【句集を読む】
「究極」に抗うチューリップ
田宮尚樹句集『山櫻』の一句
岡村知昭
黒といふ究極の色チューリップ 田宮尚樹
「究極の色」と書かれてある以上、この一句から浮かび上がる像は、ひたすらな「黒」、徹底的な「黒」、どこまでも広く、どこまでも深い「黒といふ究極」である。しかし、いかなる闇よりも深いのであろう「黒といふ究極の色」とのフレーズに取り合わされるのは、赤いのか白いのか、それともピンクなのかはともかくとして、チューリップである。
この一句におけるチューリップは、「究極の色」として立ち現れる「黒」に対して、その存在感を決して失ってはいない。「黒といふ究極」にあっても、ほのかな輪郭、ほのかな色合いを浮かび上がらせ、「黒といふ究極」に染まってはいない。埋没などしていない。確かに、いまこのときを、チューリップとして咲いている。
もし「黒いチューリップ」が現実に存在するのなら、そのままを描いたと言っても構わないだろう。だが実際、映画や小説のタイトルにはあっても、現実の花としては存在していない。ならば、深夜にチューリップを見た瞬間に抱いた印象を、素直に書き留めた一句、そう読むのが順当なのかもしれない。だが、夜の闇を「黒といふ究極」と言い切るのは、やはり厳しいものがある。どんな夜の闇であっても、明るさはどうしても見え隠れしてしまう(夜の闇に明るさを探してしまうのはヒトのみならず生物の常)。夜空の向こうでは、夜の闇を切り裂こうとするかのように、無数(としか表現できない数の)星々がきらめいているのだ。
こうなると、「黒といふ究極の色」と「チューリップ」の対立は決定的であり、もはや修復は困難、とまで言ってしまいたくなる。上五中七と下五の取り合わせで、ここまで対立軸が鮮明になった一句というのは、そう見当たらない。そして、この対立軸こそが、この一句をぎりぎりで成り立たせている最大の、もっと言えば「究極」の要因なのだ。
「究極」として立ちふさがろうとする「黒」に対して、懸命に、徹底的に抗うチューリップ。自分が立っているこの空間に、いまの世情に広がってやまない「黒といふ究極の色」に、自分自身が染まらないよう、懸命に気持ちを奮い立たせて、立ち向かう。そのための、かすかではあっても、確かな希望として、チューリップは「黒といふ究極の色」を切り裂いて、いまこのときを、咲き誇っている。
田宮尚樹句集『山櫻』2024年4月18日/角川書店