつち向いてほい」のようなことに興じている。なんだかとんでもなく深くてクールだ。

秋雨の天涯万里髪を切る 同

「秋雨の天涯万里」という果てしなく閉塞的なイメージが下五「髪を切る」でまさに裁ち切られる快感。ここでも「目に映るすべてのことはまがいもの」なのだ。

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13 前北かおる「置炬燵」

オーソドックスで端正な写生句だが、50句中11句も「かな」があるのはいかがなものか。

時雨たる町のプラネタリウムかな 前北かおる

「時雨たる町の」までのひなびた旅情が「プラネタリウムかな」で一気に転じる、と最初読んだが、いささか余談めくと、かの悪名高い「ふるさと創生」により全国に三百以上のプラネタリウムがあるらしい。だとすれば、そこまでがひなびた旅情で、なにも転じていないのか。

冬帝を讃へ発電風車群 同

「冬帝」という季語自体が擬人法なのだが、それを主語とするのではなく讃える対象とし、主語と読めるように「発電風車群」を置いている。「発電風車群」に意思を与え冬帝と対峙させたところがよい。

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14 山下つばさ「祝福」

17音着地の5+6+6とか6+5+6とかのリズムを多用しているが、効果が感じられず読みにくいだけに終わっているような気がする。

心臓の高さに金魚棲まはせて 山下つばさ

「心臓の高さ」という突飛な措辞が卓抜である。金魚の赤さえ深い意味を持っているように思えてくる。さらにこの句を何度も反芻していると、「棲まはせて」はもしかすると眼前の水槽ではなく、自分の体内なのではないかという気さえしてくる。

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15 山田露結「幸せの人」

いちいち小技が上手い分、「これが俺の俳句だ」というのが目立たなくなり損をしているような気がする。

畳まれて四角き顔の鯉のぼり 山田露結

いかにも俳句的なトリックであり、こういうのが憎らしい小技なのである。

包帯を解かれし腕や更衣 同

「包帯を解かれし腕」に「更衣」を斡旋するというのも、憎らしい小技の類だろうか。

樹の瘤は樹の顔ならず冬に入る 同

樹の瘤に人の顔を見る俳句はいくらでもありそうだが、「樹の顔ならず」と云った俳句はあまりないのではないか。

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16 吉井 潤「光○追う人」

ほとんどの句が切れのない作りになっているので、奇をてらわない反面、自らハードルを上げてしまった感もある。

がらくたに春の怒濤を見つけたり 吉井 潤

作者をして「春の怒濤」と言わしめたがらくたを見てみたい。

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17 すずきみのる「過日」

「湖水」「京都駅」「水都」「四条」などを散りばめて、それとなくゾーンをほのめかしてまとめている。「変わり」「わらわ顔」など仮名遣いの誤りが惜しい。

春灯の範疇トイレ使用燈 すずきみのる
喫茶店などにある、トランプのキングやクイーンみたいなのが灯るあれを、「春灯の範疇」を云っておどけてみせている。

四条まで時雨の舌は届かざる 同

「時雨の舌」という措辞それだけでもよいのだが、「四条」「時雨」「舌」と頭韻を揃えたことにより、「時雨の舌」になんとも湿潤なエロスのようなものを感じる。地名のゆかしさもよい。

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2013-11-03

2013落選展 10 餃子 津野利行

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週刊俳句 第341号 2013-11-03
2013落選展 10餃子 津野利行
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2013落選展テキスト 10餃子 津野利行

10 餃子 津野利行

春の夜の二人餃子を食べて行き
水割の一口で酔ふフリージア
啜り泣く卒業式のスピーカー
作業着のままに地べたの花見酒
揚雲雀寝転んで見る草野球
子離れは先送りして花は葉に
デモ隊の拳は空に薄暑光
ディーゼルカー代田の水を走りけり
夕立や餃子にたらすゴマ油
風薫る築地試食の玉子焼き
厩橋駒形橋も風涼し
橋涼み水に流すことにして
夏場所の終えて餃子の店狭し
らしくない人も神輿に紛れをり
ハンバーガー子供神輿を取り囲み
下町に見慣れぬ顔や黄金虫
おばあちやん日傘に名札ぶらさげて
跣だけベビーカーから遊ばせて
とりあへずビールと餃子二枚から
本当は四角き筈の夏布団
サイダーの泡の動かぬ時間かな
アイスクリーム溶けゆく仲となりにけり
角立たぬ話であらう水羊羹
白玉や個性溢れる顔形
大西日墓地は閉門時間過ぎ
夏痩せの悟られぬやう焼餃子
抱つこしてもらひポストに白木槿
コスモスの揺れて小さき親孝行
団栗や落ちて馴染めぬアスファルト
叩かれし西瓜震へて答へけり
秋果積む序列社会の中にをり
子の作る餃子丸々豊の秋
足袋底の松に跨る松手入
舞ひ散るは外れ馬券や神の留守
身を寄せて十一月の水餃子
手袋のままに手術を待ちにけり
鯛焼の表の顔と裏の顔
オノマトペ探してをりぬ冬の雨
飲めもせぬ酒に寝酒と名付けたり
ストーブの火を消すボタン押すだけの
洗濯物吊してメリークリスマス
もはや子の寝付くは待てぬ聖夜かな
年の瀬や餃子に賞味期限あり
火事跡に接待の跡形もなく
カラオケの隅マフラーをしたままの
初夢は餃子の皮に包まれて
初電話ありとあらゆる関西弁
珍しく妻逃げ出さず初写真
正月を返上しての口内炎
宝船餃子は渡る日本海