【澤田和弥の一句】
2023-10-15
秋谷美春【澤田和弥の一句】短夜のチェコの童話に斧ひとつ
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2023-10-08
嶋村耕平【澤田和弥の一句】氷瀑や数千兆の注射針
【澤田和弥の一句】
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2023-10-01
渡部有紀子 澤田和弥さん一句鑑賞文連載 句文集出版にご支援を!
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杉原祐之【澤田和弥の一句】二度ともう会ふ事はなく成人式
【澤田和弥の一句】
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2015-05-31
【澤田和弥さん追悼】澤田さんありがとう 佐藤文香
澤田和弥さん追悼
澤田さんありがとう
佐藤文香
1
澤田さんは早大俳研の先輩だ。
1日で100句つくろうと言い出したのはわたしではなかったのだが、たぶんわたしの東中野のマンションで、たしか目白の女子学生会館を出てすぐだったと思うから大学3年生のはじめごろだろう、何人か集まって俳句をつくるということになり、でも誰がいたかはあまり覚えていなくて、ただし澤田さんが来たのは覚えている。
なぜ覚えているかといえば、その夜結局皆家に帰らず、わたしの家でぐだぐだとしていたはずで、ベランダに出る側のカーテンに触れるか触れないかのところに、澤田さんは寝転がっていびきをかいていて、腹が少し見えていて、うわっと言うほど毛深くて、ほかのみんなと笑ったような気がするからだ。
翌朝皆を駅まで送るため全員で家を出て、あれはてっちさんだったか、何も考えずに信号待ちをしているわたしを斜めに誘導したようなおぼえがある。どうしたんですかと問えば、逆の斜めうしろで澤田さんがほぼ吐きそうな風にいて、うわっなるほどと思った、気がする。結局そのとき澤田さんは吐かなかった、それは確かだ。
寝酒して琥珀の網の内にゐる 澤田和弥
2
それから半年後くらいだろうか、些細な苦しさが重なって一定量を超えたらしくだめになってしまったわたしが、その日澤田さんに会うことに決めていたのは今思えば偶然で、澤田さんに会っても泣いていたように思うけれど覚えているのは早稲田の、地下鉄の出口のある交差点、わたしのバイトしていたカフェ華の見えるところの、秋の光の具合。
それは鬱というもので、そのあと躁鬱という症状に変わってわたしは今に至るわけだが、澤田さんが病院に行きなよと言ってくれなければ、もう少しだいぶだめな状態が続いていただろうと思う。
3
地方の県立高校で優等生、指定校推薦で大学に入り、しかし精神的に調子を崩して次の進路がうまくいかず、少しは東京で足掻いたけれども結局実家に帰り、地元の役所につとめるも辞めざるを得なくなり、無職。友達はみんな、結婚してゆく。
というのは澤田さんの人生の一部分であり、また、わたしの人生の一部分である。
誰にでもつゆだくの愛を注いだ澤田さんが、こんなに似てるところの多い5歳下の後輩に親近感を感じて愛してくれたことは言うまでもなく、わたしとしても澤田さんは恩人であったため、仲良くなった。
澤田さんとの大きな違いのひとつは恋人に困っているかどうかで、困っていなかったわたしの方は、実家に戻ったものの結婚するとかなんとか言って2年で東京に帰ることにした。しかしその彼とは上京して1ヶ月で別れたし、松山時代のバイト先のハム屋でつないでもらった東京の店では1ヶ月もたず、具合が良くなく、次に付き合いだした年下の彼の家で昼も寝ていた。その人とも別れ、そのあとも3人くらいと付き合っては別れた。なのでお互い、会うと恋愛がうまくいかない話をしていた。
プールからプールサイドに呼ばれけり 澤田和弥
4
最近は、銀座の小料理屋卯波が閉店するというので、澤田さんがキープして忘れていたボトルの焼酎を飲んでおいて、と連絡をもらったり、浜松の句会にゲストで呼んでくれたり、日本酒の一升瓶を送ってくれたりした。わたしは自分の仲間と飲んで、みんなで澤田さんありがとう写メを送ったり、無駄にかわいい礼状を書いて、「無駄にかわいいのが届きますが残念ながら差出人はわたしです」とメールしたりした。
そしてわたしの第二句集が出て、「天為」に句集評を書いてくれた。
第一句集『海藻標本』上梓後六年間の一六一句に佐藤文香の成長を、
そして成長せずにいつまでも「さとうあやか」でいてくれる部分を見
る思いがする。
「天為」平成二七年二月号 「新刊見聞録」より
澤田さんのPCメールの表示名は「さわだかずや」なので、我々は「さ」と「か」と「や」が共通しているな、とこのとき気づいた。「さ」さいなことで「か」なしくなってしまう「や」さしいわたしたち。なんてね。
蠟梅は面会室を満たしけり 澤田和弥
5
わたしの句集の出版パーティーのメールを送ると、「年末から体調芳しからず、当日よもやのドタキャンの可能性もありますが、万難振り切ってなんとか参加させていただきたく存じます」とのことだったので、体調第一で、ご無理なさらず、と言ってあったが来てくれた。
ちょっと前のエキレビインタビュー(わたしの句集と双極性障害に関して)を読んだこと、澤田さんの一言がそのタイトルになっていることに気づいたことなどを話してくれた。うちの親も澤田さんにお礼を言ったらしい。
「文香ちゃん、それは病院に行きなさい」と言われて。俳人・佐藤文香「そううつ」と診断される 1
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20141222/E1419182685337.html
パーティーの最後のわたしの挨拶のとき、澤田さんはチャチャをだいぶ入れた。ふつうの人からすれば、調子に乗りすぎ、元気良すぎに見えるだろうが、かなり躁だな、調子わるいんだな、と思った。
終わってから「今日は勝手にピエロになって、ごめんね」とわざわざメールが来た。かわいい絵文字がたくさん使われていた。いつものことだ。心と体に気をつけてお過ごしください、と返事をした。集合写真をプリントしてみたら、澤田さんは一番うしろで『君に目があり見開かれ』にチューしていた。最高のパフォーマンスだった。
6
ゴールデンウィーク、恋人とどこかに遊びに行こうという話になったとき、浜松行って澤田さんに会おうか、という案もあって(結局群馬に行ったのは交通費が安いという理由だ)、実家に置きっぱなしにしていた澤田和弥句集『革命前夜』を恋人に貸すために取り寄せていて、だから澤田さんが亡くなったと聞いたとき、それは目につくところにあった。まだまだ家にたくさんあるから宣伝しといて、と言われていたのを思い出したし、同時に、わたしは寺山修司アレルギーがあって、修司忌のところで読みすすめられなくなっていたことも思い出した。
澤田さんとの大きな違いのふたつ目は、寺山修司が好きかどうかだ。さらに三つ目は、下ネタを俳句に持ち込むかどうかだった。わたしは、しゃべるのは好きだが俳句に入れるのは結構許せなかった。だから澤田さんには読んでもらうばかりで、わたしが澤田さんの作品をとりあげたりすることがなかった。申し訳ないけど、仕方ない。わたしが澤田さんくらいやさしかったらよかったかもしれない、でもここで、わたしは、何が愛なのかわからない。俳句なんてなければよかった、でも俳句があったから澤田さんに会えたんだった。
マフラーは明るく生きるために巻く 澤田和弥
わたしはもう、元気出しなよ、とはあまり言われなくなってきて、それは自分が元気そうに見えることが多いのもあるし、躁鬱のことを知ってくれている人も増えたからなんだけれど、がんばらなくていいんだよ、と言われるたびに、がんばりすぎないようにがんばって調整してこれなんです、と言いたくなるのを、がんばって言わないようにしていたりするんだけど、澤田さんはどうでしたか。わたしは、澤田さんのつらいときの話を、もっと聞きたかった。
結婚もいったん諦めたし、仕事ないし、もともと野望とかもないし(澤田さんは実は野心家でしたよね)、お酒はちょっと制限するようにしてるし、大好きな下ネタを話す相手も減ってきて、どうするのがいいですかねぇ、澤田さん。また時間あるとき聞いてくださいね。
今までありがとうございました、そっちではたくさんのやさしくてナイスバディな奥さんにおしくらまんじゅうされて過ごしてください。で、わたしがダメそうなときは、神の啓示を頼みます。いや、顔的に、仏か。
●
■リンク集 週俳で読む「澤田和弥」≫読む
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【澤田和弥さん追悼】わたしの澤田くん 堀田季何
澤田和弥さん追悼
わたしの澤田くん
堀田季何
澤田和弥くんについて追悼文を書けという。
通夜や葬儀でのスピーチやお悔やみ状で使われる、きちんとした類の文章はわたしには書けない。元々駄文しか書けないし、散文が大の苦手だからである(正式な追悼文では「元々」というような重ね言葉は禁句であるらしい)。そのせいもあって原稿もよく落としてしまい、数少ない信用もついでに落としているわたし。
それでもわたしに何でお鉢が回ってきたかと云えば、彼と友だちだったからである。そう、友だちだった。間違いない。天国にいる彼もこの関係性の定義は肯定してくれるだろう。
でも、友だちなんだから何か書かなくちゃ、と思っていても、澤田くんには私よりももっと親しい友だちがたくさんいるし、わたしが面識のない読者も沢山いる「週刊俳句」で澤田くんとのエピソードを大親友面して開陳してもイタいことになってしまうし、半永久的に電脳空間に残る追悼のメッセージなんて到底書けやしないし、そもそも何を書けばいいのかわからない、とずっと思っていて先週は見送った。
その後、松本てふこさん、金子敦さん、上田信治さんの文章を読んで、変な言い方だが、少し気が楽になった。今週は、漠然とながらも、何か書いてみたい、何か書かねばと思った。
彼と何々をした思い出とか私よりも若かった彼を失って自分がいかに取り乱しているかとか、そういったことは不特定多数の読者のまえで語りたくないし、澤田くんも喜ぶとは思えないので、、とりあえず、わたしが俳句関係で澤田くんについて思っていることを断片的に語りたい。
[句材の好み]
句材の好みは、間違いなく似ていた。
二人とも社会や歴史を詠むのが好きだったが、更に好きだったのはタナトスとエロスに関する句材である。彼のこういった嗜好は、句集名『革命前夜』や第1回新鋭評論賞準賞に輝いた『寺山修司「五月の鷹」考補遺』というテーマからもわかるだろう。少女を扱った絵画史についても造詣が深く、「美少女の美術史」展に私が行きたいと云ったら、すでに一回観ていたはずの彼はついてきてくれて、怖ろしいまでの博覧強記ぶりを披露してくれ、わたしを大いに喜ばせてくれた。
そんな感じで、お互い嗜好が合う者同士、お互い同じ句材を扱った句をシンクロニティのごとく作っていた。私が歴史ネタで王の処刑を詠みこんだ句を本郷句会に出すと、有馬先生は(よく欠席投句してくれていた)澤田くんの句としばしば間違えた。澤田くんは同人誌「のいず」に多くのバレ句、社会性のある句、死に関する俳句を出していたが、わたしもそれらの句にある語彙のほとんどで句を作ったことがあったので、お互いそれを知って、二人して驚いたことがある。
いずれにせよ、彼は「のいず」に出した句が「卑猥」「露悪的」と一部の読者から言われていることを少し気にしていたが、その媒体では自由に句を出せることを喜んでいた(一般結社誌では内容的に無理だっただろう)。
彼のメールから二か所引用してみたい。
「そうなんですよ! エロスとタナトスなんですよ!」
「私が詠んでいるものは、そんな高尚なもの(筆者註:エロスとタナトス)ではなく、『エロ』と『死』という、もっと猥雑で露悪的なものかもしれません。私の句を『嫌がらせ』と捉える方もいますし、忌避される方もいます」
両方とも彼らしい文章だ。後者は彼らしい他人への心遣いの現れ。前者こそが本音だろう。彼は、遠慮するタイプの人間であったが、俳句だけでは、他人の意見やトレンドといったものに迎合することはなかった。「エロ」や「死」に接近することを躊躇しなかった(ただ、実生活でも「死」に接近しすぎていて、それが死因になってしまった感がある)。
[俳人として]
正直言えば、天才でなく秀才だった。それも、とびっきしの秀才で努力家で勉強家。作句にそつが無いタイプでなく、当たって砕けろタイプ。天がほほ笑んでくれるタイプではなく、天を無理矢理笑わせるタイプ。しかも、俳句の上では、他者に迎合せずに失敗を怖れない剛の者。
そういう澤田くんの代表句がどの句になるかは、歴史が決めることなので定かではないが、そういった句について他人が意識し始める前に逝ってしまった。実験や観念による失敗を怖れなかったので、残された作品は概ね玉石混淆だと思う。でも、その中には確かに珠玉つまり秀句が色々とあるので、彼の代表句が取りざたされるのは時間の問題かもしれない。
彼は同世代(二、三十代)の俳人の中でも豊かな実力があった。ただし、万人の認めるところ、彼は神童としてすでに俳句史に大きな遺産を置いていったわけではなく、俳人としては大成する前であった。そのかわり、彼の故郷浜松の英雄である家康並みの大器晩成型。大きな器と素質があり、大物の片鱗があった。句会では小粒の伝統的写生詠で高得点句を狙うよりも豪快な観念詠を出して撃沈することを喜ぶようなところもあり、数十年以内に大俳人になった可能性は、わたしの主観を抜きにしても、極めて高いと思う。
わたしは「豈」57号に寄稿した文章「リアルでホットであること」にて、澤田くんが五十歳以下の俳人で現代における戦争や政治を詠める数少ない一人、数人のうちの一人であることを指摘した。そう、そういう素材を積極的に詠んでいる若手を数えてみたら数人しかいないのだ。澤田くんとあと数人。
数十年後になったら、日本語俳句における社会詠、戦争詠、政治詠はわれわれの世代の誰が担っているのだろうか。そのときは誰がまだ生きていて、俳句という短い形式に深い認識を込めつづけているのだろうか。今の俳壇もすでに穏健な日常詠が支配するぬるま湯の世界といった感があるが、澤田くんが離脱してしまった以上、将来はまさに冷めた湯のごときかな。わたし自身、自分がよぼよぼになっている数十年後の俳壇など想像もできないが、澤田くんを失ったことで未来の俳壇がつまらなくなってしまったことは間違いない。
[評論家として]
俳論も開花する寸前だった感がある。
彼は同世代の中では元々(あ、同じ重ね言葉をまたもや使ってしまった!)文章が巧かった。わたしとは雲泥の差。「天為」20周年記念作品コンクールの随想部門で第一席を、俳人協会のコンテストでも第1回新鋭評論賞準賞を獲っているし、太宰治の『女生徒』が大好きなわたしのために、そして「美少女の美術史」展で塚原重義監督による『女生徒』のアニメを一緒に観た記念に、「女生徒」風の文章をフェイスブックに載せてくれたこともあった。
俳論は、愛する寺山修司論や俳句仲間たちの句集評が主だったが、「『ミヤコ ホテル』を読む」
、 「胡散臭い日本の私」といった面白い文章も「週刊俳句」に遺している。ありきたりのコメントだが、もっと読みたかった、それに尽きる。
[句友として]
いきなり死にやがって、ばかやろー
あやまってもゆるさんぞ
今回ばかりは、福助のようにおじぎしてもゆるさんぞ
おまえさんが死にたくなかったのはよくわかる
おまえさんは死が好きだったけど、死を本当におそれていた
もっともっと生きたかった、もっともっと生きていたかった、ぜんぜん死にたくなかった
でも、死がおまえさんのことを好きだったんだ。死がこっそりおまえさんにすり寄ってきて、キスして、放さなかったんだ
死みてえなやつと何でキスしてしまったんだ、こんちきしょー
あいつは巨乳でもないし、そもそもあいつはいつも浮気していてひとの命を盗んでく
洒落のようだけど、死じゃなくて詩なら良かったのに
おまえさんはいい人間でいろんな輩から好かれていた。おまえさんが思っていた以上に
みんなみんな、おまえさんのことが好きだった。おまえさんが思っていた以上に
ああ、おまえさんも死んでみて気付いただろう
自分の人気ぶりに、自分のばかぶりに、自分の他人行儀ぶりに
おまえさんは死を恐れていればよかったのに、人ばかり恐れていた
でも、みんなみんな、おまえさんには帰ってきてほしいと思ってる
とはいっても、いま帰ってくるなよ
そして誰も連れて行くなよ
どうせいつの日かみんなそこに行って句会をするんだ
そしたらゆるしてやるよ
ほんとにばかやろー、だ
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2015-05-24
【リンク集】週俳で読む「澤田和弥」
【リンク集】
週俳で読む「澤田和弥」
澤田和弥 妻がをり 50句 2007-10-28
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/10/blog-post_28.html
澤田和弥 一塊の肉 50句 2008-10-26
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/10/blog-post_8267.html
澤田和弥 教養 50句 2009-10-25
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2009/10/2009_1206.html
澤田和弥 艶ばなし 10句 2010-09-26
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2010/09/blog-post_325.html
澤田和弥 還る 50句 2011-10-30
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/10/2010_407.html
澤田和弥 草原の映写機 50句 2013-11-03
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/11/20135.html
さわだかずや ふらんど 50句 2014-11-02
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/11/201412_1.html
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澤田和弥:覚悟 陶工・國吉清尚を通して(「天為」2008年5月号より転載) 2008-08-17
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/08/blog-post_3164.html
澤田和弥:早大俳研のこと 2009-02-01
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2009/02/blog-post_3219.html
澤田和弥:交差点 石原ユキオ『俳句ホステス』評 2011-04-24
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/04/blog-post_24.html
澤田和弥:胡散臭い日本の私 2011-07-10
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/07/blog-post_9396.html
澤田和弥:〔句集を読む〕真剣なる遊び 佐山哲郎『娑婆娑婆』を読む 2011-08-21
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/08/blog-post_21.html
澤田和弥:「ミヤコ ホテル」を読む 2012-07-29
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/07/blog-post_29.html
澤田和弥:加本さんをご紹介します 2012-09-02
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/09/blog-post_1850.html
澤田和弥:加本さん、お疲れ様でした 2012-10-07
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/10/blog-post_7.html
澤田和弥:父還せ 寺山修司「五月の鷹」考 2013-05-12
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3812.html
澤田和弥:ワタリウム美術館「寺山修司ノック展」テラヤマonリーディング
寺山修司と関わりし或る日の日記 2013-09-01
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/09/blog-post_289.html
澤田和弥:【週俳1月の俳句を読む】レース 2014-02-02
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/02/1.html
澤田和弥:誤読 金子敦第四句集『乗船券』を読む 2014-02-16
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/02/blog-post_15.html
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澤田和弥:前略 上田信治様 2011-03-27
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/03/blog-post_6902.html
上田信治:拝復 澤田和弥様 2011-04-03
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/04/blog-post_5038.html
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山田露結:新幹線に乗る直前にとりあえず手軽に買うことの出来る無難な東京土産 澤田和弥句集『革命前夜』の一句 2013-07-14
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/07/blog-post_14.html
西原天気:後衛の魅力 澤田和弥句集『革命前夜』の一句 2013-07-14
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/07/blog-post_5979.html
谷口慎也:爆発寸前の静けさ 澤田和弥句集『革命前夜』 2014-01-19
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/01/blog-post_19.html
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関悦史 水曜日の一句 2013-07-17
正義の味方仮面のみにて裸 澤田和弥
http://hw02.blogspot.jp/2013/07/blog-post_17.html
相子智恵 相子智恵 月曜日の一句 2013-07-22
羽蟻潰すかたち失ひても潰す 澤田和弥
http://hw02.blogspot.jp/2013/07/blog-post_22.html
〔人名さん〕むらかみさん 2013-09-12
村上龍村上春樹馬肥ゆる 澤田和弥
http://hw02.blogspot.jp/2013/09/blog-post_12.html
【俳誌拝読】『あすてりずむ』第4号 2013-12-26
闇汁の半分がまだ生きてゐる 澤田和弥
http://hw02.blogspot.jp/2013/12/420131223.html
相子智恵 月曜日の一句 2013-12-30
闇汁の半分がまだ生きてゐる 澤田和弥
http://hw02.blogspot.jp/2013/12/blog-post_30.html
関悦史 水曜日の一句 2015-05-20
冷蔵庫にいつも梨ゐて父と話す 澤田和弥
http://hw02.blogspot.jp/2015/05/blog-post_20.html
≫ラベル(タグ)澤田和弥
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【澤田和弥さん追悼】 澤田さんのこと 松本てふこ
澤田和弥さん追悼
澤田さんのこと
松本てふこ
澤田さんの作品というか、句集に関して一昨年に文章を書いた。
私が彼の句に対して思っていることはここであらかた書けてしまった気もするので、リンクを貼っておく
小さな革命としての俳句~澤田和弥句集『革命前夜』
https://note.mu/tefcomatsumoto/n/n2fc68a9b5e95
この文章では、ただただぼんやり澤田さんとの思い出を振り返っていこうと思う。
澤田さんと初めて会ったのは、大学一年の頃。俳句研究会の一学年上に、澤田さんがいた。
亡くなる少し前の丸々とした面影は出会った当時は全くなく、ちょっと丸顔かな、というくらいだった。別のサークルが忙しそうで俳句研究会の活動にはそれほど積極的に参加してはいなかった。時々大学周辺で見かけると、くるりの「世田谷線旧型車輌を残そうキャンペーン」ツアーのTシャツを着て颯爽と自転車で走っていたりした。
寺山がとても好きなことは彼自身から聞いていたし、私もくるりと寺山が大好きだったので(小学生の頃に読んだ『スポーツ版裏町人生』で袴田事件を知った)、色々話したらきっと楽しいだろうな、と思いつつそんな機会もさほどないまま、彼は大学院に進学した。
大学院進学後、澤田さんに何か転機が訪れたようで俳句研究会に顔を出すことが多くなった。超結社の句会に顔を出すと、彼がニコニコと手を振っていた、ということが増え、自然と二次会などでも話す機会ができた。
彼は、当時mixiに毎日のようにすごい分量の日記を書いていたけれど、内容がどうこう、というよりは「書きたい」という欲求が活字のかたちで溢れ出ている印象で、社会人になったばかりでひたすらくたびれていた私にはそのエネルギーがまぶしく見えた。
…と、このように書いていくとどうもしゃらくさくなる。
まあその後は、そんなに頻繁に会う訳ではないが、会えば酒を飲み俳句の話をして盛り上がった。彼と飲むとアハハハハハハハ!と威勢良い笑い声が聞けるのが楽しかった。
彼はいつも誰かを心配していた。でも誰かを心配する気持ちと同じくらい強く、その誰かに自分ができることはごく限られていると感じているようでもあった。
綺麗なお店、オシャレなお店で一緒に飲んだ記憶はない。見栄えはそれほどよくないけど、何でも美味しくて気楽なお店がよく似合った。
澤田さんとの思い出は基本的に楽しいものばかりだったが、楽しい、とは少し毛色の違う思い出があるので書いておこうと思う。
ひとつは、彼が故郷である浜松に帰る直前に行われた徹カラだ。
浜松に帰るし失恋もしたから徹カラしてるよ、おいでよ、と連絡がきて仕事帰りに合流した。当時まだ学生だった谷雄介くんや山口優夢くんがいて、賑やかだった。
私は彼がどうして浜松に帰ることにしたのか当時よく知らなかったのと、失恋したからと言って彼らが相手を悪者に仕立てて騒いでいるように見えてちょっとイラっとしてしまい、つらいつらい恋愛の歌を歌ってやろうとチャットモンチーの「恋愛スピリッツ」を入れた。
歌いながらちらっと澤田さんを見たら、心なしか笑顔が固まっていて、あ、悪いことをした、傷口に塩を塗ってしまった、と気付いて反省した。
ふたつめは、2年前のGWに彼が上京して、六本木で「LOVE展:アートにみる愛のかたち」を私たち夫婦と観たときのことだ。
私の家族は澤田さんと彼の句に興味があったようで、自分のHPで句を引用したりしていた。
澤田さんが、是非ふたりと観たい、と言ってくれたので六本木で待ち合わせた。その年のエイプリルフールに入籍したので、結婚祝いのつもりだったのだろうか。
やってきた彼は、病気のため杖をついていたのにものすごい大荷物だった。聞けば、ブックオフで美術関係の資料を買い漁っていたという。ブックオフのビニール袋は破れかけ、カートは重たい、GWのなかなか手強い陽気というか暑さ、そんな中を本調子ではないのにこんな大荷物でやってきたことや、彼の中にあり続ける美術の世界への熱意や欲求を思うと無性に切ない気持ちになった。
もちろん彼はいつも通り明るく、初対面である私の家族ともびっくりするほど普通に、そして和やかに話していた。展覧会を存分に楽しみすぎて新幹線の時間が危うくなり、大慌てで彼をタクシーに押し込んだ後の、しんとした感覚を今も覚えている。
彼の最期の日々を私は知らない。でも、彼が寺山と同じ五月にこの世からいなくなってしまうなんて、あまりにも出来過ぎている。そんなところ、うまく出来ていなくたっていいのに。本当に、本当にさみしい。
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【澤田和弥さん追悼】和弥くんが亡くなった 金子敦
澤田和弥さん追悼
和弥くんが亡くなった
金子敦
澤田和弥さんのことを、僕はいつも、和弥くんと呼んでいた。
初めて知り合ったきっかけは、「週刊俳句」である。それは、2007年10月28日号に掲載された、角川俳句賞の落選展。僕の作品は、「チェシャ猫」というタイトルの50句。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/10/blog-post_3407.html
このコメント欄に登場している、さわDさんが和弥くんである。この拙い句群に対して、「一読して心地よい戦慄が全身に流れました。体内に電流を感じました」と、身に余るようなお褒めの言葉をいただいた。
その後すぐに、和弥くんからメールを頂き、急速に親しくなった。和弥くんはいつも、「敦さんの俳句を読むと、とても心が癒されます」と言ってくれた。
お互いに、精神的疾患を持つ身として、心から通じ合うものがあったのだろう。何が原因だったか。どんなふうに発病したか。病院には通っているか。医師の対応はどうか。どんな薬を飲んでいるか。などなど、事細かく語り合った。健常者相手には、とても出来ない話である。
僕は、「パニック障害」という不安神経症である。
パニック発作を怖れるあまり、様々な症状を引き起こす。その一例として、電車に乗ってドアが閉まる瞬間に、息が詰まって窒息しそうになる。本当に死ぬかと思うくらい苦しいのだ。この症状を健常者に話すと、「何を大袈裟な!」と言って、鼻で笑われるのがオチだった。「そんなのは、単なる気のせいだ!」とか「意気地なし!」とか、何度も言われ、何度も悲しい思いをした。
そういう僕の思いを、和弥くんはきちんと理解して接してくれた。僕は、何もかも包み隠さず話せる友が出来たようで、とても嬉しかった。僕のこれからの人生において、「心の支え」になってくれるような気がした。
2013年7月に、和弥くんの第一句集『革命前夜』が上梓された。
数々の秀句が収められているのは言うまでもないが、僕が一番驚いたのは、寺山修司の忌日俳句だけを纏めて、一つの章して収録していることである。第一句集の場合は、色々と制約が多いので、このような大胆なことはなかなか出来ない。何としてでも、修司忌の章を入れたい為、かなり自己主張を通したのではないかと思われる。そのことだけでも、彼の信念の強さと、ひたすらな純真さが伺える。
この句集のあとがきには、「これが僕です。僕のすべてです。これが澤田和弥です」という一文がある。まさしく、その通りだと思った。僕は、お礼の手紙と共に、僕の第四句集『乗船券』を送った。
すぐさま、和弥くんは『乗船券』の句集評を書いてくれた。それは、「週刊俳句」2014年2月16日号に掲載されている。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/02/blog-post_15.html
この句集評は、和弥くん自身の体験に基づいて書かれた、とても深い鑑賞文だった。ここまで深く踏み込んだ文章を発表するのは、和弥くん自身にとっても、かなり辛かったのではないだろうかと思う。涙が出た。涙が溢れて止まらなかった。
その日の午後、和弥くんから電話がかかってきた。
「少し深入りし過ぎた鑑賞でした。ごめんなさい・・・」
「そんなこと無いって! こんなに深く鑑賞してもらったのは初めてだから、とても嬉しいよ!」
「敦さんの心を、傷つけてしまったのではないかと心配で、電話してしまいました」
「傷つくどころか、むしろ大感激しているよ!本当にどうもありがとう!」
「そうですか。よかったです。それを聞いてほっと安心しました」
和弥くんは、そういう細やかな心配りの出来る、とても優しい人だった。
そんな或る日、「敦さんが、電車に乗ることが怖いようでしたら、僕の方から逢いに行きます!」というメールが届き、わざわざ浜松から大船まで来てくれた。
改札口を出てきた彼の姿を見て、僕は驚いた。なんと、和弥くんは松葉杖を使って歩いて来たのである。精神疾患の影響で、足が痺れたような状態になり、思うように動かすことが出来ないと言っていた。松葉杖を使ってまで、わざわざ逢いに来てくれたことに感激して、僕は思わず涙ぐんでしまった。
その日は、カラオケ店に直行して歌いまくった。
何曲目だっただろうか。突然、和弥くんの顔つきが変わり、何かに挑むような鋭い眼差しになった。その曲は、桑田佳祐の「真夜中のダンディー」である。おそらく、この曲の歌詞のどこかに、琴線に触れるものがあったのだろう。心のこもった、素晴らしい歌唱だった。音程が正確であるとか、そういう問題では無く、本当の「魂の叫び」であるように感じられた。
カラオケ店を出て、僕が「真夜中のダンディー、情感がこもっていて、とてもよかったよ!」と言ったら、少し照れたように笑っていた。
その後、居酒屋で一緒に酒を飲んで、俳句の話で盛り上がった。
和弥くんの、俳句に対する情熱に、僕はただ圧倒されるばかりだった。結社のことについて、色々と話している途中、酔いが醒めたかのように、和弥くんの眼差しが真剣になった。
「今度、『のいず』という俳句同人誌を出します! 敦さんも、参加していただけませんか?」と誘われた。「もちろんOKだよ!」と、即答したのは言うまでもない。
『のいず』の発行について語る和弥くんの眼は、きらきらと輝いていた。それはまるで、何億光年も輝き続ける星が宿っているようだった。
居酒屋を出て、「また一緒にカラオケしましょう!」と言いつつ、固い握手を交わした。
2回目に逢った時、和弥くんは松葉杖無しで普通に歩いていた。病気が好転している証拠である。僕はとても嬉しかった。このまま順調に、病気が回復すると思っていた。その時、僕の第三句集『冬夕焼』をプレゼントした。彼のとても喜んだ顔が、今でも忘れられない。「どうもありがとうございます! 本当に嬉しいです! この次は、この句集評を書かせていただきます!」とまで言ってくれた。
だが、2015年2月頃、「体調が悪いため、しばらくフェイスブックをお休みします」という書き込みがあってから、ぷっつりと音信が途絶えてしまった。
僕はとても心配で、何回か電話をかけたのだが、一回も繋がらなかった。後から聞いた話によると、医師の指示により、インターネットや電話は一切禁止されていたらしい。せめて、一度でも話をすることが出来ていたらと思うと、本当に口惜しい。無念である。
この殺伐とした世の中で、和弥くんのような純真な人間は、どんなにか生きづらかったことだろう。けれども、どんなに辛くても、もっともっと、長生きして欲しかった。『のいず』の発行を、もっともっと続けて欲しかった。和弥くんはこの世を去ってしまったけれど、僕はこの世に生き残って、これからも「癒される俳句」を詠み続けていきたいと思う。それが、和弥くんに対する供養になるような気がしている。
澤田和弥様のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。合掌。
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【澤田和弥さん追悼】 ごめんね 上田信治
澤田和弥さん追悼
ごめんね
上田信治
水泳帽よりちくちくと毛が飛び出す 2007
毛深い人だった。手の甲や二の腕に手強い毛が生えていて、張りのある胸乳やお腹には、それどころではなく黒い毛が渦巻いているという噂だった。眉毛もまつげも濃いのだった。濃いまつげに囲まれた瞳はいつもうるんでいるのだった。
太宰忌やびよんびよんとホッピング 2007
可笑しな人だった。人に笑われがちであることは受け入れ済みですという顔をしているのだった。書くものは自嘲ネタが多かった。××とか、△△とか、すぐそういうことを、mixiの日記などに書くのだが、その日記はあまりに大量で、むく犬が自分の皮を嚙んで狂い回っているようで、愛らしくも暑苦しいのだった。
そして何が何だか分からなくなって吐く言葉に哀しみがあって、それがいちばん美しいのだった。彼には太宰なども、わけが分からなすぎて「びよんびよん」飛んだ果てに地面にばったり倒れる仲間に見えていたに、違いないのだった。
右攻めしラガー左へ駆け抜ける 2008
高校では剣道部だったと聞いた。主将だったと聞いた気がする。体が良く動く人だったのか。何かと優れた人だったと聞いたような気がする。いや、それはよくある伝説の類だったか。
ぼくが会ったころ、澤田さんはもう、澤田さんだった。句会後こっそり今日は澤田さん調子悪かったのかなあと言うと、彼の口の悪い後輩は、澤田さんはいつもあんなですよ、と言うのだった。澤田さんは、ひどく不器用だった。というか、いつもわざと、失敗必須の書き方で書いているように見えた。
男娼の錆びたる毛抜き修司の忌 2007
水番の叔父と女体を語り尽くす 2008
ふつうに書けないからああ書くのだろうかと、失礼なことを思わないではなかったが、むしろたぶん、澤田さんは、無条件にめちゃくちゃに愛されたい人なのだった。まず第一歩としてそうでなければ、はじまらないのだった。人として、そんなむりな望みがあるか。
めちゃくちゃに愛されるために、よくできた俳句など書いていられないのは当然のことだった。澤田さんは、とても愛せないような自分を仮構して、まずそれを愛せと示すことが多いのだけれど、その、愛せなさ加減すらたいしたことなかったりすると、受け取る側は困るのだった。
でも、ときどき、すごく愛せる。
澤田さんが早稲田で百句出しの句会を企画したことがあって、櫂未知子さんとか神野紗希さんが来ていて、百句出しだから流して書いたような句も多かったけど、澤田さんのは、そりゃあもうひどかった。ほとんど下ネタで、片目で見ても澤田さんのって分かる。あんまりひどいんで「あらかじめバツつけて回しましょうか」と言ったら、みんな笑った。
ママ今日の松茸が大きすぎるよ 2010
爽籟や胸の谷間にボンジュール 2010
あははは。
澤田さん、懐かしいね。めっちゃ面白いじゃん。ひどいこと言ってごめんね。
喜びは風船を割ることばかり 2009
澤田さんが、いろんなことをちっともあきらめていなかったことは、みんなよく知っている。
澤田さんはいつもまわりの人のために尽くして、そしてふさわしく愛されたと思う。思うけれど、澤田さんはこの世でもっといい目を見たらよかったのに、と本当は、そう思う。
澤田さんはたいへんだった。本当にたいへんだったですね。
春の夜のカフェオレふうふうされ困る 2011
のどけさのなんとさびしき空の上 2011
春惜しむ振ればカラカラ鳴る缶と 2011
新緑の底に沈みし船のごと 2011
看板のどれもさびしき春なりけり 2013
さびしさの乳首をつまむ春の宵 2013
草原に映写機ひとつ修司の忌 2013
目つむれば風かすかなり花の雨 2014
カーテンよりわづかに春の雲拝む 2014
精神病んで杖つき歩く花ざかり 2014
もっと読みたかったですよ。
心から。
みんな、あなたの句がもっと読みたかったですよ。
ずんべらずんべらと冬の川に板 2008
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引用はすべて週俳で読む「澤田和弥」から。
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2014-11-02
2014-02-16
誤読 金子敦第四句集『乗船券』を読む 澤田和弥
誤読
金子敦第四句集『乗船券』を読む
澤田和弥
最初の10句を引用してみよう。
湘南の匂ひをまとふ初日かな
年賀客ともに渚へ走りけり
風花をいざなふ楽譜開きけり
初蝶がト音記号を乗せてくる
北窓を開けて便箋買ひにゆく
囀りやくるりくるりと試し書き
飴玉のさみどりの線春立ちぬ
春めくや京菓子の蓋開けてより
三月のひかりの色のメロンパン
テディベアに見守られたる雛の部屋
ここにどのような作者像を結ぶだろうか。
明暗で言えば、明らかに明であろう。どのような明か。ここに挙げた句が春の句というせいもあるかもしれないが、春の日差しのような、やわらかな明である。
これは他の季節の句にも言える。
夏の句もぎらぎらしていない。暑くない。あたたかい。秋も冬も。
金子敦(文中敬称略)の師である森岡正作は、栞において「少年のまなざし」と記している。確かにこのあたたかさは、思春期を迎える前の少年の持つあたたかさなのかもしれない。
青春性というよりも、その前も時代。少年時代を我々はこの句集に感じるのかもしれない。
『乗船券』は第四句集である。
第三句集『冬夕焼』は母への追悼の句集だったという。
望の夜や母の遺影を窓に置き
天上の母が落とせし木の実とも
これらの句には痛切な亡き母への思いというよりも、天上の母へのあたたかな思いを感じる。
これを少年性と呼ぶことはできないが、大人の心の中に住む少年ということはできるのではなかろうか。
あたたかや主宰の横に座りゐて
ここまでに素直な主宰への愛を語られたとき、そこには「少年」という言葉によって髣髴とされるまっすぐな視線を読み取りたい。
しかし、この「少年」は何も知らない少年ではない。
「あとがき」には、パニック障害によって、一歩も家を出ることのできなかった過去が記されている。
パニック障害は非常に苦しい。死ぬ訳ではない。しかし、「これは間違いなく死ぬ」という尋常ならざる恐怖感に苛まれる。家の外に一歩も出ることが出来ない、あの苦しさを乗り越えた「少年」なのである。
「春の日差しのような、あたたかな明」と前述したが、正確には「小春日和のような」といった方がいいかもしれない。
いつ冬の寒さに襲われるか分からない、しかし今こんなにもあたたかい、そのあたたかさ、今を充分に幸せに感じ、生きよう。そのような「明」を金子敦の句から感じるのである。
カッターの刃先光れる盆支度
普通の盆支度のワンシーンである。しかし私はここに金子敦のかすかな「恐怖」を感じる。今、ここにある生を揺さぶるような大きな恐怖。この前後の句はやはりあたたかい。唐突にこの句がある。
これを思ったときにふと、先に挙げた句が頭をよぎる。
望の夜や母の遺影を窓に置き
この句の直前に掲載されている二句を挙げたい。
満月の向かう側より呼ばれけり
月の舟の乗船券を渡さるる
たいへん抒情性に富んだ句である。
特に二句目は句集名にもなったと考えられる句である。実は私は作者本人から句集の由来を聞いている。そこから考えて、掲句はそのまま抒情的に読んで間違いない。
しかし私は敢えて「誤読」を試みたい。
満月の夜に窓辺に母の遺影を置く。母は天上の人である。満月の向こう側から作者を呼んだのは母ではないか。亡き母の呼び声を「聞いて」しまったのではないか。
この乗船券は「死」の世界への切符ではあるまいか。
愛する母のもとへ行きたいという思う気持ちを誰が否定できようか。
パニック障害には必ずと言っていいほど、或る病が伴ってくる。うつ病である。うつ病のもっとも恐ろしい症状は「死への誘惑」である。「死の渇望」とも言っていい。
とにかく死にたくなる。
この世という地獄から無の世界へと、ものすごい吸引力で引き込まれる。これは「ああ、これなら死んだ方がマシだ」というレヴェルではない。
「死」以外考えられなくなる。「死」だけが全てになる。
作者がそこまで重い症状を呈したかどうか、私にはわからない。しかし、私自身の経験から言えば、そういう病である。
俳句作者は己の作品の50パーセントしか作りえない。十七音というきわめて小さな詩型はそれしか許さない。残りの50パーセントは読者に委ねるしかない。
つまり俳句という詩型がきわめて特殊である点は、作者と読者の共同作業によって、初めて100パーセントの作品に完成させられるということにある。
私は読者として、金子敦の作品をそのように「誤読」する。彼はその恐怖を、きわめて繊細な抒情性とあたたかさで表現している。
おそらく本人自身気付いていないと思う。しかしこれらの句を眺めたときに、私はそう思わずにいられないのである。
これは少年のまなざしではない。本当の恐怖を知っている者だけが表現しうる静謐な世界である。
大人を超えた、聖者の世界である。
これは「二〇一〇年」の章の冬の句にも顔を出す。
ガードレールに凭れてゐたる焼藷屋
影踏みの子のゐなくなる返り花
とほき日のさらに遠くに冬夕焼
寒波来るアルミホイルの切り口に
(二句略)
文庫本伏せて不在の暦売
熱燗や無かつたことにする話
なんでもないなんでもないと蜜柑むく
これを「少年のまなざし」と言えようか。
先の句に見られるのは「無への回帰」、つまり「自分が不在になること」ではなかろうか。本当にいなくなるのは、影踏みの子でも、暦売でも、話でもない。自分自身ではないのか。
しかし、それを作者は「なんでもないなんでもない」と言い聞かす。そうしてまた、あたたかな少年のまなざしへと戻っていく。
金子敦の視線は確かに「少年のまなざし」である。純心すぎるほどの少年のまなざしである。
この句集は、特に「お菓子俳句」について言及されることが多い。それはその少年性やあたたかさに起因するものだろう。
しかし彼のあたたかさは小春日和のあたたかさだ。
パニック障害という「冴」がすぐそこにある。だからこそ、彼のあたたかさは生ぬるくない。徹底して、あたたかいのである。
よく考えてほしい。本物の少年はそこまで純心であろうか。無垢であろうか。少年のもう一つの特徴が残虐性である。蟻の穴にホースを突っこんで、蛇口を全開に開いたり、美しい金魚を水槽から取り出して、そのまま放置したり。しかし金子敦の中の少年にはそのような残虐性はない。
徹底したあたたかさは、徹底した恐怖体験から生まれている。それがパニック障害なのではなかろうか。家を一歩も出ることのできなかった過去なくしては、この徹底したあたたかさは生まれなかったかもしれない。
繰り返す。
これは私の「誤読」である。
全ての精神疾患患者が、私自身と同じ心情や経験をしている訳ではない。自分にひきつけすぎる読みだ。
しかし私の中の天邪鬼が疼くのだ。
「この句集は『お菓子俳句』じゃない。もっと本質は奥にある」と。
この句集評は金子敦自身を傷つけるかもしれない。
しかし敢えて書いてしまった。
こう読んでしまった。車谷長吉の記すように、書くという行為はまさに「業」である。
以上。
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2014-02-02
【週俳1月の俳句を読む】澤田和弥 レース
【週俳1月の俳句を読む】
レース
澤田和弥
俳句はレースである。
最初から飛ばす先行逃げ切りか。
中盤からじわじわと追い上げるか。
最後尾から、最後に一気に駆け抜けていくか。
光速は人類の憧れである。
ジョギングには、ほのぼのとしたゆとりがある。
私は高校時代、余力を残して、
最後の300メートルで一気に駆け抜けるタイプだった。
長距離は先頭集団にいて、最後に
光速のように一気に駆け抜ける
帝王ゲブレシラシエが好きだった。
帝王は小躯であった。
私もまた小躯である。
十七音を小躯と見るか。それとも大河と見るか。
大馬が颯爽と駆け抜けるレースよりも、
小さな馬が必死になって、先頭に立つレースを
私は好む。
私はマラソンよりも、同じコースをぐるぐる回り続ける
10000m走をより好む。
以上の嗜好が、私を俳句に向かわせる理由なのかもしれない。
「週刊俳句」1月のレースを振り返ってみよう。
変電所正月四日よく晴れて 上田信治
不思議な馬がいる。スタートは馬なりに走り、
先頭集団にいるものの、さほど目立たない。
しかし鞭もいれていないのに、
いつの間にかするする先頭にたって、
楽勝をしてしまう。
なんとも晴れやかな新年詠である。
「変電所」という上五にいささかの戸惑いを受けるものの、
いきなりの大勝負という訳ではない。
「四日」でいいものの「正月四日」という、
いささか音の無駄遣いにも思えてしまう中七の伸びやかさが心地良く、
その快さを下五のあっけらかんとした表現で、
しっかりと受け止めている。
大勝である。しかしレースを仕掛けた様子はいささかも見受けられない。
魅力的な句である。
剃り残し無き顎撫でて初詣 岡本飛び地
先行逃げ切りである。
集団に呑み込まれると、どうしても走りにくい。
最初にハイペースで行く。
周囲はそのハイペースが続くとも思えず、
様子を見る。少しペースが落ちるものの、
追いつけない。そのまま先行逃げ切り。
「剃り残し無き顎」がいかにもめでたい。
気持ちがよい。
「撫でて」でペースが一瞬落ちるが、
下五でしっかりと逃げ切っている。
初雀にまじりて一羽眼白なる 小澤 實
昔、ダンサーズイメージという馬がいた。
レースはいつも最後尾、そして最後の直線で
あざやかに全ての馬を追い抜き、
勝利を手に入れた。
上五、中七は助走である。
そのために下五のあざやかさが見事である。
渋い勝負である。
最後にハナ差で追いこんだ感はある。
しかしそれが俳句という文藝の醍醐味である。
正月の雑踏ブラジャー販売機 木野俊子
こういう句が私は本当に好きである。
「正月の雑踏」には何の驚きもない。
しかし、そこからの飛躍。
「ブラジャー販売機」には何のエロスもいやらしさもない。
この開けっぴろげな明るさ。
最後まで読んだあとに、もう一度頭に戻ると、
「正月の雑踏」がいかにも効いている。
どんなレースもどんな演出がなされるか分からない。
最初の凡走が実は計算されたものであることに気付くのは、
どうしてもレース後のことになっていまう。
しかし俳句はそれを許してくれる。
初日差さっとダビデを羽交いせる 金原まさ子
美しい。美しい肉体は、レースの結果よりも、
その姿を愛でるだけで充分に恍惚とした気分になる。
この句は美しさだけでなく、
レースの結果も伴っている。
美しいことが、そのまま速さに比例した佳句である。
正月の母のうずうずしてゐたり 齋藤朝比古
いかにも手堅い句である。まさに俳句的である。
しかしそこに「うずうず」というオノマトペが入ることで、
このレースはたいへんに面白い。
単なる本命馬ではない。道化師も演じることのできる本命馬。
安心感とともに、レースそのものも非常に楽しい。
レースに例えるのも、いささか疲れてきた。
ここからはオープンレース。
自由に走らせていただく。
ヌ―やいま処女のどよめく月の川 佐々木貴子
上五に惹きつけられる。突然「ヌー」の巨体が現れる。
しかもヌーはいつも群れている。
巨体の大群が突然現れた。そこに間投詞としての「や」が効いている。
「処女の」が多少安易な言葉にも思えるが、
「どよめく」で盛りかえす。
「月の川」でしっかりと締めた。
ヌーの大群が満月の夜の川にひしめいている。
誠に美しい景である。
神秘的ですらある。
この聖性は「処女」だからではない。
やはり「ヌー」に起因するものである。
枡酒の盛り上がりたる淑気かな 清水良郎
めでたい。いかにも「淑気」である。
本命馬の手堅いレースも私の好むところである。
やはりレースに例えてしまった。
先行句を感じない訳ではないが、
この正月のめでたさには、
酒好きとしても、諸手を上げたくなるのである。
木々に雪妻にわれある四方の春 鈴木牛後
なんと幸福な句であろうか。
「われに妻ある」ではない。
「妻にわれある」がとても佳い。
そして四方は春なのである。
木々の雪も日に輝いている。
一点の陰もない。
正月だからこそ、この幸福感を充分に受け止めることができる。
一億のアイヒマン顔(がほ)初詣 関 悦史
「一億」「初詣」から、ここに描かれているのは日本人だろう。
その全てがアイヒマンの顔をしているという。
アイヒマンには「忠実なる下僕」という印象がある。
その忠実さは忠犬ハチ公のようなものではない。
心がないという忠実さ。
それを作者は初詣に浮かれる日本人の顔に見たのである。
この国の現状が如実に表されている。
ところで、「アイヒマン」を変換したら、
「愛肥満」と出てきた。
なんとも皮肉めいている。
初日の出親父がひどくかすれ声 髙井楚良
取り合わせの妙である。
「が」が気になるが、
全体として句の調子を崩すほどではない。
ここでは「初日の出」をともに拝する、
親父のひどいかすれ声の微笑ましさを味わうべきであろう。
初夢や誰かの足を踏んでゐる 高梨 章
上五で大きく切れる訳ではない。
あくまでも初夢の中の話と捉えたい。
足を踏んでいる感覚はある。
誰かはわからない。
目隠しをされているのか。
それとも満員電車の中か。
後者であれば、初夢から満員電車とは、
なんとも現代日本のせちがらさを感じさせる。
しかし全体にたゆたう軽みによって、
この句はしっかりと俳句として愉快である。
神までの裏道とほし初手水 仲 寒蝉
「裏道」と言えば、本道よりも近くて楽だから、通るところである。
しかしそれが遠い。
なにせ「神までの」ですから。
安易に神社という実体とは捉えたくない。
八百万の神へは裏道を通っても、
やはり遠い存在なのである。
その遠い存在へ、現世利益的な、卑近なお願い事をするために、
日本人という生き物は初詣へと向かうのである。
バベルの塔更地に手毬よく弾むよ 福田若之
バベルの塔は神のいかづちによって崩された。
そこを更地にした。
そうしたら手毬がよく弾む土地になった。
「更地に」で切らなければ、
句意はそのようになる。
バベルの塔は現存しない。
勿論実在したかも定かではないが。
塔は更地になり、何もなかったことになった。
そこからの飛躍。いや、飛翔と呼ぶべきか。
「手毬よく弾むよ」というフレーズを
私は愛してやまない。
戦前来何色と問ふ初鴉 渕上信子
虚子の名句をベースにしていることは言うまでもない。
それにしても初蝶ではなく、来たのが
「戦前」である。
それが何色かと問われても、
初鴉も困ってしまうだろう。
しかし初鴉にはそれすらも答えてしまう、
何か飄々としたものを感じる。
その感覚を技巧をこらして、
見事に表現している。
この技術力は圧巻である。
息吸つて止めてまた吐き姫はじめ 松本てふこ
下五でひっくり返った。そう来たか。
見事である。
句意を語るほど野暮ではない。
これ以上の感想を言うのも照れくさい。
とにかく、見事である。
全くいやらしくないいやらしい句とだけ言っておこうか。
乳飲み子の大きなおなら初笑 矢野玲奈
やはり新年詠はめでたくありたい。
この句のめでたさは、或る意味で小市民的だが、
それのどこが悪い。めでたいことはいいことだ。
家族円満、それほどの幸せはない。
読むことに幸せを感じさせてくれる。
俳句とはやはり佳い文藝である。
自己破産させた人から賀状来る 山田きよし
「した」ではない。「させた」のである。
これは尋常ではない。その人から年賀状が届いた。
「今年もよろしく」。本当によろしくしていいのだろうか。
葉牡丹の氏素性など知るか、なあ 山田耕司
この句は下五というよりもラスト「、なあ」に全てがある。
ゴール直前、全ての馬がストップモーションになったなかを、
猛烈なスピードで追い込む一頭。
強烈な追い込みである。
私がもっとも好むレース展開である。
なま白き初日抽斗半びらき 渡戸 舫
まず「なま白き」が気持ち悪い。
そんな初日があって、抽斗が半開きになっている。
嗚呼、ちゃんと閉めたい。初日もちゃんと白くしたい。
もう身悶える。ああ、もう、ああ。
しかし俳句として提示された以上、
この句のなかではいつまでも初日は「なま白」いし、
抽斗は「半びらき」である。
この「半びらき」も「半開き」にしたい。
なんでここでひらがなにするのか。
もう、こう、かちっと漢字にしたい。
ああ、もう、ううううううううう。
これは嫌がらせである。
それもすごく上質で心地の良い嫌がらせである。
私のもっとも好むところである。
冬青空鶏隙間無く積まれ 玉田憲子
鳥インフルエンザを思った。
殺処分である。
あの景色には尋常ならざる寒々としたものを感じる。
殺処分をするのは、動物担当の役人だろう。
獣医師か薬剤師か。
獣医師であれば、動物が好きでなったことだろう。
しかし、仕事として猛烈な数の鶏を殺していく。
そこに「冬青空」は、なんとも悲しい。悲しすぎる。
寺山修司は八頭立てのレースには少なくとも八篇の叙事詩があると書いた。
「週刊俳句」1月のレース、悲喜こもごも、多くの物語が紡ぎだされた。
さてトップは誰か。単勝は大穴か。それとも手堅い本命ガチガチのレースか。
レースはファンの夢の中で描かれる。
実際のレースはその確認作業に過ぎない。
さて、あなたの夢のレースはいかに。
第350号2014年1月5日
■新年詠 2014 ≫読む
第352号2014年1月19日
■佐怒賀正美 去年今年 10句 ≫読む
■川名将義 一枚の氷 10句 ≫読む
■小野あらた 戸袋 10句 ≫読む
第353号2014年1月26日
■玉田憲子 赤の突出 10句 ≫読む
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2014-01-19
爆発寸前の静けさ 澤田和弥句集『革命前夜』 谷口慎也
爆発寸前の静けさ
澤田和弥句集『革命前夜』
谷口慎也
※『連衆』第66号(2013年9月刊)より転載
著者は昭和五十五年、浜松市生。第一句集である。現在『天為』同人で、跋文を有馬朗人が飾る。句集名は〈革命が死語となりゆく修司の忌〉からきているようで、寺山修司のその前衛的な青春性(手法)に、自分の進むべき道を大きく重ね合わせている。
「革命前夜」とは爆発寸前の静けさの中に在るもの。そしてその静けさの中には目に見えぬ何かが確かに動いているもの。彼の青春性の中にあるのは、そのような鬱々としたもの、野生的なもの、そして反抗的なもの等々であり、それが今回多面化された作品として表出されている。
船長の遺品は義眼修司の忌
寒晴や人体模型男前
鳥雲に盤整然としてチェスの駒
S極がS極嫌ふ極暑かな
幽霊とおぼしきものに麦茶出す
プール嫌ひ先生嫌ひみんな嫌ひ
他に〈秋めくやいつもきれいな霊柩車〉〈狐火は泉鏡花も吐きしとか〉〈茄子漬や母が捨てたる男など〉がある。
そして寺山がそうであったように、俳句形式は表現のひとつの舞台として設定されているが、寺山が全体に舞台構成=筋(すじ)に重きを置いたのに対し、澤田は役者=言葉の個性を重視していると言ってよい。
≫邑書林 web shop
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2013-11-10
2013落選展を読む(1) 逆回転エコー 三島ゆかり
2013落選展を読む(1)
逆回転エコー
三島ゆかり
賞のために俳句やってるわけじゃないし、と逃げ回っているうちに俳句を始めて19年も経ってしまった。皆さんの句を読ませて頂きながら、これからの自分自身のことも考えてみたい。
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■1 神山朝衣「遠道」
総じて切れに重きを置かない作り方で、平明に日常を綴っているが、私などはもうちょっと言葉を泳がせてもよいのではないかと感じる。春夏秋冬で配列しているのに「寄居虫」の次に冬の季語である「豆撒き」があったり、「更衣」の次に「鯉のぼり」があったりするのは気をつけた方がいいだろう。
片付けの歌のはじまる目高かな 神山朝衣
取り合わせの句である。目高の直線的な動きと、きびきびあってほしい片付けが響きあっている。おのずとお子さんの年齢も想起される。
灯されて草の暗さの花野かな 同
「灯されて」を電灯ととらえる読みももちろん可能だが、「草のくらさ」というからには草でない部分は明るいのだろうと思うと、夕暮れの花野の花がぼんやりとあたかも灯っているようだ、と読みたい。玄妙な句ではないか。
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■2 黒木韻石「ライム」
自ら〈天の川詩(ポエム)は韻(ライム)響きけり〉と宣言している通り、語呂合わせが多くを占める。産土神:うすむらさき、蕨飯:廻蹴、古備前:五次元、桃源郷:通せん坊、バーボンと:アーモンド、…の類である。
俳句で音韻というと子音を繊細にあしらったものが多いのだが、この作者の場合、西洋詩や漢詩のように母音で韻を踏んでいるところに特徴がある。
ただ、語呂合わせでない句とどう折り合いをつけて行くかで、作戦不足だったのではないか。特に前半でリズムに乗れていない気がする。産土神:うすむらさきと「若菜かな」はいい。そのあいだの「ぬばたまの」「あかねさす」で違う方向を印象づけることになってしまったのがいけないんじゃないか。
後半、〈Googleでのぞくルーヴル秋季展〉〈アトリエに遊女(あそびめ)とゐて歌麿忌〉〈宗鑑忌鳩ふと人の陰へと屁〉あたりのたたみかけはそうとう楽しい。
天の川詩(ポエム)は韻(ライム)響きけり 黒木隕石
もちろん波郷の「霜柱俳句は切字響きけり」を踏まえているのだろう。波郷句は「響きけり」とはいうものの、構造重視で音そのものは捨て去っている。それに対し作者は音そのものを天に返すと言っているのである。
古備前に五次元のある暑さかな 同
「五次元」俳句というと正木ゆう子の〈はつなつの馬五次元をこころざす〉があり、馬の首、前足、後ろ足が座標軸のように広がって行くのを思い浮かべるのだが、対して本句の場合、音韻の方角から古備前:五次元を配合しているので、視覚的にイメージしようとしても訳が分からない。暑さの中で時空を超えて存在する古備前に思いを馳せよう。
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■3 嵯峨根鈴子「今朝のバス」
歳時記を読みこなしていらっしゃるのか、絢爛な季語が楽しい。桜うぐひ、花あふち、御器噛り、胡麻斑天牛…。〈さかさまに雲浮いてゐる梅日和〉〈ミシン目に峠ありけり色鳥来〉に正木ゆう子の〈春の山どうも左右が逆らしい〉〈地下鉄にかすかな峠ありて夏至〉の影を感じて少し疲れてしまうのは読者である私の側の問題か…。
残像を先にたたせて御器噛り 嵯峨根鈴子
音楽録音をアナログで行っていた頃には逆回転エコーという技法があった。テープを逆回転で再生させてエコーをかけたものを、順回転に戻すと実音よりも先にエコーが現れる特殊な効果で、サディスティック・ミカ・バンドの「颱風歌」や矢野顕子の「ト・キ・メ・キ」ではじつに面白いサウンドとなっていた。残像を先にたたせるゴキブリというのも、DNAに刻まれた先験的なおぞましさを感じさせる。
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■4 佐藤文香「踊る子ども」
「くだらない」「その辺の」「雑に」「笑つておけば」などの表現を眺めながら、もしかしたら「作中主体」という概念を俳句に取り入れた最初のビッグネームは三橋鷹女だったのかも知れないと思った。
鷹女が〈夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり〉〈つはぶきはだんまりの花嫌ひな花〉などを詠みつつ、〈暖炉灼く夫よタンゴを踊らうか〉〈しんじつは醜男にありて九月来る〉を詠んだように、この作者も伝記的事実なのか定かならざる恋の句を詠む。
葉桜にいつの風かがくる狂ふ 佐藤文香
後半のk音を多用した二、三音の言葉のたたみかけがすばらしい。じつに情緒不安定な感じがする。暑苦しい季語の斡旋もよい。
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■5 澤田和弥「草原の映写機」
掘り進むにつれ死の含有量が増え、たどり着いた鉱脈は寺山修司という構成になっていて、修司忌十七句が圧巻である。
〈時計塔奏ではじむる春の月〉〈彼岸会や二十分から天気予報〉〈ひとつづつ時計を壊す春の月〉〈修司忌や時計殺しは月殺し〉を点在させることにより、刻々と時が刻まれる組み立て方もじつによい。
白魚に透けぬ命のありにけり 澤田和弥
白魚というと〈白魚のさかなたること略しけり 中原道夫〉をまず思い浮かべるのだが、本句ではそこに透けぬ命を見ている。冷徹な写生句としても確かであり、やがて歳時記に残るだろう。
花の夜のいとしづかなる死産かな 同
静謐にして万感の句である。五十句のほぼ中ほどに重心としての役割を担っている。付き過ぎだという人もいようが「花の夜」が不動だ。
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■6 杉原祐之「カナダ」
「カナダ」という題なので、カナダなのだろう。寒冷地らしい趣が感じられる。ショッピングカートの句が二句あるとおり、そのような日常を平明に綴っている。
秋耕の一往復に日の暮るる 杉原祐之
広大な農地なのだろう。「一往復に日の暮るる」が言い得て妙である。
音もなく吹雪となつてゐたりけり 同
彼の地の気候への驚きがそのまま切り取られている。「けり」によって、瞬間冷却のように鮮度が永遠に保たれている。
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2013落選展を読む(1)言葉で、モノの質感を 対中いずみ
2013落選展を読む(1)
言葉で、モノの質感を
対中いずみ
俳句は読み手を必要とする文芸だ。
もちろん最終的には、句集として不特定多数の人に読んでいただくのではあるけれども、ある特定の人に一定期間、俳句を読んでもらうことがが必要だ。句会の互選であってもいいし、結社の主宰であってもいい。もっと個人的な関係であってもいい。誰に俳句を読んでもらうのか、は、ほんとうはとても大事なことだと思う。
田中裕明を亡くしたあと、京都で竹中宏さんに俳句を読んでもらえるようになったことは幸運だった。厳しい批評にさらされるし、いつも何かを突きつけられて悩んでしまうけれども。ときには飲み屋でぜいたくな個人授業のようなこともあった。
そのなかで、あるとき、ぽろりとこぼれた言葉がある。「僕は若い頃、爽波さんに連れ歩いてもらったんですよ。飲みながら俳句の話ばっかりして。僕がいまあなたの俳句を見ているのも、爽波さんへの恩返しみたいなもんです」と。
私も、これから落選展の作品17編を読むことで、拙いながらも少しでも恩返しになれば、と思います。何回かの分載になりますが、まずは第1回目をお届けします。
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■1 神山朝衣「遠道」
春光のとどかぬ道で待つてゐる 神山朝衣
駅か人家の軒先か。自分は影になるところで、人を待っている。春光の明るい方から誰かがやってくるのを待っている。光と影の落差、そこに、人を待つ気分が混じって、すこし孤独。
更衣折り目のつんとかたの上 同
「つんと」が可愛い。「かた」は漢字でいいだろう。
冬ぬくし泡に微かな泡の音 同
シャンパンとかサイダーとかの小さな泡。或いは海辺の波が寄せてくる泡。泡という小さなものに向けられたまなざしに、冬の日がおだやかに添う。
全体に女性らしいやわらかな作品群だ。自分の感性を確かに潜ったものを詠んでいる姿に好感を持つ。が、俳句は、感性的な把握だけに頼っていると淡くなる。言葉で、モノの質感を描けるようになれば、句は強くなるだろう。
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■2 黒木韻石「ライム」
つぶつぶのぷるぷる揺るる涼しさよ 黒木隕石
ゼリーかな。表現は幼いがちょっと面白い。
〈短所より長所を取りて初句会>〈花吹雪ぽんぽこぽんと腹鼓>などはゆるすぎる。〈モンスーン カミングスーン ハニムーン〉〈Googleでのぞくルーブル美術館〉など言葉遊びの段階だと思うが、その冒険、実験のなかで、奇跡的に次のような句も生まれた。
天の川詩(ポエム)は韻(ライム)響きけり 同
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■3 嵯峨根鈴子「今朝のバス」
さかさまに雲浮いてゐる梅日和 嵯峨根鈴子
に始まり、
全員のたどりつきたる春の罠 同
で終わる一編。クローゼットに隠れると、その奥の扉から雪深いファンタジーの世界に入り込むお話があったが、そのように構成されているようだ。〈この雛のかほには少し嘘がある〉〈くもりのち胡麻斑天牛啼かす哉〉〈つつしんで狐が語るわたしの言語〉などすこし位相をずらしたような歪んだ空間をつくりだすのが得意な作者だ。
集中、次の二句に心から納得した。
月の出やオクラの花がほうと咲き 同
封筒を吹いて銀杏詰め込んで 同
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■4 佐藤文香「踊る子ども」
うすばかげろふ次に逢つても笑ふだらう 佐藤文香
予選通過作品なので、すでに本選の選者評が与えられている。特に付け加えることはないが、全編を通して、きれいなCMソングを聴くような、短歌として七・七が続いていきそうな印象がある。つまり、俳句を読んだときの、くっとくる快感には乏しい。おそらく文体の問題ではないだろう。
〈三日月に浅瀬はくだらないところ〉〈立体としての厚揚げ春の月〉〈トンネルや窓にわたしが半袖で〉など、言葉にするのが早すぎるのではないか。把握が浅いところで、いくら言葉つきをいじってみたところで、いい俳句にはならない。
まなざしにちかく照る葉や石鹸玉 同
雨上がり藤は硝子のごとく垂れ 同
にはきらりと光るものがあり、惹かれた。このくらい、把握の段階での粘りがほしいと思う。
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■5 澤田和弥「草原の映写機」
草原に映写機ひとつ修司の忌 澤田和弥
50句中、修司忌の句が16句。ひとつの季語で10、20と作り込むのは立派だと思うが、この句1句を残して、あとは捨てるぐらいでいいかと思う。〈春風や少女ピアノに伏して泣く〉〈落つること期待されたる椿かな〉〈亀出でて無能無能とわれに鳴く〉〈卒業や手首の傷を隠しつつ〉などももちろん捨てる。
結局、ほとんどの句は残らないが、作者自身が、ほんとうに捨てて惜しい作品、どうしても捨てたくない作品が、あるかどうか。もっといい汗をたくさんかいてほしい。
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■6 杉原祐之「カナダ」
妻に子がくつついて寝る野分かな 杉原裕之
背中より湯気を発するラガーかな 同
「かな」止めでちゃんと俳句を詠める人が少なくなっているので、この二句は嬉しい。特に一句目は、体温があっていい俳句だ。
全体にカタカナが多いなと感じたが、カナダ在住なら自然なことかもしれない。もう一段上をめざすなら、たとえば、〈海軍の兵学校のヨットかな〉などは、季語「ヨット」を詠んだ、ということ以上に、何も言い得ていないことを知ってほしい。季語に凭れすぎるのではなく、「この句に、発見があるだろうか」と自問してみることを覚えてほしいと思う。
結氷の真つ直中に着陸す 同
潔い作品と思う。
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2013-11-03
2013落選展テキスト 5草原の映写機 澤田和弥
5 草原の映写機 澤田和弥
アンテナは何を受けとむ鳥曇
時計塔奏ではじむる春の月
冴返る夜空に眠るやうな蒼
白魚に透けぬ命のありにけり
春浅き空に鉄塔一直線
春めくやカクテル淡きブルーとし
はらはらと散るもの多し仏生会
春愁や絵本の中の王子様
看板のどれもさびしき春なりけり
春風や少女ピアノに伏して泣く
雪虫や病床が今死の床に
春北風や八田木枯亡き後も
針魚食ふ父の激しき咳を背に
梅が香よすでに故人となる未来
春雨や刃先ひとまづパンに向け
雪割や死にたき人がここにもゐる
蒸鰈箸もて殺されし人も
花は常に死につつ生くる西行忌
春寒の股広げれば嬉しがる
彼岸会や二十分から天気予報
海雲渾然一体として人類にはなれず
ふらここや肉親よりも近きは死
白日傘真白きままに遺さるる
花の夜のいとしづかなる死産かな
落つること期待されたる椿かな
さびしさの乳首をつまむ春の宵
亀出でて無能無能とわれに鳴く
ひとつづつ時計を壊す春の月
魔女と書けば鷹女に見ゆる春の雷
卒業や手首の傷を隠しつつ
濃山吹濡れて女の訃報かな
春夕焼骨壺のごと眠りたし
見えぬ目に灯し火かざす修司の忌
修司忌の旅立つ前の鞄かな
どこよりも青き空あり修司の忌
修司忌の眠られぬ夜のオルゴール
修司忌や光の戻る映画館
修司忌の砂丘に落ちてゐる手紙
修司忌の誰もが修司地下酒場
暗転ののち何もなし修司の忌
修司忌を叩き割りたる未亡人
修司忌や時計殺しは月殺し
修司忌や血もて村守る人々よ
くせ強き恋文の文字修司の忌
響きゆく無音のピアノ修司の忌
タロットに首吊る男修司の忌
修司忌の女獄舎に婆数多
修司忌の女裸身のままに吼ゆ
草原に映写機ひとつ修司の忌
革命を捨てし祖国よ花菜雨
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Labels: 2013角川俳句賞落選展, 落選展, 澤田和弥
2013-09-01
寺山修司と関わりし或る日の日記 澤田和弥
ワタリウム美術館「寺山修司ノック展」テラヤマonリーディング
寺山修司と関わりし或る日の日記
澤田和弥
平成25年8月24日(土)
曇りがち。時折小雨。
昼、ぷらっとこだまにて上京。
車中にて昼食。柿の葉寿司(たなか)950円。缶ビール350ミリリットル1缶。キリン秋味。ワンドリンクサービスにて無料。水500ミリリットル1つ110円。喫煙車両16号車。14番B席。
ワタリウム美術館「寺山修司ノック展」テラヤマonリーディング@ON SUNDAYS!出演のための上京也。8月20日(火)、メールあり。テレビ制作会社より。この企画に招きたしと。我、可と応ふ。関悦史氏の紹介によるものなり。有難シ。
東京着、14時56分。東京ステーションギャラリーにて大野麥風展鑑賞。900円。佳哉。館員の応対、頗る佳し。満足。
山手線にて渋谷駅。190円。地下鉄銀座線に乗り換え、外苑前駅。160円。徒歩にてワタリウム美術館着は16時30分也。ノック展鑑賞。1,000円。実験写真、実験映画の展示多く、頗る満足。「トマトケチャップ皇帝」を初めて観る。鑑賞中、関氏と会ふ。挨拶とともに御礼を申し上げる。ペア割引有。我の前にカップルあり。割引羨まし。カップル羨まし。我、独身也。恋人、数年来あらず。世の中、さういふもの也。
ミュージアムショップにてテレビ番組制作会社スタッフと合流。関氏、スタッフ4名、我の計6名、近所の蕎麦屋にて夕食。スタッフは若手女性2名。(美し)。壮年の男性1名。あだ名でため口で話されたる若人1名。我、冷したぬきそば大盛を注文す。730円と大盛分150円。スタッフ支払ってくれし。有難シ。蕎麦、なかなか来ず。話、尽く。コップ小さし。水、すぐ尽く。なかなか足さず。されど喫煙可なるは佳きことなり。
企画は20時開始。入場開始は19時50分。まだ1時間30分あり。関氏と近くのカフェに行く。ともにアイスコーヒーショートサイズ300円とす。味濃しを選る。関氏、珈琲を席まで運んでくるる。有難シ。談笑。あっという間に19時45分となる。退店し、会場へ向かふ。されど未だ入場できず。関氏、ミュージアムショップにて森川雅美氏に我を紹介して下さる。有難シ。スタッフに喫煙場所問ふも、無シと云ふ。ビル裏に隠れて吸ふこと2本。勿論吸殻は持ち帰る。時きたりて、やうやく入場す。地下1階也。一人1,500円。我、招待にて無料となる。ワンドリンク付。500ミリリットルペットボトル烏龍茶を頂く。有難シ。
当日配布されし「【配布用】朗読者タイムテーブル」より一部引用。
1 鯨井謙太郒氏&城戸朱理氏
2 一方井亜稀氏
3 石川厚志氏
4 塚越理恵氏
5 長尾早苗氏
6 澤田和弥
7 藤原奈緒氏
8 川島清氏
9 浅野彩香氏
10 佐伯琢治氏
11 斎藤千尋氏
12 村田活彦氏
13 田中智子氏
14 広瀬大志氏
15 三角みづ紀氏
16 暁方ミセイ氏
17 関悦史氏
18 紺野とも氏
19 福田理恵氏
20 黒川武彦氏
21 坂田智愛氏
22 森川雅美氏
23 竹中まりも氏
24 カニエナハ氏
25 渡辺めぐみ氏
26 榎本櫻湖氏
27 生野毅氏
28 及川俊哉氏
外、当日飛入1名有。(名は失念)
鯨井氏、城戸氏、一方井氏、三角氏、関氏、森川氏、及川氏、佳哉。他に佳き人をりしかど、名を失念。壁をノックしつつ、詩を朗読せし眼鏡の若き女性なり。
現代詩が中心也。「寺山氏の作品(部分可)を朗読」とありしかど、自作多し。寺山氏の俳句を朗読せしは関氏と我のみ。
関氏は寺山修司『花粉航海』より20句。自作の新作追悼句1句を朗読。「俳句は声のみにて判ぜらるるものに非ず。朗読に不向きなり」とて、寄席の演目書きのごときものにて、俳句を活字にても紹介。朗朗たる声、頗る佳哉。
我、寺山修司『花粉航海』より
目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹 寺山修司
を朗読せり。他に
五月物憂しなかんづく修司の忌 遠藤若狭男
を朗読。その後、拙句集『革命前夜』を中心に、既発表句20句及び新作1句を朗読。1句を2回読みぬ。一度は淡々と、再た一度は感情を込め。
我、「修司忌」の自作を中心とす。されど関氏は寺山氏の俳句を中心とす。寺山氏の俳句の魅力、皆に伝はりしは、全くもって関氏のお陰也。頗る有難シ。
1人5分の持ち時間を皆超過。22時30分終了予定も、実際は23時32分終了。熱気ある企画也。頗る佳哉。
「ご無理は言いませんが、できるだけ最後までいてください」とて、最後まで鑑賞。その後、ショートインタビュー。時、既に0時に近し。頗る努力せど、途中にて終電尽く。東京のタクシー、頗る高し。不快也。O氏御宅着は1時。非礼を詫ぶ。笑顔もて赦さるる。頗る有難シ。酒呑みつつ、俳句談義盛り上がる。3時終了。服用の後、就寝。頗る佳日也。
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2013-07-14
後衛の魅力 澤田和弥句集『革命前夜』を読む 西原天気
後衛の魅力
澤田和弥句集『革命前夜』を読む
西原天気
いったいなにがあったというのでしょう。
とびおりてしまひたき夜のソーダ水 澤田和弥(以下同)
女性にフラれでもしたのでしょうか。男が飛び降りたくなるのはそんなときくらいですから(暴論)、おそらく図星ですが、かかる状況を決定づけるのが「ソーダ水」です。
ただごとではなく、のっぴきならないこと、飛び降りてしまいたいことは生きているかぎり多々あります。「重いもの」のない暮らしなど、ありえない。だからといって、重くれを重くれのまま、読者に慰撫をもとめるのは、俳句作者が為すべきことではないでしょう。そこに、ちょっとした身のかわしや配慮を効かせる。それが俳句として、そして人としての仁義であり美徳です。
ソーダ水の軽さ、透明感が、作者の配慮であり、読者にとっての救いです。
といって、かなしみを少なくするのではありません。この軽み、透明度がむしろ私たちをかなしくさせるのです。
東京に見捨てられたる日のバナナ
この「バナナ」もまた「ソーダ水」と同様の働きです。かなしいのに、打ちひしがれているのに、なおもソーダ水とかバナナとか、そんな、ある意味、素っ頓狂なものを健気に口にする人には、心を寄り添わせたくなるものです。
新幹線迅し水虫は痒し
東京を追われて(勝手に決めつけ)乗る新幹線。いくら痒くても、靴脱いで靴下脱いで、足の裏ポリポリ掻いたりしちゃダメだよ、隣の人に迷惑だから。……あっ、ダメだよ。ダメだって言ってるのに、あああ、脱いじゃったよ、この人。
●
ところで、この句集の作者、澤田和弥氏は、小誌『週刊俳句』にたびたび寄稿いただいているし、以前からお名前は存じ上げている。ただ、直接お会いしたことはない。と思う(もしお会いしたことがあったとしたら、私の失念で失礼なことだから、落ち着いて思い出してみたが、ないと思う)。
句集について書くのに、面識の如何などなんの関係もない。なのに、こんなことを言うのは、どうも、この句集、読んでいると、こちら(読者)のすぐ近くにまで迫ってくるときがあって、「肌寄せてくんじゃねえよ、暑苦しい」と軽口を叩いてしまいそうになる。だから、この記事を書いているときも、よく知っている人のような気になってしまいそうなのだ。
「知り合いのような書き方をしていますが、じつはお会いしたことはないのです」ということを言っておきたい。
●
なさけないこと、なんでもないことに、かなしみが滲む。それもこの句集の特徴でしょう。
階段を昇る春灯を仰ぎつつ
風船を割る次を割る次を割る
鉛筆のほのかな甘味寒日和
ここにあるかなしみは、そんなに上等なものではありません。けれども、だからどうした?
あるいは、このような句。
村上龍村上春樹馬肥ゆる
読書の秋、馬肥ゆる秋、という浸透パターンを逆手にとって鮮やかな季語。仮に「燈火親しむ」などとしたら最悪。それを考えれば、「馬肥ゆる」がいかに効果絶大かがわかろうというものです。
シニカルな風味の句は多くはありませんが、いいアクセントになっています。
友の友知らぬ人なり年忘れ
ありますよね。このときの気分の微妙なことといったら、もう。
だからときどき、いたたまれなくなって、はっちゃけます。壊れます。
シンバルのどひやんどひやんと秋行きぬ
太宰忌やびよんびよんとホッピング
「どひゃんどひゃん」とか「びよんびよん」とか、途方もなくプリミチブな擬音に、こちらとしては苦笑するしかないのですが、そのうちやがて、素直に笑ってしまっていることに気づき、自分としては心外だが、ありがとう! という感じ。
繰り返しますが、かなしいことなんて、あたりまえにたくさんあって、重苦しいものなのですよ、この世は。すべてはそれが前提なので、悲しむばかり、重くれるばかりでは、話にも俳句にもならないのです。
マフラーは明るく生きるために巻く
カッコつけるのではなく、明るく生きるためなのだ、と。
とても、いいです。この態度は。
明るく生きることは、きわめて頼りなく細い線の上を、微妙なバランスでよろよろと歩くようなものですね。
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さて、ここまでにしておけば、この句集の魅力の一端を無難に伝えて終わる、ということになるのだろうが、もうすこし話題がある。
句集を褒めるところだけ読みたい人は、あとは読まないでおくことをオススメする。
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澤田和弥氏といえば、俳句世間(のこの界隈)では「エロ」で知られる人です。
エロティシズムなどといったブンガク的なものではありません。セクシャルなモチーフといった傾向・趣向でもない。バレ句と呼べるほどの仕掛けもない。単なる「エロ」。そして器官的というより皮膚的で、日本的に湿潤を伴う。それが澤田氏の「エロ」のイメージです。
さて、これ、ご自身の作に「エロ」が顕著であるだけならよいのですが、しばしば他人の作も「エロ」な読解(誤読)へと牽強付会、この狼藉を問題視する向きもあります。
というわけで、この句集にもさぞかし、と読んでみると、その成分はあまり濃くありません。数えてみると(なに酔狂なことやっているのでしょう、私は)、10句に満たない。それも《恋猫の声に負けざる声を出す》など無難に俳句的な処理をほどこしたものが中心です。
《中年の女を愛す余寒なり》は前半、せっかく不潔なのに、季語でカッコ良がってしまっています(いやむしろ、このカッコつけた季語こそが不潔で素晴らしいという意見もありそうですが)。
余談ですが、集中、カッコ良がるときに「寒さ」「余寒」といった低温度の季語を持ってくるパターンが見えました。ただし、これは澤田氏だけの傾向ではなく、俳句世間一般、「気温を下げる」ことで、気分に格好をつけるという、これはもう習わしのような退屈が繰り返されています(自戒を込めて)。
なお、エロとは少し違って、ほんとうに心底気持ち悪い《接吻しつつ春の雷聞きにけり》という句もあります。
結論的に、エロ関係は出来栄えの点でほぼ全滅。ただ、《正義の味方仮面のみにて裸》のみが成功の部類でしょうか。
澤田和弥といえばエロ、と衆目の一致するところであったこの作者の第一句集です。これが名うてのエロで知られた澤田氏の句集なのかと拍子抜けしそうになりますが、考えてみれば、あまりこれが前面に出ても、こちらとしてはどんな顔をして読めばいいのかわからないので、期待するほうが間違っていたのかもしれません。
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句集のタイトルについても少し書いておきます。
句集について、その書名(句集名)をとやかく言うのは、あまり意味がないのかもしれません。しかしながら、この『革命前夜』というタイトル、そして帯に大きく記された表題作の《革命が死語となりゆく修司の忌》については、この句集の対外的な印象(アピール)のなかで大きな成分になっているだけに、触れておいてよいでしょう。
あらためて言いますが、句集のタイトルは、『革命前夜』です。
どうしたことでしょう。どうしてこんなに、こっちまで恥ずかしくなるような恥ずかしいタイトルになってしまったのでしょう。
「革命」といった政治的な語、それも、ただ政治用語というだけでなく、それなりの歴史を背負う語、ドラマチックに昂揚した附属物をコノテーション(随伴的意味)として豊富にもつ語、さらにはある特定の人々に特別のセンチメントを喚起する語、これを俳句に用いるには、なんらかの工夫が必要です。
「革命」といった語を生半可に俳句にすると、無残に無様なことになります。
掲句《革命が死語と~》は、「革命」という語を俳句に使うときに陥る無様さを免れているとは到底言えません(能書きのように凡庸な把握+忌日)。こういう句が一句、句集に入るのは、まあいいとしても、これを句集名にまで持ってくるとは、いかにも残念すぎます。
《革命が死語と~》の句は、修司忌が添えられることで、もちろんのこと一種の比喩であり、寺山修司の絡みで「革命」という語が定位されています。それはそうであっても、比喩には参照元というものがありますから、「革命」という語の威力から自由になれるわけではありません。例えば「おそうじ革命」「ラーメン革命」くらいまで行けば、参照元の影響力は薄れるのでしょうが、掲句の「革命」、あるいは「俳句革命」程度では、引力の圏内です。
そこで思うのですが、この句集が例えば『ラーメン革命前夜』という書名だったら(ここは冗談・軽口ではありません。99パーセント本気)、その巧みな趣向に唸っていたでしょう。
(このあたり、読む人の趣味・嗜好の問題とも言えます。この句集タイトルを何の抵抗感もなく受け入れる人もいるかもしれません。しかし、そこまではめんどうを見きれません)
(為念。革命という語が俳句に使えないなどと言っているのではありません。使い方の問題です)
さて、そこで、『革命前夜』という句集名を目にしたときに抱くのは、浮き足立って昂った、また時代がかって大仰で、陳腐にヒロイックでロマンチックな感じです。
ところが、(これが大きな問題というか重要事項なのですが)、この句集、読んでみると、ちょっと違うのです。そうした「革命前夜」チックなノリとは程遠い、きちんとおもしろい句もたくさんあるのです。
もちろん作者には作者の思いや意図があって、句集名が決まったはずですが、なぜ、こんなにカッコつけちゃったのでしょうか。
俳句とは怖いもので、結果が裏目に出ることが非常に多い。カッコ良がると、どうしようもなくカッコ悪くなる。この『革命前夜』は、「わざとカッコ悪くしてみました。狙いです」とは言えないたぐいのカッコ悪さです。「これが僕です」(あとがき)と言われても、やっぱり、残念としか言いようがありません。
●
おまけに、帯文です。ここには「現代俳句において真の前衛とは何か、真の革命とは如何なるものか(…以下略…)」(有馬朗人)とあって、大仰・大袈裟を増幅しています。
前衛。革命。この句集に、こうした語、こうした属性を関連させてしまっていいのかどうか。
まず、「前衛」に関してですが、この句集に、「前衛」的な要素は見つかりません。前衛という語を文学史の用語としてであれ漠然とであれ(軍事用語としての使用は別として)使うとすれば、「新しさ」とは無縁ではいられないはずですが、この句集には「新しさ」はありません。実験的な要素も見当たりません。
句の組み立てや表現法は私たちが見慣れたものだし、思いをダイレクトに吐露するという部分は、いささか古めかしい感じさえ漂います。句集に流れる気分も、いわゆる「セイムオールド(古くからおなじみ)」なものです。作者や作中人物からは、なつかしいような人物像が伝わります。
(でも、それのどこが悪い?)
ぜんぜん悪いことではありません。セイムオールドというのは、とてもたいせつなことです。新しい必要なんてない。
(それにしても、ある程度若い人が句集を出すとき、「新しさ」は、ツキモノ、みたいなものなのか。ただの謳い文句、つまり、新しく句集出すから「新しさ」でしょ? くらいの意味ならいいのだが、本気で「新しさ」をもとめていたりアピールしたりだとしたら、二重の意味で問題が残る。ひとつは、「新しさ強迫症」という問題。もうひとつは、俳句における「新しさ」はそんなに簡単なものではないこと。ほとんどの俳句作者は、有名無名、作風を問わず、99.99パーセントの旧態依然のつまらなさを抱えつつ、最後の最後で、すこしだけ俳句を更新する、微細な新しさを獲得するものではないのかい?)
だから、「前衛!」とか「革命!」とか気張ることはないのです。むりやり語を宛てれば、「後衛」の魅力こそが、この句集の魅力です。
(それにしても、ある程度若い人、特に男性の句集のタイトルは、 「気張らないとダメ」というルールでもあるのだろうか?)
そして、帯文の「革命」のくだり。有馬氏は、句集冒頭の跋文「俳句の真の前衛たれ」において、「二十句の連作『修司忌』」に触れ、「私はこの中でも第一句の革命の句が好きで大いに褒めたことがある」と書いています。
どんな句を評価するかはもちろん人それぞれですが、エスタブリッシュメントの「中」だか「側」で業績と地位を築いてこられた有馬氏、東京大学総長、参議院議員、文部大臣、科学技術庁長官などを務め、現在、エネルギー・原子力政策懇談会会長の有馬氏の口から「革命」という語を何度も聞くとなると、やはり、そうとうにざらざらとしたものを感じないわけにはいきません。
結論を言えば、この句集、革命でも、前衛でも、革新的でもない。なつかしく、人肌のぬくもりを持った人間のかなしみ、おかしみがある句集ですよ、ということになりましょうか。
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最後に、集中、いちばん好きだった句を挙げておきます。
竹馬の男そのまま家に入る
はっきりとした奇行ではなく、なんとも言えず微妙な奇行。俳句が描くにぴったりな、俳句的成功によってもっともコクの出る景を捉えています。
この句集には「父」の影も、母ほど濃くではないが、たしかに見えます。この句の「男」は父ではありません。ただ、見知らぬ男とも思えません。
私には、これが「伯父さん」のように思えました。
竹馬に乗ったまま家の中へ?
こんなことをするのはジャック・タチ以来、「伯父さん」と相場が決まっています。
父=日常、伯父さん=祝祭。父=仕事、伯父さん=遊戯。父=秩序、伯父さん=反・秩序。
革命というなら、この男こそが革命です。
革命的な存在として、私たちを魅了するのは、前のほうではなく、後ろのほうにいる、なさけなく、おかしく、かなしい男なのです。
≫web shop 邑書林 澤田和弥句集『革命前夜』
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