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2012-12-09

【落選展2012を読む】その3 楢山惠都

【落選展2012を読む】
その3 キリンの舌は青黒い

楢山惠都



空中の麒麟の舌や春の闇  藤尾ゆげ

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キリンの舌は青黒い。なぜなら、首が長すぎてチアノーゼだから。こんなに奇妙かつおそろしい話があるでしょうか。なぜそこまでして長い首に進化したのか。春の闇、も不穏な感じ。



引き返せ今引き返せと蟬の声  同

蝉が引き返せと言っていたことに気づくのは、蝉時雨の只中ではないだろう。引き返したくなった時点から遡ってそう感じる、と思う。


梟のまま瞬きす占い師  同

新宿の花園神社近くなどで占い師をみかけると、白い上っ張りに、白い四角い帽子をかむっている。あの神妙な様子は、言われて見れば梟のじっと動かない姿と似ている。

 

風花やときに押入より唄ふ  佐藤文香


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押入れって入ると案外ひんやりする場所だ。入る、というかよじのぼる。ふとんはたいてい押入れの上の段に仕舞われているから。ふとんを敷いているときしか入る機会が無い。子どもの時分は隙をみてよく遊んだ。

でもこのひとは風花という季語も旧仮名遣いも使いこなせる、大人なんだろう。それでもよじのぼる。簡単なことではありません、身体の話でなくて。合板であろう棚は大人ひとり分の重さによくたわむ。木の香りがする。外では雪がちらついているのだ、肌寒いから毛布をまとってみたり、腰が痛くないよう枕の位置をずらしたり。

閉め切られてほんとうに独りだから唄う。合板に声がひびいて少し安心する、いや安心しない。これは孤独の訓練だ。


ゆふがたといふかたまりと霜の鶴  同

その大人(または大人について逡巡すること)の孤独は、かたまりとしてあるらしい。冬の夕焼けは特に濃いバラ色をしている。雲を、建物を、道を染める。その夕方を、染みこむ液体でなく固体だと捉え直すこと。油断してはいけない。圧倒的な塊に圧迫されて凍てつく鶴、その孤独を思う。美しいりんかくである。


春の夕日は君の眉間を裏から突く  同

ときにその硬質は、寄り添うべきひとをも襲う。しかし、掲句と韻を踏んで、


古草やけものは君を嗅ぎあて笑む  同

しんなりとなじむ古草、体臭、のようにゆるむこともある。


ふきのたう愛の湿度のととのほる  同

川までのてのひらに雛あたたまり  同

かたまりをゆるめる愛には、春めいた温かさこそふさわしくあってほしい。

 

湯冷めして体の中にゐたりけり  生駒大祐

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わたしたちの内臓、血、骨は皮膚に包まれている。掲句の湯冷めは、皮膚と身体内部の温度にずれがあるような感覚だろうか。「ゐる」ことのふしぎさ。


神酒にあるつよきよはきや青嵐  同

北海道にいる宮司の友人は月に一度の直会を欠かさない。結局、皆を招いての宴会なのだけれど。

また、神奈川の神社で正月の助勤をしたとき。御祈祷を終えた方々に御神酒とお土産を授ける役目をしていたのだが、水色袴の若い宮司が盗み飲みするのですよね。神器に入ってるから銘柄は分からないんだけど、正月の清新さにあってとてもおいしいんだろうなと思いました。神社は暖房を使わないというのもあり。結局その場にいた十人くらいの男たちが飲酒した。

翌年から御神酒は厳重な監視下に置かれることになったそうです。すべての裏には人間がいるのです。


蝸牛まみどりを糞りつづくなり  同

きらきらしい詩語。

 

新しき靴に履き替え墓參かな  高井楚良



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お墓参りは清々しい。水をひしゃくで汲んで、乾いた墓石のてっぺんから流すのは、きもちいい。枯れた花、燃え尽きた線香を掃除する。靴を履き替えるところから清新さを保とうとするのは、故人への思いが強いからなのかな。


この島はウタに恵まれ踊りけり  同

田植唄世界の始めと思ひけり  同

ウタ、と表記するのは沖縄の歌謡という気がする。日本文化は南島を出発地とするのだという学説がある。文学の範囲を常民の暮らしぶりにまで広げた民俗学は、特にそれを言う。うたうことから始まったのだ。

 

流氷の上なる人に礼をなす  川奈正和

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船上からあたりを眺めていたら、流氷がやってきて、その上にひとがいたんだろうか。そして慌てて挨拶したのか。ほんとうだろうか。でも、すれ違う一瞬で目を合わせ、その瞬間に友だちになるようなことが世の中にはあると思う。その後二度と会わなくても。


劇いまだ劇中劇や花は葉に  同

例えばじぶんが劇作家だとして、劇中劇を書くときがいちばん愉しいんじゃないか。戯曲の骨組みから離れてドタバタやれそう。そして葉桜の季節の劇とは、それだけで面白そうです。

 

遥かなり三万人の春休み  大穂照久

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日本列島に一億三千万ほどのにんげんがいて、そのうち三万人ほどが春の決まった時期に、一斉に休暇をとる。そして移動する。もちろん移動しない一億人も存在するので、人口の密集にむらができる。そのくせこの小さな島全体の人口に変化は無いわけで、奇妙だ。天から地上を見下ろしてみれば、にんげんの営みはかくも奇妙だ。惑星のうわっつらでわらわら動くわたしたち。遥かなきもちがします。

掲句でもっとも奇妙なのは、遥かなりと嘆息する作者もにんげんのひとりである、ということ。宇宙からの巨きな視座と、じぶんの嘆息を聞き分けてしまうくらいの近さとが両立している。


遠い火事ぼくには口内炎がある  同

そして中間がすっぽり抜けている。近さと遠さしか無い。そのせいだろうか、ふたり集まると、ぼやける。


公園の落ち葉を散らすふたりかな  同

作者を含めたふたりなのか、作者がふたりを眺めているのか。


切手貼る愛を込めつつ貼る痛いか  同

じぶんと同じ近さを持つひとを探して、問いかけずにはいられない。手探りでなにか探すとき、痛覚以上に原始的で明確な指針があるのだろうか。

 

風船に歯を括りつけ抜きにけり  山下つばさ

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ぐらつく歯の裏を何度も舌で探る。もう歯を支えているのは針の先ほどの歯茎だけだ。その歯と歯茎を分離するときの、ぷつっとした痛み。


脱毛の手足を畳む木下闇  同

たぶん自宅で脱毛したんだろう。毛抜きを使ったか、脱毛クリームを塗ったかは分からないが、とにかくぷつっと痛いものである。身体を労って丸まっているようす。


耳朶を過ぎて落花となりにけり  同

耳をかすめて落ちていった花は、そのまま落花と呼ばれる。ぷつっとした瞬間が、やがて状態になるということ。

2012-12-02

【落選展2012を読む】その2 楢山惠都

【落選展2012を読む】
その2 移動サーカスには憧れたものです

楢山惠都




サーカスの地べたのつづき葱を焼く  嵯峨根鈴子

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移動サーカスには憧れたものです。旅の一座が夜っぴでやってきて、テントを組み立て、翌日にはサーカス告知のパレードのお祭り。親にせがんで木戸銭をせしめた子どもたちは、ひげ女、力持ち、などの入った檻をまじまじと見つめる。占い女に運命を聞いたりアイスを舐めたりしながら、夜はいよいよショーの開幕。そんな数日の興行が済んだら、やはり夜中のうちにテントは畳まれてしまって、跡には色紙の残骸だけ。

股旅のきもちで葱を焼く。食材をそのまま焼くことは、飛行機も自動車も無い時代の旅の薫りがする。


火を恋ふるとは口笛のとぎれとぎれ  同

寒さにかじかんだ唇のせいでとぎれとぎれになる口笛。わたしは口笛を吹けない側のにんげんなので、この晩秋の把握が羨ましい。冷えているほうがきれいな音になるのだろうか。風船ガムを膨らませるみたいに唇をすぼませてみる。新鮮な風が口腔を通り抜ける。

 

薄氷はそろそろ水にもどりたく 神山朝衣

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水に戻りたいから緩みだすのか。緩むのをきっかけとして水に戻りたくなるのか。ある状態からある状態へ移行することの、ゆるやかさ。それを見つめるひとがいる。


目が合ふとしばらく語る蜥蜴かな  同

熊を見る熊に見られてゐる間  同

蜥蜴は見つめられている。なにかを見ること。視線を介してそのものを取りこんでしまうこと。同じように、熊にも見つめられているということ。


早春のひとの呼吸を聴いてゐる  同

山茶花や見えざる声の鳴きをはる  同

五感について言う句が多いなかで、「見えざる声」とあるので、聴覚と視覚は拮抗しつつも少しだけ視覚が強いのかな、と感じた。梶井基次郎の『視ること、それはもうなにかなのだ』という一文を思いだす。


歌うたふ子や夏蝶に嫌はれて  同

そのせいだろうか、視線以外の手段は嫌われてしまう。歌が、空気をふるわせ、夏蝶の蝶道を少し撓ませる。痙攣したかのように飛び去る蝶。

 

縄跳や入る子出る子見知らぬ子  中塚健太

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小学校へは電車通学をしていたので地元の友というものがいない。近所の公園では、ある集団の横になんとなく居て、むりやり馴染んで遊ぶ、ということを繰り返した。向こうはわたしの名前を知らないから、そこの麦藁帽子の子!なんて呼ばれて。

掲句は大縄のことだろうが、確かに「見知らぬ子」が列にまぎれても目立たないだろう遊びだ。どんどん輪は循環し、最後尾がどこか判然としなくなる。たそかれ時に。

つばくらめ空に縦横斜めあり  同

外出するのがめんどうなとき、空飛ぶじゅうたんがあったならと溜め息をつく。わたしたちは平らな地上にへばりついているだけだが、縦横無尽に移動できるのが宙なんだろう。

風船の己(し)が影からも放たるる  同

風船がどんどん上空へ、すると地上の影はどんどん小さくなる。じぶんの影からも自由になり、風船は天国めいた場所へと向かうだろう。縄跳びも、鳥も、風船も、上昇する動きがあるような。

 

夏星の配線だけをつなぎ去る  谷口鳥子

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この秋に初めて感じたことなのだが、星座とは恐ろしいものだ。あんなに無数の星をつないで空いっぱいに獣が配置されている。星ほどの人間はまだしも、星ほどの山羊。星ほどの鯨。星ほどの白鳥。生物学が進んでいない古代なんだからどれも怪物の様相を呈している。怪物が空いっぱいに浮かんでいて、どれも不動。

恐ろしさのあまりこの頃は夜空を見上げることができない。底なしの深海にひとり放り出されたらこんな気分だろう。星の配線をつないだ古代人は凄いなと感嘆する、いや、彼らも怖かったんだろう。だからこそ物語をつくりだしたんだろう。


サンドバックの奥に窓その奥に月  同

ボクシングジムに通ったことはないが、サンドバックを延々と叩き続けて意識朦朧、汗で部屋の湿度は高いんだろうな。黙々と殴っている視線の先に窓があって、秋の、水に濡れたように光る月がのぞく。肉体と乖離して意識は冴え渡っているのだろう。

 

西葛西葛西浦安鳥雲に  村越 敦

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人工の海岸にはなぜだか鳥がよく住まう。曇りの日の光に似合いそうな句。繰り返される「西」がたのしい。


絵の中の夜明のいろと寒暁と  同

絵画のいいところは、枠があるところ。枠を乗り越えてみたくなるところ。枠があるからこそ、こちら側とあちら側を行き来できる。


世界ぢゆうの蟻の話をして眠る
  同

眠れない夜は羊を数えろ、というが、あれはsheepとsleepが似ているからというだけ。そんなものに縛られず、よく眠るためのきっかけを日ごろから各々研究しておくことが肝要である。


広告の中の家族やシクラメン  同

「効いたよね、早めのパブロン」のCMが苦手だった。わたし以外の全ての娘は、あのように母を労るのだ、と罪悪感を持つから。シクラメンの濃いピンクも押しつけがましいように思えてしまう。


ハロウィンや空気つめたく灯はあつく  同

ハロウィンらしいとも思うが、それよりも、確かに十月末の街はこのようである、と思う。

 

新涼や言葉の出入りする身体  利普苑るな

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ようやく秋の涼しさがやってきて、息がしやすくなった。大声を張り上げなくても会話できるのが嬉しい。言葉の元は発声なのだ。呼吸なのだ。


仮の名のままに猫飼ひ冬隣  同

猫ほど名付けの魔力が似合うケモノはいない、と思う。寄りつかない猫を、名前によってじぶんに結びつける。特別な存在とする。行きずりの猫にうっかり名前をつけると寂しくて悲しいのでおすすめしません。不在の猫に呼びかけることができるとは、言葉はなんて恐ろしいのでしょう。

すべての神話は、自然の神秘に名を付けようとしたところから始まったんだろう。


春めくや三色刷の献立表  同

そして言葉は紙に記録されていく。だんだん紙や書物はモノとして独立していき、愛好されていくのだ。


それ以上言へば死なむと雪をんな  同

啄木忌幾度も道を問はれけり  同

言葉はコミュニケーションツールだとされるけれど、そうでもないんじゃないか。「雪をんな」にまずいことを話してしまった、不興を買ってしまった、そのずれこそ言葉なんじゃないか。

何度も声をかけられ道案内をしながら、きょうはかの啄木の忌日だと意識している。ただ言葉に注意するのでなく、その交換や有り様に敏感なひとだと思う。

 

口中にモスク沸きたつ抜歯かな  藤 幹子

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歯医者で口腔をさわられることを、どうしても好きになれない。紙エプロンをかけられ、仰向く。なぜ歯医者のライトはどこでも薄青と薄ピンクと薄きいろなのでしょうね。これと似た折り紙があったと思う。と毎回考えながらタオルを目元に被せられ、治療を受ける。口につっ込まれる器具はどうやら、水を噴出するのと、風を噴出するのとある。むりやり別の考え事をするうちに麻酔の注射をされ、歯をひっぱられる。

「モスク」が「沸く」のだから、たぶん、嫌な治療から気をそらすために大きな何かをもくもく想像しているのかな、と思う。

この人を見よ鯖雲へ火の腕  同

わたしが連想するものは、『この人を見よ この人にぞ こよなき愛は あらわれたる』とうたう賛美歌121番の歌詞だ。『馬槽の中に 産声あげ 木工の家に 人となりて 貧しき憂い 生くる悩み つぶさになめし この人を見よ』という一番の歌詞から『馬槽(まぶね)の中に』と題がつけられる。『この人』は無論イエス・キリストを指す。

わたしの母校はプロテスタント系の学校だったので、礼拝は大切な習慣だった。静謐な時間がきらいではなかった。中学一年生のクリスマス礼拝だったろうか、皆でお祈りを済ませ、黙祷をしたときのことだ。まなうらには、現在わたしがいる礼拝堂が映っていた。それを俯瞰していたところ、礼拝堂の高い天井まであるようなにんげんが見えた。雲が降りてきたかのようにもくもくとしていて、細かい造作は見えない。そのひとはにっこり笑み、祝福を垂れるかのように、皆のいる席に片手を置こうとした。

そこで怖くて目を開けてしまった。

掲句にあるような夕焼けの鯖雲こそ神の御姿に近いのかもしれない。

 

鳥交る色屑溜めてシユレツダー  すずきみのる

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わたしの職場にもシュレッダーがあるが、紙屑がパンパンに詰まるのでどんな鳥も巣を造れそうにない。掲句の「シユレツダー」は透き間のありそうな感じだ、まだ溜められそうな。せっぱつまっていない、ゆったり時の流れる場所にあるシュレッダーなんだろう。小まめにゴミを捨てるような。色紙の巣はイースターのお祭りも思わせる。


八十八夜少女に紫だつ会話  同

いよいよ春の動きが活発になろうとする八十八夜と、少女の華やかさ、かしましさが重なる。やっぱり恋の話かしらん……。


はつゆきを競馬新聞にて避ける  同

衣服の一部であるみたいに競馬新聞を持ち歩くひと、いますね。初雪に気づいてから競馬新聞を傘にするまで少しの逡巡もなかっただろう。

(つづく)

2012-11-25

【落選展2012を読む】その1 楢山惠都

【落選展2012を読む】
その1 『ガラス山の魔女たち』という物語

楢山惠都


落選展2012

洗ったばかりの洗濯ものをすべて干し竿に吊るして、ま白い布が風にはためく。石鹸の香りがどことなくたちこめ、ひと仕事成し終えた充実が体にある。落選展、ということばにはそんな健やかさを感じます。

 

ふと静か丸花蜂の歩むとき  福田若之

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『ガラス山の魔女たち』という物語にでてくる丸花蜂がすきだ(現在の版では『魔女ファミリー』に改題されている)。知恵のある偉大な蜂なのだ。その影響か、昆虫のなかで蜂だけは賢い、という気がする。集団の秩序があるし、六角形の巣は数秘術めいている。まるまるしたきいろな胸、花粉をたくさん運べそうな毛のある脚。哲学者の遊歩。

ギターケース背に秋冷えのガード下  同

このひとは、他のどのパートでもなくギターだ、という気がする。シューゲイザーの雰囲気。さきほどまでスタジオで練習していたのだし、ガード下の轟音でますます耳の機能は低下する。「丸花蜂」とは異なるタイプの静けさ。

 

銅像の眉毛の下の燕の巣  杉原祐之

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ロフティングの『ドリトル先生』シリーズには多くのどうぶつが登場するが、その中にロンドンスズメのチープサイドというのがいて、聖ポール寺院のエドモンド聖者像の左耳にねぐらがある。

にんげんの形をした銅像って、偉人の姿を模したり美を志向したりしているが、そんなのおかまいなしに鳥たちの営みがある。そのずぶとさが快い。

小児科の扉の秋冷を押しゐたる  同

病気にかかったひとに「扉」を押せる体力は無いでしょう。ましてや小児科です。弱った子どもの保護者が、一刻も早く医者に診せよう、一刻も早く楽にしてあげよう、とぐいっと扉を押すのです。子を持つ、ということの弱みと切なさが、秋冷の空気に打たれるように伝わってきます。

 

ベランダの物に水やり春の雨  前北かおる

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ある時期、父が園芸に凝っていて、雨降りの日でさえ庭の植物に水遣りを欠かさなかった。それは意味ある行為なのだろうか。と花屋勤務の友人に笑って話すと、庭作りをなめてはいけない。と真顔で返された。

真摯、ということについて考えるとき、あたまをよぎるエピソードだ。

空いてゐる優先席に春日さす  同

空席の優先席まで見渡せるのだから、この車両自体が空いているのだろう。春は移動するひとが多い季節だけれど、通勤通学のピークが過ぎた昼下がり、やっと電車の混雑が消えたのだろう。優先席に座るべき切迫さは誰にもなくて、それでも皆どこかに腰掛けられる。余裕のある春のうららかな時間帯。

枝の下に水平線や大桜  同

ここまで汗を流しながらも階段を昇りきったのは、この高台の桜を見物するためだ。みごとな枝ぶりである。いちばん下の枝の、更に下に、彼方の水平線がのぞく。きらめく鏡の破片のような海。桜のピンクは意外と薄いものだから、海の濃紺に圧されてしまいそう。

 

たんぽぽよからだの奥の声の巣よ  飯島葉一郎

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鼓草とも呼ばれるたんぽぽだから「声の巣」なのかしら。でも、そうでなくとも、春の陽気にゆらゆら揺れるきいろい円は「声の巣」のくぐもった球の感じによく響く。もしかしたらたんぽぽの白い綿をふーっと吹いたとき、体の奥の「巣」を感じ取ったのかな。

わたしたちが発言する時、歌う時、呻く時、それぞれにふさわしい声が飛び立って、出番を終えたらしずかに戻る。巣で羽を休め、次の機会を待ち受ける。

じぶんの身体に内臓があるなんて知らなかった頃を思いだす。噛み砕かれ呑みこまれた食べものは、粉雪のように体内に降り積もるんだと想像していた。医学の発達には畏敬の念を抱くけれども、詩で身体を把握し直すのはまた別のことだ。

消化液まみれの僕も春なれや  同

蝌蚪群れているかに頭皮隆起せり  同

揚句も、なにか嘔吐したわけでなく、体内に満ちる消化液に「まみれ」ている身体を言うのだろう。交尾の季節である春、というのもきもちがわるい。なにせ頭皮のしたにオタマジャクシが群れている、というのだから。きっと鏡で頭を確かめてはいない。じぶんでは確認できない箇所を、手で探って、そのぼこぼこさをオタマジャクシになぞらえている。

穴子百匹夜の大動脈にもぐる  同

夕焼けに万の背中の潜みけり  同

兎百匹詰まっていたる春の山  同

体内というより、視認することのできない空間のことなんじゃないか。視ることができないからこそ暴力的に想像がふくらむ。

明け方の夢 廃屋に蝶満ちて  同

桜とは死後に見る夢咲き満ちて  同

視認することのできない空間は、夢、そして死出の国につながる。

 

風ひかる音楽室に水充ちて  高梨 章

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光の状態でいちばん美しいとわたしが思うのは、水に反射するときです。水を通すと光線の形がよく顕れるから。揚句は音楽を水と捉える。なめらかにひびく弦楽器かしら。水、光、音楽の三重奏だ。きらきらしい。

水鳥が鏡を割つて驟雨かな  同

四月の鏡のなかをあかるい船がゆく  同

このひとにとっては、そのきらきらしさは鏡と結びつくものらしい。

ひらがなの影うすむらさきのすみれ  同

ひらがなの影ってなんだろう。紙に落ちる影がうすむらさき色をしているのは覚えがあります。

 

二つある小さな方が春の橋  上田信治

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よく似通った二つがあるとして、差をつけるため基準を設ける。というのは一般的なことだろう。大きい小さいは誰にとっても明らかなのだ。しかし、そうではない個人的基準にこそ、そのひとの感覚がよく表れる。

春の橋とはどんな橋なんだろう。桜花が散るのか。澄んだ水があるのか。鶯が鳴くのか。麗らかなきもちに似合う橋だろうか。もしくはうら寂しい橋かもしれない。年度始めの喧騒にはくたびれきってしまうが、その疲れにぴったり沿う橋なのかもしれない。

揚句は、橋を一般的な基準で指し示しつつ、個人の基準で説明する。このひとの物差しにはユニークな目盛りがたくさんついているのだろう。それを囁き声で教えてもらうとき、もしかしてふたりの目盛りが一致するとき、友だちになりたいと思う。

月おぼろ二つのごみを一つにし  同

打って変わってこちらでは、似通った二つを比較、吟味した結果、区別しないことを選んだ。でも、おぼろ月の光でしょう。月光はあたりをよく照らすけれど、おぼろ月だからな。けぶった夜気のもとで基準もあいまいになりそう。

つまり、あいまいになりがちなのが感覚なのであって、細かいことは置いておくのだ。ごちゃごちゃにして手をつなごう。

同じマスクがずつと落ちてゐて夢のやう  同

あいまいになりがちだからこそ、一般的基準を持たないことは危険だ。毎日、同じ道を歩いて、同じマスクがずっと落ちている。なぜ同じだと判断できるか、というと、同じ箇所に落ちているからだとか。汚れ具合が同じだからとか。私たちはそんな判断の積み重ねのもと、磐石な世界を生きている。

では逆に考えてみて、同じマスクさえ道に落ちていれば、世界の他のことがすりかわっても気づかないかもしれない。異世界同士を、同じマスクを接点にすることによって、そっくり入れ替える。

毎朝、友だちに、わたしの声は昨日と同じ?昨日と違う顔をしてない?と確認していた小学生だったことを思い出した。パラレルワールドに引きずられることより、それに気づかないことのほうが怖かった。ぼんやりした子どもだったんですね。

 

はつなつやフライドポテトかりと噛み
  小早川忠義

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モスバーガー式フライドポテトでなく、マクドナルド式フライドポテトなんだろう。つまり、じゃが芋そのままの形を残したのでなく、芋をつぶして長細い四角に成形し直したものだ。それでないと「かりと」噛める部分は無いです。

フライドポテトは初夏が似合うたべものだと思う。晴れやかにやさぐれる。マックシェイクを添えて。

退職を思ひ止まり花山椒  同

 この原稿を書くため、何度も通し読みをしたのだが、この句はいつも目に飛びこんできてハッとする。だから花山椒なんだなと思う。いやはやよかった。ほっと安心したくなるけれど、花山椒のぴりっとさは、この決定が不本意なものである可能性も示唆するわけで。

トーストの蜂蜜落ちて花疲れ  同

お花見にでかけてビニールシートに座りこみ、弁当つつきながら桜をじっと眺めていると、この花弁の密集はほんとうに桜色なのか。灰色じゃないのか。と、分からなくなってきて疲れる。しかも騒がしくてごみごみしいし。せっかく桜なんだから美しいところを見つけようと思ってしまうと、それはもうぐったり疲れる。

桜ってむつかしい。帰宅してホッと一息つき、おやつに食べる蜂蜜トーストのほうが、案外春めいているかもしれない。

花守やいらつしやいませこんにちは  同

流し来ぬいらつしゃいませこんばんは  同

あ、ハイ! こんにちはこんばんは。えへへ。

 

春かなし下駄箱の名札みな剥がされ  ハードエッジ

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名札シールを剥がすと、木製の下駄箱に跡が残る。糊が多いと紙が貼りついたままになってしまうのだ。そのびりびりの白さを見て、かなしいと言う。

クラス替え、卒業の季節だからでなくて、シールの剥がされた白さが無残だから、かなしいんだろう。春は疎かになりやすい季節だ。

ソーダ水深きところを吸はれけり  同

ソーダ水を吸うのでなく、ソーダ水が吸われた。向かいに座ったひとの様子を見ているのかなと思う。飲みはじめてしばらくすると、氷が融けるので浅いところは水っぽくなるのだ。だから深いところにストローを潜らせ、吸う。どんな会話をしているんだろう。

昼寝子に髭なく猫に笑窪なく  同

昼寝している子どもには笑窪があり、そばに寝そべっているのだろうか、猫には髭がある。ほほえましい光景。にんげんとそれ以外を行き来する句が多いのかな、と思う。


(つづく)