ラベル 斉藤志歩 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 斉藤志歩 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022-12-04

【連続掲載】作品50句〔2〕 ■斉藤志歩 にはかに雨 50句




 

  にはかに雨  斉藤志歩

教はつて凧の高さよ耳に風

犬の輪に犬を入らしむ紫雲英の野

ライターを囲ふ手のひら水温む

喧嘩はじまる春の上着を脱いでから

夕東風へ黒板消しを打ち合はす

苗札に花の写真の不明瞭

春休み郵便受けの裏に人

花の名の御膳ふたつやあたたかし

退勤はにはかに雨の躑躅かな

暮るるときここまで伸びて藤の影

葉桜や泥を分けゆく河馬の足

引き出して麦茶パックのひとつなぎ

夏シャツの夜の明るきサラダバー

さみだれのサワーの層はあやふやに

礼深くふたたびかぶる夏帽子

紫陽花や銀の器に歯の軽さ

紙コップ多き祭の本部かな

うつむきて夏着の縞を数へゐし

腕時計シャワーの昼の棚の上

蝉の声あしたあしたにあたらしき

背泳ぎのしばし日陰に入りにけり

碁打ちたし端居に風の止まなくて

夏掛や赤く塗られて足の爪

瓜刻む窓に火星の低くあり

ベランダに読む小説の終はりかな

受付の穴より声や鶏頭花

かうすれば遠き花火のよく見ゆる

店にゐて墓参済ませてきたところ

長き夜や岸をなぞりて車列の灯

駅のホームで桃をジュースにしてもらふ

コスモスや鳩のポーズに空仰ぐ

やすめればからだよくなる九月かな

新蕎麦や旅の話をひとくさり

柿好きで家具組み立てに来てくれる

身に入むや飴噛み砕く音鈍し

草刈つて露の重さの袋かな

山眠るゆふぐれの鳥ふところに

冬服やくちびる開いて歯の見えて

胡座して炬燵の客となりにけり

幕間の高座に光る冬の蠅

風邪を引きさうな顔して帰りけり

切り株の尻につめたき野の昼食

ヘッドライトに若き狸が振り返る

宿寒く窓の椰子の木夜もなほ

風呂に湯の溜まるあひだを賀状書く

落款へ波の寄するや宝船

紐引いて橇の散歩は木の間ゆく

聞かされてゐるその熊のおそろしさ

眠りても覚めても雪の車窓かな

スケートボードに技の形や冬空へ

2022-07-24

【2021落選展を読む 1】 1. 杉原祐之 2. 西生ゆかり 3. 斉藤志歩 4. 中矢 温 ……上田信治

 【2021落選展を読む 1】

1.  杉原祐之  2. 西生ゆかり 3. 斉藤志歩 4. 中矢 温
読み手と世界を(パズルのように)関係づける

……上田信治 

 

 ≫2021角川俳句賞「落選展」

1.  杉原祐之 ウィズ・コロナ ≫読む

日盛の外階段を降りにけり
踏み分ける度に蝗の跳ねにけり
臘梅の乾びながらも香るかな


いつもの杉原さんの作品ではあるのですが、ふしぎと今年は、穏当な季題趣味の範疇にある句にひかれました。

子育て周辺の事象をモチーフに詠まれた句が、いくつかあるのですが「虐待の噂も少し秋簾」この「秋簾」は、不穏すぎるのでは。季題をよく知っているだろう作り手の、こういう目配せは怖いですね(北大路さんが書いたらのだったら名句、というような句です)。


2.  西生ゆかり 回り出す ≫読む

材木を斜めに運ぶ蝉時雨

「斜めに運ぶ」ことの実態は確定しがたいけれど、ともかく長いものが「斜め」に運ばれていく。そのとき「蝉時雨」(降るかのように同じ空間を占めるもの)に角度のないことも、また意識せざるを得ない。

七夕や横顔のあるマグカップ

「七夕」といえば相聞であり「横顔」もまたそれにふさわしいのに、マグカップに印刷されたそれは、どこまでもバカバカしく、誰とも恋愛的関係を結びそうにない。

一斉に薔薇満開や歪め合ふ
手に薔薇の涼しさやがてやはらかさ
ソフトクリーム時計回りに山と谷
虫籠の持ち手がたまに立つてゐる
山眠る電子レンジに秒と分
目の幅を目玉が動くチューリップ
エイプリルフール顔いつぱいに顔


この人の句は、ブツがそのブツ性を露わにする瞬間を描くとき、ちょっと見ないタイプのおかしみを醸しだす。高級な一コママンガを文字で描くような、書き手なのかもしれない。

蛍烏賊一人になると夜が来て

「一人になると夜が来て」のフレーズの、かがやかしい当たり前さ、無意味さ、そしてさびしさ。なぜ「蛍烏賊」か? あいつら複数性を絵に描いたようだし、夜っぽいし、眼がいっぱいあるしね。


3.  斉藤志歩 水と茶(*) ≫読む

(*)一次予選通過作

キャベツ食ふ虫その穴をくぐりゆく

たしかに、虫はそうやって、食べつつ自分が作った穴をくぐりつつ、キャベツ世界を移動していくはずだ。じっさいに見られるものかどうかは分からないけれど、見えないところで虫はそうしているはずだという、いわば「キャベツ想望俳句」。おもしろい。

球場は地図に大きく鳥渡る


地図というのは鳥瞰図なので、われわれが地図を見ているとき、鳥もまた(われわれが地図を見るのと同じ画角をもって)われわれを見ている、そのとき意識される空間のすがすがしい大きさ。

ベランダより戻る電話を切りし顔
包まれてティッシュに透くる金魚の死
鳩時計鳩を収めて穴涼し
雪解や瞼の覆ふ目のかたち
蔦若葉ゆく電線を芯として
バス停にバスの沿ひゆく暮春かな


知的な把握が「写生」に加味するちょっとした面白み。それが、読み手と世界を(パズルをはめるように)関係づける。それは、西生ゆかり「回り出す」とも共通する方法だけれど、もちろん、そこにニュアンス、色合いの違いはあって、この作者の方法は、より「なるほど」感が強い。


4.  中矢 温 ほつそりと ≫読む

もう午後の貸ボート皆湖のうへ

そこを空間的に限りあるひろびろとした場所として描いていること、「もう午後の」というフレーズが、限りある遊びの時間はまだたっぷりと残されていることを示し、つまり時間的にもひろびろとしていること。そのくせ、この句の視点となる話者はボートには乗っていないらしいこと。どこをとっても、とても、休日らしくてよい。

これからと分かる芙蓉の盛りかな
美容師は雪の岩手に帰るらし
包丁のすこしの葱を濯ぎけり
日おもてや海豚笑ふと歯がずらり
春眠やミシンを強く勧められ


紅葉狩吾と選びし真つ赤着て」「二人して手ぶらの影に寒鯉来」のような、ふつうにデートっぽい句もあるのだけれど、俳句にすることで、鮮度とか一回性が減ってしまっているような。それよりも「なんで美容師?」「なんでミシン?」という答のない句に、人がこの世界で生きているという感触がある。

(つづく)


2021-11-06

3. 水と茶 斉藤志歩




 


3. 水と茶 斉藤志歩


船遊び手を振れば手は風を受く

キャベツ食ふ虫その穴をくぐりゆく

家具失せて養生残る部屋暑し

ベランダより戻る電話を切りし顔

包まれてティッシュに透くる金魚の死

腕の毛の中歩みゆく羽蟻かな

歌ひつつ背に絞れる洗ひ髪

避暑の宿ピアノ弾き出す者もゐて

看板は花火を禁ず語気強く

掲げられビールはダンスフロアゆく

クーラーつけて気が利くねえと言はれてゐ

鳩時計鳩を収めて穴涼し

待ち合はせの出口がちがふ晩夏かな

組み立てて秋の色あるフルートよ

門火消して水ひとびとの靴を濡らす

登りきる脚立あやふし桃近し

大かぼちゃ刃を抜かうにも切らうにも

手を拭きて芋の煮方を聞く電話

朝寒の工事現場に進捗あり

運転に光る計器や秋の雨

黄葉の聞き取りテストに声明るし

まな板に薄く残れる梨の水

虫の音や皿を拭く役しまふ役

行く秋のシールを貼れば贈りもの

球場は地図に大きく鳥渡る

水と茶を選べて水の漱石忌

午後はじまるコートに払ふナンの粉

くしゃみしてくしゃみの音を真似されて

冬の日の洗車に虹のよく立ちぬ

賀状書く牛の模様はいろいろに

曇天や風邪の終はりは俄に来

おり立ちて枯野に靴の親しまず

冬林檎歌へばちがふ声になる

風呂の湯の手に逆らへり夜半の冬

葉牡丹やねむりぐすりは舌に丸し

雪の夜の電話に爪を切る気配

咳を詫び電話口より遠ざかる

窓の錠固し一月当てもなし

ラガーの声ところどころは聞き取れて

早春の医院に繁き車輪の音

雪解や瞼の覆ふ目のかたち

間奏を揺れてゐる歌手手にミモザ

朧夜のマウスウォッシュの味残る

炊飯器に花の模様や犀星忌

蔦若葉ゆく電線を芯として

春風や壁にパンダの相関図

パソコンは直りて戻る花のころ

蝶の来てそれを告ぐべき人の留守

散る花に風の行く手のつまびらか

バス停にバスの沿ひゆく暮春かな


斉藤志歩(さいとう・しほ)1992年生。第8回石田波郷新人賞受賞。



2016-11-06

10句作品 馬の貌 斉藤志歩


クリックすると大きくなります



馬の貌   斉藤志歩

朝露やおとなの馬の貌をして
友とゐて友の姉来る草紅葉
蜻蛉に肉の貧しき躯かな
蜻蛉の怒れる顎のよく開く
肉入れて波の立つなり芋煮会
かりがねや展望台の窓の罅
鉛筆を取り落としたるそぞろ寒
新豆腐窪みに醤油溜まりけり
籠を開ければこほろぎの匂ひ濃し
月光の厨に砥石濡れてをり