2018角川俳句賞
「落選展」を読む(3)
岡田一実
>>(1) >>(2)
9. 街の動態 丸田洋渡
≫縦書き ≫テキスト
この作者はイメージとイメージの連なりを口語を多用して表現し、ややネオテニー的な作品世界の構築を目指しているように思う。
夏みかん小さな切手に小さい人
日本の切手の標準的サイズは「一辺が18 - 20ミリメートル程度」だそうだ(Wikipedia )。掲句、「小さな切手」と言ってもこの標準サイズより小さい、と言うことではなく、このサイズが「小さい」と作中主体が感じているように思う。
「小さい人」は文化人の肖像画かもしれないし、日本画のような図画かもしれない。「小さな切手」にぴたりと配置されている「小さい人」には作り手の律儀さも感じられる。
「夏みかん」の鮮明な色や形をまず想起させ、明るい雰囲気のなかそのささやかな意匠へイメージが移るときの不思議さと愉快さ。充足感が伺える句である。
地下鉄は核に近づく道で夏
この「核」は地球の「核」だと思った。地球の「核」は「直径約7,000 km(半径3,500 km)で、地表からは地下2,900 km以下にある」らしい(Wikipedia)。
普段地下鉄に乗るときに「核」を意識したりするだろうか。しかし言われてみれば地上の道よりも地下鉄は「核」に近い。「近づく」という動詞により、ぐんぐんと地下へ潜っていくような印象も与え、句末の「夏」という季語によって暑さが漲る展開となる。真理を言い止めながらもどこかファンタジックな世界である。
踊り子に天動説を信じる目
盆踊りを見ていると、踊り子の視線が一斉に天へ向くことがある。掲句はそのような場面を切り取っているように思った。
本当には「踊り子」が何を信じているかなど計り知れないのであるが、見ている側からすると彼らの「無」な感じが却って想像をかき立て「天動説」を信じているかもしれないというところまで思わせる。
「天動説」という意外性が句に膨らみを持たせ豊かな味わいを醸す。
10. 高気圧 クズウジュンイチ
≫縦書き ≫テキスト
人形の二月の硬き手をひねる
この作者は眇眇たる物事に目を凝らして微細な詩情を掬うところに特徴がある。
掲句、「二月」という季語の生かし方がいい。「二月」というのは月初めに立春となるため陽暦でも春に入るが、まだ寒さ厳しい折であり場所によっては雪がちらつくことさえある。「硬き手」というところに、寒さに強ばっているかのような様子が表出されるが、その寒さの中に春の華やぎの気配が少し漂うところが「二月」である。
「人形」の「ni」、「二月」の「ni」、「ひねる」の「hi」と「i」音を響かせた頭韻も句に硬質さを加えている。
らんちうの粒餌をすぱと吸うてをり
うすぬるく曇る茸の袋かな
音の感覚が冴えている句である。
前句、眼目は「すぱと」であろう。この「すぱと」が俳味であり、句の芯となっている。この開放的な半濁音を含む擬態語があることによって、「らんちう」の丸い口が愛らしく見えてくる。
後句、「茸」の呼吸だろうか。摘みたての「茸」の息吹そのものが「うすぬるく」という温度を伴って伝わってくる。全体的に「u」音が多く音が籠もり、生の不気味さ、死の不気味さが一体となって迫ってくる。
丸椅子の真ん中に穴冷し中華
竹馬のすつと収まる隙間かな
見過ごしがちな意外なところに着目している。
前句、「丸椅子」の「真ん中」の「穴」は軽量化、運びやすさ、蒸れ防止などのために開いている。その簡易な様態が、高級店ではない、「冷し中華始めました」とポスターが貼ってあるような大衆的な食堂を思わせる。尻を蒸らさないように涼しくしながら食べる「冷し中華」のなんと庶民的なことか。でも、結構美味しいよね、という声も聞こえてきそうである。
後句、「竹馬」は乗るときは立体的であるが、それが平面に近い形になる瞬間を捉えている。「収める」ではなくて「収まる」というところに「竹馬」の主役感が現れる。
11. 薪の断面 寺澤一雄
≫縦書き ≫テキスト
力士みな大阪にゐる涅槃西風
大阪で開催される三月場所のことだろうか。「涅槃西風」はお釈迦様の入滅の日の涅槃会(陰暦二月十五日)の頃に吹く風。現実的には休場者もいるであろうし「力士」の全員が大阪にいるとは考えにくいが、「みな」という措辞でそう言い切ることで名だたる「力士」が桃色に集う様子が迫力を伴って見えてくる。
このとき、客中主体はどこにいるのだろう。「大阪」にはいないように思われる。より東にいて、その「力士」達のいる「大阪」からの西風を感じているような雰囲気だ。大阪と「涅槃西風」は涅槃という意味でなく西という接点で括られ、因果がうまくずらされた配合となっている。
黄砂降るカメラの紐を首に掛け
この「カメラ」には重量感が感じられる。「紐」が必要なレンズの大きい「カメラ」なのだろう。「黄砂降る」烟った景色。日の暈は大きく感じられ、ものの色は鮮明さを失い黄味を帯びたトーンとなる。
まるでターナーの絵画のようなこの時期であるが、カメラを携えた客中主体はその世界に同化していないように見える。はっきりとした「紐」の確かさがそう思わせるのかもしれない。
風鈴を持てば鳴りけり竹の秋
「竹の秋」は晩春の季語。季語内の季が実際の季と逆になる俳人好みの季語だなとつねづね思う。掲句、「風鈴」の準備をしているのだろうか。手に「風鈴」を吊り、定位置へ運ぶときに鳴る。繊細な情緒だ。
「風鈴」の縦に長い様態と「竹」の縦に長い様態が重なり合って、季節のあわいの情感を織り込んでいる。
犢鼻褌の読みを調べる秋の暮
「犢鼻褌」、私も調べました。みなさんもお調べください。意味は「短い下袴」のことで、調べてみて「なーんだ」と思う、その心の動きが俳諧味とも言える。この「秋の暮」という季語の処し方!馬鹿馬鹿しさの中にメタ的な面白さがある。
他にも〈銅は屋根にコインに夏の雨〉〈月涼し絶滅危惧種絶滅す〉〈ぱつくりと麦藁帽子割れにけり〉〈花曇校歌に残る良き言葉〉〈未草開く直前萼開く〉など俳句的旨味に満ちており、興味深い作品であった。
12. 夜と昼のパレード 赤野四羽
≫縦書き ≫テキスト
鳳仙花やがては止まる昼の琴
この作者の魅力は写実と想念を観念も混ぜながら往還しているところである。
掲句、「やがては」とあるから今現在は「琴」が鳴り響いているのだろう。「やがては止まる」というのは推察であるが、止まらない「琴」はないので真理に近い。「昼」という明るさが「琴」の絢爛さをより一層引き立てている。
「鳳仙花」は別称「爪紅」なので「琴」とはツキスギ感もなくはないが、その花のあでやかさとの相性と取りたい。
友の子の耳は大きくよく踊る
「耳は」の「は」は限定であり、「耳」以外は「大きく」ないのだろう。子どもの大きな「耳」がひらひらと「よく躍る」。盆踊りの列の中でもひときわ目立ったのかもしれない。
「友の子」とは全く他人ではないがとりわけ親しくもない間柄だろうか。その「耳」だけがクローズアップされ、まるで「耳」に意思があり、「耳」の動きがすなわち「踊」であると思わせる。
洋梨日和いやな男と宿にいる
「いやな男」とは偶然「宿」で出会ったのであろうか。それとも同行の者であろうか。それはわからない。「宿」という寝食をともにする場所に「いやな男」といることを「洋梨日和」が包む。「洋梨」の甘くぬるりとした食感。さらに「日和」とあることで「いやな」という嫌悪感だけが際立たない妙な味わいがある。
群衆に蝶の過ぎゆく速さかな
「群衆」はどういった場面の人々なのだろう。一読「デモ」などの印象を持った。混み合って停滞した人々は個を剥奪され「群衆」という塊として見做される。そこに「蝶」が「過ぎゆく」。
この「蝶」のなんと解放されていることか。「速さかな」としっとりと速度に焦点を当てることで、滞っている「群衆」に対し実に鮮やかな対比となっている。
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2018-12-02
2018角川俳句賞「落選展」を読む(3) 岡田一実
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2018-11-25
「第64回角川俳句賞」候補作品 雑誌掲載作6作品を読む 藤田哲史
「第64回角川俳句賞」候補作品
雑誌掲載作6作品を読む
藤田哲史
毎年注目を集める角川俳句賞。
第64回となる今年の受賞作は、鈴木牛後さんの『牛の朱夏』に決まった。
選考の様子や受賞者のことばなどはが「俳句」11月号に詳しく掲載されていて、受賞作はもちろん、選考の俎上に上がった候補作品50句も併せて読むことができる。
候補作品6つのタイトルと作者を示すと、
『お菓子』上田信治(生年昭和36年 所属結社「里」「週刊俳句」)
『闇を探す』 抜井諒一(生年昭和57年 所属結社「群青」)
『星を撫づ』 日隈恵里(生年昭和46年 所属結社「南風」)
『花烏賊』 大西朋(生年昭和47年 所属結社「鷹」「晨」)
『てまひま』 羽根木椋(生年昭和29年 所属結社「いつき組」「街」)
『零』 大塚凱(生年平成7年)
となる。これらは週刊俳句の「落選展」と「2018落選展を読む」の対象から外れてしまうので、この記事で各作品などについて少しずつ紹介してみたい。
●『闇を探す』 抜井諒一
平成23年第3回石田波郷新人賞奨励賞。
平成24年第23回日本伝統俳句協会新人賞。
平成25年第1回星野立子新人賞。
平成28年第6回北斗賞。
という数々の受賞歴を持っている作者で、角川俳句賞も十分にその射程圏にあるといった印象だ。
風船を子分のやうに連れ回す
「子分」の見立てが見せ所。
風船が「子分」とすると、その風船の持ち主は「親分」で。
緑陰の中の空気の濃かりけり
標高が高くなると「空気が薄い」というけれど、ここでの「濃い」はそれと異なり、直感的な空気の感じを指している。
夏の木の匂いとか、湿り気というものを「濃い」の一語に託している。
並べられている言葉に読者の想像力が入ることで詩情が立ち上がる、そういうことを逆算している巧みさが感じられる。
遥か見るやうに暖炉の炎見る
雪よりも先に気配の降つて来し
即物的ではなく虚構の表現に抒情を織り込んで行くタイプの表現。平成俳句のいちばんおいしい表現をいちばんおいしいかたちで成立させることができる作家なのだろう。
●『星を撫づ』 日隈恵里
こがらしや離陸するとき灯の消ゆる
夜間飛行をイメージすればいい。離陸準備のときに灯が落とされて、聴覚がやや敏くなるつかのま。凩と飛行機の主翼が空気を切る音がまじりあう。音で描かれる「凩」だ。
火の爆ぜる音ひとつきり山眠る
焚火かそれとも冬のキャンプか。時間の軸を数直線で表せば、1点以外は全て静寂なのだ。音以前も、音以降も。
●『花烏賊』 大西朋
家の奥に更に一軒フリージア
下町と呼ばれる地域には木造の家が立ち並んでいて、そういう家はたいがい狭い路の奥にあり、法律上立て直しができなかったりする。
そしてまた、たとえば、そんな家には音符記号のついたボタン式の呼鈴が付いていて、押すと音が出なかったりする。
●『てまひま』 羽根木椋
チューリップ首(かうべ)なくして終はりけり
50句のうち1句と言われればこれだろうか。
作者は、花びらを含む花の部分ではなく、花びらのなかの、蘂のある芯の部分を「首」と見立てたのかもしれない。
つまり、ここでの花びらは、頭を包む”布”であって、このチューリップは、いわば頭を包む布ごと、鋏でもって首を切られた者としての比喩ともいえる。
●『零』 大塚凱
秋から夏までの都市を一貫してテーマにした作品。座談会でも「屈折」感のある詩情を評価されている。
この作品は、淡々と作品を列挙するに限る。
逃れても月ありあまる都心かな
すこし咳してあなたではない手を握る
晴れていて初夢のなかひとりになる
どこに置いても献血の肘冷た
来たことのない梅林とだんだん思ふ
三月終はる空き缶のなかの雨
寝静まるあなたが丘ならば涼しい
『君に目があり見開かれ(佐藤文香)』『自生地(福田若之)』に比肩するような自在さと、意味やモチーフで押し切らない巧みさがある。
というのも「ありあまる」とか「ではない」とか「だんだん」とか、含みのある語彙を適切に配置できる冷静さがこの作者にあるから。
●『お菓子』上田信治
瓜漬のなつうぐひすの緑かな
これには比較するとおもしろい句があって、
捨て菜畑うぐひすいろに氷りけり 飴山實
がある。この「うぐひすいろ」は、薔薇色とか、空色といった色の表現と同じように、
薔薇っぽい色であったり、空っぽい色を意味していて、実際に「捨て菜畑」が「うぐいす」と完全に同じであることを保証していない。
ところが「なつうぐひす」の句は、こう書かれてしまうと、瓜の漬け物の緑が鶯の緑だという断定となる。
質感という点でいえば、つるつるとした瓜と羽毛を蓄えている鶯にはかなりの隔たりがあって、だからこそこの緑の同一性への断定が異様なものとして感じられてくるのだ。
サングラス海に沈んでゆく早い
この措辞もまったく不思議なもので、ふつう(というかセオリー通りだと)「サングラス海に沈んでゆく早さ」とでもしておけばかっこうが付くのに、あえて「早い」としてあたかも発話されたもののように演出を仕掛けている。
このようなセオリーを外した語法はいくつもある。
はんこ屋に自転車止めてクリスマス
フラミンゴ首8の字に桜散る
はんこ屋の前で自転車を止めてはじめてクリスマスになる。ではそれまでのクリスマスは一体どこに。 そして、このフラミンゴの嘴は8の字の一体どこにあるのか―――というような描写の不完全さをあえて残し、言葉の世界を愉しませる仕掛けがそこここに散りばめられている。
水槽や鱧が長さを見せてゐる
この句では、長さだけが強調されることにより、鱧の生き物らしさがすっかり捨象され、何か紐のようなものに思えてくる。
●
以上のとおり候補作品6つについて少しずつ紹介をしてみた。
選考座談会記事を読めばわかるけれど、なかでも最後に取り上げた「お菓子」は、受賞作と最後まで競った50句で、昨年末に第1句集『リボン』(http://youshorinshop.com/?pid=125115125)を刊行した話題の作者のもの。
選考座談会では、表題句の「お菓子」の「お」付けなどについて審査員から厳しく指摘されているけれど、タブーを犯すなど攻めの作品が受賞を逃すのは優勝みたいなもので、これは角川短歌賞の穂村弘や、角川俳句賞で言えば榮猿丸しかり、前例に事欠かない。
角川俳句賞が時代を映す鏡とするなら、時代を先取る才能はこの賞にはそぐわない、ということなのか。
”次”の俳句は、むしろ落選作のなかにあると思えてならない。
(終わり)
2018角川俳句賞「落選展」を読む(2) 岡田一実
2018角川俳句賞
「落選展」を読む(2)
岡田一実
>>(1)
5. 初々しさ 津野利行 ≫縦書き ≫テキスト
妻書斎まで来てバレンタインデー
この作者は人生のちょっとした余裕や人情を大切にしていて好感が持てた。
掲句、普段は「書斎」へは客中主体以外は誰も来ないのかもしれない。「書斎」は閉ざされた自足的な城のようなイメージ。そこへ「妻」が来る。「まで」が驚きであり感動を表わす措辞だ。「妻」は甘い甘いチョコレートを持ってくるのであろう(おもに日本のみの文化だ、などと指摘するのは無粋)。「バレンタインデー」は別称「愛の日」。「妻」の愛情を確かに感じる出来事である。
中華屋のおやじも卒業生の父
馴染みの「中華屋」だろうか。「中華料理店」ではなく「中華屋」という響きにカウンターに面して調理する、ラーメンと餃子と炒飯がメインメニューの店を想像した。なぜ「卒業生の父」だとわかったのだろうか。「うちの子も今日が卒業でね」などと中華鍋を振りながら語ったのかもしれないし、あるいは卒業式の保護者席に「おやじ」を発見したのかもしれない。いずれにせよ、「中華屋のおやじ」というのは社会的な役割であるが、その「おやじ」にも個人としての役割、しかも「卒業生の父」という晴れやかな役があったという驚き。共に祝したいという気分が溢れている。
滝の音ほどの滝ではなかりけり
「滝の音」が先ほどからずっとかなり大きく聞こえていた。きっと大きな「滝」に違いないと期待して辿り着いてみたら「滝の音ほどの滝では」ない。がっかり。ではあるが、「滝」に辿り着いた達成感や滝底から吹いてくる風の清涼感などがほのかに感じられるのは「なかりけり」という空白の多いたっぷりした措辞のせいであろうか。期待したほどの「滝」の大きさではないけれど、これはこれでまあ楽しめばいいか、という余裕が垣間見られる。
他にも〈家族葬済ます勤労感謝の日〉の不思議な悲しさ〈開店の準備オーバー着たるまま〉などの取材の良さには親しみを覚えたが、〈遠花火バックミラーに開きたる〉〈焼きそばのソースの匂ひ秋祭〉などには類想感があった。
6. 星加速 折勝家鴨(*) ≫縦書き ≫テキスト
牛乳のコップの波紋冬深し
なにかの拍子に食卓が揺れたのだろうか。小さな地震かな、とも思った。具体的な理由はわからないがただ「牛乳のコップ」に「波紋」がおこっている。濃い白色の「牛乳」におこった小さな「波紋」はささやかな異変とも言えないような異変であるが、寒さが募る時期である「冬深し」とよく響く。一抹の不穏に余情がある。
空砲は空へ片道卒業す
「空砲は空へ片道」は真理。復路のある「空砲」などない。この真理は指摘されるとなるほどと思うが、日常的には見過ごしてしまうところだろう。「片道切符」などという比喩表現もあるが、すべての「空砲」が「空へ片道」だと思うと清々しい気分になる。そういう意味で「卒業」もまた「片道」だ。不可逆性のきっぱりとした華やぎがある。この「空砲」が「卒業」を祝しているようでもあり、青空も見えてきて気持ちがいい。
猫の仔をタオルに包み農学部
「農学部」というのがいい。この「タオル」はおそらく新品ではない。農作業をするときに使う何度も洗濯を繰り返したくたくたの柔らかいタオル、そういうものであって欲しい。「農学部」の構成は多くは学生、そして講師や教授もいる。指導する者とされる者。先輩と後輩。そういう大学生活独特の層状の人間関係の中で「猫の仔」はひときわ愛らしい異物として構われる。
7. 息 江口明暗 ≫縦書き ≫テキスト
春立つと午前零時のメール鳴る
君よ夏のクラウドに記憶せし写真
珈琲を飲み干す夜長ウェブ赫き
現代感覚的な新味を取り入れて俳句的世界の更新を試みている。
一句目、この「メール」は立春を知らせるためのものだろうか、関係ないのだろうか。「春立つと(いうのを知らせるための)」「メール」が鳴った、ということであると若干因果を感じるので、「春立つと(気付いた、そのときふと)」「メール」が鳴った、という風に取りたい。「午前零時」に短く「鳴る」電子音が春を告げているかのようだ。
(余談だが「E-mail」は「メール」と略してはならないという主張もあるらしい。「俳諧の益は俗語を正す也」(松尾芭蕉)であり、意図があっての使用であることは明らかであるので、ここでは容認したい。)
二句目、「クラウド」とは、「クラウドサービスプラットフォームからインターネット経由でコンピューティング、データベース、ストレージ、アプリケーションをはじめとした、さまざまな IT リソースをオンデマンドで利用することができるサービスの総称」だそうだ。DropboxやOneDriveなどと具体名でイメージした方がわかりやすいかもしれない。スマートフォンで撮った写真などをそのままデバイスに保存すると容量が溢れてしまうのでクラウド管理する、という考え方は年々一般化しているように思う。自分以外の人と共有できるのもクラウド管理の利点だろう。掲句は「君よ」と呼びかけている。その「写真」を共有する「君」かもしれないし「写真」の中の「君」かもしれないし、両方かもしれない。いずれにせよ恋のニュアンスがある。眼目は「記憶せし」である。「クラウド」というデジタルなモノが擬人的に「記憶」をする。「夏の」は位置的に「クラウド」と「写真」の両方にかかっているのだろう(「クラウドに記憶せし夏の写真」ではない)。「写真」に記録し、「クラウド」に「記憶」させるのは、夏の一瞬のきらめき……エモ(wikipedia)って感じしません? 私はします。
三句目、「ウェブ」はわかりますね? そう、あなたが今ご覧になっているそれです。この記事も「ウェブ」で公開しています。掲句、「赫き」が禍々しい。「珈琲を飲み干す」安らぎの世界と「ウェブ」で繋がる禍々しい異世界とを思うとその「ひとごと」感が空恐ろしくもある。
古寺に古きもの見て稲光
前述のような現代的感覚もあれば掲句のような渋い句もあり、ヴァリエーションの豊かさがこの作者の魅力であった。
8. あなた泉と云ふいつか 青本柚紀
≫縦書き ≫テキスト
俳句を読む楽しみは明瞭に伝えられた明瞭な景を味わうことの他に、言葉の意外な連なりによる景の結びにくい複雑なイメージを味わう、ということもある。本作品は後者であり、かなり質の高い作品だと感じた。
雲雀どこかにえいえんのある落日の
萵苣ゆがむ顔のかげりはをととひの
本作品からまず感じたのは循環への志向である。
例えば句末を「の」で結ぶ句。他に〈まぎれてゐる光る眼鏡の霾の〉〈口ごもる虹の匂ひは水草の〉〈いよいよの畳に蛇がゐる夢の〉〈濁つてゐるうたごゑの夜の梧桐の〉と本作品では頻出の型である。
前句、「落日の」が「雲雀」に輪廻して循環をなす。この循環が「えいえん」の永続性を支え、「どこかに」という措辞とは裏腹にこの句そのものに「えいえん」がピン止めされたような茜色に眩い世界がある。
後句、こちらは単純な循環を拒否しているように思う。「かげりは」の「は」があることよって「おととひの(かげり)」とつながっていくのだと想像させる。「ゆがむ」は「萵苣」と「顔」の両方にかかっているのか。「萵苣ゆがむ」で切って取り合わせとして読んでもいいのだが、「萵苣」で切って「ゆがむ顔の」と取り合わせるイメージも捨てがたい。「萵苣」の瑞々しく淡い緑ははかない線で描かれ、危ういバランスで成り立っている。
両句とも季語のモノとしての具体性を剥落させて、時間のあり方を環にすることで歪にゆっくりまわる円盤のようなイメージ世界を読者に与える。
煮る人をこぼれて歌の金目鯛
「風の」や「月の」など「○○の」という属性を帯びさせて詩的世界を立ち上がらせるのは伝統的俳諧の手法であるが、ここでは「歌の」である。この「歌」は音楽の方の歌だろうか、和歌などの「歌」だろうか。イメージを限定しないことによって多読性を喚起しながら、確かに何かの調べが聞こえてくるところが非常に味わい深い。「金目鯛」が「こぼれる」のは通俗的には鍋や皿だと思うが、ここでは「煮る人を」である点も詩的である。
掲句も倒置して「て」で繋ぐという循環の技法がとられている。
他にも〈夏蝶の渚といふはしのわずり〉〈夏痩のこはれる岸のしろい窓〉〈洗はれて火の粉のくぐる牛のなか〉〈なほざりの葉書は蛇の湖あかるい〉〈草刈のしなへる日々の塔がある〉〈野は汽車の花咲く苔のさよなら〉など全体を通して「言葉を書くのだ!」という強い意志が感じられ、非常に刺激的で魅力的であった。
(3へつづく)
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2018-11-18
2018角川俳句賞 「落選展」を読む(1) 岡田一実
2018角川俳句賞
「落選展」を読む(1)
岡田一実
「落選展」は毎年楽しみにしている(といったら語弊があるかもしれないが)。
一作品50句という分量の多さにひとりひとりの俳句観の違いがよくわかるからだ。西原天気氏の言う「落選展の意義のひとつは、予備選のかすかなる/朦朧たる可視化」(*)という面にも頷く。
ひとはなぜ俳句の「賞」に応募するのだろうか。
それは応募者によって様々だろう。一年の(または数年の)成果、自らの俳句観の確認、俳壇の価値観の刷新、功名心、「俳句」そのものへの寄与などなど、どれか一つと言うよりも混ざり合った動機によって作句し選句し構成して連作を編むのだろう。
「賞」というものは誰かが読んで誰かが選ぶという課程の中で生まれるので、「俳句(芸術)の高ささえ目指せば読まれなくてもいい」という考え方の人には無関係かもしれない。
しかし連作を編むことと「読む」こととの相互作用によって得られるものもあるのではないか。そういう希望の下に全作品に目を通した。
前置きが長くなった。一作品ずつ見ていこう。
1. 迎への春 ハードエッジ >>縦書き >>テキスト
日の永くなりたることを昼休
おのづから時の満ち来る桜かな
ゆったりとした導入。
前句、「日永」を「日の永くなりたること」まで引き延ばして表現上でも「永く」してある。あとに続く「昼休」も非常にのんびりしていてたっぷりとしたのどかさを味わえる。
後句、「時が満ち来る」の方も「おのづから」という観念的発見を導入部に用いたことで「桜」も満ちてくるような時空の余裕を感じる。
半袖の亜米利加人や巴里祭
雷の近づいて来る祭笛
季重なりの句は比較的多く〈塩辛に烏賊や鰹や夏始〉〈蚊遣火の紅一点の涼しさよ〉〈踏切のかんかん照りの終戦日〉〈虫籠は終の棲家や茄子胡瓜〉などがある。いわゆる「季重なりに挑戦!」的な力の入った句はなく、さりげない感じ。
「巴里祭」は 七月十四日のフランスの革命記念日。フランスでは国祭日となっており、バスティーユ広場を中心にフランス全土の広場を中心にフランス全土の広場や通りには一晩中踊の渦がくりひろげられるそうである。それと取り合わせられる「半袖の亜米利加人」は映画などでよく見かけるあの軽装な出で立ちだ(おそらく下はハーフサイズのカーゴパンツだろう)。「亜米利加人」「巴里祭」という漢字表記が日本人からの視点のようで、自らも含めた客体としての異国人が「巴里祭」の賑わいと渾然一体となる。「半袖の」という軽さが祭に涼やかな華やぎ与える。
後句は雷鳴と「祭笛」のダブルサウンド。段々と大きくなってくる「雷」の音と祭を盛り上げるように猛る「祭笛」。雨もぽつぽつ降ってきた。法被姿で脚をむき出しにした群衆がうねる。非常に臨場感があり想像をかきたてる。
ほかにも〈包丁に林檎の種が付いてをる〉のような只事にも魅力を感じたが、〈松が枝に番ひで弾む初雀〉のように順番に説明しまう句と近似の相であり、この方向については、さらに精度を高めることができればと感じた。
2. ペンギンさん 青島玄武 >>縦書き >>テキスト
人気なき商店街へ盆の僧
この作者は通塗の良さがあり、生活の中で摩滅しがちなささやかな悲哀への共感性が高い。
掲句、「盆」の間は休む間もなく檀家の家々を回る「僧」がふと「人気なき商店街」へ入る。昼だろうか夜だろうか。家と商店が一体化している檀家を参りに行くのか、それともただぶらりと入っただけなのか。詳細は描かれないが、そのがらんとした空間はどこか異界めき、彼岸につながる通路のようだ。残暑の盛りでもあるこの時期の「僧」の黒衣の汗や息づかいがその「人気なさ」によってかえって際立つ生々しい異物として伝わる。
クリスマスイヴの出湯の男たち
「出湯」にあつまる裸体の「男たち」。身体はもう湯に当たって赤らんでいる。かぽーん、ざざざと「出湯」独特の音が響く。この「男たち」はこの後家族や恋人と食事するのだろうか。ひとりでのんびりと過ごすのだろうか。あるいはもうパーティーは終わってからの「出湯」なのかもしれない。遠くにクリスマスソングが聞こえる。湯に浸かり「あ゛―」と唸ったら、もうそんなことはどうでもいいような気になってくる。「人は裸で生まれる」などということは聞き飽きた。贅沢なような孤独なような満ち足りた夜のひとときである。
雪靴のまま地下鉄に乗り込みぬ
とりあへず雛の置かるる冷蔵庫
言われなかったら見過ごす景色。言ったところで「だから何?」と聞かれたら答えるのが難しそうだが、かすかな違和感をセンシティヴに捉えている。
前句、「地下鉄」に乗り込む客は男も女も概ねは通常時と同じ靴を履いている。自分は「雪靴」。表面は地上の雪で濡らされた。少し恥ずかしいような気持ちを抑えて他の人々に紛れる。誰も気にする人はいない。みな他人とは目を合わさないように目的地まで「地下鉄」に揺られる。
後句、この「冷蔵庫」は低い。容量少なめのツードアタイプと見て間違いないだろう。「雛」といってもさほど立派なものではない。紙雛かもしれない。「とりあえず」なのだ。「とりあえず」雛祭の季節だから「置かれ」ている(「飾られ」ではない)。殺風景な部屋に「雛」の彩り。仄かな艶がそれだけに侘しさを募らせる作品となった。
すこし難点だと思ったところは〈草雲雀おかず一品増えてゐし〉など通俗が過ぎるところと〈凌霄花や骨を休むる遊園地〉の「骨を休むる」など出来合の比喩をそのまま独自の工夫なく用いているところなどである。
3. 砂の紋 薮内小鈴 >>縦書き >>テキスト
賑ひの床を枝豆からびゐし
二三歩をともに日向の寒雀
この作者は掲句のように句意が明瞭な句もあるが、意図的に句意をおぼろにしているところが多く、不思議な風合いを醸している。
絵にどれも熱帯林の春の暮
石段を下れば覚めて著莪の花
前句、「絵のどれも熱帯林や春の暮」なら句意に迷うところはない。しかし、「絵に」であり、「熱帯林の」である。助詞を軋ませることで詩的飛躍を試みているのだろう。字義通り読んでいくと「熱帯林」なのに「春」があるのだろうか……などと思ってくるが、「絵に」描かれているのならそういう有り得なさそうなことも回収されるのかもしれない……と思考が回遊する。
後句、「覚めて」とは「目が覚めて」ということだろうか。「石段を下り」始める時点では「覚めて」いないのか……とこちらも想像が周回してしまうが、「著莪の花」の薄紫のちりぢりとした花の雰囲気が「覚める」前と後を包み込むような働きをしていて煙に巻かれるようだ。
陸の鳥海の鳥遭ふころもがへ
この句は「陸の鳥(が)海の鳥(と)遭ふ」という句意だろうが助詞を省略してある。あるいは「陸の鳥(それと)海の鳥(と、客中主体が)遭ふ」かもしれない。舌足らずだなと思わせておいて、ぱっと切れて「ころもがへ」と取り合わせてあり、その感覚には新しみもある。
楽団に海豚の匂ひ穀雨降る
「海豚の匂ひ」とはどんな匂いなのだろう。生臭いのか、海の匂いか、正確にはわからないが、「楽団」の楽しげな様子に不思議さを与える(そもそも「楽団」なのだから音に集中しそうなものだが、ここでは「匂ひ」に集中する)。それに「穀雨降る」。情報が多すぎやしないか。しかしそこが目の粗い粒がいろいろあるような多彩さで魅力的でもある。
枯葎灯りのうちに骨を煮て
「灯りのうちに骨を煮て」は想像しやすい景色である。台所であっても戸外の料理場であっても「灯りのうちに」調理する。てらてらと照る「骨」が見える。
では「枯葎」と取り合わされるとどうか。「葎」とはもともと蔓でからみながら蓬々と茂る雑草の総称で、引いては貧しく荒れはてた家を「葎の宿」などと言う。「枯葎」とは夏に生い茂っていた葎が、冬になりすっかり枯れ果てた様子のことなので、その荒廃ぶりが眼目であろう。とげとげしい自然界の鉄条網のような「枯葎」は「骨」と共に照射される。その裏寂れた景色が浮かび上がると「骨を煮て」という行為が調理かどうかも怪しくなる……というのは読み過ぎか。ただならぬ不穏さが漂う。
春凪ぐや砂紋は江戸へ続くかに
この句は浮世絵のような描線のはっきりした景色である。旅人の気分ではないだろうか。「江戸」という言葉選びが時空を遡るような感覚をいざなう。
4. 睡足 杉原祐之 (一次予選通過作)
この作者は平明な叙情が持ち味である。素直な感覚とややノスタルジックな共感性に惹かれる。
病棟の裏の大きな桜かな
「病棟」とは病院などで、多くの病室のある一棟(ひとむね)の建物。入院施設を思う。病院にもよるが「表」(おもに南)にしか病室がない病棟はまれで、多くは「裏」にも病室があり窓がある。よって入院患者にとっては「裏」は親しみのある場所かもしれない。そこに「表」からは見えない「大きな桜」がある。すぐに行けそうでなかなか行かない「桜」の木。病棟の病室の中からか渡り廊下から見るだけかもしれないが、その「大きな桜」は病みと共にある者への希望のような働きをしている。
建売のモデルハウスの鯉幟
見たことある!と思う。思うが実際にはないかもしれない。「建売のモデルハウス」はぴかぴかでどこか胡散臭い。作られた幸せの形という感じが否めない。そこの「鯉幟」はなお一層にそのように感じる。僅かなイロニー。でも結構立派な、五色とかの「鯉幟」なんだよね、とまた見てきたかのように語りたくなる。
扇風機に当たり客待つ車引き
この景色もみたことあるあると思う。観光地に行くと今でもいますね、「車引き」。黒い制服(?)を着て夏は炎天下にいてさぞ暑かろう。「扇風機」にかかっているくらいなら「車」も頼みやすい。頼めばさっと「扇風機」から離れて来てくれるだろう。「車引き」の日に焼けた顔、涼やかな風に当たった首筋、身軽で機敏な様子、どれを取っても粋である。
どの句も景にブレはないがその分〈薬喰離れの間へと案内され〉の若干の因果、〈肌脱の僧侶バイクに二人乗り〉の類想感などは再考の余地があるように思う。
(2へつづく)
(* )俳句的日常『俳句賞・予備選の「闇」』 http://sevendays-a-week.blogspot.com/2017/08/blog-post_31.html
2018-11-04
■2018角川俳句賞「落選展」第1室■1. 迎への春 ハードエッジ 2. ペンギンさん 青島玄武 3. 砂の紋 薮内小鈴 4. 睡足 杉原祐之
■2018角川俳句賞「落選展」第1室■
(*)一次予選通過作品
1. 迎への春 ハードエッジ
2. ペンギンさん 青島玄武
4. 睡足 杉原祐之(*)
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■2018角川俳句賞「落選展」第1室■テキスト
■2018角川俳句賞「落選展」第1室■テキスト
(*)一次予選通過作品
1. 迎への春 ハードエッジ
紅白の梅の匂へる神の里
蝶飛んで百花の春となりにけり
雲水の峠を越ゆる蝶々かな
発掘は一つ隣りの春の山
日の永くなりたることを昼休
草餅のほのかに温し子らを待つ
春宵も余生も値千金ぞ
煙突の大きな「ゆ」の字春の闇
おのづから時の満ち来る桜かな
満開の一点つひに花の漏り
引く波の砂にこするる桜貝
蕊だけがひよろりと伸びし躑躅かな
塩辛に烏賊や鰹や夏始
牡丹やどかと置かれしランドセル
飛ぶ虫に這ふ虫も出て梅雨の入り
終列車彼方に消ゆる螢かな
羽田空港四万六千日の晴れ
半袖の亜米利加人や巴里祭
雷の近づいて来る祭笛
裸子の中のひときはちひさな子
夕立後の強き火使ふ夕餉かな
雨だれが石に弾けて金魚玉
壁抜けに間に合はざりし蚊の姥か
仕留めては次の間へ行く蠅叩
蚊遣火の紅一点の涼しさよ
すやすやと赤子ほのかに天花粉
踏切のかんかん照りの終戦日
切株は即ち墓標秋の風
寂しさを埋めて秋草なに咲かそ
天高くなりにけるかも黄金の穂
童謡が「あれ」と歌ふよ虫の声
虫籠は終の棲家や茄子胡瓜
菊の香に神や仏の夜長かな
われの銀河なれの銀河へ重なりぬ
松手入針千本を降らせつつ
古釘に柿の裸を吊しけり
包丁に林檎の種が付いてをる
玄関にブーツを履きて立ち上る
ギター背に枯木の中を帰りけり
緑濃きところは捨てて葱白し
化ける気もなくて海鼠のままでゐる
十二月三十一日来りけり
ゆく年の窓開けてみる直ぐ閉める
国家とは大いなる家初御空
松が枝に番ひで弾む初雀
静かさや猫も寝てゐる寝正月
年号の来年変る炬燵かな
太陽と同じ丸顔雪達磨
紫雲英田に遊んでくれてありがたう
ご機嫌よう迎への春が来たやうだ
2. ペンギンさん 青島玄武
夕波とともに燕も帰りけり
かなかなや己の髪を嗅ぐ少女
家族してドラマ観てをり花火の夜
人気なき商店街へ盆の僧
大正昭和平成こぞり栗を剥く
また暫し瀬音となれる月の宴
縁の下の猫の喧嘩も豊の秋
その陰のひそひそ話彼岸花
草雲雀おかず一品増えてゐし
団栗を拾ひ十九才の掌に
阿蘇の山げに荒々と装へり
バス停で弁当開くフランス人
小春日や電車を汽車といふ田舎
こすつたらぼやけてしまふ冬景色
クリスマスイヴの出湯の男たち
一昨年を蒸し返へさるる忘年会
ぐずぐずの柚子湯のなかのお父さん
着ぶくれの奥の奥なるチヨコレート
日輪を奪ひ合ふなり玉競り
成人の日の夜のマクドナルドかな
眉根濃き面皰の顔や初神楽
来週に払ふと約すお年玉
妹も白きマフラーしてゐたり
雪靴のまま地下鉄に乗り込みぬ
厚司人風に靡かぬ長き髭
青空が真正面のスキーかな
盆梅に膝らしきものありにけり
梅の花以外はすべて工事中
とりあへず雛の置かるる冷蔵庫
小手鞠や頬いつぱいにお煎餅
春水を足に浸せりマリア像
花の人その夜の宿を定めずに
噴煙を巡りて花を巡りけり
花影や煙草くゆらす村の婆
遠足に変身ベルト持参して
鎖場を伝ひて落つる椿かな
奥宮の御狐様と春の海
ちやりんこのおつさんふたり春惜しむ
筆順を間違へてをり蜘蛛の糸
麦の秋海の向かうも麦の秋
巌流島どの紫陽花も赤ばかり
万人を沈めて壇之浦涼し
幼帝の泣くたびに立つ卯波かな
藁帽子脱いで挨拶する宮司
潮風の小島となりし端居かな
長崎や青葉せぬ坂なかりけり
鰻重を食らふや鼻の穴拡げ
凌霄花や骨を休むる遊園地
浴衣着てペンギンさんと呼ばれをり
出航す夏の山より太き船
3. 砂の紋 薮内小鈴
絵にどれも熱帯林の春の暮
ふりあふぎ蜂の巣みとめたる夕
石段を下れば覚めて著莪の花
陸の鳥海の鳥遭ふころもがへ
黒南風に売り子の盆の差出され
一角を十薬占めて幾日か
雷鳴の厨包丁みだれなく
カメラ屋の解体まぢか夏柳
夜の魚湖面に跳ねしテントかな
ゆるゆると橋ゆく電車涼新た
賑ひの床を枝豆からびゐし
鶏頭を毛糸と覚え指の先
佃島月のいづこも後にせむ
川縁やチケットもぎり爽やかに
木の実はや土に埋もれ夜来り
王宮と見ゆる霊園秋夕焼
幾年も着ぬセーターの色眺め
雪吊の風に激しき琴思ふ
冬柏煉瓦蔵へと列をなし
餅搗の目まぐるしさや粉塗れ
二三歩をともに日向の寒雀
やきものに染みか千鳥か冬日和
鰰の麹まぶされゐたるかな
甲高く門扉を閉ざし霾れる
早春や荷にゆはへたる野の布団
雛の日を髪があたりて細眼
故里はここと山茱萸盛りなり
蠅生る張り子つくれる庭の先
楽団に海豚の匂ひ穀雨降る
あつといひ古本市を金亀子
帆立貝開いて家族森にゐる
子燕やエンジン吹かし遠き路
夕立のあとをかがやき鞄かな
橙色に喫茶ともれる祭笛
丸木舟沈み向日葵生ひにけり
遠近の岬の句碑やきりぎりす
秋の虹顔出す子等と虎と銅鑼
杜鵑草鎮もりしより霧の雨
根の野菜売り人見えず水澄める
錆びながら煙突すがし穴惑
枯葎灯りのうちに骨を煮て
竹箒まだ温かに冬の寺
風鈴の揺れつづく家に雪積る
鴉ゐて白鷺もゐて枯木立
三編みを収めてありし頬被
共同墓ガラス屋根にも囀れる
すぐ戻り旅思ひ出す土筆かな
春凪ぐや砂紋は江戸へ続くかに
映写機のまはり始めて蝶の昼
山躑躅水際を駆け上がりしか
4. 睡足 杉原祐之(*)
先生が先頭に立ち踊り込む
両の手の軍手が運ぶ西瓜かな
子供より大人の多き西瓜割
これだけの蓮の戦がぬ秋暑し
燈籠に散り零れたる百日紅
霧襖硫黄の匂ひ立ち込めて
台風一過の空へボールを投げ上ぐる
獅子独活の原野の仮設トイレかな
刑務所の外柵沿ひの彼岸花
ハロウィンの衣装のままに寝る姉妹
袋よりずいぶん小さく千歳飴
事務室にココアの香り冬立ちぬ
嬰児を遊ばせながら落葉掃く
踏切の錆び出しそむる枯薄
一斉に鳴声上ぐる鴨の陣
巻網の傷の血糊の鮪かな
薬喰離れの間へと案内され
底冷の厠へ降りてゆける音
欄干の霜に人差指の跡
クリスマスイブの歩行者拡がれる
数へ日の怒号飛び交ふ漁港かな
大年の漁港に?ただ浮かむ
改札の前に店なく冬ざるる
雪掻を終へ当直を引継げる
雪原の中のハウスや苺狩
水蒸気上り寒天晒さるる
ビール飲み干して追儺の鬼となる
家ぢゆうの家電が喋る四月馬鹿
病棟の裏の大きな桜かな
休業のプールへ桜吹雪かな
建売のモデルハウスの鯉幟
海岸へどの抜道も風光る
テニス部はいつも朗らに風五月
筍を包める市報市議会報
公文式教室の家鉄線花
海賊が祖の王族の薔薇の庭
蛍火や選挙ポスター掠めつつ
国分寺伽藍跡より蛍狩
父の日の父にお世辞を云ふ子かな
衛兵の脇をすり抜け梅雨の蝶
閉館の決まる図書館梅雨寒し
清流を愛でつつ啜る冷し蕎麦
海の日や海より青き空仰ぐ
子供用プールを出せば蜻蛉来る
朝一便飛び立つ先の雲の峰
水郷の家並を照らす西日かな
扇風機に当たり客待つ車引き
レンタルの重機の並び油照
肌脱の僧侶バイクに二人乗り
踝にちくりちくりと芝を刈る
●
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■2018角川俳句賞「落選展」第2室■5. 初々しさ 津野利行 6. 星加速 折勝家鴨(*) 7. 息 江口明暗 8. あなた泉と云ふいつか 青本柚紀
■2018角川俳句賞「落選展」第2室■
(*)一次予選通過作品
5. 初々しさ 津野利行
6. 星加速 折勝家鴨(*)
7. 息 江口明暗
8. あなた泉と云ふいつか 青本柚紀
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■2018角川俳句賞「落選展」第2室■テキスト版
■2018角川俳句賞「落選展」第2室■テキスト
(*)一次予選通過作品
5. 初々しさ 津野利行
レストランみな巻き込んで初笑
初富士の傷の如くに登山道
松明けや海のもの売る日本橋
成人の日の鼻歌に起こされて
寄合の顔ぶれ揃ふ小正月
民家まで団子屋の列初大師
妻書斎まで来てバレンタインデー
犬ふぐり目黒銀座に五番街
線香の香を残したる春手套
先輩の話に重み柳の芽
地に落ちず天に昇らずしやぼん玉
客の見る花の話を植木市
風光る路地曲がるまで見送られ
中華屋のおやじも卒業生の父
娘にも付き合ひのある春コート
口紅の初々しさよ春休
娘帰宅し春の夜の落ち着きぬ
綻びを縫ふやうにして巣組かな
山笑ふ京都タワーを真ん中んに
蝌蚪の紐子を惹き付けて寄せ付けず
しつかりと雲の形をつくる春
春深しやさしくされて泣けてくる
けふはよく道を聞かれる若葉風
銅像の姿晦ます緑夜かな
ひらひらが下着みたいな日傘かな
夏座敷ひとりに一つづつ鞄
かき氷親の財産食ひ潰す
死にたいと言つたそばから髪洗ふ
滝の音ほどの滝ではなかりけり
炎天へ指一本で履ける靴
葱盛つて息吹き返す泥鰌鍋
睡蓮や古墳は一度目を覚ます
遠花火バックミラーに開きたる
山の日の道半ばにて引き返す
ゑのこ草雨にもじやれてをりにけり
蝉ひとつ啼かせてをりぬ秋簾
焼きそばのソースの匂ひ秋祭
十六夜やゆつくり下る神楽坂
外泊を父は認めず寝待月
投げ銭はギターケースへ小鳥来る
標本の硝子の曇る甘露かな
プレミアムフライデーにも夜業かな
家族葬済ます勤労感謝の日
マフラーをどうも寿司屋へ忘れたか
ドトールの奥に居座る十二月
点滅をさせて聖樹となりにけり
開店の準備オーバー着たるまま
忘年会危ふく首と言ひそうに
一年のインクの重み古日記
テーブルに椅子みな上げて除夜の鐘
6. 星加速 折勝家鴨(*)
木を削り鳥になるなり冬はじめ
小春日やふたりに開く自動ドア
十二月八日鸚鵡の羽振くなり
聖夜なり椅子と下がりしギタリスト
よく動く眉だけ若し聖夜劇
時雨るるやラム酒の強きロシア菓子
高音の耳憑く風邪のはじめなり
倒木を馬跨ぎけり冬あたたか
啼き声を忘れてきたるジャケツかな
年移りけり鍵束の鍵選ぶ
着膨れて今日は大声出す仕事
捨鉢に土残りけり寒波来
牛乳のコップの波紋冬深し
バス降りて走る塾の子寒昴
息白く白樺に馬繋ぎけり
傷口の治りはじめの毛布かな
丸暗記出来る身体や冬青空
裸木の名を知り少年のこころ
冬の夜や灯の突っ張りし繁華街
風冴ゆる穴の廻りの警備員
星ひとつ出て凍鶴の羽摶ちかな
雪の鹿吾より先に動きけり
夜の端に丹頂鶴の声欲す
鳥の水脈重なるバレンタインの日
鵜の群れの水面を叩く二月尽
貌長き風刺画春の来たりけり
草青む馬上に鈴の呉れし音
抱き寄せて春の来ている羽根枕
ジーンズのポケット狭し梅の花
折り込みの広告の束あたたかし
繰り返し働く肌着鳥雲に
本棚に書名静もり春の霜
貸傘の大きく開き雛の家
夕星は布告のごとし春の山
空砲は空へ片道卒業す
優劣を教えぬ鏡ライラック
行列のごつごつ曲がり春夕
吸殻の眠たそうなり春の川
ふらここや空をくすぐるほどの雲
花冷や星に近づく星加速
湯にほぐす即席スープ花曇
ジオラマに馬の四つ足春深し
アパートの空室の日や春の川
猫の仔をタオルに包み農学部
折紙の鶴傾ぎある朧かな
坐る席ひとつ空け春惜しみけり
木に社旗に風吹く五月来たりけり
覚悟かためし泰山木の花の雨
薄翅蜻蛉視線を連れて川岸へ
長き橋日傘の信者渡り来る
7. 息 江口明暗
春立つと午前零時のメール鳴る
地母神や夜通し受くる春の雨
そこはかと春の心地す小銭殖え
渦を巻く紅茶の底や三鬼の忌
春の日の運河の孤舟江戸へ行き
椿とは名乗りを上げず素浪人
入相の墓地より来たる猫の夫
うたた寝に鯛めし浮かぶ春日かな
その人の声忽ちに春の息
うららけし長谷川利行の絵はずどん
つばくらや汝は不羈の形なり
また今年往生遂げし花の塵
存分に肥えて機を待つ牡丹かな
燦燦と夏手袋や喜寿の人
青葉潮照る日に光返しけり
はつなつの生まれは少し羨まし
葉桜やさやと鳴り今日ざわと鳴り
正岡子規記念球場の熱さ哉
大坂と言わず吾にも夏の陣
暑き日や物干しの影墨太く
君よ夏のクラウドに記憶せし写真
海まではあと一キロの浜万年青
自分史に雛罌粟の揺る丘はあり
石鳥居驟雨烈しき日なりけり
粥の香に浄められたり旅の秋
曼珠沙華弥生の人も見たるかな
生き生きとゲームする子ら草の市
ヘッドフォンから囁き聴こゆ白鳥座
秋味は故郷に還り喰われけり
爽籟や蕎麦屋の酒を暮るるまで
古寺に古きもの見て稲光
麗人の芋ひと抱え買いて去る
テーブルに林檎劉生置き忘れ
青ばかりの秋天遠近法虚し
秋惜しむ新郎新婦ミラノへと
珈琲を飲み干す夜長ウェブ赫き
秋冷や静脈に沁む深呼吸
星冴えて人語なき夜の平和かな
から風や柴の親子の鼓笛隊
海鼠なぞ見たことなしと妻笑う
しんとして猫背で食らうきな粉餅
鉢の木の降ったる雪の眺めかな
雪数多に白磁微かに翳りたり
銀屏風《在ること》の不安鎮めつつ
生牡蠣の喉堕つる音秘め事や
水仙や黄泉よりそっと迎え花
谺聞く冬田のバックホウ一台
音鳴らし靴で雪割る子に戻る
あの空の彼方にラララ夢は凍て
玉子酒浮き世は凄き風の中
8. あなた泉と云ふいつか 青本柚紀
君がため春野の薔薇にならずゐる
手のきのふ雨が霞を流しては
煮る人をこぼれて歌の金目鯛
春が光の靴下の短さの川
にもつは靴だんまりのなか虻になる
桜この昼を書いては水に散る
藤棚のあばらな椅子の日のおもて
年月の咲いて李のまはる銃
雲雀どこかにえいえんのある落日の
春落葉夜遠く見るその鼓膜
あひだの木夜に原宿さしこむ春
萵苣ゆがむ顔のかげりはをととひの
まぎれてゐる光る眼鏡の霾の
目ふたつは春の彼岸の河茫々
村は干潟の夕日おほきくよこになる
夏蝶の渚といふはしのわずり
口ごもる虹の匂ひは水草の
さつきから葉騒のままで猫がゐる
ばらの花てのひらに電波がとどく
葉桜に群れて無帽の邑の新橋
とげて羽蟻は雪のはやさに灯のほとり
濯ぐ夜のしなびて線路ぎはの部屋
スヌーピー茶けて扇風機とずつと
母たちの金魚ぼうつと濁る九九
みづおもて日時計に夕凪がくる
夏痩のこはれる岸のしろい窓
そこは翡翠空席いつまでもかがやく
ほほゑみの遠のく風の青簾
涼しさの目の奥にはしごがかかる
半袖に話の消えてゐる魚
洗はれて火の粉のくぐる牛のなか
なほざりの葉書は蛇の湖あかるい
坂の茂りのぐわりとめきしこの祭
あぢさゐの褪せて架空のこどもたち
象が来て手に香水の残るともしび
落ちてゐる絵にさるびあの身のほとり
草刈のしなへる日々の塔がある
くはへ飛ぶ鴉はうたかたの夏を
いよいよの畳に蛇がゐる夢の
朝だつた袖から瓜がおりてくる
根が羽根へゆらぐ晩夏の日のあひだ
木は一位暑さの川がたちあがる
夏草は距離ゆく球のみづたまり
濁つてゐるうたごゑの夜の梧桐の
けむりから灰がくづれて日日草
風季ほら飛魚が水に遅れる
眼のくぼむあなた泉と云ふいつか
野は汽車の花咲く苔のさよなら
さざなみ・痩せながら虹の秋は遠い
●
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■2018角川俳句賞「落選展」第3室■9. 街の動態 丸田洋渡 10. 高気圧 クズウジュンイチ 11. 薪の断面 寺澤一雄 12. 夜と昼のパレード 赤野四羽(*)
■2018角川俳句賞「落選展」第3室■
(*)一次予選通過作品
9. 街の動態 丸田洋渡
10. 高気圧 クズウジュンイチ
11. 薪の断面 寺澤一雄(*)
12. 夜と昼のパレード 赤野四羽(*)
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■2018角川俳句賞「落選展」第3室■ テキスト
■2018角川俳句賞「落選展」第3室■テキスト
(*)一次予選通過作品
9. 街の動態 丸田洋渡
陽だまりの象の歩数よ都草
立子忌の潜水艦の元気かな
たんぽぽや鳥来るように平らな屋根
囀を放っておいてみてもいいか
船の出て違う船くる春の湊
春暁や水深を表す海図
花の冷え御伽噺に牛が出る
鳥曇海を覆える蓋がない
初虹や魚の奥に魚のいる
送れば返る手紙のうれし春北斗
夏みかん小さな切手に小さい人
水を飲み干して葉桜の必要
筍やどこかで親が死ぬ気配
椅子捨てて机ひろびろ青岬
相槌を打つ翻訳家ところてん
マーガレット丘とスカート似合うひと
消火器をぐっと握って夏に立つ
花柘榴水の聞こえてくる二階
五月雨の博物館の象が骨
声で迫られ梧桐のある実家
蛍よりもっと光ろうとふんばる
花樗雨は大きなスプリンクラー
みずたまりに胸まで浸かる現の証拠
夕立の印刷室の無人かな
睡蓮やようやく釘のみな錆びる
心房に心室あって片かげり
発明にぱんと向日葵かがやく日
地下鉄は核に近づく道で夏
海と化すクックロビンや朝に鐘
花火師の先の花火を知る手つき
秋澄むや火の研究室の埃
脱ぐ靴の両足揃え稲光
天の川左右に空いている駅舎
鳥威し鉄骨の崩れて分かる
月や瓶に愛入れよ君が言うように
踊り子に天動説を信じる目
しとしとと覚めるひとびと葡萄園
水切りの石のかなしさ木染月
鵙逃がす大きな樹木これから死
断層に風吹きあたり金木犀
短日の鎖のたびに杭のあり
円柱の前と後ろや冬霞
首かしげて犬鷲は空考える
たっぷりと水仙を置き校長室
梟に友達はいないでほしい
枯草を蹴りながら歌を歌うな
海の減る鯨打ち上げられていて
冬かもめ空を点描する時間
「雪」声の聞こえて窓のいちめん白
街掛かる壁のうつくし青写真
10. 高気圧 クズウジュンイチ
調理器具買うて建国記念の日
人形の二月の硬き手をひねる
春泥の先へひよこを触りにゆく
春風は川に速まる榎の木
とぷとぷと混ぜてペンキが春の色
風船のひどく弱つて青畳
桶の田螺が知らず一周してゐたり
かりかりと青く目刺の背の乾く
草餅の包みへ風のわづかかな
虫食みの花やおもての公文式
蝌蚪の尾の泥を叩いてをりにけり
うらがはに道のあるいへ雪柳
蛤や緑色濃くオセロ盤
心臓は小さな臓器豆の花
きりぎしの躑躅に雨の痛むかな
住む人の変はれど庭のゆすらうめ
くしやくしやの鳥を拡げて夏隣
合宿所の硬きシーツや朴の花
らんちうの粒餌をすぱと吸うてをり
丸椅子の真ん中に穴冷し中華
日雷重みを増しておつとせい
とびうをのわつと出てくる高気圧
石垣に蟹の潜んで真昼なり
萍や風の終ひへ幾重にも
ソビエトの領土のやうに新生姜
白桃嗅げばみちみち満つる密なる毛
台風や塊肉を煮て過ごす
首吊りの縄の結び目あけびの実
秋の蚊の大きくなりて痩せにけり
庭先はバリカンの音菊日和
国と首都合はせて表にすれば秋
うすぬるく曇る茸の袋かな
どんぐりが崖の二段を落ちてゆく
檻の猪檻を揺らして廻りけり
みづぎはの胡桃みなみを向いて立つ
傾きの木へひよどりが来てをりぬ
末枯の高さに脛の長さかな
秋寒やトースト裂けば水蒸気
濡れてゐて道は短し朴落葉
竹馬のすつと収まる隙間かな
鯛焼や紙の袋にしたむきに
低音を閉ぢ込めてゐる枯葎
湯豆腐や硬き踵が板廊下
水使ふひとりと落葉掃くひとり
馴化して鶏は大きくクリスマス
タクシーの無線の寒き地名かな
クリームパン割つて渡して枇杷の花
白鳥の首打ちつけて戦へり
びぐびぐと寒鮒陸に口を開く
暗算の繰り上がる桁寒卵
11. 薪の断面 寺澤一雄
力士みな大阪にゐる涅槃西風
トラックの荷台広々桃の花
名月と同じところに春の月
天守からパパを呼ぶ声夕薄暑
銅は屋根にコインに夏の雨
木天蓼の花と教はり疑ひぬ
故郷の街の窶れや秋燕
庖丁は切れば汚るるそぞろ寒
焚口に薪の断面秋収
点滅の赤信号や首都の雪
冬麗は陸奥と常陸を分かたざる
冱つる夜のびつくり箱の狭さかな
春の来てもうすぐ花の雑木山
囀や山の形に木の生える
鉄橋の下の暗さや鳥交る
黄砂降るカメラの紐を首に掛け
遊船の進水せしは昭和末
月涼し絶滅危惧種絶滅す
ぱつくりと麦藁帽子割れにけり
栓を開け水が戻りぬ作り瀧
実柘榴や人に四本糸切り歯
セメントのサイロに名前曼珠沙華
筋肉は赤白模様小鳥来る
沸沸と蜻蛉湧き出る視界かな
枯れて立つ背高泡立草荒地
他人より分けてもらふ血古暦
もの食ふと頭に汗や鳥雲に
木は腐り立坪菫咲いてをり
玄室は荒れ花びらの吹き込める
風鈴を持てば鳴りけり竹の秋
湧きたての雲の白さよ夏休み
蟻歩く案内板の道の上
目の黒いうちは冷房最弱に
低気圧そこに停滞鱧の皮
太刀魚のぐにやぐにや動き釣り上る
やまかがし刈田のなかに迷ひけり
出来秋の背凭れ肘掛けあるベンチ
野球盤ゲームもつれる後の月
鉛筆の高さを揃へ春を待つ
風光る胡人と同じ鼻を持ち
クレソンを阿蘭芥子と言ひて摘む
花曇校歌に残る良き言葉
未草開く直前萼開く
夕立の雲は正午に生まれけり
目薬のほとんど流れ飯饐る
投げ易きつぶて少なし夏深む
犢鼻褌の読みを調べる秋の暮
銀杏散る大きな鳥が来て止まる
バイオマス発電所あり紅葉狩
川に手を浸し暖か寒土用
12. 夜と昼のパレード 赤野四羽
夏の雨珈琲淹れるひと静か
火を担ぐ女の臍に鉄の汗
硝子鉢うねる金魚の尾の暗さ
背をむけて語る母と子杜若
賑やかな浴衣なんだか熱がある
濡れた葉の額おさない夏の夕
蝸牛わけしり顔のあぶらかな
息を抜く女の顔や花あやめ
蝉の子の蝉としてある心かな
空蝉を素足に踏んで土黒き
被毛なき肌の湿りよ床涼み
郵便箱ひらく音する夜の秋
九歳のこえの高くに大花火
鳳仙花やがては止まる昼の琴
友の子の耳は大きくよく踊る
スープ冷える唇濡らし箴言す
ここにいます蛹を癒す月明り
靴下をゆっくり履いて秋の椅子
爽やかに犬も海賊服を着て
観音像すこし俯き秋の澄む
茸たちおいでおいでと吾を呼ぶ
十月の街をビニルで包む雨
洋梨日和いやな男と宿にいる
銀杏落葉己の陰も伸びいたり
鮟鱇の肝の来世にいろめくや
悦びのようにくらくら湯に豆腐
雪激しくて愛し方を間違える
鷹揚々腸の燃えあがる昼
白菜やああ心などわからねば
丁寧に嘘を吐きたる冬椿
鴨の血に金の盃やや卑し
枕よ枕凍土の夜を見ていたか
冬蜘蛛の愛に机のうえ狭し
寒月や珈琲あおく待つ夫人
縹渺と大気の音の雪を踏む
元日の夜は華やぐ傘に似て
初蝶や争わぬ身に蜜を吸い
朽ちてゆく家に朧を飼っている
水温む椅子も寝床も浮かぶへや
ナポリタン炒める春の歌謡曲
犬の眼に人間を呼ぶ桜かな
紫煙染む朝寝や卵焼くおとこ
少年に汚れた水のあたたかき
桜蕊降る君の帽子を被るひと
花冷えの硝子戸重くありにけり
群衆に蝶の過ぎゆく速さかな
壊れ易い体に水を春の雁
頬骨やこの春紙のように貧し
雉の鳴く頃にはいくさ頭抱く
花馬酔木ゆるり速度を落としけり
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2018角川俳句賞受賞作 鈴木牛後「牛の朱夏」を読む みっしりとしている……上田信治 ≫読む
2018角川俳句賞受賞作
鈴木牛後「牛の朱夏」を読む
みっしりとしている
上田信治
50句を読んで「稠密」という印象をもった。みっしりと充実した句群だ。
それは、もちろん、牛がいることによって、そうなっている。
発情の声たからかに牛の朱夏
タイトルとなった一句。「朱夏」という夏の異称、青春という語とセットであることによってライフサイクルの連想があり、あからさまに「朱」くもある言葉を牛に貼りつけて、発情の状態にある牛の生命をことほいでいる。ただ、それより何より、この句は「たからかに」だ。
牛を飼う人にとって発情の声が「たからか」であることなど当たり前だろうから、これは言い過ぎのはずなのだけれど、その声をわざわざ高くひびかせて、夏の空間を立ち上げ、そこに力をみなぎらせている。
涅槃雪牛の舐めゐる牛の尿
牛が別の牛の(?)おしっこを舐めている。「涅槃雪」という言葉のもつ、幸福感/恍惚感に包まれているのだから、それは、牛のシアワセなのであろうと推測される。
牛は、予想のつかないことをするから、よい。牛が人間の思いと関係なく勝手にその生を、シアワセに生きていることを「私」が見ている。
自戒をこめていえば、平成の俳句は、ともすれば、言葉と言葉を、あるいは言葉と心を、関係づけることばかりをしてきたのだけれど、そこに牛が加われば、言葉と牛、牛と世界の、こんなにも分厚い関係の運動がはじまる。
自然、あるいは世界は、牛にとって景物ではない(当たり前だ)。同様に作者にとっても、牛は俳句に奉ずる景物ではない。
この人の牛の句に現れているのは、世界が生きるためにある、という絶対的な健やかさなのだ。
季語のコノテーションが、そこに抑制された彩色を加えていることも、俳句的には見逃せない。
一方〈牛の乳みな揺れてゐる芒かな〉のような句は、取り合わせの構図によって芒も牛も景物化してしまい、やや弱いと感じるのだけれど、それでも、牛は、低くなってゆく気温を感じつつ、自分のおっぱいが揺れていることについては、何も感じていないだろう……などと想像すると、世界が生き返ってくる。
そうやって、俳句に、生きた世界を持ち帰ってくれる人として、牛後さんは俳句に歓迎され続けるだろう。
かつての角川俳句賞といえば風土詠の時代の諸作と違うのは、この50句「牛飼いの生活譜」であるよりも多く「牛の譜」であって、その牛の句があまりにも牛本意なので、そこにかすかなアイロニーが生じていることではないかと思う。
〈仔牛待つ二百十日の外陰部〉にしても、仔牛を待つのは私だけではなく、その「外陰部」も、また、自分から仔牛が出てくるのを待っている(上五で切れると読むと「二百十日の外陰部」が別ごとになってしまい、迫力を減ずる)。私が「外陰部」を見つめ続けるあまり、世界が「外陰部」か、「外陰部」が世界かというほど一体化して、面白くなっている。二百十日が、仔牛の誕生を待っているようですらある。
牛の外に広がりを見せる句も、読み応えがある。
節分の牛舎へ雪の小さき階
牛糞の苦さを漱ぐリラの風
牛糞を蹴ればほこんと春の土
これらは「生活」の句。
寒いので、牛は牛舎にいる。人が牛舎に通って世話をするわけだけれど、わずかな高低のあるところの雪を踏み固めて、階段のようになっている(のでしょう、たぶん)。毎日の行き来の結果を、ただ書いている。ここから、すこしづつ春になっていく。そうして日々が続いていく。
リラの風はキレイですけれど、牛糞が苦いのはすごく汚いです。ううう、ぺっぺとなるのだけれど、口を水で漱いでいると、リラの風が吹いてさわやかである、まるでリラの風に漱がれているようだ、と。(いや、牛糞の匂いが苦い、ということなのだろうか?)。
牛糞と春の土にグラデーションの質感を発見することとともに、これは汚さを含む生命や自然に隣りする暮らしのよろこびというものだろう。
それぞれの青を雲雀と風と牛
「言葉」の句。それぞれの「青」とは、とりあえず空の色。空にあるものとしての雲雀、空間に吹く風、そして牛、とだんだん下に降りてくる。牛が空を見上げれば、視線はまた上方に帰っていく。わざと青「空」と言わなかったのは、その日の空気感といったところまで、イメージを拡げるねらいだと思う。牛は、空の青さではなく、たとえば高気圧で草が美味いとか、そういうことをよろこんでいそうだし。
表題句である「朱夏」の句もそうだけれど、このような知的操作が勝った句は、かなり牛で救われていると思う。
50句中に散見される言葉の操作で書かれていて、しかも牛がいない〈杭打つて山の眠りを覚ましけり〉〈ああ言へばかう言はれたる三日かな〉〈菜の花に畑いちまいの膨らみぬ〉のような句は、平均点以上のものではないだろうから。
牛死せり片眼は蒲公英に触れて
これは、圧倒的な句。
骸といっても死んだ牛と言っても、概念でしかないのに、この牛は、圧倒的に死んでいる。この眼球は、あの世に触れている。その一点から裂けてしまわないように、世界は、とても緊張している。
この人の、今後の作品が、楽しみでならない。
鈴木牛後さん、受賞、本当におめでとうございます。
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2018-10-07
2018 「角川俳句賞」落選展作品募集のお知らせ
2018 「角川俳句賞」落選展作品募集のお知らせ
第64回角川俳句賞は、鈴木牛後さん「牛の朱夏」に決定いたしました。おめでとうございます!!
さて。
今年も『週刊俳句』では「落選展」を開催いたします。
第64回角川俳句賞に応募され、惜しくも受賞ならなかった50句作品を、この落選展にお寄せください。
応募作品の全てを『週刊俳句』誌上に掲載いたします。
(10月25日発売の「俳句」11月号誌上に掲載の作品は、発表を見合わせます)
●送付〆切 2017年10月31日(水)
●送り先
● 福田若之 kamome819@gmail.com
● 岡田由季 yokada575@gmail.com
● 村田 篠 shino.murata@gmail.com
● 上田信治 uedasuedas@gmail.com
● 西原天気 tenki.saibara@gmail.com
●電子メールの受付のみとさせていただきます。
●書式:アタマの1字アキ等、インデントをとらず、句と句のあいだの行アキはナシでお願いいたします。
●あわせて簡単なプロフィールを、お寄せ下さい。
ご不明の点があれば、上記メールアドレスまでお問い合わせください。
なにとぞ奮って御参加くださいますようお願い申し上げます。
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