【週俳3月の俳句を読む】
その月の感想瀬戸正洋
対岸の飛び地へ続くいぬふぐり 篠崎央子
川を隔てた向こう側、それも、飛び地へと続いていることに、こころが動かされたのだと思います。大地の意志、いぬふぐりの意志を感じたのかも知れません。
やきそばは半額梅が枝は湾曲 篠崎央子
やきそばが半額であるのには「理由」があります。梅の枝が湾曲していることにも「理由」があります。「理由」とは、ものごとがそのようになった訳、すじ道のことです。どんなことにも、「理由」はあります。そのことを考えてみることと、俳句を作ることとは同じであると思ったのかも知れません。
決闘は本棚の上猫の恋 篠崎央子
熱くなることは危険なことです。それを、なんとかやり過ごすことができたのは奇跡なのだと思います。本棚の本とは、知性、知識の象徴なのだと思いました。恋とは、殺すこと、死ぬこと、感情の激しさです。そんな気力、体力は、とうに失った老人にとっては、はるかに遠い夢のようなものだと思いました。
笛吹きて猫の貌なる明治雛 篠崎央子
奈良時代、禊や祓いの儀式に紙や藁でつくられた「人形(ひとかた)」を使っていました。これらの人形信仰が、雛人形の基礎となったのだと言われています。明治雛は、猫と暮らしているから猫の貌になってしまったのです。当然、笛を吹いているのは、にんげんです。にんげんも猫の貌になってしまったのだと思います。
服を縫ふ指にんにくを分解す 篠崎央子
にんにくは、何に分解されたのか興味を覚えました。指が分解するのですが、さらに、服を縫ふ指が分解するのですが、何に分解されたのか、よくわかりません。
にんにくとは、ユリ科の多年草です。地下に生ずる大きな鱗茎を食用、薬用、強壮剤に用います。江戸時代には、病難を避けるために、家々の門にかける風習があったとのことです。
漂泊はできぬ性なり春炬燵 篠崎央子
旅は苦手ですので、漂泊など、もっての外です。目的地に着くまえに、自宅へ帰りたくなってしまいます。自宅へ帰るために、旅に出るようなものです。自粛生活などというものは極楽です。春の炬燵は、性格的にも、しっくりときます。必需品なのかも知れません。
食ひ余すピザの切つ先鳥帰る 篠崎央子
ピザは切っ先から食べるのが普通だと思いますが、それとは異なる食べ方をしたようです。ピザの切っ先が食べ残してあることに違和感を覚えたのかも知れません。
鳥帰るとは、越冬した渡り鳥が北方へ去っていくことです。
さへづりに無線の声の混じりたる 篠崎央子
繁殖期の雄鳥が発する鳴き声を言うのだそうです。本能とは恐ろしいものだと思いました。目を閉じ、耳を澄ましていると、「さへづり」からは、必死さ、悲惨さを感じてしまいます。そんなとき、無線を通して、にんげんの声を聞きました。にんげんですから、にんげんの声を聞いて、ほっとしたということなのかも知れません。
苗木売雲の匂ひの荷をほどく 篠崎央子
苗木には雲の匂いがします。苗木とは雲のことなのです。苗木売りとは、苗木を売るのではありません。雲を売ることなのです。苗木売りは、露店に、雲を並べています。「匂ひ」とは、視覚で捉える色彩のことです。「匂ひ」とは、嗅覚を刺激する苗木のことです。
山葵摺る夜や探査機の着陸す 篠崎央子
旨い酒を飲むために山葵を摺っています。旨いものを食べるためには苦労はしなくてはいけません。旨いものを食べるということは残酷だといえば、そうなのかも知れなません。摺られてしまった山葵にしてみれば、たまったものではありません。テレビニュースは、探査機が火星に着陸したなどと報じています。
なめらかに光をつなぎ春の雪 中西亮太
解けているのでつなぎたいと思ったのかも知れません。過去を知っているからこそ、つなぎたいと思ったのかも知れません。光はよどむことなくつながれていくことを願います。雪は、草や木々のまわりから解けはじめていきます。
艸魚忌や午後がまつたく暇であり 中西亮太
暇とは、余暇、あるいは、休暇のことです。まつたくとは、暇を強調しているようで、暇であることのうれしさを感じます。考えてみるに、俳人は、暇でなくてはならないのかも知れません。あるいは暇であるから、俳句を作っているのかも知れません。
艸魚忌とは、二月二十二日、富安風生の忌日です。
片足の潦水に触れ垣繕ふ 中西亮太
足は、潦水に触れたくて触れたのではありません。しかしながら、潦水は足に触れたかったのです。垣を、修繕しているにんげんに対して、からかってみたかったのかも知れません。片方ぐらいなら許してもらえると思ったのかも知れません。
布物のまとめ置きある畑打 中西亮太
畑打とは、種まきや植え付けのため畑の固い土を掘り起こすことです。春の喜びが感じられます。私の子供のころは鍬で耡いましたが、現在は、どの家でも耕運機を使っています。畑を打つことと布物をまとめ置きすることとが、どう関係するのかよくわかりませんでした。
水温む机の脚を組み上げて 中西亮太
机とは、ものを書くためのものです。脚を組み立てるとは、そのための環境を整えることです。春になると水に棲む生きものは活発に動きまわります。それと同じように、にんげんも、春になると、ものを書きたくなり机の脚を組み上げていくのかも知れません。
卒業の朝はこんなに眩しいか 中西亮太
学生時代の思い出が、こみ上げてくる眩しさなのだと思います。過去の眩しさです。未来の眩しさでは、決してありません。長い人生の一瞬であっても、このような感慨に浸ることのできる朝を迎えることは、幸せであると思います。
春光をも貫いてゐる瑞鳥図 中西亮太
春の風光をも貫いている瑞鳥図です。視覚が視覚を貫いています。瑞鳥とは、めでたいことの起こる前兆とされる鳥のことです。めでたいことは歓迎すべきことです。瑞鳥図とは、陶器等に描かれていることが多いということですが、1000ピースのジクソーパズルもあるとのことです。
永き日や黒鍵白鍵より軽く 中西亮太
ピアノのことはよくわかりません。私の耳は、軽く弾いているか否かなどということを聞き分けることはできません。しかしながら、確かに誰かがピアノを弾いています。もしかしたら、春になり、昼の時間が伸びてきたことに理由があるのだと考えたのかも知れません。
掃く人の椿壊してしまひけり 中西亮太
散り落ちた椿の花にも風情があります。根元に落ちている、そのバランス、落ちていない椿との対比、その美しさのすべてを「掃く」という行為が、台無しにしてしまったということなのです。ただし、誰も間違ったことをしてはいない。そこのところが肝心なのだと思います。
祝祭のあとしづかなる春の村 中西亮太
祝祭のあとは、より静かになるのは、あたりまえのことなのだと思います。要するに「プラスマイナスゼロ」というものです。祝祭は、始まるまでが楽しいのです。始まってしまえば、あっという間に過ぎ去ってしまいます。あとは、始まる前の「楽しさ」の分だけ静寂が訪れるのです。これは、精神のことなのです。祝祭のあとの健全な、春の村のすがたなのだと思います。
雨恋し恋しと落椿腐る 近恵
にんげんは、死に向かって歩いています。落椿も、同じことなのだと思います。ただ、恋しているのですから、そのようなことを忘れてしまっているのかも知れません。恋とは、生の中でのひとときの休息のようなものです。恋しい雨につつまれながら死んでいくのですから、それはそれで幸せであるというということなのかも知れません。
勝てる気の全然しない猫柳 近恵
このようなことは多々あります。運命なのだと諦めるほかに手はありません。そんなときの猫柳はやさしい。何故、こんなにやさしいのかと思うくらいです。誰もが、猫柳に救われて生きているのだと思います。
一面のなずなの花の震えだす 近恵
なずなが風に揺れているのを見て、震えているのだと感じました。それも、震え出したのですから吹きはじめの風景です。一面とありますので、大地が震え出したように感じたのです。なずなとは、どこにでも生えている、ありきたりの草です。別名、ペンペングサ、シャミセングサとも言います。
牛乳を零し春泥おいしそう 近恵
春泥がおいしそうに見えたのは錯覚なのだと思います。錯覚とは、実際とは異なる知覚のことです。この場合は、零れた牛乳が、それを促したのです。ものごとを、見誤り、間違った決断をすることは、にんげんには、いくらでもあることなのです。
木蓮が光って海をひとが来る 近恵
にんげんは、海を渡って来たのだと言っています。何故、この地に来たのかといえば、木蓮が光っていたからなのです。当然、木蓮も海を渡って来たということなのだと思います。
水を掻くかすかな音も桜の夜 近恵
不思議な、不気味な重さを感じました。闇と桜が混じり合い、大地に覆いかぶさってきます。池の水面を、風が掻いたのです。妖しいくらいに満開の桜が、風に散っていきます。
雪柳墓石わずかにずれている 近恵
墓の掃除には、春と秋の彼岸、お盆、年の暮れの、四度行きます。墓石は、ずれています。傾いてもいます。それに気づいたとき、ご先祖様からの苦言でもあるのかなと思いました。思い当たることは数限りなくあります。しかたがないのかな、などと諦めています。山寺ですので、本堂へは、急な石段を登って行くことになります。途中、雪柳の木
がありますが、花が咲くには、まだ、早いようです。
耳の奥まで春塵にまき込まれ 近恵
春塵とは不快なものです。からだじゅうに纏わりつきます。シャワーを浴び、髪を洗い終わることで、やっと落ち着くことができます。耳の奥までまき込まれとは、決して大げさな言い方ではないと思います。
両腕で広げればはためく若布 近恵
両腕で若布を広げると、風に吹かれて、はたはたと音をたてています。何故、若布がはためいたのかといえば、にんげんが、余計なことをしたからなのです。にんげんは、余計なことが好きなのだと思います。
ぬけがらの何処かで燃えている野焼 近恵
野焼きとは、農地をならすため、あるいは、生態系の管理のために行うものです。その炎を目の前にして、燃えているのは草木ばかりではなく、うつろである精神も、燃えていると感じたのです。物質だけではなく精神も燃えていることに気づいたのだと思います。
雪下ろす黄色の屋根は我が家のみ 須藤光
雪を下ろす作業のなかで、足元の屋根の色が黄色であるとしたことは、無意識のなかで自分だけが特別であるということを暗示したいということなのかも知れません。
自分だけは特別であるという感情は、年を経るにしたがい、だんだん、薄れていくものですが、若いうちは大事なことなのかも知れません。
食堂の人席空けし寒さかな 須藤光
食堂の人ですから、白い三角巾と割烹着のご婦人を想像します。懐かしさを感じたりもします。漠然とした寂しさも感じたりします。それが何であるのかを一言ではあらわせませんが、コロナ過であること、「席開けし寒さかな」としたことから、そのように感じたのかも知れません。
線香の黒く光るや寒戻り 須藤光
黒く光る線香ですので高級であることをイメージします。高級な線香は、なかなか火が点きません。花屋で仏花といっしょに買う線香は、みどり色で火が点きやすく、廉価なので申し分がありません。そんなことを言えば、ご先祖様に叱られるかも知れません。暖かくなったり、寒くなったりするのは、季節ばかりではありません。生きることも、同じようなことの繰り返しなのだと思います。
夕燕雑木林に鳴るラジオ 須藤光
にんげんの入り込んでいる山は落ち着きます。反対に、にんげんの気配のない山からは不気味さを感じます。手入れの行き届いた畑や田は、のどかさを感じます。反対に、耕作を放棄した畑や田からは、景観を損なっているような気がします。
にんげんについての批判をよくします。にんげんとのかかわりあいのない自然から、不快感、恐怖感を覚えたりもします。自分勝手なものなど、つくづく思っています。
雑木林からラジオが流れています。どこかの誰かが、何かの作業をしているのです。燕は、軒先に巣をつくります。にんげんとは、近しい鳥なのだと思います。
シャツターの重量挙げや燕来る 須藤光
農機具を入れておく倉庫、あるいは、農作業するための小屋なのかも知れません。このシャツターは自動ではなく手動のものなのです。シャツターを開けるための所作が、重量挙げのようだったということなのだと思います。燕の来る頃と、農作業をはじまる頃が同じであったということなのだと思います。
日当たりは良いが廃屋燕来る 須藤光
とかく廃屋は、日当たりが良いものなのです。燕は、春になると南方から渡って来ます。それに引き換えにんげんは、死んでしまえば、子さえ寄り付かなくなります。何もかもが壊れていくだけなのです。高齢者社会と過疎の集落を象徴しているのかも知れません。
ただ一重一重に漆里燕 須藤光
里燕が低く飛んでいる容姿と漆を塗っているイメージが重なりました。もしかしたら、「ただ一重一重に」とは、里燕のことなのかも知れません。里燕が漆を塗っているすがたなのかも知れません。漆で塗られたものといえば、箸、椀、重箱、菓子器、弁当箱などがあげられます。漆や漆器のことを、海外では、「ジャパン」とも呼ばれていることにも興味を覚えました。
残雪や仏具映すブラウン管 須藤光
仏具と言えば仏教の儀式に用いられる道具のことで、仏壇、位牌、リン、花立、火立、ロウソク立などがあります。
ブラウン管と言えばテレビを思いうかべますが、現在は、液晶ディスプレイやプラズマディスプレイを使用した薄型テレビが主流になっています。
残雪とは春になっても消えずに残っている雪のことです。
仏具店にはブラウン管のテレビが置いてあります。そこには、広告のため仏具が映し出されているのかも知れません。遠くの山肌に残っている雪が輝いています。
米屋には亭主が一人春の雨 須藤光
米屋の店先には、亭主がぽつねんと一人、何をするでもなく、春の雨をながめています。
面白くなければ人生ではありません。現在が楽しくなければ面白い人生ではありません。
面白い人生とは、何もしないことなのだと思います。
午後四時の寂しき微温春の雨 須藤光
一人で過ごすことは危険です。その状況から身を守るために、にんげんは「寂しさ」を感じるのだと、どこかに書いてありました。なるほどと思った記憶があります。微温とは、なまぬるいということですが、なまぬるい雨は、春より夏のような気もします。午後四時の寂しき微温ですと、人生のたそがれですが、「春の雨」とありますので、生き戻ったような気がしました。
第724号 2021年3月7日 ■篠崎央子 猫の貌 10句 ≫読む
第725号 2021年3月14日 ■中西亮太 祝祭 10句 ≫読む
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