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2014-03-09

【週俳2月の俳句を読む】小早川忠義 俳人の意地

【週俳2月の俳句を読む】
俳人の意地

小早川忠義


コンビニに冬の朝注がれていく  内藤独楽

混沌の欠片たとえば冬銀河  同

一句目。冬の朝の日差しは室内の深いところに差し込んでくる。終日明るいコンビニという空間だからこそその現象がより実感させられるところ である。二句目含めて、作者の取材の範囲は日常の中の僅かな季節の感覚。その僅かな感覚が固い熟語や目を引く動詞によって損なわれる心配が付 きまとう。


髪に挿しまだ息をしている椿  原知子

お三時や二人で汚す春の指  同

連作全体に「たおやめぶり」が前に出ている。一句目は、いずれ差している髪から落ちてしまう危険性も孕んだ危うい美しさを共有していたいと いう切実な願いも併せ持つ。表題にもなっている二句目は、上五の丁寧な言い回しがともすれば下品に取られそうな事柄を見事に浄化させている。


下萌やだんだん馬鹿になつてゆく  加藤水名

馬鹿と言ふと本気で怒る春炬燵  同

バレンタイン斑模様のテロリスト  同

作者にとって春の暖かさが実感されることイコール馬鹿になるということらしい。馬鹿のピークはやっぱりお花見のシーズンか。自分ひとりでも 相手だけでもなく、お互いに同じ早さで馬鹿になっているのだから悪いことでもない、と二句目の春炬燵のぬるさも代弁しているようだ。表題の三 句目、バレンタインデーを「バレンタイン」と略すのは言葉足らずのような気がした。


狡賢いボス猿狡賢い春風  瀬戸正洋

春大根口を利かなくなつた妻  同

一句目。中八じゃなかったら良かったのだ。鼻をくすぐる、何かをしたくなるような春風が狡賢いのは首肯できるところ。二句目は、奥さんに対 して季語で「一矢を報い」たところに俳人の意地を見た。


蝦夷鹿の食痕の樹の根開けかな  広渡敬雄

ペリットの白き羽毛や春の風  同

北海道における冬から春に掛けての長い寒さをどう表すかは思案のしどころだったと思われる。後半の季語の選び方にただ真っ白なだけの世界で はないことを予想させることに成功している。


ケセラセラ立夏の雨の嬉しくて  内村恭子

黒あげは道は乾いてをりにけり  同

http://shiika.sakura.ne.jp/haiku/hai-colle/2012-03-30-7393.html
作者の人となりを調べて「詩客」に寄せられていたこの文章に突き当たった。

同じ昭和四十年代生まれであり、同じような悩みを抱える者としてシンパシーを禁じ得なかった。

さて、そんな思いとは裏腹に表題でもある一句目は、生暖かい雨にも心を軽く持ちたいものだという「ケセラセラ」とは言いながらも強い意志が 出ている。例え今道は乾いていても、二句目の黒あげはのように自在に飛んで行きたいものである、と思いを新たにさせてもらった。


第354号 2014年2月2日
内藤独楽 混 沌 10句 ≫読む
第355号2014年2月9日
原 知子 お三時 10句 ≫読む
加藤水名 斑模様 10句 ≫読む
第356号 2014年2月16日
瀬戸正洋
 軽薄考 10句 ≫読む

第357号 2014年2月23日
広渡敬雄 ペリット 10句 ≫読む
内村恭子 ケセラセラ 10句 ≫読む

2013-09-22

小早川忠義 客のゐぬ間に 10句

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週刊俳句 第335号 2013-9-22
小早川忠義 客のゐぬ間に
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10句作品テキスト  小早川忠義 客のゐぬ間に

 客のゐぬ間に 小早川忠義

缶ビール買ひしなぷしゆと開けられぬ
どぶ板の隙間の蝉の羽音かな
ごきかぶり客のゐぬ間にちりとりへ
秋立つや氷に賞味期限なく
二の腕の裏刺されたり秋の蚊に
銀漢や工事の泥の跡白く
七夕やいつもあなたとコンビにと
ドリンク剤ひと息に飲み秋祭
おにぎりのセロファンはがし運動会
山椒の実がりりと噛みて夜勤へと


2012-12-09

【落選展2012を読む】 落選展よ水戸橋よ(其の二)  島田牙城

落選展2012を読む
落選展よ水戸橋よ(其の二) 

島田牙城



水戸橋なんて安易な名だし、小菅の橋以外にもあるだらうと調べたのだけれど、どうも水戸市周辺にもなささうだつた。

ありさうなところに無いといふのも、俳句作りに通じるのではないか。

今さう言ふ人がまだゐるかどうかは知らぬが、そのかみ、俳句を「ひねる」と言つてゐた時代があるらしい。僕の回りにもさのやうに言ふ人はゐなかつたけれど、吉田拓郎は「旅の宿」といふ歌でたしかに

「ああ風流だなんてひとつ俳句でもひねつて」

と歌つてゐた。

で、これ、結構当たつてゐると思つてゐる。

ありさうなところにありさうなものを置いたところで、俳句は成就しない。少しひねつて、ありさうもないところに水戸橋を作るから俳句なんだよ。うん、やはりこのタイトルは嵌つてゐるのだといふ、自画自賛である。

では続ける。



春暁やパートタイマーこゑ甘く  小早川忠義
レシートや要るも要らぬも卒業生  同


≫読む ≫テキスト

やはり五十句といふ長丁場を読ませようとすると、はじめの五句はすごく大切だと思ふ。駄目な出だしだと、一句で見限る選者はゐないだらうけれど、三句で見捨てにかかる人はゐるし、五句で確実に引導を渡されることになる。極端な話、残りの四十五句がどんなに素晴らしからうとだ。

「つかみ」といふ業界用語があるらしいが、「旗日」一連はこの二句で「つかみ」には成功したのではなからうか。

〈春暁→甘く〉は緩いけれど、朝・昼・暮・夜のどれでもなく暁であることの「危険」を感じて、僕など、背徳の香りを嗅ぐ。そして舞台設定がパートのをばさんの働く場であることが示される。

〈レシートや〉は意表を衝く。まさか天下の切字「や」に「レシート」はなからうといふ読者の隙に捩じ込んでくる。

〈要るも要らぬも卒業生〉といふのも、卒業したての若者の「浮かれ」を一気呵成にこちらへ届けてくれる表現だ。

これにて、舞台設定は完璧。春暁にをばさんが働いてゐてレシートを出す学生の立ち寄る場、それはコンビニ。

さうか、となると、をばさんではないかも知れぬ。若いおねえちやんかも知れぬ。でも、四十路のをばさんあたりのはうが、背徳感はあるか。

そして五句目に〈花守やいらつしやいませこんにちは〉があり、四十八句目に〈流し来ぬいらつしやいませこんばんは〉がある。

この二句はまつたくもつてゆるゆるではあるが、なんとなくコンビニで徹底させたいんだよといふ作者の思ひは伝はる(「流し」といふ季語を久々に見た。このコンビニのある街の風情をこの季語一つが十全に伝へてくれてゐる)。

それなのに、残念ながら〈朝寝して互ひに旗日生まれなり〉とか、これはコンビニ俳句ではないよね、といふのが混ざる。摑んだ客を逃がしてしまつた五十句といふべきか。

うららかや捨てねばならぬお弁当〉〈半ズボン姿の男立ち読みす〉など納得の句もあるので、惜しいなあ。



大柄な向日葵の種蒔きにけり  ハードエッジ
空蟬を水にながしてやりにけり  同
ソーダ水深きところを吸はれけり  同
のし餅ののされぐあひを押してみる  同


≫読む ≫テキスト

これからの人なのだらうけれど、上の四句などはさりげない慈しみの目線が感じられて好感が持てる。



その男ぶらんこに鳩あつめたる  嵯峨根鈴子
嘘もすこしまじれるさくら吹雪かな  同


≫読む ≫テキスト

のやうな句には物語が詰まつてゐて、ふはりふはりとその世界に入つてゆけさうなのだけれど、いざ入らうとすると、作者に「入らないで、私の物語よ」と拒まれるのではないかといふ危ふさがある。

反面、

葉桜や小さく明り取りの窓  嵯峨根鈴子
触れて消す電気スタンド青葉木菟  同


が抱卵してゐる物語は、作者を離れて自由に読者が孵してやることができる。

いろいろなポケットを持つ俳人といふことだらう。



マフラーの中で少しく唄ひたる  神山朝衣

≫読む ≫テキスト

幸せに俳句と出会ひ、幸せに俳句を作つてをられる人なのだらう。その気息がこちらに伝はつてくるのだから、こちらも幸せになれる。掲句はそんな中でも類句の少なさうな幸せな句。

秋の蠅の死中国の壷の中  神山朝衣

を自身の中でどう処理してをられるのだらう。他の句と相当違ふ句の姿なのだが。そして僕はこちらの方にこそ未来が開けてゐるのではないかと思ふ。

〈マフラー〉の句は俳句が貴女を救ふ。〈秋の蠅〉の句の方向性といふのは、貴女が〈俳句〉を幸せにする。



胎にゐて止まぬ吹雪を聴いてをり  中塚健太

≫読む ≫テキスト

胎児に聞かせてゐる俳句といふのは五万とあるのだらうが、胎児が聞いてゐる俳句といふのはどうなのだらう。胎児が蹴つたりはするけれど。

周囲に子供俳句があるわけでもなく、とすると、胎児となつたのは作者自身か。



サンドバックの奥に窓その奥に月  谷口鳥子

≫読む ≫テキスト

作者の性別といふのは、その句を読むときにどれほど大切な情報なのだらうか。

とりあへずこの作者名を「とりこ」と読み、女性であらうといふ先入見を持つて読み始めた。先づ十句ボクシングジム俳句が続く。荒いが強烈だ。続いて鉄工所での労働句が続く。どの句も「語つてしまつてゐる弱さ」はあるけれど、内容に気圧される。

そこから少し、恋も混ざる日常詠が続く。日常と言つても、ウェブで株価を見たり、パチスロへ行つたり同棲相手の舌の動きを詠んだりと、生々しい。そして介護俳句を続け、〈夏星の配線だけをつなぎ去る〉で締めくくる。

この人は別に社会性俳句を書かうとしてゐるわけではない。ありのままの今を書いてゐるにすぎない。その意味で、幸せなありのままの今を書く神山朝衣とおなじスタンスなのだ。「今」の中身が百八十度違ふだけ。

この五十句は、力技でしょう。

今現在の俳句界に突き出して、議論させるべき句群でしょう。

三カ所関西弁が出て来る。焼酒(ソジュ)は朝鮮か。古酒(クース)は泡盛、沖縄だ。そのへんから察するに、関西でも大阪か。

ちぎれ栄螺ほじくり引き出すまで見つむ  谷口鳥子
革軍手灼けるレンチに変色し  同
古酒(クース)の夜はじめのメールだけ消して  同
髪六日洗えずと祖母待ちいたる  同


今、これだけ力の漲つた言葉を使へる新しい俳人が他にゐるだらうか。

今の僕には、鳥子が男であらうが女であらうが、どちらでもよくなつてゐる。

〈とりこ〉さんならどろどろの恋に落ちるも良し、

〈てうし〉さんならとつ組み合ひの喧嘩でもしながら酒を呑みたいな、何処で? つてねぇ、水戸橋のたもとで、といふのはどうね……。

(つづく)

2012-11-25

【落選展2012を読む】その1 楢山惠都

【落選展2012を読む】
その1 『ガラス山の魔女たち』という物語

楢山惠都


落選展2012

洗ったばかりの洗濯ものをすべて干し竿に吊るして、ま白い布が風にはためく。石鹸の香りがどことなくたちこめ、ひと仕事成し終えた充実が体にある。落選展、ということばにはそんな健やかさを感じます。

 

ふと静か丸花蜂の歩むとき  福田若之

≫読む ≫テキスト

『ガラス山の魔女たち』という物語にでてくる丸花蜂がすきだ(現在の版では『魔女ファミリー』に改題されている)。知恵のある偉大な蜂なのだ。その影響か、昆虫のなかで蜂だけは賢い、という気がする。集団の秩序があるし、六角形の巣は数秘術めいている。まるまるしたきいろな胸、花粉をたくさん運べそうな毛のある脚。哲学者の遊歩。

ギターケース背に秋冷えのガード下  同

このひとは、他のどのパートでもなくギターだ、という気がする。シューゲイザーの雰囲気。さきほどまでスタジオで練習していたのだし、ガード下の轟音でますます耳の機能は低下する。「丸花蜂」とは異なるタイプの静けさ。

 

銅像の眉毛の下の燕の巣  杉原祐之

≫読む ≫テキスト

ロフティングの『ドリトル先生』シリーズには多くのどうぶつが登場するが、その中にロンドンスズメのチープサイドというのがいて、聖ポール寺院のエドモンド聖者像の左耳にねぐらがある。

にんげんの形をした銅像って、偉人の姿を模したり美を志向したりしているが、そんなのおかまいなしに鳥たちの営みがある。そのずぶとさが快い。

小児科の扉の秋冷を押しゐたる  同

病気にかかったひとに「扉」を押せる体力は無いでしょう。ましてや小児科です。弱った子どもの保護者が、一刻も早く医者に診せよう、一刻も早く楽にしてあげよう、とぐいっと扉を押すのです。子を持つ、ということの弱みと切なさが、秋冷の空気に打たれるように伝わってきます。

 

ベランダの物に水やり春の雨  前北かおる

≫読む ≫テキスト

ある時期、父が園芸に凝っていて、雨降りの日でさえ庭の植物に水遣りを欠かさなかった。それは意味ある行為なのだろうか。と花屋勤務の友人に笑って話すと、庭作りをなめてはいけない。と真顔で返された。

真摯、ということについて考えるとき、あたまをよぎるエピソードだ。

空いてゐる優先席に春日さす  同

空席の優先席まで見渡せるのだから、この車両自体が空いているのだろう。春は移動するひとが多い季節だけれど、通勤通学のピークが過ぎた昼下がり、やっと電車の混雑が消えたのだろう。優先席に座るべき切迫さは誰にもなくて、それでも皆どこかに腰掛けられる。余裕のある春のうららかな時間帯。

枝の下に水平線や大桜  同

ここまで汗を流しながらも階段を昇りきったのは、この高台の桜を見物するためだ。みごとな枝ぶりである。いちばん下の枝の、更に下に、彼方の水平線がのぞく。きらめく鏡の破片のような海。桜のピンクは意外と薄いものだから、海の濃紺に圧されてしまいそう。

 

たんぽぽよからだの奥の声の巣よ  飯島葉一郎

≫読む ≫テキスト

鼓草とも呼ばれるたんぽぽだから「声の巣」なのかしら。でも、そうでなくとも、春の陽気にゆらゆら揺れるきいろい円は「声の巣」のくぐもった球の感じによく響く。もしかしたらたんぽぽの白い綿をふーっと吹いたとき、体の奥の「巣」を感じ取ったのかな。

わたしたちが発言する時、歌う時、呻く時、それぞれにふさわしい声が飛び立って、出番を終えたらしずかに戻る。巣で羽を休め、次の機会を待ち受ける。

じぶんの身体に内臓があるなんて知らなかった頃を思いだす。噛み砕かれ呑みこまれた食べものは、粉雪のように体内に降り積もるんだと想像していた。医学の発達には畏敬の念を抱くけれども、詩で身体を把握し直すのはまた別のことだ。

消化液まみれの僕も春なれや  同

蝌蚪群れているかに頭皮隆起せり  同

揚句も、なにか嘔吐したわけでなく、体内に満ちる消化液に「まみれ」ている身体を言うのだろう。交尾の季節である春、というのもきもちがわるい。なにせ頭皮のしたにオタマジャクシが群れている、というのだから。きっと鏡で頭を確かめてはいない。じぶんでは確認できない箇所を、手で探って、そのぼこぼこさをオタマジャクシになぞらえている。

穴子百匹夜の大動脈にもぐる  同

夕焼けに万の背中の潜みけり  同

兎百匹詰まっていたる春の山  同

体内というより、視認することのできない空間のことなんじゃないか。視ることができないからこそ暴力的に想像がふくらむ。

明け方の夢 廃屋に蝶満ちて  同

桜とは死後に見る夢咲き満ちて  同

視認することのできない空間は、夢、そして死出の国につながる。

 

風ひかる音楽室に水充ちて  高梨 章

≫読む ≫テキスト

光の状態でいちばん美しいとわたしが思うのは、水に反射するときです。水を通すと光線の形がよく顕れるから。揚句は音楽を水と捉える。なめらかにひびく弦楽器かしら。水、光、音楽の三重奏だ。きらきらしい。

水鳥が鏡を割つて驟雨かな  同

四月の鏡のなかをあかるい船がゆく  同

このひとにとっては、そのきらきらしさは鏡と結びつくものらしい。

ひらがなの影うすむらさきのすみれ  同

ひらがなの影ってなんだろう。紙に落ちる影がうすむらさき色をしているのは覚えがあります。

 

二つある小さな方が春の橋  上田信治

≫読む ≫テキスト

よく似通った二つがあるとして、差をつけるため基準を設ける。というのは一般的なことだろう。大きい小さいは誰にとっても明らかなのだ。しかし、そうではない個人的基準にこそ、そのひとの感覚がよく表れる。

春の橋とはどんな橋なんだろう。桜花が散るのか。澄んだ水があるのか。鶯が鳴くのか。麗らかなきもちに似合う橋だろうか。もしくはうら寂しい橋かもしれない。年度始めの喧騒にはくたびれきってしまうが、その疲れにぴったり沿う橋なのかもしれない。

揚句は、橋を一般的な基準で指し示しつつ、個人の基準で説明する。このひとの物差しにはユニークな目盛りがたくさんついているのだろう。それを囁き声で教えてもらうとき、もしかしてふたりの目盛りが一致するとき、友だちになりたいと思う。

月おぼろ二つのごみを一つにし  同

打って変わってこちらでは、似通った二つを比較、吟味した結果、区別しないことを選んだ。でも、おぼろ月の光でしょう。月光はあたりをよく照らすけれど、おぼろ月だからな。けぶった夜気のもとで基準もあいまいになりそう。

つまり、あいまいになりがちなのが感覚なのであって、細かいことは置いておくのだ。ごちゃごちゃにして手をつなごう。

同じマスクがずつと落ちてゐて夢のやう  同

あいまいになりがちだからこそ、一般的基準を持たないことは危険だ。毎日、同じ道を歩いて、同じマスクがずっと落ちている。なぜ同じだと判断できるか、というと、同じ箇所に落ちているからだとか。汚れ具合が同じだからとか。私たちはそんな判断の積み重ねのもと、磐石な世界を生きている。

では逆に考えてみて、同じマスクさえ道に落ちていれば、世界の他のことがすりかわっても気づかないかもしれない。異世界同士を、同じマスクを接点にすることによって、そっくり入れ替える。

毎朝、友だちに、わたしの声は昨日と同じ?昨日と違う顔をしてない?と確認していた小学生だったことを思い出した。パラレルワールドに引きずられることより、それに気づかないことのほうが怖かった。ぼんやりした子どもだったんですね。

 

はつなつやフライドポテトかりと噛み
  小早川忠義

≫読む ≫テキスト

モスバーガー式フライドポテトでなく、マクドナルド式フライドポテトなんだろう。つまり、じゃが芋そのままの形を残したのでなく、芋をつぶして長細い四角に成形し直したものだ。それでないと「かりと」噛める部分は無いです。

フライドポテトは初夏が似合うたべものだと思う。晴れやかにやさぐれる。マックシェイクを添えて。

退職を思ひ止まり花山椒  同

 この原稿を書くため、何度も通し読みをしたのだが、この句はいつも目に飛びこんできてハッとする。だから花山椒なんだなと思う。いやはやよかった。ほっと安心したくなるけれど、花山椒のぴりっとさは、この決定が不本意なものである可能性も示唆するわけで。

トーストの蜂蜜落ちて花疲れ  同

お花見にでかけてビニールシートに座りこみ、弁当つつきながら桜をじっと眺めていると、この花弁の密集はほんとうに桜色なのか。灰色じゃないのか。と、分からなくなってきて疲れる。しかも騒がしくてごみごみしいし。せっかく桜なんだから美しいところを見つけようと思ってしまうと、それはもうぐったり疲れる。

桜ってむつかしい。帰宅してホッと一息つき、おやつに食べる蜂蜜トーストのほうが、案外春めいているかもしれない。

花守やいらつしやいませこんにちは  同

流し来ぬいらつしゃいませこんばんは  同

あ、ハイ! こんにちはこんばんは。えへへ。

 

春かなし下駄箱の名札みな剥がされ  ハードエッジ

≫読む ≫テキスト

名札シールを剥がすと、木製の下駄箱に跡が残る。糊が多いと紙が貼りついたままになってしまうのだ。そのびりびりの白さを見て、かなしいと言う。

クラス替え、卒業の季節だからでなくて、シールの剥がされた白さが無残だから、かなしいんだろう。春は疎かになりやすい季節だ。

ソーダ水深きところを吸はれけり  同

ソーダ水を吸うのでなく、ソーダ水が吸われた。向かいに座ったひとの様子を見ているのかなと思う。飲みはじめてしばらくすると、氷が融けるので浅いところは水っぽくなるのだ。だから深いところにストローを潜らせ、吸う。どんな会話をしているんだろう。

昼寝子に髭なく猫に笑窪なく  同

昼寝している子どもには笑窪があり、そばに寝そべっているのだろうか、猫には髭がある。ほほえましい光景。にんげんとそれ以外を行き来する句が多いのかな、と思う。


(つづく)

2012-11-04

2012落選展 07 小早川忠義 旗日

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週刊俳句 第289号 2012-11-04
2012落選展 07 小早川忠義 旗日
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2012落選展 07 小早川忠義 旗日 印刷用

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2012落選展 07 小早川忠義 旗日 テキスト版

2012落選展 
07 小早川忠義 旗日 

春暁やパートタイマーこゑ甘く
レシートや要るも要らぬも卒業生
春愁や落下傘には皺の無く
こはごはと開かるるのみ春障子
花守やいらつしやいませこんにちは
はがせども葉の香の残り桜餅
介護士の分やふたつの桜餅
道中や白雪姫に母は似て
この店にシャッターの無く明易し
うららかや捨てねばならぬお弁当
花御堂かつて楽天地もありて
虚子の忌の常に灯りし店明かり
百千鳥より隠れ捨つ都市の塵芥
トーストの蜂蜜落ちて花疲れ
新入生おつりよこせと手を広げ
水の無きプールに溜まる春意かな
義士祭詰め込み過ぎの名刺入れ
春夕焼飛行機雲の滲み行き
植木市知らぬ同士が行列す
春の闇目の慣るるまで謝らず
朝寝して互ひに旗日生まれなり
蒲公英やライオンの檻小さくあり
親子連れ買ひ物籠にチューリップ
春の潮手旗信号いかに読む
落雲雀恩師は巨き雲の上
揚雲雀出会ひ頭に会釈され
卒業子詰襟のままパフェ食はせ
灰皿に栄螺の殻を捨て置きぬ
退職を思ひ止まり花山椒
母の日の贈りものにもノルマあり
メレンゲの口に溶け行き鳥帰る
雀の子やすめきをつけ前へ進め
桜草駅よりの客みな抱へ
岩海苔と青海苔の差を説き伏せぬ
案内することば殖え行き古茶新茶
磯遊び炒飯の粒紙皿に
割り箸とストローをつけ氷売る
ガム一個袋に入れて朝暑し
はつなつやフライドポテトかりと噛み
半ズボン姿のをとこ立ち読みす
脳天にむかふ痛みやかき氷
岩清水込められし瓶転がりぬ
ひとりでに氷の鳴れり紙コップ
雲の峰間違ひを知らず行き過ぎぬ
汗の飯二昼夜勤め切つたれば
抱きやればすり抜けらむや竹夫人
午前九時釣り銭皿に虹掛かり
流し来ぬいらつしゃいませこんばんは
箱庭と紛ふ店なりけふも立つ
炎昼や手提げ袋に葱はみ出で


2012-05-13

【週俳4月の俳句を読む】小早川忠義 先入観を覆す

【週俳4月の俳句を読む】
先入観を覆す


小早川忠義


五周年関連や故八田木枯氏への追悼特集、そして松尾清隆氏の問題提起もあり、四月の週刊俳句はついて行くのも大変な程の読み応えであった。 WEBという媒体に上げられることにより、閉塞的になりがちな短詩系文学の世界に風穴を開けた業績、そしてそこへ寄稿することによる影響力の大き さは、結社内外を問わず自身が足を運ぶ所々で話題に出てくることにより証明されている。今後の益々の御発展を祈念すると共に極めて微力ながらも継 続してお 役に立てるよう自らも精進したい所存である。


  あたたかき別れ地下鉄地下ホーム  津髙里永子

  あたたかき暗さ映写機幻燈機  同

淡々と過ぎる日常から編み出される二句一組の五膳のお箸のような連作。

その中でも「あたたかき」別れや暗さがどの箇所に存在していると作者が定義するその場所に興味を引いた。春とはいえまだ寒い、人が別れるであろ う夕方から夜にかけての時間。その寒さから隔離された地下鉄のホームに「あたたかき別れ」が存在するという。地下鉄で行ける距離は長くても一昼夜 乗り続けなければいけないなどという遠さではない。また明日あたりになれば会えるという安心があるからこその「あたたかさ」と言えよう。

同様に「あたたかき暗さ」は、いずれストーリーが終わればまた明るさが戻る映画館の暗さ。映写機や幻燈機のぼんやりと埃を含んだ光線もその暗さ に加担している。


  先頭が八田木枯鶴帰る  西村麒麟

  天上へ鶯笛は届くかな  同

軽快な詠み振りから故八田木枯氏への追悼にさりげなく入っていく作者の巧みな世界形成に支えられている三十句。特に引用の一句目が圧巻。連作に いきなり故人の名が出てくるかと思えば「鶴帰る」である。

  鶴は引くこころのなかに灯を入れて  木枯

なるほど、作者にとって木枯を知り、読み、愛でる糸口として鶴は大きな存在であるということなのであろう。そこはどうしても外せなかった。「鶴 帰る」と季語で結べる季節に作者と対象者の永遠の別離の刻が来るとは運命的なものを感じる。

悲しいことがあり「泣く」と「鳴く」を響かせ、最後はまた軽快に鶯笛に焦点を当てて天上へ昇華する。そして故人の詠んだ句の精神は今生きる者の 糧となり血となり、未来に受け継がれていく。


  日永かな動いてロボットだとわかる  宮崎斗士

  昔の恋人いつまでも雨のぶらんこ  同

口語で詠むと俳句はやけに安定感を失ってその存在がぶるぶる震えるように見えてくる。その震えは必ずしも悪い印象を与えるものではなくて、先入 観を覆し凝視を禁じ得ない注目度の高さを表している。

日永を自覚しない時期にはずっと動いていなかったかも知れないものが動き出して、その動きからして生物離れであったという引用一句目。そ のシーンの切り取り方は俳句というよりスパンが長いだけに短歌のそれに近く感じる。

二句目は十句の中で唯一動詞が含まれていない。それだけ春の雨が降り続いている中で誰も乗せていなく止まったままのぶらんこが際立ってくるので ある。


  散る花に陰の塊馬二頭  山田真砂年

  世をまるく生きて気鬱や八重桜  同

お正月の淑気同様、桜の咲く下にいると桜独特の色彩や香りに日常とは違った感覚に襲われる。十句全体の世界は作者の生の自覚と共に「まる く」纏まっているが、作者はそれが気鬱だという。その気分から鋭角の世界に導き出してくれる駿馬の姿を散る花の陰に見たのだろうか。桜の開花 時期はあっという間。いやでも万緑の季節がすぐさまやってくる。


他に好きだった句を挙げる。

  東京をめくれば土や月今宵  西丘伊吹

  四万六千日女装の人も祈るなり   衣衣

  効用に春寒とあるハーブティー  西丘伊吹


第258号
津髙里永子 支へ木 10句  ≫読む
第259号
西村麒麟 鶯笛 30句 ≫読む
第260号
宮崎斗士 空だ 10句 ≫読む
第261号
hi→作品集(2010.10~2012.3) ≫読む
新作10句 イエスタデー ≫読む
第262号
山田真砂年 世をまるく 10句 ≫読む

2011-10-30

2011落選展 小早川忠義 浅葱裏

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週刊俳句第236号2011-10-30

2011落選展  小早川忠義 浅葱裏

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2011落選展テキスト  小早川忠義 浅葱裏

浅葱裏 小早川忠義

畦行くや爪先立ちに湯宿まで
母の手を振り解く子や七五三
ミサイルをいくつ吸ひ込む冬夕焼
浅漬を噛む音欲求不満にて
謝るもはや飽きてをり懐手
人の輪にありて話さず枯葎
息白き老カウボーイ投げ縄す
かきまぜてをれば葛湯にとろみ立つ
時雨るるや南京虫時計止まり
愚痴めいて手に余るなり冬林檎
組み伏され絨毯柄の枡数ふ
冬霧や父と喧嘩のできずあり
寒卵煮え湯にそつと沈ませぬ
短日や花の形に餃子盛り
暮れ六つと空に呟く冬曇り
野天風呂までこゑ届き焼藷屋
我が裡のをとこさざめく熊祭
義士の日の慶応義塾ひつそりと
年取や幾度祈らねばならぬ
厄落し三度目も何事もなく
たのみごと投扇興の合間にて
折詰の海老固くあり初芝居
ひめ始め浅葱裏とは呼ばれずに
羽子板に描かれし少女鼻のなく
嫁が君やもめの家に何用か
獅子舞や頭おとうとあには尻
餅の罅いよいよ割れて実千両
ラガー達我も我もと湯に入り
寒紅や夭折歌手の遺影濃く
人日の素うどん温く喉に落つ
初仕事水銀の瓶重くあり
東屋に冬まくなぎのちらちらと
小正月ミルクの缶に穴二つ
寒弾や耳に疲れのあるらしく
悴みてヨーヨーの手に戻らざり
小松菜を抱へ参るや鍋奉行
いかにして友とすべきか雪女郎
箸に歯に抗する冬の鯛であり
冬苺小鉢の縁を転げ落つ
都鳥都の果てを飛び立てり
絵踏かな佐世保バーガー眼前に
寒菊や花瓶に枯れず残りあり
熱さまし三つ残して風邪治る
寒柝を聞けばペダルの空転す
齧りゐる焼きたてのナン魚は氷に
立春の町医者を訪ふ救急車
北窓を開ければ月の淡くあり
冴返る終まで歩くアーケード
春寒や四羽の白鳥口衝いて
涅槃図や仲の良き者ばかりなり

2011-07-03

小早川忠義 百八 10句

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週刊俳句 第219号 2011-7-3 小早川忠義 百八
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2011-05-01

【週俳4月の俳句を読む】小早川忠義 無縁といえず

【週俳4月の俳句を読む】
無縁といえず
小早川忠義



東日本大震災のダメージが未だ人々の心に少なからず影を落とし続けているが、四月三十日は震災当日から数えて四十九日目にあたる。今だから詠め る句をという気持ちと、いつまでもいじけている訳にはという気持ちが、俳句を詠む方々にも交錯しているのではないだろうかという思いを禁じ得な かった。


もらひ泣きして庭先の梅を見て  ひらのこぼ

テレビからの風景と等身大の自分を対比させて、直接的な言葉を使わずとも今こそ詠める句をと試みたものだろう。恐らく被災地の惨状であり、号泣 する画面の向こうにもらい泣きはしても、ぬくぬくと暮らしている視線の先には開いた梅の花がある。関心はあっても百パーセント共有できるものでは ないというもどかしさも「して、見て」と言い差しで終わっている口調で現れていそうだ。


玄室の上古をのぞく春の月  天野小石

薄蒼く春月出づる地震の国

十句の中で「春の月」が玄室の上古を覗き、地震の国に君臨するというのに目を引いた。春の月はぼんやりしているが、確実にその空に出て太古の昔 も高度成長期も見詰めていた。勿論現在も。そして未来が復興していようがいまいが、そのぼんやりとしたままで。


吊り橋へ躍り出でたる孕鹿  矢野玲奈

一読して切れのなく雰囲気だけが伝わってくる印象からして「甘い」という先入観を抱きやすい作風なのだが、一句一句に使われている言葉の選び取 り方によって読者に考えさせようとする力が作者の持ち味なのだと思う。

吊り橋へ、恐る恐るとは言えない「躍り出でたる」孕鹿にはその視線の先に怖さをも凌駕する存在があったのか、などと。


詩は泣いていられないんだつばめ来る  福田若之

ヒヤシンスしあわせがどうしても要る

若い作者は、抒情を自らの近くにぐいっと引き寄せ十七音の中に据えるのが得意なのかも知れない。その断定的な言い回しが微笑ましい。しかしそこ に表現された世界は今回の震災に無縁とは決して言い切れないであろう。

涙をためた詩が多かれ少なかれ作者の背景にあったからこそ燕の飛来の鋭さが強調されるのであり、いくつもの花を穂状につけるヒヤシンスが、幸福 を渇望する存在もしくは自意識が四方八方に働きかけている姿に見えたのだろうか。


海胆よりも耳朶よりもあはく生き  羽田野 令

海胆と耳朶の対比での最大の違いは手触りであり、前者は指を傷付ける程の鋭い針に覆われ、後者は熱い物に触れた指を冷ます為の箇所である。触れ て来る者に対して傷付けもせず癒しもせずにいるその淡泊な生き方から、作者の営む世界が広がっているように思えてならない。


第206号 2011年4月3日
ひらのこぼ 街暮れて 10句 ≫読む
天野小石 たまゆらに 10句 ≫読む
第208号 2011年4月17日
矢野玲奈 だらり 10句 ≫読む
福田若之 はるのあおぞら 10句 ≫読む
第209号 2011年4月24日
関根誠子 明るい夜 10句 ≫読む
羽田野 令 鍵 10句 ≫読む