2021-09-26
【句集を読む】堀田季何『人類の午後』雑感 安田中彦
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2020-12-13
【週俳11月の俳句を読む】三者三様 堀田季何
【週俳11月の俳句を読む】
三者三様
堀田季何
空想を繰返せよと枯葉かな 田中目八
連禱の如く冬星座をわたる 同
氷瀑は異なる知性を記しけり 同
一句目、枯葉が次々に落ちる様とそれにかかる時間が空想の繰り返しというイメージと重なる。二句目、こちらは直喩で、冬星座を次々と渡る行為と次々に祈る(連禱)というイメージが重なる。三句目、水晶は優れた記憶装置になるが、作者にとっては、水晶に似ていながらも遥かに大きくて荒々しい氷瀑こそが異なる知性(古代宇宙飛行士や亜神のようなものだと思ってよいかもしれない)の記憶装置なのだ。
白息やよく燃えさうな小屋の中 大塚凱
火事が遠くてなけなしの葉を降らす 同
鯛焼や晴れただけでは見えない島 同
水を轢くまぶしい車輪だが寒い 同
これらの句は、作者が言い方を実に楽しんでいるのがよくわかる。言い方のためにできている句と言っても過言でない。実だとしても、虚と変らない。私はこれらの句を面白く読むが、十年後には作者自身がこういう狙いの見えた言い回しに飽きているのではないだろうか。
冬しんしん隣は何味のシーシャ 同
〈秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉〉の本歌取、というかパロディーだろう。シ音の繰り返しも技だが、「しんしん」には、寒さが身に沁みとおるという意味の「深深」(芭蕉の句の「深」を意識しているか)と興味「津々」が掛けられているようで、こちらも技。さらに、その興味津々で強引な感じが、上五の字余りと中七から下五にかけての句跨りになっていて、内容と句のリズムが合っているのではないか、とも思ったが、作者はこの辺も狙ったか。
襖開けまた手をかえて襖閉め 鈴木春菜
冬の灯を消して冬の灯のほうへ 同
月一度の茶会を詠んだ連作だろうか。淡い恋の匂いもする。ささやかなモノを繊細に写生することで、静謐な時間を表現している。一連には、一句では屹立しない句もあったが、連作ならではの味だと思う。リフレインが効いている上の二句は、そのまま読んだだけでは茶事の情景であることが全くわからないが、不思議にも、これらはこれらで屹立すると思う。非常に単純化されているがゆえ、読者の想像をかき立てるのだ。
■田中目八 青へ、或は岸辺から 10句 ≫読む
■大塚凱 或る 10句 ≫読む
■鈴木春菜 月一度 10句 ≫読む
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2020-08-02
10句作品 堀田季何 生えてゐる
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堀田季何 生えてゐる
牛乳に苺潰せり旭日旗
青梅雨や皆愚かなる脳を載せ
ヨーグルトに蠅溺死する未来都市
吾よりも高きに蠅や五六億七千万年(ころな)後も
淫楽となるまで蠅の逃ぐる音
法案可決蠅追つてゐるあひだ
息吸ふに全身捩る棄民われ
ぐらぐらになつた詩人が生えてゐる
向日葵や人撃つときは後ろから
右手過去左手未来熱帯夜
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〔今週号の表紙〕第693号 詩 堀田季何
堀田季何
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2020-06-21
〔今週号の表紙〕第687号 リワ砂漠 堀田季何
堀田季何
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2018-08-05
10句作品 堀田季何 ニンゲンけダモノ
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塀一面弾痕血痕灼けてをり
裏切の水鉄砲を受けて立つ
箱庭の小屋に潜伏切支丹
蚊より人殺すのはヒト火を熾す
さまざまな星に生まれて昼寝覚
葛水のいづれ炭水化物われ
のびのびと手首の創をなめくぢり
手を叩く音聞けば手を叩く夏
ひとりでに地雷爆ぜたる夜の秋
自宅警備員駆けだす稲妻へ
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2015-05-31
【澤田和弥さん追悼】わたしの澤田くん 堀田季何
澤田和弥さん追悼
わたしの澤田くん
堀田季何
澤田和弥くんについて追悼文を書けという。
通夜や葬儀でのスピーチやお悔やみ状で使われる、きちんとした類の文章はわたしには書けない。元々駄文しか書けないし、散文が大の苦手だからである(正式な追悼文では「元々」というような重ね言葉は禁句であるらしい)。そのせいもあって原稿もよく落としてしまい、数少ない信用もついでに落としているわたし。
それでもわたしに何でお鉢が回ってきたかと云えば、彼と友だちだったからである。そう、友だちだった。間違いない。天国にいる彼もこの関係性の定義は肯定してくれるだろう。
でも、友だちなんだから何か書かなくちゃ、と思っていても、澤田くんには私よりももっと親しい友だちがたくさんいるし、わたしが面識のない読者も沢山いる「週刊俳句」で澤田くんとのエピソードを大親友面して開陳してもイタいことになってしまうし、半永久的に電脳空間に残る追悼のメッセージなんて到底書けやしないし、そもそも何を書けばいいのかわからない、とずっと思っていて先週は見送った。
その後、松本てふこさん、金子敦さん、上田信治さんの文章を読んで、変な言い方だが、少し気が楽になった。今週は、漠然とながらも、何か書いてみたい、何か書かねばと思った。
彼と何々をした思い出とか私よりも若かった彼を失って自分がいかに取り乱しているかとか、そういったことは不特定多数の読者のまえで語りたくないし、澤田くんも喜ぶとは思えないので、、とりあえず、わたしが俳句関係で澤田くんについて思っていることを断片的に語りたい。
[句材の好み]
句材の好みは、間違いなく似ていた。
二人とも社会や歴史を詠むのが好きだったが、更に好きだったのはタナトスとエロスに関する句材である。彼のこういった嗜好は、句集名『革命前夜』や第1回新鋭評論賞準賞に輝いた『寺山修司「五月の鷹」考補遺』というテーマからもわかるだろう。少女を扱った絵画史についても造詣が深く、「美少女の美術史」展に私が行きたいと云ったら、すでに一回観ていたはずの彼はついてきてくれて、怖ろしいまでの博覧強記ぶりを披露してくれ、わたしを大いに喜ばせてくれた。
そんな感じで、お互い嗜好が合う者同士、お互い同じ句材を扱った句をシンクロニティのごとく作っていた。私が歴史ネタで王の処刑を詠みこんだ句を本郷句会に出すと、有馬先生は(よく欠席投句してくれていた)澤田くんの句としばしば間違えた。澤田くんは同人誌「のいず」に多くのバレ句、社会性のある句、死に関する俳句を出していたが、わたしもそれらの句にある語彙のほとんどで句を作ったことがあったので、お互いそれを知って、二人して驚いたことがある。
いずれにせよ、彼は「のいず」に出した句が「卑猥」「露悪的」と一部の読者から言われていることを少し気にしていたが、その媒体では自由に句を出せることを喜んでいた(一般結社誌では内容的に無理だっただろう)。
彼のメールから二か所引用してみたい。
「そうなんですよ! エロスとタナトスなんですよ!」
「私が詠んでいるものは、そんな高尚なもの(筆者註:エロスとタナトス)ではなく、『エロ』と『死』という、もっと猥雑で露悪的なものかもしれません。私の句を『嫌がらせ』と捉える方もいますし、忌避される方もいます」
両方とも彼らしい文章だ。後者は彼らしい他人への心遣いの現れ。前者こそが本音だろう。彼は、遠慮するタイプの人間であったが、俳句だけでは、他人の意見やトレンドといったものに迎合することはなかった。「エロ」や「死」に接近することを躊躇しなかった(ただ、実生活でも「死」に接近しすぎていて、それが死因になってしまった感がある)。
[俳人として]
正直言えば、天才でなく秀才だった。それも、とびっきしの秀才で努力家で勉強家。作句にそつが無いタイプでなく、当たって砕けろタイプ。天がほほ笑んでくれるタイプではなく、天を無理矢理笑わせるタイプ。しかも、俳句の上では、他者に迎合せずに失敗を怖れない剛の者。
そういう澤田くんの代表句がどの句になるかは、歴史が決めることなので定かではないが、そういった句について他人が意識し始める前に逝ってしまった。実験や観念による失敗を怖れなかったので、残された作品は概ね玉石混淆だと思う。でも、その中には確かに珠玉つまり秀句が色々とあるので、彼の代表句が取りざたされるのは時間の問題かもしれない。
彼は同世代(二、三十代)の俳人の中でも豊かな実力があった。ただし、万人の認めるところ、彼は神童としてすでに俳句史に大きな遺産を置いていったわけではなく、俳人としては大成する前であった。そのかわり、彼の故郷浜松の英雄である家康並みの大器晩成型。大きな器と素質があり、大物の片鱗があった。句会では小粒の伝統的写生詠で高得点句を狙うよりも豪快な観念詠を出して撃沈することを喜ぶようなところもあり、数十年以内に大俳人になった可能性は、わたしの主観を抜きにしても、極めて高いと思う。
わたしは「豈」57号に寄稿した文章「リアルでホットであること」にて、澤田くんが五十歳以下の俳人で現代における戦争や政治を詠める数少ない一人、数人のうちの一人であることを指摘した。そう、そういう素材を積極的に詠んでいる若手を数えてみたら数人しかいないのだ。澤田くんとあと数人。
数十年後になったら、日本語俳句における社会詠、戦争詠、政治詠はわれわれの世代の誰が担っているのだろうか。そのときは誰がまだ生きていて、俳句という短い形式に深い認識を込めつづけているのだろうか。今の俳壇もすでに穏健な日常詠が支配するぬるま湯の世界といった感があるが、澤田くんが離脱してしまった以上、将来はまさに冷めた湯のごときかな。わたし自身、自分がよぼよぼになっている数十年後の俳壇など想像もできないが、澤田くんを失ったことで未来の俳壇がつまらなくなってしまったことは間違いない。
[評論家として]
俳論も開花する寸前だった感がある。
彼は同世代の中では元々(あ、同じ重ね言葉をまたもや使ってしまった!)文章が巧かった。わたしとは雲泥の差。「天為」20周年記念作品コンクールの随想部門で第一席を、俳人協会のコンテストでも第1回新鋭評論賞準賞を獲っているし、太宰治の『女生徒』が大好きなわたしのために、そして「美少女の美術史」展で塚原重義監督による『女生徒』のアニメを一緒に観た記念に、「女生徒」風の文章をフェイスブックに載せてくれたこともあった。
俳論は、愛する寺山修司論や俳句仲間たちの句集評が主だったが、「『ミヤコ ホテル』を読む」
、 「胡散臭い日本の私」といった面白い文章も「週刊俳句」に遺している。ありきたりのコメントだが、もっと読みたかった、それに尽きる。
[句友として]
いきなり死にやがって、ばかやろー
あやまってもゆるさんぞ
今回ばかりは、福助のようにおじぎしてもゆるさんぞ
おまえさんが死にたくなかったのはよくわかる
おまえさんは死が好きだったけど、死を本当におそれていた
もっともっと生きたかった、もっともっと生きていたかった、ぜんぜん死にたくなかった
でも、死がおまえさんのことを好きだったんだ。死がこっそりおまえさんにすり寄ってきて、キスして、放さなかったんだ
死みてえなやつと何でキスしてしまったんだ、こんちきしょー
あいつは巨乳でもないし、そもそもあいつはいつも浮気していてひとの命を盗んでく
洒落のようだけど、死じゃなくて詩なら良かったのに
おまえさんはいい人間でいろんな輩から好かれていた。おまえさんが思っていた以上に
みんなみんな、おまえさんのことが好きだった。おまえさんが思っていた以上に
ああ、おまえさんも死んでみて気付いただろう
自分の人気ぶりに、自分のばかぶりに、自分の他人行儀ぶりに
おまえさんは死を恐れていればよかったのに、人ばかり恐れていた
でも、みんなみんな、おまえさんには帰ってきてほしいと思ってる
とはいっても、いま帰ってくるなよ
そして誰も連れて行くなよ
どうせいつの日かみんなそこに行って句会をするんだ
そしたらゆるしてやるよ
ほんとにばかやろー、だ
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2013-10-13
【週俳9月の俳句を読む】 うす紅の秋桜が秋の日の 堀田季何
【週俳9月の俳句を読む】
うす紅の秋桜が秋の日の
堀田季何
愚かなるテレビの光梅雨の家 高柳克弘
「愚かなる」が効いている。「愚か」といってもテレビを見ている人間の思考でも、テレビ番組の内容でもなく、テレビの光という物理現象であり、そこが好い。
めだかああママなんて言う人はきらいです 内田遼乃
めだか私の愛は電話帳より重たいの
1996年生まれの高校生。(句を見た限り)前途有望である。型の勉強もするべきだが、変な型にハマらずに自由にハイクを書いているのが良い。俳句甲子園の東京予選に出したという「めだか、三号機の代わりなんていないの」も面白い。
自由律俳句作者といえば、一般的には五七五よりも短いものを書く人が多いが、河東碧梧桐や橋本夢道など、内田のように長いものを書きたがる人も存在する。それ自体に問題はない(むしろ大歓迎である)。
ただ、いくつかの作品は明らかに長すぎる……文字数や音数の問題ではなく、省略が効いていなくて弛緩してしまい、切れやキーワードが不発になっている。つまり、無駄に長いという事だ。三十音前後使っても立派に俳句になる作品もあれば、短歌にしかならない作品もある。「世の中の関節外れてしまったというか折れたんでしょめだかさん」「きみのわんこちゃんになりたいよわんわんとめだかがいったの」「はつなつの夜ケチャップに染まった君が美しくて僕はもどしてしまったの」「ばっきゅーんうちぬかれたハートはもうはつなつのチョークのよう」「陸でしか生きられない人間って悲しいってめだかが言ったの」「私を月につれてってなんてはつなつのぬるい海で我慢してね」などは自由律短歌としか呼べない。最後の句は、九堂夜想の改作例「私を月につれてってなんてはつなつのぬるい海」で充分。
俳句を始めたばかりの高校生には要求しすぎかもしれないが、今が大事。「内容に丁度良い長さ=切れ、表現、リズム、キーワードが活きる長さ」を把握することこそが自由律俳句の骨法。作者の将来が楽しみである。
地響きのして秋麗の鼓笛隊 村田篠
秋晴の中を行進していく幼い少女達の鼓笛隊が麗しく感じられるのはよくわかるが、「秋麗」という語彙は多少抽象的かつ綺麗すぎる気がする。それに対し、「地響き」という物理現象が持つ負のイメージが面白い。三崎亜記の小説「鼓笛隊の襲来」を思い出す。
溢蚊をそつとはらひて告白す 今泉礼奈
一読驚愕。蚊アレルギーである評者なら、「そつとはらひて告白」するどころか、いかなる形でも告白せずに、相手を置いてさっさとその場から逃げだすか、溢蚊の抹殺に乗り出すであろう。つまり、評者にとってはリアリティーが感じられない句であるが、作者にとってはリアリティーがあるのかもしれない。恋の情熱が蚊の恐怖に打ち勝つ情景、と解釈しても間違ってはいないだろうが、真冬でも水着姿で屋外撮影に応じるアイドルのような状況、と解釈した方がより正しいかもしれない。さすが「みんなの俳ドル・れなりん」!
お母いたか塩摑もぅと故郷想う 仁平勝
新富座若き女形紅一点
全部解けたが、上の二句が一番楽しめた。前者、「岡井隆」と「塚本邦雄」をよく一句に収めたなという感じ。後者、どこかフェミニンな「富澤赤黄男」の風貌から彼の女装姿を連想してしまった。
肉塊入スープ澄みゆく秋は金 北川美美
スープ自体も美しい金色をしているのであろうが、そう言わずに「秋は金」と秋の描写にしたところが技。「金秋」(秋の異名)はなかなか使われない季語なので、読者としては得した気分。「スープ澄みゆく秋は金」の美に対して、「肉塊入」の醜を持ってきたところも好い。
第332号 2013年9月1日
■髙柳克弘 ミント 10句 ≫読む
第333号 2013年9月8日
■佐々木貴子 モザイク mosaic 10句 ≫読む
■内田遼乃 前髪パッツン症候群 10句 ≫読む
第334号2013年9月15日
■村田 篠 草の絮 10句 ≫読む
第335号2013年9月22日
■小早川忠義 客のゐぬ間に 10句 ≫読む
■今泉礼奈 くるぶし 10句 ≫読む
■仁平 勝 二人姓名詠込之句 8句 ≫読む
第336号2013年9月29日
■北川美美 さびしい幽霊 10句 ≫読む
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2011-07-24
リアルに感じられないことのリアルさ2 松尾清隆
リアルに感じられないことのリアルさ 2
堀田季何氏の戦争詠について
松尾清隆
本誌210号に寄稿させていただいた「リアルに感じられないことのリアルさ」という文章についての補足です。佐藤成之氏の一句について書いたものですが、その中でふれた堀田季何氏の第3回芝不器男俳句新人賞への応募作について。
最近になって選考結果と最終選考会の議事録が愛媛県文化振興財団のサイトにアップされているの気づいたので、堀田氏の作品についての各選考委員のコメントから関連する部分を抜き出してみました。
大石「戦争詠っていうんでしょうかねえ、戦争に対して今の若者がどういう風に考えているかっていうことが見えてきて、これも印象深い作品でした」
城戸「ウランという核兵器を作るための原料とウンコが出会うっていうところも、この日常と日常を破壊するものの出会いという点で、非常に新しい俳句の魅力を湛えているんじゃないかと思います」
大石「坪内さんが戦争っていうものを体験として詠うのではなく、頭として理解している、知識として理解している、そういう戦争の世界ではないかとおっしゃって、(中略)もうひとつなんか押してくるものがないなあと思ってたんですけれど、それはやっぱり知識としての戦争が詠まれているせいかと大いに納得しました」
齋藤「向こうに敵がいるからその敵に突っ込めっていう、そういうはっきり敵ってものが分かってればいいけども今は違うわけよね。ものすごいデータを駆使して、いろんな電卓を叩いたりコンピュータを叩いたうえに出てくる、にじみ出てくるのが敵っていうか戦争の正体なんですよね」
城戸「イメージとしての戦争に触れざるを得ない現代人としての宿命みたいなものが、やはり評価すべきじゃないかと思います」
齋藤「日常のある行為とか、ある何かを選択する、そのことで実は我々はもう戦争に加担しているんだということがね、全体から感じられるってことなんですよ」
※敬称略 ※作品については転載の許可が必要なので、直接同賞のサイトをご覧下さい。(→こちら)
210号に「齋藤愼爾氏を除く四名の選考委員が積極的に評価しなかった」と書きましたが、上記のコメントをみてわかるように、大石悦子氏、城戸朱理氏からも一定の評価は得られています。私が「残念に思った」のは、最後の一篇に推したのが齋藤氏のみであったということ。対馬康子氏からは「この作者が今、20代、30代を代表する作者となるという決意ですか、選ぶ決意がちょっと私にはまだ、どう納得させようかなと思ってるところなんです」という発言がありましたが、私個人としては、同世代として「戦争に対して今の若者がどういう風に考えているか」を代弁してくれているように感じたのでなおさら残念に思ったという次第です。
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