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2018-12-02

2018角川俳句賞「落選展」を読む(3) 岡田一実

2018角川俳句賞
「落選展」を読む(3) 

岡田一実

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9. 街の動態 丸田洋渡
 ≫縦書き ≫テキスト

この作者はイメージとイメージの連なりを口語を多用して表現し、ややネオテニー的な作品世界の構築を目指しているように思う。

夏みかん小さな切手に小さい人

日本の切手の標準的サイズは「一辺が18 - 20ミリメートル程度」だそうだ(Wikipedia  )。掲句、「小さな切手」と言ってもこの標準サイズより小さい、と言うことではなく、このサイズが「小さい」と作中主体が感じているように思う。

「小さい人」は文化人の肖像画かもしれないし、日本画のような図画かもしれない。「小さな切手」にぴたりと配置されている「小さい人」には作り手の律儀さも感じられる。

「夏みかん」の鮮明な色や形をまず想起させ、明るい雰囲気のなかそのささやかな意匠へイメージが移るときの不思議さと愉快さ。充足感が伺える句である。

地下鉄は核に近づく道で夏

この「核」は地球の「核」だと思った。地球の「核」は「直径約7,000 km(半径3,500 km)で、地表からは地下2,900 km以下にある」らしい(Wikipedia)。

普段地下鉄に乗るときに「核」を意識したりするだろうか。しかし言われてみれば地上の道よりも地下鉄は「核」に近い。「近づく」という動詞により、ぐんぐんと地下へ潜っていくような印象も与え、句末の「夏」という季語によって暑さが漲る展開となる。真理を言い止めながらもどこかファンタジックな世界である。

踊り子に天動説を信じる目

盆踊りを見ていると、踊り子の視線が一斉に天へ向くことがある。掲句はそのような場面を切り取っているように思った。

本当には「踊り子」が何を信じているかなど計り知れないのであるが、見ている側からすると彼らの「無」な感じが却って想像をかき立て「天動説」を信じているかもしれないというところまで思わせる。

「天動説」という意外性が句に膨らみを持たせ豊かな味わいを醸す。


10. 高気圧 クズウジュンイチ
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人形の二月の硬き手をひねる

この作者は眇眇たる物事に目を凝らして微細な詩情を掬うところに特徴がある。

掲句、「二月」という季語の生かし方がいい。「二月」というのは月初めに立春となるため陽暦でも春に入るが、まだ寒さ厳しい折であり場所によっては雪がちらつくことさえある。「硬き手」というところに、寒さに強ばっているかのような様子が表出されるが、その寒さの中に春の華やぎの気配が少し漂うところが「二月」である。

「人形」の「ni」、「二月」の「ni」、「ひねる」の「hi」と「i」音を響かせた頭韻も句に硬質さを加えている。

らんちうの粒餌をすぱと吸うてをり
うすぬるく曇る茸の袋かな

音の感覚が冴えている句である。

前句、眼目は「すぱと」であろう。この「すぱと」が俳味であり、句の芯となっている。この開放的な半濁音を含む擬態語があることによって、「らんちう」の丸い口が愛らしく見えてくる。

後句、「茸」の呼吸だろうか。摘みたての「茸」の息吹そのものが「うすぬるく」という温度を伴って伝わってくる。全体的に「u」音が多く音が籠もり、生の不気味さ、死の不気味さが一体となって迫ってくる。

丸椅子の真ん中に穴冷し中華
竹馬のすつと収まる隙間かな

見過ごしがちな意外なところに着目している。

前句、「丸椅子」の「真ん中」の「穴」は軽量化、運びやすさ、蒸れ防止などのために開いている。その簡易な様態が、高級店ではない、「冷し中華始めました」とポスターが貼ってあるような大衆的な食堂を思わせる。尻を蒸らさないように涼しくしながら食べる「冷し中華」のなんと庶民的なことか。でも、結構美味しいよね、という声も聞こえてきそうである。

後句、「竹馬」は乗るときは立体的であるが、それが平面に近い形になる瞬間を捉えている。「収める」ではなくて「収まる」というところに「竹馬」の主役感が現れる。


11. 薪の断面 寺澤一雄
 ≫縦書き ≫テキスト

力士みな大阪にゐる涅槃西風

大阪で開催される三月場所のことだろうか。「涅槃西風」はお釈迦様の入滅の日の涅槃会(陰暦二月十五日)の頃に吹く風。現実的には休場者もいるであろうし「力士」の全員が大阪にいるとは考えにくいが、「みな」という措辞でそう言い切ることで名だたる「力士」が桃色に集う様子が迫力を伴って見えてくる。

このとき、客中主体はどこにいるのだろう。「大阪」にはいないように思われる。より東にいて、その「力士」達のいる「大阪」からの西風を感じているような雰囲気だ。大阪と「涅槃西風」は涅槃という意味でなく西という接点で括られ、因果がうまくずらされた配合となっている。

黄砂降るカメラの紐を首に掛け

この「カメラ」には重量感が感じられる。「紐」が必要なレンズの大きい「カメラ」なのだろう。「黄砂降る」烟った景色。日の暈は大きく感じられ、ものの色は鮮明さを失い黄味を帯びたトーンとなる。

まるでターナーの絵画のようなこの時期であるが、カメラを携えた客中主体はその世界に同化していないように見える。はっきりとした「紐」の確かさがそう思わせるのかもしれない。

風鈴を持てば鳴りけり竹の秋

「竹の秋」は晩春の季語。季語内の季が実際の季と逆になる俳人好みの季語だなとつねづね思う。掲句、「風鈴」の準備をしているのだろうか。手に「風鈴」を吊り、定位置へ運ぶときに鳴る。繊細な情緒だ。

「風鈴」の縦に長い様態と「竹」の縦に長い様態が重なり合って、季節のあわいの情感を織り込んでいる。

犢鼻褌の読みを調べる秋の暮

「犢鼻褌」、私も調べました。みなさんもお調べください。意味は「短い下袴」のことで、調べてみて「なーんだ」と思う、その心の動きが俳諧味とも言える。この「秋の暮」という季語の処し方!馬鹿馬鹿しさの中にメタ的な面白さがある。

他にも〈銅は屋根にコインに夏の雨〉〈月涼し絶滅危惧種絶滅す〉〈ぱつくりと麦藁帽子割れにけり〉〈花曇校歌に残る良き言葉〉〈未草開く直前萼開く〉など俳句的旨味に満ちており、興味深い作品であった。


12. 夜と昼のパレード 赤野四羽 
 ≫縦書き ≫テキスト

鳳仙花やがては止まる昼の琴 

この作者の魅力は写実と想念を観念も混ぜながら往還しているところである。

掲句、「やがては」とあるから今現在は「琴」が鳴り響いているのだろう。「やがては止まる」というのは推察であるが、止まらない「琴」はないので真理に近い。「昼」という明るさが「琴」の絢爛さをより一層引き立てている。

「鳳仙花」は別称「爪紅」なので「琴」とはツキスギ感もなくはないが、その花のあでやかさとの相性と取りたい。

友の子の耳は大きくよく踊る 

「耳は」の「は」は限定であり、「耳」以外は「大きく」ないのだろう。子どもの大きな「耳」がひらひらと「よく躍る」。盆踊りの列の中でもひときわ目立ったのかもしれない。

「友の子」とは全く他人ではないがとりわけ親しくもない間柄だろうか。その「耳」だけがクローズアップされ、まるで「耳」に意思があり、「耳」の動きがすなわち「踊」であると思わせる。

洋梨日和いやな男と宿にいる 

「いやな男」とは偶然「宿」で出会ったのであろうか。それとも同行の者であろうか。それはわからない。「宿」という寝食をともにする場所に「いやな男」といることを「洋梨日和」が包む。「洋梨」の甘くぬるりとした食感。さらに「日和」とあることで「いやな」という嫌悪感だけが際立たない妙な味わいがある。

群衆に蝶の過ぎゆく速さかな

「群衆」はどういった場面の人々なのだろう。一読「デモ」などの印象を持った。混み合って停滞した人々は個を剥奪され「群衆」という塊として見做される。そこに「蝶」が「過ぎゆく」。

この「蝶」のなんと解放されていることか。「速さかな」としっとりと速度に焦点を当てることで、滞っている「群衆」に対し実に鮮やかな対比となっている。

2018-11-04

■2018角川俳句賞「落選展」第3室■9. 街の動態 丸田洋渡 10. 高気圧 クズウジュンイチ 11. 薪の断面 寺澤一雄 12. 夜と昼のパレード 赤野四羽(*)

2018角川俳句賞「落選展」第3室
(*)一次予選通過作品


9.  街の動態 丸田洋渡




10.  高気圧 クズウジュンイチ



11.  薪の断面 寺澤一雄(*)



12.  夜と昼のパレード 赤野四羽(*)



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■2018角川俳句賞「落選展」第3室■ テキスト

2018角川俳句賞「落選展」第3室■テキスト
(*)一次予選通過作品 

9.  街の動態 丸田洋渡

陽だまりの象の歩数よ都草
立子忌の潜水艦の元気かな
たんぽぽや鳥来るように平らな屋根
囀を放っておいてみてもいいか
船の出て違う船くる春の湊
春暁や水深を表す海図
花の冷え御伽噺に牛が出る
鳥曇海を覆える蓋がない
初虹や魚の奥に魚のいる
送れば返る手紙のうれし春北斗
夏みかん小さな切手に小さい人
水を飲み干して葉桜の必要
筍やどこかで親が死ぬ気配
椅子捨てて机ひろびろ青岬
相槌を打つ翻訳家ところてん
マーガレット丘とスカート似合うひと
消火器をぐっと握って夏に立つ
花柘榴水の聞こえてくる二階
五月雨の博物館の象が骨
声で迫られ梧桐のある実家
蛍よりもっと光ろうとふんばる
花樗雨は大きなスプリンクラー
みずたまりに胸まで浸かる現の証拠
夕立の印刷室の無人かな
睡蓮やようやく釘のみな錆びる
心房に心室あって片かげり
発明にぱんと向日葵かがやく日
地下鉄は核に近づく道で夏
海と化すクックロビンや朝に鐘
花火師の先の花火を知る手つき
秋澄むや火の研究室の埃
脱ぐ靴の両足揃え稲光
天の川左右に空いている駅舎
鳥威し鉄骨の崩れて分かる
月や瓶に愛入れよ君が言うように
踊り子に天動説を信じる目
しとしとと覚めるひとびと葡萄園
水切りの石のかなしさ木染月
鵙逃がす大きな樹木これから死
断層に風吹きあたり金木犀
短日の鎖のたびに杭のあり
円柱の前と後ろや冬霞
首かしげて犬鷲は空考える
たっぷりと水仙を置き校長室
梟に友達はいないでほしい
枯草を蹴りながら歌を歌うな
海の減る鯨打ち上げられていて
冬かもめ空を点描する時間
「雪」声の聞こえて窓のいちめん白
街掛かる壁のうつくし青写真


10.  高気圧 クズウジュンイチ

調理器具買うて建国記念の日
人形の二月の硬き手をひねる
春泥の先へひよこを触りにゆく
春風は川に速まる榎の木
とぷとぷと混ぜてペンキが春の色
風船のひどく弱つて青畳
桶の田螺が知らず一周してゐたり
かりかりと青く目刺の背の乾く
草餅の包みへ風のわづかかな
虫食みの花やおもての公文式
蝌蚪の尾の泥を叩いてをりにけり
うらがはに道のあるいへ雪柳
蛤や緑色濃くオセロ盤
心臓は小さな臓器豆の花
きりぎしの躑躅に雨の痛むかな
住む人の変はれど庭のゆすらうめ
くしやくしやの鳥を拡げて夏隣
合宿所の硬きシーツや朴の花
らんちうの粒餌をすぱと吸うてをり
丸椅子の真ん中に穴冷し中華
日雷重みを増しておつとせい
とびうをのわつと出てくる高気圧
石垣に蟹の潜んで真昼なり
萍や風の終ひへ幾重にも
ソビエトの領土のやうに新生姜
白桃嗅げばみちみち満つる密なる毛
台風や塊肉を煮て過ごす
首吊りの縄の結び目あけびの実
秋の蚊の大きくなりて痩せにけり
庭先はバリカンの音菊日和
国と首都合はせて表にすれば秋
うすぬるく曇る茸の袋かな
どんぐりが崖の二段を落ちてゆく
檻の猪檻を揺らして廻りけり
みづぎはの胡桃みなみを向いて立つ
傾きの木へひよどりが来てをりぬ
末枯の高さに脛の長さかな
秋寒やトースト裂けば水蒸気
濡れてゐて道は短し朴落葉
竹馬のすつと収まる隙間かな
鯛焼や紙の袋にしたむきに
低音を閉ぢ込めてゐる枯葎
湯豆腐や硬き踵が板廊下
水使ふひとりと落葉掃くひとり
馴化して鶏は大きくクリスマス
タクシーの無線の寒き地名かな
クリームパン割つて渡して枇杷の花
白鳥の首打ちつけて戦へり
びぐびぐと寒鮒陸に口を開く
暗算の繰り上がる桁寒卵


11.  薪の断面 寺澤一雄

力士みな大阪にゐる涅槃西風
トラックの荷台広々桃の花
名月と同じところに春の月
天守からパパを呼ぶ声夕薄暑
銅は屋根にコインに夏の雨
木天蓼の花と教はり疑ひぬ
故郷の街の窶れや秋燕
庖丁は切れば汚るるそぞろ寒
焚口に薪の断面秋収
点滅の赤信号や首都の雪
冬麗は陸奥と常陸を分かたざる
冱つる夜のびつくり箱の狭さかな
春の来てもうすぐ花の雑木山
囀や山の形に木の生える
鉄橋の下の暗さや鳥交る
黄砂降るカメラの紐を首に掛け
遊船の進水せしは昭和末
月涼し絶滅危惧種絶滅す
ぱつくりと麦藁帽子割れにけり
栓を開け水が戻りぬ作り瀧
実柘榴や人に四本糸切り歯
セメントのサイロに名前曼珠沙華
筋肉は赤白模様小鳥来る
沸沸と蜻蛉湧き出る視界かな
枯れて立つ背高泡立草荒地
他人より分けてもらふ血古暦
もの食ふと頭に汗や鳥雲に
木は腐り立坪菫咲いてをり
玄室は荒れ花びらの吹き込める
風鈴を持てば鳴りけり竹の秋
湧きたての雲の白さよ夏休み
蟻歩く案内板の道の上
目の黒いうちは冷房最弱に
低気圧そこに停滞鱧の皮
太刀魚のぐにやぐにや動き釣り上る
やまかがし刈田のなかに迷ひけり
出来秋の背凭れ肘掛けあるベンチ
野球盤ゲームもつれる後の月
鉛筆の高さを揃へ春を待つ
風光る胡人と同じ鼻を持ち
クレソンを阿蘭芥子と言ひて摘む
花曇校歌に残る良き言葉
未草開く直前萼開く
夕立の雲は正午に生まれけり
目薬のほとんど流れ飯饐る
投げ易きつぶて少なし夏深む
犢鼻褌の読みを調べる秋の暮
銀杏散る大きな鳥が来て止まる
バイオマス発電所あり紅葉狩
川に手を浸し暖か寒土用


12.  夜と昼のパレード 赤野四羽

夏の雨珈琲淹れるひと静か 
火を担ぐ女の臍に鉄の汗 
硝子鉢うねる金魚の尾の暗さ 
背をむけて語る母と子杜若
賑やかな浴衣なんだか熱がある 
濡れた葉の額おさない夏の夕 
蝸牛わけしり顔のあぶらかな 
息を抜く女の顔や花あやめ 
蝉の子の蝉としてある心かな 
空蝉を素足に踏んで土黒き 
被毛なき肌の湿りよ床涼み
郵便箱ひらく音する夜の秋 
九歳のこえの高くに大花火 
鳳仙花やがては止まる昼の琴 
友の子の耳は大きくよく踊る 
スープ冷える唇濡らし箴言す 
ここにいます蛹を癒す月明り 
靴下をゆっくり履いて秋の椅子 
爽やかに犬も海賊服を着て 
観音像すこし俯き秋の澄む 
茸たちおいでおいでと吾を呼ぶ
十月の街をビニルで包む雨 
洋梨日和いやな男と宿にいる 
銀杏落葉己の陰も伸びいたり
鮟鱇の肝の来世にいろめくや 
悦びのようにくらくら湯に豆腐
雪激しくて愛し方を間違える 
鷹揚々腸の燃えあがる昼
白菜やああ心などわからねば
丁寧に嘘を吐きたる冬椿 
鴨の血に金の盃やや卑し
枕よ枕凍土の夜を見ていたか 
冬蜘蛛の愛に机のうえ狭し 
寒月や珈琲あおく待つ夫人 
縹渺と大気の音の雪を踏む  
元日の夜は華やぐ傘に似て 
初蝶や争わぬ身に蜜を吸い
朽ちてゆく家に朧を飼っている  
水温む椅子も寝床も浮かぶへや
ナポリタン炒める春の歌謡曲  
犬の眼に人間を呼ぶ桜かな 
紫煙染む朝寝や卵焼くおとこ 
少年に汚れた水のあたたかき 
桜蕊降る君の帽子を被るひと
花冷えの硝子戸重くありにけり
群衆に蝶の過ぎゆく速さかな
壊れ易い体に水を春の雁
頬骨やこの春紙のように貧し
雉の鳴く頃にはいくさ頭抱く 
花馬酔木ゆるり速度を落としけり




≫縦書き

2017-02-05

【週俳12月1月の俳句を読む】キュビズムと映画 赤野四羽

【週俳12月1月の俳句を読む】
キュビズムと映画

赤野四羽


闇白し幹が奥へと縦に続き   生駒大祐

落ちそしてとほく梢とかよへる葉  同

生駒大祐は豊富な技法を身に付けており、特定の手法を追求するタイプの俳人ではないが、比較的このタイプの句をよく見かけるように思う。限定された景を分割し、複数の側面を同時に提示する手法である。近い手法として、カメラのパンワークを思わせる視点の移動がある。たとえば

 別れゆく人人ごみに春の雨  星野立子

などだ。しかし生駒の場合はカメラの移動というよりは複数視点による空間のねじれ、歪みのような感覚が先行する。

これは絵画でいえばキュビズムに相当する手法といえる。某所に鴇田智哉の俳句はド・スタール的手法だと書いたが、写生から出発して絵画の抽象表現を俳句に取り込んでいくのがこれら現代俳句の特色といえるのかもしれない。とはいえ問題は、絵画においては表現を抽象化すればするほど質料という具象が立ち上がるのに対し、言語表現たる俳句ではそれがないことだ。その辺りにどう向き合っていくのかが楽しみである。


冬晴れて未来のやうな無人島  中村安伸

マフラーを編み国境の橋を編む  同

中村安伸の俳句にはいわゆる作中主体が希薄である。超現実的な描写のためもあるが、どちらかというと、映画の一シーンを観ているような感覚がある。たとえば揚句では007スカイフォールに出てきたような、捨てられた廃墟の島。未来と言われて廃墟が思い浮かぶのは残念だが、もはやドラえもんやアトムの未来を夢想できるほど人類は子どもではなくなった。あるいは海外ドラマ”ブリッジ”に登場するような、国境を隔てて係る巨橋の情景。少なくとも日本には国境の橋はないわけだから、異国の光景ではあろう。暖かい人間関係を思わせるマフラーと、巨大なシステムの裂け目である国境。橋を架けるどころか壁を築こうとする大国の時代に響く句である。


その質問大根煮ながらは違反  青柳飛

大根煮というと、

 死にたれば人来て大根煮きはじむ  下村槐太

が思い浮かぶ。

どちらの句においても、大根煮は質問や死との対比に用いられている。つまりここでもなんらかの重大な、クリティカルな質問をしてしまったのであろう。そういえば短歌では缶チューハイがそういう役回りだったこともある。


百円で落つる神籤や枯柳  小関菜都子

考えてみれば百円チャリンと入れて運勢がカコッと出てくる自動販売機なんて、あまりに風情がなくてげんなりするが、慣れとは恐ろしいものである。


冬のベンチにも体が沿うてきた  西生ゆかり

待って待って待ちくたびれる、冬の冷たいベンチも温まるほど。姿勢もだんだん崩れてきて、あーもうこのまま寝てしまおうか。


脱ぎ捨てたものがかさこそ鳴っている  瀧村小奈生

いくら思い切りよく脱ぎ捨てても、ものごとは簡単には片付かないものだ。脱ぎ捨てられたものたちも大人しくはしていない。視界のすみでかさこそと蠢くのである。



生駒大祐  10句 ≫読む

第508号 2017年1月15日
青柳 飛 襟立てて 10句 ≫読む
小関菜都子 空へ 10句 ≫読む

第509号 2017年1月22日 
中村安伸 狐の鍵 10句 ≫読む
西生ゆかり ままごとの人参 10句 ≫読む

瀧村小奈生 いいにおい 10句 ≫読む

2015-02-22

10句作品 赤野四羽 螺子と少年

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週刊俳句 第409号 2015-2-22
赤野四羽 螺子と少年
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10句作品テクスト 赤野四羽 螺子と少年

赤野四羽 螺子と少年

螺子としてひとの命よ国の春

牡蛎剥いて遠い砂漠の民と泣く

購いの羊郊外からは見えぬ

とおくからひとをみているおおかみよ

え戦争俺のとなりで寝ているよ

少年の空に蒲団のような爆煙

てろてろと歩めば春の戦場へ

紫陽花はつねにただしくあやまらぬ

なんとなく崖へとすすむ蟻の列

爆撃の後方支援に星の歌

2014-11-02

落選展2014 1 霾のグリエ 赤野四羽

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週刊俳句 第393号 2014-11-02
2014落選展 1 霾のグリエ 赤野四羽
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落選展2014_1 霾のグリエ 赤野四羽_テキスト

1 霾のグリエ  赤野四羽

姥桜花見するひとをみてゐる
未来への河に滴る灰汁の春
軒下に現地集合春の蚊よ
霾のグリエに春闇ジュレ添えて
箱庭にたんぽぽひとつ咲きにけり
春月や高架の下のモンドリアン
雑踏に夜の桜の涼やけき
花曇雀のつがふ螺旋かな
上下左右街を歩かば絵踏かな
春闇に溶けてゆきたるハイソックス
土現る鬼も天使も膏として
理非もなし吾子を守らん春嵐
指の傷いまだ残りて水温む
春光の匂ひをたどる緑かな
死の根っこ掘りかえしたるも花ばかり
海豹や腹を擦りても牙捨てず
山上に蜘蛛の子散りて春疾風
涅槃吹黄色いふうせん西より来
青葉より澄みたる精の飛沫(しぶき)たる
つばくらめ排水管に子を残し
大揚羽地球の端にとまりけり
七色の絵の具溶かして夏の闇
少年が西瓜を抱いて待っている
文学に夏が来れりガルシア=マルケス
修羅場みて胡瓜涼しや絵金祭
麦わらの老婆にふたつ氷菓かな
スタンド・バイ・ミーが真夏をつれてくる
虹の根で跳ねる子見やる日が射した
白物や骸百態夏百夜
夏の砂烟る轍や波高し
瑠璃蜥蜴虹の筆先尻で曳き
コンクリの塀に爪たて蝉の子や
太陽の上に落ちけり田植笠
鰯雲誰も居ぬとびらが閉じる
三日月に暗く膨らむ体育館
魂失せし裁きうつろに鬼灯鳴る
夜歩けば朱き月影たぷたぷと
坂道を下る蜻蛉の高さかな
野分去るパンの耳塩がきいてる
冬鵙や抱き上げし子に脈打てり
切り捨てし大根首に蕾の黄
みすがらに老人を待つ鯨かな
人形よ糸断ち歩め細雪
冬闇に十字切りたる警備員
地の霜をざくざく踏みて役所かな
牡丹雪すずめ垣根にひそみおり
雨宿る鳩の襟元山めぐり
稽古場に天道虫の眠りたる
独楽震え少し迷うて座りこみ
鼻欠けた狛に影揺る初燈