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2021-09-26

【句集を読む】堀田季何『人類の午後』雑感 安田中彦

【句集を読む】
堀田季何『人類の午後』雑感

安田中彦


堀田季何氏の詩歌集『星貌』『人類の午後』が邑書林から2冊同時刊行された。『星貌』は一行詩って感じ。『人類の午後』は通常の定型句。後者を読んで、頭にふわって浮かんだ事を2つ。

1点目。俳句の社会性って事。いや、逆だな。社会性のある俳句。俳句に社会性があるかどうかは知らない。この句集には直接的/間接的に社会性のある句が含まれている。突然私的な事を書くけど、むかしむか~し、私は鈴木六林男が代表を務めていた「花曜」の会員だった。ここで関悦史氏の言葉を引用。「鈴木六林男当人はともかく、その門下には、既成概念のなかで社会批評性とほの暗い詩性を発揮するため、新鮮味が乏しくなることが少なくない」(沖縄タイムス・2017年12月25日)。う~ん、厳しい指摘だ。でも今回この指摘の当否は本題ではないので置いておく。社会性のある俳句が暗く、重くなりがちだというのは一般論としてとりあえず認めよう。えっ、社会性と社会批評性は違うんじゃないかって? そこを筆者(安田)はあえて一緒に取り扱おうとしてるんじゃないか? そう気づいた方はリテラシー能力が高い。もちろん、その2つは別物だ。分けて考えよう。で、堀田氏の句だが、社会性ではなく社会批評性に重心があるのは誰の目にも明らかだ。しかし、それらは「ほの暗く」灯ってはいない。ナチスによるユダヤ人虐殺や昨今のテロなど、テーマは重い。正字表記なのが尚更重い。最初の〈水晶の夜映写機は砕けたか〉を見て私は思わず身構えてしまった。椅子に座り直した。しかしこの章の最後は〈自爆せし直前仔猫撫でてゐし〉。表現内容はキツいが発想は柔らかい。なるほど、「既成概念」の中に無い斬新な切り口で社会批評性を発揮しようと作者は試みているのだと気づいた次第。「ほの暗く」灯ってないと今さっき書いたけど、句の印象はむしろ明るい。無論だけど内容が明るいわけじゃない。作者のきわめて独自性の高い観点とレトリックによって提示されているので、むしろ読み手の俳句観/世界観の軛を開放してくれる、そういう明るさだ。さらに、それらは気負いなく、自然な形で着地しているように見える。こういう句が多くの俳人の心に刺さればいいなあ。俳人という人々は社会的認識において「鷹揚」または「長閑」な方が多いというのが私の印象なので、どこまで刺さるかは不明だけど。で、おいおい、それは筆者の偏見じゃないのか、とここでツッコミが入りますね、きっと。私の意見に首を捻られた方は今年の角川「俳句」3月号をご覧ください。有馬朗人氏の追悼特集。それがとりあえずの例証です。

2点目。個々の俳句の鑑賞は読み手各々にしていただくとして、『人類の午後』は句集として面白い。一つのパッケージされたものとして面白い。それを説明するのにこんな例えはどうだろう。むかしむか~しの人間はレコードをアルバムとして楽しみ、評価した。一曲一曲とは別に、アルバム全体の構成はどうか、それにアーティストも腐心したし、聞き手もそれを評価基準の一つとした、と言えば、むかしむか~しの人間なら多分理解してくれるだろう。跋によれば、前奏は「現代の日本人が非日常且つ無縁だと錯覚してゐる事象」を、後奏では「日常且つその平凡な延長線だと認識されてゐる事象」を詠んでいるとされている。前者を非日常詠、後者を日常詠と呼んでおこう。日常詠の後奏に、作者の地の(あるいは地と思われる)部分が顔を出している。観念派・言葉派・机上派の俳人は、自分をカモフラージュしたり、逆に演出したりする。作者はⅠ・Ⅱ・Ⅲ章の中でかなりそれを徹底して行っている。それでもやはりと言うか当然と言うか、作者の「人格・思考・価値観」はあらわれる。また、作者を俳人として育んだと推察される「澤」的な表現の句も句集全体を通して散見される。これもまさに作者の地の部分。……前置きとも何とも言えないものを長々と書いているのに気がついた。結論へ行こう。それは、この句集を句集として面白くしているのは、後奏の存在が大きいという事。レコードの話に戻るけれど、アルバムを締め括るラストの曲はとても重要だった。それとおんなじ役割を後奏が担っている。ここで作者は自分の地の部分、例えるなら背中の部分を晒している。人は多面的な存在だ。歴史的な民族大虐殺を知って戦慄し憤るのが私(いわば正面の部分)なら、カップの熱燗を持ってほろ酔いでふらつき歩いているのも同じ私(いわば背中の部分)だ。その多面性が統合されたものとして個人がある。作者が正字を用いている意図は作者自身に訊かなきゃわからないが、作者が提出している様々な側面がバラけぬように綴じ合わせる働きをしているように私には見える。あくまで私の印象だけど。後奏の話に戻ると、もし後奏が無かったなら本句集はその分だけ(実際は多分その分以上に)平板なものになったと思う。作者の正面の部分(前奏)に始まってぐるりと背中の部分(後奏)に回る、その方法によって、現代を生きる個としての作者の姿が立体的に起き上がって来るのを私は感じた。だから、一読した後で、私は頭の中でこう呟いていた、「これって(文芸じゃなくて)文学じゃない!?」と。


堀田季何第四詩歌集『人類の午後』2021年8月/邑書林

2020-12-13

【週俳11月の俳句を読む】三者三様 堀田季何

【週俳11月の俳句を読む】

三者三様


堀田季何



空想を繰返せよと枯葉かな  田中目八


連禱の如く冬星座をわたる  同


氷瀑は異なる知性を記しけり  同


一句目、枯葉が次々に落ちる様とそれにかかる時間が空想の繰り返しというイメージと重なる。二句目、こちらは直喩で、冬星座を次々と渡る行為と次々に祈る(連)というイメージが重なる。三句目、水晶は優れた記憶装置になるが、作者にとっては、水晶に似ていながらも遥かに大きくて荒々しい氷瀑こそが異なる知性(古代宇宙飛行士や亜神のようなものだと思ってよいかもしれない)の記憶装置なのだ。



白息やよく燃えさうな小屋の中  大塚凱


火事が遠くてなけなしの葉を降らす  同


鯛焼や晴れただけでは見えない島  同


水を轢くまぶしい車輪だが寒い  同


これらの句は、作者が言い方を実に楽しんでいるのがよくわかる。言い方のためにできている句と言っても過言でない。実だとしても、虚と変らない。私はこれらの句を面白く読むが、十年後には作者自身がこういう狙いの見えた言い回しに飽きているのではないだろうか。


冬しんしん隣は何味のシーシャ  同


〈秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉〉の本歌取、というかパロディーだろう。シ音の繰り返しも技だが、「しんしん」には、寒さが身に沁みとおるという意味の「深深」(芭蕉の句の「深」を意識しているか)と興味「津々」が掛けられているようで、こちらも技。さらに、その興味津々で強引な感じが、上五の字余りと中七から下五にかけての句跨りになっていて、内容と句のリズムが合っているのではないか、とも思ったが、作者はこの辺も狙ったか。



襖開けまた手をかえて襖閉め  鈴木春菜


冬の灯を消して冬の灯のほうへ  同


月一度の茶会を詠んだ連作だろうか。淡い恋の匂いもする。ささやかなモノを繊細に写生することで、静謐な時間を表現している。一連には、一句では屹立しない句もあったが、連作ならではの味だと思う。リフレインが効いている上の二句は、そのまま読んだだけでは茶事の情景であることが全くわからないが、不思議にも、これらはこれらで屹立すると思う。非常に単純化されているがゆえ、読者の想像をかき立てるのだ。



708号 20201115

田中目八 青へ、或は岸辺から 10 読む

大塚凱 或る 10 読む

鈴木春菜 月一度 10 読む

2020-08-02

10句作品 堀田季何 生えてゐる

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堀田季何 生えてゐる

牛乳に苺潰せり旭日旗

青梅雨や皆愚かなる脳を載せ

ヨーグルトに蠅溺死する未来都市

吾よりも高きに蠅や五六億七千万年(ころな)後も

淫楽となるまで蠅の逃ぐる音

法案可決蠅追つてゐるあひだ

息吸ふに全身捩る棄民われ

ぐらぐらになつた詩人が生えてゐる

向日葵や人撃つときは後ろから

右手過去左手未来熱帯夜

〔今週号の表紙〕第693号 詩 堀田季何

〔今週号の表紙〕第693号 

堀田季何




アラビア文字は右から左に読む。表紙の写真に書かれているのは「詩」(الشعر)。「髪」という意味もある。図書館の棚に表示されていた。アラブ首長国連邦(UAE)では、多くの図書館では、文芸のセクションは詩だけが独立していて、小説など残りの文芸は他のセクションで一緒くたに並べられている。それだけ詩の扱いが別格なのだ。

アラビア語は、日本語と同じく、文語(フスハー。正則アラビア語)と口語(アーンミーヤ)があり、それぞれに定型詩も自由詩もある。もっとも格調高いとされているのは、フスハーの定型詩で、非常に長い歴史がある。アラブの知識人や支配階級は、フスハーの定型詩を読み、そして、彼らのうち、志のある人間は書く。ドバイの首長も皇太子もフスハーの定型詩を書く。基本的に、アラブの知識人は歴史、文語、定型、詩を重んじるのだ……と書けば、一部の読者はわかるかもしれないが、私が俳句について説明をすると、「食いつき」がとてもいい。「haiku」と「Basho」を知っている人は多いし、遠く東の彼方にある日本という国のイメージと重なるらしい。さらに、短歌について説明し、千何百年の歴史、宮廷での歌のやり取り、現代でも天皇から庶民まで書くこと等を伝えると、心から尊敬される。そして、日本では多くの国民が俳句や短歌を書いていると知ると、日本がテクノロジーやアニメだけでなく、文化のレベルも高い国だとはじめて認知してくれる(※基本的に、彼らは、太古の時代から中東に住み、その時代の言語の直系に連なるアラビア語を話し、唯一の神であるアラーを正しく信仰している自分たちが歴史も文化も世界で一番だと思っているふしがある)。

また、同地域の住民はベドウィン(アラブの遊牧民族)の末裔がほとんどであるが、戦に出陣するときも、オアシスで日常生活を送るときも、詩を大声で朗詠もとい歌唱する伝統がある。ドバイは海に面していて、御木本幸吉が養殖に成功するまで天然の真珠採りも盛んだったが、漁師たちは真珠の在処を歌にすることで口承していた。部族間で、どちらの方が優れた詩人がいるかを競う風習もあった。それぞれの部族が詩人を出して(ときには即興で)歌わせ、それぞれの部族の人間たちが一緒に歌ったり、剣で舞ったりして応援するという具合である。

そういう土地柄、詩の扱いだけでなく、詩人の扱いも別格である。優れた詩人はスター扱いである。テレビで行われる詩のバトルで優勝すると数千万円相当の賞金が出ることもある。さらに、そういった番組でデビューすると、歌謡曲の作詞の依頼が殺到し、人気曲に恵まれれば、巨額な印税収入を得られる。しかも、詩人たちが自作の詩(詞)を朗詠したり歌ったりするイベントも多く(当然、人気曲に使われた歌詞も含まれる)、一晩の出演料は数百万円相当になる場合もある。詩人(俳人、歌人等を含む)と作詞家がもはや別の生業になってしまった日本では有り得ないことであるし、それ以前に、現代の日本において、詩で食べてゆくのは至難である。羨ましいとしか言いようがない。

その上、ドバイには「詩の家」という、詩人たちのために作られた専用施設も存在する(下写真)。執筆スペース、図書室、自作の詩を録音するための機材と録音部屋、自分たちが交流するための団欒室・カフェ等がある。詩人以外の文芸家用の施設はなく、この事からも、詩人がどれほど大切にされ、どれほど愛されているかわかるに違いない。

日本は真似しろとは言わないが、政府による詩歌の粗末な扱いやメディアが小説家を持ち上げる傾向を考えると、遣る瀬ない気氛になってくる。




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2020-06-21

〔今週号の表紙〕第687号 リワ砂漠 堀田季何

〔今週号の表紙〕第687号 リワ砂漠

堀田季何


アラブ首長国連邦アブダビ首長国内陸、サウジアラビア国境附近にリワ砂漠がある。オアシスが点在していて、昔からベドウィン(遊牧民。同国国民は全員ベドウィンもしくはベドウィンの子孫)が一瘤駱駝を飼育したり、国民的な食物であるデーツ(棗椰子)を栽培したりしている。アブダビやドバイの首長一族も祖先はベドウィンであって、同地にも住んでいたことがあるとされている。ただし、多くの人にとって魅力的なのは砂漠そのものである。

ドバイ近郊の砂漠は、砂が粗めで白く、距離的に観光客が多く、高圧電線もたくさん通っているのに対し、リワ砂漠は、砂がきめ細かくて赤く、距離的に観光客は少なく、高速道路以外は美しい自然の景観が維持されている。高速道路を下りて、砂丘の方に向えば、自分と砂と風と太陽しかない静謐な時間が保証される。写真のように、砂丘には見事な縦縞の砂紋が風によって形成されていて(歩いて登ることもできる)、それだけでも来た甲斐があるが、日没もまるで〈大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がのこすむらさき 春日井建〉のようで、実に感動的である。

津田清子はナミブ砂漠で多くの無季句をなし、それらを『無方』という句集に収めたが、リワ砂漠とリワ・オアシスもまた俳句を作るのに恰好の場所で、私も都合20句くらいを無季及び超季で作って『亞剌比亞』というベタな名前の句集に収めた。アラブ首長国連邦の出版社から、日本語の句に私自身の英訳と現地人の(英訳からの)アラビア語訳を附けた対訳版として出た。アラビア語訳は宗教検閲の対象になったが、訳者の機転で二句だけアレンジして何とか合格。いつか大幅に加筆修正して、日本でも正式に出版したい。あ、その前に、第二句集を出さねば。



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2018-08-05

10句作品 堀田季何 ニンゲンけダモノ

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堀田季何 ニンゲンけダモノ

塀一面弾痕血痕灼けてをり

裏切の水鉄砲を受けて立つ

箱庭の小屋に潜伏切支丹

蚊より人殺すのはヒト火を熾す

さまざまな星に生まれて昼寝覚

葛水のいづれ炭水化物われ

のびのびと手首の創をなめくぢり

手を叩く音聞けば手を叩く夏

ひとりでに地雷爆ぜたる夜の秋

自宅警備員駆けだす稲妻へ


2015-05-31

【澤田和弥さん追悼】わたしの澤田くん 堀田季何

澤田和弥さん追悼
わたしの澤田くん

堀田季何



澤田和弥くんについて追悼文を書けという。

通夜や葬儀でのスピーチやお悔やみ状で使われる、きちんとした類の文章はわたしには書けない。元々駄文しか書けないし、散文が大の苦手だからである(正式な追悼文では「元々」というような重ね言葉は禁句であるらしい)。そのせいもあって原稿もよく落としてしまい、数少ない信用もついでに落としているわたし。

それでもわたしに何でお鉢が回ってきたかと云えば、彼と友だちだったからである。そう、友だちだった。間違いない。天国にいる彼もこの関係性の定義は肯定してくれるだろう。

でも、友だちなんだから何か書かなくちゃ、と思っていても、澤田くんには私よりももっと親しい友だちがたくさんいるし、わたしが面識のない読者も沢山いる「週刊俳句」で澤田くんとのエピソードを大親友面して開陳してもイタいことになってしまうし、半永久的に電脳空間に残る追悼のメッセージなんて到底書けやしないし、そもそも何を書けばいいのかわからない、とずっと思っていて先週は見送った。

その後、松本てふこさん、金子敦さん、上田信治さんの文章を読んで、変な言い方だが、少し気が楽になった。今週は、漠然とながらも、何か書いてみたい、何か書かねばと思った。

彼と何々をした思い出とか私よりも若かった彼を失って自分がいかに取り乱しているかとか、そういったことは不特定多数の読者のまえで語りたくないし、澤田くんも喜ぶとは思えないので、、とりあえず、わたしが俳句関係で澤田くんについて思っていることを断片的に語りたい。

[句材の好み]

句材の好みは、間違いなく似ていた。

二人とも社会や歴史を詠むのが好きだったが、更に好きだったのはタナトスとエロスに関する句材である。彼のこういった嗜好は、句集名『革命前夜』や第1回新鋭評論賞準賞に輝いた『寺山修司「五月の鷹」考補遺』というテーマからもわかるだろう。少女を扱った絵画史についても造詣が深く、「美少女の美術史」展に私が行きたいと云ったら、すでに一回観ていたはずの彼はついてきてくれて、怖ろしいまでの博覧強記ぶりを披露してくれ、わたしを大いに喜ばせてくれた。

そんな感じで、お互い嗜好が合う者同士、お互い同じ句材を扱った句をシンクロニティのごとく作っていた。私が歴史ネタで王の処刑を詠みこんだ句を本郷句会に出すと、有馬先生は(よく欠席投句してくれていた)澤田くんの句としばしば間違えた。澤田くんは同人誌「のいず」に多くのバレ句、社会性のある句、死に関する俳句を出していたが、わたしもそれらの句にある語彙のほとんどで句を作ったことがあったので、お互いそれを知って、二人して驚いたことがある。

いずれにせよ、彼は「のいず」に出した句が「卑猥」「露悪的」と一部の読者から言われていることを少し気にしていたが、その媒体では自由に句を出せることを喜んでいた(一般結社誌では内容的に無理だっただろう)。

彼のメールから二か所引用してみたい。

「そうなんですよ! エロスとタナトスなんですよ!」

「私が詠んでいるものは、そんな高尚なもの(筆者註:エロスとタナトス)ではなく、『エロ』と『死』という、もっと猥雑で露悪的なものかもしれません。私の句を『嫌がらせ』と捉える方もいますし、忌避される方もいます」

両方とも彼らしい文章だ。後者は彼らしい他人への心遣いの現れ。前者こそが本音だろう。彼は、遠慮するタイプの人間であったが、俳句だけでは、他人の意見やトレンドといったものに迎合することはなかった。「エロ」や「死」に接近することを躊躇しなかった(ただ、実生活でも「死」に接近しすぎていて、それが死因になってしまった感がある)。

[俳人として]

正直言えば、天才でなく秀才だった。それも、とびっきしの秀才で努力家で勉強家。作句にそつが無いタイプでなく、当たって砕けろタイプ。天がほほ笑んでくれるタイプではなく、天を無理矢理笑わせるタイプ。しかも、俳句の上では、他者に迎合せずに失敗を怖れない剛の者。

そういう澤田くんの代表句がどの句になるかは、歴史が決めることなので定かではないが、そういった句について他人が意識し始める前に逝ってしまった。実験や観念による失敗を怖れなかったので、残された作品は概ね玉石混淆だと思う。でも、その中には確かに珠玉つまり秀句が色々とあるので、彼の代表句が取りざたされるのは時間の問題かもしれない。

彼は同世代(二、三十代)の俳人の中でも豊かな実力があった。ただし、万人の認めるところ、彼は神童としてすでに俳句史に大きな遺産を置いていったわけではなく、俳人としては大成する前であった。そのかわり、彼の故郷浜松の英雄である家康並みの大器晩成型。大きな器と素質があり、大物の片鱗があった。句会では小粒の伝統的写生詠で高得点句を狙うよりも豪快な観念詠を出して撃沈することを喜ぶようなところもあり、数十年以内に大俳人になった可能性は、わたしの主観を抜きにしても、極めて高いと思う。

わたしは「豈」57号に寄稿した文章「リアルでホットであること」にて、澤田くんが五十歳以下の俳人で現代における戦争や政治を詠める数少ない一人、数人のうちの一人であることを指摘した。そう、そういう素材を積極的に詠んでいる若手を数えてみたら数人しかいないのだ。澤田くんとあと数人。

数十年後になったら、日本語俳句における社会詠、戦争詠、政治詠はわれわれの世代の誰が担っているのだろうか。そのときは誰がまだ生きていて、俳句という短い形式に深い認識を込めつづけているのだろうか。今の俳壇もすでに穏健な日常詠が支配するぬるま湯の世界といった感があるが、澤田くんが離脱してしまった以上、将来はまさに冷めた湯のごときかな。わたし自身、自分がよぼよぼになっている数十年後の俳壇など想像もできないが、澤田くんを失ったことで未来の俳壇がつまらなくなってしまったことは間違いない。

[評論家として]

俳論も開花する寸前だった感がある。

彼は同世代の中では元々(あ、同じ重ね言葉をまたもや使ってしまった!)文章が巧かった。わたしとは雲泥の差。「天為」20周年記念作品コンクールの随想部門で第一席を、俳人協会のコンテストでも第1回新鋭評論賞準賞を獲っているし、太宰治の『女生徒』が大好きなわたしのために、そして「美少女の美術史」展で塚原重義監督による『女生徒』のアニメを一緒に観た記念に、「女生徒」風の文章をフェイスブックに載せてくれたこともあった。

俳論は、愛する寺山修司論や俳句仲間たちの句集評が主だったが、「『ミヤコ ホテル』を読む」
「胡散臭い日本の私」といった面白い文章も「週刊俳句」に遺している。ありきたりのコメントだが、もっと読みたかった、それに尽きる。

[句友として]

いきなり死にやがって、ばかやろー
あやまってもゆるさんぞ
今回ばかりは、福助のようにおじぎしてもゆるさんぞ
おまえさんが死にたくなかったのはよくわかる
おまえさんは死が好きだったけど、死を本当におそれていた
もっともっと生きたかった、もっともっと生きていたかった、ぜんぜん死にたくなかった
でも、死がおまえさんのことを好きだったんだ。死がこっそりおまえさんにすり寄ってきて、キスして、放さなかったんだ
死みてえなやつと何でキスしてしまったんだ、こんちきしょー
あいつは巨乳でもないし、そもそもあいつはいつも浮気していてひとの命を盗んでく
洒落のようだけど、死じゃなくて詩なら良かったのに 
おまえさんはいい人間でいろんな輩から好かれていた。おまえさんが思っていた以上に
みんなみんな、おまえさんのことが好きだった。おまえさんが思っていた以上に
ああ、おまえさんも死んでみて気付いただろう
自分の人気ぶりに、自分のばかぶりに、自分の他人行儀ぶりに
おまえさんは死を恐れていればよかったのに、人ばかり恐れていた
でも、みんなみんな、おまえさんには帰ってきてほしいと思ってる
とはいっても、いま帰ってくるなよ
そして誰も連れて行くなよ
どうせいつの日かみんなそこに行って句会をするんだ
そしたらゆるしてやるよ
ほんとにばかやろー、だ

2013-10-13

【週俳9月の俳句を読む】 うす紅の秋桜が秋の日の 堀田季何

【週俳9月の俳句を読む】
うす紅の秋桜が秋の日の

堀田季何


愚かなるテレビの光梅雨の家 高柳克弘

「愚かなる」が効いている。「愚か」といってもテレビを見ている人間の思考でも、テレビ番組の内容でもなく、テレビの光という物理現象であり、そこが好い。

めだかああママなんて言う人はきらいです 内田遼乃
めだか私の愛は電話帳より重たいの

1996年生まれの高校生。(句を見た限り)前途有望である。型の勉強もするべきだが、変な型にハマらずに自由にハイクを書いているのが良い。俳句甲子園の東京予選に出したという「めだか、三号機の代わりなんていないの」も面白い。

自由律俳句作者といえば、一般的には五七五よりも短いものを書く人が多いが、河東碧梧桐や橋本夢道など、内田のように長いものを書きたがる人も存在する。それ自体に問題はない(むしろ大歓迎である)。

ただ、いくつかの作品は明らかに長すぎる……文字数や音数の問題ではなく、省略が効いていなくて弛緩してしまい、切れやキーワードが不発になっている。つまり、無駄に長いという事だ。三十音前後使っても立派に俳句になる作品もあれば、短歌にしかならない作品もある。「世の中の関節外れてしまったというか折れたんでしょめだかさん」「きみのわんこちゃんになりたいよわんわんとめだかがいったの」「はつなつの夜ケチャップに染まった君が美しくて僕はもどしてしまったの」「ばっきゅーんうちぬかれたハートはもうはつなつのチョークのよう」「陸でしか生きられない人間って悲しいってめだかが言ったの」「私を月につれてってなんてはつなつのぬるい海で我慢してね」などは自由律短歌としか呼べない。最後の句は、九堂夜想の改作例「私を月につれてってなんてはつなつのぬるい海」で充分。

俳句を始めたばかりの高校生には要求しすぎかもしれないが、今が大事。「内容に丁度良い長さ=切れ、表現、リズム、キーワードが活きる長さ」を把握することこそが自由律俳句の骨法。作者の将来が楽しみである。


地響きのして秋麗の鼓笛隊 村田篠

秋晴の中を行進していく幼い少女達の鼓笛隊が麗しく感じられるのはよくわかるが、「秋麗」という語彙は多少抽象的かつ綺麗すぎる気がする。それに対し、「地響き」という物理現象が持つ負のイメージが面白い。三崎亜記の小説「鼓笛隊の襲来」を思い出す。


溢蚊をそつとはらひて告白す 今泉礼奈

一読驚愕。蚊アレルギーである評者なら、「そつとはらひて告白」するどころか、いかなる形でも告白せずに、相手を置いてさっさとその場から逃げだすか、溢蚊の抹殺に乗り出すであろう。つまり、評者にとってはリアリティーが感じられない句であるが、作者にとってはリアリティーがあるのかもしれない。恋の情熱が蚊の恐怖に打ち勝つ情景、と解釈しても間違ってはいないだろうが、真冬でも水着姿で屋外撮影に応じるアイドルのような状況、と解釈した方がより正しいかもしれない。さすが「みんなの俳ドル・れなりん」!


お母いたか塩摑もぅと故郷想う 仁平勝
新富座若き女形紅一点 

全部解けたが、上の二句が一番楽しめた。前者、「岡井隆」と「塚本邦雄」をよく一句に収めたなという感じ。後者、どこかフェミニンな「富澤赤黄男」の風貌から彼の女装姿を連想してしまった。


肉塊入スープ澄みゆく秋は金 北川美美

スープ自体も美しい金色をしているのであろうが、そう言わずに「秋は金」と秋の描写にしたところが技。「金秋」(秋の異名)はなかなか使われない季語なので、読者としては得した気分。「スープ澄みゆく秋は金」の美に対して、「肉塊入」の醜を持ってきたところも好い。



第332号 2013年9月1日
髙柳克弘 ミント 10句 ≫読む

第333号 2013年9月8日
佐々木貴子 モザイク mosaic 10句 ≫読む
内田遼乃 前髪パッツン症候群 10句 ≫読む

第334号2013年9月15日
村田 篠 草の絮 10句 ≫読む

第335号2013年9月22日
小早川忠義 客のゐぬ間に 10句 ≫読む
今泉礼奈 くるぶし 10句 ≫読む
仁平 勝 二人姓名詠込之句 8句 ≫読む

第336号2013年9月29日
北川美美 さびしい幽霊 10句 ≫読む

2011-07-24

リアルに感じられないことのリアルさ2 松尾清隆

リアルに感じられないことのリアルさ 2
堀田季何氏の戦争詠について

松尾清隆



本誌210号に寄稿させていただいた「リアルに感じられないことのリアルさ」という文章についての補足です。佐藤成之氏の一句について書いたものですが、その中でふれた堀田季何氏の第3回芝不器男俳句新人賞への応募作について。

最近になって選考結果と最終選考会の議事録が愛媛県文化振興財団のサイトにアップされているの気づいたので、堀田氏の作品についての各選考委員のコメントから関連する部分を抜き出してみました。


大石「戦争詠っていうんでしょうかねえ、戦争に対して今の若者がどういう風に考えているかっていうことが見えてきて、これも印象深い作品でした」

城戸「ウランという核兵器を作るための原料とウンコが出会うっていうところも、この日常と日常を破壊するものの出会いという点で、非常に新しい俳句の魅力を湛えているんじゃないかと思います」

大石「坪内さんが戦争っていうものを体験として詠うのではなく、頭として理解している、知識として理解している、そういう戦争の世界ではないかとおっしゃって、(中略)もうひとつなんか押してくるものがないなあと思ってたんですけれど、それはやっぱり知識としての戦争が詠まれているせいかと大いに納得しました」

齋藤「向こうに敵がいるからその敵に突っ込めっていう、そういうはっきり敵ってものが分かってればいいけども今は違うわけよね。ものすごいデータを駆使して、いろんな電卓を叩いたりコンピュータを叩いたうえに出てくる、にじみ出てくるのが敵っていうか戦争の正体なんですよね」

城戸「イメージとしての戦争に触れざるを得ない現代人としての宿命みたいなものが、やはり評価すべきじゃないかと思います」

齋藤「日常のある行為とか、ある何かを選択する、そのことで実は我々はもう戦争に加担しているんだということがね、全体から感じられるってことなんですよ」

※敬称略 ※作品については転載の許可が必要なので、直接同賞のサイトをご覧下さい。(→こちら


210号に「齋藤愼爾氏を除く四名の選考委員が積極的に評価しなかった」と書きましたが、上記のコメントをみてわかるように、大石悦子氏、城戸朱理氏からも一定の評価は得られています。私が「残念に思った」のは、最後の一篇に推したのが齋藤氏のみであったということ。対馬康子氏からは「この作者が今、20代、30代を代表する作者となるという決意ですか、選ぶ決意がちょっと私にはまだ、どう納得させようかなと思ってるところなんです」という発言がありましたが、私個人としては、同世代として「戦争に対して今の若者がどういう風に考えているか」を代弁してくれているように感じたのでなおさら残念に思ったという次第です。